こんな100周年
我が母校は、「研究第一」と「門戸開放」が自慢の学風です。
例えば、1913年に日本で初めて女子学生3名の入学を認めたそうで、今年が100周年になるそうです。
それで、その100周年を記念して、また今後100年の女子学生の活躍に期待して、ロゴマークを制定したということです。
このロゴマークでは、試験管を持った女性が理学部化学科に入学した2名(黒田チカ、丹下ウメ)を象徴しているそうです。
七曜紋は数学の空間充填問題にあたることから同数学科に入学した1名(牧田らく)を表すとともに、本学のシンボルでもある北斗七星 (北の空に輝き、人々を導く星)も意味します。
メインカラーの紅は、天然色素の研究をしていた黒田が博士号を取得した折に「紅(くれない)の博士」と呼ばれたことに因んでいるそうです。
3人のうちの「黒田チカ」という方の略歴を調べてみました。
黒田チカは日本初の女性理学士で、化学の分野に業績を残した研究者です。
黒田は明治17(1884)年、佐賀県に生まれました。
進歩的な父のもとに育ち、佐賀師範学校女子部卒業後の1年間の義務奉職の後、当時の女子にとっての最高学府であった東京の女子高等師範学校理科に入学しました。
理科の実験は学校でなければできないと考えたのが、理科を選んだ理由でした。
卒業の頃には化学に興味を持つようになり、更なる進学を希望しましたが、そのころ帝国大学は女子に門戸を閉ざしていました。
しかし大正2(1913)年に、東北帝国大学が初めて女子の受け入れを決めます。
すでに女高師の研究科を修了し助教授になっていた黒田は、母校の教官の推薦を受け、東北帝国大学理科大学化学科を受験しました。
黒田を含む女子2名と男子7名が合格します。
わが国最初の女子の帝大生となった黒田はこのとき29歳でした。
世間も新聞も大騒ぎをし、文部省は女子を入学させることに対して不快感を示す書状を東北帝大に送付しました。
この大学、文部省に逆らったんですね。
女性の(帝国)大学入学が、とんでもない時代だったんですね。
そんなに大昔ではない時代でも。
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