落語の稽古と芸談
「師匠、最近ちょっとスランプなんです。」・・・・。
先日の稽古会の時、「鬼子母神 薮中の蕎麦」の稽古をつけていただいた後、私がふと漏らしました。
「えっ?スランプって?」
「最近(落語の)稽古がなかなか出来なくて・・・。」
「えっ? どうしたんだい? いよいよ思春期かい?」
「いやぁぁ、でも師匠、実は何となくそんな面もあるんです。」
・・・ということで、私のここ1年ぐらいの落語の稽古の方法というのか、噺の覚え方・作り方・姿勢の変化について、思うところを師匠に話してみました。
「師匠が稽古で仰るように、活字から極力離れて、勿論噺のキーワードや全体の流れを掴むために高座本は使いますが、その場その場の情景や感情を自分でイメージして、活字に捉われないで噺を作り上げて行こうとしているんです。
そうすると、実は皮肉なことに、稽古に対する取っ付きが物凄く悪くなり、高座本を読まない(暗記しない)分、かえって稽古の量が減っている気がします(それじゃぁいけませんが)・・・。
今まで演らせていただいた「救いの腕」や「揺れるとき」や、今チャレンジしている「鬼子母神 薮中の蕎麦」は、師匠の創作噺ですから、師匠の高座本だけで、他の音源や速記がなく、寄席や落語会で他の噺家さんを聴くことも出来ず、全て自分の言葉で作り上げて行かなければいけないので、それがとてもハードな作業になります・・・。
でも、これは、普段から師匠に言われている、「情景描写」・「感情移入」をしっかりするためには不可欠だと思っています。
だから、このハードル(壁?)は超えなくてはならないと・・・。
半分は、楽しみながらやってはいるのですが。」
すると師匠が、以下のようなコメントと芸談をしてくださいました。
「なるほど、確かに、あたしたち(プロの噺家さん)にも、各自の芸が上手くなって行く過程で、そういう段階があったかもしれない。
前座の時分は少ない持ちネタを、毎日のように繰り返し繰り返しやっている。
が、そのうちに、持ちネタが増えて来ると、ひとつの噺あたりの頻度は明確に減って来る。
そして、さらに持ちネタを増やして行くためには、活字で覚える・暗記することには限界が出て来るし、それでは臨場感や広がりなどは決して表現出来ない。
だから、その場その場で、今までの稽古で蓄積されたパターンや技術、その人の人となりや人生経験など、ありとあらゆるものを駆使して、身体の中にストックされた語彙(ボキャブラリー)を瞬間的に取り出して噺を作り上げる(語る)ことが必要になるんだよ。
同じ噺でも、やる度に違って来るものだ。
だから、常に気力も体力も充実させていなくては、しっかりした噺は出来ない。
流三さんは、下手な噺家よりもずっと稽古をしているから、いよいよその領域に達して来たということなんだよ。
あれだけ稽古しているんだから・・・。
(流三注::いえいえ稽古をやらずに悩んでいます。)
うちの師匠(六代目圓生師匠)は、持ちネタの多さと、それぞれの水準の高さでは右に出る噺家はいなかったが、それとて全ての噺を(言葉で)完璧に覚えていた訳ではないんだよ。
あたしが師匠に、「(あまり高座にかけない珍しい噺の)稽古をしてください」とお願いすると、「てへへ、あの噺の稽古でげすか」などと、とても喜んでくれた。
ところが、いざ稽古を始めても、雑談や芸談ばかりで(これがまた貴重なんだが)なかなか肝心な噺の稽古をしてくれない。
そして結局最後は「私の全集に載っているから、それを見て覚えてやっていいから」なんて言っていた。
うちの師匠でもすぐには出来ない噺だってあったんだよ。
大切なことは、自分の引き出しの中から、瞬間的に的確な言葉や表現や仕草を取り出して、噺を作り上げて行くことが出来るかだよ。」
・・・そうなんですよ。
それが出来なくてはいけない。それが話芸というものだと思います。
「落語は、演者の人柄を映す鏡だ」と言われる所以なんですよ。
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