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2013年5月 4日 (土)

堀之内妙法寺

paper元々は真言宗の尼寺だったそうです。

1615年 - 1624年(元和年間)日逕上人は、母・日圓法尼の菩提のため日蓮宗に改宗。
山号は日圓法尼に因み日圓山とし寺号を妙法寺とした。
初めは碑文谷法華寺の末寺となったが、1698年(元禄11年)碑文谷法華寺は不受不施派の寺院として江戸幕府の弾圧を受け、改宗を余儀なされ、身延久遠寺の末寺となった。
このころ碑文谷法華寺にあった祖師像を譲り受ける。
日蓮の祖師像が厄除けに利益があるということで、江戸時代より多くの人々から信仰を集めている。
現在でも、厄除けなどの利益を求め、多くの人が参拝に訪れている。
古典落語「堀の内」の題材にもなるなど、街の顔にもなっている。


本堂の後背に、日朝堂というのがあります。

本堂左奥に建つ「日朝堂」は、文政11(1828)年第二十世日憲上人代に創立され、身延山十一世行学院日朝上人の御尊像が奉安されています。
室町時代、多くの学業を成し遂げた日朝上人は、眼病を患うほど勉学に精進されました。
回復後、ご自身と同じように眼病を患った人々を救いたいと大願をたてたところから、「学問と眼病の守護」としても崇められるようになりました。
稀世の学匠として高名であったことから、学業増進・受験合格等、勉学の願いが叶えられることで有名になりました。

受験シーズンになると多くの人々が訪れています。
実は、次に行った所にも、「日朝堂」がありました。
落語もそうですが、日蓮宗でも「朝」という字の付く人は、偉いんですね。
日蓮宗に日朝上人、落語界に三遊亭圓朝・・・なんて。
堀ノ内妙法寺
その日朝堂の横に、真新しい碑が建っていました。
「有吉佐和子の碑」とありました。
「複合汚染」「恍惚の人」などのベストセラーで知られる作家の有吉佐和子さんは妙法寺のすぐ近くに住んでいました。
境内を通って帰宅されることも多かったということです。
ご当人はキリスト教の信者だったのですが、妙法寺をこよなく愛されていたこともあり、「有吉佐和子の碑」が境内に作られたそうです。
堀ノ内妙法寺

祖師堂の傍らに、「鉄門」があります。
明治11(1878)年、日本の近代建築学会の恩師といわれる英国人J・コンドル博士(鹿鳴館・上野博物館・ニコライ堂などを設計)設計による貴重な和洋折衷様式の鉄門です。
扉上の中心に極彩色の鳳凰を抱く鉄門は、寺院の門としては特殊なもので、文明開化を推進した和洋折衷を強く意識した門と言えるでしょう。
当時としては斬新なデザインでしたので、ものめずらしさに見物に訪れる人も多かったようです。
妙法寺の参道は、確か新宿あたりからずっと繋がっていたはずです。
お祖師様のご利益は、江戸の庶民には絶大だったのでしょう。
この参道を東に戻り、環状7号を横断して進むと、和田帝釈天というお寺もありました。
南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経・・・・。

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