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2012年9月 3日 (月)

「圓生忌」

slate1900(明治33)年という年は、落語界にとっては、大変重要な年だと思います。
Fw:bb 8月11日に「三遊亭圓朝」が逝去。
圓朝といえば、江戸から明治の落語中興の祖。
そして、巨星が落ちた23日後の9月3日、まるで圓朝の生まれ変わりのように誕生したのが「山崎松尾」。
後の六代目「三遊亭圓生」師匠です。
三遊亭の総帥「昭和の名人」として君臨しました。
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そして79年後の、1979(昭和54)年9月3日、奇しくも満79歳の誕生日の日、公演先の習志野で急逝しました。
今から、33年前のことでした。
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私はちょうど就職した年で、落語から離れた直後で、何かこう、落語との縁の終わりを感じた気がしました。
(その後25年経って、再び縁が復活して今日に至りました。)
Fw:,,習志野の会場の碑。
「圓生忌」ということで、何をするわけではありませんが、圓生師匠を偲びたいと思います。
以下、圓生師匠の略歴です。
明治33年(1900) 9月3日 大阪にて出生
明治37年  生母のさだ(義太夫の三味線)と供に東京に転居
明治38年  四代目橘家圓蔵の身内に入り
                豊竹豆仮名太夫の名で子供義太夫として出演を開始
明治40年  さだが圓蔵門下橘家二三蔵(五代目三遊亭圓生)と結婚
明治42年 豆仮名太夫改め橘家圓童となり子供落語家に転身
大正3年(1914) 圓童改め橘家小圓蔵となる
        (義父二三蔵は小圓蔵を経て三代目三遊亭圓窓襲名)
大正9年  小圓蔵改め橘家圓好となり真打に昇進
大正11年 師・四代目圓蔵死去
       義父の圓窓、五代目圓蔵を襲名
       圓好は四代目三遊亭圓窓を襲名
大正14年、義父・圓蔵、三遊亭圓生(五代目)襲名
       圓窓は六代目橘家圓蔵を襲名
  社会情勢が不安定になる中人気は低迷し不遇の時代を過ごす
昭和15年 義父・五代目圓生死去
昭和16年 六代目三遊亭圓生襲名
昭和20年 旧満州へ渡りほどなく終戦を迎える
       帰国できぬまま大連で過ごす
昭和22年 帰国、寄席に復帰。
       『妾馬』の成功で”涙あり笑いあり”の本領を覚える
昭和28年 ラジオ東京(現TBS)の専属となり人情噺、大ネタ落語の
        第一人者として名声を得る
昭和35年 「圓生全集」を刊行
        『首行燈』で芸術祭文部大臣賞受賞
昭和40年  落語協会会長に就任
昭和47年  落語協会会長を退任
昭和48年  「三遊亭圓生人情噺集成」の録音に着手
昭和49年  「圓生百席」の録音に着手
昭和52年  録音完了
昭和53年  一門を引き連れ落語協会を脱退
                落語三遊協会を設立
昭和54年(1979) 9月3日 公演先の習志野市で急逝

持ちネタが多く、その全てが完成されていた、文字通りの名人です。
愛弟子の圓窓師匠もよく、圓生師匠の芸談を話してくださいます。
多い持ちネタの中でも、以下の噺は特に人気があるようです。
包丁・牡丹燈籠・ちきり伊勢屋・お若伊之助・花筏・御神酒徳利・
猫定・百川・死神・なめる・お化け長屋・おかふい・盃の殿様・転宅・ねずみ穴・一人酒盛・鰍沢・三十石・掛取萬歳・文七元結・百年目・妾馬・真景累ヶ淵・乳房榎・水神・居残り佐平次・梅若禮三郎・・・・
・・きりがありません。

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