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2013年5月11日 (土)

「揺れるとき」へ師匠の思い

圓窓師匠創作の「揺れるとき」にチャレンジしています。
この噺のネタ下ろしは、2年前の8月です。
「圓朝まつり」の奉納落語会のために創作されたものです。
師匠は、圓朝と安政の大地震をテーマにしながら、実は直前に起こった東日本大震災の直後の「扇子っ子連・千早亭落語会」の出来事から、師匠ご自身の芸談を、架空の元噺家が、若き真打圓朝に語りかける形で展開させています。
偶然、自分のこのブログを読み返していたら、7月に師匠のブログでの芸談のことを書いてあるのを見つけました。
まだ、「揺れるとき」を創作している最中のもので、私はこの噺のことは知る由もありません。
師匠が、創作の過程でコメントしたものです。
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2011/07/post-fc82.html
天災のあるたびに思い出す事がある。
友人の話したことである。
その友人が終戦直後、ある公演を聞きに行った。
それも、その日は、嵐。
たぶん、中止だろう、と出掛けた。
しかし、やります、という入口の人の声。
広い会場に、4、5人の入りだった。
出演する側も全員は揃わず、とりあえず、楽屋入りしたものから、登場した。
その中で、一人。徳川夢声。
最初に言った言葉に、友人は感動した、という。
「入りが少ないからと言って、手を抜く事は許されない。少なければ少ないほど、全力投球する。4、5人だから、と手抜きをすれば、そのことは、4,5人の口から、2乗、3乗、10乗、20乗になって広まっていくだろう。今日の我々の生きざまを聞いてください」
冒頭に、こう言ってから、「宮本武蔵」に入ったそうだ。
帰りの風雨は、顔面の涙を洗い流すようだった、という。

また、別の時には、東日本大震災のおかげで、何でもかんでも中止されている中で、こんなことも仰っていました。
災害、被害、台風、交通機関ストップ。
こんな最中でも噺家は、「行かねばならぬ」という本能が働く。
それは、こういう状況下でも足を運んでくださる方々が必ずいるからだ。
だから、主催者が中止を発表するまでは、足はひたすら会場に向く。
こういう状況下では誰しもが、不安になり「行きたくない」と思う。
たとえ、行きたくとも交通がストップすれば諦めるより仕方がない。
客席の頭数は多くを望めない。
出演者にとって、客席の頭数うんぬんより、大事なことがある。
こんなひどい状況下でも「聞きたい、見たい」で会場まで足を運んでくださるお客が必ずいるということだ。
出演する側だって、「行きたくないよ、こんな日に」と愚痴めいた言葉が頭によぎることはある。
しかし、こういう状況下にいらっしゃる人のことを考えれば、噺家冥利に尽きるというものだ。

・・・まさに、このフレーズが「揺れるとき」の中に入っています。
「こういうお方が一人でもいる限り、噺を捨てちゃあいけないんだ。それが噺家の勤めだ」と。
さらに、噺家(プロ)だけではなく、素人(アマチュア)でもそうだと仰っています。
このあたりの心理や了見を、果たして上手く表現出来るでしょうか?

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