生まれて初めて
「巨人・大鵬・卵焼き」世代真っ只中の私は、熱狂的ではありませんし、特に最近は興味も薄れてはいますが、基本的には巨人ファンだと思います。
ところが、恐らく初めてでしょう。
これまた熱狂的ではありませんが、巨人の敗戦を祈る自分に気がつきました。
楽天の選手もよく知らないし、監督は大嫌いですが、楽天に勝って欲しいと思います。
今、9回裏になるところ。
勝てば日本一王手です。仙台のチームです。
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「巨人・大鵬・卵焼き」世代真っ只中の私は、熱狂的ではありませんし、特に最近は興味も薄れてはいますが、基本的には巨人ファンだと思います。
ところが、恐らく初めてでしょう。
これまた熱狂的ではありませんが、巨人の敗戦を祈る自分に気がつきました。
楽天の選手もよく知らないし、監督は大嫌いですが、楽天に勝って欲しいと思います。
今、9回裏になるところ。
勝てば日本一王手です。仙台のチームです。
慌しく過ぎた1ヶ月でした・・・。
まずは、5日に「落語っ子連・深川三流亭」。
突貫工事の「厩火事」は、色々反省すべき点が残りました。
いずれ、もっと練り上げて行こうと思いました。
中旬には、直接落語とは関係がありませんが、60年遷宮の神無月(神在月)に出雲大社に詣でました。
翌週の19日は、「東大落語会寄席」にお邪魔しました。
その翌週は、いよいよ11月の「お江戸あおば亭」の「抜け雀」の稽古を開始。
落語っ子連の稽古会で、師匠ではなく、吉窓師匠に見ていただきました。
下旬には、東京かわら版に、申し込んでいた「お江戸あおば亭」の開催情報が掲載されたのを確認出来ました。
・・・そして、「抜け雀」のイメージ作りをしています。
そんなことで、あっと言う間の1ヶ月でした。
あくせく・・じゃなくて、このブログのアクセス累計は14日に51万件、30日に52万件に到達しました。
あれっ?
寄席・落語会は、とうとう1回も行けずでした。
静岡新聞の記事。
静岡県清水署と富士宮署が、山梨県警と連携し、今年2回目の広域緊急配備訓練を静岡市清水区と富士宮市内で行ったそうです。
おいおい、まるっきり我が地元ど真ん中ではありませんか。2012年に、山梨県から国道52号を逃走してきた強盗犯を清水署が静岡市清水区で取り押さえたことをきっかけに始めた合同訓練だそうで。
山梨県身延町で銀行強盗をした犯人が、県境を越えて静岡県側に逃走して来たつもり、その連絡を山梨県警南部署から静岡県警が受けたつもり、山梨に隣接する清水署と富士宮署が犯人を捕まえたつもり、みんな訓練終えて汗がだくだくって出たつもり・・・。
(竹に雀) (竪三つ引両) (九曜)「竹に雀」について。
「抜け雀」は、やはり「鳥籠」より「竹」の方が良いと思います。
辞書で調べると、
1 竹にスズメのいる図柄。日本画の画題。
向き合っているもの。
上杉氏・長尾氏・伊達氏などが用いた。
取り合わせが良いですよ。
それから、師匠の高座本には「竹に雀は品よくとまる」というのが出て来ます。
「竹に雀は品(しな)よくとまる とめてとまらぬ色の道」
これは、「伊勢唄」のようです。
日本にはいろいろな民謡がありますが、「伊勢唄」は俗に「伊勢音頭」と呼ばれ、お伊勢参りをした旅人が土産代わりに名所を唄った「伊勢音頭」を覚えて帰り、各地に広まったものが始まりとされています。
この「伊勢唄」は名所唄・祝い唄・風俗唄(色恋唄)などから成り立っており、大体が7775調の文句となっています。
多くて20曲、少なくて5曲と村によっては歌われる数が違うそうです。
大門村というところを例にとってみると・・・、
01 伊勢は津でもつ津は伊勢でもつ 尾張名古屋は城でもつ
02 阪は照る照る鈴鹿は曇る 相の土山雨が降る
03 堺出てから住吉様へ 松が見えますほのぼのと
04 竹に雀は品よくとまる とめてとまらぬ色の道
05 ここは播州姫路の城下 お菊殺した皿屋敷
06 ここは播州舞子が浜よ 向こうに見えるは淡路島
07 東にかたむく姫路の城は 花のお江戸が恋しさに
・・・・・と続きます。
雨は降る降る 陣羽(じんば)は濡れる越すに越されぬ田原坂
・・・これは他所の唄でした。
それから、伊達家の紋所として「竹に雀」は有名です。
伊達氏は戦国大名のなかでも、もっとも家紋の数が多い家である。
伊達氏の紋のひとつひとつをみると、家紋がどういうものであるのかが分かってくる。
まず、伊達氏の使用紋を全部あげてみると、(1)十六葉菊(2)五七桐(3)蟹牡丹(4)竪三つ引両(5)竹に雀(6)九曜(7)鴛鴦の丸(8)ナズナ(9)雪に薄 等である。
このように紋が多いのは、それだけ歴史が長く、伝統がある家であることの証でもある。紋にはそれぞれいわくがある。
たとえば「三つ引両」は始祖が源頼朝から下賜され、「菊」は皇室から賜ったというが、ともに確証があるわけではない。
また伊達氏は桓武平氏流伊佐氏の後裔とする説もあり、それを語っている紋が「九曜」である。
また、「竹に雀」は上杉氏に養子を入れようとしたときに頂戴したものだ。
そして、伊達氏はこれらの紋をそれぞれ適当に使い分けているのである。
「菊」は皇室。
「桐」は豊臣家、「牡丹」は近衛家、「三つ引両」は清和源氏、「九曜」は桓武平氏、「竹に雀」は藤原氏流上杉氏にというようにそのルーツはどこにでも結び付くように用いている。すなわち、戦乱の時代を生き抜く処世のシルシに家紋を利用したのである。
そのうち、もっとも人気があり、のちに定紋となったのが「竹に雀」紋であった。
・・・という訳で、やはり「鳥籠に雀」でなく、「竹に雀」にしよう。
江戸の四宿のうち「千住」。
前の会社の先輩「Ⅰさん」と、25年来通い続けている焼き鳥屋さんは、こんなディープな雰囲気の中にあります。
「お兄さん、いかがですか?」「今なら3000円ぽっきりで」なんていう声を掛けられます。
「3000円?一箱で?随分高いポッキーだなぁ。ビスコはないの?」なんて言うのはやめて、路地を入ります。
片言の日本語の呼び込みのお兄さんには、わからないでしょうから。
ここのところ、私の体調不良もあって、暫くご無沙汰でした。
今日も風邪気味で、かなり元気がなかったのですが・・・。
定番の焼き鳥を食べながら、久しぶりのアルコールです。
出雲に行った時以来ですから、約3週間ぶり。
今夜も、「お前は落語にのめりこみ過ぎ。仕事をやらなさ過ぎ!」と、いつもの"お小言"を言われながら飲む梅酒ソーダ割り。
「巨人・大鵬・卵焼き」世代には、忘れられない名前・・・。
プロ野球の巨人で現役時代「打撃の神様」と呼ばれ、監督としても「V9」を達成した川上哲治さんが亡くなったそうです。
享年93歳。
私には、打撃の神様でなく、巨人のV9監督のイメージです。
また一人、昭和が消えてしまいました・・・。
名作「御神酒徳利」。
主役は日本橋馬喰町の大店・旅籠刈豆屋吉左衛門で働く通い番頭の善六。
年に一度の十二月十三日大掃除の時、先祖が徳川様から頂いた銀の葵のご紋の入った一対の家宝の御神酒徳利が台所に転がっているのを見つけた。
しまうところがないので水瓶の中に入れ、そのまま忘れてしまった。
この御神酒徳利で大神宮様に御神酒を上げる慣わしになっている。
後で、徳利が無いと大騒ぎ、善六は家に帰ってから思い出したが、今更自分がしたとは言えない。
すると 、おかみさんは父親が易者だったので、徳利のあるところは判っているからソロバン占いをして、出せばいいと言う。
生涯に三度だけ占う事が出来るという触れ込みで、占う事にした。
無事徳利が見つかったというので、ご主人は大喜び。
幸か不幸かこの見事な不思議な占いを、宿に泊まっていた鴻池の支配人が知り、実は鴻池の一人娘が難病にかかり、その原因がどうしてもわからない、それを何とか占って欲しいと依頼する。善六は本当に占いが出来るわけがない。
善六は引き受けたくないが、おかみさんにそそのかされて、こんなチャンスはめったにない上に三十両が貰える、占いは適当にやればいいからと大坂にしぶしぶ行くことにした。
善六さん、支配人と大坂に向かう道中、神奈川宿で、滝の橋の新羽屋 (にっぱや)源兵衛という鴻池の定宿に泊まろうと立ち寄った。
店の中が慌ただしい。
女将が言うには、四,五日前に薩摩武士が泊り、金七十五両と幕府への密書が入っている巾着が無くなったので、内部の者に嫌疑がかけられ、主人源兵衛は取調中とのことだった。
これを聞いた支配人、じゃここにおいでになる占いの善六先生に見てもらったらいい、まだ1回あるからお願いしますという。
もとより占いを知らない善六は 、お供えにハシゴだワラジだ大きなおむすびだと夜逃げの算段。
すると夜中に女中が善六の部屋にやって来て、「親の病気を治したいばっかりに盗んだ」と白状した。
隠し場所が、嵐で壊れた庭のお稲荷様の社の床板だと聞いて、その女中を帰した。
早速宿の女将を呼んで、あたかもソロバン占いに掛が出たと、在りかを当てたので宿中大喜び。新羽屋から礼にもらった三十両の内女に5両与え、女将には稲荷の社を直すように諭し大坂へ。
三度目の占いは、苦しい時の神頼みで、水垢離を続けた。
すると満願の日、神奈川宿の稲荷大明神が夢に現れて、お稲荷様の社の修復と信心が戻ったことへの感謝を表し、「鴻池家の乾(いぬい=北西)の隅の柱の四十二本目の土中に観音像が埋もれているから、これを掘り出して崇めれば、娘の病気はたちどころに治る」との教示があった。
掘ってみると夢の通り観音像が出てきた。
鴻池はこれを機に米蔵を開いて大坂三郷の貧民に施しをしたので、慈善の徳で娘の病気は全快した。
善六は鴻池から金を出してもらって馬喰町に立派な旅籠屋を建て、いままでの貧乏暮らしが一躍大金持ちになった。もともとソロバン占いで成功したので、生活が桁違いに良くなったのだという。このおめでたい噺は、三遊亭圓生師匠が、昭和48年に噺家さんで初めて、昭和天皇の前で「御前口演」を行った時の演目でもあり、詳細な様子の記録に残っています。
http://ginjo.fc2web.com/96omikidokkuri/gozenkouen.htm
昨日の千早亭の稽古の後、師匠と食事をしていた時に、師匠から、「永久さん、(萬窓さんが)御神酒徳利をやろうとしているんだが、神奈川宿の"新羽屋"のシーンで゜、一合枡をぶら下げて・・と(圓生師匠が)言っているようなんだが、そんな風習があったのかな。」というご質問がありました。
帰宅して、話題になった圓生師匠の枡のことを、「圓生全集」で確認してみました。
すると、こんなふうに書かれていました。
「…大戸が下りまして、人見のところィ一合枡が支(か)ってありますので…」「…家内に取り混みでも…」
確かに、大戸を閉めて、その前に一合枡を吊るして(ぶら下げて)いるような表現で、「取り混み中」の標のように思われます。
インターネットで調べていますが、残念ながら、まだ見つからず判明しませんでした。
どうやって調べたら良いか・・・。
とりあえず師匠には、ここまでのところを報告しておきました。
11月は、大学祭・文化祭の季節。
母校でも11月1~3日に、「東北大学祭」が開催されます。
例年多くの学友会やサークルによる企画や模擬店が出展され、アーティストによるステージ企画、研究公開・発表が行われます。
今年度は「Heart Heart」というテーマだそうです。
最近は、専用のホームページがあるんですね。
【第65回東北大学祭2013HP】http://www.festa-tohoku.org/
それから、我が落研も、川内キャンパスのA棟2階で、いつもの「川内寄席」を開催します。
http://www.festa-tohoku.org/kikaku/okunai/a.html
学友会落語研究部は、落語に対する知識を広め、またそれを発表することによって落語のすばらしさを社会に伝えることを目的として、寄席や落語発表会の出演と主催、出張落語(当落研部員が依頼に応じて町内会などの様々な場所に落語を演じに行くこと)を主な活動としています。
・・・後輩たち、実に真面目な紹介をしています。
本日、当ブログへのアクセス累計が52万件に到達しそうです。
「定番」とはかなり異なる師匠の「抜け雀」。
東海道は小田原の宿でのこと。
夫婦二人で営業している貧乏宿屋に粗末な衣服を身につけた若い旅人が泊まった。
朝一升、昼一升、寝酒一升と日に三升の酒を飲んで寝てばかりで、五日経った。
女房に「心配だから内金を貰っておいで」と言われた亭主、客の部屋へ行って「お勘定を」と言うと、案の定、客は一文なし。
客は「自分は絵師であるから、そこの衝立に絵を描いて担保(かた)にしよう」と、羽ばたいている五羽の雀を描くと「はばたきて楽しく遊べむら雀」と讃をして「売ってはならんぞ」と言い残してさっさと旅立ってしまう。
翌朝、その衝立のある部屋の雨戸を開けると、絵に描いた雀が抜け出して、向うの屋根の上で餌をついばんで、しばらくすると戻ってきて衝立に収まった。
これが評判になって、その雀の抜け出す衝立を見ようと、客が押しかけて宿屋はたいそう繁盛する。
小田原の城主「大久保加賀守」も見にきて抜け雀を見ると、千両という値をつける。
が、勝手に売るわけにはいかないので、悔しがる。
一ヶ月後、六十歳ほどの上品な老医師が泊り、その抜け雀を見た。
雀に元気がないのを気にして言った。「この雀には休むところがないので、雀はいずれ疲れて落ちて死ぬ。休む所を描いてやろう」と。
宿の主人は折角の絵が台なしになるのを恐れたが、雀が死んでしまうのも困るので、「ちょいと描いてくれ」と頼む。
老医師の描いたのは何本かの竹。
それに「宿の憩いも時にとりつつ」という讃を付けた。
雀は元気を取り戻したようなので、またまた評判になり、城主のつける値段も倍の二千両にはねあがった。
半年後、あの雀を描いた若絵師が今度は立派な身なりで旅籠にやってきた。
老医師が竹を描き加えた話を聞き、すぐさま衝立を見て、それに向かって平服して言った。
絵師「父上。ご不孝の段お許しください」
主人「この竹を描いたのはお父上だったのですか?」
絵師「父は絵師であったが『絵では人の命は救えない』と考えて医師になった人。
子供の頃、父から絵の手ほどきを受けた。医師になった父の絵を見る目は衰えていないようだ」
主人「親子揃って大したものですね」
若者は「いや俺は親不孝だ。父を藪(藪医者)にした」
師匠が仰ったからという訳でなく、定番の「抜け雀」で違和感があったのは、鳥籠が描かれるところでした。
いくらなんでも、衝立に描く絵に鳥籠というのはないだろう。
そもそも、鳥籠を描いてしまったら、雀と重なってしまって、絵がグチャグチャになってしまうのではないかと。
やはり、雀を助けるために描いたと言っても、絵として鑑賞に耐えられなければいけない。
それには、鳥籠では、あまりに無粋すぎる・・・。
漠然とそんなふうに感じていました。
ところが、師匠と話をしていた時、確か、「薮入り」と「鰍沢」のオチの話題になり、さらに「抜け雀」のオチに言及されました。
その内容が、以下のようなものでした。
あの世に行ってしまった柳家つば女(平成16年6月13日没)が生前にこんなことを言っていた。
「雀は籠に入れて飼うような高級な鳥ではない。絵師として駕籠入りの雀は描かないはずだ」と。
つば女は武蔵野美術大の出身なので、あたしは信憑性を感じた。
そこで、本文のような落ちに直したのである。絵の讃は茅野大蛇作。
既成の落ちは、老人が駕籠を描いたので、息子として「あたしは親不孝。父を駕篭かきにした」というのである。
しかし、この落ちの本来の意を知っている人は少ないようだ。
〔双蝶々曲輪日記 六冊目 橋本の段〕の吾妻の口説き句に「現在、親に駕篭かかせ、乗ったあたしに神様や仏様が罰あてて――――」というのがある。
[抜け雀]を演るほうにも聞くほうにもその知識があったので、落ちは一段と受け入れられたものと思われる。
本来の落ちには隠し味ならぬ、隠し洒落があるのが、嬉しい。
知識として、その文句のない現代のほとんどの落語好きは、ただ単に「親を駕篭かきにしたから、親不孝だ」と解釈をしてるにすぎない。
胡麻の蠅と駕籠かきは旅人に嫌われていた。
その「駕籠かき」から「親不孝」と連想させての落ちになるのだが、悪の胡麻の蝿と同じような悪の駕篭かきもいただろう
が、いとも簡単に駕篭かきを悪として扱うのはどうかと思う。
だから、浄瑠璃の文句の知識を念頭に入れない「駕篭かき」の落ちの解釈は危険そのものなのである。
・・・という訳で、師匠バージョンでやる予定です。
「夜明けのコーヒー」・・・、また意味深な。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO61781760Z21C13A0MM8000/
先日97歳の天寿を全うされた、作詞家の岩谷時子さんについて語った、日本経済新聞の「春秋」から。
昭和29年のことだ。
ブラジルで、同じホテルに泊まるフランスの若い俳優が歌手の越路吹雪に声をかけた。
「あす朝早く二人でコーヒーを飲もう」。
うなずいた越路さん、約束を守ろうと翌朝、眠い目をこすり彼の部屋をノックすると、彼は一睡もせず待っていた……。
越路さんはやっと気づく。
朝のコーヒーを一緒に飲もうとは、一夜をともにしようという誘いなのだと。
・・。都々逸にもなりそうですね、
それで、ピンキーとキラーズの大ヒット曲「恋の季節」に、
夜明けのコーヒー 二人で飲もうと
あの人が言った 恋の季節よ
・・・というフレーズがあるんですね。(岩谷さんの作詞)
平安時代に遡ると、「後朝(きぬぎぬ)」という言葉があります。
契りを交わした男女で、男性が夜が明ける前に、自分の身につけていた衣を女性に渡すという・・・。
辞書を調べると・・・、
1 衣を重ねて掛けて共寝をした男女が、翌朝別れるとき
それぞれ身につける、その衣。
2 男女が共寝をして過ごした翌朝。また、その朝の別れ。
3 男女、夫婦の離別。
4 物が離れ離れになること。
・・・東雲のほがらほがらと明けゆけばおのが後朝なるぞ悲しき
古今和歌集の世界ですね。
「夜明けのコーヒーを一緒に飲まないかい」・・・なんて、誰かに言ってみたいですね。
「うん、それならドトールがいいな。ベローチェは美味しくないから」って、きっと”あの人”は言うでしょう。
それに、私はこう言って答えます。
「でも、がぶ飲みスタバは量が多過ぎる」って、何の話・・?
まずは、小田原宿。
江戸日本橋を発ち東海道を西へ二十里半(約82キロ)・徒歩20時間。品川宿より数えて九番目の宿が小田原宿です。
江戸を出て初めての城下町ということになりますね。
また、東海道最大の難所であった箱根峠越えを前にして、多くの旅人が江戸を出て2日目に宿泊する場所でもあり、東海道五十三次有数の大きな宿場として栄えました。
かつては、関八州を統一した後北条氏の城下町として繁栄しましたが、豊臣秀吉に滅ぼされて、大久保加賀守が治めた小田原は、関東への出入り口として重要な拠点でもあった訳です。
小田原の宿で、薄汚れた旅人が毎日三升の酒を飲み、何もせず寝てばかりで七日が過ぎた。
金は無いが、自分は狩野派の絵師だからと、衝立に墨で雀の絵を描いた。
江戸へ行き、帰りに寄って金を払うから、それまでこの絵を売ってはならぬと言い残して旅立った。
翌日、主が雨戸を開けて日の光が射し込むと、絵の中の雀が飛び出して外で餌を啄み、戻って来て元の絵の中にピタッと収まった。
これが評判になって、毎日客が訪れ大繁盛。
小田原の殿様の耳に入り、絵を千両で買い取るとの話を、絵師との約束があるので断った。
その後、年配の武士が訪れ、止り木がないので雀はいずれ落ちて死ぬからと、雀が抜け出た隙に、画面一杯に鳥籠を描いた。
戻って来た雀は鳥籠の中にピタッと収まった。
江戸から戻って来た絵師に事情を話すと、絵を一目見て、描いたのは自分の父親だ、なんという親不孝をしてしまったかと嘆く。
「なぜ?」「親をカゴカキにしてしまった」
・・・これが定番の「抜け雀」のストーリーです。
11月号は、林家正雀師匠。
正雀師匠と三遊亭小遊三師匠は、山梨県大月市のご出身。
私と同郷ということになります。
確か、古今亭寿輔師匠も山梨県ご出身でしたから、存在感のある噺家さんが多いんです。
あ、三遊亭円龍師匠もそうだったはずです。
小遊三師匠と正雀師匠は、歳は小遊三師匠が4歳ぐらい上。
真打昇進はほぼ同時期のようですから、あの頃の大月は・・・。
尤も、所属する協会が違いますから、共演されることは少ないのかもしれません。
東京かわら版とは全く関係ない話題になってしまいました。
もうこのシリーズも6番目になるんですね。
◇ 時そば 柳家小さん
◇ 鰍沢 三遊亭圓生
◇ 三枚起請 古今亭志ん朝
◇ 大仏餅・馬のす 桂文楽
上映期間が短いから、見逃さないようにしないと。
鰍沢がありますから。
マー君やりましたね。
本当に凄い!負けませんね!
私の「抜け雀」に、吉窓師匠からコメントをいただきました。
まず、この噺の登場人物の位置設定と、ストーリー設定について。
私は圓窓師匠ので演るつもりですから、オチも違いますので。
上下について、ご指摘いただきました。
宿屋の客引きたちは、軒下にいるんだから上手、そこから下手を向いて声をかけた方がいいと。
なるほど、確かに。
色々実演を交えたご指南で、大変参考になりました。
番組予告で確認すると、八代目雷門助六特集。
「片棒」と「長短」ということでした。
ところが、下に小さめの字で、「プロ野球中継がある場合は放送中止になります」と。
そりゃそうだよなと、ラジオをチューニングしてみると、日本シリーズ中継を放送しています。
今夜は、マー君を応援することにします。
榴ヶ岡が燃えているんですから。
私にとっては、県営宮城球場。
ティッシュペーパーみたいな名前の球場ではありません。当時は、ロッテ(当時はオリオンズ)が”準フランチャイズ”にしていて、有藤選手や村田投手が大活躍をしていました。
一度、同期の多趣味亭こり生さんに誘われて、ロッテ対太平洋(今のソフトバンク)のダブルヘッダー(1日2試合やる)で、スタンドの売り子のアルバイトをしました。
ビールやコーラ、弁当などを売るのですが、休日とはいえ、がらがらのスタンドを上ったり下ったりで、くたくたになりました。
しかも、最後に現金が500円合わなくて、アルバイト代から差し引かれたりしたので、結局一度だけでやめてしまいました。
その時、「あぁオレは銀行員には向かないな」と思いました。
この頃のロッテは、元400勝投手の金田監督のもと、そこそこ強くて、リーグ優勝やプレーオフなどに進むなど、ミヤギテレビのアルバイトで、カメラマンの脇で、プレーオフの試合などを観戦(取材?)したものでした。
当時の県営宮城球場は、ロッテがリーグ優勝しても、球場の収容人員の少なさを理由に日本シリーズが行われませんでした。
・・・という訳で、当時は頂上決戦が実現しなかった仙台でしたが、時は流れて、やっと日本シリーズが実現しました。
それも、あの県営宮城球場で…、感慨無量です。
あの時、ビールや弁当を肩から掛けて売った時の重さと肩の痛みを思い出します。
熱戦・接戦が繰り広げられるでしょう・・、クリネックススタジアムだけに「紙」一重の。
6時20分スタートは、ちょっと中途半端かな。
◇ 竜宮 二代目三遊亭圓歌
古い新作ですが、よく分からない。
最近、ゲストもよく分からない。
出して来る音源もマンネリ(特定の師匠に偏り)。
志の輔さん、そろそろ・・・という感じです。
乙にすまして、最上級のサービスだとか言って、法外な料金を取っているホテルも、やることがずるくてせこいことが露呈しました。
尤も、このブランドのホテルは、例の食材偽装ホテルグループが株主だそうですから、同じ穴の狢だということでしょう。
しかも、7月には事実を把握しておきながら、今まで公表しなかったそうですから、「偉そうなことを言うな!」ですね。
返金するそうですが、どうやって確認するのでしょう。
ダメもとで、虚偽を言って来る人もいるでしょう。
ところで、それはそれとして、私が「偉そうなことを…」とか言うのは、謝罪の記者会見の映像を見たからなんです。
3人が釈明会見に出て来ましたが、向かって左端の人は誰だか知りませんが、手を後ろに組んで立っていました。
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/ann?a=20131026-00000023-ann-soci
謝罪をする人、その気持ちのある人の所作ではありません。
東京電力ならいざ知らず、サービス業を代表する立場にあるはずの人の所作でしょうか?
こういう場では、どのような所作を行うのか、お得意のマニュアルに書いてあるはずです。
もし書いてないのなら、このホテルのリスク感覚は低レベルだと言うことです。
不真面目な会見が見え見えだったんです。
最近、釈明記者会見でのトップが、保身に走ったり、強弁したり、不遜な態度を取ったりで、火に油を注いでいるケースがほとんどで、愚直に働いている現場の方々は、バカなトップを奉ってしまって、実に不幸だと思います。
落語界で一躍脚光を浴びる噺家・春風亭一之輔さんは、昨年3月、異例の21人抜き昇進を果たした、新進気鋭の真打。
彼が日々格闘するのは、粋な笑いがあふれる寄席。
たとえ、人情話でも笑いに変える… そんな落語で皆を笑わせたい、そのために彼は海外にまで飛び出しました。
この秋、ヨーロッパ6カ国をまわる「春風亭一之輔 欧州公演」に密着。
果たして、一之輔の落語は異 国の人々を笑いの渦に巻き込めるのか?
…なんて言う番組をやっていました。
仙台に不思議な名前の橋があります。
「X(エックス)橋」の愛称で親しまれ、仙 台市とJR東日本が架け替え工事を進めている JR仙台駅北側の「宮城野橋」下り線が完成したという記事を見つけました。
「X橋」… 、懐かしい。
仙台で暮らし始めた時、仙台駅前から市営バスに乗って、この橋を渡って下宿に帰ったものです。
市中心部と駅東口地区を結ぶX橋は、正式名称は「宮城野橋」と言い、1961年完成。
老朽化が目立ち、片側1車線のため慢性的な渋滞を引き起こしていたので、上下線ともに3車線化する工事が行われているそうです。
架け替え前の宮城野橋は、たもとの道路の両端が二股に分かれていたために、「X橋」の愛称で呼ばれているのです。
昔は、この橋の東側は小田原遊郭があって栄えていたそうで、学生時代の私のイメージはやや怪しげに感じました。
街もどんどん変わって行きますね。
企業のトップにある人が、日本語を知らないという・・・。
某ホテルグループが運営するレストランなどでメニューに嘘の表示があった問題で、社長は「偽装」を否定し、「誤った表示だった」と強調した。
「意図をもって食品の誤った表示をして、利益を得ようとした事実はございません」と述べた。
47のメニューで、うその表示が明らかになったのを、「偽装」ではなく、あくまでも「誤表示」だと繰り返した。
天然の「シバエビ」とうたって、養殖で外国産の「バナメイエビ」を使っていたことについて、「仕入れ業者にそもそもシバエビの発注自体をしたことがなかった」と話している。
「バナメイエビ」と発注、当然メニューに「バナメイエビ」と表記すべきで、偽装ではないのか?との問いに対する役員の堪えは、「調理の担当の者が、『これをシバエビと表示していい』という認識をしていた」と述べた。
誰が見ても、「偽装」でしょう。
誤表示というのは、例えば「シバエビ」を「ヒバエビ」と表示したりする程度のこと。
担当者は、明確に"誤り(嘘)"を認識をしているのですから「偽装」です。
この期に及んで屁理屈で逃げようとする姿勢こそ、この会社の膿だと思いました。
師匠の高座本を参考に始めた「抜け雀」の稽古。
早速、出て来た難読漢字。
「月代」。何と「さかやき」と読みます。
封建社会時代に行われた男子の髪結い法の一種。
頭髪の蒸れによって、のぼせるのを防ぐために編み出されたもので、頭髪を額から百会(ひゃくえ)(頭の中央部)にかけて剃(そ)り上げることである。
最初は半月のような形をしていて、中剃り的なものであった。
元来、公家、武家ともに日常生活で頭に冠や烏帽子を着用したが、戦乱が続くようになって、甲冑姿で頭が蒸れるところから、百会に月代をあけ、戦いが終わると同時にもとに戻していた。
しかし、室町時代に入って応仁の乱など戦いが長く続くようになってからは日常化し、それがいつとはなく、戦乱が終わった後でも、月代をあけておくのが習わしとなった。
それも最初は小さな月代だったのが、だんだん大きくなっていった。
月代は剃刀で剃るのではなく、天正年代(1573~92)まで毛抜きを用いて頭髪を抜いたのである。
つまり月代の拡大化は、露頂の風潮を増長し、江戸時代に入って、さまざまの髷形を生んだ。
しかし明治に入って、1871年(明治4)の散髪令により、月代の風習は廃れていった。
子どもの頃、テレビの時代劇を見ていて、昔の人はみんな禿げていたんだと思いました。
そうか、甲冑でむれるのを防ぐために・・、なるほど。
今と違いシャンプーやリンスのない時代、さぞや臭かったでしょう。
プロ野球のドラフト会議が行われました。
私が大嫌いな監督がいるけれども応援しているチームは、5球団の競合に勝って、今年最大の目玉投手の交渉権を獲得しました。
早速、球団から本人に指名の挨拶に訪問した時に、"指名権獲得"の札に監督がコメントを書いたものを渡したそうです。
「夢を夢とするなかれ」・・・。
監督は大嫌いですが、なかなか良い言葉ではあります。
若い時には大きな夢を抱くことが大切、そして夢で終わらせないように頑張れということでしょう。
夢を削りながら生きて来た愚生にとっては、羨ましく思います。
母校の同窓会の歌が、卒業生である小田和正さんの作詞・作曲により東北大学校友歌
「緑の丘」として制定されました。
同窓会からのメルマガが届きました。
http://www.tohoku.ac.jp/japanese/midori/?mm=gougai
里見総長が小田和正さんに相談した際に、東日本大震災を経験した同窓生、在校生、教職員、そして大学を支えていただいている関係者の方々を元気づけたいとの思いで互いに共感し、実現したものなんだとか。
http://www.youtube.com/watch?v=xuZVcZM5q3E
先日のホームカミングディの際に披露されたそうです。
早速聴いてみましたが・・・、う~ん・・・・。
全町・全島に避難勧告・避難指示が出たとか言われています。
いつも不思議に思うのは、避難場所は本当に安全に避難していられるのかということです。
千公さんも言っていたとおり、勧告や指示をすれば良いというものではないでしょう。
私の自宅は、おかげさまで、浸水や土砂崩れの心配は比較的少ないと思います。
風も竜巻は分かりませんが、危険性は少ないと思います。
勿論、生活インフラが停止したら大変ですが。
一方、実家は山間部にあり、前は川、背後には山が迫っています。
今までは、道路などの崩落はあっても、直接家屋に被害を受けたことはありませんが、最近の気象では安心できません。
特別警報が出るような一定の状況になったら、もうその時点では逃げ場はありませんから、最悪を覚悟するしかないでしょう。
町内の別の安全な場所へ、自主的に早めに動くしかないのでしょう。
それにしても、全町・全島避難って、どうするんでしょう・・・。
「いつ避難するんですか?」
「今日、今すぐにでも」
「どうしてですか?」
「役所で避難すると決めた日なん(避難)です。」
「どこに避難するんですか?」
「土砂崩れの前兆(全町)がありますから、安全な所へ」
「それはそれは、前途(全島)多難なことで・・・」
桂才紫さんのツイートで知った、画家の岡田嘉夫という方が翻案されたというニューバージョン「文七元結」を才紫さんが初演するということ。
12月13日(金)18時30分・内幸町ホールで。
ゲスト鼎談では、作家・橋本治/法政大学教授・金原瑞人/そして岡田嘉夫が平成の文化・芸能・美術を滅多切りッ?!
新内流しや夜回りまで登場、旭流家元振付の豪華、新しい「文七元結」をどうぞご覧ください。
お二人が出会ったのはちょっとしたきっかけだそうですが、なかなか面白そうですね。
しかし、この日は東京落語会。
それに、翌日は、師匠の会「はしご落語会」に出演前日で、恐らく気持ちがそこいらを彷徨っていると思いますから。
才紫さんのツイートによれば、
皆様にお知らせしていた師走の新・文七元結ですが、予想外の勢いで間もなく完売しそうです。
有難うございます。
このニュースを聞いた途端に、ある噺の台詞を思い出しました。
確か圓生師匠だったか今輔師匠だったか、「三人旅」だと思いますが、宿の婆さんが「活きの良い干物もあるでよぅぅ」っていうやつ。
「活きの良い干物」「新鮮な塩鮭」「獲れたての蒲鉾」なんていうのって、洒落になりませんか。
大阪の某ホテルやレストランで、「鮮魚のムニエル」と表示しながら冷凍魚を使うなどメニュー表示と異なる食材が使われていた問題が、波紋を広げているそうです。
冷凍魚を鮮魚というのは、ちょっとムニエルでしょう。
しかし、調理担当者だけでなく、メニュー表示の担当者も虚偽を認識していたそうですから、以前の賞味期限偽装問題と同様、コンプライアンスが声高に叫ばれる時代に、重たい問題だと思います。
手こねハンバーグは既製品、トビウオの卵は「レッドキャビア」、鮮魚は冷凍・・・あまりに酷い偽装メニューの中身。
料理を提供した期間は2006年3月~13年9月の約7年半で、利用客は延べ7万8775人。
問題が発覚したのは、4都府県8ヶ所のホテル(大阪新阪急ホテル・宝塚ホテル・六甲山ホテル・ホテル阪神・京都新阪急ホテル・ホテル阪急インターナショナル・第一ホテル東京シーフォート・吉祥寺第一ホテル)に入るレストラン計23店だそうで、またこの会社の営業企画部長が、「メニュー表示で筆が滑ってしまったのではないか」という、とんでもないバカな釈明をしていますが・・・。
これではちょっと信用できませんね。
吉兆のように、頭の中が真っ白になりましたか・・・。
阪急阪神に対しては、「半信半疑」でなく「反信阪偽」。
ところで、今回の不祥事もまた、やっと社長が出て来てお詫び会見。
自らの役員報酬を当面の間20%減額、取締役6人と監査役3人については報酬の10%を6か月間減額する処分など明らかにしたそうですが、対応が終わるまで報酬ゼロ、終わったら引責退任が妥当でしょう。
報酬を受け取る資格などありませんよ。
また、親会社の社長が報酬の50%を、当面の間、自主的に返納する意思を示しているそうですが、自主的ではなく、処分として行うべきだと思います。
某プロ野球チーム(日本シリーズに進めなかった)の秋季練習が始まり、ナインと初対面した新監督が、ひげや長髪、裾がだぶついたユニホームなどを禁止するという、厳しい「身だしなみチェック」を宣言したそうです。
「ファンは、ダラダラとしたユニホームやヒゲ面を見に来るのではない。野球は技術だけじゃなくそういうところが大事。必ず(勝利に)通じるところはある」。
緻密でスキのない野球を目指す新監督らしく、チーム内に厳しい規律を求めたそうです。
前監督は、選手を上から抑え付けず、伸び伸びと力を発揮させるスタイルを好み、豪快なチームカラーが近年の特徴になっていたということですが・・。
いいですねぇ、私は新監督に大賛成です。
私は、これを規律(抑えつけ)だとは思いません。
先日も書いた「行儀」や「礼儀(マナー)」の次元だと思います。
帽子の後ろからだらしなく出る長髪や、ユニフォームのボタンを外したりする姿は、見るだけで品格を疑います。
感覚的ですが、芸人さんの好き嫌いや評価のポイントに、私は「きれい」「清潔」を求めています。
佇まいの美しさや清潔感も、ショーマンに必要な重要なファクターだと思います。
時代によって、その基準はいくらかは変わるのかもしれませんが、私は「きれいな」スポーツマン・芸人さんを望みます。
今度の日曜日は、落語っ子連の稽古日です。
稽古日が台風に重なるのは今年2度目です。
南房総館山の住人で、小学校の先生の三流亭千公さんからメールがありました。
南房総はいつも(台風の)通り道です。
さて今度の台風では、目と鼻の先の大島のことですっかりびびったのか、予めうちの学校が避難先に指定されました。
そのため学校職員も台風が通過した後も、避難所が解除されるまで、待機を余儀なくされるようでして…。
今も広報無線が必要以上に騒いで“羹に懲りて何とやら”状態です。
そういうことで、日曜の稽古は欠席の可能性が高いです。
…なるほど、そりゃぁ仕方がありません。
進路予想図を見ると、27号が最も北を進むと、土曜日には南房総をかすめる可能性がありますね。
とにかく気をつけましょう。
「お・も・て・な・し」と言えば・・・滝川クリステルさんです。
これについて、永六輔さんがコメントしています。
本来、おもてなしとは「持って成す」。
つまり、特別なことをしないことを言うんです。
そこにある物を「持って成す」ことが本来の「おもてなし」。
今あるもので賄うことが、平安時代から使っている本来の「おもてなし」です。
特別に競技場を作ったり、とかいうのは、もともとそれに反しているんです。あるがまま、特別なことは何もしませんということが、持って成す、なんです。
・・・ということは、みんなもともとの意味をわからずに使っているということですか。
辞書で意味を調べると・・・、
1. 客を取り扱うこと。待遇。「手厚い―を受ける」
2 .食事や茶菓のごちそう。饗応。「茶菓の―を受ける」
3 .身に備わったものごし。身のこなし。
4 .とりはからい。処置。取り扱い。 ということです。
言葉と言うのは、使い方や意味がどんどん変化しますから、みんな(太宗)の認識が、もともとの意味で捉えられていなくても、特に問題はないでしょう。
私が嫌いな「やばい」とか、「全然・・・・」とかいう、最近の乱れた使い方も、全く別の意味に使われていますから。
ややアカデミックに調べて見ると・・・。
「おもてなし」という言葉は、動詞「もてなす」の連用形名詞「もてなし」に美化語(丁寧語)の接頭辞「お」がついたものです。
「もてなす」という言葉は、「そのように扱う」、「そのようにする」などの意味の「なす(成)」に、接頭語「もて」がついたもの。
「もて」の付く語には他に「もてさわぐ」、「もてあつかふ」、「もてかくす」などがあり、動詞に付属して「意識的に物事を行う、特に強調する意味を添える」のだそうです。
従って、「もてなす」は「扱う」ことを強調する場合に使う言葉、ということになります。
接頭語「もて」の語源は、漢語「以」の訓読に使われる「もちて」が変化して「もて」となったものとも言われており、「なす」に、「もて」を強調の意として接続し「もてなす」となり、それに美化語の「お」をつけて名詞となったものが「おもてなし」ということになるわけです。
そもそもの意味は「とりなす、処置する」、「取り扱う、待遇する」というもので、現代のように接待に関して用いられるのは中世以降になってからだそうです。
・・・ちょっと永さんとはニュアンスが違う感じです。
「持って」と「以って」の違いかもしれませんね。
ところで、この「おもてなし」と言うのは、英語では「hospitality」、フランス語では「accueil」に近い意味になるようです。
今回、フランス語のプレゼンで、あえて日本語で表現したのは、日本独特の接待の仕方を強調するために、外国語に翻訳すると失われかねない、何か特別なことがあることを強調して、なにか期待させる効果を狙ったものだと分析する人もいるようです。
そして、その思惑どおり、このプレゼンは、多くの人の心をつかんだということですね。
「hospitality(おもてなし)」は、語源はラテン語の「hospes」とされ、かつて交通機関や宿が整備されていない時代、危険と隣り合わせに巡礼する異邦人を歓待することを意味しているそうです。
家族と接するように、表裏の無い心で見返りを求めない対応と言われています。
自分の家に訪ねてくる人(=お客様)をお迎え・お世話することなので、当然対価や見返りを求めない自然発生的な対応という認識なんですね。
「お江戸あおば亭」の事前準備で、何といっても重要なのが「めくり」です。
今回も、「H先生」にご無理をお願いしました。
ご快諾をいただきました。
ありがとうございます。
新たに3枚をお願いしました。
① 杜の家 頓平
② 愛し亭 朝大
③ 第六回お江戸あおば亭
OB会長の頓平師匠は、何十年ぶりのOB落語会での高座で、「お江戸あおば亭」は初出演です。
また、朝大師匠は、今までの「愛詩亭」から「愛し亭」に戒名・・じゃなくて改名しましたので。
(私は「愛詩亭」の方が素敵だと思うのですが・・、ここだけの話。)
「H先生」も、最近は我々(落研や落語っ子連)だけでなく、めくりを依頼されるところも増えて、大変お忙しいようです。
今は、11月16日の学士会落語会の「古今亭菊之丞」さんと「古今亭志ん吉」さんのめくりを練習されているとのこと。
「乱志」や「志ん吉」さんの「志」は独特の文字で難しいそうです。
台風の影響は色々なところに出ています。
今週の土曜日(26日)に、高校の同窓会の東京支部「秋の例会」が開催予定でしたが、当日台風27号が上陸する可能性が高いため、中止することになったというメールがありました。
確かに、東京では26日にぶつかるという予報ですが、意外と大したことなかったりして。
でもまぁ主催される方々のご事情もあろうかと思いますので、ここは日本人得意の”自粛”で仕方がないと思います。
こんなパターンがたくさんあるんでしょう・・・。
そういえば、26日からのプロ野球日本シリーズは、仙台でナイター(27日も)だったはずです。
それにしても、台風28号は「猛烈な」台風なんですね。
気圧が905ヘクトパスカルということですから、超低気圧です。
台風の進路予想図も複雑怪奇ですが、関東地方はやはり26日(土)がポイントのようです。
雨と寒さと男と女・・、大変ですね。
「三越師走寄席~一朝一門会~お楽しみ寄席囃子~」。
12月28日(土)、春風亭一朝師匠とお弟子さんたちが総出演。
春風亭柳朝・春風亭一之輔・春風亭朝也・春風亭一左・春風亭一蔵さんと、これは賑やかな会になるでしょう。
イープラスのプレオーダーに申し込みました。
学士会落語会の案内メール。11月16日(土)。
・・・・どうしても外せない用事があり、出席できず。
第49回例会のプログラムを見て・・・。
総会に引き続き第49回例会には、古今亭菊之丞師匠および古今亭志ん吉さんのご両人をお招きし、その話芸をたっぷりと楽しんでいただきます。
殊に古今亭菊之丞師匠には、本年3月、芸術選奨文部科学大臣新人賞(大衆芸能部門)を受賞され、その受賞をお祝いするとともに、得意ネタを演じていただきます。
菊薫る秋のひと時、菊之丞師匠の、流麗な語り口による艶のある芸に酔いしれていただきたく、ご来場をお待ちいたしております。
・落語 志ん吉さん 「子ほめ」
・落語 菊之丞師 「明烏」
仲入り
・落語 志ん吉さん 「金明竹」
・落語 菊之丞師 「三味線栗毛」
・対談 菊之丞師 vs 斉藤学士会落語会委員
菊之丞さんが「三味線栗毛」を・・・残念!
それから、志ん吉さんも、前座(志ん坊)時代から注目していましたから、重ね重ね残念!
でも、それでも外せない用事なので、我慢せざるを得ません。
「霜降(そうこう)」は、秋が一段と深まり、朝霜が見られる頃。
朝晩の冷え込みが厳しくなり、日が短くなったことを実感できます。
初霜の知らせが聞かれるのもこの頃で、山は紅葉で彩られます。
コートや暖房器具の準備など、この頃から冬支度を始めます。
・・・いつもならこんな感じなのでしょうが、今年はまだ台風の心配をしていようとは。
“そうこう”していると、暦は立冬になってしまいます。
立冬まで台風との闘いなんて、やりっとうなかよ。
千早亭の稽古会場の豊島区千早地域文化創造館。
館内に、こんなポスターが貼ってありました。
この近くに「長崎」という地名がありますから、この町の薀蓄を学ぶ講座で、偉いお坊さんが講師なのかと思って見てみると、どうもどこかで見たことのある顔・・・。
あれっ?師匠のお弟子さんの吉窓さんではありませんか。
そうか、確か南長崎に住んでいらっしゃったはず・・・。
千早地域文化創造館40周年を記念して、旧長崎町の歴史と文化資源を学び、史跡を巡ります。
講座初日は三遊亭吉窓師匠の落語と長崎獅子舞の伝統藝能に触れます。
こう書いてありました。
プロ野球東北楽天の日本シリーズ進出決定を祝う看板が仙台市役所正面に掲げられたそうです。
何かと悪い話題ばかりが目立ち、暗いイメージがついて回っている東北地方ですが、明るい話題を提供してくれた選手たちには、素朴に心から感謝したいと思います。
考えてみると、18歳の少年だった私が憧れた北の杜の都は、気候や歴史、それから度重なる地震などの天災で、つらい時間を過ごして来ました。
あの「3.11」の直後に、選手会長の嶋捕手がスタンドに向かって行ったスピーチが印象に残っています。
かつて楽天に在籍していた山﨑選手が引退会見の時、「あの震災直後でも、球場に足を運んでくださる多くのお客様がいた」とコメントしていたことも思い出します。
ちょっと時間がかかりましたが、選手たちは、あの時の約束を叶えてくれたという訳です。
単なるスポーツの勝ち負けではない部分を、第二の故郷の慶事として受け止めました。
以下、あの時の嶋捕手のスピーチです。
本日は、このような状況の中、Kスタ宮城に足を運んでいただき、またテレビ、ラジオを通じてご覧いただき、誠にありがとうございます。
この球場に来ることが簡単ではなかった方、ここに来たくても来られなかった方も大勢いらっしゃったかと思います・・・。
地震が起った時、僕たちは兵庫県にいました。
遠方の地から家族ともなかなか連絡が取れず、不安な気持ちを抱きながら全国各地を転戦していました。報道を通じて被害状況が明らかになっていくにつれて、僕たちもどんどん暗くなっていきました。
その時の事を考えると、今日、ここKスタ宮城で試合を開催できたことが信じられません・・・。
震災後、選手みんなで「自分達に何が出来るか?」「自分達は何をすべきか?」を議論して、考えぬき、東北の地に戻れる日を待ち続けました。
そして開幕5日前、選手みんなで初めて仙台に戻ってきました。
変わり果てたこの東北の地を「目」と「心」にしっかりと刻み、「遅れて申し訳ない」と言う気持ちで避難所を訪問したところ、皆さんから「おかえりなさい」「私たちも負けないから頑張ってね」と声をかけていただき、涙を流しました。
その時に何のために僕たちは闘うのか、ハッキリしました。
この1ヶ月半でわかった事があります。
それは「誰かのために闘う人間は強い」と言うことです。
東北の皆さん、絶対に乗り越えましょう。今、この時を。
絶対に勝ち抜きましょう、この時を。
今、この時を乗り越えた向こう側には、強くなった自分と明るい未来が待っているはずです。
絶対に見せましょう、東北の底力を!
本日はありがとうございました。
・・・こちらこそありがとう。
行けたらいいなと。
◆興福寺創建1300年記念 国宝 興福寺仏頭展◆ | |
会期: | 2013年9月3日(火)- 11月24日(日) 午前10時 - 午後5時 (入館は午後4時30分まで) |
休館日: | 毎週月曜日 * 9月16日(月)、23日(月)、10月14日(月)、11月4日(月)は開館 * 9月17日(火)、24日(火)、10月15日(火)、11月5日(火)は休館 |
会場: | 東京藝術大学大学美術館 |
師匠が、何と高座本のマクラで・・・
レコードとか落語の本にも載っていますが、どうも中途半端な噺でね。なんで、こんな噺が残っているのか、また師匠の圓生がなぜ演るのか、未だによくわからないんですが・・・。
しかし、なんとなく長屋の風景なぞも出ているようで。
と、極めてネガティブなコメントをしています。
これからこの噺を演ろうという場のコメントではありません。
確かに、もとは「谷中奇聞・猫怪談」という触れ込みの噺ですが、他にシリーズのような噺もなさそうです。
師匠が、内容を随分改作されて、オチもついています。
中途半端な噺だと言われるのを、敢えてと。
与太郎噺ですが、ちょっと気味の悪さもありますが、人情噺の部分を語りたくて。
市井の人々は、こうやって、一生懸命に助け合って生きているんだという、師匠の仰る「長屋の風景」を表現してみたくて・・・。
稽古会での読み稽古は、ほとんどぶっつけ本番でしたから、もうヨレヨレでしたが、やはり人情噺の部分はやってみたいと思います。
テレビのコメンテーターとしても活躍したコラムニストの天野祐吉さんが亡くなりました。
高熱のため都内の病院に救急搬送され、間質性肺炎で亡くなったそうです。
享年80歳でした。
天野さんは、出版社や広告代理店に勤務した後、雑誌「広告批評」を創刊。
雑誌やテレビの広告表現を論じるという新たなジャンルを確立された方です。
「間質性肺炎」・・・私の父と同じ病気でした。
最近、テレビでも、肺炎予防の広告が放映されています。
「2つ以上の台風が接近して存在する場合に、台風がそれらの中間のある点のまわりで相対的に低気圧性の回転運動をすること」・・・・。
なんのこっちゃ?
これは、「藤原の効果」と言われ、戦前、当時の中央気象台長だった藤原咲平という人が提唱した効果を言うようです。
(1)まず2つの台風が同じくらいだった場合。
この場合、一定の距離までは近づこうとするのですが、それ以上は近づくことは出来ず、お互いに影響し合うのだといいます。
2つの台風を結んだ点を中心に、2つの台風が反時計回りに動き、進路が複雑な動きをすることがあるといいます。
この一定の距離とは、それぞれの台風の規模によって異なりますが、典型的な台風の直径である1000キロ程度が目安となっているようです。
(2)もう1つが、2つの台風の勢力がまったく違う場合。
この場合は、勢力の小さい方の台風が、大きい方の台風に吸い寄せられ、吸収されることがあるといいます。
とにかく、一緒に来られては迷惑ですから、2つがぶつかって消滅するとか、2つの台風が遠慮して、富士山のある日本には向かわないということにはなにらないでしょうか?
後者を「藤原の効果」に対して「富士は退こうか」と言います。
今日は平安遷都の日なんだそうです。
794年10月22日、桓武天皇が、長岡京から山背国葛城郡宇太村の新京に移った日。
そして、同年11月8日に、「平安京」と命名された。
”啼くよウグイス平安京”ですね。
遷都の理由は、政治と仏教の分断、人心の刷新などと言われていますが、京都はお寺だらけになったのですから、仏教とは分断出来なかったのでは?
前の戦と言えば「応仁の乱」、今の皇居は仮の御所で京都御所が本式・・・、京都の人たちの発想の原点という訳ですね。
現在京都で行われている「時代祭」は、1895年に、平安遷都1100年を記念して創建された平安神宮の大祭、建造物、神苑の保存のため、市民により平安講社が組織され、記念事業として始まったものだそうです。
神幸祭、行在所祭、還幸祭の神儀のほか、明治維新から延暦時代へさかのぼって、順次風俗、文物の変遷を再現する時代風俗行列が行われています。
フジテレビの長寿番組の「笑っていいとも!」が終了?
司会のタモリさんが「来年3月で終わる」と発言、フジテレビも番組終了を認めたとのこと。
「笑っていいとも!」は1982年10月に放送を開始し、7950回を超える長寿番組です。
一時は15%を超す視聴率を誇りましたが、最近は10%未満で推移していたそうです。
単独司会者による生放送の長寿記録として、ギネスブックにも認定されているとのこと。
一時代を築いた番組ですが、もう「終わっていいとも」だと思います。
・・・それにしても、「笑点」というのは化物ですね。
さる噺家さんのブログでの情報によると、古今亭菊輔さんが体調を崩していると…。
詳細は分かりませんが、かなり重いようです。
昭和35年生まれ。
昭和54年に 古今亭圓菊師匠に入門。前座名は「菊坊」。
昭和56年 二つ目昇進、「菊正」と改名。
平成7年 真打昇進、「菊輔」と改名。
浅草演芸ホールでの圓菊一門会などで、元気な姿を拝見したことがあります。
まだお若いので、早く復帰して欲しいものです。
ご本人によれば、千葉県出身初の真打だそうです。
静岡新聞に、秋季高校野球東海大会2回戦の結果が載っているのを見つけました。
静岡県勢「静岡高校」「静岡商業高校」が揃って勝ったという。この2校は、かつての「野球王国静岡」を代表していましたが、最近は、県西部校や私立校の前に影が薄くなっていましたから、久々に名前を聞く気がします。
「静高」「静商」と略称されますが、それぞれ「しずこう」「せいしょう」と呼んでいるのです。
「せいこう」とか「しずしょう」とは言わないんです。
高校時代、夏の甲子園予選の応援練習では・・、
「かっ飛ばせぇ富士高ぉ静商倒せ
おぅ
」
・・・というのが定番で、大変僭越なものでした。
それだけ強かったんですね。
それでも、弱小の我が母校も、その後後輩たちが頑張って、春夏1回ずつ甲子園に出場出来ました。
「第5回社会人落語日本一決定戦」というのが開かれ、26歳の会社員、銀杏亭魚折さんが5代目名人に選ばれたそうです。
初挑戦の魚折さんは、野球を知らない上司に変化球の投げ方を教えるという自作の落語「スライダー課長」を熱演。
2位は古典落語「たけのこ」を演じた会社員の松亭風林火山さん(49)、3位は公務員の田楽亭なすさん(38)。
329 人が応募し、事前審査を経て23歳から82歳までの174人が予選に出場、10人が決勝に進んだそうです。
皆さん勇気があるというか、身の程知らずというか…。
私は・・・、出る気にはなりませんねぇ。
恐る恐る視る己が姿…。
突貫工事で演った綻びだらけの高座。
やはり、台詞がはっきりしていないから、「え」「えぇ」と、間を持たせようとしています。
口慣れていれば、こういう無駄な間はなくなるはず。
まぁ、とにかく反省だらけです。
今夜は、「古今亭圓菊特集」ということで。
◇ 火焔太鼓 古今亭圓菊
◇ 唐茄子屋政談 古今亭圓菊
亡くなって約1年になります。
寄席での賑やかな高座が懐かしい。
この手の番組を視るのも珍しいことです。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131019-00000013-natalieo-ent
結果は既に分かっているし。
しかしまぁ、派手と言うか、コテコテと言うか、ステージがミスマッチなこと。
◇ ナンシー 立川志の春
◇ たけのこ 春風亭昇吉
◎ 平林 鈴々舎馬るこ
◇ 厩火事 露の紫
◇ たまげほう 月亭太遊
審査員の一人に堀井憲一郎さんがいましたが、随分紳士然としていたので、誰だか分かりませんでした。
三遊亭金馬師匠と神津友好先生はお元気だなぁ、林家染丸師匠は体調は良くなったのかなぁ…、何で赤井英和さんが審査員なんだろうなぁと思いながら。
馬るこさんは、今風のお笑いやコントと同様、突然叫ぶような芸風ですね。
東大落語会出身の昇吉さんが、昇太さんのお弟子さんらしからぬしっかりした噺で、感心しました。
個人的には、一番しっかりしていたと思います。
上方弁の女性の演る「厩火事」と言うのは…。
登場人物が可愛くないなぁ。
参考にはならない。
審査員は褒め過ぎですね。
初めて放映を視聴しましたが、あまりこれはと言う人はいませんでした。
小柳枝師匠です。
久しぶりにくつろぐ日曜日の昼下がり。
外は、かなり強く雨が降っています。
伊豆大島では、大雨警報が出て、避難している人も多いようです。
午後2時からの「日本の話芸」にチャンネルを合わせました。(古いかな?)
◇ 百川 春風亭小柳枝
東京落語会で、リアルタイムで聴いていますが。
本当に久しぶりに聴くことが出来ました。
前の番組で、浄土宗の念仏往生の話を聴いてから。
…と思いきや、放送時間が変更になっていたんですね。
ちっとも知りませんでした。
6時20分からでした。
◇ 片棒 九代目桂文治
あの「片棒」を13分という…。
客席で、一人の女性の笑い声が目立っていました。
昭和30年代の音源だそうですから、この人も亡くなっているでしょうか…?
ご本人のブログで喜びを語っていました。当然ですが。
http://reireisyamaruko.blog.players.tv/
それにしても、ゴチャゴチャした色彩のブログで、私はやや引いてしまいます。
芸風は分かりませんが、このブログの雰囲気や出囃子などからして、あまり近づくことはない気がします。
「天狗裁き」…ではなく、「天狗しばき」・・・。
天狗とキツネを子どもたちが笹でたたいて厄除けをする伝統行事「天狗しばき」が徳島県小松島市の神社で行われたそうです。
「天狗しばき」は小松島市の立江秋葉神社の秋祭りで、昔から続いている厄除け行事。
神社の境内に地元の人たちや近くの園児など、およそ100人が集まり、 氏子が扮した天狗とキツネが現れると、子どもたちは、1人ずつ、長さ2メー トルほどもある笹を手にして向かっていきました。
天狗は初めは子どもたちを追いかけ回すなど反撃の姿勢を見せ、なかには泣き出してしまう子どももいましたが、子どもたちが元気に掛け声を上げながら、繰り返したたいていくと、やがて弱った様子で退散するという…。
天狗さんには災難ですが、こういう行事は続いて欲しいと思います。
今は遙か南方にある台風27号ですが、このままいくと、来週の火曜から水曜にかけて日本に接近するおそれがありそうです。
「10年に一度の強さだった台風26号よりもさらに強くなって日本に近づく」かもしれないという…。
まだ日本からかなり離れているにもかかわらず、明日には暴風域が出る見込みとも言われ、台風26号と同じ経路、そしてさらに強い勢力で接近してくるようなことになれば、大変なことになりますよ。
「NHK新人演芸大賞」の落語部門の本選で、大賞に「鈴々舎馬るこ」さんが選ばれたそうです。
私はあまり聴いた記憶のない若手ですが。
山口県出身で、鈴々舎馬風師匠に入門、06年に二つ目昇進。
予選は東京、大阪で開催され、計95人が参加したそうです。
のぞみ車中で隣の席に座ったサラリーマン。
京都で乗ってきたのですが、何度も席を立ったりして落ち着きません。
そのうちに、スマホでゲームを始めましたが、大きくはないものの、画面にタッチする度にピポパと音が出ます。
暫く我慢していましたが、さすがにたまりかねて、「音は消せないんですか?!」と言いました。
すると、うんともすんとも言わずに、とりあえず音は消したようですが、今度は写真のように屈み込んで、ゲームに興じていました。
音が出たら、周囲が気にならないか。
何か言われたら反応しないのか。
音を消したのだから、「ごめんなさい」「すみません」ぐらいは言えないのか。
”マナー(行儀)“と”礼儀“を知らない、かわいそうな人でした。
体調を崩している、上方落語の2巨頭の近況です。
肺炎のため入院していた人間国宝の「桂米朝」師匠は、17日に退院したそうす。
健康状態は良好で、自宅で静養するということです。
一方、「桂春団治」師匠は、体調不良のため、出演予定の11月3日「桂文之助襲名披露公演」を休演されるそうです。
春団治師匠は、9月27日の「落語『東へ西へ』」以降、体調不良を理由に休演されていました。
入院はされておらず、自宅で静養中とのことですが、体力の回復を待ち、声を出すリハビリを行うなど、万全の状態で高座に復帰する意向だそうですが、年内は難しそうです。
富士山を眺めるスポットは数多くありますが、この写真の富士山の姿は、私にとっては原点のひとつです。
JR身延線の西富士宮駅を出て、次の沼久保という駅に向かう途中です。
始発の富士駅から西富士宮までは複線区間ですが、ここから山梨方面は単線になります。
富士山の麓の平らな所から、富士川方向に山を登ります。
この後方に見えるのが写真の富士山です。
山頂部分が3つになり、右側に宝永山を従えている優美な姿を、高校に通学の行き帰り、毎日眺めていたのです。
「夏の医者」という噺のオチは、「夏の苣(ちしゃ)」の地口オチ。
苣というのは、西洋ではレタス、日本では小松菜というところ。
暑い夏…。
鹿島村の勘太もダウンしたのか、ご飯を茶碗に七、八杯しか食べることが出来ない。
「もう歳だから」と息子が心配していると、見舞いに来たおじさんが「隣の一本松村の玄伯先生に往診してもらえば」と言う。
それを聞いた息子はおじさんに留守を頼み、ばっちょう笠に襦袢一枚、山すそを回って六里の道を呼びに行った。
汗だくになって訪ねてみると、玄白先生は畑で草取りの真っ最中。
早速頼み込み、息子が薬籠を背負って二人で村を出発した。
「山越えのほうが近道だべ」 先生がそう言うので、二人で山の中をテクテク。山頂に着いたときには二人とも汗びっしょりになっていた。
そこでしばらく休憩し、さぁでかけよう…とした所で、なぜかあたりが真っ暗になった。周囲はなぜか温かい、はておかしいと考えて…。
「こりゃいかねえ。この山には、年古く住むウワバミがいるてえことは聞いちゃいたが、こりゃ、飲まれたかな?」
「どうするだ、先生」
「どうするだっちって、こうしていると、じわじわ溶けていくべえ」
うっかり脇差を忘れてしまい、腹を裂いて出ることもできない。
どうしようかと考えている先生の頭に、あるひらめきが舞い降りた。
息子に預けた薬籠を渡してもらい、中から大黄の粉末を取り出すと、ウワバミの腹の中へパラパラ…。
ウワバミは七転八倒…ドターンバターン!
「薬が効いてきたな。向こうに灯が見えるべえ、あれが尻の穴だ」
ようやく二人は下されて、草の中に放り出された。
転がるように山を下り、先生、さっそく診察すると、ただの食あたりとわかった。
「なんぞ、えかく食ったじゃねえけ?」
「あ、そうだ。チシャの胡麻よごし食いました。とっつぁま、えかく好物だで」
「それはいかねえ。夏のチシャは腹へ障(さわ)ることあるだで」
薬を調合しようとすると、薬籠はうわばみの腹の中に忘れてきてない。
困った先生、もう一度飲まれて取ってこようと、再び山の上へ登っていく。
一方…こちらは山頂のウワバミさん。
下剤のせいですっかりグロッキーになってしまい、松の大木に首をダランと掛けてあえいでいた。
「あんたに飲まれた医者だがな、腹ん中へ忘れ物をしたで、もういっぺん飲んでもれえてえがな」
ウワバミは首を横に振って、「もういやだ。夏の医者は腹へ障る」
「うわばみ」は、大きなヘビのことで、漢字では蟒蛇と書くこともあります。
伝説上の大蛇(おろち)を指すこともあるようですが、大きなヘビを指す日本語としては、古代の「をろち」に代わって15世紀頃から使われるようになったようです。
・・・そうか、すると先日出雲で買った手拭いは、おろちの絵柄でしたから、蛇なんですね。
龍のようにも見えますが。
ヤマタノオロチ(八岐大蛇)は日本神話に登場する伝説の生物です。
伊豆大島が大変な被害を受けてしまいました。
幸い、私の周りでは、実家も含めて無事でしたが、台風による大雨で、下水を処理場へ送り出す市川市の「ポンプ場」が水没し、下水処理ができない状態になってしまい、松戸市と流山市の一部の世帯に下水道を使用しないでほしいと呼びかけているそうです。
松戸市などは公共施設のトイレを開放するほか、仮設トイレを設置したり、簡易トイレを配布したりるなどの対応に追われているということですが…。
「紺屋の白袴」か「易者身の上知らず」か「医者の不養生」か・・・。
「紺屋」が、染める仕事に忙しく、自分は染めていない白色の袴をはいていることから転じて、他人のことにばかり忙しく、自分自身のことに手をかける暇がないということ。
「易者」は他人のことはあれこれと占うが、自分のことになると欲や感情が邪魔して正しい判断ができず、少しもわからないこと。
また、他人のことをあれこれ批判するよりも、自分をかえりみろとの教訓の意味もある。 「医者」は患者に養生の大切さを説くものだが、案外と自分自身は注意していない。
専門家とされる者は、かえって逆のことをしがちである。
・・・そんなことはどうでも良いのですが。
静岡県某市内で診療所を開設する50歳代の男性医師が肺結核と診断されたそうです。
この医師は、症状が出た8月以降、計635人を診察していたということです。
ええええぇぇぇぇってなもんですね。
静岡県は、医師の家族や医療従事者、2回以上受診した患者など約400人を対象に健康診断を実施する方針だとのことですが、何とも複雑ですねぇ。
夏の医者(苣)は、腹に障る・・・。秋の医者は、胸に障る・・・。
先日、泥酔しタクシーの運賃を払わず、呼び止める運転手を殴る蹴るという蛮行の元サッカー選手は、昨年10月にも飲酒トラブルを起こしていたそうです。
要するに、こいつは全く懲りていないんです。
「酒は断つ」と誓っているそうですが、無理でしょう。その後、少し名の知れた某女優のミュージシャンだという弟が、タクシー運転手に暴行しケガを負わせて逮捕されました。
JR渋谷駅前のスクランブル交差点でタクシーに乗車。
約500メートル離れた円山町の路上で降車する際、運転手と口論。
さらに、タクシーの助手席ドアとボンネットを立て続けに蹴り、へこませ、運転手の体を複数箇所蹴りつけたという・・・。そしてまた、今度は某大手出版社の社員で、コミック週刊誌の編集長が逮捕されました。
自宅近くの路上でタクシーから降りる際、料金を請求した男性運転手の腕をつかんでねじり、「ぶっ殺すぞ」などと言い料金710円を支払わずに降りたとしている。
本人は当時酒に酔っており、警察署員には「料金は払った」などと話したという。・・・結局、図体ばかりでかくても、好き嫌いの判断だけで生きている輩で、良し悪しの判断が出来ない、半人前なんですね。
落語国では考えられないやつらです。
それにしても、タクシードライバーは災難ですね。
台風が来ている最中、こんな驚きのニュースがありました。
警察によりますと、16日午前8時半ごろ神奈川県二宮町の海岸で、小学6年生の男の子2人が波にさらわれ、行方が分からなくなっているということです。
警察によりますと、2人は近くの山西小学校の児童で、同級生3人と海に遊びに来ていたということです。
現在、警察と海上保安部が現場の周辺を捜索しています。
・・・どういうことですか
保護者は一体何をしているのでしょうか
台風で学校が休校になって、台風の様子を見ようと・・?
8時半頃は、まだ暴風域内にあった時間のはず・・・。
小学校6年生ともなれば、危険の判断も出来るはず。こういうのを「不謹慎」「無分別」と言うのでしょう。
どうして、そんな場所に行ったの・・?
事実関係は分かりませんが・・・。
それでなくても、警察や消防は台風対応に大わらわなのに。
今月発売予定だった堀井憲一郎さんの「桂米朝と上方落語の奇蹟」の出版が中止になったそうです。
出版社は、「本の記述に対し、事実と違うと関係者から指摘を受けたため」と説明しているようです。
私にとっては、アンパンマンの産みの親というより、テレビの「まんが学校」の先生です。「それいけ!アンパンマン」などの漫画や「手のひらを太陽に」の作詞で知られる漫画家のやなせたかしさんが亡くなりました。享年94歳。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20131015/k10015283981000.html昭和39年からNHKで放送が始まったクイズ番組「まんが学校」で講師役を務め、上手にマンガを書く方法を毎回解説して人気を集めました。
昭和48年子ども向けの雑誌に連載を始めた「それいけ!アンパンマン」シリーズはテレビアニメになり、国内だけでなく、スペインやブラジルなどでも放送されて世界各地の子どもたちに愛されました。
また、作詞家としても活躍し、昭和36年に作詞した「手のひらを太陽に」はNHKの「みんなの歌」で放送されて反響を呼び、小学校の音楽の教科書にも載りました。
若かりし頃の立川談志師匠が司会をした「まんが学校」で、優しく漫画を指導してくれる先生でした。
昭和41年は午年で、馬の絵の描き方を教わりましたが、あの馬は今でも描けますよ。
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2010/12/post-7f22.html
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2011/11/post-7f22.html
先生、ありがとうございました。
また”昭和”が一人いなくなりました。
昭和41年のことです。
もっと以前には、「伊勢湾台風」や「狩野川台風」といった名前のついた台風に直撃されて、愛知県・静岡県・山梨県あたりは大きな被害を受けていました。
昭和41年頃は、台風を号数で呼んでいて、この年の台風26号が記憶に残っています。
昭和41年9月22日にサイパン島の北東の海上で発生した「台風第26号」は、非常に速い速度で北上し、25日0時過ぎ静岡県御前崎の西方に上陸した。
25日9時には三陸沖に抜けて温帯低気圧に変わった。
この台風により御前崎で最大風速33.0m/s、最大瞬間風速50.5m/sを観測するなど、東北南部から静岡県にかけて最大風速20~30m/s、最大瞬間風速30~50m/sの暴風が吹いた。
また、静岡県の北部から山梨県にかけての山間部と栃木県北部の山間部では、1時間に60~100mmの大雨となり、期間降水量も200~400mmの大雨となった。
静岡県と山梨県では大規模な土石流や河川の急激な増水により多数の死者が出た。
中でも山梨県足和田村など富士山の山麓では被害が大きく、山梨県の死者・行方不明者は170名以上となった。
関東地方や東北地方でも河川の氾濫や強風による家屋倒壊により多数の死傷者が出た。
こんな記録があります。
小学校の低学年だった私は、家には被害はなかったものの、物凄い台風に恐怖を感じました。
同級生の家が風で動いたとか、風で瓦が崩れたとか、土砂崩れや停電もあった気がします。
それよりも、富士五湖のひとつ西湖周辺の集落の被害が大きく、学校で募金活動をした記憶もあります。
だから、私にとって台風と言えば、この年の26号が印象に残っているのです。
その世界ではそこそこ有名な元スポーツ選手が、酒に酔ってタクシードライバーに暴行したという事件。
お前は一体幾つになるんだ!
泥酔してバカ騒ぎ、記憶もないそうですから。
落研でも、最初は先輩から無理矢理飲まされましたが、後は自分の酒量や上戸を知り、それに合わせて飲むようになりました。
先輩も強要しません。
それが大人の世界というものです。
羽目を外すにもはずし方というのがある。
それから、酒席に無礼講などありません。
まぁ、酒に飲まれて情けないやつです。
こういうやつとは、素面の時でも付き合いたくありません。
それから、スポーツ番組を視聴していて気になるのは、いい歳をした解説者が「ボク」という一人称を使いますが、とても聞きづらいです。
「自分」なんて言う人もいますが、電波に乗るときは自重して欲しいものです。
この酔っ払いも、お詫び会見の時、最初は「私」と言い繕っていましたが、会見が進むと「ボク」になっていました。
尤も、ボクちゃんでもやらない不祥事を起こすぐらいの輩ですから、望むべくもありませんか・・・・。
ところで、被害者のタクシー会社がコメントを出しています。
「今の日本のサッカー界をつくられた方です。また指導者として、たくさんの子供たちにも夢を与えるお立場にある方ですので、今回のことを教訓に、今後はお酒とは上手なお付き合いをされて、ますますご活躍されることを願っています」
・・・と、お酒の飲み方を諭した内容ですが、表面上は優しいトーンですが、本音は「レッドカード=退場せよ」ということですよ。
39歳にもなって、こんなていたらくの男です。
刑事罰までには至らなかったものの、酒の上であることを根拠に、甘い対応にならないようにして欲しいものです。
社会人の責任というのは、それだけ重たいものだと思います。
神々が集う所だけでなく、”下界“も大渋滞だったようです。
3連休最終日、各地の高速道路上りで混雑が続いて、夜遅くまで、一部では日付が変わるころまで続いたようです。
それにしても、昼食を出雲で食べていたのに、4時には自宅でくつろぐことが出来るというのには驚きます…。
本当に日本は狭くなりました。
特別興味があったのではありませんが、今日、出雲で”すれ違った”のも“ご縁”ということで、結果が気になりました。
学生三大駅伝の幕開けを飾る「第25回出雲全日本大学選抜駅伝競走」(出雲 大社正門鳥居前−出雲ドーム前の6区間、44・5キ ロ)が行われ、駒大が大会新記録で15年ぶり3度目の優勝を果たしたそうです。
http://www.sanspo.com/sports/news/20131014/ath13101415320004-n1.html
空港に向かうタクシーから、ゴールの出雲ドームを横目にして、選手が激走している時は、空の人になっていましたが。
恐らく、卒業生で最も有名な人だと思います。
ホームカミングディで、小田和正さんの作詞作曲の校友歌が披露されたそうです。
「緑の丘」という題名だそうです。
なだらかな 坂道を上れば 川内
広瀬川から 幾重にもかさなる 緑の丘
目に浮かぶは 忘れ得ぬ 立ち並ぶ 白い教室
すべてのことが そこから 始まって行った
そしてまた 友たちと 語らうは 遙かな夢
果てしなく 道は続くとも いつの日か そこへ行く
明けてゆく 青葉山に かけがえのない 今を想う
僕らの時は 限りなく ゆっくり 流れている
この街に 愛されて この街を 愛して
我らが青春の日々 風わたる 東北大
やがてみんな それぞれの 目指す場所へ 旅立って行き
そしていつか 杜の都 仙台は ふるさとに なって行く
……だそうです。
曲はどんな感じか分かりませんが。
「青葉もゆるこのみちのく」がいいなぁぁ。
出雲での2泊は、「はたご小田温泉」に泊まることになっています。
http://www.odaonsen.jp/
出雲市の中心から、車で西に20〜30分の所にある、自然が豊かな宿です。
木のぬくもりを大切にという、素朴で癒される空間がありました。
時間の流れがゆったりしています。
襖に貼ってあるこの山水画は、この宿のご主人とも親しいという知人が描いたものです。
飛行機内で久しぶりに落語を聴きました。
イイノホールで収録している「JAL名人会」です。
◇ 幇間腹 立川生志
◇ 子別れ・下 古今亭志ん輔
生志さん、ややこしいオチでしたねぇ。
あまり良いオチだとは思えませんでした。
志ん輔師匠の「子別れ」も、師匠らしい独特な雰囲気でした。
雲助師匠の本を一晩で読破した勢いで、白酒さんの本も買ってしまいました。
早稲田の落研の様子が興味深かったですね。
まだ、読み始めたばかり。
自分より年下の人の自伝みたいなものを読むのは、やや複雑ですね。
「真室川音頭」で色々思い出しました。
同期の多趣味亭狂楽さんの彼女が、確か塩釜の布団屋さんの娘さんだったので、特注の高座用座布団を"格安で"作ってもらいました。
勿論、創部20周年記念の「三遊亭圓生独演会」の時は、圓生師匠にもこの座布団に座っていただいて、「文七元結」や「妾馬」を演っていただきました。
・・・そうそう、色々思い出して来ました。
この彼女のフォークソンググループ(3人グループ)のメンバーの一人を、紹介されましたよ。
私は「岡崎友紀」が好きで、確か偶然同じような名前の人でした。
それから、この布団屋さんの従姉妹だという人も紹介されたなぁ。
ところが、あの頃の落研というのは「彼女いない歴20年超」の集まりみたいな悲惨な学生ばかりで、そんな雰囲気ではなかったし、私もまだ幼かったのでしょう、何も起こりませんでした。
何度か、義理で発表会などには来てくれましたが・・。
どうやら、落研では、女性は60歳以上と10歳未満が"守備範囲"だったみたいです。
・・・どうしているんでしょうね、あの人たち・・・。
幸せになっていればいいと思いますがねぇ。
「紅葉前線」というやつでしょうか。
今日も暑いのに、紅葉などというのは・・・・という気もしますが、日曜日ぐらいからは、普通の秋になるようで。
紅葉は、気温が低いと色づきが早まり、高いと遅くなります。
そこで日本気象協会から発表されたのが、この「関東地方の紅葉の見ごろ予想」という訳なんです。
これまで、季節はずれの暑さの日が多くなっていまから、色づき始めがやや遅れる予想です。
そのかわり、いつもの年よりも、1週間程度は、遅くまで紅葉が楽しめるそうです。
とりあえず、この3連休は、草津や日光方面の、標高が高い場所が狙い目だということです。
草津の「御成山」あたり、日光では「竜頭の滝」や「湯ノ湖」のあたりがちょうど見ごろになるみたいです。
やはり秋は秋なんです。
一連の某メガバンクの暴力団組員への融資問題について、旧行時代のOBで作家の某氏が、この間のこの銀行の対応はその稚拙さに置いて歴史に残る最悪の事例だとコメントしていました。
一部を要約してみました。
最初は、広報担当が資料を持って説明しただけ。
それも暴力団融資は担当役員止まりだったという説明。
記者会見も拒否。
それで記者の怒りを買い、結局、副頭取が記者会見。それも身内とでもいうべき経済記者が多い日銀記者クラブでの会見。
自前の施設で雑誌記者もみんな呼んでやらないところに「逃げ」の姿勢を見透かされてしまった。
それでしどろもどろの会見になった。
何もまともに答えられない。頭取は知らなかったと思う……などと言い、調べていないと、逃げるだけ。
そしてついに頭取が出て来て、昔の頭取に責任をなすりつけつつ、自分のことになると「知りうる立場にあった」と意味不明な答弁。
そして責任は第三者委員会で決めてもらう??。
自分の責任も取れない人がトップになっているのかと思うと、ああ、とため息しか出てこない。
コンプライアンス委員会や取締役会で、暴力団融資の問題が提出されていたのに、「知りうる立場」にあっただけで、知ろうともしなかったというのだろうか。
もしそれが事実なら、その危機意識の希薄さには言葉もない。
まだまだ記者の追及は続くだろうし、金融庁は虚偽報告を受けたと怒っているようだから、頭取の首も風前の灯だ。
・・・このドタバタぶり、見ていて情けなくなりますね。
私は、全く”知りうる立場”にありませんが、東京電力やJR北海道と似たようなレベルだということは間違いありません。
何度も言いますが、よっぽど与太郎の方が偉いと思います。
東北巡業と称する小袁治師匠。
山形県真室川町での落語会のことがアップされていました。
http://yanagiyakoenji.at.webry.info/201310/article_10.html
この町での落語会も14回(年)目になるそうです。
私は、行ったことのない町ですが、「真室川音頭」という歌に思い出があります。
こんな歌詞でした。私しゃ真室川の 梅の花 コーオリャ
あなたまた このまちの鶯よ
花の咲くのを 待ちかねて コーオリャ
蕾のうちから 通って来る
蕾のうちから 通っては見たが コーオリャ
ひらかぬ 花とて気がもめる
早く時節が 来たならば コーオリャ
一枝ぐらいは折ってみたい
夢を見た夢を見た 夢を見た コーオリャ
あなたと添うとこ 夢を見た
三三九度の盃を コーオリャ
いただくところで目がさめた ・・と、歌はまだまだ続きます。
思えば、大学1年生の秋、ちょうど今頃のことでした。
落研が主催のする古典落語鑑賞会・金原亭馬生独演会」を11月下旬に控えて、宣伝とチケット売りが本格化していました。
同期の「多趣味亭狂楽」さんの彼女が「仙台白百合学園」のフォークソングクラプにいて、狂楽さんに誘われるままに、一緒に文化祭に行くことになりました。
ちょうど、荒井由実やハイファイセットあたりがブレークし始めた頃のことで、「卒業写真」や「少しだけ片想い」なんていう歌を、狂楽さんの彼女のグループがミニコンサートで歌っていました。
そのコンサートの中で、観客にも歌ってもらおうという「のど自慢大会」が始まりました。
突然狂楽さんが勝手に「乱志くんが歌います」って言っちゃった。
気がつくと、みんなの前に立たされていました。
そこでまず、場違いな「金原亭馬生独演会」の宣伝をしました。
そして、「フォークソングと言うのは、"民謡"という意味ですよね」と、私は大胆にもアカペラで「武田節」をフルコーラス歌いました。
荒井由実とのミスマッチも手伝って、落研のやつがバカなことをということで、会場は大喝采、大ウケでした。
すると・・・、私の後に立った女子大生が、それではと歌ったのが「真室川音頭」だったんです。
アコースティックギターが、手拍子と掛け声に変わりました。
結果的には、民謡を歌った二人が優勝を分け合いました。
「武田節」は、その後長い間、私の定番になりました。
・・・そんなことで、「金原亭馬生独演会」には、片手に余る女子大生が来てくれました。
18歳の乱志くんの青春の1ページです。
あれっ?小袁治師匠とは、全く関係ない話題でしたね。失礼。
伊勢神宮の式年遷宮が大々的に行われましたが。
http://www.izumooyashiro.or.jp/
http://www.kankou-shimane.com/sengu/
出雲大社も六十年遷宮なんだそうです。
前から、大相撲の大関稀勢の里を見ていて、誰かに似ているんだけれども、誰だったかなぁ…。
なかなか思い浮かべられませんでした。
が、今日、ふと視たテレビに、その人が映っていました。
あぁぁぁ…、いたぁぁぁそうだ、鳩山邦夫さんでした。
子ども手当月額1500万円受給兄弟の弟です。
奥さんは、「高見エミリー」さんという、売れっ子の雑誌モデルでした。
「少女フレンド」なんていうのに、よく載っていました。
どうでも良いことですが。
あぁぁぁぁ、すっきり。
再来年春に長野から金沢まで延伸する北陸新幹線の新しい列車名が発表されました。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131010-00000018-rbb-sci東京と金沢を直通で結ぶ列車のうち、主な駅に停車する(のぞみ・ひかり)タイプは「かがやき」、ほとんどの駅に停車する(こだま)タイプは「はくたか」、また富山と金沢を往復するシャトルタイプは「つるぎ」、現在の長野新幹線と同じ東京と長野を結ぶタイプは「あさま」。
(東京) (長野) (富山) (金沢)
・かがやき ←ーーー→ーーーー→ーーーーー→
・はくたか ←ー→ー→ーー→ー→ーー→ーー→
・つるぎ ←ー→ーー→
・あさま ←ー→ー→
「かがやき」・・・、いいですね。
そういえば、東北新幹線は、いまや「はやて」「やまびこ」です。
最初の頃、こだまタイプで「あおば」というのがありましたが。
「ウルトラマンタロウ」ではなく「ウルトラタロウ」・・
http://hochi.yomiuri.co.jp/sports/sumo/news/20131009-OHT1T00222.htm
大相撲式秀部屋の序二段で、角界最軽量61キロの「桜潮(おうしお)」というお相撲さんが、「宇瑠虎太郎(うるとらたろう)」に改名するそうです。
品のない、奥のない、おふざけとしか思えない気がします。
「ウルトラ・タロウ」でなくて「ウル・トラタロウ」って読まれそう。
それに、「宇瑠」と言う熟語は聞いたことがないし、「宇」一文字では、大空に覆われた世界・天下なんていう意味があるものの、「瑠」は宝石のこと。
単なる当て字?
「バルト→把瑠都」と同じ発想?
最近、「大砂嵐」っていうのもありますが、よほどマシだと思います。
だって、イメージ出来ますもん。
我々が落研に入るときに、高座名を考えますが、おふざけでも、もっとまじめに考えますよ。
私の「金願亭乱志」は、読みは「近眼で乱視で・・」という、落語の「だくだく」にも出て来る台詞から来ているのと同時に、実在するプロの亭号・名前(金原亭・談志)を意識しているし、全体として、「金を願って志を乱す」に繋げていますよ。
角界のレベルも・・・?ですね。
・・・ややショックな出来事。
会社の若手と軽く食事して、新橋から銀座線に乗りました。
新橋で大勢降りましたが、まだそこそこ混雑しています。
つり革につかまって立つと、前に座っていた外国人の青年が、私に席を譲ろうと立ち上がりました。
「えっ?俺?」…。
「とうとう席を譲られる歳になっちまったのか」
・・・と、複雑な思いになりましたが、器の大きい?私は、国際親善と平和のために、
「ありがとう。サンキュー!」
と、席に座らせてもらいました。
「いやいや、すぐ降りますから」
・・・なんて無粋なことは言わず、笑顔で座りました。
彼は、満足そうに銀座で手を振りながら降りて行きました。
でも、やっぱりちょっと複雑…。
本当は、年頃のオヤジ心は傷つきやすいんです。
「東京かわら版」のツイート。
<落語会主催の皆様にお願い>
毎月8日は東京かわら版の情報締切日でございます。
落語会情報お持ちの方03-3542-3611までFAXにてお送りくださいますよう、よろしくお願いいたします。
本日頂戴出来れば11月号(10/28発行号)の情報に押し込めます!
・・・えへへ、先日FAXで「お江戸あおば亭」の情報を送ってあるのであります。
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2013/10/post-76b4.html
特に何も照会や確認がないので、大丈夫だと思いますが・・。
小袁治師匠のブログによれば、師匠はただいま東北公演中。
http://yanagiyakoenji.at.webry.info/201310/article_9.html
仙台での落語会が26回を数えるそうで、師匠ご自身も東北を愛してくださっているようで、全く接点はありませんが、最近毎日ブログを拝見しています。
東北福祉大学で講演をされたようです。
噺家さんの講演って、きっと面白いんでしょうね。
「仙台小袁治の会」は11日です。
≪第26回 仙台小袁治の会≫
■日 時 平成25年10月11日(金)
午後6時00分開場・6時30分開演
■出 演 柳家小袁治 柳家麟太郎
アサダ2世 三遊亭ございます
■木 戸 会員無料
前売券 2,500円
当日券 3,000円
■場 所 仙台市戦災復興記念館ホール
仙台市青葉区大町2-12-1
℡022-263-6931
各地でゆるキャラが花盛りですが、何と静岡県富士市にもいる(ある)ことを知りました。
「むすびん」って言うそうです。
https://www.city.fuji.shizuoka.jp/hp/menu000036600/hpg000036507.htm・・・何と申しましょうか・・。
おむすびをかじった後が宝永山というのがミソだそうですが。
これを見た時に、仙台の「むすぴ丸」を想像してしまいました。
http://www.sendaimiyagidc.jp/musubimaru/口の部分が海苔というのはパクリ?
そもそも「むすびん」、富士山はともかく、何でおむすびなの?
仙台の「むすび丸」は、米どころと伊達政宗のキャラに重ねるのは分かりますが。
複数の噺家さんのブログに、先日亡くなった古今亭志ん馬さんのことがコメントされていました。
・春風亭小朝さん
http://ameblo.jp/koasa-blog/entry-11631716116.html
このブログを報道する新聞記事も。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131009-00000011-flix-movi
・柳家小袁治師匠
http://yanagiyakoenji.at.webry.info/201310/article_7.html
http://yanagiyakoenji.at.webry.info/201310/article_8.html
・古今亭志ん吉さん
http://blogs.yahoo.co.jp/choito_shinsan/MYBLOG/yblog.html
55歳でしたから、芸の上で様々に思うところ(悩み・葛藤・不安など)があったんでしょう。
噺家さんは、定年がないから、終身噺家さんですが、それだけに、しっかり区切りをつけたり、目標を設定しておかないと、自分自身を見失ってしまうことになる・・・。
そんな時期にいたのかもしれませんね。
世界は違いますが、同年輩ですから、何となく分かる気もします。
東北楽天のマー君が、またまた勝ち投手となってプロ野球の連勝記録をさらに更新しました。
今シーズン24勝負けなしで、史上初の無敗の最多勝投手です。
1シーズン通して負けがない。
相撲で言えば、6場所全勝優勝と同じ?
体調、メンタル両面で、完璧なコントロールが出来ているということ。
あの新婚の姉さん女房の内助の功も大きいでしょう。
唯一の痛恨は、あの監督が、よりによって複数年契約を結んで、来年以降も居座ること………。
何で、こんなバカな政治家や官僚ばかりなんでしょう…。
http://www.sponichi.co.jp/society/news/2013/10/08/kiji/K20131008006769000.html
人の道の分からない奴の言うことなんか聞きたくないし、信用出来ませんね。
福島の人たちだけでなく、普通にものの分かる人なら、怒りますよ。
今回は、あまりに腹立たしいから、実名を入れます。
【桜田文部科学副大臣】が、高い濃度の放射性物質を含む焼却灰の処理をめぐり、「人の住めなくなった福島に置けばいい」と発言。
下村文部科学大臣は、桜田副大臣から「発生者責任の観点から一般論として発言した」という屁理屈の釈明を受けましたが、副大臣に対し、「福島の人たちは一番の被害者であり、その心情を理解していない発言だ」として、厳重注意したと。
当たり前でしょ、子どもでも分かることですよ。
本人は、自身のサイトなどで、色々釈明や開き直りをしているようですが、覆水盆に還らずというのをご存知ないらしい。
さらに残念なことに、このオヤジ、何と隣の選挙区選出の議員ではありませんか!
日本人というのは、かくも酒に対して甘いものかという話題。
これも北海道のあの鉄道会社。
飲酒運転を防ぐために各社が行っている乗務前のアルコール検査について、このバカ鉄道会社では、「体質的に酒が飲めない」と申告すれば、検査を免除していた。
今度は九州の高速道路の受託業者の社員が、酒気帯び状態で車に乗って通勤したところ、アルコール分が残ったまま、上司の許可を受け、再び運転して帰宅していた。
お前たち、そんなに酒が飲みたいか
お前たちの上司や会社、どこを向いて仕事をしているんだ
これぐらいは、「ヘイトスピーチ」とは言いませんよね。
某団体が、情報公開を積極的に行う企業を選ぶ「ディスクロージャー優良企業」を公表したそうですが、銀行部門では、傘下の銀行が信販会社を通じた暴力団員らへの約2億円の融資を放置した問題が明るみになった銀行持株会社が選ばれたそうです。
「会社にとって都合の悪い情報や自社の弱点についても積極的に開示する姿勢がみられる」ことなどが評価され、2年連続で3回目の受賞が決まったということですが・・・。
信販会社を通じた暴力団員らへの約2億円の融資を放置したことというのは、都合の悪い情報かつ弱点そのものですよね。
選ぶ方も、選ばれる方も、冗談でしょ?、ってなもんですな。
まるで、安全装置が作動しても自動の非常ブレーキがかからない状態のまま運行していた北海道の某鉄道会社の特急列車みたいで。
そもそも公表しないでよ。
・・・受賞を辞退したそうですが、思い切って受賞すれば良いのに。
電力会社・化粧品会社・鉄道会社・銀行と、寄席で言えば、さながら「あきれたボーイズ」ですね。
着物を左前に着たような、そんな低次元の出来事です。
明治神宮で行われた横綱の土俵入りで、太刀持ちと露払いが間違って逆の位置にそんきょするという・・・。
本来、横綱の左にいるはずの露払いが誤って右に行ったのが原因。
休場した力士の代役だったそうですが、それにしても、頭をかいてすむものなのかなぁぁ。
太刀持ちの力士は「びっくりした。どうしようもなかった」とため息。
土俵入りに立ち会っていた日本相撲協会の広報部長は「すみません。きちんと指導しておきます」と釈明したそうですが・・・。
横綱の土俵入りは、拍手による神への敬意と四股を踏むことによる地鎮の儀であり、天地長久・天下泰平を神に祈る儀式といわれていますから、神様が怒りますよ。
明治神宮ということは、明治天皇ということですか。
七代目古今亭志ん馬さんが、胃癌のため55歳でお亡くなりになったそうです。
私は、あまり馴染みはありませんが、平成8年度のNHK新人演芸大賞を受賞した経歴もある実力者でした。
古今亭志ん馬といえば、先代が、青島幸男さんの後の「いじわるばあさん」で有名でした。
それにしても55歳の若さです。
ご本人のホームページがありました。
http://www6.ocn.ne.jp/~shinba/index2.html
七代目古今亭志ん馬は、平成25年10月7日(月)永眠いたしました。生前は大変お世話になりましてどうも有り難うございました。
ところで、古今亭志ん馬という名跡は、当代が九代目とも言われています。、
ただし、初代と二代目といわれる人が生歿不詳であり、実在したのかも不明のため、落語協会では七代目としているようです。
地元山梨の新聞にも掲載されていたようです。
http://www.sannichi.co.jp/local/news/2013/10/07/9.html
【落語「鰍沢」のシーン体感 富士川でバスツアー、三三さん口演】
古典落語の名作「鰍沢」に登場する富士川町内の名所を巡る日帰りバスツアー「落語鰍沢をめぐる旅」(同実行委主催)が6日、開かれた。
参加者は落語の場面に合わせ、富士川下りなどを体験した。
鰍沢は身延山に参詣した旅人が大雪で道に迷い、山中の一軒家で宿を借りるが、そこに住む女性に殺されそうになり、命からがら逃げる話。
落語を通じて町に親しみを持ってもらおうと企画した。
県内外から約50人が参加。
落語家柳家三三(さんざ)さんも同行し、物語に登場する昌福寺、妙法寺、法論石などを見学した。
作中、旅人が女性に勧められて卵酒を飲んだり、材木にしがみつき富士川を下る場面があることから、地酒の試飲や富士川下りも体験した。
ツアーの最後には三三さんが山梨県民信用組合鰍沢支店で、「鰍沢」などの落語を披露した。
身延町角打の会社員平田正治さん(59)は「鰍沢の舞台となった場所を巡ることができて、まるで物語の登場人物になったかのようで感動した」と話していた。
・・・行きたかったなぁぁ。
テレビを視ていて気になった言葉です。
「断髪式に来てくれて・・・」と「このかぼちゃの重さは・・・」。
まず、断髪式を行った元人気力士の”ふりかけ親方”・・・。
いくら朴訥が売りでも、正式な儀式の挨拶なんですから、「来てくださって」「ご来場いただいて」と言うのが"大人"というものでしょう。
あの人のキャラクターだからいいじゃんはないじゃんですよ。
それから、某ニュース番組の女性キャスター(アナウンサー)のイントネーションです。
「重さ」の「お」を高く発音しました。
ふつうは、「お・も・て・な・し」と同じように平坦に「お・も・さ、おもさ」と言うはず。
字で書くと「尾もさ」と言う時のイントネーションでした。
3回ぐらい言っていましたから、この人は普段からこう言っているんですね。
そういえば、稲の「籾(もみ)」を「樅(もみ)の木」と同じに言うのは、どうなんでしょう。
私は、「も・み、もみ」と平坦に言います。
同じように、「熊」と単独でいう時に、「熊さん」と同じイントネーションで言われるようですが、「熊」と「熊さん」とは、イントネーションが違う気がします。
流三は、あたしをどんな風に描きたかったんだろうねぇ。
そのあたりがはっきりしないから、いつもと違うと思われたり、期待された可愛らしさも中途半端になっちまったりするんだよ。
きっと、あたしのキャラクターを、単なる騒がしい女じゃなくて、一途な女にしたかったんじゃないかい。
学生時代に、「男にとって理想的な女房は、厩火事のお崎さんだ」って言ってたそうじゃないか。
現実はどうだったんだかって・・・? あたしゃ知らないよ。
自分を一筋に愛してくれてて、働きがあって、ちょっと性格がきついのはご愛敬。
嫌われるかもしれないのを心配しながらも、一生懸命に尽くして生きているあたしの姿が、男にはたまらないのかねぇ。
尤も、こんなあたしを創り上げたのは、江戸時代の男たちのささやかな願望だったんだろうから、憧れて当たり前かもしれないね。
もっと亭主のキャラクターを際立たせて、これにとことん惚れるキャラクターのあたしを作らないと、思い通りに描くことは出来ないだろうさ。
亭主に惚れた女心の弱みを描かないと、この噺の良さは出て来ないかもしれないよ。
そうだよ。
師匠も、「名作だから、しっかりやり続けなさい」って、コメントしてたじゃないか。
もっともっと練り込んで行ってほしいもんだね。
しっかりおしよ。
半年ぶりに再開された老舗番組です。
本当の寄席の笑いをお楽しみ頂く「ラジオ寄席」。
今年もこの季節に帰って参りました。
◇ 長命 三遊亭小遊三
日曜日の夜は、やはりこれがいいですね。
後片づけを終えて・・・。
百梅さんは、若い女性ファンたちの元に走りました。
師匠にもお付き合いいただき、ワッフルさんと鶴女さんにも参加していただき、門前仲町で打ち上げ。
皆さんそれぞれ満足の出来栄えだったと見えて、盛り上がりました。
中でも、窓口さんと千公さんは弾けていました。
また次回に向けて、来春の発表会を目指して頑張ろうと誓いました。
師匠、長時間ありがとうございました。
ここで独り言。
思えば、色々あって第2次落語っ子連を再出発させて1年半が経過しました。
師匠の落語に対する情熱の一部でもいただこう、師匠について行こうと、落語っ子連を続けることに腐心しましたが、おかげさまで、発表会も2回開催することができ、師匠ご指南の他の連と同様、年2回の発表会のベースは出来上がりました。
とりあえずホッとしています。
窓口さんとまど音さんの従来からのメンバー、遠くから前向きに参加してくださる千公さん、仕事の関係で、茨城の噺っ子連から"FA移籍"した百梅さん。
そして、心強い先輩の仙三さんと越児さんと新参さん。
とても良いグループになりました。
最も古い連として、さらに盛んにして行きたいものです。
薄氷の流三「厩火事」・・・・。
毎回聴いてくれる従妹が、いつもと違う感じだったので少し心配だと…。
この噺で、私が表現したいと狙ったことが、必ずしも表現仕切れていなかったのでは?
そんな辛口のコメントをくれました。
何とも手応えの分からない出来を、的確に評してくれました。
言い訳にはしませんが、とてもそんなレベルまで行っていないことだけは確かです。
時間切れだった気はします。
この約1ヶ月間、体調が悪くて稽古すら出来ずに歯痒かったのですが、これもまた受け入れてやれてなんぼと言うことだと思いますから、良い経験だったと思いつつ、謙虚に反省しておきたいと思います。
ということで許してください。
せっかく聴きに来てくださった千川亭小三九さんや、千早亭早千さん、有難亭真仮名さんや、可愛いお崎さんを期待してくださった千早亭ワッフルさん、申し訳ありません。
…落ち込んでいます。
大勢の若い女性ファンのお目当て、百梅さんの「猫の茶碗」。
メンバー最年少の百梅さん。
百梅ファンが大勢来てくれて、客席が華やかになりました。
師匠から、「猫の茶碗」での茶屋のおじいさんの演出をほめられていましたが、ご本人も頼もしいコメントを返していました。
「おかげさまでまた少し落語に対しての理解が深まってきたきました。やるたびに面白くなってきます」。
百梅ファンのことについては、さらに頼もしい。
「誘うお客さんもだんだんと少しずつ参加率が増えてきてるようにおもえます。同世代の落語好きを増やしていきたいと思います。おかげさまで2回目ということでちょっと落ち着いてできたように思えます。次は何をやろうか楽しみです」。
仕事が忙しく、週明けからフランスに出張だそうです。
暴力団関係者らへの融資をめぐる問題で、業務改善命令を受けた某メガバンク。
1週間経って、やっと会見を開いたそうです。
そもそも、トップに近い立場の副頭取のお粗末な対応のようです。
疑問なのは、1週間も対外的に口を閉ざしていたばかりか、会見に出て来たのは頭取でなく、急遽担当になった副頭取でした。
何のためにいるトップなのでしょう…?
逃げているのか、なめているのか。
銀行のトップも、有事の覚悟や対応が出来ていないんですね。
担当役員だけでなく、トップも進退をかけて、これからどのように対応して行くか…。
それが出来なかったら、この組織もダメだということですね。
(またまたお崎さん)
よっぽど気になるんだか、今日は帰りも銀座まで歩いて浚っていたみたいだね。
時々、歩道を家路に急ぐ人たちから怪訝そうに見られても、気にすることもなく。
どうやら、部分部分はある程度喋ることが出来つつあるようだけど、その繋ぎと順番がゴチャゴチャになってしまうみたいでさ。
あんなんで大丈夫なんだろうかって、こっちも心配になっちまうよ。
それでも、前に演って評判が良かった「救いの腕」とパターンが似ているところがあるみたいで、今さら「最後の部分はそっくりだ」なんて言ってましたがねぇ。
調子に乗って、マクラも同じようにやろうかと考え始めたようで…。
今までは、とてもマクラまで気が回る状態じゃなかったことを思えば、いくらかは安心出来るかな…。
とにかく、ウチの人を“唐土”にしてもらわないと困るから。
三遊亭円丈著「落語家の通信簿」(祥伝社新書・882円)。
落語家が、落語家を論評した初の本!
伝説の名人から大御所、中堅、若手まで53人を論評した「円丈による通信簿」。
落語家が高座では見せない心の葛藤から、「芸」の真髄まで、
落語界のしきたりなど裏話も交えて、いきいきと活写していく。
時に厳しく、時に愛情とおかしみを込めて──。
落語家ごとのおすすめ演目つき!
師匠の弟弟子でもある三遊亭円丈師匠の本です。
・・・Amazonで申し込みました。
(「厩火事」のお崎さんの口調で)
えっ?歩き稽古ですか・・?
そりゃ、今朝もやってましたよ。
いつもの日比谷公園のコースで。
ちょうど私が玉蜀黍が大好きだっていうあたりからでしたかねぇ。
きっと、あのあたりからが全然自信がないんだと思いますよ。
この噺の一番の"肝"のところなのにねぇ。
とにかく、泣いても笑っても明日が本番なんですから。
おまじない程度に、チョチョイぐらいはやってましたよ。
昨日まで散々、歯が痛いだの口内炎だの言って騒ぎまくってて、ろくに稽古もしないでゴロゴロしていたんですから、今日ぐらいはしっかりやっとかないとねぇぇ。
噺の神様の罰があたるってぇもんですよ。
ところで旦那、そんなことよりも、ウチの人は、唐土なんですかねぇ、それとも麹町のサルなんですかねぇぇ。
我々素人は、落語会の番組で、仲入り前、前半最後に上がる人を「中トリ」と言うことがあります。
以前師匠と話した時、「中トリとは言わないねぇ」と仰っていました。
「鈴々舎馬るこ」さんが、こんなツイートをしていました。
昔「中トリ」と師匠の前で言ったらすごく怒られた。
「中トリなんて言葉はねえんだ!師匠(小さん)も誰が言い出したんだって怒ってたぞ」
語源を考えると、主任が席亭と折半したお金を取ったから「トリ」で、出演者にギャラを割り振ったから「ワリ」なんだよね。
「中トリ」だと中間搾取のことだ。
・・・そうか、やはりそうなんですね。
「仲入り前」とか「仲入り」とか言うのでしょうか?
「東洋の魔女」の主将が亡くなったそうです。
東京オリンピックの女子バレーボールのゴールドメダリストです。
山梨県出身で、郷土の英雄でした。
中村(旧姓河西)昌枝さんです。享年80歳だそうです。
そうだ、考えてみれば、この東洋の魔女が金メダルを獲得した(前の)東京オリンピックの年は、小学校の担任の先生が同姓の河西先生でした。
あのあたりには比較的多い苗字ですから。
世代交代ということでしょうが、ご本人は次回の東京オリンピックをご覧になりたかったことでしょう。
今日は師匠の誕生日です。
落語っ子連・三流亭のMLに、お祝いメールを送りました。
落語は、一見なんの他愛もない(くだらない)会話のやり取りを通じて、何故こんなにも人の心を掴んでいるのでしょう。
師匠と出会ったばかりの頃、確か世田谷方面での師匠の会に行った時のことだったと思います。
地元の方が主催するこじんまりとした落語会で、終演の前に師匠が客席に座っていた私に声をかけてくださり、高座の脇で師匠と対談をさせていただきました。
その時に師匠から、「流三さんにとって、落語の魅力とは何?」という問いがありました。
私は、「落語国の住人が、どんな境遇にあっても、それを受け入れて生きることが当たり前でいることです」「落語は人を殺さないことです」と答えました。
一部の怪談噺や人情噺といった講釈や浪曲や芝居などから翻案されたもの、三遊亭円朝が創作した噺を除いて、いわゆる「落とし噺・滑稽噺」の登場人物たちは、(本人たちは無意識に)生きることを前提に自分の生を謳歌しているのです。
受けた生を精一杯生きることが前提になっているのです。
だから、落とし噺では、基本的に人は死なない、殺さないのです。
まず生きることが人間の基本中の基本だからです。
与太郎も、愚かしい自分の境遇を決して怨んではいない。
与えられた環境を、談志師匠流に言えば、その「業」を受け入れて前向きに生きています。
そして、当たり前のように明日も生きるつもりで生きています。
そういうベースがあるから、さりげない会話の中から、生きる力が読み取れるのだと思うのです。
人としてとにかく生きなければ、生きてなんぽだと思うのです。
落語は、それを自然に教えてくれています。
予想していたとおり、例の踏切事故の話題は、マスコミがこぞって美談に仕立てています。
人の世のこと、人の道のことですから、これだという正解はないと思いますが、私にはどうしてもこの女性の選択はベストだったとは思えないのです。
勿論、その優しさと正義感を批判するものではありません。
今朝の日本経済新聞の社説「春秋」でも採り上げていました。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO60546520T01C13A0MM8000/
後半に、以下のような部分がありました。
糸井重里さんに「ひとつ やくそく」という詩がある。
おやより さきに しんでは いかん
おやより さきに しんでは いかん
ほかには なんにも いらないけれど
それだけ ひとつ やくそくだ
子を思う親の真情はいくつになっても変わらない。
目の前で娘を失った父の無念もまた、思わざるを得ない。
批判や否定を言うのではありませんが、一人の他人を救うために、最大の親不孝をしたというのも事実ではないかと、子を持つ親の一人として思います。
”身体髪膚これを父母に受くあえて毀傷せざるは孝の始めなり”
そっとしてあげませんか…?
最近、仙台つながりで、勝手に親しみを感じて、柳家小袁治師匠のブログを拝見しています。
http://yanagiyakoenji.at.webry.info/201310/article_1.html
10月1日の志ん朝師匠のご命日に、こんなコメントがありました。
志ん朝師匠が亡くなって、暫く不眠症気味になったことがあった。
夜、なかなか寝付けない…、よせばいいのに酒の力を借りて眠ろうとしたが、ダメだった。
体力が落ちたところで肺炎になり、肺に穴が空いてしまった。
慈恵医大の医師がレントゲン写真を見ながら「う~ん、癌かなぁ‥‥」と、つぶやいたんだ。
生きた心地がしなかった‥‥。結局、体力が落ちている時に歯の治療をして、感染症になったらしい。
以来、調子の悪いときは抜歯とか衛生士による歯のメンテナンスはしないようにしている。
今にしてみたら、相当なショックだったのだろう、夜も眠れないなんて‥‥。
私が気になったのは、志ん朝師匠に対する思いの部分よりも、「体力が落ちている時に歯の治療をして、感染症になったらしい。」という部分です。
今の私がそうなのでは・・?
でも、歯は痛いし、でも体力は間違いなく落ちているし。
現役の皆さんのホームページ
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Circle/3519/
この中の「掲示板」に、OB会総会と「お江戸あおば亭」のお知らせを投稿しました。
http://www3.ezbbs.net/24/bomb_ju/
東北大学落語研究部OB会(会長:初代杜の家頓平)の企画担当をしている、二代目金願亭乱志です。
皆さまのご活躍は、ホームページなどで拝見しています。
現役の皆さまに負けじと、我々OBも精力的に活動しています。
下記の日程で、OB会総会とOB落語会「お江戸あおば亭」を開催いたします。
落語会には、一般の皆さまも是非ご来場ください。
勿論、入場料などは頂戴いたしません。
【OB会総会】
日時 平成25年11月23日(土)10時30分
場所 東京堂ホール(神田神保町/すずらん通り「東京堂」6階)
【お江戸あおば亭】
日時 平成25年11月23日(土)12時30分開演
場所 東京堂ホール
木戸 無料
出演 杜の家頓平・愛し亭朝大・南亭蕪生・桂友楽・恋し家古狂
・談亭志ん志・喰亭寝蔵・金願亭乱志・杜の家くるみ・
賀千家ぴん吉・井の線亭ぽんぽこ
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2013/09/post-2b2b.html
残されたのはあと3日…。
稽古・・・、なかなかはかどりません。
真ん中の一番肝心な部分が出来上がらない。
何とも気力が盛り上がらない・・・・。
今夜はダメです。
痛ましいニュースでした。
「文七元結」の左官の長兵衛の了見に思いを馳せました。
「コラ!待て!飛び込むな! 俺はここから離れられなくなってしまった。どこからか借りてきて渡せよ。何処にもいないか。死ぬ事以外に考えられないか。・・・俺って男は金には縁がないのかな~。・・・50両ここにあるから持っていけ!」
「そんな大金もらえません」
「やりたかないよ。だってお前は死ぬんだろ、娘は死にやしない。変な目で見るなよ。こんな格好の者に50両は持っている事は無いよな~。この金は先ほど娘が吉原に身を沈めて作ってくれた金だ。やるから、何かの折には、吉原の方に手を合わせてやってくれ」。
踏切の中で、動けなくなった高齢者を助けようとした40歳の女性が、電車にはねられ死亡したそうです。
女性は、家族の制止を振り切り、救助に向かったということです。
尤も、「文七・・」は、長兵衛が死ぬということではありませんし、ハッピーエンドですから、比べるに無理はありますが。
この女性の行為に対しては、恐らく世の中は、就中マスコミはこぞって賞賛するでしょう。
本当にそうなのかな?
それでいいのかな・・・。
「お前は死んだけど、おじいさんは助かったよ」と親に言わせるのって。
実は、台風の影響で雨降りでしたが、日比谷で降りて。
傘をさしながら日比谷公園を抜けて来ました。
ちょうど前半が浚えたかもしれません。
「厩火事」が”炎上”しているので、ちょうどよい水入りになったかもしれません。
口内炎は治まりつつありますが、歯痛の方は相変らず"ロキソニン"のお世話になっています。
夜中に痛くなったので、服用しましたが、よく効きますね。
”炎上”は、やや鎮火の方向にありますが、まだ爆弾と火種は抱えたままです。
頑張っている人だから、勿論応援するのはやぶさかではないのですが・・・。
先日、某女子テニスプレーヤーが「観客のため息に切れる」なんていう見出しが出ていました。 国内の会場で、ダブルフォルトとなった瞬間に、観客から一斉に「あーっ」と大きなため息が漏れたことに、「ため息ばっかり!」と身振りをまじえて「抗議」し、以降、集中力が散漫になり敗戦。
試合後の会見では「これだけたくさんの人が見に来る割には、テニスを見ることのレベルが上がってこない」と苦言を呈したと。
こんな時、日本人は「あぁぁぁ」というため息になり、外国人は「おぉぉぉ」という声になるそうで、日本人のため息は、重い空気がエネルギーをすべて吸い取っていかれる感じになるんくだそうです。
気持ちが分からないではありません。
この発言は、聞きようによっては、寄席で噺家さんが「噺(くすぐり)が受けないのは観客のせいだ」と言っているようなものだと思うのです。
でも、それはちょっと怒りの矛先を間違えているのではと思います。
観客の応援を支えに大きな力を引き出すのもプロなら、余計な中傷や雑音をシャットアウトして戦うのもプロではありませんか?
多くの日本人が応援していることは事実紛れもないのですから、ネガティブに取らないようにするのも、プロの力量・器量だと思いますが、違いますか?
決してわざとやっているのではなく、国民(民族)性?から自然に出る反応なんですから。
それがどうしても嫌なら、声援に温かさを感じるという海外だけで活動すれば良いと思います。
とにかく物凄く、あのシーンは残念でした。それからさらに今度は、北京で行われていたゲームで、スモッグに悩まされて体調を狂わせ、シングルス、ダブルスともに敗退。
「試合は残念な結果ではありますが 早く中国から脱出したいのでこれも致し方ない」とブログで言っているようです。
これも、環境が劣悪なのは容易に想像出来ますから、いくらか同情はしますが、彼女一人が厳しい環境に置かれている訳ではないのですから、何となく「何とやらの遠吠え」のように聞こえてしまいます。
紅羅坊名丸先生の「天災」を聴いていただきたいものです。
事前に環境などを調査して、自分で出場の可否・是非を判断するのもプロなのでは?
とにかく、日本人が誇る不惑のプロ選手なんだから・・・。
10月1日は、古今亭志ん朝師匠のご命日です。
2001年にご逝去されましたから、十三回忌になるのでしょうか?
考えてみると、四天王(柳朝・円楽・談志・志ん朝)は、全員鬼籍に入ってしまったんですね。「仙都に笑いを」から。
揃って仙台に来てくださったんです。
マー君が開幕以来23連勝と、さらに記録を更新。
昨季8月に勝利してから続くシーズンをまたいでの連勝も27に伸ばしました。
シーズン23勝以上は、1978年に25勝挙げた近鉄の鈴木と、23勝した西武の東尾以来、何と35年ぶりだそうです。
もし、今シーズンこのままずうっーと負けなしで連勝を続けたら「全勝優勝」というのでしょうか?
「自炊」と言えば、学生時代に仙台のアパートで・・・やったような、やらなかったような・・・。
時は流れて、世の中は随分変わり、「自炊」という意味も変わって来ているようです。
新聞に、「自炊をしていた業者を逮捕」という記事・・・。
「いいじゃないの、自炊するなんて偉いじゃないの」と思ったら大間違い、書籍をスキャナーで読み取って電子化するのを「自炊」と呼ぶのだそうです。
これは著作権を侵害していると思いますね。
東京かわら版の「寄席演芸家名鑑」をボケーッとしながら見ていると、”発見”がありますね。
今までなら、1枚の写真に写っていた漫才芸人さんが、別々の写真で載っていました。
コンビを解散して、それぞれピン芸人として活動しているということ?
「大瀬ゆめじ・うたじ」のご両人です。
ゆめじさんが駄ジャレを言うが、うたじさんはそれがシャレであるとなかなか分からず、テーマに関する“ボケ殺し”のうんちくを述べる・・・。
いわゆる「平行線漫才」を得意とするコンビでしたが。
駄洒落を言ってるだけでは、薀蓄を語るだけでは・・と思いますが。
色々事情があるのでしょう。
この名鑑を眺めていると、女性の講釈師や浪曲師というのは・・・「○○図鑑」という感じで、恐怖を感じてしまいますね。
誰とは言いませんが。
中には、この人ご存命なのかなと思う人がいます。
1920年代のお生まれで、写真が若い頃の白黒写真の・・・。
90歳近くなっているはずなのに・・・。
志ん志師匠から、北大落研のOB落語会の情報です。
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