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私的には、悲しいこと、嬉しいことが一度に押し寄せた、怒濤の一年でした。
◇ 1月
落語徘徊も数年が経過して、年賀状も落語一色のもの。
予定している落語会にかける噺を色々考えていました。
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2013/01/post-d1e5.html
◇ 2月
千早亭の稽古会に向かっていた地下鉄のホームで聞いた“父入院”の報。
当然ながら、春先に出演予定だった深川三流亭と千早亭落語会はじめ、稽古にも行くことが出来なくなりました。
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2013/02/post-4164.html
◇ 3月
父が還らぬ人なりました。
父は、入院して約3週間で、慌ただしく逝ってしまいました。
一方、以前から決まっていた娘の結婚の入籍をさせました。
父の告別式の翌日、家内の誕生日でした。
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2013/03/post-54f8.html
◇ 4月
父が死後叙勲で旭日章を受賞しました。
四十九日を過ぎても、まだ心が落ち着きません。
結局、連休近くまで、稽古会には参加出来ず、師匠や皆さんにご心配とご迷惑をおかけしました。
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2013/04/post-68d7.html
◇ 5月
いつまでも父の死を悲しんでばかりはいられません。
6月の「お江戸あおば亭」の企画と、高座への復帰をしないといけません。
師匠創作の「揺れるとき」に挑戦することにしました。
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2013/05/post-e51b.html
◇ 6月
6ヶ月ぶりの高座でした。
「揺れるとき」の手応えは予想以上でした。何かが掴めた気がしました。
きっと父が背中を押してくれたのでしょう。
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2013/06/fw-201211281800.html
◇ 7月
9月から毎月連続して予定されている高座に備えて、稽古を始めないといけないのですが、どうもスランプ気味。
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2013/07/post-b44d.html
◇ 8月
前回3月に出演出来なかった「千早亭落語会」を翌月に控えながら、なかなか稽古に身が入らず。
今日こそ!と思いながらも、高座本が開けられない毎日。
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2013/08/post-acae.html
◇ 9月
千早亭落語会で「三味線栗毛」に挑戦。
とりあえず何とか出来たものの、翌週の深川三流亭のことが心配で。
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2013/09/post-9aac.html
◇ 10月
やはり「厩火事」は、やや練り込み不足だったかもしれません。
苦しいけれども、落語に触れている時が一番楽しい。
婚約していた長男が入籍。
長女の結婚式を平成遷宮の神在月の出雲大社で。
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2013/10/post-5d25.html
◇ 11月
初めて神田神保町の「東京堂ホール」での「「お江戸あおば亭」。
「抜け雀」は、師匠の演出・オチで。
長女の結婚披露宴で、一生一度の花嫁の父に。
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2013/11/post-8283.html
◇ 12月
師匠プロデュースの「はしご落語会」に出演させていただき、師匠創作の「鬼子母神 藪中の蕎麦」。
正式な高座を、母に初めて見てもらうことが出来ました。
そして、このブログを始めてちょうど5年経ちました。
そして、55万件のアクセスをしていただきました。
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2013/12/post-376b.html
ありがとうございます。
…ちょっとプライベートなカミングアウトもしながら、一年を振り返りました。
本当に慌ただしい年になりました。
ただし、様々な経験を経て、落語にもさらに磨きがかけられる自信が湧いて来た気がします。
周囲の人たちに感謝して、来年はさらに成長したいと思います。
何卒、よろしくお願いいたします。
紅白を完全に無視して、今年最後の入浴。
半身浴をしながら、今夜は落語の稽古でなく、覚えたい歌があったので、スマホでカラオケ。
「南部蝉しぐれ」と言うド演歌です。
♪南部ぅ盛岡ぁ雫石ぃ♪で始まります。
“南部”は、我が故郷とも縁のある地名ですから。
何か、気持ちが解き放たれて、リラックスしているんだなぁ…と実感します。
あと1時間余りで、今年が終わります。
きっと、忘れられない年になるでしょう。
NHK紅白歌合戦も良いですが、テレビ東京の年忘れにっぽんの歌も捨てがたいですね。
オジサンには、こちらの方が知っている曲が多いから。
…と言うより、ほとんど知っていますね。
青山和子の「愛と死をみつめて、梶光夫の「青春の城下町」なんて、痺れますね。
でも、時々、見ない方が良かったと思えるような、老醜を晒す人もいます・・・。
おいたわしい・・・。
今月が終わると言うことは、今年が終わるということです。
終わり良ければ全て良し、と言うことであれば、今月は様々充実していて、今年の有終の美を飾ることが出来た気がします。
落語の「聴く」「演る」「書く」全てにチャレンジしようと言うのが、欲深い私の落語徘徊ですが。
まずは「聴く」。
寄席や落語会に行って、生の落語を聴こうと言うもの。
◇ 13日 東京落語会
◇ 14日 はしご落語会
◇ 15日 はしご落語会
◇ 28日 大手町落語会
◇ 30日 紀伊國屋寄席
かつてに比べれば、まだまだ少ないですが、やっとペースが戻りつつあります。
次は「演る」。
「よくぞ、ここまで来た」と、自称乱志後援会長の「Ⅰさん」が喜んでくれたように、師匠がプロデュースした「はしご落語会」生な出演させていただきました。
母にも聴いてもらえ、今年最大の出来事でした。
落研OB会「お江戸あおば亭」、落語っ子連「深川三流亭」、扇子っ子連「千早亭」の集大成になりました。
そして「書く」。
まず、落研OB会だより「あおば亭」の第4号を発行しました。
そして、「はしご落語会」の当日に、本ブログへのアクセス累計が54万件になり、年末に、スタートしてちょうど5年で55万件に到達しました。
ありがとうございます。
改めて、落語に出会い、長いブランクを経て戻って来て、師匠に出会って師事し…。
本当に良かったと思います。
確かに、常識的にはおかしくないのでしょうが。
某新聞で、三遊亭鳳志さんの記事です。
みなとみらいのショートフィルム専門劇場「ブリリアショー トショートシアターで、落語と短編上映を楽しむ「お正月特別イベン ト」が開催される。
イベントでは、見終わった後に元気になれるという視点で選んだ「ポジティブ」をテーマにしたショートフィルムを鑑賞後、落語家の三遊亭鳳志さんが各作品の内容を落語の枕にお噺を披露する。
……と、ここまでは普通の表現です。
ところが……、
三遊亭さんは大分県出身。
2000年4月に三遊亭鳳楽師匠に入門し、2004年3月に二ツ目昇進。
2008年にさがみはら若手落語家選手権」審査員賞を受賞し、2009年3月に真打に昇進。
……、鳳志さん、「三遊亭さん」になっちゃいました。
歌舞伎でもそうですが、同門に多くの人がいますから、屋号や亭号でなく、下の名前、ファーストネーム?で呼びます。
でないと、市川さん、中村さん、片岡さん…て、病院の受付みたいになってしまいます。
こういうのは、やはり先輩が教えてあげないといけませんね。
このブログをスタートさせてちょうど5年経過しました。
2009年1月1日に、こんな書き出しで始めました。
今年から、自分の落語徘徊の足跡を残してみようと思います。
「落語ブーム」と言われて何年か経ちますが、これはもはや一過性のものではなく、日本独自の伝統芸能として、さらにユニークなエンタテイメントとして、必ずしも愛好者人口は多くはないものの、盤石な位置を固めつつあります。
今年も、公私ともに様々な出来事が起こることと思いますが、ここまで来て、もはや後戻りできない「落語道」は、さらに一層の「精進」を重ねたいと思います。
東北大学落語研究会創部50周年に関わるイベントでの高座、50周年記念誌作り、落語っ子連、圓窓師匠との接点、そしていろいろな寄席・落語会めぐり・・・・。
もうひとつの目標は、OB落語会や落語っ子連以外の場所で、「落語を披露する機会を作る」ということです。
あまりにも「落語」ばかをやっているので、周囲から「一度聴かせろ」という声が複数ありますので、チャレンジしてみたいと思います。
そのためには、もう少し持ちネタを増やす必要がありますので、新しいネタの仕込みにも頑張ってみたいと思います。
下の写真は、このブログを始めた時の富士山です。
・・・5年が経過して、当時イメージしていた「落語道」は、かなり実現出来た気がします。
落研50周年・記念誌・OB落語会「お江戸あおば亭」・会報「あおば亭」。
師匠との接点では、落語っ子連「深川三流亭」・扇子っ子連「千早亭」。
色々な落語会・寄席めぐりは、回数は当時には遠く及びませんが、地道に続いています。
師匠からご指導いただいた噺も、学生時代の持ちネタのリニューアルも含めると、今稽古をしていただいている「通夜の猫」で20席を超えました。
それぞれが思い入れのある噺で、大切な宝物になっています。
ただし、"他流試合"、即ち「OB落語会」・「お江戸あおば亭」や「深川三流亭」や「千早亭落語会」以外の高座と言えば・・・、まだまだ数えるほどしかありません。
「学士会落語会創立5周年記念落語会」「ワンコイン落語会」「はしご落語会」「南三陸出前寄席」・・・、あとは老人施設や老人会への慰問程度・・・。
おかげさまで、このブログへのアクセス累計も12月30日に55万件になりました。
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2013/02/post-b998.html
◇ ブログスタート 2009年 1月 1日
◇ 累計10万件 2011年 1月25日
◇ 累計20万件 2011年12月20日
◇ 累計30万件 2012年 8月15日
◇ 累計40万件 2013年 2月18日
◇ 累計50万件 2013年 9月28日
毎日続けていくことが肝要だと思いますので、これからも頑張って行きたいと思います。
このブログのプロフィールの自己紹介のままに。
「乱志&流三&永久」の三人旅落語珍道中の徘徊記録です。
大学の落語研究会出身の"金願亭乱志(きんがんてい らんし)"が、落語界の重鎮"三遊亭圓窓師匠"に師事し"三流亭流三(さんりゅうてい りゅうざ)"と"千早亭永久(ちはやていと わ)"という名前をいただきました。
青春時代に乱志が親しんだ落語に、遅ればせながら流三と永久も思い切りのめり込んでみようと、落語徘徊を思い立ちました。
「乱志&流三&永久」の三人旅落語珍道中の始まりです。
落語を"見る・聴く"、"演る・喋る"、"読み・書く"を究めます。
テレビを視ていたら、緊急地震速報。
すぐに揺れが来ましたが、それほどではなく、ホッとしました。
茨城県北部の高萩で震度5弱だったそうです。
津波の心配もないようですが、年の瀬まで驚かせてくれますね。
初花さん、花緑さんの総領弟子ですよ。
数年前、やはり柳家の人気の某師匠のお弟子さんが破門になったことがありました。
彼も、総領弟子ではなかったかなぁ。
一旦落語界を去った形でしたが、すぐに別の団体に入って売れっ子の真打で活躍しています。
同年輩の三遊亭司さんが、こんなコメントをしていました。
今回の初花のことは、共演した12/21の深夜寄席の前日に、当人から聞きました。
師弟にしかわかりあえないことと、師弟だからわかりあえないことがあり、身分違いを承知で、花緑師匠に申し上げたことはありますが、みなさん同様「破門」という結果しか知り得てないのが現実です。
色々あるんでしょうね。
この世界は、師匠の言うことは重たいはずですから、現代っ子には耐えられない部分もあるのかもしれません。
愛読させていただいている柳家小袁治師匠のブログには、大変優しい穏やかなコメントがありました。
この年末に噺家を辞める人が出ていた。
自らTwitterとFacebookで発表しているとのことだ。
誰であるか調べればすぐに分かるかも知れない。
愚生としてはせっかくなんだから思い止まらないものかと思っているので、名前は出さないことにした。
同門ですからね・・・・。
20日に破門になって、その後の21・24・28日は、師匠と協会に特例で高座を許してもらい、「うどんや」「天災」そして「道灌」を演ったそうです。
自動車の「F1シリーズ」で7度総合王者に輝いたミヒャエル・シューマッハーが、フランスでスキー中に転倒して頭部を負傷し、脳を激しく損傷しており、意識不明の重体だというニュースを聞きました。
家族で訪れていたスキー場のゲレンデの外を滑走中に転倒、岩に頭部を強打した。
ヘルメットをかぶっており、病院へ搬送される際には意識があったということですが・・・。
自動車レースで、数多の危険や修羅場を乗り越えて来た人が・・・・、実に皮肉なことです。
無事だと良いのですが・・・。
特別なF1ファンではありませんが、車は大好きですから。
金原亭伯楽師匠の新著「落語小説 宮戸川」。
このたび金原亭伯楽書下ろし、落語小説第2弾「宮戸川」(本阿弥書店)刊行を記念いたしまし て、「金原亭伯楽・龍馬 新春初笑い東京堂書店寄席」を開催の運びとなりました。伯楽師匠の小説は都合4冊目だそうです。1500円。
古典落語を演じられる噺家は数多くいらっしゃいますが、中で も「人情落語」を語らせたら伯楽師匠の右にはなかなか出られ ません。
さて今回は、この秋晴れて真打昇進と相成りました、 弟子の金原亭小駒改め龍馬も出演いたします。
お時間もたっぷ りとございます。
日頃の寄席の高座では聴くことのできないお 噺をごゆるりとおたのしみいただければと思っております。
「新春初笑い 東京堂書店寄席」
日時 2014年1月4日(土) 15時〜17時
場所 東京堂書店神田神保町店6階東京堂ホール
出演 金原亭伯楽・金原亭龍馬
木戸 800円(要予約 ドリンク付き)
東京堂ホールでやるんですね。
とても親しみが湧きます。
今年の落語徘徊写真の「ベスト3」を挙げてみました。
まずは、6月の江戸川河川敷。
一見、落語とは全く関係ないと思われることでしょう。
6ヶ月ぶりの高座「お江戸あおば亭」のトリで演る「揺れるとき」の稽古に行った時のもの。
河川敷を行ったり来たりの歩き稽古の時のものなんです。
コンビニでおにぎりとペットボトルのお茶を買って・・・・。
35分ぐらいの噺を・・・、3度ぐらい浚いました。
おかげで、日焼けして顔が黒くなりました。
2枚目は、恋し家古狂師匠が撮ってくださった、11月の「お江戸あおば亭」の高座に上がった時のもの。
扇子を前に置いて結界を作り、お辞儀をするところです。
何とも言えない緊張感が漂っています。
少しマクラを振ってから「抜け雀」に入りました。
そして殿は、12月の「はしご落語会」での師匠の高座姿を、舞台の袖から撮らせていただいたもの。
手前に雪駄が揃えられ、高座に続く"道"の向こうで、師匠が円熟の話芸をご披露されている場面です。
古狂師匠、素敵な写真をありがとうごさいました。
・・・こんな感じでしょうか・・・。
これだったかな?
年忘れに飲んだ美味い酒は…。
別名「コンプライアンス違反」・・・?
柳家初花さんのツイート。
この度、破門により、柳家初花は13年強の噺家生活に幕を降ろすことになりました。
全てが私が至らなかったことが原因です。
長い間ご支援ご声援いただきありがとうございました。
えっ
さらに、原因は今まで色々なことが積み重なった結果だということと、それで自分が別の方向に行ってしまったこと。
今後の予定は未定、ツイッターのアカウントは年内でクローズする。
師匠(の花緑さん)に批判の矛先を向けないで。
確か、そろそろ真打の声が聞こはじめても良いぐらいの位置のはず。
色々あったのでしようが・・・。
勿体無い・・・・。
今年最後の放送。
五代目柳家小さん特集です。
◇ 狸の札 五代目柳家小さん
◇ 宿屋の富 五代目柳家小さん
先週が圓生師匠で、今週が小さん師匠です。
最近の柳家一門の隆盛には目を見張ります。
やはり一党独裁は好ましくありませんから、三遊亭の復権?が待ち遠しいです。
僭越ですが、私も三遊一門何卒繋がりますから。
ぶらりと、年賀に持って行く菓子折りでも買おうかと、駅前に出かけました。
駅も賑やかでした。
駅前のブックオフに、やはりぶらりと入って、さらに店内をぶらりとしていて、落語の古本を見つけ、衝動買いしました。
恐らく、既に手元にある可能性が高いのですが…。
「落語文化史」は、昭和61年12月の朝日新聞社刊。
今から27年前に2500円でした。
何と、若き圓窓師匠が、首提灯を演じている写真が載っています。
40歳代は、髪も黒くてフサフサして、七三に分けていたんですね。
「落語への招待」は、5年前の歴史読本の別冊で、1800円でした。
これは新刊の時に買いましたね。
きっと書架のどこかにあるでしょうが・・・・まぁいいかと。
つい、衝動的な大人買い。
ウコンの力というドリンク。
ウ○コじゃなくてウコン。
昨夜、私としてはかなり酒を飲んで酔いましたから、コンビニでウコンの力を買って帰りました。
本当は、飲む前に飲むのが良いんだそうですが。
飲んだ後でも飲んだ方が飲まないより良いんじゃないかと言うことで。
値段も気持ちも良かったので、いつもの翌日の気分の悪さはありませんでした。
飲む方にとっては、1〜2合のことでとお笑いになるかもしれませんが、下戸にとっては大変なことなんです。
ウコンノカ、逆さまから読むと、カノンコウ。
昨日浅草に行ったから、観音様の御利益かもしれません。
観音様の効き目、観音効、かんのんのこう、かのんこう…。
やはりラジオでも。
◇ 芝浜 八代目三笑亭可楽
16分32秒と言う…。
昭和31年の音源と言う…。
まだ私は生まれていません。
長けりゃぁ良いとは言いませんが、短くて良いとも思いません。
ストーリーを語るに加え、人の心情をじっくり伝えることには、やはり限界があります。
あまり心に残らないでしょう。
「大手町落語会」の後で。
東京駅ターミナルビルや周辺の数多の中から、何気なく入った魚中心の店。
「Ⅰさん」と2人で、今年最後の。
今年も色々ありました。
何とか無事にこなすことが出来ました。
何かホッとした気分になっていたのでしょう。
Ⅰさんと店の人に勧められるままに、普段は飲んでもせいぜい生ビール小一杯程度しか飲めない私が、日本酒を飲みたい気分になりました。
ビールを飲んだ後、山形の「三百年の掟やぶり」と言う純米吟醸生しぼりの原酒だという、1合1,500円。
肴は、ホヤの塩辛とほうれん草の胡麻和え。
ほうれん草には金箔が乗せられています。
とてもフルーティな味で、ゆっくり味わいながら飲みました。
そして、さらに信じられないことに、もう一杯飲みたくなりました。
今度は、少し辛口が飲みたかったので、馴染みのある銘柄「一ノ蔵」の純米吟醸。
いやはや贅沢です。
「Ⅰさん」から、「色々慌ただしかった一年だったから、年忘れに飲んだらいい。よくやったよ。」と。
忘れられない年になったことは確かです。
もしかすると、こんなに美味い酒を飲んだのは、本当に初めてかもしれない。
ほとんど年末年始モードで静まり返った大手町界隈。
久しぶりに自称乱志後援会長の「Ⅰさん」と大手町落語会へ。
満員御礼の表示。
◇ つる 前座さん
◇ 掛け取り 桂文治
◇ 福禄寿 柳家さん喬
◇ 武助馬 瀧川鯉昇
◇ 芝浜 柳家権太楼
本当に楽しく"眠らせて"もらいました。
「掛け取り」は、登場人物を噺家さんの好みで変えたり、自分で創作したり出来るので、文句なく笑えます。
文治さんも、柳昇師匠、彦六師匠、圓丈師匠、そして権太楼師匠の物まねをやったり、例によって明るい高座。
さん喬師匠は一転して品のある高座。
「福禄寿」は、師匠の十八番の圓朝もの。
これもやってみたくなる噺です。
何度か聴いているので、心地よい声に熟睡していました。
贅沢な時間です。
仲入り後の鯉昇師匠は、楽しいマクラから、意外にも「武助馬」に入りました。
ちょっと鼻にかかった穏やかな声は、これまた聴き心地満点です。
トリは権太楼師匠。
ちょっと前の闘病を乗り越えて、今年はノリノリの年でした。
秋の紫綬褒章受賞は、正直なところ驚きました。
それにしてもおめでたいことです。
「睨み返し」だとか色々と迷った挙げ句、会場の要望に応えて「芝浜」。
今日は、あまり良い出来ではなかった気はしますが、権太楼節の「芝浜」でした。
権太楼師匠は、夢だと思い込んで、死まで覚悟する熊さんを強調します。
さん喬師匠は、告白するおかみさんの心情を描きます。
しんとした会場のあちらこちらで、鼻をすする音が聞こえました。
まずは中野翠さんの「落語と私 私と落語」。
もう来年です。
今月のインタビューは、今や絶頂にある「柳家権太楼」師匠。
じっくり見れば見るほど、あれもこれも…、行きたい・聴きたい・買いたいものばかり。
焦りを感じます。
20日は、圓窓師匠が、紀伊國屋寄席で「猫定」をお演りになります。
これは外せません。
明後日の今年最後の紀伊國屋寄席の時にチケットを買おう。
東大落語会OBの山本進先生の新刊。
偶然、本屋で見つけて即購入。
戦後すぐの東大落語研究会時代からはじまり、六十年以上も“一介の市井のもの好き”として落語研究や芸能史研究にたずさわってきた著者ならではの、肩のこらない落語入門書。
落語に関する素朴な疑問から、歴史、愉しみ方まで、誰にもわかりやすく説いた落語ファン必読の書。
草思社刊。2100円。
完成するまでは、何度も足を運んだのに、オープンしてからは一度も言ったことがない「東京スカイツリー」。
東京スカイツリータウン「ソラマチ」の7階にある「そらまち亭」では、料理を味わいながら寄席を楽しむことができると話題になっているそうです。
店内にはミニ舞台が設けられ、テーブルと座席が舞台を取り囲むように配置されているため、どの席からでも舞台上の寄席を楽しむことができるそうです。
寄席は夕方に2回(午後6時半と同8時半、1回30分)開催され、料理を頼めば“木戸銭”は不要。
観光客にはもちろん、落語初心者にも人気スポットだということで。
江戸味楽茶屋そらまち亭では「ねぎし三平堂(林家)」プロデュースによる落語や色物などの寄席芸を開催致します。
店内に設置したステージ(高座)において、お酒やお料理と一緒に寄席芸を楽しんでいただけます。
どのお席からも寄席芸が観られるようにTVモニターを設置し店内生中継を致します。
混雑しているんでしょうね。
http://news.mynavi.jp/news/2013/12/27/323/
浅草の「翁そば」が紹介されていました。
ご飯物は一切作っておりません。
そば、うどんの麺類一本でやっております。
麺もスープも全て自家製です。
大正3年に開業し、現在までほぼ変わらない味を代々守り続けております。
浅草六区の「翁そば」は、下町情緒を感じさせる知る人ぞ知る名店。
「浅草演芸ホール」に近いこともあり芸人さんのお客も多い。
人気メニューは「カレー南ばんうどん」と「カレー南ばんそば」。
少し太めのうどんと平打ちのそば。
どちらもボリュームもたっぷりで、熱々のカレーに絡みあう美味しさは、ぜひ味わいたい一品。
麺は太めで、つゆは甘め。
行ってみようかな・・・。
落語協会の今年度の納会で、来春3月に昇進する新真打が正式に発表されたそうです。
した。
◇小権太改め三代目「柳家東三楼」(37)
◇鈴々舎風車改め四代目「柳家三語楼」(38)
◇亜郎改め「三遊亭究斗」(50)
◇志ん公改め五代目「古今亭志ん好」(36)
◇才紫改め三代目「桂やまと」(39)
・・・・の5人です。
へぇぇ、全員が新しい名前を襲名するんですね。
来年3月に披露パーティー、下席から各寄席で真打昇進襲名披露が行われる予定。
風車さんと亜郎さんは、私はあまり馴染みがありませんが、全体的に地味な感じがします。
ところで、落語協会の納会、帝国ホテルでやったそうです。
「三太夫、控えておれ」ですね。
師匠のブログで、新しく紅巣に入った某大学の学生からの電話で、「落語のコンクールがあるので、そこへ申し込みをしてあるんです。予選は「道灌」、決勝に残ったら「粗忽の釘」を演ります」と言われたそうです。
師匠は、「軽く考えているんだなぁ、と羨ましく思う。が、まぁ、いいだろう。」と思われたそうです。
「その代わり、特訓するよ」と、念を押したと。
そして、「最近、○○大、△△大の学生が見学に来てたのは、方々のコンクールがあるせいか。」と。
で、この2学生は、その後、来なくなったそうです・・・。
まぁ、周囲のことが見られない、怖いものなしだと思います。
「軽く考えているんだなぁ」・・・。
このブログでは、政治的な話題はしたくありませんし、学生時代からノンポリの私には、語るだけの見識もありませんが・・・。
在日米大使館が、首相の靖国神社参拝について「日本は大切な同盟国だが、日本の指導者が近隣諸国との緊張を悪化させるような行動を取ったことに米国政府は失望している」と批判する声明を発表したそうです。
米政府が、日本の首相の靖国神社参拝を批判する声明を出したのは極めて異例だそうです。
・・・「日本は大切な同盟国だが」と「米国政府は」の2つのフレーズを外せば、恐らくかなり多くの日本人が、このコメントと同じ気持ちでいる気がします。
「日本の指導者が近隣諸国との緊張を悪化させるような行動を取ったことに失望している」
「以和為貴」とは、人々がお互いに仲良く、調和していくことが最も大事なことであるという教え。
これは、聖徳太子が制定した十七条憲法の第一条に出てくる言葉として有名ですが、首相も知らないはずがない。
現に、今年8月の「文化人・芸能人の多才な美術展」では、自身で「以和為貴」としたためた書を出展しているようですから。
わざわざ波風が立つことを承知でやるのか・・・素朴な疑問。
田舎者で、プロ野球と言えば巨人の情報しか知らなかった私には、豊田泰光という西鉄の名選手の現役時代はほとんど知りませんでした。
後年現役を引退されてから、フジテレビで、佐々木信也さんが司会をしていた「プロ野球ニュース」の解説者になって、それで知りました。
その豊田さんの、日本経済新聞スポーツ欄「チェンジアップ」は、毎回とても楽しく読ませていただきました。
とてもバランス感覚があって、自説ばかりを展開するのでないので、説得力がありました。
http://www.nikkei.com/sports/npb/column/index/?uah=DF251020129540
ところが、1998年に夕刊で始まり、その後朝刊、電子版で掲載してきたこの「チェンジアップ」も今朝が最終回だったそうです。
足かけ16年にわたる辛口評論は野球界への愛情の裏返しだったというコメントがありましたが・・・。
写真を拝見すると、やはり79歳の老齢は、かつての雰囲気とは随分違っていました。
昨日、甲府への出張帰りに電車を待つ小一時間、近くの舞鶴城公園に行ってみました。
「甲府城」なんて言うと、素朴に「あぁぁ、武田信玄が建てた居城でしょ」なんて思う人が多いことでしょう。
ところが、武田信玄は、「人は石垣、人は城」と言って、城を築かなかったと言われています。
甲府城(甲府駅近く)から北方にある躑躅ヶ崎武田氏居館が、信玄の「居城」でした。
今は、武田神社になっています。
甲斐国では戦国期から甲府が政治的中心地となり、躑躅ヶ崎館(武田氏居館)を中心とする武田城下町が造成されたが、武田氏滅亡後に甲斐を領した徳川氏や豊臣系大名が甲斐を支配し、甲府城を築城して新たに甲府城下町が整備された。
豊臣政権では徳川家康を牽制する要所、江戸時代では将軍家に最も近い親藩(甲府藩)の城となった。
天守台はあるが天守が建てられていたかは不明である。
日本の100名城の一つに数えられているそうです。
小学校の遠足で、県庁や県議会議事堂、それから舞鶴城公園に行ったことがあります。
その頃は、この城跡には、石垣と謝恩碑があった記憶ぐらいしかありませんが、それなりに整備されていました。苔むすままの石垣に~栄華の昔偲べども~
・・・ほどの荒城ではないのが救いでしょうか。人は石垣 人は城 情は味方 仇は敵・・・
甲府ぃ お参りぃ 願ほどきぃぃ~
昨夜のTBSの小田和正の特番に、東北大学混声合唱団が出演し、小田和正作詞・作曲の東北大学校友歌「緑の丘」がテレビで初披露されたとか、されないとか・・・。
視聴できませんでしたが・・・。
http://www.tbs.co.jp/hot-jyouhou/201312051550.html
http://www.tohoku.ac.jp/japanese/midori/
http://video.search.yahoo.co.jp/search?p=%E5%B0%8F%E7%94%B0%E5%92%8C%E6%AD%A3+%E7%B7%91%E3%81%AE%E4%B8%98&tid=d555027fcfa2d5c09628a219061f5600&ei=UTF-8&rkf=2
http://video.search.yahoo.co.jp/search?p=%E5%B0%8F%E7%94%B0%E5%92%8C%E6%AD%A3+%E7%B7%91%E3%81%AE%E4%B8%98&tid=d555027fcfa2d5c09628a219061f5600&ei=UTF-8&rkf=2
よく参考にさせていただいている「落語の舞台を歩く」というサイトがあります。
http://ginjo.fc2web.com/index.htm
これが文庫化されたということです。
初版は売り切れたそうです。
江戸落語の舞台となった場所を紹介する東京のガイドブックです。
浅草コース、上野コース、吉原コースなど紹介するコースは全11コース。
同時に名作噺のあらすじ81話を収録、ゆかりの地146ヶ所のみどころも解説しています。
「あの名作落語の舞台は今はどんなところ?」
「落語の主人公のたどった道を歩いてみたい」
・・・等の関心に応える、初心者からマニアまですべての落語ファンに贈る散策ガイドの決定版です。
河合昌次著・マイナナビ文庫・756円。
「クリぼっち」っていう言葉があるそうです。
若者の間では、イブを1人きりで過ごすことを、一人ぼっちにかけて「クリぼっち」と呼ぶのが定着しているそうです。
何とまあ自虐的な表現でしょう。
相手がいようがいまいが、余計なお世話でしょう。
最近の若者は、自分中心だと言うわりに、こういうことは他人と比較したりするんですね。
永年「クリぼっち」なオジサンにしてみれば、どうってことないのに。
姑息なコマーシャリズムに乗ってはいけません。
孤高を保つことが大切です。
・・・それも空しいか・・・。トホホ・・・。
私の世代で、「スズキ・ハスラー」と言えば、1970年代のスズキのオフロードバイクの名前です。
「ヤマハ・トレイル」とか、「カワサキ・バイソン」とか、「ホンダ・エルシノア」などと、ほぼ同時代に販売されていたモデルで、胸をときめかしていたものです。
ところが、「スズキ・ハスラー」が、軽自動車のクロスオーバーの新ジャンル開拓を狙って新発売されるそうです。
そうなんです。
バイクではなく、新型の軽乗用車に「ハスラー」という名前が付いたんです。
これですよ。
ちょっとというか、かなり違和感がありますね。
先代の引田天功と当代の引田天功ぐらい違いますよ。
初代高橋竹山と二代目高橋竹山ぐらい違いますよ。
先代の桂文楽と・・・。
そもそも、ハスラーっていう言葉の意味は・・・、
1 精力的な実業家。やり手。
2 詐欺師。ペテン師。
3 勝負師。賭博師。特に、ビリヤードのプロ。
可愛い雰囲気なんだから、「ハスラー」じゃなくて、「ハシラー」あたりが良いと思うのですが・・・。
怠け者な人たちが集まったという小噺があります。
「せっかくみんな集まったんだから、何かやろうよ」
「よそうよ、面倒くさいから」・・・。
http://neet.co.jp/
学校に行かず、仕事も持たない「ニート」と呼ばれる若者たち166人が、自分たちの手で「NEET株式会社」というのを設立したそうです。
全員が株主でかつ取締役というコンセプトなんだそうですが・・・。
NEET株式会社は、インターネットを通じて全国から意欲のあるニートを募り、一人6000円を出資して設立。
平均年齢は27.9歳。
雇われたらニートではなくなってしまうので全員が取締役。
全員が株主なので、利益を搾取する第三者もいない。
会社設立の企画段階から中心的な役割を担っていて、唯一ニートでない人が代表取締役会長に就いたが、社長は取締役が日替わりで務める。
就業規則や出勤時間もない。
お互いは本名を知らず、ハンドルネームで呼び合い、すぐに儲かるかわからないことも楽しければ取り組む。
あくまで「ニートらしく!」がモットーということですが・・・。
インターネットでは、
「こんなの、ただのお遊びに過ぎない」
「会社を、カネを稼ぐことがどんなことか。なめんなよ」
「みんなで会社作って仲良くニートらしくって、気持ち悪い」
「ニートがただ集まっても無意味」 等
批判的な声が目立ちますが、職に就かず、職探しもせず、「怠け者」「無気力」といったレッテルを貼られがちなニートの、少なくとも165人が「やる気」を出したのだから、それを評価して見守ろうと、前向きに受けとめる声もあるそうです。
どうでもいいですが、何をやるんでしょうね・・・彼らは・・・?
11月13日からストップしていた師匠のブログが復活。
22日の落語っ子連の稽古会のコメントがアップされていました。
私の「猫怪談(通夜の猫)」については・・・。
流三(りゅうざ)[通夜の猫]。
化け猫がテーマの噺であったのを、与太郎の親に対する情を
テーマにあたしが改作してみたもの。
流三(りゅうざ)はその上に泣かせる噺として演じている。
・・・そうなんです。
途中、何度読んでも、泣いてしまう部分があります。
師匠がご指摘されているとおり、そんな部分を描いてみたいと思っています。
黙って聴いてくださって、「うん、いいよ」と仰ってくださいました。
法華経寺の祖師堂。
http://www.hokekyoji.com/
大師と言えば弘法大師、祖師と言えば日蓮上人。
祖師堂で手を合わせて、境内を散策。
初詣での準備もしてあり、年末を実感します。
露座の大仏や五重の塔、それから祖師像も広々した境内でゆったりしています。
色々な思いが湧き出てきます。
東西めぐりんを京成上野駅前で下車し、京成線の各駅停車に乗って、のんびり行き着いたのは京成中山駅。
もう何度も来ている中山法華経寺です。
雰囲気のある参道を歩いて、法華経寺に向かいます。
ここにも鬼子母神があります。
雑司が谷、入谷、そしてここ中山が、「江戸三大鬼子母神」と呼ばれているそうなので。
http://www.tokyo-kurenaidan.com/kishibojin1.htm
ここ中山は、下総国なんですがねぇ…。
圓朝墓にお参りする前に、行っておきたい所があります。
日蓮宗の本山「瑞輪寺」です。
http://1st.geocities.jp/tekedadesu/zuirinzi.html
http://goshuin.ko-kon.net/edo/10soshi_zuirin-ji.html
東京七面山は、飯匙(しゃもじ)祖師の安産に御利益があり、瑞輪寺は大きなお寺です。
包丁塚なんていうのがありました。
何度も来てはいるのですが、何故どうしてもかと言うと、今度演る予定の「通夜の猫(猫怪談)」で、亡くなった与太郎の養父を菩提寺である瑞輪寺に運ぶからなんです。
深川蛤町、今の門前仲町から谷中まで、そこそこの距離ではありますが。
永代橋を渡って、日本橋で御成街道に入り、神田明神下から、伊藤松坂を左に折れて、寛永寺の脇から上野桜木へ出て、谷中に入ったのでしょう。
立派な祖師堂と祖師像。
確か、総本山の身延山久遠寺の当代の法主は、この寺のご住職だと聞いています。
師匠の高座本では“南無阿弥陀仏”でしたが、“南無妙法蓮華経”に変えてやらせていただきます。
落語っ子連の稽古を終えて、師匠に年末のご挨拶をして、稽古場の和室から出ると、この後稽古する紅巣亭の若者が、高座本を見ながら、一生懸命予習?をしていました。
真面目に取り組んでいるんだなと感心しました。
「もう、落語っ連の稽古は終わりましたから、入っても構いませんよ」と声をかけると、「あ、この間聴かせていただきました。とっても良かったです。」…。
「あぁ、はしご落語会に来てくださったんですね。ありがとうございます。」…。
照れ臭くて、どこがどのように良かったか、突っ込んで訊くことは出来ませんでしたが、とても嬉しくなりました。
師匠の狙いの一つが的中したものだと思います。
たとえお世辞でも嬉しいものです。
稽古帰りの電車が、途中の三河島駅で運転停止。
松戸駅での車両点検だと言うことですが、走行中の車両に投石されて窓ガラスが割れ、上下線で運転休止となったようです。バカなことをするバカがいるものです。
稽古会で、例の「ひいさん」と、昭和の名人文楽・志ん生・圓生が並んでいる写真を、師匠にも見ていただきました。
「ひいさん」と、文楽師匠が話の中で使っていたのは覚えていらっしゃいましたし、写真を懐かしそうにご覧になっていました。
巷の噂では、「三遊亭圓生一門、再び結集へ」なんて言われていて、実現すれば良いと思います。
実は、今日の稽古会で、その鳴動の一部と思われるシーンを目の当たりにしたのですが、まだ秘密です。
今日は冬至。
いつの間にか冬になっていました。
だからと言って、何をする訳ではありません。
日本には冬至の風習があります。
◇柚子湯
天保時代の「東都歳時記」によれば、流行し始めたのは江戸の銭湯からだそうです。
◇小豆粥
小豆粥には 疫病にかからないという伝承があります。
◇「ん」の付く食べ物
なんきん(カボチャ)・れんこん・うどん等。
特にカボチャを食べる風習は全国に残っていて、これを食べると中風にならず、あるいは長生きするなどの伝承があるそうです。
ただし、この風習は江戸時代の記録にはないようで、明治時代以降の風習だとされています。
昨日は、カボチャがたっぷり入った“ほうとう”を食べました。
Amazonさん、大したものです。
金曜日の夕方に注文したのですが、翌土曜日の夕方には届きました。
しかも、送料無料です。
ぱらぱらとページを繰って斜め読み。
このシリーズも21巻目になり、ネタ切れか、高田文夫さんの思いつき、思いこみ傾向が強くなった気がします。
値段も安くなっているのは、その分、内容も薄くなっているということなのでしょうか?
百生師匠の出囃子は「野崎」じゃなかったかな?
◇ 代書屋 二代目三遊亭百生
別の曲でした。
どうでも良いことですが。
東京タワー。
特別展望台行きエレベーターのガラスが割れて、乗っていた人が負傷した事故で、東京タワーは、事故原因を特定、再発防止策が完了、安全が確認されたとして、エレベーターの営業を再開するそうです。
そんなことがありましたね。
高所恐怖症の私には、まだ心配が残りますが。
ボーッとラジオを聴いていたら、お昼過ぎに柳家小三治師匠が出ていました。
永六輔さんの番組でした。
地元紙山梨日日新聞で、驚きの記事を見つけました。
旧鰍沢町の隣町で、今は2町が合併して富士川町になっている旧増穂町出身の商人、 樋口由恵さん(1895〜1974 年)ゆかりの噺(はなし)を披露する落語会が23日、地元「ますほ文化ホール」で開かれるそうです。
知りませんでしたが、交流の深かった昭和の名人八代目桂文楽師匠の十八番「つるつる」に「ひいさん」として登場するのがこの樋口さんだそうです。
当日は文楽師匠のお弟子さんの柳家小満ん師匠さんがご披露されるそうです。
「つるつる」は、お旦(スポンサー)と幇間のユーモアあふれる心の触れ合いが描かれる内容ですが、文楽師匠は実際のスポンサー だった樋口さんを、お旦のひいさんとして演じていたんですね。
同郷の人が黒門町の噺に、実名に近い状態で出ていたなんて…、驚きです。
ひいさんは、県会議長、甲府商工会議所会頭を歴任した樋口半六さんの次男。
長男でなかったため、他県で身をたてようと、1924年に神奈川県の川崎で川崎陸送を設立。
現在も、都内に本社を置き、各地に支店を持ち、業界トップクラスの業績を上げているそうです。
ひいさんは財をなし、文楽師匠の芸に心酔。料亭で文楽師匠をもてなす時は、幇間を必ず呼び「湯水のように金を使っていた」と、孫で現社長が仰っています。
さらに驚いたのは、文楽師匠をはじめ、六代目三遊亭圓生師匠、五代目古今亭志ん生師匠の「昭和の名人」と収まっている写真です。お孫さんの現社長によれば、「つるつる」でひいさんが豪遊する様子は、幼い頃に目にしていた景色そのものだったそうです。
文楽師匠や芸者を競馬場に連れていったことも噺に出て来ています。
この「小満ん・喬太郎二人会」は、明後日午後1時半開演で、入場料3千円(全席指定)。
思い切って行ってみようか…。
落語あらすじ事典「千字寄席」にも、この「ひぃさん」について説明があります。
文楽演出のこの噺や「愛宕山」に登場するだんなは、れっきとした実在の人物です。
八代目桂文楽の自伝「あばらかべっそん」によると、樋ィさんの本名は樋口由恵といい、
甲府出身の県会議員のせがれで、運送業で財をなした人。
文楽と知り合ったのは関東大震災の直後。
若いころから道楽をし尽くした粋人で、文楽の芸に惚れこみ、文楽が座敷に来ないと
大暴れして芸者をひっぱたくほどわがままな反面、取り巻きの幇間や芸者、芸人には、
思いやりの深い人でもあったとか。
「つるつる」の一八を始め、文楽の噺に出てくる幇間などは、すべて当時樋口氏がひいきにしていた連中がモデルで、この噺の中のいじめ方、からみ方も実際そのままだったようです。
今日はボーッとしているのですが、また地震です。
あれっ?目眩かな?
そんな感じで、揺れは大したことはありやせんでしたが…。
それにしても、最近、千葉県北西部はよく揺れますね。
某マラソン大会のフルマラソン50歳以上の部で、実は優勝した男性が実際には走らず、30歳代の男性が代わりに走っていたことが分かったそうです。
「干物箱」も若旦那の身代わりになりますが、親父を騙そうとするだけの無邪気なものですが、何が目的だったんでしょう?
エントリーしたものの落選だった30歳代の人に、当選していた人が、ゼッケンを譲ってあげたのでしょうか?
フェアに行きましょうよ。
当然なことながら、この二人、今後はこの大会から“追放”です。
いわゆる「千葉都民」の私には直接関係のないことですが・・・。
おバカな知事の失態で、1年で、莫大な費用をかけて選挙をおこなわなくてはいけなくなりました。
「祇園精舎の鐘の声・・・おごれる人も久しからず・・」を地で行った感じがします。
しかし、マスコミの取り上げ方も、野次馬根性丸出しで、徒に大衆を煽るだけで、とにかく酷いものです。
それに易々と乗る大衆もまた衆愚ということでしょう。
その後任候補として下馬評に上がりつつある面子を見ていても、本当に情けなくなります。
ちょっと目立った、ちょっと受けた、一発屋芸人のような人ばかりです。
売名と見栄しか見えて来ない、中身のないような人ばかりです。
これまたマスコミがチヤホヤするから、バカな本人が勘違いしてしまうんですね。
シンガーソングライターで、学生時代は落研だったという「さだまさし」さんが、新しい落語会をプロデュースするそうです。
その第1回の「まさしんぐWORLD寄席」が、来年2月16日に、渋谷区文化総合センター大和田 さくらホールで開催されるとのこと。
若手の噺家に高座へ上がる機会を設けようというもので、記念すべき第1回のゲストには、前座修業時代から親交が厚かった立川談春さん、談春一門の立川こはる・立川春吾ほかの出演だそうです。
3800円という入場料は、若手の噺家さんが主体だとすれば、やや高い気がしますが。
初回は、談春さんだからでしょうか?
若手の噺家さんのためにも、3000円程度が限度だと思うのですが・・・。
「落語ファン倶楽部」の第21号。2000円
【特集コンセプト】落語にぞっこん
◇完全保存版【特別座談】「落語にぞっこん」
◇古今亭志ん生「志ん生飲まず語り」
◇「親父、黒門町」桂 文楽
◇【師弟伝説】五街道雲助・桃月庵白酒 ほか
Amazonで注文、送料無料で明日配達されるみたい。
奇術の松旭斎菊代さんの訃報。享年81歳。
喪主は、橘家円平師匠。
ご夫婦だったんですね。
松旭斎を名乗る奇術師の方は大勢いますので、顔と名前が一致しませんが・・・。
若い頃の一時期、よく読んでいた「あぶさん」。
まだ続いていたんですね。
41年間連載された長寿漫画が、とうとう終了するそうです。
あぶさんも一軍の助監督にまで「出世」していたんですね。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131219-00000324-oric-ent
私にとっては、これもまた昭和なんです。
驚きました。
何気なく、「鰍沢」の舞台になっている、山梨県南巨摩郡富士川町(旧鰍沢町)のホームページを見ると、落語「鰍沢」の紹介をしているページがあります。
「鰍沢」は、幕末から明治期に活躍した名人三遊亭円朝がまだ20代の文久年間(1861~64年)、三題ばなしの会で発表したと伝えられる。その時のお題は「鉄砲」「卵酒」「毒消しの護符」、または「小室山の護符」「卵酒」「熊の膏薬(くまのこうやく)」という。
以来、歴代の名人がさまざまな工夫を凝らし、口演してきた。登場人物の描写が難しく、落語通の劇作家、榎本滋民さんも「話芸家の博士論文」と評す。
http://www.town.fujikawa.yamanashi.jp/chosei/profile/rakugo.html
これは以前から知っていたのですが・・・、このページに、噺家さんが「鰍沢」を演じている写真があります。・・・これ誰だろう・・・、えっ!
どうやら、三遊亭吉窓さんのような気がするのですが・・・。
3月29日に「深川三流亭」が開催予定です。
私以外のメンバーの噺は決まっているのに・・・・。
順不同で見てみると・・・・、
◇ 寿限無 三流亭まど音
◇ 出来心 三流亭百梅
◇ 松山鏡 三流亭仙三
◇ 天災 三流亭新参
◇ 時そば 三流亭千公
◇ 試し酒 三流亭窓口
◇ 井戸の茶碗 三流亭越児
・・・・という。
ここでは、少し陰気ではありますが、私は「通夜の猫(猫怪談)」に
チャレンジしてみようかと思います。
師匠が、元の筋をかにり手直しされて、当然のことながらオチもつけて、噺の雰囲気も変わっています。
これも、途中で泣いてしまう台詞があるんです。
他のメンバーの演目は、明るいものばかりですから、天邪鬼の私らしく、暗い噺で行きましょうか・・・・。
落研のOB会だより「あおば亭」の第4号が出来上がり、志ん志師匠にOBの皆さんに配信していただきました。
じっくり読んでくれる人は少ないと思います。
尤も、じっくり読んでもらうほどの内容でもありませんが。
この手のものは、臨場感のない太宗の人たちに、「OB会で何かさかんに色々なことをやっているな」というイメージを持ってもらうことが出来れば成功です。
今回は、OB会の総会の内容や「お江戸あおば亭」の写真、懇親会の模様などのレポートが中心で、ご意見番の長老の皆さんには物足りないかもしれませんが、だからと言って投稿してくれる訳でもありませんから、文句は言わせません。
内容もさることながら、今は継続していくことが重要だと思います。
次号は、来年半ばを目指したいと思います。
これで、私の今年のOB会仕事も一段落でしょうか。
今年は、前半の発表会に出られませんでしたが、後半挽回?して、高座に5回上がることが出来ました。
◇ 6月 お江戸あおば亭 揺れるとき
◇ 9月 千早亭落語会 三味線栗毛
◇ 10月 深川三流亭 厩火事
◇ 11月 お江戸あおば亭 抜け雀
◇ 12月 はしご落語会 鬼子母神 藪中の蕎麦
ネタおろしは3題、2題は二度目ということでした。
さて、来年はいかが相成りましょうや・・・。
勝手に、仮に演目を入れてはみましたが・・・。
◇ 3月 深川三流亭 通夜の猫(猫怪談)
◇ 4月 千早亭落語会 長屋の花見
◇ 5月 叔父から(身延) 鰍沢
◇ 6月 お江戸あおば亭 一人酒盛
◇ 9月 千早亭落語会 猫定
◇ 10月 深川三流亭 二番煎じ
◇ 11月 OB落語会(仙台) 妾馬 はははは・・・、来年のことですから、笑ってしまいます。
3・4月の発表会は、他のメンバーが「芝浜」・「子別れ(下)」・「井戸の茶碗」などの長講が多いので、少し短めの噺にしようと思います。
それ以降は、出来たらいいなぁ、というところ。
「通夜の猫」は、「猫怪談」の別名で、ほとんど演る人がいません。
ちょっと陰気な噺ですが、与太郎の絡んだ人情噺です。
「長屋の花見」は、落語の定番です。
たまには、ポピュラーで明るい噺にチャレンジしてみようという訳。
「鰍沢」は、身延参りの噺ですから、叔父から老人会の総会でと頼まれた、地元でネタ下ろしがしてみたい。
「一人酒盛」では、全編一人の会話だけの師匠の演出にチャレンジしてみたい。
「猫定」は・・・、まだ未定。
「妾馬」は、学生時代から演りたかった噺。
「二番煎じ」は、上手い猪鍋を高座で食べてみたいから・・・。
はしご落語会のプログラムから。
豊島区に暮らす落語家、豊島区が舞台の落語・・・
”としま揃い”の落語会 三遊亭圓窓
今回の落語会、テーマを「豊島区」としました。
しかも、プロとアマの競演、そして二日連続の公演です。
出演者(プロ)の圓窓、吉窓、窓輝の三人は年幕の住人、助演者(アマ)の扇子っ子連・千早亭永久と下げっ子連・大塚亭程酔は豊島区の地域文化創造館における圓窓落語指南で話芸の基本を身に着けた人です。
永久は地元の雑司が谷の伝説を、程酔は歌舞伎の名台詞を口演します。
この二作は共に圓窓の創作です。
会場は、豊島区の新歌舞伎座と言われている南大塚ホール、会の名は「はしご落語会」、業界初の名称でもあります。
はしごだけに、14日は昇り、15日は降りの気分で、テーマとしては申し分ありません。
ホールの座り心地はどなたにも満点だと思います。
そんな気分の中でアマチュアでも稽古を続ければ、ここまで出来るんだ、という真摯な気持ちに触れてみてもらいたいと思います。
スポーツなどでは、アマとプロが一緒になることもあるが、落語はプロとアマが一緒に演る落語会はない。
「オレはプロだから」と言って威張っていると・・・。
師匠はよく、初心者に稽古をつけていて、落語を聴いているだけでは分からないが、演ってみて分かる人の道がある・・、というようなことを仰います。
そう言えば、私の「鬼子母神 藪中の蕎麦」を聴いてくださった方は、ご自身も落語を演った経験のある方なのですが、こんなことを仰っていました。
年末の落語会の帰りに思ったことは、「来年は素直な心を持とう」と「角(かど)が取れて丸くなろう」でした。
落語から学ぶことが本当に多いです。
落語を演ったことがあるからこそ、心に響かせてくださったんだと思います。
師匠に、「アマチュアでも稽古を続ければ、ここまで出来るんだ」と言っていただいたことも、とても嬉しいことでした。
学士会落語会の来年1月の例会と新春交歓会の「出席」葉書を投函しようと、いつも投函しているポストの場所に行くと……?
あれっ?ポストがない(^。^;)(゜〇゜;)
古いマンションの前で、建て替えるという噂があるから、撤去されたのでしょう。
しかし、考えてみると、街角のポストを、日本人は誰も、何も疑いませんが、平和なんですね。
本当に良い国ですね。
向こう岸にある某国のことを考えたら。
霞ヶ関の経済産業省前のポストに投函しました。
「学士会落語会」の例会も第50回になるんですね。
新年1月18日(土)の午後2時から、記念の例会ということで、メンバー(素人)による「会員落語会」です。
3年前の9月の創立5周年の時の会員落語会では、私は「ねずみ」でトリを取らせていただきましたので、今回は出演の対象になりませんでした。
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2010/09/post-04e6.html
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2010/09/post-958f.html
前回は、東北大OBでは私一人だけで、あとは全て東大落語会OBの方々でした。
今回は、大勢出演することになったようです。
◇ 千早振る 杜の家とん平
◇ 権助芝居 談亭志ん志
◇ 猫の災難 森ヶ家二八
仲入り
◇ 俗曲 南亭蕪生
破れ家笑児
◇ 権兵衛狸 愛し亭朝大
◇ 天狗裁き 喰亭寝蔵
・・と、どこかで名前を聞いたことのある人ばかりです。
これを見ると、またまた「演りたい病」が疼きますが、我慢・我慢。
代表委員の三山亭多楽師匠に、「創立10周年の時は、是非出演させてください」と、お願いしておこうか・・・。
とにかく、落語は勿論のこと、蕪生師匠と笑児さんも、浅草ことぶ季亭で習った三味線と唄の腕の見せ所ですね。
ご来場くださった方から、コメントをいただきました。
母親思いのくめちゃんの健気な様子がよく出ていました。
くめちゃんが住んでいる長屋の人達もいい人達のようですし、源さんのご好意のお蕎麦を食べておかあさんも直ぐに元気になるだろな、と温かい気持ちになる噺でした。
・・・と、私の噺の感想はここまで。
それにしても、師匠のお話をたっぷり聴くことが出来、とてもいい時間を過ごしました。
落語の前に「じゃ、頼むぞ!」と師匠が弟子に声をかけるのを、初めて聞きました。
声をかけられた窓輝さんも、初めてとおっしゃっていましたが。
師匠は、ゴルフのプロアマ戦に出場した経験から、落語のプロとアマが同じ高座に上がる場を作ったとおっしゃっていました。
永久さんはアマとは言え、「熟練の素人」ですから「半アマ」だと思いますが、お茶子さん(高座返し)の姿は初々しかったです。
ありがとうございます。
そうなんです。
師匠が創作されたこの噺は、昔話「すすきみみずく」のストーリー(流れ)の1ポイントを横串に見たような形で展開されています。
http://www.kishimojin.jp/story/story_01.html
お母さんの病気を治そうと、鬼子母神にお百度参りを続け、百日満願の夜にお告げがあった翌日のことです。
くめちゃんが参道ですすきみみずくを売って、それが評判になって(売れて)、お母さんの病気が治るというストーリーに、心ない大人にすすきみみずくを壊されたくめちゃんが、鬼子母神の参道の脇の藪の中にある蕎麦屋で、温かい情けをかけられるという、裏話のような位置づけです。
健気なおくめちゃんを、鬼子母神の参道のケヤキ(並木)の枝の上から見守るみみずくをシンボリックに使い、お母さんの病気が癒えるだろうと予感させる演出をしたかったので、とても嬉しい感想でした。
そのために、師匠の高座本の「千枝」ちゃんを、昔話にあわせて「くめ」ちゃんにしたんです。
師匠は確かに、窓輝さんに「頼むぞ」と仰いましたね。
落語というのは、一人で演ずるものですが、何人かの出演者によって、一つの落語会が出来上がります。
ちょうど駅伝みたいなもので、チームプレーというか、分担みたいなものが、何となく醸成されるものだと思います。
師匠がこだわりの会で、「素人(アマ・私)からバトンを渡されて、今度はプロの番だ、頼んだぞ!」というお気持ちだったと思います。
その気持ちは、いつになく力や気持ちが込められていた「鼓ヶ滝」の熱演に通じるものだったと思います。
はしご落語会がお開きになった後・・・。
ごほうびを頂戴しました。
このポチ袋は、大切にしまっておこうと思います。
師匠、本当に勉強になりました。
ありがとうございました。
「三遊亭圓窓」という名跡。
三遊派から生まれた名。当代は六代目。
圓窓の名を高めたのは、落語家として初めて渡米し、後に三遊亭圓生を襲名した三代目。
以後は三遊派における重要な名跡の一つとして数えられている。
◇初代三遊亭圓窓
後に三遊亭圓丈を経て、六代目司馬龍生を襲名。
晩年には春錦亭柳窓、更に二代目春風亭柳昇を名乗る。
◇二代目三遊亭圓窓
後の三遊亭花圓遊。
柳家三語楼や談洲楼圓馬などとも名乗る。
◇三代目三遊亭圓窓
後に五代目橘家圓蔵を経て、五代目三遊亭圓生を襲名。
◇四代目三遊亭圓窓
三代目の義理の息子。
先代と同様に橘家圓蔵を経て、六代目三遊亭圓生を襲名。
◇五代目三遊亭圓窓
三代目の実弟。四代目の義理の叔父。
一時期八代目桂文楽門下となって桂圓窓と名乗っていた。
◇六代目三遊亭圓窓
当代の師匠です。
こうしてみると、三遊派での大名跡圓生に至る出世名ということが分かります。
魚に例えて恐縮ですが、ブリというのは出世魚だと言われます。
関東では、モジャコ→ワカシ→イナダ→ワラサ→ブリ・・と名前が変わります。
圓生がブリだとすると、圓窓は、さしずめワラサあたりでしょう。
いずれにしても出世名なんです。
2日間の公演で、師匠とご一緒させていただいて、何を話していただいた訳ではありませんが、本当に勉強になりました。
舞台の脇で、師匠の高座を拝見しながら、「鼓ヶ滝」も「叩き蟹」も初めてではありませんが、新鮮な響きをもって、心に沁み込みました。
師匠の雪駄が揃えて置いてある。
その向こう側に、高座まで茣蓙が導いている。
そして、その先の高座の上には、大看板の師匠が熱演されている。
今、そんな場所に自分がいる・・・・。
芸歴も間もなく55年になる師匠が積み上げて来られた、目には見えないけれども「芸道」がある。
喉の調子が良くないと言いながら、高座では微塵も感じない、迫力と声量。
これこそが、付け焼刃では決して出来ない、時間の重さ、芸の深さ・尊さだと思いました。
座布団に、ゆったり沈み込むように座っている師匠の高座姿は、何かまぶしくてとても格好良かった。
初日にはしごを上り、2日目は下りて着地するという趣向の「はしご落語会」。
トリの師匠の「叩き蟹」が始まりました。
江戸の日本橋のたもとに黄金餅という名物を売っている餅屋がある。
どこかの子供が餅を盗もうとして主に捕まり、これから折檻を受けるはめになって、それを見ようと、たいそうな人だかりになった。
後ろから割って出た旅人が、可哀想だからと口を利いてきた。
聞けば、大工の父親は怪我、母親は体調を崩して寝たきりだという。
旅人は「この子に情けはかけられないかい…?」
主は「こんなガキに情けをかけたって無駄だよ。言葉通り、ガキのためにならないから。情けは人のためならず、と言ってね」
旅人「それは違う。その言葉はね」と言いかけてやめて、「勘定をあたしが払うから、この子に餅を食べさせな」
主「よし。そうしよう」
子供に三皿食べさせ、七皿分の土産まで持たせて帰してやる。
しかし、勘定を払おうとして気が付いた。
財布がないのだ。
仕方なく、餅代百文の担保(かた)として、木で蟹を彫って名も告げず立ち去る。
主が腹立ち紛れに蟹の甲羅を煙管で叩くと、横に這い出した。
何度やっても、横に這う。
これが評判となって、店はえらい繁盛。
二年後、蟹を彫った旅人が店にやってきた。
百文返して、あのときの坊やの消息を訊いた。
主は「あのあとすぐにあの子の両親を見舞い、医者を呼んで診せました。母親は元気になったが、父親は助からず……。それが、縁で子供がこの餅屋で働くことなり、今ではどうにか一人前、おかげさまであたしも楽になりました」
旅人「餅屋、悟ったな。あのとき、『情けは人のためならず。この餓鬼のためにならねぇ、無駄になるから情けはかけたくねぇ』って言ったな。あれは違う。『情けは人のためならず』というのは、人に情けをかけると、それがいつか回りまわって自分に戻ってくるということ。お前さんは子供の両親を見舞って、情けをかけた。それが縁で子供がここで働くようになり、今では楽ができて嬉しい。ほぅら、情けが戻ってきた。これをいうんだ。『情けは人の為ならず』というのは」
主「お名前を聞かせていただきとう存じます」
旅人「あの蟹を彫るとき、あたしは魂を打ち込んで仕上げたつもりだ。お前さんもその魂を掴んでくれた。だからこそ、いまだに元気よく這っているんだ。つまり、名前はなくても魂があればいいんだ。『無名有魂』とでも言うかな……。おわかりかな……」
子供「おじさん。左甚五郎って人でしょう。死んだお父っつぁんの言っていたことを思い出したの…。飛騨の高山に甚五郎って名人がいて、その名人はなにか気に入るといい仕事をして、黙ってどっかへ行っちゃう人なんだって……」
甚五郎「うーん、ばれたか…。いかにもあたしは飛騨高山の匠(たくみ)、左甚五郎利勝」
主はびっくり。
子供も大喜びで、食べてもらおうと、餅を運んできた。
「黄金餅は情け餅と名前を変えたの。また、切り餅も名物だよ。食べておくれ」
甚五郎が一切れとろうとすると、切り餅はいくつも繋がっているではないか。
「おやおや。坊や、まだ修業が足りないねぇ」
「すいません。庖丁を持って来ますから」
これを聞いていた蟹が、つ、つ、つ、つっと這ってきて、
「{両手の指を鋏の形にして}使ってくださいな」
・・・・左甚五郎物です。
師匠の十八番のひとつです。
前日の「鼓ヶ滝」も、とても良いと評判でしたが、今日も力がこもっています。
2日間があっと言う間に過ぎてしまいました。
師匠の噺が終わって、前日と同様、吉窓さんと程酔さんを舞台に呼んで、お客様にお礼を申し上げて、緞帳を下ろしました。
仲入りの間の舞台の上。
緞帳が降りていますから、客席からは見えないところで、緞帳の「火の用心」の前で、吉窓さんが、何かしています。
これは、噺の後の踊りの際に使う手拭いを、座布団の後ろに置いているところです。
こういう場面は、なかなか見られないと思います。
吉窓さんは、ご当地噺としてご自身が創作された「南長崎・獅子の涙」という噺です。
以前から、地元の長崎神社の神輿のグループに入っていて、そのご縁もあるようです。
長崎神社は、西武池袋線の椎名町駅前にあり、独身時代に寮が目白と椎名町の間にあったので、とても親しみのある場所です。
長崎神社の獅子舞をテーマにした噺で、かけるのは今回が3回目だそうですが、やる度に変わっているとのこと。
演出で、お茶を飲んで場面転換をするところがありましたが、とても面白いと思いました。
袖で、「鬼子母神 藪中の蕎麦」は聴いたことがないが、どんな噺なのか聞かれました。
ご当地噺の創作というのも、臨場感があっていいですね。
ワッフルさんて言いますが。
ワッフルさんは、師匠ご指南の「下げっ子連・大塚亭」という別のグループにも参加しているので、私と同様に名前が2つあります。
今回は、「大塚亭程酔(ほどよい)」さんとして登場です。
お酒が大好きですから、私は「泥酔さん」とか「悪酔さん」などと、いじっています。
初日、私の出演する日は、私より緊張していたようですが、今日は得意の開き直り。
女性というのは強い!
師匠が創作された、歌舞伎の題材でも有名な「ういろう売り」。
成田屋(市川團十郎)の十八番の口上を、「むぶくばぐ・・・」なんて、見事にやり通しました。
3年前に、千早地域文化創造館で始まった師匠の落語教室の一期生(後の扇子っ子連・千早亭)。
私も、師匠に勧められて参加したのですが、「孫に寿限無を聴かせて上げたい」というのが、ワッフルさんの最初のコメントでした。
ところが、お芝居好きなこともあり、また、何事にも前向きなご性格でもあり、次々と噺を覚え、この噺に出会って"化け"ました。
楽しそうにやっていましたね。
噺の後の師匠との対談の時も、客席からご祝儀が出たり、大変な人気者。袖から見ていても、いい雰囲気でした。
「はしご落語会」2日目。
今日も晴天で何より。
屋内のイベントとは言え、天気は良いほうがいいですね。
今日は、私が出囃子などの音響担当です。
三流亭とあおば亭でしくじった経験があるので、やや緊張。
午後2時、館長さんのご挨拶で開演です。
そして、師匠のご挨拶。
今日も張り切っています。
プロとアマが同じ高座で共演するチャレンジの会だということ。
落語に対する師匠の思いが語られます。
前日は、私よりも緊張していた大塚亭程酔(ワッフル)さんですが、今日はもう開き直った高座です。
歌舞伎から題材を取って師匠が創作をされた「ういろう売り」。
長い口上が、早口言葉のようで、これが味噌。
もう、色々な所で何度も演っていますから、実に堂々としたもの。
やはり女性は強い。
程酔さんが終わると、師匠が出て行かれて対談。
そして、仲入りというのは、前日と同じ。
仲入り後は、また師匠がお出になってお話をそれた後、総領弟子の吉窓師匠の登場。
ご自身で創作された「南長崎・獅子の涙」と言う、ご当地噺。
本当に温厚なお人柄で、袖で色々お喋りさせていただきました。
そして、はしごの着地は、師匠の「叩き蟹」。
左甚五郎物のひとつです。
歌舞伎の中村福助さんが体調を崩されたということでした。
11月歌舞伎座(東京)公演を途中から休演されましたが、「脳内出血による筋力低下」の診断を受け、長期療養されるとのこと。
出演予定だった来年1月歌舞伎座公演は休演し、3~4月に歌舞伎座で予定されていた七代目中村歌右衛門襲名披露興行については医師と相談のうえ、今後の対応を決めるとのこと。
福助さんは、来年春の七代目中村歌右衛門襲名のプレッシャーを中和させるために、あることに熱中していたそうです。
それが落語なんだそうです。
暇さえあれば、「鰍沢」の稽古に励んでいたそうです。
この年末に、某師匠の落語会にシークレットゲストとして出演する予定もあったそうです。
まじめなお人柄で、大名跡の襲名が重圧だったことと思いますが、息抜きが落語という…。
私は、先週末まで落語がプレッシャーでした。
「はしご落語会」のトリは勿論、師匠の「鼓ヶ滝」。
ご自身がプロデュースされたこともあり、この日の師匠は、前日の「東京落語会」で喉の調子が良くないと仰っていたとは思えず、また随分張り切っていらっしゃいました。
最初のご挨拶と、私の噺の後の講評と対談、さらに仲入り後の窓輝さんが出ようとすると、「ちょっとあたしが一言言うから」と、四人のお弟子さんの紹介をされたり、とてもパワフルでした。
そして、トリでの「鼓ヶ滝」も、フルバージョンで、たっぷり、じっくり語ってくださいました。
袖から拝見していて、上手く表現出来ませんが、師匠が語っておられる姿は、座布団の上ではなく、一体になって座布団の中にいる感じがしました。
間もなく高座生活55年をお迎えになる、その時間の尊さと重さを感じました。
終わって、着替えてしまっていた私と窓輝さんを舞台に呼んでくださり、並んで客席にお礼のご挨拶をして、緞帳を降ろしました。
師匠、貴重な経験をさせていただき、本当にありがとうございました。
勉強になりました。
・・・それから、ちょっぴり親孝行も出来ました。
「はしご落語会」初日の仲入り後は、師匠のご子息でもある窓輝さんの「芝浜」です。
ここで、この噺が聴けるとは思ってもいませんでした。
窓輝さんが、袖から舞台に出て行こうとすると、師匠が「ちょっとあたしが一言喋るから」と、めくりの脇でお話をされました。
特に、四人のお弟子さんの紹介でしたが、とても楽しそうでした。
戻って来られて「ちょっとじゃなかったな」と苦笑いをされていました。
舞台の袖から、名演を聴かせていただき、写真も撮らせていただきました。
「この噺は、どの師匠から稽古つけていただいたんですか?」とお聞きすると、「ウチの師匠ですよ。」…。
当たる前ですよね。
バカなことを聞いてしまったと後悔。
「でもね、かなり短いんです。特に最後のおかみさんが告白するところは、(独身だから)どうもやりづらくて、かなりカットしていますから。本編だけなら20分ちょっとぐらいかなぁ。30分はかかりませんよ。」と…。
真打に昇進して3年余、もうすっかり板について来た感じです。
着物を着ていない普段着の時は、イケ面の青年です。
あぁ、巷は年の暮れ、「芝浜」の季節なんだなぁと思いながら、袖で聴かせていただきました。
賞金ランキング上位の某女子プロが、実姉の結婚式に罰金を払って参列したという話。
この女子プロ選手は、11月3日時点の賞金ランクで上位3位以内に入っていたため、試合への出場義務があったそうです。
ところが、姉の結婚式を最優先させ、欠場を決断したため、女子プロ協会から100万円の罰金を科されたということ。
・・・ルール、決め事ですよ、確かに。
どうも釈然としないんです。
金額の多寡ではなく、やはり個別論でしょう。
私は、協会とこの試合の主催者(スポンサー)にとっても、全くプラスにならない、野暮な対応だと思います。
本当の大人のファンなら、ご贔屓の選手の家族の慶事には、喜んで行かせてあげると思いますよ。
大岡裁きは、こういう時に生きるんです。
あ、大岡越前ではありませんでした。
"桜"吹雪の遠山の金さんでした。
さぁ、いよいよ千早亭永久「鬼子母神 藪中の蕎麦」。
師匠が、先にご挨拶と紹介をしてくださり、随分お褒めの言葉もいただきましたので、いつもよりちょっと緊張して、ペットボトルの水を何度も飲んでから高座へ・・・。
でも、楽しかったぁぁ。
思いの外、言葉がすらすらと出て来る。
当日の朝まで、あれだけつっかえたり、つまったり、出てこなかったりしていたのに。
お客さまが聴いてくださっている、人情噺に涙ぐんでいるところが伝わって来ました。
毎回ご贔屓の叔父が、姉である母を、この会に合わせて東京に招待してくれ、会場に来てくれています。
自分が勝手に好きでやっている落語を、家族に無理矢理見せるのを良しとしないので、今まで、私から誘うことはしませんでした。
3月に亡くなった父も、「浜野矩随」も「藪入り」も「帯久」も、DVDの映像は見てくれていたようですが、結局生のを聴いてはもらえませんでした。
母は、近くの席に座った観客の方々からも褒めていただいたようで、とても嬉しそうだったようです。
それにしても、あんなに苦しんだのに、こんなに楽しいなんて……?
噺の構成を変えたことは、間違いなく正解だったようです。
また新しい財産になる噺になりました。
南大塚ホールから帰宅して。
今夜は、黒門町の「特集」です。
◇ 夢の酒 八代目桂文楽
◇ 富久 八代目桂文楽
昭和の名人ですが、何というか、独特な雰囲気ですね。
「どうにもとまらない」で有名なベテラン女性歌手がゲスト。
トークが熱を帯びて「こまっちゃうな」状態?
◇ お歳暮まわし 三代目三遊亭金馬
また金馬師匠。
私が生まれた年の録音です。
午後6時ちょうど。
袖で、館長さんのキューが入り、いよいよ2日間公演「はしご落語会」の開演です。
まずは、その南大塚ホールの館長さんのご挨拶の後、師匠からご挨拶と会の趣旨などのご説明、それとちょっと我々素人連のご紹介。
さぁいよいよ私の出番です。
さすがにいつもより緊張していて、舞台の袖で何度もペットボトルの水を飲みました。
蕎麦をたぐる時に口の中が乾いてしまうと…。
あれっ?
言葉が澱まずに出て来る。
声もそこそこ出ているようだ。
なんだろう…、身体の力も抜けている。
客席の反応も上々。
客席の息吹が聞こえて来る感じがする。
大きなミスもなく、何とかオチまでたどり着くことが出来ました。
噺の後、師匠との対談。
すすきみみずくの絵本の話題を中心に。
ただし、全くガチンコですから、師匠がどんな話題を出して来るのか…、真剣勝負?
みみずくとふくろうの違いから来ましたよ。
それから、主人公の女の子の名前だとか、ご当地豊島区に因んだ話題だとか色々・・・・。
師匠も張り切っていらっしゃいます。
そしてここで何と仲入りです。
20分ぐらいの休憩の後、後半は窓輝さんの「芝浜」、トリの師匠は「鼓ヶ滝」。
大勢のお客さまにご満足いただけたと思います。
物凄い経験をさせていただきました。
東京落語会。
歌武蔵さんの「宗論」から聴きました。
歌之介さん、文治さんと、脂の乗った噺家さんの後、トリは圓窓師匠の「不孝者」。
喉の調子が良くないと仰りながら、ちょっと珍しい、最後は色っぽい噺をじっくり聴かせていただきました。
ふと、明日の本番を控えて、噺家さんの体調管理の大切さと言うか、重さを痛感しています。
サラリーマンなら、風邪で熱でも出たら、「今日は休むよ」で、ほとんど通ってしまいます。
しかし、看板を揚げているプロの噺家さんは、そういう訳にはいかない。
何かあってはいけない。
公演に穴を空けてはいけない。
いつもより慎重、かなり臆病になっている自分に気がつきました。
高座のプレッシャーはもとより、こんなプレッシャーもあるのを、改めて感じました。
いつもの店がネタが売り切れたと言うので、頓平師匠と、今日は自重しようかと、帰途につきました。
明日の今頃はお開きになっています。
今年の感じは「輪」。
今年の世相を漢字一字で表す「今年の漢字」が京都 の清水寺で発表され、「輪」という字が選ばれまし た。
東京オリンピック開催が決まったということですか・・。
「今年の漢字」は、京都に本部がある日本漢字能力検定協会が、その年の世相を表す漢字一文字を一般から募集し、最も多かった字を選んでいるそうです。
17万通余りの応募から最も多い9518通を集めたのが「輪」だったそうです。
「輪」という字を選んだ人たちは、東京オリンピックの開催が決 定したことや、東北楽天イーグルスが日本シリーズで初優勝して、日本中にチームワー クの大切さや応援の輪を印象づけたことなどを理由に挙げているそうです。
2番目に多かったのは「楽」で、3番目が「倍」。
・・私は、「忙」を選びます。
とにかく、私事で色々なことがありましたから。
先日亡くなった南アフリカのマンデラ元大統領の追悼式典で、アメリカのオバマ大統領やデンマークのシュミット首相、イギリスのキャメロン首相が、会場ではしゃいでいるような写真がイギリスの新聞に掲載されていて、追悼の場に相応しくないと批判されているそうです。
・・・確かに、友好・親交の場でもありますが、ニヤニヤ・ニコニコしているのは・・・?
やはり、TPOに合った「お行儀」というのは、古今東西必要でしょう。
「江戸しぐさ」を教えてあげたいものです。
ところで、追悼式の壇上の手話通訳者が、「文法がめちゃくちゃで分からなかった」との批判もあるようで・・・。
どんなに親しくても、否、親しければ親しいほど、決して言ってはいけない言葉(タブー)があるものです。
タブーと言うのは、元は、聖と俗、清浄と不浄、異常と正常を区別して、両者の接近・接触を回避・禁止し、それを犯した場合には、超自然的制裁が加えられるとする観念や慣習の総称であった。
これが社会秩序の中心や周辺に置かれ、忌み嫌って禁止されたり避けたりする事、一般に触ることや言ったりすることが禁じられている事柄を意味するようになったものです。
「鬼子母神 藪中の蕎麦」では、源さんが横丁の隠居に向かって、「くたばりぞこない」と言い、「年寄りに言っちゃぁいけない言葉だ」と謗られるます。
地雷を踏んだということです。
言った本人は軽い気持ちでも、傷つく言葉はあるものです。
そうそう、くどいようですが「麹町の猿」もそれです。
きっと忘れられないと思います。
昔話の「すすきみみずく」。
江戸時代。
父親を亡くし、病気の母と貧しい暮らしをしていた娘くめが、鬼子母神様に救いを求め、お百度参りをした。
満願の日の夜、夢に現れたチョウが「ススキでミミズクを作り、売ると良い」とくめに教えた。
その通りにミミズクを作ると飛ぶように売れ、母を医者にみせることができた。
http://www.kishimojin.jp/story/story_01.html
健気なおくめちゃんを、鬼子母神の参道のケヤキ(並木)の枝の上から見守っているのが、みみずくです。
鬼子母神の参道のケヤキ並木は、古いもので樹齢400年、東京都指定の天然記念物だそうです。
そして、おくめちゃんが鬼子母神のお告げで拵えたのが、ススキの穂で作ったすすきみみずく。
鬼子母神はインドで訶梨帝母(カリテイモ)とよばれ、王舎城(オウシャジョウ)の夜叉神の娘で、嫁して多くの子供を産みました。
しかしその性質は暴虐この上なく、近隣の幼児をとって食べるので、人々から恐れ憎まれました。
お釈迦様は、その過ちから帝母を救うことを考え、その末の子を隠してしまいました。
その時の帝母の嘆き悲しむ様は限りなく、お釈迦様は、
「千人のうちの一子を失うもかくの如し。いわんや人の一子を食らうとき、その父母の嘆きやいかん」と戒めました。
そこで帝母ははじめて今までの過ちを悟り、お釈迦様に帰依し、その後安産・子育の神となることを誓い、人々に尊崇されるようになったのです。
「悪い鬼子母神」と「良い鬼子母神」・・・。
師匠創作の「鬼子母神 藪中の蕎麦」。
こんな素敵な昔話に横串を入れた、これまた素敵な噺です。
「鬼子母神 藪中の蕎麦」で、もりそばをたぐる場面を4ヶ所設定しました。
まずは、一番最初の動作が、辰っつぁんが、一人息子が患って心配し、溜息をつきながらたぐる場面。
次が、翌日、息子の病気が治って、藪中蕎麦のじいさんにお祝いに奢ってもらった蕎麦を、辰っつぁんが、喜んでたぐる場面。
三番目が、やはり末っ子の熱が下がった源さんが、じいさんからのお祝いの蕎麦をたぐる場面。
そしてクライマックスの、源さんとおくめちゃんが二人で一緒にたぐる場面。
この4場面・5バターンのたぐり方を区別する必要があります。
昨日のランチは「もりそば」にしてみました。
時間の経過と、登場人物の思いを描くことが出来たらよいのですが・・・。
宮本輝さんの「錦繍」でした。
ストーリーなど全く忘れてしまいましたが、ある人から勧められて読みました。
会って話したのでは伝えようもない心の傷。
14通の手紙が、それを書き尽くした。
「前略 蔵王のダリア園から、ドッコ沼へ登るゴンドラ・リフトの中で、まさかあなたと再会するなんて、本当に想像すら出来ないことでした」運命的な事件ゆえ愛しながらも離婚した二人が、紅葉に染まる蔵王で十年の歳月を隔て再会した。
そして、女は男に宛てて一通の手紙を書き綴る――。
往復書簡が、それぞれの孤独を生きてきた男女の過去を埋め織りなす、愛と再生のロマン。
・・・どんなストーリーだったかなぁぁ?
「錦繍」という言葉に惹かれて読んだ気がします。
こんなレビューがありました。
この小説の主人公有馬靖明は37歳。
偶然、訪れた蔵王のゴンドラリフトの中で、10年前に別れた妻勝沼亜紀と再会するところから物語は始まる。
2人の手紙のやりとりだけで綴られるこの物語は、最初は、お互いに離婚当時の事情を語るところから始まり、時には、相手を責め、時には詫び、悔いるということ繰り返す。
しかし、結局、今の自分の姿は過去の自分の行いの結果であり、今の自分の行動の積み重ねからしか、将来の自分の変化はあり得ないということに気がついていく。
過去を受け入れ昇華させる中で、今まで否定していた自分を受け入れ、お互い、それぞれの道を前向きに生きるようになる。
結婚前の20代半ばで一度読み、感動して人にも薦めた。主人公の年齢を過ぎた40代で再読し、死と再生という深淵なテーマをどこまで理解できたのかと考えている。
宮本輝ファンの私にとっての入門書であり、何度も読み返す座右の書でもある。
勧めてくれた人のことを思い出しました。
同じ職場にいて、直接の部下ではありませんでしたが、年は若かったけれども、とても素敵な人でした。
全く音信は途絶えていますが、幸せになったのかなぁ・・・。
この歳になると、今まで関わりのあった人のことを、突然何の脈絡もなく思い出し、懐かしむものですね。
もう一度会いたいなぁ・・とも思います。
ちょっとセンチメンタルになる(人生・季節の)秋の夕暮れ・・・。
さる噺家さんと言うと、私が例えられた「麹町の猿」を連想してしまいますから、ある噺家としておきます。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131211-00000003-nksports-ent
別に慶事ですから、名前を隠すこともありませんが。
三遊亭王楽さんが結婚していたそうです。
ただ、それだけのことです。
おめでとうございます。
落語っ子連の稽古会の前に、師匠から、今度の土曜日の「はしご落語会」の説明をしていただきました。
当日の大まかな進行(プログラム)。
◇ ご挨拶(会の趣旨・千早亭永久の紹介など)
…三遊亭圓窓師匠
◇ 落語「鬼子母神 藪中の蕎麦」
…千早亭永久
◇ 師匠との対談
…三遊亭圓窓師匠・千早亭永久
仲入り
◇ 落語 …三遊亭窓輝師匠
◇ 落語 …三遊亭圓窓師匠
今回の落語会は、大塚地域文化創造館の企画で、隣接する南大塚ホールで開催するもの。
師匠としても、豊島区との様々なコラボレーション企画を提案する中で、かなり力を入れて折られる様子。
大塚地域文化創造館でも、会場前の宣伝等、これまたかなり力が入っている。
土日の2回公演で、約500名強の観客動員は大変だと思うが、何とか成功させたい。
地域に密着した活動をアピールする上からも、「空席以外は全て満席で」などという、よく発表会でやっている余計なマクラは入れずに、最初からしっかり噺に入って欲しい。
・・・なるほど、師匠のお気持ちがよく分かりました。
全く違和感はありません。
講師が関西弁なのと、変なナレーションが入るので、やや期待外れ。
今夜は落語も上方噺でしたからなおさら…。
次週は、入船亭扇辰さんの「甲府ぃ」ですから、忘れなければ…。
今年「心に残った音」を、某補聴器メーカーが調査した ところ、オリンピックの開催都 市が東京に決まった瞬間を挙げた人が最も多かったそうです。
全国の男女1000人に対して「心に残った音」を、複数回答で尋ねたところ、最も多かったのは、2020年のオリンピックとパラリンピックの開催都市が決まった瞬間、東京の名前を読み上げた声や招致メンバーの喜びの声だったという。
あの「トキョ」っていう情けない声がねぇ……。
地元の人たちに古典芸能を身近に感じてもらおうと、鳥取大学落語研究会は、鳥取市弥生町のパレットとっとりで落語会を開催。
http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news/20131209-OYT8T00291.htm
驚いたのが、下の一文。
就職活動のため引退する3年生らが、男が美人に化けたきつねをだます「王子の狐」や「茶の湯」などの古典を次々と披露した。
・・・って、3年生でもう引退してしまうんですね。
勿体ない・・・。
12月9日は、皇太子妃・雅子さまの誕生日。
・・ですが、実は長女の誕生日でもあります。
雅子さまは50歳の誕生日にあたって文書で感想を寄せられ、これまでの歩みを振り返って「もう半世紀も生きてきたのかと思うと不思議な感慨に包まれます」と綴られましたが、長女はその約半分強。
親バカですが、第一子だったこともあり、娘が生まれた日のことは、未だによく覚えています。
もう四半世紀も経ったのかと思うと、不思議な感慨に包まれます。かくばかり 偽り多き世の中に 子の可愛さは まことなりけり
予想どおりとは言いながら・・・。
http://news.search.yahoo.co.jp/search?p=%E8%90%BD%E8%AA%9E&ei=utf-8&fr=news_sw来年1月末に閉館予定の名古屋市中区の「大須演芸場」で、6日から3日連続の落語会が開かれ、1日2回の公演は、いずれも200人以上が詰めかける盛況ぶりを見せている。
建物の所有者への引き渡し期限は2月22日。
落語家やファンからは「東海地区唯一の常設寄席で、味わい深く貴重な場」と、存続を望む声が日増しに高まっている。
「こんなしゃべりやすいところはない。ここは絶対に続けてもらいたい。皆さま、いかがでしょうか」。
3日連続公演初日の6日、三笑亭夢花さんが口上で呼びかけると、満員の客席から拍手がわき起こった。
・・・閉館になると聞くと、俄かファンか隠れファンか知りませんが、突然来場して、存続を望む・・・。
だったら、何故こうなる前に、普段から来てあげなかったのでしょう?
私はこういう人たちは嫌いですね。
「私の笑いの原点だった」などと無責任に言って、あたかも閉館させた人(例えば債権者)を悪人のように言う。
ビジネスモデルとして成り立たなかったのは、残念ですが事実です。
もとは、麹町のさる旦那なんですが・・・。
・・・「その反対に、麹町の屋敷に”さる”旦那がいた。」
「あ~ら、猿の旦那がいたのですか。」
「名前が言えないので”さる”と言っているんだ。その旦那が瀬戸物に趣味があった。」
「あら、同じだわ。家の亭主も骨董の焼き物を大事にしていますよ。」
「そんな安物とは桁が違うよ。黙ってお聞き。ある時お客に拝見させた後奥様が片づけたが、間違って2階の階段から足を踏み外して下まで落ちてしまった。瀬戸物が大事と分かっていたので捧げて大事はなかったが、その時ご主人が『瀬戸物は大丈夫か、鉢は壊さないか、瀬戸物は壊しはしないか、鉢は壊さないか、瀬戸物は壊しはしないか。』と息もつかずに36ぺん言った。瀬戸物の事は聞いたが身体の事は 、これっぽっちも聞いてくれなかった。その後、奥様がいなくなって仲人から『瀬戸物の事は聞いても、身体の事を聞いてはくれない不実な方とは離縁願います』と出したくもない、離縁を出してしまった。」・・・・
・・・「厩火事」の有名な一節です。
この噺の主人公の「お崎さん」は、男にとってはある意味で理想の女房像なんです。
一方で、この「麹町の猿」は、極悪非道の権化です。
唐土(孔子)とまで言われなくても、絶対に言われたくないのが「麹町の猿」ですよ。
・・・ところが、「お前は麹町の猿だ」と言われてしまいました。
人格を否定されたようで、人間をやめたくなりました。
心当たりがないんですが・・・。
稽古で疲れました。
疲れを癒すのも落語。
嫌なことや心配事を忘れるのも落語です。
◇ 蜘蛛駕籠 柳家権太楼
身体もだるいし、口内炎も相変わらず。
早々に布団に横になって聴いています。
途中で意識がなくなることでしょう。
今日の稽古会も充実していました。
◇ 天災 紅巣亭心童
◇ 鬼子母神藪中の蕎麦 三流亭流三
◇ 井戸の茶碗 三流亭越児
◇ 試し酒 三流亭窓口
◇ 松山鏡 三流亭仙三
◇ 時蕎麦 三流亭千公
◇ 天災 三流亭新参
紅巣亭の、熊本から稽古に通う心童さん。
今までは、肥後弁で落語をやっていましたが、今回の「天災」は、師匠の高座本の通りにやってみようということで・・・。
これまた新潟から通う、越児さんの「井戸の茶碗」の読み稽古。
師匠から、読み稽古だけで、「越児さんの代表作になるよ」とのお褒めのコメントがありました。
さすがです。
窓口さんは「試し酒」。
千早亭では、並行して大作「芝浜」にチャレンジ中。
大杯での飲み方で、師匠から、「扇子の要を真ん中にして、左右対称に末広がりに使ったほうが見栄えがするよ」というアドバイスがありました。
仙三さんの「松山鏡」。
師匠が、田舎の人の喋り方を絶賛。
仙三さんの語り口調に合った噺だと思います。
今日は、声も良く出ていて、とても良かったと思います。
房総の館山で、立ち食い蕎麦を梯子しながら蕎麦を食べる稽古をして、またまた太ってしまったという千公さん。
師匠から、「(前回演った)ぞろぞろよりもずっといいよ」と、これまたお褒めの言葉。
楽しそうにやっているのがいいですね。
時間切れにはなりましたが、新参さんの「天災」も楽しい。
新参さんの、ソフトで軽い口調が、とても心地よく聞こえます。
みんな声も出ていて、楽しそうな雰囲気がいいですね。
発表会も4月にやろうということで、目標も出来ましたので、ますます活発になることだと思います。
それぞれが、それぞれ課題を持ってチャレンジしていますから、上達も早いと思います。
千公さんの「時蕎麦」、仙三さんの「松山鏡」が、師匠から褒められたのも、本番の高座を経験された成果だと思います。
次の発表会が楽しみです。
放送時間が20分遅くなって、寝過ごすことが少なくなりました。
◇ 鹿政談 二代目三遊亭圓歌
昨日は仕事だったので、今朝は、もう少し布団の中でまどろみたいと思います。
稽古会もありますが。
大学の同窓の「Ⅰ」さんから、突然メールが来ました。
彼は、野球部に所属していて、私と同様、授業に出ないので有名でした。
また、4年生の後半、大手銀行に内定していたのですが、これまた私と同様、果たして卒業出来るかどうかで、冷や冷やしていたものでした。
久しぶりに会えば、「どう?卒業出来そう?」なんて言って、励まし合っていたものでした。
就職後も、またまた私と同様、仙台がスタートでしたから、よく情報交換をしていたものでした。
その彼から、「ミニ同窓会」のお誘いです。
彼以外に、2人の懐かしい名前が挙がっていました。
すぐに、「出席!」と返信しましたが・・・・、「はしご落語会」の2日前です・・・、精神状態は大丈夫かと心配になります・・・。
今や、「任天堂」というよりも、「NINTENDO」の方が通りが良いのではないかと思います。
家庭用ゲーム機の世界的メーカーである任天堂が、マージャン牌の新商品を37年ぶりに発売したそうです。
任天堂と言えば、私がご幼少の砌(みぎり)には、トランプや花札や百人一首カルタなどで有名でした。
任天堂のトランプを買って応募シールを送れば、トランシーバーが当たるなんていう懸賞があって、要りもしないトランプを買った記憶があります。
ゲーム機大手がスマートフォン(高機能携帯電話)に流れた消費者を取り戻そうと次世代ゲーム機やソフトの開発にしのぎを削る中で、任天堂はアナログゲーム復権に“転向”するのか・・・なんて言われているようです。
一方、他のマージャン牌メーカーからは、任天堂の新商品をきっかけにしたブーム再来を期待する声もあがっているとのこと。
・・・個人的には、今さら麻雀というのもねぇ・・・・。
任天堂が売り出した新商品は「役満 鳳凰」。
で素材には廃棄しても環境に悪影響を与えないという特殊な樹脂を採用。
3重構造で竹目模様を再現し、「一筒(イーピン)牌」には任天堂独自の亀のマークをあしらっているのが特徴とのこと。
考えてみれば、昭和58年に発売した家庭用ゲーム機「ファミリーコンピュータ」を機に、家庭用ゲーム機の世界的メーカーになった任天堂ですが、元々は花札の製造販売会社。
現在でも、明治22年の創業当時からの歴史ある花札などのテーブルゲームも販売していますが、マージャン牌は昭和39年から「役満」のブランド名で展開していたが、51年以降は新商品を出していなかったそうです。
アナログなゲームの良さもありますがね。
歌舞伎の中村福助さんが「脳内出血による筋力低下」との診断され、来年1月の歌舞伎座公演「壽初春大歌舞伎」(1月2日~26日)も休演するそうです。
3、4月に歌舞伎座で予定していた「七代目中村歌右衛門襲名披露 十代目中村福助襲名披露」についても、今後、医師と相談の上で決定するということで、女形の最高峰の大名跡が13年ぶりに復活するということですが・・・。
歌舞伎界は市川團十郎さん、中村勘三郎さんという大看板を相次いで亡くし、大名跡の復活が待たれるところですし、坂東三津五郎さんも体調を崩されていて、同年輩の者としても心配です。
ところで、やはり同年輩で、先日体調不良で寄席を休演した金原亭世之介さんは、お元気になったのでしょうか?
古今亭駿菊さんのお父さんの産経新聞記事を読みました。
「百年目」「薮入り」の世界がある頃の話は、実に重たく響きます。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131205-00000577-san-life
86歳で、まだまだお元気の様子。
父親と言うのは、同じ血が流れているだけに、やはり重く尊いものだと思います。
毎日新聞での、花井伸夫さんの「林家三平」さんの評論です。
http://mainichi.jp/shimen/news/20131205dde012200013000c.html
襲名当初は初代のマネなども入れて笑いを取る方向に走っていた三平だが、近年は古典などで独自の人柄、キャラクターを発揮するようにもなってきている。
既に「井戸の茶碗(ちゃわん)」など人に合った噺もものにしているだけに、期待は大きい。
随分褒められていますよ。
「不惑の心得 林家三平、人生の師・浦井正明に教えを乞う」なんていう本も出しているんですね。「四〇にして惑わず」……しかし、現代の四十代は迷いっぱなし。
襲名、結婚を経て、一家の核の位置を意識している二代林家三平。
襲名を機に、より一層先代を意識するようになり、四十代に入り中年にさしかかった普通の男として、おかみさん(海老名香葉子)のことも心配。
そこで、先代三平師匠の頃から、家族絡みで懇意にしている上野寛永寺の長臈(ちょうろう)・浦井正明師に、自分の果たす役割や自分の考え、想いといったものをぶつけた、現代版「はっつぁん」、「ご隠居」の人生問答。
中年への心構えから、大人の作法から先祖供養、お墓参りのマナーまでを乞う、悩み多き全ての中年世代に送る「中年のための心得対談」。
海老名家というのは、実に不思議なご一族で、全員がマスコミ受けするというか、マスコミとともに生きているという感じがします。
私も幼い頃、先代の三平師匠やおかみさん、(現正蔵の)こぶ平さんや姉妹をテレビで見て、これが典型的な噺家(芸人)さんの家庭だと思って、好意的に拝見していましたが・・・。
いつもの口内炎だけでなく、身体がだるくて重く、何となく頭痛がします。
目がしょぼしょぼして、肩が凝っています。
今週は土曜日が出勤日で、まだ先が長いので、早く寝ることにしようと思います。(-_-;)
気にはなっていたのですが、先輩の狐狸亭酔狂師匠からも、OBのMLにコメントがありました。
NHKのEテレ(教育テレビ)の「趣味DO楽」という番組で、落語と仏教が採り上げられていて、昨日第1回目が放映されているのです。
落語の起源は仏教の「お説教」にあった!?
ブッダの教えのエッセンスが散りばめられている古典落語の世界を、仏教の視点から解説。人気の宗教学者と噺家の対談から知る、なるほど仏教。
第1回 落語と仏教は大の仲良し
柳家喬太郎 古典落語『仏馬』
第2回 笑いとお説教の関係
笑福亭たま 古典落語『猿後家』
第3回 江戸っ子人情と法華信仰
入船亭扇辰 古典落語『甲府ぃ』
第4回 落語の中の仏教説話
露の団姫 古典落語『松山鏡』
第5回 禅問答を落語で表現すると
柳家喬太郎 古典落語『蒟蒻問答』
第6回 なにわ商人文化と浄土真宗
桂 塩鯛 古典落語『お文さん』
第7回 宗教を笑い飛ばす!?
五明樓玉の輔
第8回 日本人、こころの原風景
桂 文我 古典落語『蛸芝居』
なかなか興味深いのですが、問題は、毎週月曜日に忘れずに視聴出来るか・・・。
でも、「甲府ぃ」と「蒟蒻問答」は、是非外さないようにと思います。
そうそう、本では、さらに以下のようなページがあります。
『落語でブッダ』収録お寺ガイド
寄席に出かけよう!
落語会ガイド
宗派別落語ガイド
・・・これも面白そうですね。
鈴本演芸場のHPを覗いたら・・・、
金原亭世之介 急病のため今席は、休席させていただきます。
代演は、古今亭菊春が勤めます。
誠に申し訳ございません。
同年輩の噺家さんだから心配ですが・・・。
父が亡くなって9ヶ月になりました。
まだ寒かった頃でしたが、もう寒くなる頃となりました。
思えば、この間には随分色々なことがありました。
父の追善のための諸々のこと、家族のこと、仕事のこと、落語のこと・・・。
俯瞰してみると、どちらかと言えば、良いことの方が多かった気がします。
安っぽい言い方かもしれませんが、故人が見守ってくれていたのかもしれません。
今年一年は、大晦日にまとめたいと思いますが・・。
でも、とにかく心身ともに忙しい9ヶ月でした。
あの東日本大震災から1000日経ちました。
河北新報の記事を読みました。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131203-00000001-khks-l04
http://www.kahoku.co.jp/news/2013/12/20131204t13032.htm
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131204-00000520-san-soci
被災地の方々は、未だにご苦労されています。
この静かな海が、再び猛り狂うことがないように、ただただ祈るだけです。
第30回「浅草芸能大賞」が発表され、「春風亭一朝」師匠が奨励賞を受賞されたそうです。
この賞は、台東区芸術文化財団が、東京を中心に活動する芸能人を表彰する賞だそうです。
1984年に大衆芸能の奨励と振興を目的に創設。
正賞は賞状と賞杯。
副賞の賞金は大賞が70万円。
奨励賞は50万円。
新人賞は30万円。
グループの場合は、人数分の賞金は出ない。
一般公募の70人の区民審査員から推薦を受け付ける。
それを10人の専門審査委員が会議をして選出する。
授賞式は毎年3月に浅草公会堂で開催される。
おめでとうございます。
「帯に短し襷に長し」・・・。
一言で言えば、そんな感じです。
4つが大賞ということは、飛び出て良いものがないということでもあります。
そもそも、4つもあったら「大賞」って言わないんじゃないかと思いますが・・・・。
「倍返し」と「じぇじぇじぇ」なんて言うのは、普段(ごく一部の地域の場合もありますが)自然に使われている言葉で、言葉として何のインパクトもありません。
言い方として、タイミングや間が良いのは「今でしょ」と「お・も・て・な・し」だとは思いますが、どうも、喋る人のキャラクターが好きになれない・・・。
何かこう、スパッとするフレーズや単語はないのでしょうか?
タイのインラック首相は美人ですね。
そんなことより、タイの反政府運動が激しさを増しています。
タイが変になっているから、タイヘンと言うのでしょうか・・。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131203-00000001-mai-asia
先輩の「愛し亭朝大」師匠は、現役時代にタイに長く赴任されていて、今でも度々訪タイしているそうです。
"ほうたい"と言っても怪我をしている訳ではありません。
最近では、現地で落語会(独演会)を開いているとのこと。
実は、新年にも英語落語会を企画していて、日本から何人か行って、英語で落語をやろうということでした。
先日「お江戸あおば亭」でお演りになった「松山鏡」を、今度は英語落語「Matsuyama mirror」でと・・・・。
ところが、現地の治安が悪化しているので、泣く泣く延期を余儀なくされたようです。
かなり入れ込んでいたので、がっかりされていることと思います。
話はかわりますが、日本の国旗は「日章旗」、アメリカは「星条旗」と言われますが、タイ王国の国旗は何と呼ばれるかご存知ですか?
勿論、「バンコク旗(万国旗)」です。
これ、絶対に他の場所で言わないでください。
バカにされますから・・・・。
喪中につき年末年始のご挨拶ご遠慮申し上げます。
3月4日に父が84歳にて永眠いたしました。
ここに本年中に賜りましたご厚情に深謝いたしますと共に、明年も変わらぬご厚誼のほどお願い申し上げます。
金願亭乱志
三流亭流三
千早亭永久
毎日新聞に、花井伸夫さんの評論がありました。
http://mainichi.jp/shimen/news/20131128dde012200011000c.html
【古今亭寿輔・新作「自殺狂」爆笑誘うベテランの独創性】という。
落語芸術協会に所属されていますので、あまり聴く機会はありませんが、山梨県出身で、若い頃、仙台の東北放送のラジオの公開番組のパーソナリティをしていたので、親しみを感じます。思いはひとつよ エンドーチェーン~
これって、昭和50年代に仙台に住んでいた人しか分からないかもしれません。
久しぶりに聴く喬太郎さん。
◇ 花筏 柳家喬太郎
自分の持ちネタでもあり、真面目に?聴きました。
途中に入れるくすぐりが、ファンにはたまらないかもしれませんが、私はどうも………?
ご本人、後のインタビューで、相撲は知らないそうですから、確かに、あまり迫力がなかったかもしれません。
この人は、生で聴く噺家さんですかね。
絵本「すすきみみずく」と「鬼子母神 藪中の蕎麦」の高座本とを読み比べて、極力ディテールを合わせる作業をしました。
ただ、昔話の女の子の名前は「くめ」ちゃん、師匠の高座本は「千枝(ちぃ)」ちゃんで、師匠のお知り合いの名前だそうです。
どうしようか…。
出来れば昔話に合わせたいのですが、ちょっとクラシックなイメージが強すぎて。
さりとて、キラキラネームにする訳にも行かず。
…千早亭だから「ちぃちゃん」で行こう。
それから、ちぃちゃんが、鬼子母神にお百度参りをして百日目に、鬼子母神が夢枕に立ったことにしよう。
昔話では、鬼子母神が姿を変えた蝶(後日「孝行蝶」と言われた)が出て来ますが、噺の前後の展開を考えて、鬼子母神から直接お告げがあったことにした方がいい。
すすきみみずくを売るのは…、お堂の前が良いか、参道が良いか…。
これも、噺で乱暴な大人が出て来るから、参道に決めました。
それから、昔話では、ちぃちゃんの父親の商売が、参道のすずめ焼き屋になっていますが、大工か鳶の職人を匂わせる演出にしようと思います。
昔話「すすきみみずく」の外伝的な形になればと思います。
来週の落語っ子連の稽古で、師匠に見ていただこう。
後の課題は、藪中の蕎麦(もり)を食べる場面。
3人4ヶ所の、蕎麦をたぐるシーンを、どう区別して演じるか。
文化放送で、朝の6時から、生きるとか、人生の目的とか目標、色々難しいことを言っています。
親鸞だとか言っています。
何故生きるのか…。
ガラッと変わって落語ですよ。
落語国の住人は、生きているから生きています。
◇ 権助魚 古今亭右朝
初めての登場ですね。
右朝師匠は、若くしてお亡くなりになったこともあり、あまりなじみがありません。
長生きして欲しかった噺家さんですね。
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