名人芸
「三遊亭圓窓」という名跡。
三遊派から生まれた名。当代は六代目。
圓窓の名を高めたのは、落語家として初めて渡米し、後に三遊亭圓生を襲名した三代目。
以後は三遊派における重要な名跡の一つとして数えられている。
◇初代三遊亭圓窓
後に三遊亭圓丈を経て、六代目司馬龍生を襲名。
晩年には春錦亭柳窓、更に二代目春風亭柳昇を名乗る。
◇二代目三遊亭圓窓
後の三遊亭花圓遊。
柳家三語楼や談洲楼圓馬などとも名乗る。
◇三代目三遊亭圓窓
後に五代目橘家圓蔵を経て、五代目三遊亭圓生を襲名。
◇四代目三遊亭圓窓
三代目の義理の息子。
先代と同様に橘家圓蔵を経て、六代目三遊亭圓生を襲名。
◇五代目三遊亭圓窓
三代目の実弟。四代目の義理の叔父。
一時期八代目桂文楽門下となって桂圓窓と名乗っていた。
◇六代目三遊亭圓窓
当代の師匠です。
こうしてみると、三遊派での大名跡圓生に至る出世名ということが分かります。
魚に例えて恐縮ですが、ブリというのは出世魚だと言われます。
関東では、モジャコ→ワカシ→イナダ→ワラサ→ブリ・・と名前が変わります。
圓生がブリだとすると、圓窓は、さしずめワラサあたりでしょう。
いずれにしても出世名なんです。
2日間の公演で、師匠とご一緒させていただいて、何を話していただいた訳ではありませんが、本当に勉強になりました。
舞台の脇で、師匠の高座を拝見しながら、「鼓ヶ滝」も「叩き蟹」も初めてではありませんが、新鮮な響きをもって、心に沁み込みました。
師匠の雪駄が揃えて置いてある。
その向こう側に、高座まで茣蓙が導いている。
そして、その先の高座の上には、大看板の師匠が熱演されている。
今、そんな場所に自分がいる・・・・。
芸歴も間もなく55年になる師匠が積み上げて来られた、目には見えないけれども「芸道」がある。
喉の調子が良くないと言いながら、高座では微塵も感じない、迫力と声量。
これこそが、付け焼刃では決して出来ない、時間の重さ、芸の深さ・尊さだと思いました。
座布団に、ゆったり沈み込むように座っている師匠の高座姿は、何かまぶしくてとても格好良かった。
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