師匠から
師匠からメールを頂戴しました。
近々、高座本[大工調べ]を仕上がります。
そのあと、その中の考察集に「噺と法」を載せたいので、
メールでのやりとりをしてくれます?
そうか、「大工調べ」の高座本が完成ですか。
と言っているうちに、また師匠からメール。
大工調べの高座本、送信します。
読んでみてください、、、。
既成の調べの法解釈から始まって、いろいろ話してみましょう。
圓窓
以前、稽古会の時に、大岡越前の理不尽な裁きが話題になったことがありました。
その時に、私は、持論の「大工調べ」はやりたくない論?を展開しました。
1両2分と800の滞納で身動きできない与太郎に、棟梁は持ち合わせの金1両と2分を渡した。
「1両2分800のところ、800持っていくのではなく1両2分持っていくのだから、800は御の字で”あたぼう”だ」と言う。
江戸っ子は、柄は悪いかもしれませんが、正直者が多いはずで、この棟梁の了見はおかしいと思います。
たとえ僅かでも足りないものはたりない訳で、ここは平身低頭を貫くのが人の道だと思います。
ところが、「たかが800」だとか、「若い者に800放り込ませます」とか、火に油を注ぐような言動を重ねます。
「たかが」なのかどうかは、棟梁が決めるのではなく、大家さんが判断するものでしょう。
その「たかが800」すら、持ち合わせていなかったのだから。
あの時代は、親孝行が錦の御旗になっていた部分もあるでしょうが、ここは棟梁の方に非があると思うのです。
大岡越前の裁きも、棟梁に「あと800を与太郎に貸し与え、ここで返金できないか。」ということで、道具は即刻返してもらうことになり、大家の勝訴というものでした。
ところが、鑑札云々の話になって行き、大家さんに不利な裁きになって行く・・・。
ここがどうも納得できないのです。
だから、私は、この噺はやりたいと思いません。
こんなことを師匠が覚えていて、冒頭のメールになったのでしょう。
師匠に、返信しました。
「大工調べ」の件、承知いたしました。
それから、師匠の高座本の巻末にコメントをしようと思ったので・・・、
これから、「流三の落語徘徊」とでも称して、高座本に投稿させて
いただきたいと思います。
高座で演じた噺について、色々述べてみるというコンセプトですが、
いかがでしょうか?
すると、師匠から・・・
そうですねぇ。あたしが演る立場。
流三さんが聞く立場と稽古する立場てなことで、徘徊をしましょう。
との返信がありました。
ちょっとトライしてみようかと。
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