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2013年5月

2013年5月31日 (金)

会報「あおば亭」配信

会報「あおば亭」の第3号が完成いたしました。
早速、談亭志ん志師匠が、OBの皆さんに配信してくださいました。
私の拙文をつけてくださいました。
おかげさまで第3号ということで、初回から裏を返し、何とか馴染みになれそうです。
今号は、多趣味亭こり生さんの叙勲のニュース、三柳亭文枝さんのラジオ番組、桂友楽さん の仙台落語事情、杜の家頓平さんの落語の舞台を歩く会レポート等の内容となっています。
編集の拙さは、ご投稿くださった方々の名文でお許しいただきますように。
Fw:
続けて行くことが大切ということで・・・。bb

皐月の落語徘徊

・・くくくぅぅ・・。何と低調な1ヶ月だったこと・・・。
今月は、3ヶ月弱のブランクのあった稽古に復帰出来たのが、最大の出来事?でしょう。
しかし、落語っ子連の稽古(日曜日)には2度顔出すことが出来たものの、扇子っ子連の稽古(火曜日)には出られませんでした。
落語会は、17日の「東京落語会」に行っただけでした。Fw:
20日に、このブログへのアクセスが44万件に達しました。
年内に50万件に達することが出来るかもしれません。
年末でちょうどオープンして4年目になります。
会報「あおば亭」
それでも、来月の「お江戸あおば亭」を控えて、プログラムやらチラシやらの準備、それからOB会だより「あおば亭・第3号」の編集等々・・・、やっていました。
mm
今月は、仕事で大阪出張が4度もありましたので、新幹線の中で暮らした時間も相応にありました。
車内点検?
のべ20時間、のぞみちゃんにお世話になりました。
その中では、指定席を間違えたり、自分の過去の稽古の録音を聴いて冷や汗を流したり・・・、それなりに大騒ぎでした。
歩き稽古
日比谷公園を通る歩き稽古、自宅での風呂稽古も、とりあえずやってみました。
来月は、いよいよ「お江戸あおば亭」です。
半年振りの高座に、やや緊張しています。

自分が目標?

一昨日の出張帰りの新幹線で。
稽古を録音したレコーダーで、「揺れるとき」を再生しようとして、ふと「以前どんな噺の稽古を録音していたのかな?」と、懐かしさも手伝って聴いてみました。
自分が目標?
暫く、稽古での録音はしていなかったので、もう3年以上も前のものですが、師匠との芸談と、「三方一両損」と「浜野矩随」などが録音されていました。
「浜野矩随」は、何度も師匠に聴いていただき、録音も2本残っていました。
しかも、師匠から褒めていただいているコメントも入っています。
「揺れるとき」は置いて、2本を聴いてみました。
自分で言うのも何ですが、とても上手いんです。
声も、間も、感情移入も。
師匠も、かなり詳細な仕草のアドバイスをしてくださっています。
1 本には、マクラが終わった所で、わざわざ噺を止めて、「褒めたいから。マクラの語りが一本調子でなく、しっかりメリハリが付いていて素晴らしい。(息子さんの)窓輝(さん)に見習わせたいよ。」とのコメントも。
今の「揺れるとき」と比べると、あの頃の「浜野矩随」の方が数段上手い…。
何が違うのか…。
まずは稽古の量。
そして、邪念のなさではないかと。
過去の自分の噺がライバル、目標になるとは思いませんでした。
あと10日、「浜野矩随」を超えられるよう。

高座手拭い

いよいよ「お江戸あおば亭」が近づいて来ました。
高座手拭い
今度の「お江戸あおば亭」で使う手拭いを買いました。
高座手拭い
着物の色と噺の内容から、とりあえず2種類。
いつものように、当日の瞬間の閃きで決めようと思います。

2013年5月30日 (木)

呆れてものが…

またまた新幹線の座席のこと。親分、てぇへんだぁという・・・。
呆れてものが…
昨日の出張の帰りの指定席は【14号車13番A席】でした。
何度も口で番号を繰り返しながら座りました。
落語の「平林」みたいに、14号車13番・・・と歌いながら。
席に荷物を置いて、ホームの自動販売機でお茶を買って戻ると、カップルが席の通路に立っていて…。
席を見ると、私が荷物を置いたのは、「14番」でした。
あちゃぁぁー!
14は号車番号じゃないの! (たいらばやしかひらりん)
すぐに2人に平身低頭にお詫びして、一つ前の席に移りました。
カッコ悪ぅ!
新大阪を発車して京都に着く直前、検札が来るので、何気なく見ると、席は「15番」と表示されているではありませんか。
んっ?15?違うやんけぇ! (いちはとじゅうのもっくもく)
15番じゃないよ。「13番」だよ。
だから、席を移るのは、一つ前ではなくて、一つ後の席 (;O;)
慌てて、また引っ越しです。 (ひとつとやっつでとっきっき)
正しい席に移り終えた直後、京都駅に着いて、今までいた席に人が座りました。
滑り込みセーーーフ・・・。
物凄いショック ☆=>=>=>(+_+。) 暫く自己嫌悪状態でした。
意識し過ぎて、かえって“どつぼ”にはまってしまったようです。
それとも、本当に呆けが始まったのでしょうか?

二つ目昇進

落語協会の3人の前座さんが、11月から二つ目に昇進するそうです。
     ・柳家獅堂門下の「いっぽん」さん
     ・柳家権太楼門下の「おじさん」さん
     ・林家木久扇門下の「木りん」さん
最近の前座さんの名前は「ん?」というのもありまして。
「おじさん」さんは改名して「おじいさん」さんになったりして。
「柳家フラワー」「三遊亭ございます」「三遊亭しあわせ」さんあたりは、その範疇に入るかもしれません・・・。
確か「三遊亭ありがとう」っていう前座さんもいましたが、廃業してしまったようです。
最近は寄席に行かないので、初々しい前座さんの高座もなかなか拝見できません。
それでも、「おじさん」さんは聴いたことがある気がします。

噺家はへりくだるもの

こんな記事を見つけました。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130526-00010000-wordleaf-ent
当代の桂文枝師匠が、先代の文枝師匠から言われた言葉。
芸人とはどういう仕事なのか、自分が入った世界はどういう世界なのか。
昔からの友達であっても、もう普通にはしゃべられへん世界に自分は入ってしまったんや。
好きで進んだ道。女手一つで大学まで行かせてくれた母親を悲しませてまで入った道。
せやけど、やっていけるんやろうか。
ホンマにこれでよかったんやろうか。
いろいろな思いがめぐって、その晩はとにかく涙が出ました。

・・・そういう世界なんですね。
少なくとも、昭和の時代までは。

2013年5月29日 (水)

梅田スカイビル

大阪のランドマークでもある梅田スカイビルに行きました。
梅田スカイビル
初めて、空中庭園にも上がってみました。
大枚700円の入場料を払って…。
梅田スカイビル
久しぶりに高い所へ行くのでやや緊張しました。
梅田スカイビル
大阪の地理には詳しくありませんが、梅田周辺は再開発で大きく変わっています。
天気が良ければ、かなり遠くまで眺めることが出来そうです。
梅田スカイビル
平日の午後ですいていましたが、外国人観光客が目立ちました。

富士山

今日は天気が良くないので、富士山は見ることが出来なかったはずです。
富士山
どうせ見られないだろうと、新横浜を出るとすぐに、昨日は封印していた、「揺れるとき」の稽古の録音を再生しながら眠ってしまいましたから。
その代わりと言ってはなんですが、車中に富士山の写真が掲示されていました。
富士山
ところで、車中では、今月の2回の録音を聴き比べましたが、どうも前の回の方が聴きやすいようです。
先日の日曜日のは、人物を際立たせるために、発声に無理があるようです。
この2回をミックスして、さらにテンポを上げる…。
本番では、そうしよう…。

5号車2番E席

最近、指定席の確認にことさら神経質になりました。
5号車2番E席
何度も、切符と車内を見て、「鶴の千三百…」って、富くじの当たり番号を確認しているみたいです。
5号車2番E席
今朝は、5号車2番E席。
5号車2番E席
…宝くじに当たらないかなぁ。
買っていないから、当たらないだろうなぁ。
当たったら…、当たる訳ないか。

今月4度目の

今日は今月4度目の大阪出張です。
今月4度目の
大阪のオフィスで、学生さんを集めて会社説明会です。
一時ほどではないにせよ、学生さんたちにとっても就職活動は大変です。
3年前の息子の時を思い出します。
最近はウェブ採用というのか、世の中、我々の頃よりも大量で雑な採用になった気がします。
ヒューマンタッチがなくなって。
それから、学生たちも氾濫する情報に溺れてしまい、下手な鉄砲をいたずらに数撃って、個別企業や業界の勉強や研究が出来ていません。
さらに、テクニックだけ教えられ、志望動機を丸暗記してくる学生も多くいます。
それも、中途半端な暗記ですから、酷いのなんの。
自分の言葉で落ち着いて語ればいいのに。
それから、新聞を読んでいませんね。
そもそも自宅で新聞を購読していない家庭が多いのに驚きます。
…いつもの「のぞみ207号」です。
今朝は梅雨入り間近のあめ雨模様ですから、富士山は見えないでしょう。
待合室も混雑して来ました。

「読売GINZA落語会」終了?

「ル・テアトル銀座」で開催されている「読売GINZA落語会」が27日の第40回で最終回だったそうです。
どなたかのツイートで知りました。
この落語会は2001年に始まり、年3・4回程度のペースで開催されていました。
私も、何度か行きました。
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2010/03/post-babd.html
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2011/07/post-babd.html
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2011/11/post-babd.html
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2012/06/post-babd.html
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2013/02/post-8.html
ベテランから気鋭の若手までが幅広く出演し、2000年代後半の落語ブームを先導する役割を果たした。
5月末の劇場閉館に伴い終了が決まった。
トリで高座に上がった立川志の輔さんは「12年間の最後を飾らせていただく。エベレストに登頂したような気持ち」と語り、会場を沸かせていた。
http://69.194.230.19/~newxipin/r.php?nin_u=Oi8vd3d3LnlvbWl1cmkuY28uanAvZW50ZXJ0YWlubWVudC9zdGFnZS90cmFkLzIwMTMwNTIwLU9ZVDhUMDA3NjMuaHRt&nin_b=1
読売新聞社主催の落語会は、2014年春に完成する予定の大手町の読売新聞本社ビル内にオープンするホールに会場を移して復活するそうです。
そうすると、日経ホールでの「大手町落語会」もありますから、俄然大手町が落語で活気づくかもしれません。

2013年5月28日 (火)

長崎ちゃんぽん

長崎ちゃんぽん
昨日と今日は、新卒採用の面接をやっていて、いつものランチタイムがありませんでした。
仕方なく、一人であまり行ったことのない長崎ちゃんぽんの店へ。
かなりのボリュームです。
虎ノ門界隈のランチ屋さんは、和洋中いずれも量が多く、値段は700円から800円が中心でしょうか?
今建築中の「虎ノ門ヒルズ」が完成すると、このあたりは随分変わるでしょう。
特にランチ時は。
「虎ノ門昼(ヒル)ズ」と言うぐらいですから。

自分の噺に悪酔い?

昨日は、帰宅時も自分の稽古の録音を再生して聴きながら帰りました。
朝2度聴いて、帰りも・・と、さすがに気分が悪く?なって来ました。
悪酔い、船酔いのような感じです・・・。
こりゃいけない。
やはり、良い(上手い)落語を聴かないと身体に良くないことを痛感しました。
下手な落語を聴くと「義太熱」ならぬ「ラク熱」に罹ってしまいますから、気をつけないといけません。
・・・という訳で、今朝は歩き稽古も聴き稽古もせず、落語から離れて「絶対安静」にしていようと思います。
本当に下手なんですねぇぇ・・・。トホホ・・・。

不正アクセス?

ヤフージャパンのサーバーに不正アクセスがあったそうで、個人情報が流出しているのではということでしたが・・・。
トップページに、「ご自身のYahoo! JAPAN IDが対象か確認してください。」というコメントがあったので、確認してみました。
「5月16日の21時頃にYahoo! JAPAN IDを管理しているサーバに不正アクセスがあったことが判明しました。ご迷惑をおかけして申し訳ございません。
不正アクセスされた情報だけでログインされることはありませんが、お客様のIDが不正アクセスの対象となっているかお知らせさせていだきます。

対象ではありません。
IDが不正アクセスされた可能性はありません。」

何のことか分かりませんが、私は無事のようで・・・。
不正アクセスと懸けまして、空き巣と解きます。
その心は、みんな留守(We 留守⇒ウィルス)が危険です・・。

東京かわら版

東京かわら版の6月号が届きました。
東京かわら版今月は入船亭扇辰さんです。
2月の国立演芸場の「鰍沢」が聴けずに残念でした。
父が危篤だったため、行くことが出来ませんでした。
確か、奥様が山梨県出身で、新潟県出身の扇辰さんとは毎日が「川中島」だということで。
「揺れるとき」の中にも、「鰍沢」に触れる部分があり、師匠からも高座本を頂戴していますので、近々チャレンジしたいと思います。
全く、かわら版とは関係ありませんが。
そう言えば、本書の予約購読が8月号分までですから、来月はまた1年分振り込まなくてはいけません。

6月の紀伊國屋寄席

第582回「紀伊國屋寄席」に師匠がご出演されます。

6月12日(水)午後6時30分開演です。
   ◇ 出来心      古今亭志ん吉
   ◇ 田能久      三遊亭窓輝
   ◇ 天災        三遊亭鳳楽
   ◇ 厩火事        入船亭扇遊
   ◇ 不孝者        三遊亭圓窓
窓輝さんとの親子共演、行きたいなぁ・・・・。

2013年5月27日 (月)

聴き稽古

今朝は、「蝦蟇の油」よろしく、自分の姿ならぬ声を聴きながら通勤することにしました。
昨日の稽古の録音を再生して聴きながらという・・、聴き稽古?
約30分強ですから、自宅を出てから2回聴くことが出来ました。
脂汗が出そうになりますが、どこをどのようにすれば良いか、抑揚の幅や要領も分かる気がします。
それにしても、登場人物のキャラをはっきりさせ、演じ続けるのは大変です。
ベテランの噺家さんならば、同じ口調で演じても、聴き側が区別してくれますが、素人はそういう訳にもいきません。
さりとて、落語は聴く側にイメージを作ってもらわなくてはいけませんから、声優さんのように、一人ひとりが完全に独立していてもいけないし・・・。

揺れるとき

前回と昨日の稽古会で、師匠に「揺れるとき」を見ていただきました。
揺れるとき
前回の師匠からのコメントと録音を聴き、スピードと抑揚を意識して演ってみました。
揺れるとき
まだまだ稽古が足りないので、言い間違いやつかえる部分も多く、もっともっとスピーディーに運ばないといけません。
それから、コアな場面場面の繋ぎが酷い!
後で、今日の録音を聴いて、感情移入が中途半端だと痛感。
緊張感を維持することと、言葉を大切にすることです。
師匠からは、圓朝が「牡丹灯籠」を演じ終えた時のお辞儀の手を揃えること、「寿限無」の場面で、「稽古がここまで来たときに」と言う言葉を入れるようにとアドバイスをいただきました。
それにしても最大の失態は、「圓朝さん」と言うべきところを「矩随さん」と言ってしまったところ…(゜o゜;
あと2週間、もっとキャラを際立たせないと。
疲労困憊…(´Д`)

高座本

昨日の稽古会で、師匠が、お願いしていた高座本を6冊、いつものように自ら印刷・製冊して持って来てくださいました。
高座本
高座本
「おせつ徳三郎(上)・(下)」「牡丹灯籠・下駄の音」「通夜の猫」「孝行糖」「厩火事」の6冊です。
「おせつ徳三郎」は長講。
オチは「鰍沢」と同じでしたが、最近は別のオチにしている噺家さんが多いようです。
師匠のオチもそうでした。
通しで出来るようになりたいものです。
「牡丹灯籠…」は、圓朝物のほんの一部を抜き出したもので、これには師匠もオチはつけていません。
この高座本をお願いしたのは、「揺れるとき」で、この一部を演じるので、全体を知っておきたかったからです。
なるほど、これもチャレンジ出来るかもしれない。
「通夜の猫」は、圓生師匠が「猫怪談」としてお演りになっていて、私は扇橋師匠を参考に、学生時代に演っているのです。
あまりにも暗いのを、師匠がマイナーチェンジしたと言うことだったので、掘り起こせないかと…。
「孝行糖」と「厩火事」は、滑稽噺の持ちネタ候補として。

2013年5月26日 (日)

東京ホタル

東京スカイツリーが開業して1年経ったそうです。
東京ホタル
そして、昨日は、10万個のLEDをホタルに見立てて、隅田川に流す「東京ホタル」が行われたそうです!
東京ホタル
東京スカイツリーも、隅田川の水をモチーフにした青の「粋」をライトアップ。
墨田区や台東区、東京芸大などの主催で、今年が2回目。
「放流権」を購入した約1万5千人が、太陽光パネルを搭載した直径8.5センチのLED「いのり星」を放流したそうです。
今年は、実家の前の川で、蛍を見ることが出来るでしょうか?
水田がなくなってしまったので、なかなか見られなくなりましたが。
来月の下旬ぐらいでしょうか?

農鳥

2~3日前、富士山に鳥が羽ばたいたような姿に見える残雪の模様「農鳥」が現れたそうです。
   農鳥
農作業を始める時期を告げるということで「農鳥(のうとり・のうどり)」と言われ、富士山麓の春の風物詩として、親しまれているようです。
農鳥
山麓の山梨県富士吉田市から、雪解けが進む北西斜面8合目付近で羽をはばたかせる姿が確認できたようです。
農鳥
本当に、鳥が羽ばたいているように見えます。
月で餅を搗く兎よりもはっきりしています。
自然のちょっとした遊びですね。

落語っ子連稽古会

稽古場に行くと、もう始まっていました。
落語っ子連稽古会
紅巣亭心童さんは、我々のメンバーではありませんが、熊本から稽古に通っている小児科のお医者さんです。
午前中は、吉窓師匠から寄席踊りの稽古も受けていて、まことに羨ましい限りです。
今日はご自身の創作の熊本弁の噺の読み稽古でした。
落語っ子連稽古会
そして、我々の稽古は、4名が稽古させていただきました。
来月はほとんど日本にいない百梅さんは、猫の茶碗の読み稽古。
落語っ子連稽古会
窓口さんは、また楽しそうな寝床の読み稽古。
落語っ子連稽古会
新参さんは、師匠から、昔の口癖が治って全快祝いだということで、豆屋を上げていただきました。
そして流三も、復帰2回目で、かなりペースが戻って来ました。
私と新参さんは、金願亭乱志・杜の家とん平として、来月8日の「お江戸あおば亭」に、今日の演題を披露する予定です。
今日も楽しい稽古会でした。

稽古場界隈

今日は、落語っ子連の稽古会。
稽古場界隈
父の逝去のために、土日に帰省していたので、2~4月迄稽古会を欠席させていただき、5月の前回の稽古会から復帰しました。
昨日の帰省は日帰りでしたから。
稽古場界隈
前回は、深川不動様にお参りし、般若心経の御守を求めました。
今回は、稽古場の古石場文化センターの周りを歩いてみました。
大横川に繋留されていた船、古石場川親水公園…。
深川や木場あたりは、運河が張り巡らされた、水運の街だというのが分かります。
今日も「揺れるとき」を見ていただこうと思います。
緊張しながら、近くのコンビニで稽古場で食べる茶菓子と飲み物を買って、稽古場に向かいます。

世間知らず?

最近、自分は世間に疎いなぁと思うことがあります。
世間知らず?
実家で使う鍵のスペアを作ることになりました。
さぁ、どこへ行ったらスペアキーを作ってもらえるのか分からない。
大切なセキュリティグッズだから、本人確認なども必要か?などと。
靴の修理屋さんで、何の手続きも要らず、1〜2分で出来ようとは。
しかも350円。
そんなものなんですね。
でも、こんなに簡単に出来て良いのかとも思いました。

落語はやおき亭

今日も暑くなりそうです。
 ◇ 阿武松   桂文字助
立川流の重鎮で、私はあまり存じ上げませんが、渋い噺家さんのようです。
ある落語家名鑑によりますと、築地魚市場が地盤で、相撲ネタがお得意の師匠だそうです。
以前にも言いましたが、立川流は、談志師匠が落語協会から飛び出して、寄席に出られなくなってからのお弟子さんが、変に目立ち、一部からの偏った評価をされています。
しかし、マスコミ受けはしないけれども、やや古いタイプだけれども、上手い噺家さんがいます。
ぜん馬師匠、龍志師匠…、いいですね。
ところで、この「阿武松」。
先日の東京落語会では、これまた一門の雰囲気とは違う林家錦平師匠を聴きました。
あまりくすぐりのない地味な噺を、地味な噺家さんが演るのもいいですね。
一緒に聴いた豚平師匠から、「この噺は、乱志君がやりたそうな噺だね」と言われました。
ピンポーン!

まもなく梅雨

今日も良い天気です。
まもなく梅雨
実家の庭の紫陽花の蕾が大きくなりつつあります。
紫陽花には罪はありませんが、いい季節が終わって、梅雨になってしまう…と、ちょっと焦りみたいな気持ちもしています。
今日の晴天を大切にしようと思います。

落語DEデート

昨日の車内稽古で声を張り上げ過ぎたからか、喉が痛い。
 ◇ 思い出   五代目古今亭今輔
聴きながら、また夢の中へ。

2013年5月25日 (土)

マッサージチェア

母が一人暮らしになり、私が今まで以上に頻繁に帰省するようになったのでと、マッサージチェアを用意してくれました。
マッサージチェア
以前は、休日に、近くの○○デンキや□□電機のマッサージチェアコーナーを梯子していたこともありました。
早速使わせてもらいました。
マッサージチェア
マッサージ中に気持ちが良くて眠ってしまいました。
ゆっくりと時間が流れます。
父が亡くなって、間もなく3ヶ月になります。

花から花へ

実家の庭で。
花から花へ
モンシロチョウが見えますか?
花から花へ
小さな花々の間を飛び回る、小さな命の営みを見て、何かホッとしている自分に気がつきます。

車中稽古

帰省する愛車の中で、「揺れるとき」の稽古。
車中稽古
前半の主人公のキャラクターを引き立たせるために、かなり大きな声で浚いましたので、喉がガラガラになりました。
表現力がないので、音の高低や強弱だけで変化をつけようとするのは、素人の限界ですか・・・。

お江戸あおば亭のチラシ

落研創生期の大先輩の「但馬家四分椿」師匠から、「チラシはまだかい?」という問い合わせを頂戴しました。
nn
早速、メールで送信しました。
四分椿師匠の同期の皆さまが、第1回目からご贔屓にしてくださっていて、今回もその方々にご案内いただけるということで、本当に有難いことです。
同時に、皆さん耳が肥えていらっしゃるので、緊張します。
暗くて、面白くないと言われないように・・・。

サラリーマン川柳

第一生命の「サラリーマン川柳」のベスト10が発表され、新聞に掲載されていました。
個人的に好きなのは・・・・
 ■電話口 「何様ですか」と 聞く新人
  ■何かをね 忘れたことは 覚えてる

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Fw:電子メールで送信: best_10_img_<br />
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それにしても、皆さんよく湧いて?来るものですねぇぇー。

寄席発祥の地

江戸の寄席発祥の地と言えば「下谷神社」。Fw:電子メールで送信: 120-2068_IMG<br />
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寛政10(1798)年に馬喰町で櫛職人をしていた京屋又五郎は落とし噺を得意とし、「山生亭花楽」と名乗り、「風流浮世おとし噺」の看板を掲げて、柳稲荷(現下谷神社)の境内で寄席興行を行ったのが、江戸における最初の寄席興行といわれています。
寛政の後の文化・文政の時代には百数十軒にも増加したそうです。
「山生亭花楽」は、後に「三笑亭可楽」と名前を変え現在まで引き継がれています。
1998年この寄席発祥の地である下谷神社の境内に記念碑が立てられました。
発祥の地の石碑の文字は人間国宝五代目柳家小さん師匠によるものです。Fw:電子メールで送信: 120-2070_IMG<br />
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碑文を確認してみましょう。
寛政十年(一七九八)六月 下谷稲荷社境内に於て
噺の会が初めて有料で催され  これが江戸の寄席の発祥と
伝えられる 二百周年に当たり之建
    平成十年四月十一日 寄席二百年顕彰会
        鈴本演芸場
        新宿 末廣亭
        浅草演芸ホール
        池袋演芸場
          世話人一同

2013年5月24日 (金)

歩き稽古

爽やかな風に吹かれて、日比谷公園通過コースの歩き稽古。

今朝は、日比谷公会堂のコースを選んでみました。

「揺れるとき」のコアになる場面を、場面毎に浚うというパターンで、歩きながらブツブツとやって行きます。
どうしても、下手を向くことが多い前半部分は、これが盲人の台詞なので、眼を閉じて言わなければならず、蛇行して歩いていると思います。
以前、師匠からアドバイスされましたが、お茶や煙草などの仕草を入れると、場面間や台詞の間が取りやすくなるということでした。
「救いの腕」ではお茶と饅頭で間を取りましたが、今回の「揺れるとき」では酒にしようと思います。
酒の入った茶碗(あるいは大きめのぐい飲み)を持ちながら、台詞の間に飲みながら・・・。
目を閉じてブツブツ言いながら、時折酒を飲む仕草をして歩いている人が、通り過ぎる人にはどのように見えるのでしょう・・・?

鰻の寝床?

また新幹線の話題で恐縮ですが、東京から新大阪駅に着く直前の右側に、新幹線の車両基地があります。
鰻の寝床?
後で調べたら、通称「鳥飼車両基地」と言われているそうです。
多くの車両が並んでいる景色は壮観ではありますが、見ようによっては、蛇のような長い生物が、ニョロニョロと集まっているようで。
白蛇か、白い鰻・・?あまり想像しないようにしています。
ところで、私は「テツオ」ではありません。
強いて言うならば、「ラクオ」です・・・。

最年長(高齢)登頂

日本人の冒険家?プロスキーヤー?が、歴代最年長(最高齢)でのエベレスト登頂に成功したそうです。
最年長登頂
とりあえずはおめでたいことですね。
私は、「よくやるよな」ぐらいの感覚で、「世の中には色々な価値観を持つ人がいるものだ」と思う程度です。
取り立てて騒ぐ気もありません。
昔、有名な冒険家で、最後はマッキンリーかどこかで行方不明になった人がいて、マスコミは随分大袈裟に伝えて英雄視していましたが、私は「そうかな…?」と思っています。
単独登頂と言っても、サポート部隊に囲まれ、見守られての登頂で・・・?
ところで、今までの最年長(最高齢)の登頂記録を持っていた、現在81歳のネパール人の男性が、すぐさま登頂にチャレンジするそうで、成功すれば「三日天下」になってしまいます。
願わくは、最年長記録だけを競うチキンレースにならないようにと。
スーパーコンピューターの性能は世界一を目指すべきですが、これは2番でもいいでしょう。
これ以上加熱したら、周りに迷惑をかけるだけですから。
勿論、ご本人の気力、チャレンジまでの鍛錬や努力には、心から敬意を表しますが。
おじいちゃん、お疲れさまでした。ゆっくりお休みください。

饅頭偉い?

「饅頭怖い」でなくて「饅頭偉い」という話題。
ソースは、いつもの日本経済新聞の「春秋」から。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO55323240S3A520C1MM8000/
お客が来るからと、饅頭を20個買ってくるよう少年が母親から頼まれる。
近所の菓子屋には饅頭がちょうど20個残っている。
しかし、店主に「よかったな。きょうはもうこれきり作らない」と聞かされた少年は、「間違えた。やっぱり18個だった」と言って18個だけ買った。
帰ってきた少年を母親は「いいことしたね」と褒めた、という話を聞いたのは立川志の輔さんの高座だった。
下町生まれの友達の体験談なのだそうだ。
そう、下町は大人にも子どもにもそんな感じあったな、と心に残った。
自分さえよければ、でなく、周りへの目配りが無理なく利いていた、と字にすれば少しやぼったい。

・・・野暮ったくても、日本人はそうなんですよね。
バスに乗って運転手さんに「お願いしますよ」と声をかける人。
街頭で配っているティッシュを「ありがとう」と言って受け取る人。
偶然に肩が触れたりしたときに「すみません」と言う人。
前を横切るときに「ごめんなさい」と言って会釈する人。
誰が良い悪いではない、どちらの勝ち負けでもない、皆が平穏・平和に生きるための術として、日本人はこんな素敵なマナーを身に付けて来たはずです。
「ありがとう」「ごめんなさい」と笑顔。
この大切な人の教育を、忘れてしまったんですね。

2013年5月23日 (木)

街角コンサート?

松戸駅西口を出てすぐのデッキで、今夜もやってました。
街角コンサート?
いつも女の子一人だと思っていたのですが、今日は二人でした。
「MCS」っていうのが、グループの名前なのかな?
マネー・キャッシュ・サービスの略?…な訳はありませんが。
駅構内での勧誘や物品販売を禁止する左側のピンクの掲示と、カラオケ店の呼び込みをしている右側の女の子の間で、今夜は遅いから、立ち止まる人もなくて、ちょっと寂しそうでした。
上方落語は、道行く人々に噺を聴かせる大道芸がベースだそうですから、派手派手、コテコテになる訳ですね。

黄色い地下鉄

久しぶりに、銀座線の黄色い電車に当たりました。
黄色い地下鉄
仕事で遅くなって、9時半頃。
黄色い地下鉄
ほろ酔い気分の人が、「明るい、明るい!」とはしゃいでいました。
(・・・田舎者は嫌ですね・・・。)

寄席の日

毎年6月第一月曜日は「寄席の日」。
今年は6月3日(月)という訳ですね。
http://rakugo-kyokai.or.jp/Topics/Details/d7ecdeec-0d32-4c4a-8c46-5d17d037f966
・・と言って、今まで「寄席の日」だからと言って、寄席に行った記憶はあまりありません。
そもそも「寄席の日」って?
きっと昨年までも同じことを考え、同じことを調べて、このブログにコメントしたはずですが・・。
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2009/05/post-bfd2.html
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2012/05/post-ca24.html
東京都内の4つの定席と国立演芸場が2000年から実施しています。
これは、江戸での寄席の発祥が、初代三笑亭可楽が1798(寛政19)年6月に、台東区の下谷神社内で「風流浮世おとし噺」の看板を掲げた興行が始まりとされることからだそうです。

会報「あおば亭」

会報「あおば亭」
OB会だより「あおば亭」の第一稿を編集してみました。
一時は、果たして間に合うかどうか心配でしたが、とりあえず形らしきものが出来ましたので一安心。
役員の皆さまに見ていただくことにしました。
よく見ると、誤字脱字もあり、校正が必要です。
「頓平」師匠を「豚平」と表記していて、ご本人から指摘されました。
うわぁ、まずい。
申し訳ありません。
豚だ(とんだ)失礼をしてしまいました。

ビル解体

かつて働いていたビル・・・。
解体元はこうでした・・・。
解体
今年の2~3月頃。
解体
今年の4月頃・・・。
解体
そして最近・・・。
上から解体されて、どんどん低くなり、3分の1くらいの高さになってしまいました。

2013年5月22日 (水)

ランチパックの一部

私は決してメーカーの回し者ではありませんが・・・。
  ランチパックの一部 ランチパックの一部 ランチパックの一部
  ランチパックの一部 ランチパックの一部 ランチパックの一部
  ランチパックの一部 ランチパックの一部 ランチパックの一部
  ランチパックの一部 ランチパックの一部 ランチパックの一部
こんなのほんのごく一部の一部の一部の一部です。
全部食べた人はいるのでしょうか?
でも、結局は、ジャムや玉子やツナやハムのような、サンドイッチの定番食材に戻る気がします。
これって、古典落語と新作落語の関係に似ていると思います。
数多くのものが創り出されても、残るのはほんの一握り・・。
・・と無理やり落語に結び付けました。

すずめ踊り

電線に・・なんていうナンセンスな踊りが、一昔流行りましたが、そんなものではなく、伝統のある踊りだそうです。

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慶長8年(1603年)、仙台城移徒式(新築移転の儀式)の後の宴席で、泉州・堺出身の石工が、藩祖伊達政宗公の前で即興で披露した踊りがはじまりと言われています。
踊る姿が餌をついばむ雀に似ており、伊達家の家紋も「竹に雀」であることから「すずめ踊り」と呼ばれました。
仙台発祥の郷土芸能であるすずめ踊りは石工の子孫によって伝承されて来ましたが、近年では市民の間にも広がり多くのグループ(祭連=まづら)が創られるようになりました。
5月の「仙台・青葉まつり」など様々なまつりやイベントで披露されるすずめ踊りは各祭連が工夫を凝らした振り付けやお囃子を競い合い、年々その規模を拡大しています。

落語で仙台と言えば「ねずみ」。伊達の殿様が出て来るのが「伽羅の下駄」あたりですが、「抜け雀」も、仙台を舞台にしても面白いかもしれません。
ただし、「ねずみ」とは完全についてしまいますが・・・。

井上ひさしの笑い

日本経済新聞の「春秋」に、井上ひさしの笑いについて述べたものがありました。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO55229790Q3A520C1MM8000/
苦しみや悲しみは人間が生まれ持っている。
でも、笑いは人の内側にないものなので、人が外と関わって作らないと生まれない。
井上ひさしはそう言った。
だから、人間の最大の仕事は、悲しい運命に瞬間でも抵抗できるようないい笑いをみんなで作りあうことだと。

井上ひさしにとって、笑いがいかに重大な関心事だったか、いかに笑いに心血を注いでいたかということでしょう。
笑い…。
いい笑い…。
難しいことですが、とても大事なことのようにように思います。

2013年5月21日 (火)

小満

今日は小満だったんですね。
「柳家小満ん」師匠ではなく、二十四節気の「小満」。
小満
陽気が良くなって、万物が次第に長じて天地に満ち始めることから小満と言われるそうです。
ようやく暑さも加わり、麦の穂が育ち、山野の草木が実をつけ始め、紅花が盛んに咲き乱れます。
梅の実がなり、西日本では、はしり梅雨が現れる頃…。
季節はめぐります。

帰りの新幹線の車窓

今日は疲れました。
帰りの新幹線
帰りは寝て行こうと、窓の外をボーッと眺めています。
帰りの新幹線
京都駅に着いて、検札が終わった後、今日も今日とて、身体に良くない弁当を食べてと。
帰りの新幹線
日が長くなったので、京都に着いても昼間の明るさです。
帰りの新幹線
「ビジネスマンに大人気!」とあったので、その言葉につられた買ってしまった私がバカでした。
帰りの新幹線
米原駅を過ぎたあたりの夕日が、水が張られた田に映って、とてもきれいでした。
それでは暫し、おやすみなさい…。

北浜

かつては、東京の兜町と並んで、株(証券会社)の街として賑やかでしたが、昔の勢いは感じられなくなった気がします。
北浜
兜町も同じですが。
尤も、最近は、例のアベノミクスのおかげで、株式相場は賑わって来ましたが、時代は場立ちではなく電子売買ですから、この街に証券マンが戻って来ることはないでしょう。

車窓

今月3回目の大阪出張。
車窓
今回は、予約するのが遅かったので、3人掛けのシート。
どうやら、修学旅行の生徒たちが乗っているので、いつもより全体的に席が混雑しているようです。
京都まで行くのでしょう。
車窓
いつもと反対側の景色は、どの駅も「裏側」側になるので、随分雰囲気が違います。
例えば、新横浜駅。
郊外の小さな駅のようです。
まだ雑然としている感じです。
車窓
暫く眠って目覚めた時に見えたのは、濃尾平野の広々とした景色。
水田は田植えが済んでいて、うっすらと植えられたばかりの若苗の緑が見えます。
これも東海道新幹線です。
このままずっと乗っていたいのですが、間もなく京都に着いてしまいます。

可杯(べくはい)

可杯(べくはい)は、さかずきの一種で、「べくさかずき 」とも言います。
可杯(べくはい)可杯(べくはい)
漢文で、「可」の字は「可 二 ○○○○ 一 」( 一 、二 は返り点)のように、常に句の上に来て、けっして下に置かない。
このことから、飲みほさなければけっして下に置くことができないさかずきのこと。
 可杯(べくはい)
可杯の形は何種類かあります。
まず、さかずきの底にちいさな穴がうがってあり、さかずきを持つ手の指でその穴をふさぎ、飲みほさなければ下に置くことができないもの。
天狗面のさかずきは、容量は8勺ほどで、その鼻(容量は5勺ほど)を持って酒を飲むもの。ひょっとこ面のさかずきは、面の口にひらく穴を指の腹でふさぎながら酒を飲む形。
「試し酒」あたりに、この「可杯」のことを触れた台詞が出て来ます。
それにしても、下戸の私にとっては恐怖の杯です。

会報「あおば亭」の編集

前回に続いて、桂友楽師匠と三柳亭文枝師匠から寄稿していただきまして、大至急編集をしなくてはいけません。
会報「あおば亭」の編集
落語会当日に配布するスケジュールです。
実は、パソコンの調子が悪いので、やや焦っています。
第3号危うし…!
頑張らなくっちゃ。

2013年5月20日 (月)

仙台青葉まつり

昨日、仙台の初夏の風物詩「仙台青葉まつり」が開催されて、豪華絢爛な山鉾が、震災からの復興への願いを込めて市の中心部を練り歩きました。
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・・・って、私は、少なくとも仙台に住んでいた頃には、こんなお祭りはありませんでした。
「七夕」と「どんと祭」ぐらいでしたよ。
江戸時代には「仙臺祭」という仙台藩最大の祭りがあり、仙台東照宮の祭礼として行われていた。
それが明治維新の影響で変容し、伊達政宗の命日(5月24日)に青葉神社の祭礼として開催される「青葉祭」に生まれ変わった。
「仙台・青葉まつり」は、系統が1つながら名称が異なる、これら2つの過去に開催されていた祭りの名称を合わせて命名された。
祭りの紹介文では「杜の都・仙台において、新緑が美しい時期に開催される」と書かれることが多いが、これが名称の由来ではない。
1985年(昭和60年)の伊達政宗没後350年に復活した祭りは、投資意欲の強かった石井亨仙台市長(在任期間:1984年12月23日 - 1993年7月3日)の時代に、バブル景気に加え、「独眼竜政宗」ブーム、仙台市営地下鉄開業、政令指定都市移行、市制100周年などを背景に拡充された。
現在の祭りの主な構成要素は、「仙台祭」「青葉祭」双方で行われていた山鉾巡行および神輿渡御、「大崎八幡宮大祭」(旧暦8月15日)で奉納されていたすずめ踊り、そして、祭りの復活が政宗没後350年であることもあって武者行列が加わっている。

うわぁぁ、てんこ盛りのお祭りなんですね。
私は、1981年まで仙台に住んでいましたから、私が仙台を出てから4年後に始まったという訳ですね。
調べてみると、現在仙台で開催されている主なお祭りは以下のとおり数多くあるようです。

  • 仙台初売り(1月2日 - )
  • どんと祭(1月14日夜)… 大崎八幡宮、仙台東照宮など
  • 仙台・青葉まつり(5月第3日曜日とその前日)
  • 一番町三社まつり(7月。海の日前日)… 一番町
  • 三滝山不動院大祭(7月27日・28日)… 中央通り
  • 夏まつり・仙台すずめ踊り(7月28日)… 宮城野通
  • 仙台七夕花火祭(8月5日)… 西公園周辺
  • 仙台七夕まつり(8月6・7・8日)
  • 金蛇水神社祭典(8月最終日曜日)… 一番町
  • みちのくYOSAKOIまつり(10月)

私は、この色のお祭りぐらいしか知りませんよ・・・。
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すずめ踊り・・? 伊達家が竹に雀だから? 
なんで「よさこい」なんですか?

フィギュア国際アダルト選手権?

フィギュアのアダルト選手権?
「アダルト」とか「フィギュア」とかの単語だけを見ると・・・。
やや、おタクな方面を想像してしまい、すぐには、スケート競技だとは気づきませんでした。
(それって変ですか?)
フィギュアスケートの「国際アダルト選手権」というのが、ドイツで行われて、アルベールビル冬季五輪女子銀メダルの日本人の元選手が、「マスターズ・エリート」部で優勝したということです。
あぁ、あの・・選手か、なんだぁ・・つま・・じゃなくて、お、おめでとうございますぅ
本日(20日)、アクセス累計が44万件に到達しました。

シネマ落語「昭和の名人」

このシリーズも第5弾です。
シネマ落語「昭和の名人」
もう観ることのかなわない"昭和の名人"たちの高座を、スクリーンで堪能する シネマ落語「落語研究会昭和の名人」シリーズ。
シネマ落語「昭和の名人」
スクリーンで観る高座シネマ落語「落語研究会 昭和の名人 五」
  ◇八代目桂文樂    「愛宕山」('70)
  ◇五代目柳家小さん  「粗忽長屋」('79)
  ◇三代目古今亭志ん朝 「反魂香」('79)
  ◇五代目柳家小さん  「笠碁」('91)■上映スケジュール
◆5月11日(土)〜5月17日(金)
 11:00/13:00/15:00/17:00/19:00
◆5月18日(土)〜5月24日(金)
 11:00/13:00/15:00
…まだ見に行くチャンスはありますね。

ノンアルコールビール

基本的に下戸な私ですが、最近はノンアルコールビールにはまっています。
       ノンアルコールビール
ノンアルコールビール
お酒飲みの方々にしてみれば、何てバカで邪道だと思うでしょう。
2ヶ月ほど前、喉が乾いた時に飲んでから病みつきになりました。
下戸がビールをがぶ飲みしたら、後が大変ですから。
甘くない炭酸飲料は、炭酸水ぐらいしかありませんから、喉ごしのシュワーッとする感じは捨てがたいものがあります。
4大ビールメーカーのノンアルコールビールを飲み比べました。
個人的な好みでランキングすると、アサヒ・キリン・サントリー・サッポロの順になります。
アサヒが、後味が一番さっぱりしていて好きです。
他の3社の差はないのですが、目覚めた時に飲んだのが、キンキンに冷えたキリンでしたから、2番目にしました。
缶のデザインは、サッポロが一番“らしい”のですが…。

2013年5月19日 (日)

銀座の喫茶店

ちょっと一休みと、昔ながらの喫茶店に入りました。
銀座の喫茶店
カウンターに腰掛けて、この店で一番安い、750円のブレンドコーヒーを注文。
味が分かる訳ではありませんが、一杯200円程度の、チェーン店のカフェのコーヒーとは比較にならない気がします。
銀座の喫茶店
そのうちに、ロシア系でしょうか、なんて言うのか、本当に綺麗な若い女性が入って来ました。
抜けるように白い肌、掘りの深い、でも穏やかで険のない、綺麗と言う表現しかない…。
東洋系の人が逆立ちしても、この雰囲気は無理でしょう。
美味いコーヒーだけでなく、図らずも目の保養をさせて貰いました。

お見舞い

実家の両親がお世話になっている人が、東京の病院に入院しているので、お見舞いに行きました。
お見舞いお見舞い
思っていたよりお元気だったので、安心しました。
お見舞い
病院を出て、近くの東劇の前を通ると、落語シネマ「昭和の名人」を上映していました。
これを横目に銀座方面に歩くと、歌舞伎座前は大混雑でした。
新しい東京の名所になりましたね。

三社祭

浅草の三社祭が開かれています。
三社祭
三社祭は、毎年5月に行われる、浅草神社の例大祭。
かつては観音祭・船祭・示現会に分かれていたが、1872年から5月17・18日に行われるよ うになり、さら現在は5月第3週の金・土・日曜日に行われています。
正式名称は「浅草神社例大祭」。
浅草神社は明治に入るまでは浅草寺と一体であり、この時代には浅草寺の祭りとして行 なわれていた。
神仏分離によって浅草寺と分離してからは浅草神社単体での祭りとなり発展したが、これは明治に入って以降のことである。
このことを表すかのように、江戸時代から謳われている江戸の大きな祭りを謳った狂歌 「神輿深川(深川祭)、山車神田( 神田祭)、だだっぴろいは山王様( 山王祭)」の中には入っていない。
とは言え、東京を代表する祭であることは間違いありません。
人混みに行くのが好きではないので、見物には行きませんが、浅草も夏が近づいていますね。
ところで、明日あたりに、アクセス累計が44万件に届きそうです。

床屋さん

行きつけの床屋さんへ。
床屋さん
落語DEデートで、浮世床を聴いたからという訳ではありません。
来月の落語会のタイミングで、ちょうど良いかな?と・・。
床屋さんのご主人は、商売柄、ご近所の情報を知っています。
ご夫婦でやっていて、洗髪とひげ剃りは、奥さんの方が丁寧ですから、上手く当たると良いのですが。
この床屋さんには、ここに越してきた時からずっとお世話になっています。
12年間、ずっと3600円です。

落語はやおき亭

この噺、喜多八師匠の十八番ですね。
落語はやおき亭
何度か聴いたことがあります。
 ◇ たけのこ  柳家喜多八
はじめの頃は、「べくない」っていう名前が分かりませんでした。
「可内」って書くんですね。
「可(べく)」の字は、もと手紙文などで「可 行候(ゆくべくそうろう)」のように必ず上に置くが、それを「ない」で否定して、下に付くの意。
人名になぞらえて「内」を当てた。
江戸時代、武家の下男の通称なんです。
「可杯(べくはい)」というのもありますね。
可という字が、必ず上に来るものなので、下に置かない(置けない)盃のことを言いますね。

ランチパック

ランチパックと言う、調理パンがあります。
ランチパック
柔らかいパンで、ジャムピーナッツバター、コロッケや玉子などを包んだのが2片入っています。
中身によって、食事にもおやつにもなる優れものだと思います。
最近、各地のB級グルメ風の具材が入っているシリーズが出ています。
横手焼きそば風、出雲ぜんざい風…なんて言う。
今日は、四日市とんてき風というのを見つけました。
まぁ、微妙な感じもしますが、パンというのは、何にでも合うんですね。
白いごはんを入れたら…ダメでしょうね。

落語DEデート

目が覚めたらちょうど6時でした。
   ◇浮世床    三代目三遊亭金馬
眠い目をこすりながら。
また金馬師匠かよ…と思いながら…。
浮世床の本を読む部分と将棋。
素朴に面白い噺ですね。

2013年5月18日 (土)

コンクリートジャングル

新宿に用事があって出かけました。
新宿と言えば、超高層ビル群。
コンクリートジャングル
入った建物の19階の窓から、コンクリートジャングルを望みます。
コンクリートジャングル
ここで地震が来たらどうしよう…などと思いながら、ジャングル(密林)の向こう、市ヶ谷の自衛隊のレーダーの横にかすかに見えるスカイツリー(木)を発見。
スマホのカメラには映っていない…(^。^;)

学士会落語会

学士会落語会の例会。
学士会落語会
今日の学士会落語会の例会には、桃月庵白酒さんが出演でしたが、よんどころない用事で、行くことが出来ませんでした。
残念…。

お江戸あおば亭のめくり

有り難いことに、直前のお願いを「H先生」がご快諾くださいました。
お江戸あおば亭のめくり
お江戸あおば亭のめくり
出演者と表題と仲入りの締めて11枚をお願いしました。
やはり、めくりと出囃子がないと落語会が締まりませんから。
多くの方々のご支援やご厚意で成り立っている訳で、一生懸命に高座を勤めないといけませんね。
本当にありがとうございます。

朝風呂稽古

朝風呂に入りながら、落語の稽古。
朝風呂稽古写真は、私ではありませんが。
昨日、東京落語会の後で頓平師匠も、「(乱志君に教わった)風呂での稽古はいいね」と仰っていました。 
半身浴ですからのぼせることなく、声も出せますから、格好の稽古場です。
ただし、私の噺は長いので、汗だくになります。
今朝は、「揺れるとき」の3分の2ぐらいをやってみました。
前半の主人公の盲目の元噺家のキャラクター作りがポイントです。
ここは先週師匠から褒めていただきましたが、もっと際立たせたいと思います。

2013年5月17日 (金)

東京落語会

今や、唯一通う落語会になってしまいました。
東京落語会
今月も他に予定が入っていません。
仕事を終えて会場に着いたのは7時ちょっと前。
「締め込み」のオチの直前あたりでした。
林家錦平師匠は、あまり聴いたことがありませんが。きちんとした語りぶりでした。
「一つ穴」という噺も、馴染みのない噺で、あまり好きなストーリーではありません。
トリの権太楼師匠は、相変わらず爆笑を誘っていました。
オチまで行かずに途中でカットしたのは残念でした。
それにしても、バカ笑いをする奴が耳障りでした。
以前、私の前に座っていた奴ではないかと思います。
以前の席あたりから聞こえて来ましたから。
そういう意味では、うっかりしていて席が変わってしまったのは、ラッキーだったかもしれません。
いつもの終演後の一献は、今夜は頓平師匠と2人だけでした。

雑司が谷ワンコイン落語会

「雑司が谷ワンコイン落語会」は、続いているんですね。
ワンコイン=500円の入場料で。
http://www.toshima-mirai.jp/center/e_zoshigaya/pr_past.html#rakugo
Fw:電子メールで送信: H220724_2_00<br />
 0_000.jpg写真は、第1回の師匠の高座で、師匠の創作「鬼子母神 藪中の蕎麦」を演っているところです。
私は、この会の前座で「子ほめ」を演らせていただき、脇で聴いていました。
この後で、師匠と並んで、お客さまにご挨拶しました。
「鬼子母神 薮中の蕎麦」は、師匠からお許しをいただいて、昨年の豊島区制80周年記念「千早亭落語会」で、ご当地噺として、私が演らせていただきました。

鬼子母神通り みちくさ市

雑司が谷の鬼子母神通りで「鬼子母神通り みちくさ市」が開催されるそうです。
Fw:電子メールで送信: H220724_1_00<br />
 0_000_000.jpg
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130515-00000011-minkei-l13
19日には、古本フリーマッケットと、荻原魚雷さん(ライター)×前野久美子さん(仙台・火星の庭店主)のトークショーを開催。
文具マニアイベント「みちくさ市ブングテン11」と三遊亭圓窓さんが出演する「雑司が谷ワンコイン落語会」、千葉県柏・流山・我孫子の農家による野菜や卵、加工品の直売市「ジモトワカゾー野菜市」も同日行う。
http://kmstreet.exblog.jp/
鬼子母神と「ワンコイン落語会」は、私にも関わりがありますので。
ただし、当日は、両親がお世話になっている人が入院しているので、お見舞いに行かなければならず、師匠の高座も拝見出来ません・・・。
上の写真は、第1回目の時の師匠の高座ですが、この時に、私が「千早亭永久」として前座を勤めさせていただき、「子ほめ」でご機嫌をお伺いしました。
3年前の7月24日でした。

死語辞典

こんな書物があるんですね。
死語辞典
要は、昔は使っていたけれども、使わなくなって忘れられた言葉の辞典だそうです。
「おい、今日はハナキンだな。ノミニケーション行くか?」
世の中には、まだまだ普通に使われている「死語」があるのだ。
グロッキー、社会の窓、アベック、ランデブー、5時から男、エアチェック……知っておくだけでコミュニケーションが円滑に進む、「死語」の奥深き世界へ、レッツラゴー…。
だそうです。
フィーバーとか、ナウいとか、アッシーとか…、きっと死んでしまっているんでしょうね。

2013年5月16日 (木)

帰りの新幹線

いつものとおり、ここで弁当を買って、ホームで電車を待って、京都を過ぎたら弁当を食べるというつもり。
帰りの新幹線
のぞみ246号が入線して来ました。
帰りの新幹線
隣にデブなオッサンが座り、HORAIの餃子と肉まんでビールを飲んでいます。
帰りの新幹線
やれやれ、今日は、往復デブが隣に座って・・・。

新大阪駅

最近きれいになった新大阪駅。
新大阪駅
帰りの新幹線の時刻まで、ちょっと時間があったので、新大阪駅の改札に入る前のところを探検しました。
新大阪駅
中央改札口の前に、待合室がありました。
新大阪駅
九州新幹線の起点になったので、なかなか盛っている気がします。

ランチin大阪

フラリと大阪のオフィスの近くで入った店。
ランチin大阪
いつもは行かない店にと言うことで。
大人気!とメニューに書いてあるのが、「オムそば定食」。
期間限定とか何食限定とか、スペシャルとか言うのに弱いので、これを注文。
気がつくと、メニューに小さく、ごはん・みそ汁付…。
これぞ大阪!
お好み焼き定食、たこ焼き定食、ヤキソバ定食!
ヤキソバやお好み焼きは、おかずなんですね。
ソースとマヨネーズがたっぷりかかったオムそばに、おにぎり二つとみそ汁。
身体にメチャクチャ悪そうですが、美味いですよね。
定食750円。

今日の富士山

残念ながら、今日も富士山は拝めませんでした。
今日の富士山
コノハナサクヤ姫のご機嫌がよろしくなかったかもしれません。
本当はこんな姿が見られるはずなのに。
今日の富士山
なんてったって世界文化遺産ですから、大田胃酸とは違います。

車内点検?

車内でまずは、いつものとおり?の始業点検。
車内点検?
【のぞみ207号4号車13番E席】で間違いな〜し!
車内点検?
今日の往路は、先日の稽古の録音を聴きながら行こうと、サディスティックと言うか、蝦蟇の油チックと言うのか、寝床の了見かもしれません。
隣にデブなオバサマが座り、圧迫感のある座席でオタクチックに過ごすことにしました。
車内点検?
新横浜を過ぎて、検札が来ましたので、そろそろ…。

のぞみ207号

いつも乗っている、8時ちょうど発の「のぞみ207号」。
のぞみ207号
最近、東京駅の発車ホームが変わりました。
以前は14番線でしたが、19番線になりました。
別にどうということではありませんが。
のぞみ207号
今朝は、隣の18番ホームに「修学旅行」という表示の車両が停まっていました。
先日は晴れてはいましたが、富士山には雲がかかっていました。
今日は…。

定刻

私はせっかちと言うか、短気と言うか、落語会の開演や電車の始発の時刻のかなり前に行かないと気が済まない質です。
定刻
今日の出張も、いつもの時刻に家を出て、東京駅の待合室で時間を潰しています。
ところが、今朝は、三河島駅で、乗っていた電車が急停車して、10分ぐらい停車してしまいました。
そしてさらに山手線が秋葉原に着いた時に、別の駅でトラブルがあって運転停止。
幸い京浜東北線は平常運転だったので事なきを得ましたが、ダブルのトラブルでした。
きっとギリギリに出ていたら、新幹線に間に合わないでしょう。
トラブルや遅れがあっても、待合室で待つ時間があるという。
それでいいのだ…ですね。

三日月?

昨夜の自宅の北西側の空。
三日月?
10時過ぎに、赤い三日月(ぐらい)が見えました。
スマホのカメラでは、この程度にしか映りませんが、ちょっと雰囲気がありました。
帰り道で、牡丹灯籠のカラ〜ン・コロ〜ンのところをブツブツ言いながら来たからでしょうか?
何となく寂しげで、今の自分の心境が映っているように思えたからでしょうか…。

おおぼけ…

今朝、歯を磨いていて、突然思い出しました。
「あっ!お江戸あおば亭のめくりの手配をしていない!」と。
早速、通勤電車の中から、いつもお願いしている「H先生」に、お伺いのメールを送信しました。
ボーッとしていて、皆さんにご迷惑をかけてしまうと(゜o゜;
あ、それから、会報「あおば亭」もやらなくては…。(^。^;)

2013年5月15日 (水)

歩き稽古

歩き稽古
歩き稽古
歩き稽古
歩き稽古
日比谷公園を通り抜けるコースです。
師匠から褒めていただいて、嬉しいやら、苦しいやら。
自分は、一体何を求めてこの噺にチャレンジするのだろう…?
本番の高座に上がる瞬間まで、その答えを求めながら葛藤する気がします。
盲目の噺家西生をどう表現するか。
恐らく、師匠と2人しか演者はいないはずだから、馴染みの薄いに、どれだけインパクトを付けることが出来るか…。
産みの苦しみは続きます

日経平均

日経平均株価が15,000円を突破。
外為相場(円ドル)が102円を突破。
Fw:電子メールで送信: kosi2.jpg間違いなく言えるのは、「普通ではない」ということ。
"過ぎたるはなお及ばざるが如し"という言葉もあります。
振り子のような、あるべき所に収束する前の振れならばまだしも・・・。
あちら言葉では、「More than enough is too much.」っつうのですか?

5月15日

20年前の今日、Jリーグがスタートしたそうです。
私は、サッカーはあまり好きではありませんから、「へぇそうなんだ」程度ですが。
それよりも、京都では葵祭ですよね。
http://kyoto-design.jp/event/5822
「祇園会」という噺で、江戸と京都の自慢比べが展開されますが、京都の自慢のお祭りのひとつです。
葵祭は賀茂御祖神社と賀茂別雷神社の例祭で、古くは賀茂祭、または北の祭りとも称し、平安中期の貴族の間では、単に「祭り」と言えば葵祭のことをさしていた。
賀茂祭が葵祭と呼ばれるようになったのは、江戸時代の1694年(元禄7)に祭が再興されてのち、当日の内裏宸殿の御簾をはじめ、牛車(御所車)、勅使、供奉者の衣冠、牛馬にいたるまで、すべて葵の葉で飾るようになって、この名があるとされる。
石清水祭、春日祭と共に三勅祭の一つであり、庶民の祭りである祇園祭に対して、賀茂氏と朝廷の行事として行っていたのを貴族たちが見物に訪れる、貴族の祭となった。
京都三大祭りの一つ。

・・実はよく知りませんが・・。
ところで「祇園会」という噺。
祇園会の時期。
一度、話の種に見たいと思っていたので、叔父の案内で祇園新地の揚屋の二階を借り、酒を飲みながら祭り見物をすることに。
ところが、当日になって叔父さんが急に行けなくなり、代わりに叔父さんの友達だという男がやって来た。
源兵衛というその男と八、そして途中で知り合った上方者の都合三人で祭り見物。 江戸の祭と違い、山車(だし)の出が遅くて、四ツ(夜10時過ぎ)を過ぎてもなかなかやって来ない。おまけに源兵衛はやたらと国自慢ばかりする男で、何かにつけて「京は王城の地」とうるさいの何の…。
「酒は伏見、人は京。なんて言うたかて京は『王城の地』どすからな。江戸とは違いますわ。」
ちょっとカチンときたものの、ここで怒っては江戸っ子の評判を下げるので、我慢をして聞いている八五郎。
それに気をよくしたのか、源兵衛とうとうが言ってはいけない言葉を口にしてしまった!
「江戸ッ子なんか、所詮は東夷の田舎者どすな。」
ここでとうとう八五郎が爆発!!
「いくら古いか知らないが、こんな抹香臭い所はもうたくさんだ!!」
そこからは土地柄から食べ物、果ては祭囃子まで飛び出す壮絶なお国自慢が勃発。
「御所の紫宸殿の砂利を掴んでみなはれ、瘧(おこり)が落ちるちぃまんにゃ。」
「それが如何した!? こっちだって江戸城の砂利を掴んでみろい…」

「どうなります?」
「首が落ちらぁ!」

噺の内容はともかく、郷土自慢・勝負というのは、まぁくだらないというか・・・。

高座本「道灌」

勤電車で、今朝は「道灌」を読みながら。
高座本「道灌」
私は、あまり前座噺というか、滑稽噺の持ちネタがありません。
「子ほめ」と「千早振る」ぐらい…。
後は、長くて、暗くて、つまらないものばかりだと、先輩から酷評されています。
だからと言うわけではありませんが、軽い噺も覚えておきたいと思い始めました。
この噺は昔からとても好きな噺なんです。
師匠の高座本の「道灌」は、実にコンパクトにまとまった噺になっていますから、覚えやすそう。

2013年5月14日 (火)

師匠のブログでのコメント

師匠のブログ「圓窓の年月日輪」に、先日の落語っ子連の稽古会がコメントされていて、私の稽古は、以下のように仰っています。
■させ稽古、流三[揺れるとき]。
 盲目の噺家、西生がとてもいい。
 稽古であっても演じてて感極まることはある。
 今日の流三が、それ。涙を流しての稽古。

・・・そうそう、ちょっと涙がね・・・。
人情噺仕立てにしているところがありますので。
だから、「お前の噺は暗い」って先輩方から言われるのでしょう。
昨夜、師匠の「揺れるとき」の動画を見ました。
いつもは、なかなか最後まで行かず、途中で眠ってしまうのですが、昨夜はオチまで。
すると、今さらながら色々と勉強になる部分が多く、全ていただきたいと思いました。

母さん助けて詐欺?

オレオレ詐欺、振り込め詐欺、なりすまし詐欺…。
なかなかフィットしないようで、警察が大々的な公募の結果、新しい名前が披露されたようです。
「母さん助けて詐欺」、「ニセ電話詐欺」、「親心利用詐欺」…なんだそうです。
どうでもいいけど、なんだかねぇぇぇ・・。

師匠と関山和夫先生

師匠が、先日ご逝去された関山和夫先生について、ブログで触れておられました。
そう言えば、師匠の「圓窓五百噺を聞く会」などで、深くお関わりがあったんですね。
http://ensou-rakugo.at.webry.info/201305/article_20.html
http://ensou-rakugo.at.webry.info/201305/article_22.html
改めて、関山先生のご功績を知ることが出来ました。
「話芸」という言葉は、関山先生が作られたもの・・・。
「含笑長屋」も・・・。
http://ensou-dakudaku.net/teiki/gansho.htm
http://ihachi.exblog.jp/14178104/

2013年5月13日 (月)

東京駅4番線ホーム

別に江戸っ子な訳ではありませんが、東京に戻って来るとホッとします。
東京駅4番線
東京駅の4番ホームは、山手線内回り。
上野方面に行く電車が入線して来ます。
新幹線で三島を通過して熱海の手前あたりから、昨日の稽古の録音を再生して聴いていると、ちょうど品川を出たところでオチになりました。
やっぱり長い…(^_^;)

高座本「鰍沢」

腹ごしらえをすると、すぐに名古屋駅に着いて、早速高座本を取り出しました。
高座本「鰍沢」
まず手にしたのは、「鰍沢」でした。
表紙の表題の横に、仏笑(古典 日蓮 身延 人情 冬 地方 廓)と、師匠が補記されている。
身延に住む叔父が、老人会の会長になり、来年4月頃の総会の余興で落語を演ってくれと頼まれました。
高齢者だから、軽い噺が良いとは思いますが、ご当地で名作にチャレンジするのもいいかもしれない。
「素人なんぞは鰍沢など演るもんじゃない」と息まいていた先輩を見返したいとも思いますから。
師匠の「鰍沢」は、道に迷う旅人の父親を思う気持ちや、祖師日蓮のことなどが丁寧に語られているし、最後の部分のオリジナルな演出が気に入って、ますます演りたくなりました。
地元のおじいさんやおばあさんですから、噺は聴いたことがあるでしょうが、きっと私の拙い「鰍沢」も喜んで聴いてくれると思うのです。
「道灌」あたりも覚えて、2席ご機嫌をお伺いしようか。

予定どおり

京都駅を過ぎて暫くすると、車内検札が回って来ました。
予定どおり
東北新幹線ではやらないのに、JRでも、東日本と東海の違いでしょうか?
予定どおり
そんなことはどうでもよくて、いよいよ弁当タイム!
身体に良くないとんかつ弁当にしてしまいました。

帰る途中の楽しみは…

勿論、土産に貰った玉手箱などではなく。
帰る途中の楽しみは…
弁当を買って、【のぞみ246号6号車17番A席】を確認して座って…。
弁当は、車内検札が回って来る京都を過ぎてから。
帰りは、鞄に入れてきた高座本をパラパラと読もうかと。
帰る途中の楽しみは…
「揺れるとき」「三味線栗毛」「道灌」と「鰍沢」の4冊。
それから、昨日の稽古を録音したレコーダーも持って来ましたから、名古屋を過ぎたあたりから聴いてみよう。

今朝は間違えずに

ここは【のぞみ207号5号車6番E席】。
今朝は間違えず
この間の出張の帰りに、席を間違えて座っていて、恥ずかしい思いをしましたので。
今朝は、指さし確認という訳です。
【5号車6番E】の席で、確かに間違いはありませんね。
よしっ!

師匠のコメント

「揺れるとき」の通し稽古。
師匠のコメント
今回、レコーダーを持参して、自分の稽古を録音しました。
相変わらずの冗長な語りですが、人物描写はそこそこはっきりしてきたようです。
師匠のコメントも入っています。
久しぶりに師匠に見ていただくので、かなり緊張しました。
一通り、最後まで聴いてくださって…。
「もう何度も(人前で)やってるの?」
「良かったよ。前半の盲人は、わざとらしさがなく、とてもよく表現(演出)出来ていたよ。」
「この噺の難しいところは、後半の圓朝の噺の最中に地震が起こるところ。噺の中で地震が起きているのではないことを、観客に分かりやすく語る必要がある。噺の中でなく、噺を聴いている客席が混乱していることをはっきりと。…」
「実に良かったよ。」
大変お褒めをいただきました。
師匠のコメント
師匠に、来月の「お江戸あおば亭」のチラシとプログラムをお渡しして、「三遊亭圓窓作・揺れるとき」という表記のお許しをいただきました。
師匠のコメントこんなところで・・・。

2013年5月12日 (日)

母の日

この世界でも、どんなことでも、駆け込みというのはあるもので、今日の母の日も、お花屋さんには、長蛇の列が出来ていました。
母の日
母の日に比べて、6月の父の日は地味です。
どうも男の旗色が悪いのですが、3月3日の桃の節句は祝日ではありませんが、端午の節句は祝日になっているということで、おあいこですね。
母の日
まぁ、男も女もないのですが。

落語っ子連稽古会

落語っ子連・三流亭の稽古会。
落語っ子連稽古会
3ヶ月ぶりの稽古ということで、いつになく緊張しました。
師匠にも大変ご無沙汰してしまいましたが、大変お元気そうで何よりでした。
落語っ子連稽古会
今日は姉妹連の深沢亭の倉寿(くらす)さんが稽古に参加して「一目上がり]をご披露くださいました。
 ◇ 一目上がり    深沢亭倉寿(くらす)
 ◇ ぞろぞろ     三流亭千公
 ◇ 猫の皿      三流亭百梅
 ◇ 揺れるとき    三流亭流三
 ◇ 瓢箪屋政談    三流亭まど音
落語っ子連稽古会
「揺れるとき」は、途中師匠のコメントも入ることなく、通しで聴いていただきました。
予想外にも、大変お褒めのコメントをいただきました。
嬉しい!
ブランクがあったので不安でしたが、来月の「お江戸あおば亭」を控えて、大きな自信になりました。
やはり楽しい!

般若心経御守

久しぶりの稽古の前に、深川不動尊をお参り。
般若心経御守
「揺れるとき」で、般若心経を唱える部分がありますので、般若心経の御守を求めました。
般若心経御守
噺の最後の部分に、般若心経を唱える場面を、これで練習しておこうと思います。
  
  掲諦掲諦 (ぎゃーてーぎゃーてー)

  波羅掲諦 (はらぎゃーてー)

  波羅僧掲諦 (はらそーぎゃーてー)

  菩提薩婆訶 (ぼじそわかー)

  般若心経 (はんにゃしんぎょう)




落語はやおき亭

今朝はしっかり聴きました。
  ◇ 寝床      三遊亭圓生
今日は、久しぶりに稽古に参加します。
緊張しているのでしょうか。
早く目が覚めました。
朝から圓生師匠の噺です。

3万キロ

愛車の走行距離が3万キロを超えました。
3万キロ
約3年10ヶ月ですが、最近の数千キロは、ここ2ヶ月ぐらいのものです。
元々、定期的に両親の様子を見に行くために保有しているので、特に2月の父の入院から今日まで、しっかりと任務を果たしてくれています。
ある意味では家族みたいな存在です。
3万キロ
昨日実家で3万キロになりました。
平均燃費も12キロぐらいだそうですから、なかなかのものだと思います。
3万キロ
愛車内で稽古をすることもよくあります。
昨日は「揺れるとき」の稽古をと始めたのは良いのですが、この噺、盲人がメインの登場人物ですから、下手を向くときに、何と自然に目を閉じてしまうのです。
危ない、危ない…!
この噺は風呂場か歩き稽古でなくてはいけないことが分かりました。

落語DEデート

昨夜からの雨が上がり、静かな日曜日の朝。
     ◇ 馬の田楽   七代目春風亭小柳枝
朝からのどかな噺。
七代目の小柳枝師匠は、あまり存じ上げませんが、とても明るい声の師匠ですね。
昭和30年頃の音源です。
馬の田楽は、先代の古今亭今輔師匠が印象深く、現在では桂文生師匠が十八番です。
お二人とも、地方の出身で、田舎の様子や人々を描くのが得意な師匠です。
田楽が何かを知っていれば、面白いオチだと思います。

2013年5月11日 (土)

雨の滴

かなり激しい雨降りになりました。
雨の滴

久しぶりの雨で、草花は気持ちが良さそうです。
雨の滴
葉の上で丸くなった雨水が、きれいな滴になって落ちていくのを眺めていると、何かホッとします。
この滴が人の一生のようにも思えてくる・・。

墓参

雨がひどくならないうちにと、父の墓参をしました。
墓参
納骨をしてはや1ヶ月が経とうとしています。
「お〜い、新しい棲家の居心地はどう?」なんて尋ねながら。
雨に濡れて光る墓石に向かって、手を合わせました。

母の日に

明日の母の日にと、実家の母に定番の?カーネーションを持って行きました。
母の日に
これはこれできれいですが、庭で雨に濡れながら咲いていた花々も素敵だった気がします。
母の日に
母の日に
母の日に

水戸街道からスカイツリー

曇り空の中、帰省のため水戸街道を東京方面へ。
水戸街道からスカイツリー
葛飾立石あたりから見るスカイツリーを先方に望みながら。

「揺れるとき」へ師匠の思い

圓窓師匠創作の「揺れるとき」にチャレンジしています。
この噺のネタ下ろしは、2年前の8月です。
「圓朝まつり」の奉納落語会のために創作されたものです。
師匠は、圓朝と安政の大地震をテーマにしながら、実は直前に起こった東日本大震災の直後の「扇子っ子連・千早亭落語会」の出来事から、師匠ご自身の芸談を、架空の元噺家が、若き真打圓朝に語りかける形で展開させています。
偶然、自分のこのブログを読み返していたら、7月に師匠のブログでの芸談のことを書いてあるのを見つけました。
まだ、「揺れるとき」を創作している最中のもので、私はこの噺のことは知る由もありません。
師匠が、創作の過程でコメントしたものです。
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2011/07/post-fc82.html
天災のあるたびに思い出す事がある。
友人の話したことである。
その友人が終戦直後、ある公演を聞きに行った。
それも、その日は、嵐。
たぶん、中止だろう、と出掛けた。
しかし、やります、という入口の人の声。
広い会場に、4、5人の入りだった。
出演する側も全員は揃わず、とりあえず、楽屋入りしたものから、登場した。
その中で、一人。徳川夢声。
最初に言った言葉に、友人は感動した、という。
「入りが少ないからと言って、手を抜く事は許されない。少なければ少ないほど、全力投球する。4、5人だから、と手抜きをすれば、そのことは、4,5人の口から、2乗、3乗、10乗、20乗になって広まっていくだろう。今日の我々の生きざまを聞いてください」
冒頭に、こう言ってから、「宮本武蔵」に入ったそうだ。
帰りの風雨は、顔面の涙を洗い流すようだった、という。

また、別の時には、東日本大震災のおかげで、何でもかんでも中止されている中で、こんなことも仰っていました。
災害、被害、台風、交通機関ストップ。
こんな最中でも噺家は、「行かねばならぬ」という本能が働く。
それは、こういう状況下でも足を運んでくださる方々が必ずいるからだ。
だから、主催者が中止を発表するまでは、足はひたすら会場に向く。
こういう状況下では誰しもが、不安になり「行きたくない」と思う。
たとえ、行きたくとも交通がストップすれば諦めるより仕方がない。
客席の頭数は多くを望めない。
出演者にとって、客席の頭数うんぬんより、大事なことがある。
こんなひどい状況下でも「聞きたい、見たい」で会場まで足を運んでくださるお客が必ずいるということだ。
出演する側だって、「行きたくないよ、こんな日に」と愚痴めいた言葉が頭によぎることはある。
しかし、こういう状況下にいらっしゃる人のことを考えれば、噺家冥利に尽きるというものだ。

・・・まさに、このフレーズが「揺れるとき」の中に入っています。
「こういうお方が一人でもいる限り、噺を捨てちゃあいけないんだ。それが噺家の勤めだ」と。
さらに、噺家(プロ)だけではなく、素人(アマチュア)でもそうだと仰っています。
このあたりの心理や了見を、果たして上手く表現出来るでしょうか?

浅草ことぶ季亭で

噺家さんの独演会のチラシかと思うような。
春風亭ぴっかり☆さんの「春風亭ぴっかり☆10日間連続チャレンジ落語会 ぴっかり☆十番勝負!」が8月9日(金)より8月18日(日)まで「浅草 ことぶ季亭」で開催されるそうです。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130509-00000047-natalieo-ent
春風亭ぴっかり☆
 10日間連続チャレンジ落語会 ぴっかり☆十番勝負!
  日時:2013年8月9日(金)~18日(日)
  会場:東京・浅草 ことぶ季亭
  出演:春風亭ぴっかり☆
 
  料金:整理番号つき自由席2500円

二つ目として未来の真打を目指す中、寄席の一単位でもある10日間をしっかりと勤めあげられる噺家になりたい、という考えのもとで実施されるそうで、第一幕では日替わりの演目やご本人が台本作りに参加した書き下ろしの新作落語2作品の初公開、第二幕では古典の噺をじっくり練り上げるということです。
我々にもおなじみの「浅草ことぶ季亭」が会場ということで、OBのオジサンたちの話題になっていましたので。
「☆」までが高座名のロゴですが、寄席文字で「☆」はどう書くのでしょうか?
結局、エンターテインメントとして位置づけているんですね。
ピュアな芸能、演芸という切り口ではない気がするんです。
直近の落語ブームというのは、そういう位置づけで見た落語が、芸能としての落語を知らない世代にとっては新鮮で、エンターテインメントのコンテンツとして採り上げられたドラマが発端でした。
そういうアプローチもあるということで理解しています。

「お江戸あおば亭」の歴史

恐らく、我が落研は、地方の大学では最も歴史のある落研のひとつだとは思いますが。
いかんせん江戸(あるいは上方)で生まれた落語に関しては、完全にマイナーであり、アウェーです。
それでも、創部50周年を迎えるあたりから、「花の都でOB落語会を」を目標にするようになりました。
そして、3年前の5月に、「お江戸OB落語会」としてスタートすることが出来ました。
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おかげさまで、ご贔屓やOB諸先輩のご支援で、昨年まで4回開催することが出来ました。
さらに、それでも飽き足らない一部の「落語中毒」患者は、OB落語会の番外編とでも言うべき自主公演「一番丁はずみ亭」を2回開催しています。
表は、「お江戸あおば亭」の前回までの番組です。
談亭志ん志師匠と喰亭寝蔵師匠と私は「皆勤」させていただいています。
前回、突然の休演のため、急遽私が開口一番を勤めました。
「花筏」「佃祭」「薮入り」「子ほめ」「救いの腕」と、通算5席お伺いしました。
そして今回は「揺れるとき」にチャレンジさせていただきます。
こうやって、積み重ねていくことが大切だと思います。

2013年5月10日 (金)

母の日

母の日
明日は母の日。
明日は、久しぶりに帰省します。
ゴールデンウイーク期間中は、混雑・渋滞を避けていましたので。
上野駅のアトレにカーネーションが飾ってありました。

1ドル100円

9日午後の米ニューヨーク外為市場で、ドルが対円で大幅高となり、心理的な節目となる100円の大台を突破したそうです。
「円ドルの計算(換算)がしやすくっていいや・・」っていう訳にもいかないか・・。
それにしても、ここのところ株や為替の相場が熱くなっています。
・・やはりおかしい・・。
バブルから四半世紀、もう世代も代わり、あの時の反省は・・・忘れ去られている気がします。
良くない歴史が繰り返されそうな。
羹に懲りたのを忘れて。

関山和夫先生の訃報

あまりよく存じ上げてはいませんが、関山和夫先生がお亡くなりになったそうです。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130509-00000029-kyt-l26
「話芸」という言葉を広め、僧侶による節談(ふしだん)説教が話芸、語り芸の源流にあるとして、歌舞伎や浄瑠璃、落語などの芸能の発展に仏教が果たした役割を研究した。
「庶民芸能と仏教」「説教の歴史」「落語風俗帳」など多くの著書がある。
Fw:電子メールで送信: 2166Cy%2BdyR<br />
 L._AA160_.jpg「落語風俗帳」「落語名人伝」「落語食物談義」は拝読した記憶があります。

子故の闇

八代目林家正蔵(彦六)師匠の十八番「笠と赤い風車」の冒頭に、こんな古歌が紹介されます。
 人の親の 心は闇に あらねども 子を思う道に迷いぬるかな
Fw:FW:実は、ちょっと違和感があったのは、初めてこの噺を聴いた時とは、後半の部分の表現が違っていた気がしたのです。
確か「こゆえの・・・」と言っていたような・・・。
NHKラジオの「落語・講談に見る親孝行」というテキストを読んでいて、偶然「こゆえの・・・」を見つけ、理解することが出来ました。
 人の親の 心は闇に あらねども 子故の闇に 迷いぬるかな
・・これが正しいのではないかと。
この「子故(こゆえ)の闇」では分かりづらいので、「子を思う道」に読み替えていたのではということです。
「子故の闇」というのを辞書で調べると、「親が子を思うあまりに、思慮・分別がつかなくなることのたとえ」と7あります。
「恩愛(の糸)」というのも、同じように、親の業、人間の弱さということです。
「双蝶々」の小雀長吉の両親も、「火事息子」の両親も、そして「笠と赤い風車」の母と義母も、「子故の闇」を彷徨う訳です。
・・・と言いつつ、古歌を調べてみると。
 人の親の 心は闇にあらねども 子を思ふ道にまどひぬるかな
                         (藤原兼輔 後撰集)
この歌の作者藤原兼輔は、紫式部の曽祖父です。
中納言となり鴨川堤に邸を構えたので堤中納言と言われました。
紀貫之らと親しく交流し、醍醐朝の和歌隆盛期を支えました。
三十六歌仙のひとりです。
「親の心は闇ではない。しかし、まるで闇路であるかのように子どもを思うゆえ迷ってしまうことだ」という気持ちでうたったものでしょう。
子を思う親の愛情のせつなさ、理屈ではどうにもならない親子の恩愛の情がひしひしと感じられる歌として、彼の代表歌の一首とされています。

そうか、最初の方が正しいのか・・・。
諦めきれずに、さらに正蔵(彦六)師匠の音源を調べてみました。
1965年11月の「東京落語会」での音源は・・。
「人の親の心は闇にあらねども子を想う道に迷いぬるかな」という古歌がありますそうで。親御さんが子ども衆を想うという心根はひとしおでございますな。
翌年1966年12月の「精選落語会」での音源は・・。
「人の親の道の闇には迷わねど子故の闇に迷いぬるかな」という古歌がございますそうで、親子の間柄というものは実に不思議なもんでございますな。
私の記憶も、あながち間違っていなかったことが分かりました。
まぁ、噺家さんのことだから、色々なのて゜しょうか?

心筋梗塞

元宝塚のトップだった人気女優さんが、軽度ではあるようですが、心筋梗塞で入院したそうです。
45歳だそうですが、女性のこの年代での心筋梗塞というのは稀なんだとか。
前触れもなく突然来るようですから怖いですね。
原因のトップにあげられるのがストレスだそうです。
ところで、三遊亭圓歌師匠が、身延山で修行中に心筋梗塞で倒れた時、仲間の噺家さんが寄席で、「圓歌師匠が"近親相姦"で病院に担ぎ込まれた」と、不謹慎なギャグを飛ばしていたという逸話もあるそうです。
好きな人に抱きついて動けなくするのを、"親近拘束"と言います?

2013年5月 9日 (木)

鯉のぼり

霞ヶ関駅に向かって歩いていたら、財務省庁舎に鯉のぼりが。
薫風に気持ち良さそうに泳いでいました。
日本の財政危機も、上手く泳ぎ切れるといいなと思います。
鯉のぼり
文部科学省にもありましたが、こちらはポールに巻きついて、現代の教育現場の荒廃が心配されるところです。

平和な五月晴れの日の昼下がり・・・。
江戸っ子は 五月の鯉の吹流し 口先ばかり はらわたはなし

パソコンのお喋り

私のパソコンは、ニュースなどの見出しを、パソコン内のキャラクターが読んでくれます。
国会では、与野党が夏の参院選も睨んで、常任委員長の解任決議がどうこうと、下らない駆け引きで騒いでいます。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130509-00000099-san-pol
昨夜、件のパソコン君が言いました。
「"かわぐちじゅんこ委員長"の…」
おいおい、パソコン君、「川口順子」と書いて「かわぐち"よりこ"」って読むんだよ。
最近は、プロの棋士まで負かしてしまうコンピューターなのですが、人の名前の読み方は難しい・・・。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130508-00001203-yom-sci
ところで、あのスーパーコンピューター「京」も、再びの世界一奪還を宣言して、何でも100京を目指すとか。
やはり二番じゃダメなんですよ。
「第2位じゃいけないんですか?」と、あんなに偉そうに事業仕分けをしていたご本人だって、与党から野党になってしまうと、世間からも忘れ去られてしまいます。
やはり、ここは与党(一番)でないと。
今では、間接的な「報・連・相」の「報告」と「連絡」ぐらいはあっても、「相談」は来ないでしょうね。
それもそのはず、名前が「連報(蓮舫)」ですから、"相(そう)"は問屋がおろしません。

「第5回 お江戸あおば亭」の番組

色々ありましたが、こんな番組で行こうと思います。
mm
本当に、図らずも出演することになり、さらに図らずもトリを勤めることになりました。
「ぼんぽこ」君は、大学院から今年地元の新潟県内で就職し、晴れてOBとして錦を飾ります。
「とん平」師匠は、落研での高座は35年ぶりぐらいのはず。
「友楽」師匠と「ぴん吉」さんは、仙台から来てくださいます。
紅一点「くるみ」さんは久しぶりの落研OB会。セミプロですが。

らくご街道 雲助五拾三次

5年間という長丁場の落語会が始まりました。

「五街道雲助」師匠の集大成となる「らくご街道 雲助五拾三次」。
初回は4月に開かれ、月に1度のペースで続けられるそうです。。
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/130504/ent13050410570005-n1.htm

2013年5月 8日 (水)

落語・講談に見る「親孝行」

放送は、なかなか聴けませんが、読み物としても面白いですね。
ひひ
「親孝行」なんていう言葉は、ほとんど面と向かっては聞くことがなくなりましたが、父を亡くしたばかりの私には、妙に重く響きます。

プログラム最終版

ワンパターンですが、こんな感じで行きたいと思います。
今度の「第5回お江戸あおば亭」のプログラムです。
mm
表紙は、日時を変えただけで、前回と全く同じです。
mm
番組も、基本的なレイアウトは前回踏襲ですが、出演者が多くなったので、字を小さくしました。
mm
そして、裏表紙も、同じレイアウトで、過去4回までの出演者と演目の一覧表と、下段は今後のOB落語会の予告を入れました。
3年前に、「東京でOB落語会を定例化しよう」と始めた「お江戸あおば亭」。
最初の2回は「お江戸OB落語会」と称していました。
出演者も増えて、隔世の感があります。

カルガモ

本当に久しぶりにカルガモの話題。
大型連休明けの7日、東京・大手町のオフィス街にある三井物産本社ビル敷地内の人工池で、カルガモのひな10羽が誕生したのが確認された。
この人工池でのひな誕生は平成20年7月以来、約5年ぶり。
最初にカルガモの赤ちゃんが登場したのは昭和58年。
成長したひなとともにカルガモの一家がそろって近くの内堀通りを横断し、皇居のお堀に「引っ越し」する姿がテレビで放映され、警察が交通規制するほどの人気ぶりだった。
この日、親ガモの周りで泳ぐ赤ちゃんガモは池から舗装路にジャンプする練習をしたが、まだまだ飛び乗れそうにない様子。
人工池での滞在は長くて90日間といい、しばらく仲むつまじい姿が見られそう。

そうなんです。
当時、隣のビル
に勤務していて、リアルタイムで当時のフィーバー(古い)ぶりを見ていましたので。
http://www.youtube.com/watch?v=KjcwWBzkWzM

2013年5月 7日 (火)

芸人の品格

人気の公務員ランナーのそっくり芸人が、ホンモノが出場したマラソン大会でパフォーマンスをして、大顰蹙を買っています。
とにかくやることが姑息だし、本人に対して極めて無礼です。
こういうのが「洒落にならない」というんです。
最近のお笑いの一面を見るようで、品格・品性一切なしです。
最近のお笑いは、「オレがオレが」と他人をバカにすることで下卑た笑いを取っている。
聴衆もそれが面白いと思っている。
先日の桂文枝師匠のコメントの言わんとしている一部分が、まさに現れていると思います。
「埼王県庁」って、ここは演芸場ではないんだし、「周囲をバカにするのもいい加減にしろ!」と言いたいですね。
予想以上の反響に公務員ランナーは困惑気味。
「公認? 僕は公務員なので商業活動に公認は与えられません」と拒否。
本人のドキュメンタリー番組が制作された場合、再現VTRで出演を狙っているようだが、「芸人さんは生きていくために必死ですね」と不快感をあらわにした。

そりゃあ不快でしょう。
大会本部に連行され、役員に「こんなユニホームを着ていたら訴えられるぞ。点がないだとかヘチマだとか、とんでもない」と大目玉を食らった。
それでも「文字にモザイクをかけるか、並びを変えるか。考えます」とめげないニセモノ芸人。

・・・こんなスタンスの人は売れないでしょうね。
バカなマスコミが悪乗りしなければ。
それにしても、ホンモノはアッパレですね。

海外でさん喬落語の記事

またまた東京新聞。
柳家さん喬師匠の海外での公演についての記事。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/entertainment/tradition/CK2013050502000170.html
人気絶頂の噺家(はなしか)・柳家さん喬が落語の面白さ、楽しさを引っ提げて海外に飛び出して十五年になる。
回った国は米国をはじめフランス、シンガポール、チェコ、ハンガリー、韓国の六カ国に上る。
力を入れているのが落語と小噺を日本語教育に利用する試み。
「落語は日本文化を理解してもらうにはよい教材。ライフワークになり、幸せを感じてます」と使命感をのぞかせる。

ところで、この記事で一番良かったのは最後の部分でした。
今年は三年越しで初めて本を出版する予定。
本当ですか?これは楽しみです。

喫煙者採用せず?

社員を新規採用する際に、「喫煙しないこと」を条件にする会社が増えているそうです。
健康増進法で公共施設やレストランなどで受動喫煙の防止措置が求められ、分煙も広がり、最近では全面禁煙の場所が増えたり、就業時間中の禁煙を進めたりする動きが広がっています。
旅館やホテルを運営する某社では、採用情報サイトのトップページに「あなたはタバコを吸いますか?」と問いかけ、「NO」を選ぶと「ようこそ!」と歓迎のメッセージが現れるが、「YES」を選ぶと、たばこを断つことを誓約することができると答えない限り、募集要領のページには進めないそうです。
健康への影響もさることながら、とにかくあの臭いと、喫煙者のマナーには辟易していますから、私は、そんな会社があっても良いと思います。
携帯をマナーモードにせずに平気で鳴らす人と電車内で通話する人、歩行喫煙する人は嫌ですね。

三方一両損

朝日新聞の「天声人語」から。
いったん懐を飛び出した金はもう俺のものではない。
落とした財布を届けられた大工は、そういって受けとらない。
届けた左官も引き下がらないから、大げんかになる。
南町奉行、大岡越前守(えちぜんのかみ)の裁きは……。
落語の「三方一両損」である。
江戸の職人は目先の金に頓着することを潔しとしない。
そんな2人の意地の張り合いがおかしい。
エッセイストの中野翠さんはかつて古今亭志ん朝でこの噺を聞き、泣きそうになったと言っている。
人間には損得とは別に大切なものがある。
「損得が分からないバカであってもいいんだ、と」(「この世は落語」)。
双方とも金がいらないわけではない。
それでも粋がる。痩せ我慢する。
自己満足であり、大げさにいえば美学である。
その「自分でもバカだなあと思わなくもない」という微妙な心理を、中野さんは喜ぶ。
なるほど、いとおしくも思えてくる。
人の心はややこしい。
二心(ふたごころ)という言葉もある。
一つの頭の中で天使の声と悪魔の声が交錯したりする。
損するより得する方がいいと、誰もが簡単に割り切るわけではない。
見えもあれば、利他心もある。
・・・・。

後は、政治的な文章なので省略。
私の「三方一両損」では、この二人は、そんな複雑な心理などではなく、見栄と面倒臭いことはしたくないという心理が全てだと思って、無邪気に演じているのですが。

2013年5月 6日 (月)

懐かしい歌

ふと、懐かしい歌を聴く気になりました。
http://www.youtube.com/watch?v=sqJkfoKf7Pk&list=RD03wp4bV6Fsgbo
http://www.youtube.com/watch?v=wp4bV6Fsgbo
http://www.youtube.com/watch?v=ge7LVt6AFfo
http://www.youtube.com/watch?v=tsva7xhyPJw
http://www.youtube.com/watch?v=L1vY_se9Rqg
http://www.youtube.com/watch?v=d4YF2b7wppU&list=PL01D98BB5A3E1A365
http://www.youtube.com/watch?v=v8biLtCr23A
http://www.youtube.com/watch?v=FLv6fHNvjVc
http://www.youtube.com/watch?v=wq9vAzR5sgI
http://www.youtube.com/watch?v=2DyDc-PDcB8
http://www.youtube.com/watch?v=ZZVVAc7eD8E&list=RD03FLeMAO3t6t4
http://www.youtube.com/watch?v=cCATp5bR3O8

全部Youtubeにありました。
大したものです。
それにしても暗い、古い曲ばかり・・・。

東京新聞の落語家評

先月の東京新聞の記事です。
ある噺家さんの評が書かれていました。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/entertainment/tradition/CK2013041602000190.html
落語に独自の解釈を積極的に盛り込む落語家が近年多くなってきた。
観客はその内容で演者の個性を見極め、好き嫌いをはっきりさせている。
こうした中から人気演者も生まれている。
このようなことは明治時代からあったことで今という時代が特殊なわけではない。
落語が現代に生きる芸であり続ける証しでもある。
ところが識者、評論家は、先人はそのように演じてはいなかったと批判したがる傾向がある。
私はその姿勢にこそ落語評論の限界を感じる。

私は、必ずしもそうは思いません。
そういう人(際物のような人)もいないといけないということだと思ってはいます。
圓窓師匠創作の「揺れるとき」では、劇中の圓朝に、先輩が「古くから伝わる良いものをやるだけではなく、新しいものも創らなくちゃいけない。新しいものを創る時は傷(苦労)が付き物だが、やらなくっちゃあいけない」と諭す部分があります。
圓朝の芝居噺も、当時は"際物"だったのかもしれません。
でも、当時の新作落語が、現在の落語の幹の一つになっていることも論を待ちません。
だから、色々な噺家さんが、色々な個性や演出をしてこそ、斯界は隆盛して行くものでしょう。
私も、落語のペースと品格は不可欠ですが、これを踏まえたチャレンジは必要だと思います。
落語評論の限界については、私には、現代の識者や評論家は、むしろ薄っぺらで騒がしい解釈や個性のようなものを、ことさら誇大に評価して、地道な個性を無視しているように思います。
さて、この記事で採り上げられた噺家さんですが、私はあまり好感持っていない噺家さんです。
とても雑な芸風だった記憶があるからです。
まぁ、要は好みの問題ですから、良し悪しではないと思いますが、私はその方向には行かないでしょう。

新旧プログラム

談亭志ん志師匠から、出演者に、私が作ったチラシとプログラムが送信されて来ました。
実は、大変効率的と言いますか、手抜きと言いますか、簡単にプログラムを作ってしまいしたから、やや恐縮しているところです。
新旧プログラム
今回のプログラムと、前回(昨年6月)のプログラムを並べると、なるほどと思われるでしょう。
新旧プログラム
プログラムを開いて一番違うのは、演者が前回より多いので、字が小ぶりになっていることです。
小ぶりになって、上下のスペースが空いたので、チラシと同じ絵模様を入れてみました。
マンネリ・ワンパターンなどという方もいるかもしれませんが、同じ落語会のプログラムですから、同じデザインで統一して繰り返した方が良いのではというこじつけで返したいと思います。

2013年5月 5日 (日)

放送局の陰謀

国民栄誉賞の授与式やら、始球式やら、コマーシャリズムに煽動されているのを承知していながら、巨人・大鵬・卵焼き世代は、老いたりといえどもミスターは気になるのでしょう。
それから、陸上競技の100メートルに出場する高校生の10秒の壁への挑戦と、子どもの日は騒がしい。

落語はやおき亭

今日は先週間違えて予告された内容です。
   ◇ 長短         桂小金治
この音源の時、浜松町かもめ亭の客席に座っていた気がします。
当時82歳でした。
幼なじみの長さんと短七さん。
長さんはなにをするにもスローモーなのんびり屋。
短七さんは江戸っ子を絵に描いたような短気な御仁。正確は正反対だが二人は大の仲良しである。ある日のこと。
短七さんのところを訪ねた長さんが「昨日の晩、小便に起きたら空に星がなかったので明日は雨かなと思ったらやはり雨だった」と世間話をするが、その口調ののろさに短七さんはイライラ。
次に菓子を勧めれば、長さんがいつまでもモグモグと噛んでいるのでまた頭に来て「菓子はこう食うんだ」と一口で丸呑みにする。
さらに、キセルで一服つけはじめた長さんの悠長な仕草も面白くない短七さんは「煙草の吸い方」の見本を示して見せるが・・・。
長年、俳優・タレントとして活躍をしていた桂小金治は近年、高座に復帰。
時折、五代目小さんや三代目三木助仕込みの噺を聴かせてくれる。
この「長短」も小さん直伝の一席である。
落語らしいといえば、こんなに落語らしい噺もない。
長屋を舞台にした、男二人の会話だけで進行する噺であり、ドラマチックな展開は何もない。
主眼となるのは両人の対称的な性格描写であり、何事も悠長な長さんと短気な短七さんの言動が自然な笑いを誘う。
小金治の口演は折り目正しく、無理な笑いを当て込んだところがひとつもない。
スッキリとして軽く、落語本来の味を堪能させてくれる。
短七は怒ってばかりいるようだが、その根底には長さんへの深い友情がある。
その腹が聴くものにもわかるので「おれは人にものを教わるのは大嫌いだ。だけどお前(長さん)は別だよ」という
言葉が実に効く。
八十二歳にして高い芸格を示している桂小金治の貴重な録音である。

折り目正しいというか、ちょっと雰囲気の違う高座なんです。
1926(大正15)年10月6日生まれ。
昭和21年桂小文治に弟子入りして落語家となる。
27年の松竹映画出演をきっかけにその後は映画,テレビで活躍。
42年からNET(現テレビ朝日)「ただいま正午・アフタヌーンショー」の司会者となり,「怒りの小金治」の異名をとった。

アフタヌーンショーのイメージが強いですね。
2年前に落語引退宣言をされたそうです。

堀の内

粗忽者が、妙法寺(堀の内のお祖師様)に願掛けに行くという噺です。

下駄と草履を片っ方ずつ履いて、足の長さが変わったと騒ぐあわて者が、お祖師様に願をかけると粗忽が治ると聞いて歩いてお参りに行くことにした。カミさんに弁当を作って貰い、お賽銭も用意して出掛けた。
しばらく歩いて、お祖師様は何処かと聞くと、ここは両国だ、神田から来たならまるで反対だと教えられた。
やっとのことでお祖師様に着いて賽銭を投げ入れたが、財布ごと投げて一文無しに。
弁当を食べようと広げてみるとカミさんの腰巻きで包んだ枕だった。
家に辿り着いて文句を言うと、隣の家だった。伜の金坊を連れて湯に行けと言われ、おぶってやろう、やけに重いな、あたしだよ。
子供をおぶって歩いていると、おとっつぁん湯屋を通り過ぎたよ。
湯に浸かって尻を掻いても感じないと思ったら、隣の男が誰だい人の尻をいじっているのは、という始末。
伜の背中を流してやろう、やけに広い背中だな。おとっつぁん、風呂場の腰板だよ。

初めて聴いたとき、なんて面白い噺だろうと思いました。

落語DEデート

ぴったり6時に目を覚ましました。
   ◇二人旅      五代目柳家小さん
「ふたりたび」ではなく、「ににんたび」と読むそうです。
「二人会」も「ににんかい」って言いますから・・・・。
こういう噺もいいもんですね。
落語らしい部分がふんだんに盛り込まれています。
こんなコメントを見つけました。
友人同士の遊山の旅の道中の会話と田舎の飯屋での情景を描いただけだが、のどかな風景のなかで、相方の中食にしようよという繰り返しでのんびりした時を刻みながら、謎掛けや、都々逸をちりばめた会話の面白さで、見事な小品にしあがっている。
飯屋の看板の濁りを読むか読まないかで、「い」はかしらだから濁らない。
「ろ」はかしらの名代になることもある。「に」は濁点がつくと重いだろう。
「ゆ」は朝にごらない内にはいるものだ。など、馬鹿馬鹿しい言葉遊びの連続だが、なかなかしゃれていてきかせる。
二人旅は、上方落語の東旅をもとに、四代目小さんが基本を作ったもので、謎掛けや、都々逸には、「東海道中膝栗毛」の弥次さん、喜多さんの会話からとったものもあるとのことだ。
帯を解いて解かせるとか、ふんどしを衣桁へ架けるとか、いざりのおならなどの、上品とはいえないネタも、小さんがやるとなんだかとぼけた味わいになる。
昭和55年頃の音源で、小さん師匠の絶頂期です。
旅を扱った落語は数多いですが、小さん師匠のゆったりとしたムードが漂っていて、いかにも昔の旅らしい素朴な雰囲気を満喫させてくれます。

三味線栗毛

そろそろ、稽古を始めないといけません。
三味線栗毛
どうも、何事につけても着手が遅い、ずぼらな性格が災いします。

2013年5月 4日 (土)

満天☆青空レストラン

何気なくテレビを見ていたら、「身延ゆば」が出ていました。
今回は山梨県でゆば!絶品のゆばと簡単レシピが大集合!
・・・だそうで・・・。
http://www.ntv.co.jp/aozora/location/2013/05/post-154.html

池上の街で

池上の街で腹こしらえしようと、それこそ蕎麦屋や寿司屋も考えましたが、結局駅前の小さな中華屋さんに入りました。

ところが、この中華屋さん、開店したばかりと見えて、建材の塗装などの臭いが残っていて、???。
店内は、カウンター席と、テーブル2脚のみで、中国人らしき2~3人が店員のよう。
ラーメンチャーハンセットという、およそお参りでは食べないだろうという・・・。
色々ハズレでしたが、日本人のような行き届いた心配りもなく、大失敗。
味? チャーハンは味が薄くて斑がり、ラーメンはスープが少なく、盛り付け方も雑。
おまけについたような杏仁豆腐は、ほとんど味がなし。
最初に、冷たいジャスミンティー風の水が出て来た時は、ちょっと期待しましたが。
奥にあるレジに行って勘定を払った時は、「ありがとうございました」は言いましたが、お釣りは手渡すというより、放るようだったし、出口に行って扉を開けて外に出ようとした時は、「ありがとう」もなく、店員同士で雑談が始まっていました。
池上線の駅前だけに、「あなたは二度と来ないのね」という感じでした。
Fw:電子メールで送信: 3586-C009.jp<br />
 g

池上本門寺で

池上本門寺は、日蓮聖人が今から約七百十数年前の弘安5年(1282)10月13日辰の刻(午前8時頃)、61歳で入滅(臨終)された霊跡です。

日蓮聖人は、弘安5年9月8日9年間棲みなれた身延山に別れを告げ、病気療養のため常陸の湯に向かわれ、その途中、武蔵国池上(現在の東京都大田区池上)の郷主・池上宗仲公の館で亡くなられました。
長栄山本門寺という名前の由来は、「法華経の道場として長く栄えるように」という祈りを込めて日蓮聖人が名付けられたものです。
そして大檀越の池上宗仲公が、日蓮聖人御入滅の後、法華経の字数(69,384)に合わせて約7万坪の寺域を寄進され、お寺の礎が築かれましたので、以来「池上本門寺」と呼びならわされています。

ここでも聞こえる、木魚と鐘の音と読経の声が、とても清々しい。
改めて、父を思い、大堂(祖師堂)で手を合わせました。
旧大堂は、昭和20年4月15日の空襲で焼けてしまい、戦後は仮堂でしのいでいたが、第79世伊藤日定聖人が精力的に各地を行脚し、全国の檀信徒ならびに関係寺院等からの浄財寄進を得て、昭和39年、ようやく鉄筋コンクリート造の大堂の再建にこぎつけた。
聖人は落慶後ほどなくして遷化されたため、大扁額「大堂」は第80世金子日威聖人の揮毫になる。
内陣中央の大型御宮殿(建築厨子)に日蓮聖人の御尊像、いわゆる祖師像を奉安し、向かって左に第2世日朗聖人像を、右に第3世日輪聖人像を安置する。

お参りをして、少し離れて建っている五重塔に向かいます。

関東に4基現存する幕末以前の五重塔のうち、一番古い塔である。
本塔のそもそもの発願は、のちに徳川2代将軍となる秀忠公の病気平癒祈願にあった。
文禄2年(1593)のこと、15歳の秀忠公が悪性の疱瘡にかかり、一命も危うい容態におちいってしまった。
そこで、熱心な法華信者であった乳母岡部の局(のち正心院)が、大奥より池上へ日参し、あつく帰依していた第12世日惺聖人に病気平癒の祈願を託され、「心願が成就したあかつきには御礼に仏塔を寄進する」との念でひたすら祈った。その甲斐あって快癒し、将軍となった後、その御礼と、あわせて武運長久を祈り、慶長12年(1607)に建立〔露盤銘〕、翌13年に上棟式を厳修した〔棟札銘・焼失〕。

そして、ここにも日朝堂がありました。
常唱堂、題目堂とも呼ばれ、行学院日朝聖人像を奉安している。
お題目修行の場として、昭和48年に再建された。
Fw:電子メールで送信: 1300398596.j<br />
 pg
父の2月命日の供養として、こんな形がありうるのか、許されるのかは分かりませんが、昨日から2日間で4つの同宗の名刹をお参りして、私なりの追善が出来たような気がしています。
改めて父に感謝しつつ。

池上本門寺へ

久しぶりに池上の駅を降りて、本門寺の参道を歩きます。

どうも、寺社の参道には、煎餅とくず餅と団子が多く売られていて、甘味処と蕎麦屋と寿司屋が多い気がします。
Fw:電子メールで送信: ikegamiH2101<br />
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池上本門寺は、身延山久遠寺から療養のために常陸の国に向かう途中、日蓮が亡くなった場所です。
駅から徒歩数分、総門が見えて来ます。

総門は、寺社へ参詣する人が最初に通る門で、清浄の心身にて通らなければなりません。
五重塔、大宝塔、経蔵などと共に、昭和20年4月15日の戦災を免れた数少ない古建築の一棟として重要である。昔から世に知られ、安藤広重の「江戸百景」や「江戸近郊八景」にも描かれています。
簡素ながら、主柱間5.3メートルを測る壮大な門です。
記録は失われたが、第22世日玄聖人代の元禄年間に建立されたと伝え、様式的にも技法的にも、ほぼ妥当とされる。
扁額「本門寺」は門より古く、寛永4年(1627)本阿弥光悦の筆になる。

この石段、「此経難持坂(しきょうなんじざか)」というそうです。
熱心な法華信者で築城家としても有名な、加藤清正公の築造寄進。
同公は、慈母の第七回忌にあたる慶長11年(1606)、その追善供養のため、祖師堂を建立寄進し、併せて寺域も整備しているので、その折の築造と考えられる。
第14世日詔聖人のときである。
第22世日玄聖人代の元禄年間(1688-1704)に大改修されているが、清正公当時の原型を残す貴重な石造遺構である。
・・・一気に登りましたが、かなりしんどいですね。

そして、息を切らして歩く先に、やっと仁王門(三門)が見えて来ます。
共に昭和20年4月15日の空襲で灰燼に帰し、三門は同52年に再建、仁王尊は同54年に新造された。
三門は山門とも称されるが、正式には三解脱門の略。
中心伽藍へ入る重要な門であり、三種の解脱(さとり)を求める者だけが通れる。
多くは重層の仁王門とする。
例年、盛大に厳修されるお会式の、お逮夜(10月12日夜)の万灯行列が支障なくくぐれるよう、通常より下層の桁と梁の高さを上げてある。
扁額「長栄山」は第80世金子日威聖人の揮毫になる。
ちなみに「栄」の字は旧字だが、伝統的な慣習で、火伏せのため、冠りを「火」2つでなく「土」2つとしてある。

Fw:電子メールで送信: 012-0932.jpg
好天に恵まれて、紫外線も多いのか、顔がこわばって来ました。

池上線

堀之内妙法寺を後にして、丸ノ内線東高円寺から新宿を経由して五反田の東急池上線のホームへ。
池上線
池上線のイメージは、歌から来ています。
http://www.youtube.com/watch?v=_NCPtx3gqSM
実はこの「池上線」という歌、好きなのですが、いつまでたっても覚えられず、カラオケで歌えないという珍しい歌。
尤も、最近は何年も、カラオケに行っていません。
この歌の続編が、昨年リリースされています。
http://www.youtube.com/watch?v=78xGjxDOpMc
「池上線ふたたび」だそうです。
37年前に発売の「池上線」のアンサーソングです。
あれから月日­が経ち、再び池上線に乗って当時の事を振り返る・・というような詞になっています。

この手の歌、昭和40~50年頃の若者の頽廃的な雰囲気を引きずっている気がします。
「私鉄沿線」なんていうのも、これと被る気がします。
かなりマイナーな路線ですが、最近は新しい車両が走っています。

あっ、そんなことを言うつもりはありませんでした。
池上線蒲田行きに乗って、池上に向かいます。

堀之内妙法寺

元々は真言宗の尼寺だったそうです。

1615年 - 1624年(元和年間)日逕上人は、母・日圓法尼の菩提のため日蓮宗に改宗。
山号は日圓法尼に因み日圓山とし寺号を妙法寺とした。
初めは碑文谷法華寺の末寺となったが、1698年(元禄11年)碑文谷法華寺は不受不施派の寺院として江戸幕府の弾圧を受け、改宗を余儀なされ、身延久遠寺の末寺となった。
このころ碑文谷法華寺にあった祖師像を譲り受ける。
日蓮の祖師像が厄除けに利益があるということで、江戸時代より多くの人々から信仰を集めている。
現在でも、厄除けなどの利益を求め、多くの人が参拝に訪れている。
古典落語「堀の内」の題材にもなるなど、街の顔にもなっている。


本堂の後背に、日朝堂というのがあります。

本堂左奥に建つ「日朝堂」は、文政11(1828)年第二十世日憲上人代に創立され、身延山十一世行学院日朝上人の御尊像が奉安されています。
室町時代、多くの学業を成し遂げた日朝上人は、眼病を患うほど勉学に精進されました。
回復後、ご自身と同じように眼病を患った人々を救いたいと大願をたてたところから、「学問と眼病の守護」としても崇められるようになりました。
稀世の学匠として高名であったことから、学業増進・受験合格等、勉学の願いが叶えられることで有名になりました。

受験シーズンになると多くの人々が訪れています。
実は、次に行った所にも、「日朝堂」がありました。
落語もそうですが、日蓮宗でも「朝」という字の付く人は、偉いんですね。
日蓮宗に日朝上人、落語界に三遊亭圓朝・・・なんて。
堀ノ内妙法寺
その日朝堂の横に、真新しい碑が建っていました。
「有吉佐和子の碑」とありました。
「複合汚染」「恍惚の人」などのベストセラーで知られる作家の有吉佐和子さんは妙法寺のすぐ近くに住んでいました。
境内を通って帰宅されることも多かったということです。
ご当人はキリスト教の信者だったのですが、妙法寺をこよなく愛されていたこともあり、「有吉佐和子の碑」が境内に作られたそうです。
堀ノ内妙法寺

祖師堂の傍らに、「鉄門」があります。
明治11(1878)年、日本の近代建築学会の恩師といわれる英国人J・コンドル博士(鹿鳴館・上野博物館・ニコライ堂などを設計)設計による貴重な和洋折衷様式の鉄門です。
扉上の中心に極彩色の鳳凰を抱く鉄門は、寺院の門としては特殊なもので、文明開化を推進した和洋折衷を強く意識した門と言えるでしょう。
当時としては斬新なデザインでしたので、ものめずらしさに見物に訪れる人も多かったようです。
妙法寺の参道は、確か新宿あたりからずっと繋がっていたはずです。
お祖師様のご利益は、江戸の庶民には絶大だったのでしょう。
この参道を東に戻り、環状7号を横断して進むと、和田帝釈天というお寺もありました。
南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経・・・・。

堀之内のお祖師様

江戸時代から「堀の内さん」や「お祖師さま」と呼ばれた杉並区堀之内・妙法寺は厄除で広く知られ「堀の内へ行ってくる」とは妙法寺に参拝することを意味し、吉原の遊女達でさえ代参を頼み”手ぬぐい”を奉納してもらっていたほどです。
寺にある「日蓮」の祖師像が厄除けにご利益があるということで人々の信仰を集め、現在でも厄除けなど多くの人が参拝に訪れています。
古典落語「堀の内」の題材としても知られています。東京メトロ丸の内線「東高円寺」下車、環七通りを徒歩10分ほどです。

父の2月命日のお参りの最初にこのお寺を選んだのは、同宗の名刹であることと、落語に出て来ることと、もう一つあります。
我が田舎の菩提寺の住職の婿殿が、このお寺にいるからなのです。
父の葬儀にも、その後にも、一生懸命にやってくれて、我がファミリーでの評価が高いのです。
勿論、本人に会いに行った訳ではありません。

今日あたりは、田舎に行っているかもしれませんから。
千代田線から丸ノ内線に乗り換えて、「新高円寺」で下車し、徒歩10分程度でしょうか。
青梅街道と環状7号線の交差点の近くです。
堀ノ内妙法寺
境内の南正面に建つ「仁王門」は、天明7(1787)年の再建で二層造りのため桜門とも呼ばれ、上層に廻縁をめぐらし、獅子・龍・華などの彫刻が絢爛にほどこされています。
仁王門の左右には、徳川四代将軍家綱公が妙法寺の地頭所日吉山王社に寄進したとされる金剛力士像(仁王様)が安置されています。
その姿は筋肉隆々で、右の像は口を大きく開け「あ」と叫び、左の像は口を「うん」と固く結んで力強さを表しています。左右の像は「あ・うん」の呼吸で妙法寺をお守りしているのです。
堀ノ内妙法寺
仁王門をくぐると、目の前に見える妙法寺で最も大きなお堂が「祖師堂」です。正面の御簾の奥に「祖師御尊像」つまり「やくよけ祖師像」が奉安されています。
この祖師像は、「おそっさま」と呼ばれお開帳された方は、そのご尊顔を拝することが出来ます。
やくよけ・家内安全・病気平癒のご祈願は、この祖師堂で受けることができます。
堂内は、天井や壁が金箔で覆われており、迦陵頻伽(仏教で極楽または雪山にいるという想像上の鳥)の彫物がありまさに絢爛豪華なたたずまいをみせています。
また仏の住む珠弥山の中腹にある東西南北の門を守護する四天王である廣目天(西方を守護し、災難から守る神)・増長天(南方を守護し、病を治す神)の像が堂内奥に奉安され、妙法寺を守護しています。
堀ノ内妙法寺

祖師堂で手を合わせ、命日の父を思います。
ここには一緒に来られませんでしたから、「親父、ここが堀之内のお祖師様で、妙泉寺(田舎の菩提寺)の婿さんがお勤めしているお寺だよ」と、語りかけるつもりで。

堀ノ内妙法寺
広重の「江戸名勝図会堀之内妙法寺」は、厄除け祖師像(日蓮像)が安置されている祖師堂から仁王門など妙法寺境内を描いています。
Fw:電子メールで送信: img_006212jp<br />
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本堂は、祖師堂の後背にあり、祖師堂に比べて静かな佇まい。
堀ノ内妙法寺
祖師堂の北東奥にあるのが「本堂」で、三軌堂とも称され、主に檀家の方々の法要行事等が営まれます。「三軌」とは、如来の衣・座・室を表し、法華経を信じ説く人の三つの心構えを表しています。
正面に奉安されている「おそっさま」は、昔、出開帳といって多くの人々がお参りできるように他所に持ち出された祖師像です。左側に奉安されている立像は「旭ヶ森のおそっさま」で、清澄の旭ヶ森で朝日に向かい御題目を唱えた姿を現しています。
文政5(1819)年に建立された本堂は、絢爛さが目を引く祖師堂と対照的に、落ち着いたたたずまいをみせています。

それにしても、木魚と鐘と読経の音(声)が耳に快く聞こえて来ます。

2月命日

父の逝去から2か月経ちました。
2月命日とでも言うのでしようか。
連休で帰省することも考えましたが、妹夫婦にまかせて、こちらで父を偲ぶことにしました。
昨日は、父とお参りしたことのある「中山法華経寺」と「題経寺」へ。

今日も、同宗のお寺に行くことにしました。
堀ノ内妙法寺

2013年5月 3日 (金)

くず餅

柴又帝釈天の参道で、「初天神」よろしく、みたらし団子を食べました。
そして、帰りに、勇気を出して参道の入口近くの老舗に入り、名物のくず餅を食べました。

2階は、参道の喧噪が嘘のようでした。
それに、何と言ってもくず餅が美味い!

実は本店は、亀戸天神の参道に。
・・・ということは、今日は、亀戸と柴又で、同じ店のものを食べたことになります。

げん担ぎ

信心に疎い日本人は、「寺社参拝=おみくじ」という人が多いようで、困ったものです。
お寺で柏手を打ったりする人もよくみかけます。
私は、おみくじを引くことはほとんどありません。
以前は、ご朱印帳を持って参拝していましたが、最近は、本堂や本殿で拝む・祈るのみです。
ふと、扇子形のおみくじを見つけました。
以前、神田神社でも見たことがありました。
落語に戻ろうとしているので、ちょっと引いてみることにしました。
げん担ぎ
おかげさまで、「大吉」でした。
げん担ぎ
「願い事」・・・高望みでも叶う
「健康」・・・・心身ともに充実する
「金運」・・・・絶好調です
・・・だといいですね。
ゴールデンウィーク後半初日は、好天にも恵まれ、父を偲びながらの徘徊でした。

柴又帝釈天

経栄山題経寺は、寛永年間(1629)に開基され、開山上人を下総中山法華経寺第十九世禅那院日忠(ぜんないんにっちゅう)上人とし、その弟子の第二代題経院日栄(だいきょういんにちえい)上人が実際の開基である。
柴又帝釈天

二天門から境内に入ります。
明治29年(1896年)の建立。
入母屋造瓦葺の楼門(2階建)で、屋根には唐破風と千鳥破風を付す。
柱上の貫などには浮き彫りの装飾彫刻を施す。
初層左右には四天王のうちの増長天および広目天の二天を安置し、門の名はこれに由来する。
二天像は平安時代の作とされ、門の建立時に同じ日蓮宗の妙国寺(大阪府堺市)から寄贈されたものである。

柴又帝釈天
好天に恵まれて、参拝客でごった返しています。
柴又帝釈天

このお寺にも、自宅からさほど遠くないこともあり、両親を連れてお参りしたことがあります。
この帝釈堂は、
手前の拝殿と奥の内殿から成り、ともに入母屋造瓦葺で、拝殿屋根には唐破風と大ぶりの千鳥破風を付す。
内殿は大正4年(1915年)、拝殿は昭和4年(1929年)の完成。
内殿には帝釈天の板本尊を安置し、左右に四天王のうちの持国天と多聞天(毘沙門天)を安置する。
内殿外側には全面に浮き彫りの装飾彫刻が施されている。

柴又帝釈天
帝釈堂内殿の外部は東・北・西の全面が装飾彫刻で覆われており、中でも胴羽目板の法華経説話の浮き彫り10面が著名である。
これは法華経に説かれる代表的な説話10話を選び視覚化したもので、大正11年(1922年)から昭和9年(1934年)にかけて、加藤寅之助ら10人の彫刻師が1面ずつ分担制作した。
この羽目板の上方には十二支と天人、下方には千羽鶴が表され、高欄(縁)より下の部分には花鳥および亀を浮き彫りで表す。
これらの彫刻を保護するため、内殿は建物ごとガラスの壁で覆われ、見学者用の通路を設け、「彫刻ギャラリー」と称して一般公開している。

・・・・という訳で、この彫刻ギャラリーも見て、庭園に向かいました。
Fw:電子メールで送信: <br />
 「柴又帝釈天庭園」の検索結果<br />
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邃渓園(すいけいえん)という庭園は、大客殿前に広がる池泉式庭園で、昭和40年(1965年)、向島の庭師永井楽山の設計によるもの。
Fw:電子メールで送信: img_1204911_<br />
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直接庭園へ入ることは出来ませんが、周囲に設けられた屋根付きの廊下から見ることができるのです。
この庭園の見事さに、小一時間、廊下にある椅子に座って、命の洗濯をさせてもらいました。
勿論、同宗の寺ですから、父を偲んで手を合わせました。

経栄山題経寺

同じ宗旨のお寺にと、京成中山駅から高砂を経由して柴又へ。
言わずと知れた「経栄山題経寺(柴又帝釈天)」です。
柴又帝釈天
中山法華経寺は、参詣するする人もあまり多くなく、ゆったり出来ましたが、こちらは、参道も、境内も大混雑。
柴又帝釈天
観光マップを手にしながら歩く人も、外国人も多くて。
私は、寅さんは好きではありませんから、純粋にお寺にお参りしたいと思います。
柴又帝釈天
ほら、人、人・・・・。

中山法華経寺の境内

「正中山中山法華経寺」の境内を徘徊します。
日蓮は「法華経」を唱えることで成仏出来ると唱えて他宗派を激しく攻撃しました。
1260年(文応元年)には「立正安国論」を著して時の執権である北条時頼に日蓮宗に帰依しなければ国が滅ぶと予言して鎌倉の松葉ヶ谷で襲撃を受け(松葉ヶ谷の法難)、現在の下総中山の豪族であった富木常忍のもとに逃れました。
常忍はその後出家して日蓮の弟子日常となり、自宅を法華寺としました。
近くの太田乗明も日蓮の弟子日高となり、自宅を本妙寺としました。
その後、室町時代に法華寺と本妙寺が合併して、現在の法華経寺となったそうです。
鬼子母神堂に向かいました。
Fw:電子メールで送信: f0054594_552<br />
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広い廊下?を歩いて、一番奥の鬼子母神堂まで行きました。
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日蓮大聖人御親刻の鬼子母神像が安置され、怨魔退散、子育ての守護神として崇められています。
雑司ヶ谷と入谷とここが、江戸三大鬼子母神と言うそうです。
それから、荒行堂を見て、祖師堂の後背にある法華堂方面へ。
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この荒行堂では、11月1日より2月10日までの百日間日蓮大聖人直授の秘伝、大荒行が行われます。
緑とつつじが見事で、穏やかな気持ちになりました。

四足門は、切妻造檜皮葺、約七百年前鎌倉愛染堂に在ったものを移築して法華堂の正門に立てたもの。
中山法華経寺
法華堂は、桁行五間、単層入母屋造、銅板葺、文応元年(1260)創建。 
日蓮聖人自ら一尊四菩薩を開眼安置しています。
喉が渇いたので、参道にある店でラムネを飲みました。美味い!
さぁ、まだ日は高い・・・。
ついでだから、もうヶ1ヶ所どこかに行ってみようか・・・。

中山法華経寺

黒門と仁王門をくぐり、参道を歩いて行くと、広々とした境内が目に入ります。

絵馬堂を右に見て、正面に五重塔と大仏が目に入ります。
左を見ると、勇壮な祖師堂が・・・。

延宝6年(1678)第48世日純上人代に上棟式が行われ、17年の歳月をかけ、元禄15年(1702)落慶式が行われたというもの。
度々の改修工事を行い、昭和62年より日常大聖人第700遠忌事業として、10年の歳月をかけ、解体修復工事が行われ、平成9年、復元が完成し、創建当時の比翼入母屋造りの祖師堂になったとのこと。
安置されている日蓮聖人像は中老日法上人の作で、祖師堂正面には「祖師堂」の大額が揚げられています。

父が、この境内で祖師堂や五重塔を見上げていたのを思い出します。
中山法華経寺
享保4年(1719)59世日禅上人代に鋳造され身丈1丈6尺台座2間半、鋳像では千葉県一だそうです。
中山法華経寺
五重塔は、元和5年(1622)18世正教院日慈上人代 本阿弥光室の本願によって加賀(石川県)前田公の寄進により建立された、三間四面銅板葺の威容です。
父を偲びつつ、さらに広い境内を散策します。

同宗の寺へ

 亀戸天神を出て、同じ総武線を下り、下総中山に向かいました。
日蓮宗の大本山中山法華経寺に参詣しようと決めました。

明日4日は、父の2度目の月命日になります。

両親が金婚式を迎えた時に、私が車を運転して、一泊二日で日蓮宗の名刹を巡ったことがあります。
父が、寺の総代をしていたこともあって、千葉県の日蓮上人ゆかりの寺を巡ったのですが、その時のスタートが、ここ「中山法華経寺」でした。
Fw:電子メールで送信: 18c2275fb269<br />
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そんなことで、連休は帰省しないことにしていましたので、同宗の寺で手を合わそうと思いました。

アイスもなか

去年も食べたので。

亀戸天神の鳥居の向かい側に、参道内に本店のある葛餅が有名な老舗の出店があり、スイーツを販売しています。

ラーメンを食べた後のデザートにと、今年も食べてしまいました。
ちょっと寒いぐらいですが、それとこれとは別。美味い!
さてと・・・、そうだあそこに行ってみよう。

徘徊の途中の腹ごしらえ

徘徊のために腹ごしらえをと、安易に亀戸天神の鳥居のすぐそばにある小さなラーメン屋さんでチャーシュー麺をたべました。

ラーメンは大好きですが、最近のラーメン屋さんは、なんかこう凝り過ぎていて、美味いのか不味いのかわからないのが多いのと、固め柔らかめ・スープの濃い薄い・太麺細麺・縮れ麺・・・など客に選択させることが多いのと、食券を買わせる店が多いのが不満です。
この店も食券でしたが、お客に何か色々やらせるのは、食券(職権)濫用ではないかと思いますよ。
バラとロースのチャーシューが入っていたりして、なかなかのものでした。
・・・というより、ラーメンならほとんど好きですから、これでいいのだ。
こんな庶民的な店でとやこう言うのも野暮ですが、帽子を被ったまま食べているじいさんがいました。
昔なら「お行儀が悪い」って叱られたと思います。
こういうマナーというか行儀を知らないはずはないと思うのですが・・・。
さぁ、総武線でどこか徘徊に良い場所ありませんか・・・。

亀戸天神社

ぶらりと亀戸天神に行きました。

亀戸天神社
去年も5月5日に行きましたが、綺麗な花が見られませんでした。
今年こそはと、勇んで出かけましたが、もう花は終わりのようで、またまた残念な状態でした。

こんな状態を期待したのですが、自然が相手ですから仕方ありません。
亀戸天神社
ため息をつきながら、盛りを過ぎた花を・・・。
亀戸天神社
東京スカイツリーを借景にして、それでも社殿の前は、お参りする人の列で大にぎわいです。
亀戸天神社
亀戸天神社
亀戸天神社
藤は残念でしたが、つつじ?がきれいでした。
亀戸天神社
亀戸天神社
さぁ、次はどこに行きましょうか・・・。時間はたっぷりありますから。

GW後半初日

GW後半初日ゴールデンウィークも後半。
どこに行く予定もあてもなく、さぁ何をしようかと・・・。
「お江戸あおば亭」のプログラムでも作ろうと思っていたのですが、もう出来上がりましたし・・・。
GW後半初日
ふらりとでかけた、わが徘徊のベースの上野駅。
公園口改札口は大変な混雑です。
改札を出るのに長蛇の列が出来ています。
今日は公園には行かず、どこかへ行こうと思います。

憲法記念日

今日は憲法記念日。
国民の祝日に関する法律(祝日法)では「日本国憲法の施行を記念し、国の成長を期する」ことを趣旨としています。
1947年の今日、「日本国憲法」が「施行」されたのを記念し、1948年公布・施行の祝日法によって制定されました。
一般的には、ゴールデンウィークを構成する祝日の一つぐらいの感覚の方が多いのではないかと思います。
なお、この憲法が公布された11月3日は、日本国憲法が平和と文化を重視していることから「文化の日」になっているということですから、憲法のおかげで年に2度休めるということですね。
最近、憲法改正論議が高まって、改憲派と護憲派が騒いでいます。
ふと、自分が法学部の出身だったと思い出しました。
自分がその程度ですから、到底人様には申し上げられないのですが。
最初に勉強したのが「憲法」でした。
その頃は真面目でしたから、先生の講義を聴いて、一生懸命ノートに書いたものでした。
下宿に帰ってから清書したりして。
最終的には、ルーズリーフの細罫のノートにぴっしり120ページぐらいになり、試験の時などは、友人たちから「コピーをさせてくれ」という訳で、随分"売れ"ました。
私にとっては、真面目に作った唯一の講義(受講)ノートで、実家の書架に大切に保管してあります。
もう、ノートも黄ばんでいて、時代を感じます。
先生は、小嶋和司教授でした。
ちょっとハスキーな声で、教壇の椅子に斜めに腰かけて、一言一言噛みしめるような語り口調でした。
小嶋先生のような著名な学者の方からは、政治家はあまり勉強していないように見えるようですが、「中曽根康弘という人は、よく勉強している」と、辛口の先生にしては珍しくお褒めになっていたのが印象に残っています。
現総理が「憲法学者の芦部先生を知らないなんて」と、野党から揶揄されましたが、小嶋先生はこの芦部先生の兄弟子のような存在だったのですね。
1987年に63歳でご逝去されたそうです。
Fw:みみ 著書の「憲法概観」「憲法学講話」や「憲法概説」は、私が拝聴した講義から生まれたのかも。
こんな話題がすいすい出て来るところを見ると、乱志も落語ばかりしていた訳でもないのかもしれませんな。

2013年5月 2日 (木)

お江戸あおば亭のプログラム

とりあえず、「お江戸あおば亭」のプログラムを作ってみました。
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基本的なレイアウト等は、前回を踏襲して・・・。
ただし、今回は出演者が多いので、ちょっと窮屈に見えるかもしれません。

日米通算2000本安打

私の大嫌いなプロ野球選手が、昨日日米通算2000本安打を記録したそうです。
記録に対しては、敬意を表しますが、態度・風体・品格ともに好感が持てない選手です。
ところが、面白いのは、あと5本で(国内)2000本安打に到達するということ。
えっ・・・・ということは、彼の地では5本「しか」打っていないということですね。
とにかく、不遜で井の中の蛙・内弁慶を絵に描いたようなイメージの選手ですから・・・。
それでも、さすがの本人も「大リーグの5本はカウントしたくない」という強い意向で、記念セレモニーは行われなかったそうです。

どうらく息子(7)

新刊ホヤホヤがAmazonから届きました。
Fw:電子メールで送信: 51EnM9QPzNL.<br />
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第7巻目は、「千早ふる」のほか、「鰍沢」「不孝者」が丹念に描かれているそうです。
今夜帰ってから読破しようと思います。

八十八夜

今日は八十八夜、立春から数えて88日目です。
八十八夜
"八十八"と いう字を組み合わせると「米」という字になることから、農業に従事する人にとっては特別重要な日でもあります。
昔から「夏も近づく八十八夜」や「八十八夜の別れ霜」などと言われ、八十八夜は霜のなくなる安定した気候の訪れる時期。
春から夏へ移る境目の日ということです。
今日は雨混じりで寒い1日になりそうですが。
昨日からクールビズなんて言っていますが、とてもそんな状態ではありません。
八十八夜からは新茶の摘み取りが行われます。
そう言えば、幼少時代は、今のようなゴールデンウイークではありませんでしたが、数少ない連休は、お茶摘みをやらされました。
祖父が揉んだ新茶は、子どもでも本当に美味いと思いました。
ところで、「八十八夜」という歌があって、なぜかとても好きです。http://www.youtube.com/watch?v=oYcfx7jZDig

2013年5月 1日 (水)

雑司が谷ワンコイン落語会

師匠がご出演される「雑司が谷ワンコイン落語会」。
思えば2010年の7月。
雑司が谷鬼子母神参道の「案内処」オープンを記念した同落語会に、師匠の前座で出演させていただきました。
懐かしい・・・、あの頃は熱かったですね。
Fw:電子メールで送信: imgp0753_2.j<br />
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出演 三遊亭 圓窓
日時  平成25年5月19日(日)午後2時開演
場所 雑司が谷地域文化創造館 地下1階第2練習室
料金 500円
申込

5月1日(水)より
豊島区内各地域文化創造館、勤労福祉会館の窓口、雑司が谷案内処にてチケット販売開始(先着100名)

富士山が世界遺産

霊峰富嶽がやっと「世界文化遺産」にという報道。
富士山が世界遺産に
ごみを捨てたりせずに、きれいな山にしないといけません。


「富士山と信仰・芸術の関連遺産群」(山梨県、静岡県)について、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の諮問機関である国際記念物遺跡会議(イコモス)が、条件付きで世界文化遺産への登録を勧告したと発表した。
勧告を踏まえ、6月にカンボジアで開かれるユネスコの世界遺産委員会で登録が正式決定される見通し。




富士山は、富士五湖や富士山本宮浅間(せんげん)大社(静岡県富士宮市)、忍野八海(おしのはっかい)(山梨県忍野村)など25件が構成資産。
浮世絵で描かれたり和歌の題材になるなど芸術のテーマとしても取り上げられ、神社や自然を一体として名山の景観を形づくっているとしている。
ただ、「三保松原(みほのまつばら)を除き記載が適当」との条件が付いた。

桂文枝師匠のコメント

桂文枝師匠のコメント記事を見つけました。
落語という芸は極めてシンプルであり、それゆえに演者は大事なことを伝える真のコミュニケーション能力を、観客はそれを受け取る想像力を求められる。
だが、最近の日本人はそれらコミュニケーション能力や想像力を欠いているのではないか。
様々な悲惨な事件が起きる背景にはそうした日本人の劣化があるのではないか。
六代桂文枝師匠はそう危惧している。
こんな書き出しです。
Q:近年起こっている事件を見ると日本人は情を忘れてしまったようだ。特に若い世代はコミュニケーション能力が低下していると言われる。
A(文枝師匠):だいぶ前からキレやすい若者が増えたと言われますし、ネットの掲示板では、激しい言葉で他人を攻撃したり中傷したりするのが当たり前になっています。
それに対応することだと思いますが、テレビの笑いの質が劣化しています。
今は芸人同士が「コイツはこんなアホな失敗をした」とか、「アイツにはこんなひどい欠点がある」といったことを暴露し合い、それを聞いたスタジオにいる出演者が笑うということが多い。
つまり、他人をバカにして笑いを取るのです。
ボキャブラリーも貧困で、「アホか、お前は」とバカにするだけ。
しかも、バカにされた方も、イジられることが人気の証しと思っているかのように、喜んだり得意気になったりしている。
テレビがそうした安易な笑いを毎日流していると、それを見た子供たちが真似をする。
しかし、芸人と違い、子供たちの中には傷つく子もいる。
イジメられたと感じ、追い詰められる子もいるでしょう。

Q:昔の笑いは違った。
A:落語に限らず、昔の漫才やコントは計算し尽くされた芸で笑いを取っていました。
そこにはユーモアもあれば、ペーソスもあれば、知性もあった。
そして、何より情がありました。人をバカにした笑いは見る人、聞く人に後味の悪さが残りますが、情のある笑いは心を温かくします。

Q:むしろ日本人は退化しているのかと悲しくなる。
A:そうかもしれませんね。例えば、今のテレビは人間の想像力を削ぐような作り方をする傾向が強まっています。
わかりやすく伝えるためなのかもしれませんが、ドキュメンタリーでもバラエティでも再現ドラマを多用し、しかもすべてを説明しようとするようにテロップをやたらとつける。
そこには視聴者が想像力を働かせる余地が全くありません。
いわゆる行間を読む必要がないのです。しかし、説明が過剰になることによって、大事なことがこぼれ落ちていくのです。
そういう環境に慣れてしまった視聴者は、わかりやすいものばかりを求め、想像力を働かせないと理解できないものを避けるようになります。
しかし、他人の気持ちに想像力を働かせ、それを思いやるのが情です。
最近の日本人が情を失いつつあるのは当然かもしれません。
もっと落語のように「間」のある演芸、余韻のある演芸を楽しむ余裕を持つべきではないでしょうか。
  ※SAPIO2013年5月号
全くそのとおりだと思います。
落語は、言葉を豊かに、想像力を豊かにする演芸です。

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