「桂文治」と「桂文枝」
今年襲名された大看板、「桂文治」と「桂文枝」。
「桂文治」は、元々は上方落語の名跡であるが、三代目以降は東西に分裂し、五代目以降は江戸落語の名跡となる。但し、七代目のみ上方に移っている。
(十代目は上方の七代目の孫弟子だが、江戸落語家である) 江戸(東京)桂一門の止め名であり、東西落語界を含めた「桂一門の宗家」でもある。
「桂」の亭号の由来に関しては、初代文治が大阪市北区にある佳木山太融寺の檀家であったことから、寺の山号から連想して名付けたのだという。
(大阪の天下茶屋にある石碑「桂塚」の碑文の説)
この名跡は、江戸時代(天保~安政)期に人口に膾炙した文字鎖(「江戸文字鎖」またの名を「江戸言葉唄」)で詠われている。
文字鎖とは尻取りの一種。
この尻取りが余りに有名なため、恐らくこの頃の子供で桂文治を知らないものはなかったと思われる。
牡丹に唐獅子竹に虎 →「虎」
虎を踏まえて和藤内 →「藤内/内藤」
内藤様は下がり藤 →「ふじ」
富士見西行うしろ向き →「むき」
むき身はまぐりばかはしら →「はしら」
柱は二階と縁の下 →「下」
下谷上野の山かづら →「かつら」
桂文治は噺家で →「で」
でんでん太鼓に笙の笛 →「え」
一方、「桂文枝」は、上方落語の名跡。
桂文治の名跡が東京に移ってからは、事実上、上方桂一門の止め名となっている。
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2009/12/post-b6d1.html
「文枝」の名跡は、元は初代文枝の師匠であった上方四代目桂文治の前名であるが、現在は代数に数えられていない。
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