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2012年9月 3日 (月)

将門首塚に護られて

horse大手町のビルの横の道路を挟んで「平将門首塚」があります。

都会のオフィス街のビルの谷間に、こんな場所があります。
将門様の祟りがないように、それから分祀されている「神田明神」のご利益をと、よくお参りをしたものです。
首塚から建物を望みます。

平将門の首級は平安京まで送られ東の市、都大路で晒されたのですが、3日目に夜空に舞い上がり故郷に向かって飛んでゆき、数カ所に落ちたとされています。
伝承では、いずれも「平将門の首塚」と呼ばれているようです。
その中でも最も著名なのが、ここでしょう。
かつては盛土と、内部に石室ないし石廓とみられるものがあったそうで、
古墳だったと考えられているようです。
この地はかつて武蔵国豊嶋郡芝崎村と呼ばれた。
住民は長らく将門の怨霊に苦しめられてきたという。
諸国を遊行回国中であった遊行二祖他阿真教が徳治2年(1307年)、将門に「蓮阿弥陀仏」の法名を贈って首塚の上に自らが揮毫した板碑を建立し、かたわらの天台宗寺院日輪寺を時宗芝崎道場に改宗したという。
日輪寺は、将門の「体」が訛って「神田」になったという神田明神の別当として将門信仰を伝えてきた。
その後江戸時代になって日輪寺は浅草に移転させられるが、今なお神田明神とともに首塚を護持している。
首塚そのものは関東大震災によって損壊した。
その後周辺跡地に大蔵省仮庁舎が建てられることとなり、石室など首塚の大規模な発掘調査が行われた。
昭和2年(1926年)に将門鎮魂碑が建立され、神田明神の宮司が祭主となって盛大な将門鎮魂祭が執り行われる。
この将門鎮魂碑には日輪寺にある他阿真教上人の直筆の石版から「南無阿弥陀仏」が拓本された。
この地は東京駅に近く皇居の間近に位置するため、周辺にはオフィスビルが林立しているが、この一角だけは広い敷地ではないにもかかわらず鬱蒼とした木が茂っている。
敷地内には蛙の置物が数多く石碑の周囲に置かれている。

あと1ヶ月・・・・。  

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