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2013年9月17日 (火)

歴史の整合

立川志らくさんの本を読んでいて、我が落研の歴史を垣間見ることの出来る部分を発見しました。びっくりしましたが、嬉しかったですね。
歴史の整合
三越落語会に出演された噺家さんの、ネタの感どころを紹介しているのですが、先代の三遊亭圓楽師匠のところ。
277ページの昭和36年の「兵庫船」の記述。
「昨年七月、仙台駅頭にすっと立った浴衣、角帯、素足に雪駄オッ拵えの江戸っ子は、船本、朝太、全生の名もなき貧しく美しき三人旅。
………。」
歴史の整合
えっ?ちょっと待ってよ!
早速、先輩方が8年前に上梓した「仙都に笑いを」を書架から出してみました。
前年昭和34年に創部され、翌35年に「第1回古典落語鑑賞会」を開催したのが6月29日。
安保をめぐる全学連の国会へのデモで、東大の女子大生が亡くなった2週間後だったそうです。
出演が、早稲田大学落研の船本さんと、新進気鋭の二つ目の古今亭朝太と三遊亭全生。
7月ではなく、6月末ですが、これに違いありません。
朝太さんは「宿屋の富」と「明烏」、全生さんは「お化け長屋」と「淀五郎」を演ってくださったそうです。
この時の全生さんの「淀五郎」は、高座に守衛詰所の片隅に積んであった畳を借りたために、クライマックスで叩くと、埃がもうもうと立ちこめたそうで、生前様々な場所で話されていたそうです。
また、圓生師匠に上げてもらっていなかったようで、ひどく叱られたというエピソードもあるそうです。
秋保温泉での一夜は、朝太さんも懐かしんでおられたそうです。
若かりし志ん朝師匠と圓楽師匠が、落研と接点があったんです。
「仙都に笑いを」の25ページから29ページあたりにありました。
噺家さんと学生さんの青春を垣間見ることが出来ます。

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