学士会落語会会報「まくら」
学士会落語会の会報「まくら 第24号」が配信されました。
内容は9月の例会の紹介がメインで、ちょっと辛口のコメントをしている「三遊亭萬橘」さんがゲストでした。
その萬橘さんが「抜け雀」を演るというので、聴きたかったのですが、お彼岸で帰省せざるをえず、聴くことが出来ずに、とても残念だった例会でした。
この萬橘さんの噺について、こんなコメントでした。
(抜け雀は)笑いの多い噺ですが、萬橘さんは独自のくすぐりを沢山盛り込んでおられました。
例えば、客が無一文と分かって宿の主人が「ご冗談を」と言ったら侍に「わしは冗談は嫌いだ、出ていけ」と言わせておいて、その後主人に何があるかと尋ねられた侍が「夢と希望だ。冗談だ」と答えます。今度は主人に「冗談は嫌いだ、出ていけ」と言わせ、侍が「しからばご免」と出ていこうとするという面白い台詞回しがありました。
また、絵に描いた雀が飛び出すことを知った宿の主人にいい女の絵を描いてもらってたまに出てきて優しくしてもらおうなどと言わせておいて、最後の方で立派になった侍が来たところで宿のおかみさんの態度が媚びた風にかわって「いい男の絵を描いてほしい」と言うところなどがありました。
・・・う~ん、これらはこの噺のストーリー展開に必要なくすぐりや演出なんでしょうか?
ライブで聴いていないので、何とも言えませんが・・。
それから、「抜け雀」のオチについても、以下のような説明が付けられていました。
【抜け雀の下げの微妙な変化】
この噺も上方から江戸に移された落語のようですが、大阪ではあまり聞かれなくなりました。
米朝全集によると、下げは浄瑠璃「双蝶々曲輪日記」橋本の段の傾城吾妻のくどき「現在、親に駕籠かかせ・・・」を踏まえているそうで、米朝の下げは「現在親にかごを描かせた」となっています。
江戸に移されてからも昭和13年の三代目三遊亭金馬の下げは「現在の親に籠をかかせた」(昭和戦前傑作落語全集)となっていますし、昭和4年出版の落語全集に載っている桂文楽の下げも「現在の親に籠をかかせた」となっています。
いずれもまくらで悪い駕籠屋のことにふれていませんので、下げは浄瑠璃を踏まえているのかもしれません。
その後この噺を得意にしていた志ん生になると、まくらで旅人に嫌がらせをするたちの悪い駕籠かきがいるという話をしていて、下げは「親を籠画き[駕籠かき]にした」となっていますから、浄瑠璃の台詞を離れて、駕籠屋という意味の駕籠かきと鳥籠を描くという意味でのかご描きの地口になっているものと思われます。
確かに浄瑠璃を踏まえないと、親を駕籠かきにするということが親不孝と直結しないので駕籠かきはたちの悪い仕事であるといった説明をする必要があるのかもしれません。
萬橘さんも含め東京の抜け雀は、「親を駕籠かきにした」という下げを受け継いでいるものと思われます。
そうなんです。
この点については、圓窓師匠も圓生師匠から聞いた薀蓄ということで、以下のように語られています。
既成の落ちは、老人が駕籠を描いたので、息子として「あたしは親不孝。父を駕篭かきにした」というのである。
しかし、この落ちの本来の意を知っている人は少ないようだ。
〔双蝶々曲輪日記 六冊目 橋本の段〕の吾妻の口説き句に「現在、親に駕篭かかせ、乗ったあたしに神様や仏様が罰あてて――――」というのがある。
[抜け雀]を演るほうにも聞くほうにもその知識があったので、落ちは一段と受け入れられたものと思われる。
本来の落ちには隠し味ならぬ、隠し洒落があるのが、嬉しい。
知識として、その文句のない現代のほとんどの落語好きは、ただ単に「親を駕篭かきにしたから、親不孝だ」と解釈をしてるにすぎない。
胡麻の蠅と駕籠かきは旅人に嫌われていた。
その「駕籠かき」から「親不孝」と連想させての落ちになるのだが、悪の胡麻の蝿と同じような悪の駕篭かきもいただろうが、いとも簡単に駕篭かきを悪として扱うのはどうかと思う。
だから、浄瑠璃の文句の知識を念頭に入れない「駕篭かき」の落ちの解釈は危険そのものなのである。
そこで、圓窓師匠は、雀に鳥籠という取り合わせの違和感もあり、オチを変えているのです。
これらの薀蓄を意識して、しっかりやらないといけませんね。
「駕籠かき」にはしないオチで。
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