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父が逝ったのは、まだ寒さの残る3月4日の早朝でした。 あの悲しい朝から3ヶ月経ちました。 もう?という気持ちと、まだ?という気持ちが錯綜しています。 父は落語のことは全く知りませんでしたが、最近、落語の稽古をやっていると、例えば「揺れるとき」の中の三遊亭西生という元噺家のところどころに、父が宿っているような気がします。 直接何か諭したりする父ではありませんでしたが、倅を信頼しながらも心配していた、ありし日の姿を思い出します。