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2012年11月16日 (金)

大学「落語研究会」の歴史

eye「落語研究会(落研)」の歴史について、独断と偏見の考察。
3d3fiso2022jp3fb3fqtqbjei9ue5pgyh_3詳細を調べ上げた訳ではありませんが、私はずっと、一番最初に「落研」が出来たのは、「東大」か「早稲田大」かだというイメージでいました。
そもそも、私の落語徘徊でも、落語研究の場合「聴く」・「演る」・「読み書く」の3つの局面があると思います。
例えば、鉄道マニアに「乗り鉄」や「撮り鉄」や「・・鉄」等があるように、落語愛好家にも「鑑賞派」・「実演派」・「研究派」というような得意分野があると思っています。
(東大落語会では「武闘派」「学究派」と言われているそうです。)
その中で、大学の「落研」を定義する時には、メンバー自らが高座に上がり実演するかどうかがポイントになると思うんです。
聴いたり、(学術的な)研究をしたりするのは、一人でも出来ますから、こういう人たちだけでグループになっても、大学のサークル(部)活動としての「落研」とは言えない気はします。
ところで、早稲田大学落語研究会OBの「落穂会」のHPでは、早稲田の落研がごく簡単にこう紹介されています。
小沢昭一氏などの早稲田大学芸能文化研究会から始まって、わが国の学生落語同好サークルとして東京大学落語研究会と共に最も古い歴史を誇る早稲田大学落語研究会。
また、小沢昭一さんの略歴の一部を拝見すると・・・。
麻布中学時代から、演芸評論家・作家である正岡容の知遇を得て弟子になる。
桂米朝、大西信行、加藤武らとは正岡門下の兄弟弟子の関係。
さらに、大西信行、加藤武らと演劇部を立ち上げた。
また、フランキー堺、仲谷昇とも同級だった。
早大在学中にはやはり、大西信行、加藤武らと共に、日本で初めての学校での落語研究会(厳密には、名称は「寄席文化研究会」としたかったが、大学に認めてもらえず「庶民文化研究会」とした)を創設する。  
・・・とあります。
小沢さんが早稲田を卒業したのは昭和27年だそうですから、早稲田の落研のスタートは・・・昭和25年頃ということになるのでしょうか?

一方、「東大落語会」のOBの「三山亭多楽」師匠が、ご教示くださった内容を拝借すると・・・。
昭和20年の終戦後に旧制一高に公認の「一高芸能文化研究会」が発足し、翌昭和21年にその分科会の一つとして「落語研究会」が誕生しているという記録が残っているそうです。
ただ、この「落語研究会」は、専ら落語を鑑賞する会だったようで、落語を演ずることはなかったそうですから、上記で(私が勝手に)定義した「落研」とは、やや性格が異なっていたかもしれません。
残念ながら、この「落語研究会」の活動は、昭和25年3月の旧制一高と運命を共にして一旦消滅、新制東大になって新たに「日本文化研究会」の中の「落語部」として生まれ変わったということです。
これが現在の「東大落語研究会」のルーツと言うことでしょう。
(三山亭多楽師匠、詳細なご説明ありがとうございます。)
・・・ということで、大学の「落研」の歴史は、そんなことのようです。
昭和25年というのが落ち着きどころかもしれませんね。
因みに、我が「東北大学落語研究会」は、それから遅れること約9年の昭和34年7月に、初代「麻雀亭駄楽」師匠が中心となってスタートし、その後、学友会公認の「東北大学落語研究部」となり、53年後の今日に至っています。

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