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2013年2月14日 (木)

日本人が忘れちゃいけないこの落語

時々は宣伝しないといけない師匠の著書。
日本人が忘れちゃいけないこの落語   師匠に頼まれたのではなく、この本に私が登場しているからです。
落語っ子連の仲間入りをさせていただいた直後、「三方一両損」の稽古をつけていただいた頃の話題です。
「流三さんのこと、今度出す本で書かせてもらったんで、よろしく」ということでした。
理論派の師匠は、不自然な場面設定やオチにこだわります。
「圓窓五百噺ダイジェスト」で、「三方一両損」について触れています。
「さすが、名奉行」というわけで一件落着。
そのあと白州で、奉行は両名に食事をご馳走した。
二人は大喜びでパクパクと食べた。
奉行も心配をして、「腹も身の内である。たんとは食すなよ」
「へえ、多くは(大岡)食わねえ」 「たった一膳(越前)」
と演ったのが、今までの[三方一両損]
本筋と離れた駄洒落の落ちはいただけない。
「いや、落語的な愛敬があっていいじゃないか」と弁護する論もあるが、「悪いものは悪い」とはっきり言う論もなくてはいけない。
そこであたしは食事場面を削除して、話の筋に則った落ちを創作しました。
このお裁きが江戸中の評判となった。
源兵衛と平蔵という小悪党が二人でたくんだ。
二人が一両二分ずつ工面して三両こしらえた。それを源兵衛がわざと落とすと、平蔵がそいつを拾って届けて、前出の二人のような喧嘩をする。
「奉行所に訴え出れば、大岡様が『またもや正直な二人じゃ』てんで、俺たちに二両ずつくださる。と、二分っつ儲かるてぇわけだ」
そして、奉行所に訴え出る。
大岡様は「これは狂言臭い」と判断して、お裁きに入った。
二人は「この三両はいりません。三両のことは忘れました」と胸を張って言い放つ。
大岡様は二人に「忘れるとは感心じゃ。先は三方が一両の損をする裁きであったが、この度は一両ずつ得をいたす。三両の内から双方に一両ずつつかわす。忘れたのであるから、一両ずつの得である。奉行も一両貰って得をいたす。三方一両得である。どうじゃ」と言った。
二人は損をしたので、しどろもどろ。
奉行から「この奉行より二分ずつ騙しとろういたす不届き者。よって、双方の髷を切り落とす」との申し渡し。
クリクリ坊主にされた二人「もう毛(儲け)がなくなった」

・・・大岡裁きは数多く伝わっているが、[白子屋裁き]以外はほとんどが作り話か、他の人の裁き大岡の手柄にした創作である。
しかし、この噺、うまく出来ている。
だが、重ねて言うが、本筋とは離れた駄洒落の落ちはいただけない。
他のどんな大岡政談にも付けられる落ちだから、便利と言えば便利。(笑)
いっそのこと、そう利用して楽しむのもいいかもしれない。
でも、飽きるだろうなぁ。
と思って、落ちを変えたんだが、「それ、演らせてください」という仲間も現われないから、評判は芳しくないのだろう。

こういう思いから、白洲で食事をするという、ありえない場面ではないオチを考えて演ってみてよ。
そういう流れなんです。
私は、師匠のように新しいストーリーを追加してオチを考えるなどという高等技術はありませんから、「一件落着」の後で・・・、
「両名とも、この度の善行・正直ぶりは実に見事じゃ。これからも、毎日喧嘩ではなく、善を積み上げろよ」
「へぃ、お奉行さま、ありがとうございます。でもねぇ、あっしら柄の悪い職人で、そんな立派なことは、多くは(大岡)出来ねぇ。なぁ・・」
「そうだとも、一日一善(越前)だ」・・・。

・・・そんなやり取りが書かれています。

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