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2013年5月 4日 (土)

池上本門寺で

paper池上本門寺は、日蓮聖人が今から約七百十数年前の弘安5年(1282)10月13日辰の刻(午前8時頃)、61歳で入滅(臨終)された霊跡です。

日蓮聖人は、弘安5年9月8日9年間棲みなれた身延山に別れを告げ、病気療養のため常陸の湯に向かわれ、その途中、武蔵国池上(現在の東京都大田区池上)の郷主・池上宗仲公の館で亡くなられました。
長栄山本門寺という名前の由来は、「法華経の道場として長く栄えるように」という祈りを込めて日蓮聖人が名付けられたものです。
そして大檀越の池上宗仲公が、日蓮聖人御入滅の後、法華経の字数(69,384)に合わせて約7万坪の寺域を寄進され、お寺の礎が築かれましたので、以来「池上本門寺」と呼びならわされています。

ここでも聞こえる、木魚と鐘の音と読経の声が、とても清々しい。
改めて、父を思い、大堂(祖師堂)で手を合わせました。
旧大堂は、昭和20年4月15日の空襲で焼けてしまい、戦後は仮堂でしのいでいたが、第79世伊藤日定聖人が精力的に各地を行脚し、全国の檀信徒ならびに関係寺院等からの浄財寄進を得て、昭和39年、ようやく鉄筋コンクリート造の大堂の再建にこぎつけた。
聖人は落慶後ほどなくして遷化されたため、大扁額「大堂」は第80世金子日威聖人の揮毫になる。
内陣中央の大型御宮殿(建築厨子)に日蓮聖人の御尊像、いわゆる祖師像を奉安し、向かって左に第2世日朗聖人像を、右に第3世日輪聖人像を安置する。

お参りをして、少し離れて建っている五重塔に向かいます。

関東に4基現存する幕末以前の五重塔のうち、一番古い塔である。
本塔のそもそもの発願は、のちに徳川2代将軍となる秀忠公の病気平癒祈願にあった。
文禄2年(1593)のこと、15歳の秀忠公が悪性の疱瘡にかかり、一命も危うい容態におちいってしまった。
そこで、熱心な法華信者であった乳母岡部の局(のち正心院)が、大奥より池上へ日参し、あつく帰依していた第12世日惺聖人に病気平癒の祈願を託され、「心願が成就したあかつきには御礼に仏塔を寄進する」との念でひたすら祈った。その甲斐あって快癒し、将軍となった後、その御礼と、あわせて武運長久を祈り、慶長12年(1607)に建立〔露盤銘〕、翌13年に上棟式を厳修した〔棟札銘・焼失〕。

そして、ここにも日朝堂がありました。
常唱堂、題目堂とも呼ばれ、行学院日朝聖人像を奉安している。
お題目修行の場として、昭和48年に再建された。
Fw:電子メールで送信: 1300398596.j<br />
 pg
父の2月命日の供養として、こんな形がありうるのか、許されるのかは分かりませんが、昨日から2日間で4つの同宗の名刹をお参りして、私なりの追善が出来たような気がしています。
改めて父に感謝しつつ。

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