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2014年1月25日 (土)

男坂・女坂

foot湯島天神には、男坂・女坂と言われる石段があります。
男坂は、十八段の石段坂で、ゆるやかな女坂に対する男坂といいます。
男坂・女坂
江戸時代の書物「御府内備考」によると、男坂は、湯島天神参拝のための坂であったが、その後、本郷から上野広小路に抜ける通り道にもなったといわれています。
男坂・女坂
一方、女坂は、三十三段の石段坂で、すぐ脇にある、急な男坂に対して女坂といいます。梅まつりの頃には男坂と女坂の間の白梅が咲そろいます。
そもそも、湯島天神(天満宮)の発祥は、14世紀後半の南北朝時代。
菅原道真の偉徳を慕った付近の村民が、京都北野天満宮の分霊を勧請して祀ったのが、そのはじまりとされています。
以後、太田道灌による再建、徳川家康による朱印地の寄進、湯島聖堂を特別に移転した徳川綱吉など、歴代の将軍の篤い庇護により隆盛をきわめました。
明治18年(1885)に改築された天神社殿も老朽化が進み、平成7年(1995)には後世に残る総檜造りで立派な新社殿が造営されました。
江戸時代の湯島天神は、和歌や連歌の神、芸能の神、書道の神、さらには縁結びの神として崇められ、本郷や下谷にかけての町人層の間で特に親しまれていました。
御祭神として祀られている菅原道真は、33歳で文章博士となった学問の神様。
その天満宮にあやかりたいと、現在でも、受験を控えた学生や家族の参拝が後を絶ちません。
また、江戸庶民にとっては、数少ない娯楽地のひとつでもあったようです。
境内には茶店や休処が常設され、楊弓場では宮芝居や大相撲本場所が行われたこともあったそうです。
縁日が開かれたのは、毎月10日と25日。
人であふれかえる境内とその界隈には、植木市、売薬屋、香具屋などの出開帳が盛んで、門前に構える料理茶屋も、なかなかの繁盛を見せていたようです。
富籤でも有名でした。
谷中感応寺や目黒不動とともに「江戸の三富」のひとつに数えられ、毎月16日に行われる富籤興業は、一獲千金を夢見る人々でごった返しました。

「富久」では、その賑わいが語られる場面があります。
かつて湯島天神の建つ台地は、眺望の良さでも人気がありました。
女性や子供は勾配のゆるやかな女坂を、また男は真直ぐで急な男坂を登リました。
女坂を登りつめた坂上から望む北方の景色は素晴らしく、池之端の町屋、不忍池の中へ突き出した中島、上野の山の清水堂、寛永寺の 大伽藍、さらには谷中あたりまでを望むことができたようです

東方には 下谷広小路の町屋を、南方には江戸湾に浮かぶ佃島の沖まで見渡すことが出来たと言う、絶景の場所だった訳ですね。
初天神の日の、天神様徘徊を終えて、深川江戸資料館に向かうことにしました。

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