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2013年5月 6日 (月)

東京新聞の落語家評

pen先月の東京新聞の記事です。
ある噺家さんの評が書かれていました。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/entertainment/tradition/CK2013041602000190.html
落語に独自の解釈を積極的に盛り込む落語家が近年多くなってきた。
観客はその内容で演者の個性を見極め、好き嫌いをはっきりさせている。
こうした中から人気演者も生まれている。
このようなことは明治時代からあったことで今という時代が特殊なわけではない。
落語が現代に生きる芸であり続ける証しでもある。
ところが識者、評論家は、先人はそのように演じてはいなかったと批判したがる傾向がある。
私はその姿勢にこそ落語評論の限界を感じる。

私は、必ずしもそうは思いません。
そういう人(際物のような人)もいないといけないということだと思ってはいます。
圓窓師匠創作の「揺れるとき」では、劇中の圓朝に、先輩が「古くから伝わる良いものをやるだけではなく、新しいものも創らなくちゃいけない。新しいものを創る時は傷(苦労)が付き物だが、やらなくっちゃあいけない」と諭す部分があります。
圓朝の芝居噺も、当時は"際物"だったのかもしれません。
でも、当時の新作落語が、現在の落語の幹の一つになっていることも論を待ちません。
だから、色々な噺家さんが、色々な個性や演出をしてこそ、斯界は隆盛して行くものでしょう。
私も、落語のペースと品格は不可欠ですが、これを踏まえたチャレンジは必要だと思います。
落語評論の限界については、私には、現代の識者や評論家は、むしろ薄っぺらで騒がしい解釈や個性のようなものを、ことさら誇大に評価して、地道な個性を無視しているように思います。
さて、この記事で採り上げられた噺家さんですが、私はあまり好感持っていない噺家さんです。
とても雑な芸風だった記憶があるからです。
まぁ、要は好みの問題ですから、良し悪しではないと思いますが、私はその方向には行かないでしょう。

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