金願亭乱志
色々な思いを背負った高座でした。
3月に父が逝去し、暫く高座に上がれませんでした。
「揺れるとき」は、東日本大震災の直後に、師匠の「奉納落語会」でのネタ下ろしを聴き、さらにその創作のきっかけのひとつが我等「扇子っ子連・千早亭」にありと聞くに至り、「いつか必ず師匠にお許しいただいてやろう」「この噺を演るのは自分しかいないんだ」などと、勝手に思い込んでいました。
「奉納落語会」を一緒に聴いた「Ⅰさん」からは、「本当にあんな難しい噺をやる気なのか?」と、何度も言われ(呆れられ)ました。
実は、昨年の「千早亭落語会」で、一度高座にはかけましたが、当時は師匠が体調を崩されて休養していた時期だったので、読み稽古程度の段階での高座でした。
第二の故郷を襲った東日本大震災への強い思い、亡き父への思い、師匠から託された噺の継承、長い・暗い・つまらないとの評価に対する答え、自分自身の落語に対する様々な思い・・・。
・・・と、色々なものを背負った高座でした。
直前の稽古で師匠から、「何度も演ってるの?」と尋ねられました。
「いいえ、昨年千早亭で一度演らせていただいただけです。」
「そう・・・。いいね、いい。
この西生が嫌味がなくてとってもいいよ。本当にいい西生に仕上がってる。」
師匠の高座本や音源とは、長さや技量の関係で、かなりカットしたり、場面の順番を変えたりしているところについては・・・、「噺の構成もすっきりしていていいよ。」
そして、師匠からアドバイスも頂戴しました。
「牡丹燈籠を演じた圓朝がお辞儀をする場面は、しっかり指を伸ばして手をつくこと。何と言っても、あの圓朝なんだから、流三(乱志)ではないのだから。」
「そしてお辞儀はゆっくりと。この時にお客さんが噺全体が終わったと勘違いして、拍手することもあるかもしれないけれども、動じることなく噺を続けることが大事だよ。」
「繰り返して稽古することによって、さらに的確な言葉が豊富に出てくるものだ。演者の持つボキャブラリーが出て来れば、完成度はさらに高くなる」・・・等々。
「鰍沢」を思わせるシーンは、今年の元旦にお参りした鰍沢の小室山妙法寺や法論石を思い出しながら、「牡丹燈籠」の駒下駄のシーンでは、よく歩き回って知っている不忍池や清水堂を思い出しながら、「寿限無」の場面では、父の葬儀の後に行った菩提寺の境内を思い出しながら、西生の独白の部分では、あの南三陸町の瓦礫の山を思い出しながら・・・・。
冒頭で、前から言おうと決めていたフレーズを言いました。
「六代目三遊亭圓窓作”揺れるとき”。
この噺を東日本大震災で被害に遭われた皆さまに、謹んで捧げたいと思います。
どうぞもう暫くの間、ご辛抱をお願いいたしておきます。」と。
そして、「そうだとも、位牌(委細)承知さ」・・・。
オチを言った時、この噺で唯一の笑いがあったのが、想定外であり、望外の喜びでした。
・・・そして噺は、無事終わりました。
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