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2013年5月 4日 (土)

池上本門寺へ

久しぶりに池上の駅を降りて、本門寺の参道を歩きます。

どうも、寺社の参道には、煎餅とくず餅と団子が多く売られていて、甘味処と蕎麦屋と寿司屋が多い気がします。
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池上本門寺は、身延山久遠寺から療養のために常陸の国に向かう途中、日蓮が亡くなった場所です。
駅から徒歩数分、総門が見えて来ます。

総門は、寺社へ参詣する人が最初に通る門で、清浄の心身にて通らなければなりません。
五重塔、大宝塔、経蔵などと共に、昭和20年4月15日の戦災を免れた数少ない古建築の一棟として重要である。昔から世に知られ、安藤広重の「江戸百景」や「江戸近郊八景」にも描かれています。
簡素ながら、主柱間5.3メートルを測る壮大な門です。
記録は失われたが、第22世日玄聖人代の元禄年間に建立されたと伝え、様式的にも技法的にも、ほぼ妥当とされる。
扁額「本門寺」は門より古く、寛永4年(1627)本阿弥光悦の筆になる。

この石段、「此経難持坂(しきょうなんじざか)」というそうです。
熱心な法華信者で築城家としても有名な、加藤清正公の築造寄進。
同公は、慈母の第七回忌にあたる慶長11年(1606)、その追善供養のため、祖師堂を建立寄進し、併せて寺域も整備しているので、その折の築造と考えられる。
第14世日詔聖人のときである。
第22世日玄聖人代の元禄年間(1688-1704)に大改修されているが、清正公当時の原型を残す貴重な石造遺構である。
・・・一気に登りましたが、かなりしんどいですね。

そして、息を切らして歩く先に、やっと仁王門(三門)が見えて来ます。
共に昭和20年4月15日の空襲で灰燼に帰し、三門は同52年に再建、仁王尊は同54年に新造された。
三門は山門とも称されるが、正式には三解脱門の略。
中心伽藍へ入る重要な門であり、三種の解脱(さとり)を求める者だけが通れる。
多くは重層の仁王門とする。
例年、盛大に厳修されるお会式の、お逮夜(10月12日夜)の万灯行列が支障なくくぐれるよう、通常より下層の桁と梁の高さを上げてある。
扁額「長栄山」は第80世金子日威聖人の揮毫になる。
ちなみに「栄」の字は旧字だが、伝統的な慣習で、火伏せのため、冠りを「火」2つでなく「土」2つとしてある。

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好天に恵まれて、紫外線も多いのか、顔がこわばって来ました。

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