« 打ち上げ | トップページ | 三遊亭圓朝の年譜 »

2013年6月15日 (土)

「揺れるとき」という噺

「揺れるとき」は、三遊亭圓窓師匠が一昨年の「圓朝まつり」の奉納落語会で、自作自演でお演りになった人情噺。
落語中興の祖「三遊亭圓朝」を主人公に、引退した架空の噺家「三遊亭西生」との関わりと、横軸に安政の江戸大地震を入れ、圓窓師匠の芸論がふんだんに盛り込まれています。
僭越ながらチャレンジさせていただきましたが、この噺が創作された経緯などについて、ちょっと説明しておきます。
ゆれるとき
師匠から頂戴した「揺れるとき」の高座本(ネタ本)の巻末に、「創作のきっかけ・・・」という師匠のコメントが以下のように載せられています。
平成23年3月11日、東日本を襲った津波の様子を自宅にいてテレビで見ていた。
こんなことが放映されているのか・・。ライブなのか・・・。
Fw:電子メールで送信: t02200165_08<br />
 00060011402714769.jpg (中略)
その次の日の13日は、地元の扇子っ子連というアマチュアの落語指南所の発表会がある。
12日はその連の長から電話が2本入り、「明日の発表会は中止にしましょう」と言って来た。
理由を問うと、「こういう状況で落語をやっていかがなものか、と思いますので」と答えた。
あたしは即、「こういう状況でも落語を聞きたいと足を運ぶ人は必ずいるもんだ。それに出演する連の者はほとんど地元の豊島区の人なんだから、来られる人だけでもいいから高座に上がろうよ」と伝えた。
しかし、当日、その長からは「みなさんが中止に賛成しましたから、やめます」とのこと。
あたしは、自分自身を指導者失格と受け取って、この先の落語の指南を断った。
何人かが拙宅に来て、「指南を続けてください」と言う。
中には、「あたしは、師匠が中止を決めたかと思い、だから中止の賛成をしたんですが・・・」とも言う。
つまりは、連の長はあたしの意向を連中にちゃんと伝えず、中止にしたいという自分の気持ちを優先させた結果のようだ。
落語を趣味で聞く分には、個人として存分に楽しめばいい。
しかし、演るとなると、聞く人が必要になってくる。
その人への責任も感じ取らなければならない。
「プロはすごいんですね」と言う人がいたが、演るということに関しては、プロもアマもない。
責任を果たさなければいけない。
連の長に、あたしの了見が伝わらなかったのが、寂しかった。

そうなんです。
私もメンバーになっている扇子っ子連の発表会「千早亭落語会」の中止(延期)が、あの人情噺の創作の大きなきっかけになっているんだそうです。
さらに師匠のコメントは続きます。

そこで、落語協会から頼まれた圓朝まつり(8月7日)に於ける圓朝に因んだ創作の構想の中に、あたしのこんな了見を挿入できないか、と考えた。
と、いうのは、圓朝が真打になった年の安政2年に安政江戸地震が起きている。
これだ!
しかし、あたしの了見は圓朝には言わせず、フィクションで登場させる圓朝の先輩格の長老に言わせようと、構想をスタートさせた。
Fw:電子メールで送信: t02200156_06<br />
 40045311402786557.jpg  (後略)

こんな経緯のある噺なんです。
東日本大震災と安政の江戸大地震と三遊亭圓朝が、こんな形で重なりました。
「揺れるとき」のストーリーをご紹介しましょう。
                        
安政2年10月2日(旧暦・新暦では11月11日)。
相州(相模国)の神奈川宿のはずれで一人暮らしをしている盲目の元噺家「三遊亭西生」の家を、7ヶ月前に真打に昇進したばかりの16歳の「三遊亭圓朝」が訪ねて来る。
西生は、6歳の圓朝が「小圓太」で初高座を勤めた日のことも克明に覚えていた。
また、圓朝の父「橘家圓太郎」とも親しく、二人で身延山へお参りをして、鰍沢あたりで道に迷った思い出などを語る。
西生は圓朝が気に入り、二人の会話は酒を酌み交わしながら延々と続き夜になる。
西生の師匠である初代圓生から教わった芸談から、圓朝は、西生に「寿限無」の稽古をつけてもらうことになる。
喜んだ西生が「寿限無」の後半にさしかかる頃、突然大きな地震に襲われる。
これが、安政の大地震である。
ひるんだ圓朝に、西生は微動だにせず「寿限無」を続ける・・・・。
Photo_3
明治32年10月(新暦)。
あれから44年後の日本橋木原店の寄席。
功なり名を上げた圓朝も既に還暦。
前月から体調を崩してはいたものの、トリで「怪談牡丹燈籠」を演じる。
(実は、この日が圓朝の最後の高座になる。)
この寄席の芝居に、毎日通っている60歳前後の婦人がいた。
圓朝が「牡丹燈籠」を語っている途中にまた大きな地震が起きるが、圓朝は微動だにせず噺を続ける。
そして客席でも、慌てて外に逃げ出してしまう客が多い中で、その婦人もまた微動だにせずに噺を聴いている。
寄席がはねた後、この婦人が楽屋に圓朝を訪ねて来る。
婦人は、44年前に圓朝が訪ねて稽古をしてもらった西生の一人娘だと言う。
西生は既に亡くなっていたが、生前、圓朝が訪ねてくれたことを喜び、安政の大地震にも微動だにせず稽古を受けてくれた圓朝のことを褒めていたと。
そして、地震が起こってもびくともしなかった圓朝を、父親の位牌を抱いて聴いていたと。
圓朝は、西生の位牌を立てて、お経を唱えて、西生に語りかける。

・・・こんなストーリーです。
打ち上げ
史実とフィクションを合わせた人情噺に仕立てられています。
西生は、若き圓朝への期待を込めて自らの芸論を伝える。
これこそが、圓窓師匠の噺を演ることの責任だとか、落語への姿勢を語る部分になっているのです。
一昨年の「圓朝まつり」で、初めてこの噺を聴いた時、私は「この噺こそ、我々の千早亭のメンバーが演らなくてはいけない」と、勝手に決め込みました。
それも、東日本大震災が人々の記憶に新しいうちに・・と。
そこで、恐る恐る師匠にお願いしてみました。
すると、師匠は快諾してくださいました。
そして、稽古会で「永久さんが、この噺の継承者だ」と、言ってくださいました。
「揺れるとき」は、そんな経緯のある噺なんです。
だから、演らせていただきました。

« 打ち上げ | トップページ | 三遊亭圓朝の年譜 »

落語・噺・ネタ」カテゴリの記事