1ヶ月前
ちょうど1か月前の2月28日。まだ冬の寒さでした。
月末でまだオフィスにいた夜7時半頃、母からメールが届きました。
入院している父の主治医から「家族を呼ぶように」と告げられたと。
2月12日に入院した翌13日、仕事を休んで慌てて病院に駆け付けた私は、母と二人で父の病状を聞きました。
回復の見込みはないこと、いつ重篤な状態になるかはわからないこと、そして症状が悪化した時の治療方針について等々・・・。
それからの約2週間は、そこそこ小康状態が続いていて、2月26日の58回目の結婚記念日には、夫婦で二人の来し方を語り合ったようでした。
この2月28日夜の母のメールで、急いで家族と妹と一緒に病院に向かいました。
病院に着いたのは、翌日未明の2時過ぎでした。
父は、子や孫が来るのを待っていてくれたようでした。
もはや、長時間多くを語ることは出来ませんでしたが、手を握ったり、声をかけたりして、これが最後になるかもしれない尊い面会の時間でした。
父は、母や私たち兄妹や孫たちに、嬉しそうに語りかけました。
主治医から、2~3日が山だというニュアンスを言われていました。
父が「後は頼んだぞ」と言いました。
私は黙って頷きながら、父の手を握りました。
父は、暖かい手で握り返してくれました。
・・・あれからちょうど1ヶ月経ちました。まだ、冬の寒さの夜でした。
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