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2012年9月25日 (火)

師匠と

pouch先日の「落語っ子連」の稽古会の前に、師匠と二人だけで話す機会がありました。
師匠は前日に、「彩雨亭鬼談会」で仙台に日帰りされたので、まずはその話題から。
http://ensou-rakugo.at.webry.info/201209/article_12.html
おかげさまで「彩雨亭鬼談会」は大盛会だった。
落研のOBや現役の人たちも随分来てくれて有り難かった。
特に「Oくん」(桂友楽師匠のこと)とは45年ぶりぐらいに会うことが出来て、とても懐かしかった。
彼は、社会人になってからもずっと落語をやっていて有名だったし、現役を退いた今は、さらに落語漬けになっているようだった。
八幡町で小学生に落語を教えたりもしているようで、ちょっと教え方のアドバイスもした。
会場の仙台文学館は、井上ひさしさん肝煎りの施設だそうで、井上さんの力添えがなかったら、完成出来なかっただろうと、館の人が言っていた。

井上ひさしさんの話題になります。
井上ひさしさんというのは、「言葉」を大切にする人で、一度対談をしたことがあったが、素晴らしい人だった。
うちの師匠を題材にした作品(圓生と志ん生)も観劇させてもらったが、丁寧に出来ていた。
この作品のために、わざわざ(戦時中に志ん生師匠と圓生師匠が渡った)大連まで取材に行ったそうだ。

最後は落語論・・・・。
落語が好きな人の数(落語人口)は本当に少ないと痛感する。
落語ブームだなんて言っても、実に微々たるものだ。
どうしたら増やせるだろうか・・・。

(師匠は、そんな思い、憂いや危機感から、落語の授業や大学の講師、素人への落語指導などに力を注いでいるんだと思います。)
「落語は好きですか?」と訊くと、ほとんどの人が「好きです」と言ってくれる。
でもそれは、極めて消極的なもので、自ら求めて落語を聴く(読む・演る)人は少ない。
確かに、「古典落語」という言葉が、落語の存在感を示すのに一役買った部分もあるが、「古典」ということで、上に奉られてしまって、大衆から離れてしまった一面もあるだろう。
昔は、落語(落とし噺)と新作(落語)しかなかった。
大師匠の圓朝師匠は、「新作落語」で一世を風靡した。
戦後の新作というのは、高度成長の波や世相に合わせて(乗って)隆盛となった。
金語楼さんや圓歌さんは、その兵隊落語にしても、「授業中」にしても、まさに時代に合った、大衆に共感されたから売れた。
圓歌さんも、「授業中」が受けなくなるとやらなくなり、最近は介護の噺(中沢家の人々)をやっている。時代に合わせている。
三平さんの勢いも物凄かった。
世の中があんなにさせたんだろうね。
明治時代にも、「釜堀りの談志」・「へらへらの萬橘」など、際物といわれるような芸(人)が出て、人の目(気)を引かせた。
いつの時代もそういうものだ。

(私の、最近のお笑いは薄っぺらで面白くないという意見から)
大きな声で叫んだり、ただ笑わそうとばかりしている。
落語にもその傾向があるのが心配。
だから、噺家がしっかり落語の稽古をしていない。
私が指導している素人の連の人たちの方が、ずっと真面目に多く稽古をしている。
落語のレベルが下がって行くのが心配。
我々の芸は、芸の伝承と言っても、師匠から稽古をつけてもらうこと(噺)など、ごく僅かで、しかも芝居などと違って、独りで演出も演技も全てやるから、客観的にレベルを測ることが難しい。
だから、上手くない人がいて、それが基準になってしまったら、どんどん芸のレベルが落ちて行く。
だから、落語にも演出家のような存在が必要だと思う。
落語はなくなることはないだろうが、それが心配。
当代の大看板の口から語られる言葉を、自分だけが独占出来ている幸せを感じながら、落語をこよなく愛する師匠の思いに触れ、大いに共感することが出来ました。
贅沢な時間です。

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