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2012年5月 1日 (火)

子ほめ・甲府ぃ・三方一両損

落語の名作の高座本。
師匠の研究の跡が随所に見られます。
「子ほめ」「甲府ぃ」「三方一両損」は、いずれも学生時代に演ったことがあるのを、落語っ子連で、師匠に稽古をつけていただいたもの。
中でも、「子ほめ」「三方一両損」は、師匠から言われて、オリジナルなオチを考えたもの。
従って、師匠の高座本のオチとも違うのですが・・・。

【子ほめ】
八っつぁんは隠居さんを訪ねて、商人の褒め方、歳を若く言う褒め方、赤ん坊の褒め方まで教わる。
「『失礼でございますが、このお子さんはあなたのお子さんでございますか。このようなお子さんがおいでになるとは存じませんでした。昔から親に似ぬ子は鬼っ子なぞと申します。額の辺り、眉目の辺はお父っつぁんそっくり。口もと鼻つきは、おっ母さん生き写し。総体を見渡したところは、先年お亡くなりんなったご隠居さまに瓜二つ。長命の相がございます。[栴檀は双葉より芳し][蛇は寸にしてその気を現す]。私もこういうお子さんにあやかりたい、あやかりたい』とでもおやり」と。
早速、外へ飛び出した八っつぁんは往来で三河屋の番頭をつかまえると、商人の褒め方をぶつけてみるが失敗、歳を訊いて褒めようとするが、これまた失敗。
今度は赤ん坊を褒めようと、竹さんを訪ねて、生まれたばかりの赤ん坊を前にして、褒め始める。
「失礼でございますが、このお子さんはあなたのお子さんでございますか」
「当たり前だ、俺の子だ」
「このようなお子さんがおいでになるとは、存じませんでした」
「知っているから来たんだろう」
「昔から親に似ぬ子は鬼ごっこをする」
「赤ん坊が鬼ごっこをするかよ」
「額の禿げあがってるとこ、眉目の下がっているとこはお父っつぁんそっくり。口の
大きいとこ、鼻の低いとこはおっ母さん生き写し」
「わるいところばかり言うなよ」
「総体を見渡したところは、先年お亡くなりんなったお婆さんに瓜二つ」
「婆さんはそこで昼寝をしているよ」
「お亡くなりんなったお爺さんに瓜二つ」
「爺さんはタバコを買いに行ってるよ」
「洗濯は二晩で乾きますか。蛇はスマトラで南方だ。私もこういうお子さんにあやか
りたい、首吊りたい」
「馬鹿なことを言うなよ」
「ときに竹さん、このお子さんはおいくつで?」
「生まれて七日目だ」
「ああ、初七日」
「縁起でもねぇこと言うな」
赤ん坊の枕元に祝いの句を書いた短冊があって、「竹の子は 生まれながらに 重
ね着て」とある。
八っつぁんは「これに下の句を」と言って付ける。「育つにつれて 裸にぞなる」

私のオチとは全く違います。

【甲府ぃ】
ある朝の江戸の豆腐屋。店頭の卯の花を盗ろうとした若者がいた。
主人が咎めると「昨日、甲州から出てきて、スリに財布を盗られてしまった。腹がへって、悪いとは知りながら卯の花に手を出しました。すいません」と詫びる。
人柄が良さそうなので、主人は「うちで働かないか」と優しく言う。
喜んだ若者(猪之吉)はその日から住み込みで働くことになった。
主人から教わった通り「豆腐~ィ 胡麻入り~ィ ガンモド~キ」の売り声で外を売り歩き、陰日向なく実によく働いた。
あっと言う間に三年がたった。
この豆腐屋の一人娘のお花が、どうやらに猪之吉に惚れているらしい。
二人を添わせて店を譲ることにした。
また二年たったある日のこと。猪之吉が「実は江戸へ出るとき、途中に身延に寄ってお祖師さまに五年の願掛けをしました。その願ほどきをさせていただきとう存じます」と申し出た。
豆腐屋も宗旨は法華宗なので喜んで「お花も一緒に行って来い」と赤飯を炊いて送り出すことにした。
出立の朝、長屋のかみさん連中から二人に声がかかった。
「ご両人、どちらへ?」
猪之吉が売り声の調子で「甲府~ィ お参り~ィ 願ほど~き」

この「甲府ぃ」には、師匠のオチに対するこだわりが出ています。
堅物の田舎者(猪之吉)が落ちのところでいきなり洒落を言い出すのはどう考えても不自然だ、と稽古をしはじめてすぐ気が付いた。
このことを仲間に話すと「落語だからそれでいいんだよ」と軽くいなされた。
落語という話芸はいわば虚構の世界であろうが、虚構の中にもそれなりに理屈はある。
この噺の落ちはそれからはみだしているような気がしてならないのだ。
そこで、あたしは、豆腐屋の主人に「猪之吉よ。堅いのはいいが、堅すぎるのはよくない。商いのときに洒落の一つも言えるようになれ。たまには落語を聞け」なんという小言をいわせている。
その効果が現われたか、猪之吉が赤飯を食べて「もう入りません」と箸を下ろすと、豆腐屋が「立って二、三遍はねてみろ。
上のほうに隙間ができるから」と言うのだが、すかさず猪之吉が「茶袋じゃありませんよ」と返す。豆腐屋は「洒落がわかってきたな」と喜ぶ。
そんな場面を挿入して、落ちへ継げるという演出をして、不自然さをカバーしてみたのだが、また仲間から「すぐにそんないい洒落が言えるわけがないよ」と皮肉を言われたこともあった。
話芸という虚構の世界は難しい。


【三方一両損】
神田白壁町に住む左官の金太郎が往来で財布を拾った。中には書付けと印形と三両
の金が入っている。書付けから所がわかったので、訪ねて返しに行った。
落し主は神田竪大工町の大工の吉五郎。
ところが、「書付けと印形は自分の物だからありがたく受け取るが、金は俺のだという証拠もねぇし、お前にやるから持って帰ってくれ」「礼金貰いたさに届けにきたわけじゃねぇんた」「持って帰れ」「お前こそ、受け取れ」と、とうとう殴り合いの喧嘩になる。
そこへ長屋の大家が止めに入って、「今日の所は」ということで、金太郎は帰ってくる。
自分の長屋に戻ると、自分の大家に会ってこの一件を話す。
わけを聞いた大家は「いいことをして殴られていては長屋の恥」と奉行所へ訴える。
いよいよ、南町奉行大岡越前守様のお裁きになる。
大岡様は喧嘩をした両人の正直を褒め、「金は奉行が預かり置くがどうじゃ」
二人は「そうして下さい」と素直に従う。
そこで大岡様は「改めて、両名に褒美をつかわせるが、どうじゃ」
同じく二人は「ありがたく頂戴いたします」
「ならば、預かった三両に奉行が一両足して四両とし、両名に二両ず褒美をつかわそう」
「それなら、いただきます」
「この裁き、三方一両損と申す。なぜなら、吉五郎は届けられし三両を受け取らず、褒美の二両を受け取り、一両損したことになるの。金太郎も礼としての三両を受け取らず、ただ今褒美として二両受け取り、一両損しておる。それに、このような正直からの騒ぎから、奉行も一両出して損を致した。三人がそれぞれ、一両ずつ損をした勘定になる。そこでこの裁きは三方一両損と申す」
「さすが、名奉行」
というわけで一件落着。
そのあと白州で、奉行は両名に食事をご馳走した。
二人は大喜びでパクパクと食べた。
奉行も心配をして、「腹も身の内である。たんとは食すなよ」
「へえ、多くは(大岡)食わねえ」
「たった一膳(越前)」

これがポピュラーなオチですが・・・。、
師匠は、こんなコメントをしています。
本筋と離れた駄洒落の落ちはいただけない。
「いや、落語的な愛敬があっていいじゃないか」と弁護する論もあるが、「悪いものは悪い」とはっきり言う論もなくてはいけない。
そこで、あたしは食事場面を削除して、話の筋に則った落ちを創作しました。
ということで、この後にさらに続きます。
このお裁きが江戸中の評判となった。
源兵衛と平蔵という小悪党が二人でたくんだ。
二人が一両二分ずつ工面して三両こしらえた。それを源兵衛がわざと落とすと、平蔵がそいつを拾って届けて、前出の二人のような喧嘩をする。
「奉行所に訴え出れば、大岡様が『またもや正直な二人じゃ』てんで、俺たちに二両ずつくださる。と、二分っつ儲かるてぇわけだ」
そして、奉行所に訴え出る。
大岡様は「これは狂言臭い」と判断して、お裁きに入った。
二人は「この三両はいりません。三両のことは忘れました」と胸を張って言い放つ。
大岡様は二人に「忘れるとは感心じゃ。先は三方が一両の損をする裁きであったが、この度は一両ずつ得をいたす。三両の内から双方に一両ずつつかわす。忘れたのであるから、一両ずつの得である。奉行も一両貰って得をいたす。三方一両得である。どうじゃ」と言った。
二人は損をしたので、しどろもどろ。
奉行から「この奉行より二分ずつ騙しとろういたす不届き者。よって、双方の髷を切り落とす」との申し渡し。
クリクリ坊主にされた二人「もう毛(儲け)がなくなった」

私も、師匠から言われてオリジナルなオチで演っています。
ただ、いただいた高座本は、ポピュラーな白州で御膳を食するストーリーになっています。
何でも、この噺が中学校の教科書に載ることになったのですが、出版社から、もともとのストーリーでと強く言われて、オーソドックスなオチにしたとのこと。
色々ありますね。

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