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2012年5月11日 (金)

宗珉の滝

志ん朝師匠の「宗珉の滝」という、これまた珍しい噺。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm9400560
このプログでも、以前触れたことがあります。
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2011/09/post-7d5e.html
Photo_3腰元」という言葉は身のまわり、というほどの意味で、そこから身辺の世話をする仕事や、刀剣の付属品を意味するようになった。
腰元彫りは刀剣装飾品を彫刻することおよび、その金工職人のことである。金工職人は釘隠しや襖の引手も細工するが、多くは刀剣装飾家であった。主な金工の家は後藤家で、横谷宗珉の父宗与は後藤家の門人かつ幕府の御彫物役だったという。
Photo_4
かし宗珉は自分自身の題材、材質、形、工夫で表現することを目標とし、幕府の役を離れた。
そして小柄、目貫など刀剣装飾の分野で虎、獅子、牡丹などを彫刻し、町彫りの祖と言われて町人に親しまれるようになったのである。
廃刀令が出た後も日本の金工は海外で知られるほどの技量があったが、その背景には、町彫りとして煙管、かんざし、根付けなどの彫刻にも打ち込んできた歴史がある。

「竹の水仙」や「抜け雀」とも一脈通じる噺です。
水仙は「左甚五郎」、雀は誰とも特定されてはいませんが・・・。
横谷宗珉の弟子、宗次郎が勘当されて、紀州は熊野権現前の旅籠、湯浅屋に流れ着き、無一文がばれて、主に宿賃のかわりに彫金をするように言われる。
虎を彫ると、主は「死んでいる」と宗珉と同じことをいう目利きだった。

紀州和歌山藩留守居役八百石の木村又兵衛が泊まり、細工している音を聞きつけて、藩主紀州中納言様直々「那智の滝を彫れ」の註文が出る。
主が水垢離、精進潔斎してからというのに、少し慢心してきていた宗次郎は酒を飲みながら、仕事をする。
見事なものが出来たが、殿様は沓脱ぎに叩きつける。

もう一度と作ったのは、泉水に投げ込まれた。
それでも、もう一度という註文に、宗次郎は滝に入って、二十一日間断食して、仕事にかかる。
主も水垢離をとり、断食。

八日目の朝、前のより落ちると思われるものが出来たが、宗次郎は納まらなければ、腹を切るという。
殿様は「これぞ名工の作、見事じゃ」。

納得できない湯浅屋が、滝の図の鍔を手にすると、手が濡れてきて、紙の上に置くと、紙がしめってきた。
宗次郎は百石で紀州家お抱えとなり、後に二代目横谷宗珉となる。
こういう名人噺も好きですねぇぇ。
かなり以前に、立川志の輔さんのを聴いた記憶があります。

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