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・・くくくぅぅ・・。何と低調な1ヶ月だったこと・・・。
今月は、3ヶ月弱のブランクのあった稽古に復帰出来たのが、最大の出来事?でしょう。
しかし、落語っ子連の稽古(日曜日)には2度顔出すことが出来たものの、扇子っ子連の稽古(火曜日)には出られませんでした。
落語会は、17日の「東京落語会」に行っただけでした。
20日に、このブログへのアクセスが44万件に達しました。
年内に50万件に達することが出来るかもしれません。
年末でちょうどオープンして4年目になります。
それでも、来月の「お江戸あおば亭」を控えて、プログラムやらチラシやらの準備、それからOB会だより「あおば亭・第3号」の編集等々・・・、やっていました。
今月は、仕事で大阪出張が4度もありましたので、新幹線の中で暮らした時間も相応にありました。
のべ20時間、のぞみちゃんにお世話になりました。
その中では、指定席を間違えたり、自分の過去の稽古の録音を聴いて冷や汗を流したり・・・、それなりに大騒ぎでした。
日比谷公園を通る歩き稽古、自宅での風呂稽古も、とりあえずやってみました。
来月は、いよいよ「お江戸あおば亭」です。
半年振りの高座に、やや緊張しています。
一昨日の出張帰りの新幹線で。
稽古を録音したレコーダーで、「揺れるとき」を再生しようとして、ふと「以前どんな噺の稽古を録音していたのかな?」と、懐かしさも手伝って聴いてみました。
暫く、稽古での録音はしていなかったので、もう3年以上も前のものですが、師匠との芸談と、「三方一両損」と「浜野矩随」などが録音されていました。
「浜野矩随」は、何度も師匠に聴いていただき、録音も2本残っていました。
しかも、師匠から褒めていただいているコメントも入っています。
「揺れるとき」は置いて、2本を聴いてみました。
自分で言うのも何ですが、とても上手いんです。
声も、間も、感情移入も。
師匠も、かなり詳細な仕草のアドバイスをしてくださっています。
1
本には、マクラが終わった所で、わざわざ噺を止めて、「褒めたいから。マクラの語りが一本調子でなく、しっかりメリハリが付いていて素晴らしい。(息子さんの)窓輝(さん)に見習わせたいよ。」とのコメントも。
今の「揺れるとき」と比べると、あの頃の「浜野矩随」の方が数段上手い…。
何が違うのか…。
まずは稽古の量。
そして、邪念のなさではないかと。
過去の自分の噺がライバル、目標になるとは思いませんでした。
あと10日、「浜野矩随」を超えられるよう。
またまた新幹線の座席のこと。親分、てぇへんだぁという・・・。
昨日の出張の帰りの指定席は【14号車13番A席】でした。
何度も口で番号を繰り返しながら座りました。
落語の「平林」みたいに、14号車13番・・・
と歌いながら。
席に荷物を置いて、ホームの自動販売機でお茶を買って戻ると、カップルが席の通路に立っていて…。
席を見ると、私が荷物を置いたのは、「14番」でした。
あちゃぁぁー!
14は号車番号じゃないの! (たいらばやしかひらりん)
すぐに2人に平身低頭にお詫びして、一つ前の席に移りました。
カッコ悪ぅ!
新大阪を発車して京都に着く直前、検札が来るので、何気なく見ると、席は「15番」と表示されているではありませんか。
んっ?15?違うやんけぇ! (いちはとじゅうのもっくもく)
15番じゃないよ。「13番」だよ。
だから、席を移るのは、一つ前ではなくて、一つ後の席 (;O;)
慌てて、また引っ越しです。 (ひとつとやっつでとっきっき)
正しい席に移り終えた直後、京都駅に着いて、今までいた席に人が座りました。
滑り込みセーーーフ・・・。
物凄いショック ☆=>=>=>(+_+。)
暫く自己嫌悪状態でした。
意識し過ぎて、かえって“どつぼ”にはまってしまったようです。
それとも、本当に呆けが始まったのでしょうか?
落語協会の3人の前座さんが、11月から二つ目に昇進するそうです。
・柳家獅堂門下の「いっぽん」さん
・柳家権太楼門下の「おじさん」さん
・林家木久扇門下の「木りん」さん
最近の前座さんの名前は「ん?」というのもありまして。
「おじさん」さんは改名して「おじいさん」さんになったりして。
「柳家フラワー」「三遊亭ございます」「三遊亭しあわせ」さんあたりは、その範疇に入るかもしれません・・・。
確か「三遊亭ありがとう」っていう前座さんもいましたが、廃業してしまったようです。
最近は寄席に行かないので、初々しい前座さんの高座もなかなか拝見できません。
それでも、「おじさん」さんは聴いたことがある気がします。
こんな記事を見つけました。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130526-00010000-wordleaf-ent
当代の桂文枝師匠が、先代の文枝師匠から言われた言葉。
芸人とはどういう仕事なのか、自分が入った世界はどういう世界なのか。
昔からの友達であっても、もう普通にはしゃべられへん世界に自分は入ってしまったんや。
好きで進んだ道。女手一つで大学まで行かせてくれた母親を悲しませてまで入った道。
せやけど、やっていけるんやろうか。
ホンマにこれでよかったんやろうか。
いろいろな思いがめぐって、その晩はとにかく涙が出ました。
・・・そういう世界なんですね。
少なくとも、昭和の時代までは。
今日は今月4度目の大阪出張です。
大阪のオフィスで、学生さんを集めて会社説明会です。
一時ほどではないにせよ、学生さんたちにとっても就職活動は大変です。
3年前の息子の時を思い出します。
最近はウェブ採用というのか、世の中、我々の頃よりも大量で雑な採用になった気がします。
ヒューマンタッチがなくなって。
それから、学生たちも氾濫する情報に溺れてしまい、下手な鉄砲をいたずらに数撃って、個別企業や業界の勉強や研究が出来ていません。
さらに、テクニックだけ教えられ、志望動機を丸暗記してくる学生も多くいます。
それも、中途半端な暗記ですから、酷いのなんの。
自分の言葉で落ち着いて語ればいいのに。
それから、新聞を読んでいませんね。
そもそも自宅で新聞を購読していない家庭が多いのに驚きます。
…いつもの「のぞみ207号」です。
今朝は梅雨入り間近のあめ雨模様ですから、富士山は見えないでしょう。
待合室も混雑して来ました。
「ル・テアトル銀座」で開催されている「読売GINZA落語会」が27日の第40回で最終回だったそうです。
どなたかのツイートで知りました。
この落語会は2001年に始まり、年3・4回程度のペースで開催されていました。
私も、何度か行きました。
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2010/03/post-babd.html
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2011/07/post-babd.html
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2011/11/post-babd.html
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2012/06/post-babd.html
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2013/02/post-8.html
ベテランから気鋭の若手までが幅広く出演し、2000年代後半の落語ブームを先導する役割を果たした。
5月末の劇場閉館に伴い終了が決まった。
トリで高座に上がった立川志の輔さんは「12年間の最後を飾らせていただく。エベレストに登頂したような気持ち」と語り、会場を沸かせていた。
http://69.194.230.19/~newxipin/r.php?nin_u=Oi8vd3d3LnlvbWl1cmkuY28uanAvZW50ZXJ0YWlubWVudC9zdGFnZS90cmFkLzIwMTMwNTIwLU9ZVDhUMDA3NjMuaHRt&nin_b=1
読売新聞社主催の落語会は、2014年春に完成する予定の大手町の読売新聞本社ビル内にオープンするホールに会場を移して復活するそうです。
そうすると、日経ホールでの「大手町落語会」もありますから、俄然大手町が落語で活気づくかもしれません。
昨日は、帰宅時も自分の稽古の録音を再生して聴きながら帰りました。
朝2度聴いて、帰りも・・と、さすがに気分が悪く?なって来ました。
悪酔い、船酔いのような感じです・・・。
こりゃいけない。
やはり、良い(上手い)落語を聴かないと身体に良くないことを痛感しました。
下手な落語を聴くと「義太熱」ならぬ「ラク熱」に罹ってしまいますから、気をつけないといけません。
・・・という訳で、今朝は歩き稽古も聴き稽古もせず、落語から離れて「絶対安静」にしていようと思います。
本当に下手なんですねぇぇ・・・。トホホ・・・。
ヤフージャパンのサーバーに不正アクセスがあったそうで、個人情報が流出しているのではということでしたが・・・。
トップページに、「ご自身のYahoo! JAPAN IDが対象か確認してください。」というコメントがあったので、確認してみました。
「5月16日の21時頃にYahoo! JAPAN IDを管理しているサーバに不正アクセスがあったことが判明しました。ご迷惑をおかけして申し訳ございません。
不正アクセスされた情報だけでログインされることはありませんが、お客様のIDが不正アクセスの対象となっているかお知らせさせていだきます。
対象ではありません。
IDが不正アクセスされた可能性はありません。」
何のことか分かりませんが、私は無事のようで・・・。
不正アクセスと懸けまして、空き巣と解きます。
その心は、みんな留守(We 留守⇒ウィルス)が危険です・・。
東京かわら版の6月号が届きました。
今月は入船亭扇辰さんです。
2月の国立演芸場の「鰍沢」が聴けずに残念でした。
父が危篤だったため、行くことが出来ませんでした。
確か、奥様が山梨県出身で、新潟県出身の扇辰さんとは毎日が「川中島」だということで。
「揺れるとき」の中にも、「鰍沢」に触れる部分があり、師匠からも高座本を頂戴していますので、近々チャレンジしたいと思います。
全く、かわら版とは関係ありませんが。
そう言えば、本書の予約購読が8月号分までですから、来月はまた1年分振り込まなくてはいけません。
今朝は、「蝦蟇の油」よろしく、自分の姿ならぬ声を聴きながら通勤することにしました。
昨日の稽古の録音を再生して聴きながらという・・、聴き稽古?
約30分強ですから、自宅を出てから2回聴くことが出来ました。
脂汗が出そうになりますが、どこをどのようにすれば良いか、抑揚の幅や要領も分かる気がします。
それにしても、登場人物のキャラをはっきりさせ、演じ続けるのは大変です。
ベテランの噺家さんならば、同じ口調で演じても、聴き側が区別してくれますが、素人はそういう訳にもいきません。
さりとて、落語は聴く側にイメージを作ってもらわなくてはいけませんから、声優さんのように、一人ひとりが完全に独立していてもいけないし・・・。
前回と昨日の稽古会で、師匠に「揺れるとき」を見ていただきました。
前回の師匠からのコメントと録音を聴き、スピードと抑揚を意識して演ってみました。
まだまだ稽古が足りないので、言い間違いやつかえる部分も多く、もっともっとスピーディーに運ばないといけません。
それから、コアな場面場面の繋ぎが酷い!
後で、今日の録音を聴いて、感情移入が中途半端だと痛感。
緊張感を維持することと、言葉を大切にすることです。
師匠からは、圓朝が「牡丹灯籠」を演じ終えた時のお辞儀の手を揃えること、「寿限無」の場面で、「稽古がここまで来たときに」と言う言葉を入れるようにとアドバイスをいただきました。
それにしても最大の失態は、「圓朝さん」と言うべきところを「矩随さん」と言ってしまったところ…(゜o゜;
あと2週間、もっとキャラを際立たせないと。
疲労困憊…(´Д`)
昨日の稽古会で、師匠が、お願いしていた高座本を6冊、いつものように自ら印刷・製冊して持って来てくださいました。
「おせつ徳三郎(上)・(下)」「牡丹灯籠・下駄の音」「通夜の猫」「孝行糖」「厩火事」の6冊です。
「おせつ徳三郎」は長講。
オチは「鰍沢」と同じでしたが、最近は別のオチにしている噺家さんが多いようです。
師匠のオチもそうでした。
通しで出来るようになりたいものです。
「牡丹灯籠…」は、圓朝物のほんの一部を抜き出したもので、これには師匠もオチはつけていません。
この高座本をお願いしたのは、「揺れるとき」で、この一部を演じるので、全体を知っておきたかったからです。
なるほど、これもチャレンジ出来るかもしれない。
「通夜の猫」は、圓生師匠が「猫怪談」としてお演りになっていて、私は扇橋師匠を参考に、学生時代に演っているのです。
あまりにも暗いのを、師匠がマイナーチェンジしたと言うことだったので、掘り起こせないかと…。
「孝行糖」と「厩火事」は、滑稽噺の持ちネタ候補として。
稽古場に行くと、もう始まっていました。
紅巣亭心童さんは、我々のメンバーではありませんが、熊本から稽古に通っている小児科のお医者さんです。
午前中は、吉窓師匠から寄席踊りの稽古も受けていて、まことに羨ましい限りです。
今日はご自身の創作の熊本弁の噺の読み稽古でした。
そして、我々の稽古は、4名が稽古させていただきました。
来月はほとんど日本にいない百梅さんは、猫の茶碗の読み稽古。
窓口さんは、また楽しそうな寝床の読み稽古。
新参さんは、師匠から、昔の口癖が治って全快祝いだということで、豆屋を上げていただきました。
そして流三も、復帰2回目で、かなりペースが戻って来ました。
私と新参さんは、金願亭乱志・杜の家とん平として、来月8日の「お江戸あおば亭」に、今日の演題を披露する予定です。
今日も楽しい稽古会でした。
今日も暑くなりそうです。
◇ 阿武松 桂文字助
立川流の重鎮で、私はあまり存じ上げませんが、渋い噺家さんのようです。
ある落語家名鑑によりますと、築地魚市場が地盤で、相撲ネタがお得意の師匠だそうです。
以前にも言いましたが、立川流は、談志師匠が落語協会から飛び出して、寄席に出られなくなってからのお弟子さんが、変に目立ち、一部からの偏った評価をされています。
しかし、マスコミ受けはしないけれども、やや古いタイプだけれども、上手い噺家さんがいます。
ぜん馬師匠、龍志師匠…、いいですね。
ところで、この「阿武松」。
先日の東京落語会では、これまた一門の雰囲気とは違う林家錦平師匠を聴きました。
あまりくすぐりのない地味な噺を、地味な噺家さんが演るのもいいですね。
一緒に聴いた豚平師匠から、「この噺は、乱志君がやりたそうな噺だね」と言われました。
ピンポーン!
昨日の車内稽古で声を張り上げ過ぎたからか、喉が痛い。
◇ 思い出 五代目古今亭今輔
聴きながら、また夢の中へ。
爽やかな風に吹かれて、日比谷公園通過コースの歩き稽古。
今朝は、日比谷公会堂のコースを選んでみました。
「揺れるとき」のコアになる場面を、場面毎に浚うというパターンで、歩きながらブツブツとやって行きます。
どうしても、下手を向くことが多い前半部分は、これが盲人の台詞なので、眼を閉じて言わなければならず、蛇行して歩いていると思います。
以前、師匠からアドバイスされましたが、お茶や煙草などの仕草を入れると、場面間や台詞の間が取りやすくなるということでした。
「救いの腕」ではお茶と饅頭で間を取りましたが、今回の「揺れるとき」では酒にしようと思います。
酒の入った茶碗(あるいは大きめのぐい飲み)を持ちながら、台詞の間に飲みながら・・・。
目を閉じてブツブツ言いながら、時折酒を飲む仕草をして歩いている人が、通り過ぎる人にはどのように見えるのでしょう・・・?
また新幹線の話題で恐縮ですが、東京から新大阪駅に着く直前の右側に、新幹線の車両基地があります。
後で調べたら、通称「鳥飼車両基地」と言われているそうです。
多くの車両が並んでいる景色は壮観ではありますが、見ようによっては、蛇のような長い生物が、ニョロニョロと集まっているようで。
白蛇か、白い鰻・・?あまり想像しないようにしています。
ところで、私は「テツオ」ではありません。
強いて言うならば、「ラクオ」です・・・。
日本人の冒険家?プロスキーヤー?が、歴代最年長(最高齢)でのエベレスト登頂に成功したそうです。
とりあえずはおめでたいことですね。
私は、「よくやるよな」ぐらいの感覚で、「世の中には色々な価値観を持つ人がいるものだ」と思う程度です。
取り立てて騒ぐ気もありません。
昔、有名な冒険家で、最後はマッキンリーかどこかで行方不明になった人がいて、マスコミは随分大袈裟に伝えて英雄視していましたが、私は「そうかな…?」と思っています。
単独登頂と言っても、サポート部隊に囲まれ、見守られての登頂で・・・?
ところで、今までの最年長(最高齢)の登頂記録を持っていた、現在81歳のネパール人の男性が、すぐさま登頂にチャレンジするそうで、成功すれば「三日天下」になってしまいます。
願わくは、最年長記録だけを競うチキンレースにならないようにと。
スーパーコンピューターの性能は世界一を目指すべきですが、これは2番でもいいでしょう。
これ以上加熱したら、周りに迷惑をかけるだけですから。
勿論、ご本人の気力、チャレンジまでの鍛錬や努力には、心から敬意を表しますが。
おじいちゃん、お疲れさまでした。ゆっくりお休みください。
「饅頭怖い」でなくて「饅頭偉い」という話題。
ソースは、いつもの日本経済新聞の「春秋」から。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO55323240S3A520C1MM8000/
お客が来るからと、饅頭を20個買ってくるよう少年が母親から頼まれる。
近所の菓子屋には饅頭がちょうど20個残っている。
しかし、店主に「よかったな。きょうはもうこれきり作らない」と聞かされた少年は、「間違えた。やっぱり18個だった」と言って18個だけ買った。
帰ってきた少年を母親は「いいことしたね」と褒めた、という話を聞いたのは立川志の輔さんの高座だった。
下町生まれの友達の体験談なのだそうだ。
そう、下町は大人にも子どもにもそんな感じあったな、と心に残った。
自分さえよければ、でなく、周りへの目配りが無理なく利いていた、と字にすれば少しやぼったい。
・・・野暮ったくても、日本人はそうなんですよね。
バスに乗って運転手さんに「お願いしますよ」と声をかける人。
街頭で配っているティッシュを「ありがとう」と言って受け取る人。
偶然に肩が触れたりしたときに「すみません」と言う人。
前を横切るときに「ごめんなさい」と言って会釈する人。
誰が良い悪いではない、どちらの勝ち負けでもない、皆が平穏・平和に生きるための術として、日本人はこんな素敵なマナーを身に付けて来たはずです。
「ありがとう」「ごめんなさい」と笑顔。
この大切な人の教育を、忘れてしまったんですね。
毎年6月第一月曜日は「寄席の日」。
今年は6月3日(月)という訳ですね。
http://rakugo-kyokai.or.jp/Topics/Details/d7ecdeec-0d32-4c4a-8c46-5d17d037f966
・・と言って、今まで「寄席の日」だからと言って、寄席に行った記憶はあまりありません。
そもそも「寄席の日」って?
きっと昨年までも同じことを考え、同じことを調べて、このブログにコメントしたはずですが・・。
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2009/05/post-bfd2.html
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2012/05/post-ca24.html
東京都内の4つの定席と国立演芸場が2000年から実施しています。
これは、江戸での寄席の発祥が、初代三笑亭可楽が1798(寛政19)年6月に、台東区の下谷神社内で「風流浮世おとし噺」の看板を掲げた興行が始まりとされることからだそうです。
かつて働いていたビル・・・。
元はこうでした・・・。
今年の2~3月頃。
今年の4月頃・・・。
そして最近・・・。
上から解体されて、どんどん低くなり、3分の1くらいの高さになってしまいました。
私は決してメーカーの回し者ではありませんが・・・。
こんなのほんのごく一部の一部の一部の一部です。
全部食べた人はいるのでしょうか?
でも、結局は、ジャムや玉子やツナやハムのような、サンドイッチの定番食材に戻る気がします。
これって、古典落語と新作落語の関係に似ていると思います。
数多くのものが創り出されても、残るのはほんの一握り・・。
・・と無理やり落語に結び付けました。
電線に・・なんていうナンセンスな踊りが、一昔流行りましたが、そんなものではなく、伝統のある踊りだそうです。
慶長8年(1603年)、仙台城移徒式(新築移転の儀式)の後の宴席で、泉州・堺出身の石工が、藩祖伊達政宗公の前で即興で披露した踊りがはじまりと言われています。
踊る姿が餌をついばむ雀に似ており、伊達家の家紋も「竹に雀」であることから「すずめ踊り」と呼ばれました。
仙台発祥の郷土芸能であるすずめ踊りは石工の子孫によって伝承されて来ましたが、近年では市民の間にも広がり多くのグループ(祭連=まづら)が創られるようになりました。
5月の「仙台・青葉まつり」など様々なまつりやイベントで披露されるすずめ踊りは各祭連が工夫を凝らした振り付けやお囃子を競い合い、年々その規模を拡大しています。
落語で仙台と言えば「ねずみ」。伊達の殿様が出て来るのが「伽羅の下駄」あたりですが、「抜け雀」も、仙台を舞台にしても面白いかもしれません。
ただし、「ねずみ」とは完全についてしまいますが・・・。
日本経済新聞の「春秋」に、井上ひさしの笑いについて述べたものがありました。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO55229790Q3A520C1MM8000/
苦しみや悲しみは人間が生まれ持っている。
でも、笑いは人の内側にないものなので、人が外と関わって作らないと生まれない。
井上ひさしはそう言った。
だから、人間の最大の仕事は、悲しい運命に瞬間でも抵抗できるようないい笑いをみんなで作りあうことだと。
井上ひさしにとって、笑いがいかに重大な関心事だったか、いかに笑いに心血を注いでいたかということでしょう。
笑い…。
いい笑い…。
難しいことですが、とても大事なことのようにように思います。
可杯(べくはい)は、さかずきの一種で、「べくさかずき 」とも言います。
漢文で、「可」の字は「可 二 ○○○○ 一 」( 一 、二 は返り点)のように、常に句の上に来て、けっして下に置かない。
このことから、飲みほさなければけっして下に置くことができないさかずきのこと。
可杯の形は何種類かあります。
まず、さかずきの底にちいさな穴がうがってあり、さかずきを持つ手の指でその穴をふさぎ、飲みほさなければ下に置くことができないもの。
天狗面のさかずきは、容量は8勺ほどで、その鼻(容量は5勺ほど)を持って酒を飲むもの。ひょっとこ面のさかずきは、面の口にひらく穴を指の腹でふさぎながら酒を飲む形。
「試し酒」あたりに、この「可杯」のことを触れた台詞が出て来ます。
それにしても、下戸の私にとっては恐怖の杯です。
昨日、仙台の初夏の風物詩「仙台青葉まつり」が開催されて、豪華絢爛な山鉾が、震災からの復興への願いを込めて市の中心部を練り歩きました。
・・・って、私は、少なくとも仙台に住んでいた頃には、こんなお祭りはありませんでした。
「七夕」と「どんと祭」ぐらいでしたよ。
江戸時代には「仙臺祭」という仙台藩最大の祭りがあり、仙台東照宮の祭礼として行われていた。
それが明治維新の影響で変容し、伊達政宗の命日(5月24日)に青葉神社の祭礼として開催される「青葉祭」に生まれ変わった。
「仙台・青葉まつり」は、系統が1つながら名称が異なる、これら2つの過去に開催されていた祭りの名称を合わせて命名された。
祭りの紹介文では「杜の都・仙台において、新緑が美しい時期に開催される」と書かれることが多いが、これが名称の由来ではない。
1985年(昭和60年)の伊達政宗没後350年に復活した祭りは、投資意欲の強かった石井亨仙台市長(在任期間:1984年12月23日 - 1993年7月3日)の時代に、バブル景気に加え、「独眼竜政宗」ブーム、仙台市営地下鉄開業、政令指定都市移行、市制100周年などを背景に拡充された。
現在の祭りの主な構成要素は、「仙台祭」「青葉祭」双方で行われていた山鉾巡行および神輿渡御、「大崎八幡宮大祭」(旧暦8月15日)で奉納されていたすずめ踊り、そして、祭りの復活が政宗没後350年であることもあって武者行列が加わっている。
うわぁぁ、てんこ盛りのお祭りなんですね。
私は、1981年まで仙台に住んでいましたから、私が仙台を出てから4年後に始まったという訳ですね。
調べてみると、現在仙台で開催されている主なお祭りは以下のとおり数多くあるようです。
私は、この色のお祭りぐらいしか知りませんよ・・・。
すずめ踊り・・? 伊達家が竹に雀だから?
なんで「よさこい」なんですか?
フィギュアのアダルト選手権?
「アダルト」とか「フィギュア」とかの単語だけを見ると・・・。
やや、おタクな方面を想像してしまい、すぐには、スケート競技だとは気づきませんでした。
(それって変ですか?)
フィギュアスケートの「国際アダルト選手権」というのが、ドイツで行われて、アルベールビル冬季五輪女子銀メダルの日本人の元選手が、「マスターズ・エリート」部で優勝したということです。
あぁ、あの・・選手か、なんだぁ・・つま・・じゃなくて、お、おめでとうございますぅ
本日(20日)、アクセス累計が44万件に到達しました。
このシリーズも第5弾です。
もう観ることのかなわない"昭和の名人"たちの高座を、スクリーンで堪能する シネマ落語「落語研究会昭和の名人」シリーズ。
スクリーンで観る高座シネマ落語「落語研究会 昭和の名人 五」
◇八代目桂文樂 「愛宕山」('70)
◇五代目柳家小さん 「粗忽長屋」('79)
◇三代目古今亭志ん朝 「反魂香」('79)
◇五代目柳家小さん 「笠碁」('91)■上映スケジュール
◆5月11日(土)〜5月17日(金)
11:00/13:00/15:00/17:00/19:00
◆5月18日(土)〜5月24日(金)
11:00/13:00/15:00
…まだ見に行くチャンスはありますね。
基本的に下戸な私ですが、最近はノンアルコールビールにはまっています。
お酒飲みの方々にしてみれば、何てバカで邪道だと思うでしょう。
2ヶ月ほど前、喉が乾いた時に飲んでから病みつきになりました。
下戸がビールをがぶ飲みしたら、後が大変ですから。
甘くない炭酸飲料は、炭酸水ぐらいしかありませんから、喉ごしのシュワーッとする感じは捨てがたいものがあります。
4大ビールメーカーのノンアルコールビールを飲み比べました。
個人的な好みでランキングすると、アサヒ・キリン・サントリー・サッポロの順になります。
アサヒが、後味が一番さっぱりしていて好きです。
他の3社の差はないのですが、目覚めた時に飲んだのが、キンキンに冷えたキリンでしたから、2番目にしました。
缶のデザインは、サッポロが一番“らしい”のですが…。
浅草の三社祭が開かれています。
三社祭は、毎年5月に行われる、浅草神社の例大祭。
かつては観音祭・船祭・示現会に分かれていたが、1872年から5月17・18日に行われるよ うになり、さら現在は5月第3週の金・土・日曜日に行われています。
正式名称は「浅草神社例大祭」。
浅草神社は明治に入るまでは浅草寺と一体であり、この時代には浅草寺の祭りとして行 なわれていた。
神仏分離によって浅草寺と分離してからは浅草神社単体での祭りとなり発展したが、これは明治に入って以降のことである。
このことを表すかのように、江戸時代から謳われている江戸の大きな祭りを謳った狂歌 「神輿深川(深川祭)、山車神田( 神田祭)、だだっぴろいは山王様( 山王祭)」の中には入っていない。
とは言え、東京を代表する祭であることは間違いありません。
人混みに行くのが好きではないので、見物には行きませんが、浅草も夏が近づいていますね。
ところで、明日あたりに、アクセス累計が44万件に届きそうです。
この噺、喜多八師匠の十八番ですね。
何度か聴いたことがあります。
◇ たけのこ 柳家喜多八
はじめの頃は、「べくない」っていう名前が分かりませんでした。
「可内」って書くんですね。
「可(べく)」の字は、もと手紙文などで「可 行候(ゆくべくそうろう)」のように必ず上に置くが、それを「ない」で否定して、下に付くの意。
人名になぞらえて「内」を当てた。
江戸時代、武家の下男の通称なんです。
「可杯(べくはい)」というのもありますね。
可という字が、必ず上に来るものなので、下に置かない(置けない)盃のことを言いますね。
目が覚めたらちょうど6時でした。
◇浮世床 三代目三遊亭金馬
眠い目をこすりながら。
また金馬師匠かよ…と思いながら…。
浮世床の本を読む部分と将棋。
素朴に面白い噺ですね。
学士会落語会の例会。
今日の学士会落語会の例会には、桃月庵白酒さんが出演でしたが、よんどころない用事で、行くことが出来ませんでした。
残念…。
朝風呂に入りながら、落語の稽古。
写真は、私ではありませんが。
昨日、東京落語会の後で頓平師匠も、「(乱志君に教わった)風呂での稽古はいいね」と仰っていました。
半身浴ですからのぼせることなく、声も出せますから、格好の稽古場です。
ただし、私の噺は長いので、汗だくになります。
今朝は、「揺れるとき」の3分の2ぐらいをやってみました。
前半の主人公の盲目の元噺家のキャラクター作りがポイントです。
ここは先週師匠から褒めていただきましたが、もっと際立たせたいと思います。
今や、唯一通う落語会になってしまいました。
今月も他に予定が入っていません。
仕事を終えて会場に着いたのは7時ちょっと前。
「締め込み」のオチの直前あたりでした。
林家錦平師匠は、あまり聴いたことがありませんが。きちんとした語りぶりでした。
「一つ穴」という噺も、馴染みのない噺で、あまり好きなストーリーではありません。
トリの権太楼師匠は、相変わらず爆笑を誘っていました。
オチまで行かずに途中でカットしたのは残念でした。
それにしても、バカ笑いをする奴が耳障りでした。
以前、私の前に座っていた奴ではないかと思います。
以前の席あたりから聞こえて来ましたから。
そういう意味では、うっかりしていて席が変わってしまったのは、ラッキーだったかもしれません。
いつもの終演後の一献は、今夜は頓平師匠と2人だけでした。
「雑司が谷ワンコイン落語会」は、続いているんですね。
ワンコイン=500円の入場料で。
http://www.toshima-mirai.jp/center/e_zoshigaya/pr_past.html#rakugo写真は、第1回の師匠の高座で、師匠の創作「鬼子母神 藪中の蕎麦」を演っているところです。
私は、この会の前座で「子ほめ」を演らせていただき、脇で聴いていました。
この後で、師匠と並んで、お客さまにご挨拶しました。
「鬼子母神 薮中の蕎麦」は、師匠からお許しをいただいて、昨年の豊島区制80周年記念「千早亭落語会」で、ご当地噺として、私が演らせていただきました。
雑司が谷の鬼子母神通りで「鬼子母神通り みちくさ市」が開催されるそうです。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130515-00000011-minkei-l13
19日には、古本フリーマッケットと、荻原魚雷さん(ライター)×前野久美子さん(仙台・火星の庭店主)のトークショーを開催。
文具マニアイベント「みちくさ市ブングテン11」と三遊亭圓窓さんが出演する「雑司が谷ワンコイン落語会」、千葉県柏・流山・我孫子の農家による野菜や卵、加工品の直売市「ジモトワカゾー野菜市」も同日行う。
http://kmstreet.exblog.jp/
鬼子母神と「ワンコイン落語会」は、私にも関わりがありますので。
ただし、当日は、両親がお世話になっている人が入院しているので、お見舞いに行かなければならず、師匠の高座も拝見出来ません・・・。
上の写真は、第1回目の時の師匠の高座ですが、この時に、私が「千早亭永久」として前座を勤めさせていただき、「子ほめ」でご機嫌をお伺いしました。
3年前の7月24日でした。
こんな書物があるんですね。
要は、昔は使っていたけれども、使わなくなって忘れられた言葉の辞典だそうです。
「おい、今日はハナキンだな。ノミニケーション行くか?」
世の中には、まだまだ普通に使われている「死語」があるのだ。
グロッキー、社会の窓、アベック、ランデブー、5時から男、エアチェック……知っておくだけでコミュニケーションが円滑に進む、「死語」の奥深き世界へ、レッツラゴー…。
だそうです。
フィーバーとか、ナウいとか、アッシーとか…、きっと死んでしまっているんでしょうね。
今朝、歯を磨いていて、突然思い出しました。
「あっ!お江戸あおば亭のめくりの手配をしていない!」と。
早速、通勤電車の中から、いつもお願いしている「H先生」に、お伺いのメールを送信しました。
ボーッとしていて、皆さんにご迷惑をかけてしまうと(゜o゜;
あ、それから、会報「あおば亭」もやらなくては…。(^。^;)
日経平均株価が15,000円を突破。
外為相場(円ドル)が102円を突破。間違いなく言えるのは、「普通ではない」ということ。
"過ぎたるはなお及ばざるが如し"という言葉もあります。
振り子のような、あるべき所に収束する前の振れならばまだしも・・・。
あちら言葉では、「More than enough is too much.」っつうのですか?
20年前の今日、Jリーグがスタートしたそうです。
私は、サッカーはあまり好きではありませんから、「へぇそうなんだ」程度ですが。
それよりも、京都では葵祭ですよね。
http://kyoto-design.jp/event/5822
「祇園会」という噺で、江戸と京都の自慢比べが展開されますが、京都の自慢のお祭りのひとつです。
葵祭は賀茂御祖神社と賀茂別雷神社の例祭で、古くは賀茂祭、または北の祭りとも称し、平安中期の貴族の間では、単に「祭り」と言えば葵祭のことをさしていた。
賀茂祭が葵祭と呼ばれるようになったのは、江戸時代の1694年(元禄7)に祭が再興されてのち、当日の内裏宸殿の御簾をはじめ、牛車(御所車)、勅使、供奉者の衣冠、牛馬にいたるまで、すべて葵の葉で飾るようになって、この名があるとされる。
石清水祭、春日祭と共に三勅祭の一つであり、庶民の祭りである祇園祭に対して、賀茂氏と朝廷の行事として行っていたのを貴族たちが見物に訪れる、貴族の祭となった。
京都三大祭りの一つ。
・・実はよく知りませんが・・。
ところで「祇園会」という噺。
祇園会の時期。
一度、話の種に見たいと思っていたので、叔父の案内で祇園新地の揚屋の二階を借り、酒を飲みながら祭り見物をすることに。
ところが、当日になって叔父さんが急に行けなくなり、代わりに叔父さんの友達だという男がやって来た。
源兵衛というその男と八、そして途中で知り合った上方者の都合三人で祭り見物。 江戸の祭と違い、山車(だし)の出が遅くて、四ツ(夜10時過ぎ)を過ぎてもなかなかやって来ない。おまけに源兵衛はやたらと国自慢ばかりする男で、何かにつけて「京は王城の地」とうるさいの何の…。
「酒は伏見、人は京。なんて言うたかて京は『王城の地』どすからな。江戸とは違いますわ。」
ちょっとカチンときたものの、ここで怒っては江戸っ子の評判を下げるので、我慢をして聞いている八五郎。
それに気をよくしたのか、源兵衛とうとうが言ってはいけない言葉を口にしてしまった!
「江戸ッ子なんか、所詮は東夷の田舎者どすな。」
ここでとうとう八五郎が爆発!!
「いくら古いか知らないが、こんな抹香臭い所はもうたくさんだ!!」
そこからは土地柄から食べ物、果ては祭囃子まで飛び出す壮絶なお国自慢が勃発。
「御所の紫宸殿の砂利を掴んでみなはれ、瘧(おこり)が落ちるちぃまんにゃ。」
「それが如何した!? こっちだって江戸城の砂利を掴んでみろい…」
「どうなります?」
「首が落ちらぁ!」
噺の内容はともかく、郷土自慢・勝負というのは、まぁくだらないというか・・・。
師匠のブログ「圓窓の年月日輪」に、先日の落語っ子連の稽古会がコメントされていて、私の稽古は、以下のように仰っています。
■させ稽古、流三[揺れるとき]。
盲目の噺家、西生がとてもいい。
稽古であっても演じてて感極まることはある。
今日の流三が、それ。涙を流しての稽古。
・・・そうそう、ちょっと涙がね・・・。
人情噺仕立てにしているところがありますので。
だから、「お前の噺は暗い」って先輩方から言われるのでしょう。
昨夜、師匠の「揺れるとき」の動画を見ました。
いつもは、なかなか最後まで行かず、途中で眠ってしまうのですが、昨夜はオチまで。
すると、今さらながら色々と勉強になる部分が多く、全ていただきたいと思いました。
オレオレ詐欺、振り込め詐欺、なりすまし詐欺…。
なかなかフィットしないようで、警察が大々的な公募の結果、新しい名前が披露されたようです。
「母さん助けて詐欺」、「ニセ電話詐欺」、「親心利用詐欺」…なんだそうです。
どうでもいいけど、なんだかねぇぇぇ・・。
師匠が、先日ご逝去された関山和夫先生について、ブログで触れておられました。
そう言えば、師匠の「圓窓五百噺を聞く会」などで、深くお関わりがあったんですね。
http://ensou-rakugo.at.webry.info/201305/article_20.html
http://ensou-rakugo.at.webry.info/201305/article_22.html
改めて、関山先生のご功績を知ることが出来ました。
「話芸」という言葉は、関山先生が作られたもの・・・。
「含笑長屋」も・・・。
http://ensou-dakudaku.net/teiki/gansho.htm
http://ihachi.exblog.jp/14178104/
腹ごしらえをすると、すぐに名古屋駅に着いて、早速高座本を取り出しました。
まず手にしたのは、「鰍沢」でした。
表紙の表題の横に、仏笑(古典 日蓮 身延 人情 冬 地方 廓)と、師匠が補記されている。
身延に住む叔父が、老人会の会長になり、来年4月頃の総会の余興で落語を演ってくれと頼まれました。
高齢者だから、軽い噺が良いとは思いますが、ご当地で名作にチャレンジするのもいいかもしれない。
「素人なんぞは鰍沢など演るもんじゃない」と息まいていた先輩を見返したいとも思いますから。
師匠の「鰍沢」は、道に迷う旅人の父親を思う気持ちや、祖師日蓮のことなどが丁寧に語られているし、最後の部分のオリジナルな演出が気に入って、ますます演りたくなりました。
地元のおじいさんやおばあさんですから、噺は聴いたことがあるでしょうが、きっと私の拙い「鰍沢」も喜んで聴いてくれると思うのです。
「道灌」あたりも覚えて、2席ご機嫌をお伺いしようか。
「揺れるとき」の通し稽古。
今回、レコーダーを持参して、自分の稽古を録音しました。
相変わらずの冗長な語りですが、人物描写はそこそこはっきりしてきたようです。
師匠のコメントも入っています。
久しぶりに師匠に見ていただくので、かなり緊張しました。
一通り、最後まで聴いてくださって…。
「もう何度も(人前で)やってるの?」
「良かったよ。前半の盲人は、わざとらしさがなく、とてもよく表現(演出)出来ていたよ。」
「この噺の難しいところは、後半の圓朝の噺の最中に地震が起こるところ。噺の中で地震が起きているのではないことを、観客に分かりやすく語る必要がある。噺の中でなく、噺を聴いている客席が混乱していることをはっきりと。…」
「実に良かったよ。」
大変お褒めをいただきました。
師匠に、来月の「お江戸あおば亭」のチラシとプログラムをお渡しして、「三遊亭圓窓作・揺れるとき」という表記のお許しをいただきました。
こんなところで・・・。
落語っ子連・三流亭の稽古会。
3ヶ月ぶりの稽古ということで、いつになく緊張しました。
師匠にも大変ご無沙汰してしまいましたが、大変お元気そうで何よりでした。
今日は姉妹連の深沢亭の倉寿(くらす)さんが稽古に参加して「一目上がり]をご披露くださいました。
◇ 一目上がり 深沢亭倉寿(くらす)
◇ ぞろぞろ 三流亭千公
◇ 猫の皿 三流亭百梅
◇ 揺れるとき 三流亭流三
◇ 瓢箪屋政談 三流亭まど音
「揺れるとき」は、途中師匠のコメントも入ることなく、通しで聴いていただきました。
予想外にも、大変お褒めのコメントをいただきました。
嬉しい!
ブランクがあったので不安でしたが、来月の「お江戸あおば亭」を控えて、大きな自信になりました。
やはり楽しい!
今朝はしっかり聴きました。
◇ 寝床 三遊亭圓生
今日は、久しぶりに稽古に参加します。
緊張しているのでしょうか。
早く目が覚めました。
朝から圓生師匠の噺です。
愛車の走行距離が3万キロを超えました。
約3年10ヶ月ですが、最近の数千キロは、ここ2ヶ月ぐらいのものです。
元々、定期的に両親の様子を見に行くために保有しているので、特に2月の父の入院から今日まで、しっかりと任務を果たしてくれています。
ある意味では家族みたいな存在です。
昨日実家で3万キロになりました。
平均燃費も12キロぐらいだそうですから、なかなかのものだと思います。
愛車内で稽古をすることもよくあります。
昨日は「揺れるとき」の稽古をと始めたのは良いのですが、この噺、盲人がメインの登場人物ですから、下手を向くときに、何と自然に目を閉じてしまうのです。
危ない、危ない…!
この噺は風呂場か歩き稽古でなくてはいけないことが分かりました。
昨夜からの雨が上がり、静かな日曜日の朝。
◇ 馬の田楽 七代目春風亭小柳枝
朝からのどかな噺。
七代目の小柳枝師匠は、あまり存じ上げませんが、とても明るい声の師匠ですね。
昭和30年頃の音源です。
馬の田楽は、先代の古今亭今輔師匠が印象深く、現在では桂文生師匠が十八番です。
お二人とも、地方の出身で、田舎の様子や人々を描くのが得意な師匠です。
田楽が何かを知っていれば、面白いオチだと思います。
かなり激しい雨降りになりました。
久しぶりの雨で、草花は気持ちが良さそうです。
葉の上で丸くなった雨水が、きれいな滴になって落ちていくのを眺めていると、何かホッとします。
この滴が人の一生のようにも思えてくる・・。
曇り空の中、帰省のため水戸街道を東京方面へ。
葛飾立石あたりから見るスカイツリーを先方に望みながら。
圓窓師匠創作の「揺れるとき」にチャレンジしています。
この噺のネタ下ろしは、2年前の8月です。
「圓朝まつり」の奉納落語会のために創作されたものです。
師匠は、圓朝と安政の大地震をテーマにしながら、実は直前に起こった東日本大震災の直後の「扇子っ子連・千早亭落語会」の出来事から、師匠ご自身の芸談を、架空の元噺家が、若き真打圓朝に語りかける形で展開させています。
偶然、自分のこのブログを読み返していたら、7月に師匠のブログでの芸談のことを書いてあるのを見つけました。
まだ、「揺れるとき」を創作している最中のもので、私はこの噺のことは知る由もありません。
師匠が、創作の過程でコメントしたものです。
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2011/07/post-fc82.html
天災のあるたびに思い出す事がある。
友人の話したことである。
その友人が終戦直後、ある公演を聞きに行った。
それも、その日は、嵐。
たぶん、中止だろう、と出掛けた。
しかし、やります、という入口の人の声。
広い会場に、4、5人の入りだった。
出演する側も全員は揃わず、とりあえず、楽屋入りしたものから、登場した。
その中で、一人。徳川夢声。
最初に言った言葉に、友人は感動した、という。
「入りが少ないからと言って、手を抜く事は許されない。少なければ少ないほど、全力投球する。4、5人だから、と手抜きをすれば、そのことは、4,5人の口から、2乗、3乗、10乗、20乗になって広まっていくだろう。今日の我々の生きざまを聞いてください」
冒頭に、こう言ってから、「宮本武蔵」に入ったそうだ。
帰りの風雨は、顔面の涙を洗い流すようだった、という。
また、別の時には、東日本大震災のおかげで、何でもかんでも中止されている中で、こんなことも仰っていました。
災害、被害、台風、交通機関ストップ。
こんな最中でも噺家は、「行かねばならぬ」という本能が働く。
それは、こういう状況下でも足を運んでくださる方々が必ずいるからだ。
だから、主催者が中止を発表するまでは、足はひたすら会場に向く。
こういう状況下では誰しもが、不安になり「行きたくない」と思う。
たとえ、行きたくとも交通がストップすれば諦めるより仕方がない。
客席の頭数は多くを望めない。
出演者にとって、客席の頭数うんぬんより、大事なことがある。
こんなひどい状況下でも「聞きたい、見たい」で会場まで足を運んでくださるお客が必ずいるということだ。
出演する側だって、「行きたくないよ、こんな日に」と愚痴めいた言葉が頭によぎることはある。
しかし、こういう状況下にいらっしゃる人のことを考えれば、噺家冥利に尽きるというものだ。
・・・まさに、このフレーズが「揺れるとき」の中に入っています。
「こういうお方が一人でもいる限り、噺を捨てちゃあいけないんだ。それが噺家の勤めだ」と。
さらに、噺家(プロ)だけではなく、素人(アマチュア)でもそうだと仰っています。
このあたりの心理や了見を、果たして上手く表現出来るでしょうか?
噺家さんの独演会のチラシかと思うような。
春風亭ぴっかり☆さんの「春風亭ぴっかり☆10日間連続チャレンジ落語会 ぴっかり☆十番勝負!」が8月9日(金)より8月18日(日)まで「浅草 ことぶ季亭」で開催されるそうです。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130509-00000047-natalieo-ent
春風亭ぴっかり☆
10日間連続チャレンジ落語会 ぴっかり☆十番勝負!
日時:2013年8月9日(金)~18日(日)
会場:東京・浅草 ことぶ季亭
出演:春風亭ぴっかり☆
料金:整理番号つき自由席2500円
二つ目として未来の真打を目指す中、寄席の一単位でもある10日間をしっかりと勤めあげられる噺家になりたい、という考えのもとで実施されるそうで、第一幕では日替わりの演目やご本人が台本作りに参加した書き下ろしの新作落語2作品の初公開、第二幕では古典の噺をじっくり練り上げるということです。
我々にもおなじみの「浅草ことぶ季亭」が会場ということで、OBのオジサンたちの話題になっていましたので。
「☆」までが高座名のロゴですが、寄席文字で「☆」はどう書くのでしょうか?
結局、エンターテインメントとして位置づけているんですね。
ピュアな芸能、演芸という切り口ではない気がするんです。
直近の落語ブームというのは、そういう位置づけで見た落語が、芸能としての落語を知らない世代にとっては新鮮で、エンターテインメントのコンテンツとして採り上げられたドラマが発端でした。
そういうアプローチもあるということで理解しています。
恐らく、我が落研は、地方の大学では最も歴史のある落研のひとつだとは思いますが。
いかんせん江戸(あるいは上方)で生まれた落語に関しては、完全にマイナーであり、アウェーです。
それでも、創部50周年を迎えるあたりから、「花の都でOB落語会を」を目標にするようになりました。
そして、3年前の5月に、「お江戸OB落語会」としてスタートすることが出来ました。
おかげさまで、ご贔屓やOB諸先輩のご支援で、昨年まで4回開催することが出来ました。
さらに、それでも飽き足らない一部の「落語中毒」患者は、OB落語会の番外編とでも言うべき自主公演「一番丁はずみ亭」を2回開催しています。
表は、「お江戸あおば亭」の前回までの番組です。
談亭志ん志師匠と喰亭寝蔵師匠と私は「皆勤」させていただいています。
前回、突然の休演のため、急遽私が開口一番を勤めました。
「花筏」「佃祭」「薮入り」「子ほめ」「救いの腕」と、通算5席お伺いしました。
そして今回は「揺れるとき」にチャレンジさせていただきます。
こうやって、積み重ねていくことが大切だと思います。
9日午後の米ニューヨーク外為市場で、ドルが対円で大幅高となり、心理的な節目となる100円の大台を突破したそうです。
「円ドルの計算(換算)がしやすくっていいや・・」っていう訳にもいかないか・・。
それにしても、ここのところ株や為替の相場が熱くなっています。
・・やはりおかしい・・。
バブルから四半世紀、もう世代も代わり、あの時の反省は・・・忘れ去られている気がします。
良くない歴史が繰り返されそうな。
羹に懲りたのを忘れて。
あまりよく存じ上げてはいませんが、関山和夫先生がお亡くなりになったそうです。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130509-00000029-kyt-l26
「話芸」という言葉を広め、僧侶による節談(ふしだん)説教が話芸、語り芸の源流にあるとして、歌舞伎や浄瑠璃、落語などの芸能の発展に仏教が果たした役割を研究した。
「庶民芸能と仏教」「説教の歴史」「落語風俗帳」など多くの著書がある。「落語風俗帳」「落語名人伝」「落語食物談義」は拝読した記憶があります。
元宝塚のトップだった人気女優さんが、軽度ではあるようですが、心筋梗塞で入院したそうです。
45歳だそうですが、女性のこの年代での心筋梗塞というのは稀なんだとか。
前触れもなく突然来るようですから怖いですね。
原因のトップにあげられるのがストレスだそうです。
ところで、三遊亭圓歌師匠が、身延山で修行中に心筋梗塞で倒れた時、仲間の噺家さんが寄席で、「圓歌師匠が"近親相姦"で病院に担ぎ込まれた」と、不謹慎なギャグを飛ばしていたという逸話もあるそうです。
好きな人に抱きついて動けなくするのを、"親近拘束"と言います?
私のパソコンは、ニュースなどの見出しを、パソコン内のキャラクターが読んでくれます。
国会では、与野党が夏の参院選も睨んで、常任委員長の解任決議がどうこうと、下らない駆け引きで騒いでいます。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130509-00000099-san-pol
昨夜、件のパソコン君が言いました。
「"かわぐちじゅんこ委員長"の…」
おいおい、パソコン君、「川口順子」と書いて「かわぐち"よりこ"」って読むんだよ。
最近は、プロの棋士まで負かしてしまうコンピューターなのですが、人の名前の読み方は難しい・・・。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130508-00001203-yom-sci
ところで、あのスーパーコンピューター「京」も、再びの世界一奪還を宣言して、何でも100京を目指すとか。
やはり二番じゃダメなんですよ。
「第2位じゃいけないんですか?」と、あんなに偉そうに事業仕分けをしていたご本人だって、与党から野党になってしまうと、世間からも忘れ去られてしまいます。
やはり、ここは与党(一番)でないと。
今では、間接的な「報・連・相」の「報告」と「連絡」ぐらいはあっても、「相談」は来ないでしょうね。
それもそのはず、名前が「連報(蓮舫)」ですから、"相(そう)"は問屋がおろしません。
5年間という長丁場の落語会が始まりました。
「五街道雲助」師匠の集大成となる「らくご街道 雲助五拾三次」。
初回は4月に開かれ、月に1度のペースで続けられるそうです。。
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/130504/ent13050410570005-n1.htm
本当に久しぶりにカルガモの話題。
大型連休明けの7日、東京・大手町のオフィス街にある三井物産本社ビル敷地内の人工池で、カルガモのひな10羽が誕生したのが確認された。
この人工池でのひな誕生は平成20年7月以来、約5年ぶり。
最初にカルガモの赤ちゃんが登場したのは昭和58年。
成長したひなとともにカルガモの一家がそろって近くの内堀通りを横断し、皇居のお堀に「引っ越し」する姿がテレビで放映され、警察が交通規制するほどの人気ぶりだった。
この日、親ガモの周りで泳ぐ赤ちゃんガモは池から舗装路にジャンプする練習をしたが、まだまだ飛び乗れそうにない様子。
人工池での滞在は長くて90日間といい、しばらく仲むつまじい姿が見られそう。
そうなんです。
当時、隣のビルに勤務していて、リアルタイムで当時のフィーバー(古い)ぶりを見ていましたので。
http://www.youtube.com/watch?v=KjcwWBzkWzM
人気の公務員ランナーのそっくり芸人が、ホンモノが出場したマラソン大会でパフォーマンスをして、大顰蹙を買っています。
とにかくやることが姑息だし、本人に対して極めて無礼です。
こういうのが「洒落にならない」というんです。
最近のお笑いの一面を見るようで、品格・品性一切なしです。
最近のお笑いは、「オレがオレが」と他人をバカにすることで下卑た笑いを取っている。
聴衆もそれが面白いと思っている。
先日の桂文枝師匠のコメントの言わんとしている一部分が、まさに現れていると思います。
「埼王県庁」って、ここは演芸場ではないんだし、「周囲をバカにするのもいい加減にしろ!」と言いたいですね。
予想以上の反響に公務員ランナーは困惑気味。
「公認? 僕は公務員なので商業活動に公認は与えられません」と拒否。
本人のドキュメンタリー番組が制作された場合、再現VTRで出演を狙っているようだが、「芸人さんは生きていくために必死ですね」と不快感をあらわにした。
そりゃあ不快でしょう。
大会本部に連行され、役員に「こんなユニホームを着ていたら訴えられるぞ。点がないだとかヘチマだとか、とんでもない」と大目玉を食らった。
それでも「文字にモザイクをかけるか、並びを変えるか。考えます」とめげないニセモノ芸人。
・・・こんなスタンスの人は売れないでしょうね。
バカなマスコミが悪乗りしなければ。
それにしても、ホンモノはアッパレですね。
またまた東京新聞。
柳家さん喬師匠の海外での公演についての記事。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/entertainment/tradition/CK2013050502000170.html
人気絶頂の噺家(はなしか)・柳家さん喬が落語の面白さ、楽しさを引っ提げて海外に飛び出して十五年になる。
回った国は米国をはじめフランス、シンガポール、チェコ、ハンガリー、韓国の六カ国に上る。
力を入れているのが落語と小噺を日本語教育に利用する試み。
「落語は日本文化を理解してもらうにはよい教材。ライフワークになり、幸せを感じてます」と使命感をのぞかせる。
ところで、この記事で一番良かったのは最後の部分でした。
今年は三年越しで初めて本を出版する予定。
本当ですか?これは楽しみです。
社員を新規採用する際に、「喫煙しないこと」を条件にする会社が増えているそうです。
健康増進法で公共施設やレストランなどで受動喫煙の防止措置が求められ、分煙も広がり、最近では全面禁煙の場所が増えたり、就業時間中の禁煙を進めたりする動きが広がっています。
旅館やホテルを運営する某社では、採用情報サイトのトップページに「あなたはタバコを吸いますか?」と問いかけ、「NO」を選ぶと「ようこそ!」と歓迎のメッセージが現れるが、「YES」を選ぶと、たばこを断つことを誓約することができると答えない限り、募集要領のページには進めないそうです。
健康への影響もさることながら、とにかくあの臭いと、喫煙者のマナーには辟易していますから、私は、そんな会社があっても良いと思います。
携帯をマナーモードにせずに平気で鳴らす人と電車内で通話する人、歩行喫煙する人は嫌ですね。
朝日新聞の「天声人語」から。
いったん懐を飛び出した金はもう俺のものではない。
落とした財布を届けられた大工は、そういって受けとらない。
届けた左官も引き下がらないから、大げんかになる。
南町奉行、大岡越前守(えちぜんのかみ)の裁きは……。
落語の「三方一両損」である。
江戸の職人は目先の金に頓着することを潔しとしない。
そんな2人の意地の張り合いがおかしい。
エッセイストの中野翠さんはかつて古今亭志ん朝でこの噺を聞き、泣きそうになったと言っている。
人間には損得とは別に大切なものがある。
「損得が分からないバカであってもいいんだ、と」(「この世は落語」)。
双方とも金がいらないわけではない。
それでも粋がる。痩せ我慢する。
自己満足であり、大げさにいえば美学である。
その「自分でもバカだなあと思わなくもない」という微妙な心理を、中野さんは喜ぶ。
なるほど、いとおしくも思えてくる。
人の心はややこしい。
二心(ふたごころ)という言葉もある。
一つの頭の中で天使の声と悪魔の声が交錯したりする。
損するより得する方がいいと、誰もが簡単に割り切るわけではない。
見えもあれば、利他心もある。
・・・・。
後は、政治的な文章なので省略。
私の「三方一両損」では、この二人は、そんな複雑な心理などではなく、見栄と面倒臭いことはしたくないという心理が全てだと思って、無邪気に演じているのですが。
ふと、懐かしい歌を聴く気になりました。
http://www.youtube.com/watch?v=sqJkfoKf7Pk&list=RD03wp4bV6Fsgbo
http://www.youtube.com/watch?v=wp4bV6Fsgbo
http://www.youtube.com/watch?v=ge7LVt6AFfo
http://www.youtube.com/watch?v=tsva7xhyPJw
http://www.youtube.com/watch?v=L1vY_se9Rqg
http://www.youtube.com/watch?v=d4YF2b7wppU&list=PL01D98BB5A3E1A365
http://www.youtube.com/watch?v=v8biLtCr23A
http://www.youtube.com/watch?v=FLv6fHNvjVc
http://www.youtube.com/watch?v=wq9vAzR5sgI
http://www.youtube.com/watch?v=2DyDc-PDcB8
http://www.youtube.com/watch?v=ZZVVAc7eD8E&list=RD03FLeMAO3t6t4
http://www.youtube.com/watch?v=cCATp5bR3O8
全部Youtubeにありました。
大したものです。
それにしても暗い、古い曲ばかり・・・。
先月の東京新聞の記事です。
ある噺家さんの評が書かれていました。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/entertainment/tradition/CK2013041602000190.html
落語に独自の解釈を積極的に盛り込む落語家が近年多くなってきた。
観客はその内容で演者の個性を見極め、好き嫌いをはっきりさせている。
こうした中から人気演者も生まれている。
このようなことは明治時代からあったことで今という時代が特殊なわけではない。
落語が現代に生きる芸であり続ける証しでもある。
ところが識者、評論家は、先人はそのように演じてはいなかったと批判したがる傾向がある。
私はその姿勢にこそ落語評論の限界を感じる。
私は、必ずしもそうは思いません。
そういう人(際物のような人)もいないといけないということだと思ってはいます。
圓窓師匠創作の「揺れるとき」では、劇中の圓朝に、先輩が「古くから伝わる良いものをやるだけではなく、新しいものも創らなくちゃいけない。新しいものを創る時は傷(苦労)が付き物だが、やらなくっちゃあいけない」と諭す部分があります。
圓朝の芝居噺も、当時は"際物"だったのかもしれません。
でも、当時の新作落語が、現在の落語の幹の一つになっていることも論を待ちません。
だから、色々な噺家さんが、色々な個性や演出をしてこそ、斯界は隆盛して行くものでしょう。
私も、落語のペースと品格は不可欠ですが、これを踏まえたチャレンジは必要だと思います。
落語評論の限界については、私には、現代の識者や評論家は、むしろ薄っぺらで騒がしい解釈や個性のようなものを、ことさら誇大に評価して、地道な個性を無視しているように思います。
さて、この記事で採り上げられた噺家さんですが、私はあまり好感持っていない噺家さんです。
とても雑な芸風だった記憶があるからです。
まぁ、要は好みの問題ですから、良し悪しではないと思いますが、私はその方向には行かないでしょう。
談亭志ん志師匠から、出演者に、私が作ったチラシとプログラムが送信されて来ました。
実は、大変効率的と言いますか、手抜きと言いますか、簡単にプログラムを作ってしまいしたから、やや恐縮しているところです。
今回のプログラムと、前回(昨年6月)のプログラムを並べると、なるほどと思われるでしょう。
プログラムを開いて一番違うのは、演者が前回より多いので、字が小ぶりになっていることです。
小ぶりになって、上下のスペースが空いたので、チラシと同じ絵模様を入れてみました。
マンネリ・ワンパターンなどという方もいるかもしれませんが、同じ落語会のプログラムですから、同じデザインで統一して繰り返した方が良いのではというこじつけで返したいと思います。
国民栄誉賞の授与式やら、始球式やら、コマーシャリズムに煽動されているのを承知していながら、巨人・大鵬・卵焼き世代は、老いたりといえどもミスターは気になるのでしょう。
それから、陸上競技の100メートルに出場する高校生の10秒の壁への挑戦と、子どもの日は騒がしい。
今日は先週間違えて予告された内容です。
◇ 長短 桂小金治
この音源の時、浜松町かもめ亭の客席に座っていた気がします。
当時82歳でした。
幼なじみの長さんと短七さん。
長さんはなにをするにもスローモーなのんびり屋。
短七さんは江戸っ子を絵に描いたような短気な御仁。正確は正反対だが二人は大の仲良しである。ある日のこと。
短七さんのところを訪ねた長さんが「昨日の晩、小便に起きたら空に星がなかったので明日は雨かなと思ったらやはり雨だった」と世間話をするが、その口調ののろさに短七さんはイライラ。
次に菓子を勧めれば、長さんがいつまでもモグモグと噛んでいるのでまた頭に来て「菓子はこう食うんだ」と一口で丸呑みにする。
さらに、キセルで一服つけはじめた長さんの悠長な仕草も面白くない短七さんは「煙草の吸い方」の見本を示して見せるが・・・。
長年、俳優・タレントとして活躍をしていた桂小金治は近年、高座に復帰。
時折、五代目小さんや三代目三木助仕込みの噺を聴かせてくれる。
この「長短」も小さん直伝の一席である。
落語らしいといえば、こんなに落語らしい噺もない。
長屋を舞台にした、男二人の会話だけで進行する噺であり、ドラマチックな展開は何もない。
主眼となるのは両人の対称的な性格描写であり、何事も悠長な長さんと短気な短七さんの言動が自然な笑いを誘う。
小金治の口演は折り目正しく、無理な笑いを当て込んだところがひとつもない。
スッキリとして軽く、落語本来の味を堪能させてくれる。
短七は怒ってばかりいるようだが、その根底には長さんへの深い友情がある。
その腹が聴くものにもわかるので「おれは人にものを教わるのは大嫌いだ。だけどお前(長さん)は別だよ」という言葉が実に効く。
八十二歳にして高い芸格を示している桂小金治の貴重な録音である。
折り目正しいというか、ちょっと雰囲気の違う高座なんです。
1926(大正15)年10月6日生まれ。
昭和21年桂小文治に弟子入りして落語家となる。
27年の松竹映画出演をきっかけにその後は映画,テレビで活躍。
42年からNET(現テレビ朝日)「ただいま正午・アフタヌーンショー」の司会者となり,「怒りの小金治」の異名をとった。
アフタヌーンショーのイメージが強いですね。
2年前に落語引退宣言をされたそうです。
粗忽者が、妙法寺(堀の内のお祖師様)に願掛けに行くという噺です。
下駄と草履を片っ方ずつ履いて、足の長さが変わったと騒ぐあわて者が、お祖師様に願をかけると粗忽が治ると聞いて歩いてお参りに行くことにした。カミさんに弁当を作って貰い、お賽銭も用意して出掛けた。
しばらく歩いて、お祖師様は何処かと聞くと、ここは両国だ、神田から来たならまるで反対だと教えられた。
やっとのことでお祖師様に着いて賽銭を投げ入れたが、財布ごと投げて一文無しに。
弁当を食べようと広げてみるとカミさんの腰巻きで包んだ枕だった。
家に辿り着いて文句を言うと、隣の家だった。伜の金坊を連れて湯に行けと言われ、おぶってやろう、やけに重いな、あたしだよ。
子供をおぶって歩いていると、おとっつぁん湯屋を通り過ぎたよ。
湯に浸かって尻を掻いても感じないと思ったら、隣の男が誰だい人の尻をいじっているのは、という始末。
伜の背中を流してやろう、やけに広い背中だな。おとっつぁん、風呂場の腰板だよ。
初めて聴いたとき、なんて面白い噺だろうと思いました。
ぴったり6時に目を覚ましました。
◇二人旅 五代目柳家小さん
「ふたりたび」ではなく、「ににんたび」と読むそうです。
「二人会」も「ににんかい」って言いますから・・・・。
こういう噺もいいもんですね。
落語らしい部分がふんだんに盛り込まれています。
こんなコメントを見つけました。
友人同士の遊山の旅の道中の会話と田舎の飯屋での情景を描いただけだが、のどかな風景のなかで、相方の中食にしようよという繰り返しでのんびりした時を刻みながら、謎掛けや、都々逸をちりばめた会話の面白さで、見事な小品にしあがっている。
飯屋の看板の濁りを読むか読まないかで、「い」はかしらだから濁らない。
「ろ」はかしらの名代になることもある。「に」は濁点がつくと重いだろう。
「ゆ」は朝にごらない内にはいるものだ。など、馬鹿馬鹿しい言葉遊びの連続だが、なかなかしゃれていてきかせる。
二人旅は、上方落語の東旅をもとに、四代目小さんが基本を作ったもので、謎掛けや、都々逸には、「東海道中膝栗毛」の弥次さん、喜多さんの会話からとったものもあるとのことだ。
帯を解いて解かせるとか、ふんどしを衣桁へ架けるとか、いざりのおならなどの、上品とはいえないネタも、小さんがやるとなんだかとぼけた味わいになる。
昭和55年頃の音源で、小さん師匠の絶頂期です。
旅を扱った落語は数多いですが、小さん師匠のゆったりとしたムードが漂っていて、いかにも昔の旅らしい素朴な雰囲気を満喫させてくれます。
何気なくテレビを見ていたら、「身延ゆば」が出ていました。
今回は山梨県でゆば!絶品のゆばと簡単レシピが大集合!
・・・だそうで・・・。
http://www.ntv.co.jp/aozora/location/2013/05/post-154.html
池上の街で腹こしらえしようと、それこそ蕎麦屋や寿司屋も考えましたが、結局駅前の小さな中華屋さんに入りました。
ところが、この中華屋さん、開店したばかりと見えて、建材の塗装などの臭いが残っていて、???。
店内は、カウンター席と、テーブル2脚のみで、中国人らしき2~3人が店員のよう。
ラーメンチャーハンセットという、およそお参りでは食べないだろうという・・・。
色々ハズレでしたが、日本人のような行き届いた心配りもなく、大失敗。
味? チャーハンは味が薄くて斑がり、ラーメンはスープが少なく、盛り付け方も雑。
おまけについたような杏仁豆腐は、ほとんど味がなし。
最初に、冷たいジャスミンティー風の水が出て来た時は、ちょっと期待しましたが。
奥にあるレジに行って勘定を払った時は、「ありがとうございました」は言いましたが、お釣りは手渡すというより、放るようだったし、出口に行って扉を開けて外に出ようとした時は、「ありがとう」もなく、店員同士で雑談が始まっていました。
池上線の駅前だけに、「あなたは二度と来ないのね」という感じでした。
池上本門寺は、日蓮聖人が今から約七百十数年前の弘安5年(1282)10月13日辰の刻(午前8時頃)、61歳で入滅(臨終)された霊跡です。
日蓮聖人は、弘安5年9月8日9年間棲みなれた身延山に別れを告げ、病気療養のため常陸の湯に向かわれ、その途中、武蔵国池上(現在の東京都大田区池上)の郷主・池上宗仲公の館で亡くなられました。
長栄山本門寺という名前の由来は、「法華経の道場として長く栄えるように」という祈りを込めて日蓮聖人が名付けられたものです。
そして大檀越の池上宗仲公が、日蓮聖人御入滅の後、法華経の字数(69,384)に合わせて約7万坪の寺域を寄進され、お寺の礎が築かれましたので、以来「池上本門寺」と呼びならわされています。
ここでも聞こえる、木魚と鐘の音と読経の声が、とても清々しい。
改めて、父を思い、大堂(祖師堂)で手を合わせました。
旧大堂は、昭和20年4月15日の空襲で焼けてしまい、戦後は仮堂でしのいでいたが、第79世伊藤日定聖人が精力的に各地を行脚し、全国の檀信徒ならびに関係寺院等からの浄財寄進を得て、昭和39年、ようやく鉄筋コンクリート造の大堂の再建にこぎつけた。
聖人は落慶後ほどなくして遷化されたため、大扁額「大堂」は第80世金子日威聖人の揮毫になる。
内陣中央の大型御宮殿(建築厨子)に日蓮聖人の御尊像、いわゆる祖師像を奉安し、向かって左に第2世日朗聖人像を、右に第3世日輪聖人像を安置する。
お参りをして、少し離れて建っている五重塔に向かいます。
関東に4基現存する幕末以前の五重塔のうち、一番古い塔である。
本塔のそもそもの発願は、のちに徳川2代将軍となる秀忠公の病気平癒祈願にあった。
文禄2年(1593)のこと、15歳の秀忠公が悪性の疱瘡にかかり、一命も危うい容態におちいってしまった。
そこで、熱心な法華信者であった乳母岡部の局(のち正心院)が、大奥より池上へ日参し、あつく帰依していた第12世日惺聖人に病気平癒の祈願を託され、「心願が成就したあかつきには御礼に仏塔を寄進する」との念でひたすら祈った。その甲斐あって快癒し、将軍となった後、その御礼と、あわせて武運長久を祈り、慶長12年(1607)に建立〔露盤銘〕、翌13年に上棟式を厳修した〔棟札銘・焼失〕。
そして、ここにも日朝堂がありました。
常唱堂、題目堂とも呼ばれ、行学院日朝聖人像を奉安している。
お題目修行の場として、昭和48年に再建された。父の2月命日の供養として、こんな形がありうるのか、許されるのかは分かりませんが、昨日から2日間で4つの同宗の名刹をお参りして、私なりの追善が出来たような気がしています。
改めて父に感謝しつつ。
久しぶりに池上の駅を降りて、本門寺の参道を歩きます。
どうも、寺社の参道には、煎餅とくず餅と団子が多く売られていて、甘味処と蕎麦屋と寿司屋が多い気がします。
池上本門寺は、身延山久遠寺から療養のために常陸の国に向かう途中、日蓮が亡くなった場所です。
駅から徒歩数分、総門が見えて来ます。
総門は、寺社へ参詣する人が最初に通る門で、清浄の心身にて通らなければなりません。
五重塔、大宝塔、経蔵などと共に、昭和20年4月15日の戦災を免れた数少ない古建築の一棟として重要である。昔から世に知られ、安藤広重の「江戸百景」や「江戸近郊八景」にも描かれています。
簡素ながら、主柱間5.3メートルを測る壮大な門です。
記録は失われたが、第22世日玄聖人代の元禄年間に建立されたと伝え、様式的にも技法的にも、ほぼ妥当とされる。
扁額「本門寺」は門より古く、寛永4年(1627)本阿弥光悦の筆になる。
この石段、「此経難持坂(しきょうなんじざか)」というそうです。
熱心な法華信者で築城家としても有名な、加藤清正公の築造寄進。
同公は、慈母の第七回忌にあたる慶長11年(1606)、その追善供養のため、祖師堂を建立寄進し、併せて寺域も整備しているので、その折の築造と考えられる。
第14世日詔聖人のときである。
第22世日玄聖人代の元禄年間(1688-1704)に大改修されているが、清正公当時の原型を残す貴重な石造遺構である。
・・・一気に登りましたが、かなりしんどいですね。
そして、息を切らして歩く先に、やっと仁王門(三門)が見えて来ます。
共に昭和20年4月15日の空襲で灰燼に帰し、三門は同52年に再建、仁王尊は同54年に新造された。
三門は山門とも称されるが、正式には三解脱門の略。
中心伽藍へ入る重要な門であり、三種の解脱(さとり)を求める者だけが通れる。
多くは重層の仁王門とする。
例年、盛大に厳修されるお会式の、お逮夜(10月12日夜)の万灯行列が支障なくくぐれるよう、通常より下層の桁と梁の高さを上げてある。
扁額「長栄山」は第80世金子日威聖人の揮毫になる。
ちなみに「栄」の字は旧字だが、伝統的な慣習で、火伏せのため、冠りを「火」2つでなく「土」2つとしてある。
好天に恵まれて、紫外線も多いのか、顔がこわばって来ました。
堀之内妙法寺を後にして、丸ノ内線東高円寺から新宿を経由して五反田の東急池上線のホームへ。
池上線のイメージは、歌から来ています。
http://www.youtube.com/watch?v=_NCPtx3gqSM
実はこの「池上線」という歌、好きなのですが、いつまでたっても覚えられず、カラオケで歌えないという珍しい歌。
尤も、最近は何年も、カラオケに行っていません。
この歌の続編が、昨年リリースされています。
http://www.youtube.com/watch?v=78xGjxDOpMc
「池上線ふたたび」だそうです。
37年前に発売の「池上線」のアンサーソングです。
あれから月日
この手の歌、昭和40~50年頃の若者の頽廃的な雰囲気を引きずっている気がします。
「私鉄沿線」なんていうのも、これと被る気がします。
かなりマイナーな路線ですが、最近は新しい車両が走っています。
あっ、そんなことを言うつもりはありませんでした。
池上線蒲田行きに乗って、池上に向かいます。
元々は真言宗の尼寺だったそうです。
1615年 - 1624年(元和年間)日逕上人は、母・日圓法尼の菩提のため日蓮宗に改宗。
山号は日圓法尼に因み日圓山とし寺号を妙法寺とした。
初めは碑文谷法華寺の末寺となったが、1698年(元禄11年)碑文谷法華寺は不受不施派の寺院として江戸幕府の弾圧を受け、改宗を余儀なされ、身延久遠寺の末寺となった。
このころ碑文谷法華寺にあった祖師像を譲り受ける。
日蓮の祖師像が厄除けに利益があるということで、江戸時代より多くの人々から信仰を集めている。
現在でも、厄除けなどの利益を求め、多くの人が参拝に訪れている。
古典落語「堀の内」の題材にもなるなど、街の顔にもなっている。
本堂の後背に、日朝堂というのがあります。
本堂左奥に建つ「日朝堂」は、文政11(1828)年第二十世日憲上人代に創立され、身延山十一世行学院日朝上人の御尊像が奉安されています。
室町時代、多くの学業を成し遂げた日朝上人は、眼病を患うほど勉学に精進されました。
回復後、ご自身と同じように眼病を患った人々を救いたいと大願をたてたところから、「学問と眼病の守護」としても崇められるようになりました。
稀世の学匠として高名であったことから、学業増進・受験合格等、勉学の願いが叶えられることで有名になりました。
受験シーズンになると多くの人々が訪れています。
実は、次に行った所にも、「日朝堂」がありました。
落語もそうですが、日蓮宗でも「朝」という字の付く人は、偉いんですね。
日蓮宗に日朝上人、落語界に三遊亭圓朝・・・なんて。
その日朝堂の横に、真新しい碑が建っていました。
「有吉佐和子の碑」とありました。
「複合汚染」「恍惚の人」などのベストセラーで知られる作家の有吉佐和子さんは妙法寺のすぐ近くに住んでいました。
境内を通って帰宅されることも多かったということです。
ご当人はキリスト教の信者だったのですが、妙法寺をこよなく愛されていたこともあり、「有吉佐和子の碑」が境内に作られたそうです。
祖師堂の傍らに、「鉄門」があります。
明治11(1878)年、日本の近代建築学会の恩師といわれる英国人J・コンドル博士(鹿鳴館・上野博物館・ニコライ堂などを設計)設計による貴重な和洋折衷様式の鉄門です。
扉上の中心に極彩色の鳳凰を抱く鉄門は、寺院の門としては特殊なもので、文明開化を推進した和洋折衷を強く意識した門と言えるでしょう。
当時としては斬新なデザインでしたので、ものめずらしさに見物に訪れる人も多かったようです。
妙法寺の参道は、確か新宿あたりからずっと繋がっていたはずです。
お祖師様のご利益は、江戸の庶民には絶大だったのでしょう。
この参道を東に戻り、環状7号を横断して進むと、和田帝釈天というお寺もありました。
南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経・・・・。
江戸時代から「堀の内さん」や「お祖師さま」と呼ばれた杉並区堀之内・妙法寺は厄除で広く知られ「堀の内へ行ってくる」とは妙法寺に参拝することを意味し、吉原の遊女達でさえ代参を頼み”手ぬぐい”を奉納してもらっていたほどです。
寺にある「日蓮」の祖師像が厄除けにご利益があるということで人々の信仰を集め、現在でも厄除けなど多くの人が参拝に訪れています。
古典落語「堀の内」の題材としても知られています。東京メトロ丸の内線「東高円寺」下車、環七通りを徒歩10分ほどです。
父の2月命日のお参りの最初にこのお寺を選んだのは、同宗の名刹であることと、落語に出て来ることと、もう一つあります。
我が田舎の菩提寺の住職の婿殿が、このお寺にいるからなのです。
父の葬儀にも、その後にも、一生懸命にやってくれて、我がファミリーでの評価が高いのです。
勿論、本人に会いに行った訳ではありません。
今日あたりは、田舎に行っているかもしれませんから。
千代田線から丸ノ内線に乗り換えて、「新高円寺」で下車し、徒歩10分程度でしょうか。
青梅街道と環状7号線の交差点の近くです。
境内の南正面に建つ「仁王門」は、天明7(1787)年の再建で二層造りのため桜門とも呼ばれ、上層に廻縁をめぐらし、獅子・龍・華などの彫刻が絢爛にほどこされています。
仁王門の左右には、徳川四代将軍家綱公が妙法寺の地頭所日吉山王社に寄進したとされる金剛力士像(仁王様)が安置されています。
その姿は筋肉隆々で、右の像は口を大きく開け「あ」と叫び、左の像は口を「うん」と固く結んで力強さを表しています。左右の像は「あ・うん」の呼吸で妙法寺をお守りしているのです。
仁王門をくぐると、目の前に見える妙法寺で最も大きなお堂が「祖師堂」です。正面の御簾の奥に「祖師御尊像」つまり「やくよけ祖師像」が奉安されています。
この祖師像は、「おそっさま」と呼ばれお開帳された方は、そのご尊顔を拝することが出来ます。
やくよけ・家内安全・病気平癒のご祈願は、この祖師堂で受けることができます。
堂内は、天井や壁が金箔で覆われており、迦陵頻伽(仏教で極楽または雪山にいるという想像上の鳥)の彫物がありまさに絢爛豪華なたたずまいをみせています。
また仏の住む珠弥山の中腹にある東西南北の門を守護する四天王である廣目天(西方を守護し、災難から守る神)・増長天(南方を守護し、病を治す神)の像が堂内奥に奉安され、妙法寺を守護しています。
祖師堂で手を合わせ、命日の父を思います。
ここには一緒に来られませんでしたから、「親父、ここが堀之内のお祖師様で、妙泉寺(田舎の菩提寺)の婿さんがお勤めしているお寺だよ」と、語りかけるつもりで。
広重の「江戸名勝図会堀之内妙法寺」は、厄除け祖師像(日蓮像)が安置されている祖師堂から仁王門など妙法寺境内を描いています。
本堂は、祖師堂の後背にあり、祖師堂に比べて静かな佇まい。
祖師堂の北東奥にあるのが「本堂」で、三軌堂とも称され、主に檀家の方々の法要行事等が営まれます。「三軌」とは、如来の衣・座・室を表し、法華経を信じ説く人の三つの心構えを表しています。
正面に奉安されている「おそっさま」は、昔、出開帳といって多くの人々がお参りできるように他所に持ち出された祖師像です。左側に奉安されている立像は「旭ヶ森のおそっさま」で、清澄の旭ヶ森で朝日に向かい御題目を唱えた姿を現しています。
文政5(1819)年に建立された本堂は、絢爛さが目を引く祖師堂と対照的に、落ち着いたたたずまいをみせています。
それにしても、木魚と鐘と読経の音(声)が耳に快く聞こえて来ます。
信心に疎い日本人は、「寺社参拝=おみくじ」という人が多いようで、困ったものです。
お寺で柏手を打ったりする人もよくみかけます。
私は、おみくじを引くことはほとんどありません。
以前は、ご朱印帳を持って参拝していましたが、最近は、本堂や本殿で拝む・祈るのみです。
ふと、扇子形のおみくじを見つけました。
以前、神田神社でも見たことがありました。
落語に戻ろうとしているので、ちょっと引いてみることにしました。
おかげさまで、「大吉」でした。
「願い事」・・・高望みでも叶う
「健康」・・・・心身ともに充実する
「金運」・・・・絶好調です
・・・だといいですね。
ゴールデンウィーク後半初日は、好天にも恵まれ、父を偲びながらの徘徊でした。
経栄山題経寺は、寛永年間(1629)に開基され、開山上人を下総中山法華経寺第十九世禅那院日忠(ぜんないんにっちゅう)上人とし、その弟子の第二代題経院日栄(だいきょういんにちえい)上人が実際の開基である。
二天門から境内に入ります。
明治29年(1896年)の建立。
入母屋造瓦葺の楼門(2階建)で、屋根には唐破風と千鳥破風を付す。
柱上の貫などには浮き彫りの装飾彫刻を施す。
初層左右には四天王のうちの増長天および広目天の二天を安置し、門の名はこれに由来する。
二天像は平安時代の作とされ、門の建立時に同じ日蓮宗の妙国寺(大阪府堺市)から寄贈されたものである。
好天に恵まれて、参拝客でごった返しています。
このお寺にも、自宅からさほど遠くないこともあり、両親を連れてお参りしたことがあります。
この帝釈堂は、手前の拝殿と奥の内殿から成り、ともに入母屋造瓦葺で、拝殿屋根には唐破風と大ぶりの千鳥破風を付す。
内殿は大正4年(1915年)、拝殿は昭和4年(1929年)の完成。
内殿には帝釈天の板本尊を安置し、左右に四天王のうちの持国天と多聞天(毘沙門天)を安置する。
内殿外側には全面に浮き彫りの装飾彫刻が施されている。
帝釈堂内殿の外部は東・北・西の全面が装飾彫刻で覆われており、中でも胴羽目板の法華経説話の浮き彫り10面が著名である。
これは法華経に説かれる代表的な説話10話を選び視覚化したもので、大正11年(1922年)から昭和9年(1934年)にかけて、加藤寅之助ら10人の彫刻師が1面ずつ分担制作した。
この羽目板の上方には十二支と天人、下方には千羽鶴が表され、高欄(縁)より下の部分には花鳥および亀を浮き彫りで表す。
これらの彫刻を保護するため、内殿は建物ごとガラスの壁で覆われ、見学者用の通路を設け、「彫刻ギャラリー」と称して一般公開している。
・・・・という訳で、この彫刻ギャラリーも見て、庭園に向かいました。
邃渓園(すいけいえん)という庭園は、大客殿前に広がる池泉式庭園で、昭和40年(1965年)、向島の庭師永井楽山の設計によるもの。
直接庭園へ入ることは出来ませんが、周囲に設けられた屋根付きの廊下から見ることができるのです。
この庭園の見事さに、小一時間、廊下にある椅子に座って、命の洗濯をさせてもらいました。
勿論、同宗の寺ですから、父を偲んで手を合わせました。
「正中山中山法華経寺」の境内を徘徊します。
日蓮は「法華経」を唱えることで成仏出来ると唱えて他宗派を激しく攻撃しました。
1260年(文応元年)には「立正安国論」を著して時の執権である北条時頼に日蓮宗に帰依しなければ国が滅ぶと予言して鎌倉の松葉ヶ谷で襲撃を受け(松葉ヶ谷の法難)、現在の下総中山の豪族であった富木常忍のもとに逃れました。
常忍はその後出家して日蓮の弟子日常となり、自宅を法華寺としました。
近くの太田乗明も日蓮の弟子日高となり、自宅を本妙寺としました。
その後、室町時代に法華寺と本妙寺が合併して、現在の法華経寺となったそうです。
鬼子母神堂に向かいました。
広い廊下?を歩いて、一番奥の鬼子母神堂まで行きました。
日蓮大聖人御親刻の鬼子母神像が安置され、怨魔退散、子育ての守護神として崇められています。
雑司ヶ谷と入谷とここが、江戸三大鬼子母神と言うそうです。
それから、荒行堂を見て、祖師堂の後背にある法華堂方面へ。
この荒行堂では、11月1日より2月10日までの百日間日蓮大聖人直授の秘伝、大荒行が行われます。
緑とつつじが見事で、穏やかな気持ちになりました。
四足門は、切妻造檜皮葺、約七百年前鎌倉愛染堂に在ったものを移築して法華堂の正門に立てたもの。
法華堂は、桁行五間、単層入母屋造、銅板葺、文応元年(1260)創建。
日蓮聖人自ら一尊四菩薩を開眼安置しています。
喉が渇いたので、参道にある店でラムネを飲みました。美味い!
さぁ、まだ日は高い・・・。
ついでだから、もうヶ1ヶ所どこかに行ってみようか・・・。
黒門と仁王門をくぐり、参道を歩いて行くと、広々とした境内が目に入ります。
絵馬堂を右に見て、正面に五重塔と大仏が目に入ります。
左を見ると、勇壮な祖師堂が・・・。
延宝6年(1678)第48世日純上人代に上棟式が行われ、17年の歳月をかけ、元禄15年(1702)落慶式が行われたというもの。
度々の改修工事を行い、昭和62年より日常大聖人第700遠忌事業として、10年の歳月をかけ、解体修復工事が行われ、平成9年、復元が完成し、創建当時の比翼入母屋造りの祖師堂になったとのこと。
安置されている日蓮聖人像は中老日法上人の作で、祖師堂正面には「祖師堂」の大額が揚げられています。
父が、この境内で祖師堂や五重塔を見上げていたのを思い出します。
享保4年(1719)59世日禅上人代に鋳造され身丈1丈6尺台座2間半、鋳像では千葉県一だそうです。
五重塔は、元和5年(1622)18世正教院日慈上人代 本阿弥光室の本願によって加賀(石川県)前田公の寄進により建立された、三間四面銅板葺の威容です。
父を偲びつつ、さらに広い境内を散策します。
徘徊のために腹ごしらえをと、安易に亀戸天神の鳥居のすぐそばにある小さなラーメン屋さんでチャーシュー麺をたべました。
ラーメンは大好きですが、最近のラーメン屋さんは、なんかこう凝り過ぎていて、美味いのか不味いのかわからないのが多いのと、固め柔らかめ・スープの濃い薄い・太麺細麺・縮れ麺・・・など客に選択させることが多いのと、食券を買わせる店が多いのが不満です。
この店も食券でしたが、お客に何か色々やらせるのは、食券(職権)濫用ではないかと思いますよ。
バラとロースのチャーシューが入っていたりして、なかなかのものでした。
・・・というより、ラーメンならほとんど好きですから、これでいいのだ。
こんな庶民的な店でとやこう言うのも野暮ですが、帽子を被ったまま食べているじいさんがいました。
昔なら「お行儀が悪い」って叱られたと思います。
こういうマナーというか行儀を知らないはずはないと思うのですが・・・。
さぁ、総武線でどこか徘徊に良い場所ありませんか・・・。
今日は憲法記念日。
国民の祝日に関する法律(祝日法)では「日本国憲法の施行を記念し、国の成長を期する」ことを趣旨としています。
1947年の今日、「日本国憲法」が「施行」されたのを記念し、1948年公布・施行の祝日法によって制定されました。
一般的には、ゴールデンウィークを構成する祝日の一つぐらいの感覚の方が多いのではないかと思います。
なお、この憲法が公布された11月3日は、日本国憲法が平和と文化を重視していることから「文化の日」になっているということですから、憲法のおかげで年に2度休めるということですね。
最近、憲法改正論議が高まって、改憲派と護憲派が騒いでいます。
ふと、自分が法学部の出身だったと思い出しました。
自分がその程度ですから、到底人様には申し上げられないのですが。
最初に勉強したのが「憲法」でした。
その頃は真面目でしたから、先生の講義を聴いて、一生懸命ノートに書いたものでした。
下宿に帰ってから清書したりして。
最終的には、ルーズリーフの細罫のノートにぴっしり120ページぐらいになり、試験の時などは、友人たちから「コピーをさせてくれ」という訳で、随分"売れ"ました。
私にとっては、真面目に作った唯一の講義(受講)ノートで、実家の書架に大切に保管してあります。
もう、ノートも黄ばんでいて、時代を感じます。
先生は、小嶋和司教授でした。
ちょっとハスキーな声で、教壇の椅子に斜めに腰かけて、一言一言噛みしめるような語り口調でした。
小嶋先生のような著名な学者の方からは、政治家はあまり勉強していないように見えるようですが、「中曽根康弘という人は、よく勉強している」と、辛口の先生にしては珍しくお褒めになっていたのが印象に残っています。
現総理が「憲法学者の芦部先生を知らないなんて」と、野党から揶揄されましたが、小嶋先生はこの芦部先生の兄弟子のような存在だったのですね。
1987年に63歳でご逝去されたそうです。 著書の「憲法概観」「憲法学講話」や「憲法概説」は、私が拝聴した講義から生まれたのかも。
こんな話題がすいすい出て来るところを見ると、乱志も落語ばかりしていた訳でもないのかもしれませんな。
とりあえず、「お江戸あおば亭」のプログラムを作ってみました。
基本的なレイアウト等は、前回を踏襲して・・・。
ただし、今回は出演者が多いので、ちょっと窮屈に見えるかもしれません。
私の大嫌いなプロ野球選手が、昨日日米通算2000本安打を記録したそうです。
記録に対しては、敬意を表しますが、態度・風体・品格ともに好感が持てない選手です。
ところが、面白いのは、あと5本で(国内)2000本安打に到達するということ。
えっ・・・・ということは、彼の地では5本「しか」打っていないということですね。
とにかく、不遜で井の中の蛙・内弁慶を絵に描いたようなイメージの選手ですから・・・。
それでも、さすがの本人も「大リーグの5本はカウントしたくない」という強い意向で、記念セレモニーは行われなかったそうです。
新刊ホヤホヤがAmazonから届きました。
第7巻目は、「千早ふる」のほか、「鰍沢」「不孝者」が丹念に描かれているそうです。
今夜帰ってから読破しようと思います。
今日は八十八夜、立春から数えて88日目です。
"八十八"と いう字を組み合わせると「米」という字になることから、農業に従事する人にとっては特別重要な日でもあります。
昔から「夏も近づく八十八夜」や「八十八夜の別れ霜」などと言われ、八十八夜は霜のなくなる安定した気候の訪れる時期。
春から夏へ移る境目の日ということです。
今日は雨混じりで寒い1日になりそうですが。
昨日からクールビズなんて言っていますが、とてもそんな状態ではありません。
八十八夜からは新茶の摘み取りが行われます。
そう言えば、幼少時代は、今のようなゴールデンウイークではありませんでしたが、数少ない連休は、お茶摘みをやらされました。
祖父が揉んだ新茶は、子どもでも本当に美味いと思いました。
ところで、「八十八夜」という歌があって、なぜかとても好きです。http://www.youtube.com/watch?v=oYcfx7jZDig
師匠がご出演される「雑司が谷ワンコイン落語会」。
思えば2010年の7月。
雑司が谷鬼子母神参道の「案内処」オープンを記念した同落語会に、師匠の前座で出演させていただきました。
懐かしい・・・、あの頃は熱かったですね。
出演 | 三遊亭 圓窓 |
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日時 | 平成25年5月19日(日)午後2時開演 |
場所 | 雑司が谷地域文化創造館 地下1階第2練習室 |
料金 | 500円 |
申込 | 5月1日(水)より |
霊峰富嶽がやっと「世界文化遺産」にという報道。
ごみを捨てたりせずに、きれいな山にしないといけません。
「富士山と信仰・芸術の関連遺産群」(山梨県、静岡県)について、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の諮問機関である国際記念物遺跡会議(イコモス)が、条件付きで世界文化遺産への登録を勧告したと発表した。
勧告を踏まえ、6月にカンボジアで開かれるユネスコの世界遺産委員会で登録が正式決定される見通し。
富士山は、富士五湖や富士山本宮浅間(せんげん)大社(静岡県富士宮市)、忍野八海(おしのはっかい)(山梨県忍野村)など25件が構成資産。
浮世絵で描かれたり和歌の題材になるなど芸術のテーマとしても取り上げられ、神社や自然を一体として名山の景観を形づくっているとしている。
ただ、「三保松原(みほのまつばら)を除き記載が適当」との条件が付いた。
桂文枝師匠のコメント記事を見つけました。
落語という芸は極めてシンプルであり、それゆえに演者は大事なことを伝える真のコミュニケーション能力を、観客はそれを受け取る想像力を求められる。
だが、最近の日本人はそれらコミュニケーション能力や想像力を欠いているのではないか。
様々な悲惨な事件が起きる背景にはそうした日本人の劣化があるのではないか。
六代桂文枝師匠はそう危惧している。
こんな書き出しです。
Q:近年起こっている事件を見ると日本人は情を忘れてしまったようだ。特に若い世代はコミュニケーション能力が低下していると言われる。
A(文枝師匠):だいぶ前からキレやすい若者が増えたと言われますし、ネットの掲示板では、激しい言葉で他人を攻撃したり中傷したりするのが当たり前になっています。
それに対応することだと思いますが、テレビの笑いの質が劣化しています。
今は芸人同士が「コイツはこんなアホな失敗をした」とか、「アイツにはこんなひどい欠点がある」といったことを暴露し合い、それを聞いたスタジオにいる出演者が笑うということが多い。
つまり、他人をバカにして笑いを取るのです。
ボキャブラリーも貧困で、「アホか、お前は」とバカにするだけ。
しかも、バカにされた方も、イジられることが人気の証しと思っているかのように、喜んだり得意気になったりしている。
テレビがそうした安易な笑いを毎日流していると、それを見た子供たちが真似をする。
しかし、芸人と違い、子供たちの中には傷つく子もいる。
イジメられたと感じ、追い詰められる子もいるでしょう。
Q:昔の笑いは違った。
A:落語に限らず、昔の漫才やコントは計算し尽くされた芸で笑いを取っていました。
そこにはユーモアもあれば、ペーソスもあれば、知性もあった。
そして、何より情がありました。人をバカにした笑いは見る人、聞く人に後味の悪さが残りますが、情のある笑いは心を温かくします。
Q:むしろ日本人は退化しているのかと悲しくなる。
A:そうかもしれませんね。例えば、今のテレビは人間の想像力を削ぐような作り方をする傾向が強まっています。
わかりやすく伝えるためなのかもしれませんが、ドキュメンタリーでもバラエティでも再現ドラマを多用し、しかもすべてを説明しようとするようにテロップをやたらとつける。
そこには視聴者が想像力を働かせる余地が全くありません。
いわゆる行間を読む必要がないのです。しかし、説明が過剰になることによって、大事なことがこぼれ落ちていくのです。
そういう環境に慣れてしまった視聴者は、わかりやすいものばかりを求め、想像力を働かせないと理解できないものを避けるようになります。
しかし、他人の気持ちに想像力を働かせ、それを思いやるのが情です。
最近の日本人が情を失いつつあるのは当然かもしれません。
もっと落語のように「間」のある演芸、余韻のある演芸を楽しむ余裕を持つべきではないでしょうか。 ※SAPIO2013年5月号
全くそのとおりだと思います。
落語は、言葉を豊かに、想像力を豊かにする演芸です。
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