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2012年5月 6日 (日)

鬼の涙

師匠の「鬼の涙」という噺。Photo
ゴールデンウィークは、随分落語を聴くことができました。
節分の夜、女房のお福は金を借りに歩いたが、駄目で、ほうぼうの家々で蒔いた豆を拾いながら帰宅。
亭主の舛造も金策に歩いたがままならず。
やはり豆を拾って帰ってきた。
そこで「もっと、豆を拾い集めて食料にしよう」と、舛蔵は出かけるが、すぐ、赤ん坊を拾って戻ってくる。
子供のない夫婦にとって、神様の恵みかもしれぬと、お福も大喜び。
しかし、嬉しそうにキャッキャと笑う赤ん坊だが、顔と言わず、手足と言わず、体まで異様に赤い。
それに、頭には小さな角があった。
「鬼の赤ん坊だ」
「どうする」
「見せ物に出そう」
「可哀そうだよ」
夫婦で話し合っていると、戸を叩く音。
とりあえず、人に知れてはまずいと、赤ん坊を押し入れに隠して、戸を開ける。
と、立っているのは鬼の夫婦。
名を鬼吉、お牙という。
「親子三人で江戸見物。豆をぶつけられて、逃げるとき、女房が赤ん坊を落としてしまいました。捜してましたら確か、こちらから赤ん坊の声が…」
亭主は「知らぬ」と突っぱねる。
空っとぼけて「今頃はどこかで見せ物になっていることだろう」とも言う。
すると、鬼の親は「赤ん坊が見せ物になっていたとしたら、あたし達も見せ物になって、赤ん坊のそばで暮らします」と、悲しく言う。
そして、鬼は語り始めた。
「鬼には先祖からの言い伝えがあります。
大昔、人と鬼は仲良く暮らしていたんです。
人には智恵と夢があり、鬼には力と勇気がありました。
天下を取った人間が、弱い人をいじめるようになりました。
それに立ち向かったのが鬼なんです。
天下人は「鬼は人間の敵だ」と絶叫しはじめたんです。
鬼は追われ追われて、島へ逃げました…。P1000550
人間はそこを鬼が島と名付けたんです…。
でも、われわれ鬼は人間を恨みませんでした。
大昔のように、仲良くしたいと願い、話し合いに節分にやってくるんですが、相変わらず豆をぶつけるだけで、話を聞こうともしてくれません…。
今日、こうして人と話をしたのは、生まれてはじめてなんです…」
舛造夫婦は、この鬼の親子の情に負けて、赤ん坊を返してやる。
鬼の夫婦はわが子(お角)を抱きしめ、大泣きに泣く。
鬼の目から溢れた涙は、土間いっぱいになり、ついには、下駄まで浮かしてしまうほどの量になってしまった。
こいつは大変と、亭主が鬼の夫婦の耳元でなにやら言うと、鬼は急にゲラゲラ笑い出し、涙も止まり、そのまま笑いながら帰っていった。
やっと、土間の涙も引き、一安心。
女房が亭主に訊いた。
「おまえさん。鬼になにを言ったんだい?」
「なぁに、来年の話さ」

清水一朗という人の原作だそうです。
彦六の八代目林家正蔵師匠も演っていたそうです。http://www.nicovideo.jp/watch/sm9482019
師匠のCDに収められていますが、Amazonを見ると、こんなレビューがありました。P1000552
笑点のレギュラーをつとめた噺家さんはそのイメージを払拭し噺家としてのカラーを確立するのに苦労するようですが、圓窓さんは高座で自分との勝負を続け、見事に大輪の花を咲かせたそうですね。「圓窓五百噺」は師匠にしかなし得ないまさに偉業ではないでしょうか。明瞭な発声と丁寧に時代背景や情景、人物を描き分ける落ち着いた人情味溢れる語り口はあくまで親しみやすく落語初心者でも充分に楽しめます。私は地方に住み生の高座を楽しむ機会に恵まれないので、師匠が高座で演じてきた珍しい演目がどんどん出版され、広く楽しめるようになることを願っています。地方公演やCD,DVD出版など、これまでの挑戦のための高座から、より一層大衆に広く普及させるための活動に力を入れられるよう望んでいます

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