祖母の命日
もう30年近い昔のことですが。
7月26日に祖母が亡くなりました。
享年80歳でした。
今なら「まだまだ」というところですが、病弱だったこともあり、医者の診立ては「老衰」でした。
「病名などつけられない。枯れるような往生だった。」と。
亡くなる直前(3~4日前)に、私が帰省した時は、ちょっと夏風邪気味のようでした。
考えてみると、当時は「暑さに当たったのかも」などとも思いましたが、老齢の身に暑さは堪えたのでしょう。
先週の暑さの中で、実家の近所で、90歳を越えるお婆さんが2人亡くなりました。
やはり、暑さの影響はあったと思います。
祖母の死で思い出すことがあります。
26日の朝、父から祖母の訃報を聞きました。
とりあえず職場に出て、仕事の引継ぎをして、すぐに通夜に向かわせてもらおうと上司に報告(申し出)したところ、「今日は、終業時刻まで仕事をしろ」という指示でした。
釈然としない思いで夕方まで仕事をして、急いで実家に帰りました。
着いたのは、通夜の儀式は全て終わっていた夜の10時過ぎ・・・。
当時は、自宅で通夜を行っていましたから、近所の方々が何人か残ってくれていました。
口々に「大変だったねぇ。」と、温かい声をかけてくださいました。
私は、「ありがとうございます。申し訳ありません。」と、お礼とお詫びを繰り返し繰り返し言うしかありませんでした。
父も母も何も言いませんでしたが、恐らく「大きい・立派だと言ってたって、(長男を)すぐに大切な身内の葬儀にも帰してくれない(会社)なんて・・!」と、強く思ったことでしょう。
と言うより、何よりも一番、自分が情けなく思いました。
その時に誓ったのは、人の"入口"と"出口"だけは、何よりも最優先する(させる)ということ。
いずれ自分が部下を持った時、あの時のような思いだけは絶対にさせまいと決めました。
そして、それだけはこだわり続けました。
実際に何人かの部下からは感謝されました。
でも、感謝していただくには当たらないと思います。
なぜなら、それが当たり前の「人の道」だからです。
あの時、あの上司は、あの組織は、あの会社は、何故「すぐ帰れ」と言えなかったのでしょうか?
祖母の命日はいつも、そんな思いで迎えています。
初めて実家を離れて仙台に行きましたが、夏休みや春休みに帰省する時には、普段は食器棚にしまってある私の茶碗を出しては、待っていてくれた祖母でした。