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2012年5月

2012年5月31日 (木)

皐月の落語徘徊

・・・薫風で気持ちよいはずなのに、後半は体調を崩して・・。
寄席・落語会は、なんとたった4回だけ・・。
   ◇  6日   三越薫風寄席
   ◇ 16日   話芸を楽しむ「圓窓の語り」
   ◇ 18日   東京落語会
   ◇ 19日   学士会落語会

落語の稽古も、13日に参加出来ただけでした。
体調のせいもありますが、何かこう・・、ビシッとしたところがない月になってしまったようです。
   

それでも、鬼子母神の「すすきみみずく」を探したり、落語をテーマにした作品のある刺繍展を鑑賞したり、前半は、それなりに充実していたのですが・・・。
     
6月9日(土)に開催される「お江あおば亭」の準備も、遅ればせながら始めました。
ただし、肝心の稽古は・・・?
来月こそは、こんなことがないように、身体を大切にします。

震災からの復興

津波で患者や看護師74人が犠牲になった宮城県南三陸町の「公立志津川病院」の建物を解体する作業が始まったそうです。
写真は、震災後約4ヶ月経過した時の病院の姿です。
被災地
「震災復興出前寄席」で現地を訪れた時のものです。
・・・・言葉になりません。

「酢豆腐」と「ちりとてちん」

江戸と上方とを往復して出来上がった噺もあるということで・・。
「酢豆腐」と「ちりとてちん」です。
一般的には、江戸は「酢豆腐」、上方は「ちりとてちん」と言われていますが。
原話は、1763年(宝暦13年)に発行された「軽口太平楽」の一遍である「酢豆腐」。
これを初代柳家小せんが落語として完成させた。
八代目桂文楽が十八番にした。
さらに、三代目柳家小さんの門下生だった初代柳家小はんが改作した物が、後述する「ちりとてちん」で、これは後に大阪へ「輸入」され、初代桂春団治が得意とした。
この「ちりとてちん」は後にもう一度東京へ「逆輸入」され、桂文朝等が使っていたのをはじめ、現在では、柳家さん喬や柳家花緑らも演じており、東京の寄席でもなじみのある噺となっている。

・・・なるほど、そういうパターンもありますね。
最近は、東京でも「ちりとてちん」の方がポピュラーな気がします。
【酢豆腐】
ある夏の昼下がり。
暇な若い衆が寄り集まり暑気払いの相談をしている。
が、「宵越しの銭は持たない」が身上の江戸っ子たちには金がない。
困った一同、酒はどうにか都合するとしても、ツマミになる肴はないかと考える。なかには「爪楊枝」がいいというものまで出る始末。
「安くって数があって誰の口にも合って、腹にたまんなくってみてくれが良くって、しかも衛生に好いとくらあ」。
知恵者が「糠味噌桶の糠床の底に、古漬けがあるだろう。そいつを刻んで、かくやの香のこなんざあどうだい」と妙案を出す。
すると桶の中に手を突っ込んで古漬けを引き上げる「決死隊」が必要だが、「冗談いっちゃあいけねえ。あれに手を突っ込んだが最後、爪の間に糠味噌がはさまって拭こうが洗おうが落ちやしねえ。女の子なんかよけて通らあ。ごめんこうむりやしょう」てなぐあいで肝心の志願者が誰も出てこない。
またもや困ってしまった彼らは、たまたま通りかかった半公をおだてて古漬けを取らせようとするが、失敗。
お金を巻き上げてたたき出す。
そのときの会話から、昨夜豆腐を買ってあったことを兄貴分が思い出したが、せっかくの豆腐は与太郎がねずみいらずの中にしまったせいで、腐ってしまっていた――夏場に無謀である。
手遅れの豆腐を前に頭をかかえる一同。
と、家の前を伊勢屋の若旦那が通りかかった。
この若旦那、知ったかぶりの通人気取り、気障で嫌らしくて界隈の江戸っ子達からは嫌われ者。
シャクだからこの腐った豆腐を食わせてしまおうと一計を案じる。
呼び止めておだて上げて引き入れ、「到来物の珍味なんだが、何だかわからねえ。若旦那ならご存知でしょう」と悲惨な豆腐を出す。
すると若旦那は知らないともいえないから「これは酢豆腐でげしょう」と知ったかぶる。
うまいこともちあげられた末に目はぴりぴり、鼻にはツンとしながらとうとう一口。
何とも言い難い表情。
「若旦那、もう一口如何ですか?」
「いや、酢豆腐は一口に限りやす」

若旦那のキャラクターが、やや浮き上がっているのと、腐った豆腐を食べさせる動機が、「ちりとてちん」の方が現実的でしょうか・・。
【ちりとてちん】
旦那の誕生日に、近所に住む男が訪ねて来る。
白菊、鯛の刺身、茶碗蒸し、白飯に至るまで、出された食事に嬉しがり、「初めて食べる」、「初物を食べると寿命が75日延びる」とべんちゃら(お世辞)を言い、旦那を喜ばせる男。
そのうち、裏に住む竹の話になる。件の男、何でも知ったかぶりをするため、誕生日の趣向として、竹に一泡吹かせる相談を始める。
そこへ、水屋で腐った豆腐が見つかり、これを「元祖 長崎名産 ちりとてちん」(または「長崎名物 ちりとてちん」)として竹に食わせるという相談がまとまる。
そうとは知らずに訪れた竹が、案の定「ちりとてちん」を知っていると言うので食わせると、一口で悶え苦しむ。
旦那が「どんな味や?」と聞くと、
竹いわく「ちょうど豆腐の腐ったような味や・・・」。

江戸と上方を往復した噺が、東京・大阪のいずれでも演じられるというのは、練り上げられ、完成された噺だということでしょう。

私の履歴書

今月の日経新聞連載の「私の履歴」は「桂三枝」師匠でした。
今日が最終回でした。
思えば、高校受験の頃、富士山の陰になっているからか、難聴地域なのに、何故か深夜なると、かすかに聴こえて来る在阪局のラジオ番組。
「ヤングタウン」というのと、「桂三枝」という名前が、田舎者の中学生の耳に残っています。
毎日の記事を精読した訳ではありませんが、三枝師匠の最終回のコメントで印象に残ったのは、「100年後に残る平成・昭和の古典づくりが、私の使命だと考える」という部分です。
圓窓師匠創作の「揺れるとき」でも、若き三遊亭圓朝が「100年後・200年後の噺家に尊敬されるものを創り上げな」と、盲目の老人(元噺家)に励まされる場面がありますが、それを思い出しました。
今だけでなく、明日やこれからのことを考える・・。
落語は絶対になくならない、廃れないと思います。

2012年5月30日 (水)

禁酒番屋

これも名作落語だと言えるでしょう。
酒癖は人によって様々
、良い酒もあれば悪い酒癖もある。
最も悪いのは酒乱というやつ。
森安芸守の藩中で月見の宴が開かれた。
その宴席で酒癖の悪いのが絡んで、相手の若者を殺めてしまい、翌日目覚めて慌てたが後の祭り、切腹してしまった。
酒のせいで若者二人を亡くした殿様が、禁酒令を出した。

最初のうちは禁酒が守られていたが、その内に、禁酒令もどこ吹く風になってしまった。
これではいけないと、今度は門の脇に番屋を建てて、飲酒の取締りと酒の持ち込みを厳しく取締まった。
これを誰言うとはなしに「禁酒番屋」と呼んだ。
酒好きな近藤という侍が贔屓の屋敷前の酒屋を訪れ、五合升に2杯旨そうに平らげた。金に糸目は付けないから、1升寝酒に届けるようにと言い捨てて店を出ていった。
店の者は事情が充分判っているので困った。
小僧の一人が、徳利を下げては門をくぐれない。
最近売り出された”カステラ”を買ってきて、五合徳利2本を入れ替えて持ち込めば分からないと言い出した。
すっかり菓子屋の支度を整えて番屋に「その方は何者だ」
「向こう横町の菓子屋です。近藤様のご注文でカステラを持参しました」
「近藤は酒飲みだが菓子を食べるようになったのかな? 間違いがあっては困る、こちらに出せ」
「お使い物で、水引が掛かっています」
「進物か。それなら通れ」
「アリガトウございます。ドッコイショ」
「待て!今『ドッコイショ』と言ったな」

「口癖ですから」
「役目であるから、取り調べる。水引は自分で直せ。この徳利は何だ。徳利に入るカステラがあるか」
「最近売り出された”水カステラ”でございます」
調べるからと、水カステラならぬ酒を飲まれてしまった。
その上「この偽り者。立ち帰れ」。
店に帰って、経緯を話すと、今度は油屋に変装して”油徳利”だと言って通ってしまうと言い始めた。
支度を整え、「お願いでございます」
「通~れェ」先程と違って役人は酔っている。
「油屋です。近藤様の御小屋に油のお届け物です」
「間違いがあっては困る、こちらに出せ。油徳利であるが、水カステラの件がある、取り調べる。控えておれ。御同役、水カステラの味がする。棒縛りだ、この偽り者、立ち帰れ」。
店に駆け戻ったが、「また飲まれてしまった。これで2升だ」
「番頭さん、『偽り者、偽り者』と言われて、黙っていられますか。今度は敵討ちに行かせて下さい。」
「ダメだよ。今度飲まれたら3升だよ」
「いえ、今度は酒を持っていかない。・・・小便です」
「そんな事したら後が大変だ」
「大丈夫です。小便屋が小便を持って行くのです。それを飲む奴がイケナイ。オ~イみんな、ここに出してくれ」と言う訳で、徳利一杯にして、持ち出した。
「お願いでございます」
「通ォ~れェ」、先程以上に役人は酔って、ろれつが回らない。
「近藤様の御小屋にお届けです」
「どちらだ」、「向こう横
町の・・・、植木屋です」
「何を持参した」
小便です
「ん、なんて申した」
「小便です」「バカ。小便を注文してどうする」
「松の肥やしに」
「出せ。これに出せ」
「どうぞごゆっくりとお調べの程」
「黙って出せ。間違いがあっては困るので取り調べる。最初は水カステラ、先程は油と偽って、今度は小便と偽って・・・、町人というのはたわいのない者だ。御同役、今度は燗を付けてきたようであるぞ。この偽り者め。控えておれ。(湯飲みに取り出して)燗が付きすぎたようで泡立ちしておる。(口まで運んで)・・・ん、○X△。かような物を持参して」
「最初から小便だと申しております」、
「う~~ん、正直者め」。

何度聴いているでしょう。
庶民が権力に対して、ささやかな抵抗をするという、典型的な落語かもしれません。
役人が酔っ払って行く過程が面白く、考えてみれば汚い噺ですが、人気があるのでしょう。
学生時代に、生で聴いた「柳家小はん」師匠が印象に残ります。


生活保護

売れっ子お笑い芸人の母親が生活保護を受けていた・・。
という話題がありました。
この手の話には、賛否両論があるものですが、私が思うのは、みんな何かが欠けているのではということです。
何故みんな権利からしか語らないのでしょうか・・・?
そもそも、こういう制度の背景や趣旨を正しく理解した上で行動・考察をしているでしょうか?
当事者のお笑い芸人は、殊勝な態度を取りながらも、「収入が不安定な職業だから」と、何度も繰返していました。
だって、それを承知で、自分で選んだ職業でしょう。
収入が不安定なら、近親者を扶養する義務は免れるんでしょうか?
まず義務を果たし、そして権利を主張・実現するのが、公平な人の道だと思います。
よく師匠が、「現代社会(現代人)は、好き・嫌いだけで物事を判断している。良し・悪しで判断できないといけない。」と仰います。
"良いとこ取り"や"ゴネ得"がまかり通る世の中は殺伐とします。
光と影があるように、受益者には、そのために相応の負担が課せられるものです。
社会で生きている訳ですから、「息子に心配や迷惑はかけられない」という理由で、社会の仕組みを使うというのは、社会人としては"卑怯"だと言われても仕方ないでしょう。
落語国を覗いてみてください。
貧乏人や愚かしい人物が大勢いますが、正々堂々と生きています。

錦木検校

検校(けんぎょう)とは、中世・近世の盲官の最高位の名称。
元々は平安・鎌倉時代に置かれた寺院や荘園の事務の監督役職名だったが、室町時代以降、盲官の最高位の名称として定着した。
江戸時代になると、国の座をまとめる総検校を最高位として京都に置き、江戸には関東の座の取り締まりをする総録検校を置いた。
検校は、専用の頭巾・衣類・杖などの所有が許された。
盲官(盲人の役職)では、位階順に別当、勾当、座頭があった。

「錦木検校」という噺は、「三味線栗毛」という名前の方が一般的だと思います。
柳家喬太郎さんは、「錦木・・」で演っているようです。
酒井雅楽頭(うたのかみ)と言う大名に3人の子供がいた。
長男は病弱であったが両親から溺愛されていた。
中の女の子に続いて末の角三郎はどうしたものか両親に疎んじられて、下屋敷の大塚に下げられてしまった。
中間の吉兵衛を付け、年に100石という捨て扶持。
忠義者の吉兵衛は若殿に不自由は掛けまいと傘を張ったり、楊枝を削ったりして若殿を助けた。
しかし、角三郎は腹の据わった男で、さして気にも留めず、両国広小路や浅草奥山に出掛け、縄のれをくぐったりして帰り、夜になると書見にふけっていた。

書見が過ぎたのでしょうか、肩が凝ると、ふと漏らすと吉兵衛あわてて座頭を呼んできた。
錦木(にしきぎ)と言う座頭は商売上手で、療治も上手いし、落とし噺も巧かったので贔屓にした。
ある日、療治が終わっても何か言いたそうにしているので、問うと「学者の講義を廊下の隅で聞いていたのですが、骨の組み合わせを解いていた時、『この様な背骨の組み方をした人物は、商人なら分限者に武士なら大名になる骨組み』だと教わった。この様な人に当たる事を楽しみにしていたら、角三郎様がその骨組みである」という。
それが成らなければ学者が嘘つきだとも言う。
「戦国の時代なら、それもあるが、太平の時代には皆無であろう。
その様な事が有れば、そちを検校に取り立ててやる」と約束をした。

錦木が風邪をこじらせ寝込んでしまった。
ちょうどその頃、酒井雅楽頭が隠居し、長男は病弱なため末っ子の角三郎が家督を継ぎ、酒井雅楽頭になった。
病の癒えた錦木は、その話を聞いて、雅楽頭の屋敷に駆けつけると、約束通り検校の位を授かった。

文武両道の酒井雅楽頭は特に馬術に秀でていた。
栗毛の馬を求め「三味線」と言う名を付けた。
でも、どうして三味線と名が付いたか分からないので錦木が聞くと、「酒井雅楽頭で、ウタが乗るから三味線だ。コマ(駒)という縁もある。乗らん時は、引かせる(弾かせる)、止める時はドウ(胴)と言うではないか。錦木」
「良くできたシャレです。ヒョッとして、ご家来衆が乗った時は」
「その時は、バチがあたる」。

こういう出世話というのは、日本人の好むところだと思います。
演ってみたい噺のひとつです。
Photoところで、 十五代酒井雅楽頭忠顕家上屋敷は播磨姫路藩城主当時、千代田区大手町一丁目1~2番にまたがる1万3千余坪の敷地は、大手門の真ん前にあったそうです。
私にとっては、以前勤務していた場所そのもので、親しみを感じます。

2012年5月29日 (火)

OB会報「あおば亭」

会報「あおば亭」の創刊第2号の編集を仰せつかっています。
今回は、仙台の「桂友楽」師匠、静岡の「三柳亭文枝」師匠、それから東京の「内気家てれ生」師匠に、投稿していただきました。
それぞれ、素晴らしい内容で、編集のやり甲斐もあろうというもの。
問題は、編集者の力とセンス、それから時間の問題です。

「時そば」と「時うどん」

江戸と上方、「時そば」「時うどん」の比較。
そばとうどんの違いだけでなく、ストーリーも少し違います。
「時そば」は、"一人の男"が屋台の蕎麦屋で、やたら店主を煽て褒め上げて支払いを一文ごまかし、それを脇で見ていた別の男が真似をしようとして失敗するという話。 
  
「時うどん」は、"二人の男"が何か食おうと金を出し合ったが、二人合わせても屋台のうどんを食べるのに一文足りない。
一人の男が良い考えがあるから一杯のうどんを二人で分けようと屋台のうどんを注文し、口先で支払いをごまかす。
もう一人の男は半分ずつという約束を反故にされて腹を立てながらも、上手い事やったなと感心し、真似をしようとして失敗する・・。
  
これも、上方から、しかも明治になってから移入された噺・・・。
最近、そばのたぐり方の仕草が出来るような気がしてきたので、そのうちに演ってみたくなるかもしれません。 
  
あまりにもポピュラーすぎて、演りづらい噺のひとつです。
【時そば】
明治中期、三代目柳家小さんが上方の「時うどん」を東京へ移した。
往来を流して売っていた夜鷹そば屋を呼び止めた男が、やたらにそば屋を褒めたあげく、代金を聞くと16文だという。そこで「一つ、二つ、三つ、四つ、五つ、六つ、七つ、八つ、何刻(なんどき)だい」「九(ここの)つで」「十(とお)、十一、十二、十三、十四、十五、十六」と、うまく1文ごまかしてしまった。
これを見ていたぼおっとした男が、さっそくまねをしようと、細かい銭(ぜに)を用意してそば屋を呼び止め、褒めようとしたが、まずくて汚なく褒めようがない。
勘定になり「一つ、二つ、三つ、四つ、五つ、六つ、七つ、八つ、何刻だい」「へえ四つで」「五つ、六つ、七つ、八つ・・」と損をしてしまう。
原話は『軽口初笑(かるくちはつわらい)』(1726)、『坐笑産(ざしょうみやげ)』(1773)、『富久喜多留(ふくきたる)』(1782)などにある。
三代目小さん以後、七代目三笑亭可楽、三代目桂三木助らが得意としたが、いまでも演り手は多い。  
  
【時うどん】
知恵の働く兄貴分と少し足りない弟分が、夜道で屋台のうどん屋を見つけ、うどんを食べようとする。
代金は16文だが、弟分は8文しか持ち合わせが無く、何だ、それだけか、と怒鳴った兄貴分も7文しか無かった。
それでもかまわず兄貴分はうどんを注文し、うどん屋が「うど~んエー、そーばやうど~ん」と歌うのを、やかましいと文句を言ったり、そうこうするうちうどんができると、兄貴分は自分だけうどんを食べ、弟分が後ろから遠慮がちにつついても(うどんをくれ、という合図)、「待て待て」と言うだけ。
ようやく、「そんなにこのうどん食いたいか」と渡してくれたどんぶりにはわずかなうどんが残っているだけ。
勘定を払う時になると、「銭が細かいから数えながら渡す」と言って、「一、二、……七、八、今何時や」。うどん屋が「九つです」と言うと十、十一、……十六。
歩きながら、1文足りなかったはずなのに、と不思議がる弟分だが、兄貴分からからくりを教えてもらうと大喜びで、「わいも明日やってみよう」。
翌日、早くやってみたくて明るいうちから町に出た弟分は、昨夜とは別の屋台を見つけた。
何もかも昨夜と同じにやりたくてたまらないので、うどん屋に、「うど~んエー、そーばやうど~ん」と歌え、と言っておきながら、うどん屋がそのとおりにすると、やかましい、と怒鳴って「そんなら歌わせなさんな」と文句を言われ、うどんを食べながら、「待て待て」とか「そんなにこのうどん食いたいか」と1人言うので、「あんた、何か悪い霊でも付いてまんのか」とうどん屋に気味悪がられたり、最後には、「何や、これだけしか残っとらん」とつぶやいて「あんたが食べなはったんや」とあきれられる。それでも、勘定を払う段になると大喜びで、一、二……七、八、今何時や、と聞いて、「四つです」。五、六、七、八、……というオチで終わる。
春風亭昇太さんは、上方バージョンの2人登場人物で「時そば」を演っていた気がします。

そのうち、私もやってみようか。
蕎麦を手繰る仕草は得意なんです。

三遊亭圓窓一門会

圓窓師匠の一門会が2年ぶりに開催されるそうです。
  日時    平成24年9月3日(月) 夜
  場所    あうるすぽっと(地下鉄東池袋駅上)
一門会で印象に残っているのは、何と言っても「救いの腕」との出会いです。
実は、師匠の長講の人情噺を期待していたので、「えぇぇ~創作噺かぁぁ」と、正直思いました。
この噺が、唯川恵さんの短編小説をヒントに作られ、「圓窓五百噺」の第499番目だと知ったのは、それから随分経ってから、師匠から直接伺いました。
個人的には、「揺れるとき」を演ってもらえないかなぁと、勝手に思います。

2012年5月28日 (月)

稽古会の様子

鬼の撹乱で欠席した落語っ子連の稽古会の様子を、出席されたメンバーの方々と師匠からお聞きして、まとめてみました。
あたかも、私が参加しているような雰囲気で。
第2次落語っ子連の5回目の稽古会。
身体の弱い流三は風邪のために欠席しましたが、まど音・窓口・千公・百梅の4名の参加て゜。
   ◇ 片棒       三流亭 窓口
   ◇ 洒落番頭    三流亭 百梅
   ◇ 小噺       三流亭 千公
以下は師匠のコメントです。
 窓口(まどぐち)[片棒]  
      ~囃子らしくなってきたのは、嬉しい。
 百梅(ひゃくばい)[洒落番頭]
      ~落ち着きがでてきたのは、成果の一つ。
 千公(せんこう)
      ~[上下目線の小咄]を二つ。
何かこう・・・、取り残されたような・・、焦りみたいなものを感じてしまうんですよ。
自業自得ではありますが・・。
それにしても、体調はなかなか回復しません。
  

東京かわら版

もう6月だぜぇ。時はあっという間にスギちゃんだぜぇ。
Photo_2今月の巻頭は、浪曲の「澤孝子」先生です。
浪曲や講談は、今や女性に席巻されています。
そこへいきますと、落語はまだ男の世界。
そもそも、男が、男の世界を、男の眼で見て、男を主人公にして演るというのが主流です。
最近では、女性のプロの噺家さんも増えて来ましたし、私のような素人落語の世界では、むしろ女性の方が多いぐらいですから、そのうちに、女性が、女性の世界を、女性の眼で見て、女性を主人公にして演るようになるでしょう。
ところが、女性が登場する噺はたくさんありますが、まだまだ、女性が主人公という噺は少ない・・・。
ましてや、姉妹が出て来る噺なんていうのは、ないんじゃないかと思いますが・・・。
・・と、私は、圓窓師匠創作の「救いの腕」に入るのです。
「東京かわら版」とは全く関係のない話題でした。

三三時代

柳家三三さんが真打に昇進するちょっと前に、「三三時代」という後援会に入会しました。
最初のうちは、会員のみの独演会や「月例三三独演」という落語会の先行割引などを利用していましたが、三三さんの人気がうなぎ上りになり、会員の特典が使えるチャンスも減って来ました。
会員だからと言って、チケットが確実に入手できるわけではない・・・。
今年の会員の更新を、すっかり忘れていました。
このままだと、自然退会ということになるようです。
・・・・仕方ないか・・・。

2012年5月27日 (日)

二丁蝋燭やら・・・

風邪引きの徒然に、落語を聴いています。
  ◇ 二丁蝋燭      むかし家今松
  ◇ バスストップ     立川志の輔
  ◇ 時そば                 柳家喬太郎
  ◇ グリコ少年      三遊亭圓丈
  ◇ 今戸の狐      古今亭志ん朝
  ◇ 錦木検校      柳家喬太郎
  ◇ 浜野矩随      古今亭志ん朝
  ◇ 青木先生      笑福亭鶴瓶
  ◇ 中村仲蔵      柳家さん喬
  ◇ たちきれ       桂吉朝
  ◇ 大名房五郎     三遊亭圓生
  ◇ 反魂香        古今亭志ん朝
  ◇ 葛篭(つづら)    金原亭馬生(当代)
  ◇ 突き落とし      三遊亭圓生
  ◇ ガ-コン       川柳川柳
  ◇ 牡丹燈籠      三遊亭圓生
・・・風邪は一向に良くなりません・・・・。

稽古会欠席

声が出ず、頭痛が収まらず、稽古会を欠席することに・・。

落語はやおき亭

名人を期待されながらも51歳で亡くなった・・・・。
    ◇ 三宝一両損    古今亭右朝
じっくり聴くのは初めてかもしれません。
軽くて明るい口調に、師匠の志ん朝師匠譲りのリズミカルな語り。
なるほど、なるほど。
桂文朝師匠もそうでしたが、これからという時に、残念ですね。

落語DEデート

この番組と「落語はやおき亭」を聴いたら寝ようということで。
   ◇ 黄金の大黒   二代目三遊亭百生
百生師匠も、この手の番組によく登場する噺家さんです。

三遊亭圓歌の演芸図鑑

喉の痛みで早く目が覚めてしまいました。
  ◇ 饅頭こわい    桂平治
平治さん、いつものマクラを振って、得意のネタのパターン。
喉が切れたような痛みで、鼻水が出て来ました。

2012年5月26日 (土)

鬼の撹乱

木曜日の朝、喉のイガイガで目覚めました。
日中になると身体がだるくなりました。
デスクに座っていると腰が痛くなるので、外出しました。
夕方になると、身体中が重く、だるくなりました。
栄養ドリンクとアクエリアス2リットルボトルを買って帰りました。
30分に1度ぐらいトイレに通いました。
翌日の金曜日も、喉の痛みもだるさも治りません。
病院に行こうかなと思うと、アポがあったり、アポなしの来客があったりで、結局行くことが出来ず。
夕方、同僚から蝦蟇の声みたいだと言われて帰宅。
その晩も、前日と同様、ひたすら寝ることに。
そして土曜日、声が出づらくなり、時間を追って酷くなります。
喉の痛みも増して来て・・・・。
・・・という訳で、明日の稽古会は欠席させてもらうことに。
声が出ないので、稽古になりません。トホホ・・・。

「紺屋高尾」「幾代餅」「搗屋無間」

凡夫なら誰でも、こんなことがあったらいいなと思うでしょう。
この3題は、東西での違いではなく、いずれも江戸が舞台で、噺の設定が似ているものです。
【紺屋高尾】
神田Photo紺屋町、染物屋の吉兵衛さんの職人で久蔵さんが寝付いてしまった。
話を聞くと、国元に帰るため初めて吉原に連れて行かれ、当世飛ぶ鳥を落とす勢いの三浦屋の「高尾太夫」の道中を見て恋患い。
錦絵を買い求めたが、全て高尾太夫に見える。
10両で会えるだろうから3年働き9両貯めて1両足してそれで連れて行くという。
久さん元気になって働き、3年後、その金で買うから渡してくれと親方に言うと、気持ちよく着物も貸してくれて送り出してくれた。

お玉が池の医者の竹之内蘭石先生に、連れて行って貰う。
流山の大尽として、首尾良く高尾太夫に会えた。
挨拶の後、「こんどは何時来てくんなます」、「3年経たないとこれないのです」と泣きながら全て本当のことを話すと、高尾は感動し、こんなにも思ってくれる人ならと、「来年の3月15日に年(年季)が明けたら、わちきを女房にしてくんなますか」。
久さんうなずき、夫婦の約束をする。
揚げ代は私が何とかしますし、持参した10両と約束の証にと香箱の蓋を太夫から貰って、久さんは亭主の待遇で帰って来る。

翌年約束の日に、高尾は久蔵の前に現れ、めでたく夫婦になる。 
この噺は六代目「三遊亭圓生」師匠が、講釈から翻案したと言われる十八番の噺。
「高尾太夫」代々というのは、斯界でも有名な花魁です。
【幾代餅】
搗き米屋の若い者清蔵が恋患い。
錦絵の姿海老屋の「幾代太夫」に一目惚れ、親方が1年間働けば連れていくと約束し病は治る。
1年後溜まった13両2分に親方が足して15両持たせて出してやる。Photo_2
首尾良く幾代太夫に会えて、後朝(きぬぎぬ)の別れ。
「主は何時来てくんなんす」、清蔵さん全てを話し、幾代は感動して「来年の3月、年(年季)が明けたらわちきを女房にしてくんなんす」。
二人は夫婦約束をし、持参金50両を預かって帰ってくる。
3月、幾代が搗き米屋の前に着き、めでたく夫婦に。これを期に両国広小路に、名物の幾代餅を初めて繁昌した。
この幾代さんは実在のお女郎さんで、太夫ほどの位はなかったが、幾代餅を売り出して、大変評判を取ったという。
明治の初めまで、両国広小路に店が有ったという。

三遊亭の「高尾太夫」に対して、古今亭は「幾代太夫」と、これまた実在の売れっ子が登場します。
ストーリーはほとんど同じで、最大の違いは「紺屋」か「餅屋」かというところ。
【搗屋無間】
Photo_3米搗き男徳兵衛さんがぶらぶら病。
松葉屋の「丸山花魁」に一目惚れ。
働いた金、10両で会いに行く。
田舎出の徳さん、見栄張るどころか全て白状してしまう。
花魁は徳さんの心に惹かれ一途に。
しかし、徳さん300両の身請け金が出来るはずもなく、ぶらぶらしていたが、気を取り直して臼に向かって一心不乱米を搗くと、なんと梁から小判で270両が落ちてきた。
何で30両足りないんだろうと思うと、その筈「1割、30両は搗き減りした」。
(搗き米は預かったお米の1割を損料として差し引いて返した。それが儲けの一部となった。)

八代目春風亭柳枝師匠のを聴いた記憶があります。
オチがしっかりとついていて、落語らしい噺。
ただし、ちょっと分かりづらいかもしれません。
そもそも、今では、米を搗くというイメージがしづらいですから。
高い方から「高尾」・「幾代」・「丸山」という順番なんでしょうか?
噺もこの順番で、登場人物もだんだん庶民的な雰囲気になって行く気がします。
偶然でしょうか、三遊亭・古今亭・柳家(春風亭)という並びです。
芸風ということなのでしょう・・・。

落研OBの活動

マスコミへの売り込みや受けが巧みで、とても羨ましい新聞記事の話題。
学生落語の名門関西大の落語研究会「落語大学」OBが、兵庫・西宮で笑いを届けている。年1回の定期寄席のほか、福祉施設などでの出前寄席でもプロ顔負けの話芸を披露。
落語大学は1963年に発足。
1期生の桂三枝さんが「浪漫亭ちっく」の芸名で活躍し、近年も全日本学生落語選手権で部員が大賞を受賞するなど、実力者ぞろいで知られる。

神戸・阪神間から訪れる後輩たちと「飲んでばっかりじゃなく、ボランティアで寄席をやろう」と話が盛り上がり、昨春、OB会で第1号となる「支部」を結成した。
西宮支部員は約20人。
賛助会員の筆頭には三枝さんの名もある。
昨春の支部主催の落語会「関大西宮寄席」を皮切りに、デイサービスセンターや老人会から依頼を受け、無料の出前寄席を続けている
。    ・・・・だそうです。
大変素晴らしいことで、参考になります。
張り合う訳ではありませんが、我が落研OB会を、上の記事と同じように表現してみました。
東北大学の落語研究部OBが、各地で笑いを届けている。
東京での年2回の定期寄席「お江戸あおば亭」のほか、東日本大震災の被災地での出前寄席でも話芸を披露。
落語研究部は1959年に発足。
八代目桂友楽師匠から名前をいただいた4期生の「桂友楽」さんをはじめとする「落研四天王」など、実力者ぞろいで知られる。
東京”支部”のメンバーは約30人。
三遊亭圓窓師匠に師事しているメンバーが5人いる。
今年で5回目となる「お江戸あおば亭」を礎に、さらに活動の輪を広げようとしている。
 
どこか、取材に来てくれませんかねぇ。
喜んでお受けするんですが・・・。 

2012年5月25日 (金)

「そば清」と「蛇含草」

落語という大衆演芸は・・(随分高いところからの物の言いようですが)、多くが元は上方の噺だったのを、江戸に移入しているのが多いようです。
勿論、全くのコピーではなく、それぞれの土地柄にあった形で翻案されたり、練り上げられたりしていますが、偶然にも、東西でほぼ同時に興った演芸とはいえ、ネタの多様性は、圧倒的に「西高東低」だと言えるでしょう。
「そば清」と「蛇含草」なんていうのも、その典型かもしれません。
似ていて非なるものの、噺シリーズです。
hh
【そば清】
そば好きの清兵衛さん。
今で言う、そばの大食いチャンピオン。
真夏のあるとき、越後から信州のほうへ商売にまいりまして、どうまちがえたのか、山中で道に迷ってしまいました。
疲れ切って一休みしていますと、その向こうに狩人がひとり、こくーり、こくりと居眠りをしているのが見えました。
すると妙な風が吹いてきて、どこからともなく大きなウワバミが現れて、その狩人を大きな口をあけて一呑みに呑んでしまいました。
清兵衛さんはびっくりしたのなんの。息を潜めて見ていますと、うわばみも人ひとりを呑んだのですから苦しいとみえ、しばらく、もがいておりましたが、岩陰に生えている黄色い草をなめると、四斗樽のようにふくれていた腹が、もとのように小さくなっていきました。
ウワバミの姿が見えなくなると、清兵衛さん、食べたものがこなれる草に、こわごわながら近づいて、草をつんで持ち帰ります。
hh
江戸に帰ってから、清兵衛さん。
七十のそば食いに三両をかけて挑みます。
五十まで食べ苦しくなったので、一息つくといって障子の外へ出て、例の草をぺろぺろなめはじめました。
しばらく経ったが返事がない。
あまり静かなので、「清兵衛さんは、かなわなくなって逃げだしたんだ」と障子を開けると、蕎麦が清兵衛さんが着ていた黒の絽の夏羽織を着て座っておりました。

元々は上方落語の「蛇含草」という演目で、三代目桂三木助が東京に移植したそうてす。
hh
【蛇含草】
町内の隠居さんの軒先に草がぶら下がっている。
この草はうわばみ(蛇)が人間なんかを飲み込んだ時に、この草をなめると人間が溶けるというものでまじないのために軒先にぶら下げているのだと隠居は言う。
そこで、この草を半分もらい着ている甚兵衛の紐に結び付けた。
隠居さんが丁度、餅を食べるところだと言うので、餅は大好物で五、六〇個ぐらい朝飯前だと大口をたたく。
       hh
最初は調子よく食べ出したが全部食べきれず少し残して家に帰った。
家に帰っても腹の調子が悪くなり、床を敷かせて横になるが、気分が悪く胸を撫でている内に、紐に結び付けた草をさわった。
蛇にも胸やけに効くのだから人間にも効くだろうと、むしゃくしゃと草を食べてしまった。
隠居が心配してたずねて来て、寝ている部屋の障子をあけると・・・・、餅が甚兵衛を着てあぐらをかいていた。

上方では「餅」の大食い、江戸は「そば」の大食い。
餅を食べる方が仕草や言葉が派手なのは、東西の感性の違いでしょう。
最近では、東京でも「蛇含草」で演っている師匠がいるようです。
先代の馬生師匠は、よく「そば清」を演っていた気がします。
本名が「美濃部 清」さんだったからでしょうか?

猫座り

どうやら「猫座り」というのは、猫が前足を自分の体の下に入れて座ることを言うようで、違っていたようです。Photo_7
Photo_4「箱座り」とか「香箱座り」とも言われているようです。
私がイメージしたのは、猫だけでなく、犬もこんな座り方をします。

Photo_8

スフィンクス座りって言うのかなぁ。
Photo_6ケチをつける訳ではありませんが、先日の三越薫風寄席での林家二楽さんの「三越のライオン」は、こんな座り方でした。

三笑亭笑三の浅草案内

浅草の街を見続ける落語界の長老が、挿絵と文章でご案内。
Photo_2実用度満点の粋でアートな観光ガイド。
持ち歩きに便利、カラー絵地図付き。
駒草出版。1,365円。

落語界の長老「三笑亭笑三」師匠の本。
以前から「浅草演芸ホール」のプログラムの表紙には、笑三師匠の見事な絵が使われています。
高座から移り変わる浅草の街を見続けている師匠が、この表紙絵と文章で浅草の街を紹介するひと味違う観光案内となっています。
新作専門、落語芸術協会では、桂米丸師匠と並び最長老の87歳。
http://www.syoza.jp/
2・3年前に聴きましたが、とにかくお元気な師匠です。
「上から読んでも下から読んでも、三笑亭笑三でございます!」
・・と、師匠の公式HPのタイトルの脇にありました。
私も言わせてもらいます。

「上から読んでも下から読んでも、三流亭流三でございます!」

サバイバルナイフ

サバイバルナイフと言うのは、様々な危険を避けて、生き残る為に使うべき「道具」ですよね。
決して「武器」ではない。
護身用だと言うなら、文字通り「専守防衛」の物だと思いますが・・・。
何であんなに物騒な物を、人格の確立出来ていない輩が、ほとんどフリーに入手出来るのでしょうか?
何故かおかしい・・・。

2012年5月24日 (木)

地震は大丈夫?

地震が起こるのは当たり前のような雰囲気です。
こんな建物があります。
       大丈夫?
超高層ビル2棟の最上部近くに、連絡通路が渡してある・・。
まるでプラモデルの部品を止めてあるプラスチックみたいです。
地震が来ても大丈夫でしょうか?
きっと、ダンパーみたいなものが着いていて、横揺れを吸収するようになっているのでしょう。
 Fw:

両方の接着部分がはずれたら、そのまま落下するのでしょう
お~~、恐ッ!
場所は、もんじゃ焼きで有名な、月島・勝どきあたり・・。
どんなもんじゃろう?

三越のライオン

三越の玄関に鎮座ましますライオン・・・。
  三越のライオン
この間の「三越薫風寄席」で、紙切り二楽さんが三越のライオン」という注文に、猫座りのライオンを切って喝采を浴びていました。
猫座りではなく、スフィンクスのように、前足を前に出して、平らに座っています。
雄々しいです。
でも、正面から見ると、猫みたいで可愛いことが分かりました。
ほら・・・・。 三越のライオン
でも、どうしてライオンなんでしょうね・・?
大正3年に、三越が日本初の百貨店としてルネッサンス式鉄筋5階建ての新店舗となった時、当時、支配人だった日比翁助のアイデアで、2頭のライオン像が設置されたのが始まりです。
三井銀行本店副支配人だった日比翁助は、明治31年に、合名会社三井呉服店(明治37年株式会社三越呉服店となる)の副支配人に就任しました。
日比はさまざまな改革を試み、三越が百貨店となる基礎を築いた人物です。
日比は、ライオンが好きで自分の息子に「雷音」と名前を付けたほどでした。
もちろん、三越がライオンのような王者になることを願ったのはいうまでもありません。
このライオン像の大きさは、うずくまる形で、前足から尾まで269cm、頭までの高さが20cmあり、青銅製。
モデルとなったのは、ロンドンのトラファルガー広場にあるネルソン提督像を囲むライオン像です。
この広場のライオン像は、動物画家で彫刻家でもあったランドシィーアの作品。日本橋三越本店のライオン像は、それを模して彫刻家・メリフィールトの模型を鋳造家・バルトンが作りあげたものです。
大正12年の関東大震災では火を被り、磨き直しました。
昭和16年太平洋戦争開戦後、金属回収のために海軍省に供出しましたが、戦後、幸運にも溶解を免れ、東郷神社に奉納されているのを社員が発見し、昭和21年に本店に戻りました。
三越本店には、天女(まごころ)像、パイプオルガンなど歴史あるシンボルがありますが、ライオン像は本店だけでなく、全国の三越の支店にも設置されており、三越のシンボルとして愛され続けています。

これは、三越のホームページからの引用です。
ちなみに、写真は銀座店のライオンです。
閉店になった池袋店にあった(いた)ライオンは、三井家との関わりの深い、向島の三囲神社の境内で余生?を過ごしています。
・・・ということは、その日比さんなる方が、ライオンでなくて虎が好きだったら、三越の虎になっていた訳ですね。
・・・そんなものなんですね・・・。
ねずみが好きだったら、三越のねずみになっていた・・・・?
私はてっきり、猫だと思いました。

「つつじ」と「さつき」

「サツキ」は、「ツツジ」の1種だそうです(サツキツツジ)。
Fw:写真五月晴れ
普通のツツジが、春(4月中旬~5月上旬頃)に開花するのに対して、サツキの花は、初夏(5月中旬~6月中旬頃)に開花します。
また、他のツツジの花は、新葉が出る前に花が先に咲きますが、サツキの花は、先に新葉が出てきてから、花が咲きます。
葉や芽に生えた細かい毛の色でも両者は区別する事ができます。
基本的に、サツキの細毛は茶色ですが、ツツジの細毛は緑色です。
サツキは常緑低木で、樹高も1m程度の樹が多いのですが、ツツジには、落葉樹も常緑樹(半落葉種を含む)もあり、樹高が、5~10mにも生長する種類もあって、一般に、サツキよりも大きく育つ場合が多いようです。
サツキはツツジの1種なので、両者間で人工交配などが行われ、中間的な性質を持った交配品種が、既に多く作られているそうです。
そうなると、サツキかツツジか区別がつかなくなってしまいます。
「サツジ」だとか「ツツキ」って言うのかもしれません。
ところで、ツツジというのは「躑躅」と書きます。
「憂鬱」とか「朦朧」とか「薔薇」だとかと並んで、難しい漢字です。
「躑躅」って「蝋燭」という字と似ていますね。ろうそく・・・。

2012年5月23日 (水)

最後に一発「山号寺号」

もうないだろう・・って、最後の一発、最後っ屁
昔の人気テレビ番組を思い出して・・。
「8時だよ 全員集合!」 ⇒ 「全員解 もう9ってのは・・・。
駄目かなぁぁ。

山号寺号の新作

一八、もうないだろう・・?
いやいや若旦那、まだまだありますよってんで、色々考えました。
E4764bee8b207b28ae4c3e28a1ba524c 「もうたくさん 問題
 「一家離 大惨
 「全員退 非常
 「龍角 トロー」?
 「ヒアルロン 水分保
 「グルタミン 隠し
 「落下 無事着」・・・?Image
 「大分 関ア
 「子だくさん 双生
もうないだろう・・・?
それじゃ最後に綺麗なやつを・・・。
 「柳家小さん 厩火」   

「ヒラメ」と「カレイ」

平たい所に目があるからヒラメ、ヒラメの家来でカレイ・・Photo_6
これは落語の「やかん」でのこと。
右の写真が「ヒラメ」。
「左ヒラメに右カレイ」・・何が左・右なのか・・?
目を上に向けたときに左に向くのがヒラメ、右に向くのがカレイです。
あるいはにらめっこをしたときに目が左についているのがヒラメ、右についてるのがカレイです。

ただし、この見分け方は日本限定で、海外には逆の目位置のものもいるので注意が必要です

ヒラメとカレイの違い
この見分け方は日本限定で、海外には逆の目位置のものもいるので注意が必要なんだそうです。
ちなみに、ヒラメもカレイも生まれたばかりは他の魚と同様に左右に目がついています。
そして遊泳期から海底生活に移る前に、片方の目がもう片方の目に寄っていきます。Photo_7

生まれてから目が移動するのです。
右の写真が「カレイ」。
これでいいのだ・・。

二丁蝋燭

先輩の四分椿師匠が、寄席通いをしていて、大変珍しい噺に出会ったと仰っていました。

Photoその中で、「二丁蝋燭」と「餞(はなむけ)」という噺は、実は全く知りません。
「二丁蝋燭」というのは、むかし家今松師匠の十八番で、時々かけているようです。
前半は「味噌蔵」によく似ている吝嗇な旦那の噺です。
この店の旦那、あまりにもケチすぎて…おかみさんをもらうと米が減るからと、ずっと独り者でいましたが、周囲の勧めで仕方なく、災難だと諦めて女房をもつと…そのうち子供ができて、お金がかかるからと、おかみさんを実家に帰して出産させます。
生まれた男の子が、今日はお七夜だからとお祝いにご招待される。
それで小僧の定吉を連れて、お呼ばれで出掛けるのです。
ここまでは、「味噌蔵」と全く同じ展開。
たらふくご馳走になって、いざ帰ろうと…提灯をつけようとすると…。
ろうそくは訪問先でもらえるはずだからと提灯だけをもっていくように言います。
そうすれば、掛け替え用と二丁くれるはず・・。
ところが定吉は、ろうそくをもってきて、肝心の提灯を忘れてしまうという・・・。
http://www.youtube.com/watch?v=NCu1itg8tgU
題名がいいですね。「二丁蝋燭」・・。
「二丁拳銃」は、西部劇ですが。
とても楽しそうな噺のようです。

2012年5月22日 (火)

現代版「禁酒番屋」

西日本の某政令指定都市で、市長が職員に「禁酒令」?
某市市長は、市役所で臨時幹部会を開き、全職員を対象に外出先での禁酒を要請した。
市職員2人が酒に酔った末に暴行や傷害容疑で相次ぎ逮捕されたのを受けた措置で、期間1カ月間。
市教委も同様の対応を取る方針で、市長は「意識改革のためのショック療法。飲酒に関する長年のあしき風土を変え、生まれ変わった市役所になって市民の信頼を取り戻したい」と話した。
市によると、正規職員9600人を対象に、公私を問わず飲食店や知人宅など外出先での飲酒を控えるよう求めた。
仕事などでやむを得ず参加する酒席でもノンアルコールでの対応となる。
自宅での飲酒は認める。
市では2月に市消防局職員が酒に酔って車を盗んだとして逮捕され、4月には市立小学校教頭が酒気帯び運転容疑で検挙されるなど酒が絡んだ事件が続発している。
日本人は、総じて酒・酒飲みに対して甘い部分があります。
私は、自分があまり酒が飲めないこともあるのかもしれませんが、常々苦々しく思っています。
「酒の上のことだから」「酒ぐらい飲まなくては」・・・。
酒好きや酒乱が、自分たちのパターンを、酒を好まない人にまで押し付けています。
日本では、その歴史の繰り返しのような気がします。
4~5月に、大学生が急性アルコール中毒になって、大騒ぎになるのも、それこそ洒落にならない愚行だと思います。
ましてや社会人。市役所だろうが、一般企業だろうが、今や飲酒による事故やトラブルなどは言語道断。
数年前に、大きな社会問題にまでなった、飲酒運転による死亡事故を起こし、天下の恥晒しになったのもこの某市の職員でしたから、とにかく開いた口が塞がらないというのは、まさにこのことでしょう。
今回の「禁酒令」なんていうのも、とにかく無様な話で、そのことの有効性云々よりも、そうまでしないと綱紀粛正が出来ないおバカたちの集まりだということを天下に晒して、全員が恥じ入らなければならないと思います。

山号寺号

鬼子母神の法明寺は、正式には「威光山法明寺」と言います。
日蓮宗の総本山は「身延山久遠寺」。
浄土宗では、「三縁山増上寺」。上野には「東叡山寛永寺」・・・。
落語に「山号寺号」というのがあります。
若旦那が浅草の観音様にお詣りに行く。
そこへ幇間の一八が現れる。
どこへ行くのかと尋ねた一八に、浅草の観音様だと答えると、「ああ、金龍山浅草寺ですか」と言う。
さらに一八はどんなところにも山号寺号があると言ってしまう。
どんなところにもあるんだなと念を押して、若旦那はこの場にも山号寺号があるか、と一八に迫る。
弁解をする一八だが、若旦那は言うことを聞かない。
もしあったら金をやるという。
頓知を利かせて一八は「時計屋さん今何」、「看護婦さん赤十」など、次々に「山号寺号」を披露する。
お蔭で若旦那はすっかり金を巻き上げられてしまう。
「今度は私がやろう」と、若旦那は一八の財布をふところに入れ、「一目随徳」と言って逃げる。
(「随徳寺」とは、ずいっとそのままにして逃げることを指す古い言葉)
それに対して、逃げられた一八は「南無、仕損」・・・。

これ、とても面白い噺ですよ。
まだまだ・・・・、「おかみさん拭き掃」「乳母(おんば)さん子が大」「自動車屋さんガレー」「洋服屋さん紺サー「洋食屋さんソーセー「果物屋さんオレン」「お医者さんイボ」・・・・。

「あやめ」「杜若」「菖蒲」・・・

これも、素人の私には分からない・・・。
Fw:尾形光琳
「いずれがあやめ、かきつばた」という言葉を聞いたことあります。
でも、ふくろうとみみずくとは違って、この3つは別物のようです。
あやめとしょうぶはどちらも漢字で書くと「菖蒲」なんですが・・・。
(1)菖蒲湯に入れる「菖蒲」
(2)「花菖蒲」
(3)「あやめ」(漢字で書くと菖蒲)
(4)「かきつばた」(杜若)
Photo_4この4つはとてもよく似ていますが、実は違うんだそうです。
植物学的には(2)「花菖蒲」(3)「あやめ」(4)「かきつばた」はすべてアヤメ科アヤメ属だから皆同じ仲間で極めて近い関係にあるようです。
ところが、(1)菖蒲湯の菖蒲はサトイモ科で別物。
葉っぱがにているだけ。
花も咲くことは咲くけどきれいな花ではなく、蒲(がま)の穂みたいな黄色い花である。
ということは、5月5日端午の節句の菖蒲湯に入れるあの菖蒲と、菖蒲園なんかに咲いている菖蒲は全く違うという訳。
東京スカイツリーに駅の名前を奪われた「在原業平」も「かきつばた」の歌を詠んでいました。
    ら衣 つつなれにし つましあれば
          はるばる来ぬる  たびをしぞ思ふ
                      
・・・かきつばた・・です。

種別花の色花の特徴適地開花期
アヤメ 紫、まれに白 主脈不明瞭 網目模様
外側の花びらに黄色い模様がある
かわいた所 5月上~中旬
カキツバタ 青紫のほか
紫、白、紋など
主脈細小 網目なし 水中や湿った所 5月中~下旬
ハナショウブ 紅紫、紫、絞、
覆輪など
主脈太い 網目なし
花の色はいろいろある
湿った所 6月上~下旬

2012年5月21日 (月)

金環日食・・見えた

今朝のお天気の神様は、何とか雲間に金環日食を見せてくれたようです。
 
天邪鬼の私は、輪になった太陽よりも、地上の野次馬の人たちの様子に興味があります。

視界が開ける交差点や通り沿いは、東の空を見上げる人、人・・。
ビルの非常階段から見上げる人も・・・。Photo_5
専用メガネで見れば、こんなふうに見えたようです。
綺麗な同心円で、金の指輪のようです。
総武線の快速電車の車内では、地下にもぐる直前に「これから先は金環日食はご覧になれませんので、ご注意ください」という、車掌さんからの行き届いたアナウンスがあったということです・・。
きっと、この車掌さん、勤務中で見られないので、悔しかったのかもしれませんね。
俄かの国民的行事になった感じです。
ところで、明日の朝、この交差点で、空を見上げていたら、訳も分からず一緒になって、空を見上げてくれる人がいるかもしれません。
ところで、昔は「金環日食」でなく、「金環蝕」「金環食」と言っていた気がします。
石川達三の原作だったか、「金環蝕」という、政治・汚職がテーマになった小説(映画にもなった)がありました。

「みみずく」と「ふくろう」

ヒラメとカレイ、かきつばたとあやめと菖蒲・・・。
私には、全く区別がつきません。Photo_2
「みみずく」と「ふくろう」というのも分からない。
いわゆる「ミミズク」と呼ばれる鳥の、耳状に見えるのは耳ではなく、いわば飾りの羽毛で、「羽角(うかく)」と呼ばれます。
本当の耳はフクロウと呼ばれる鳥でもミミズクと呼ばれる鳥でも、同じように目の左右の顔の側面にあります(耳たぶのようなものはなく、穴があいているだけで、その穴も羽毛に隠れて外からは見えません)。
さて、フクロウとミミズクは、分類学上は区別がなく、両方ともフクロウ目フクロウ科に属します(外国にはメンフクロウ科というのも居ますがそれはここでは除外しておきます)。
名前ですが、古語で、「ツク」とはフクロウ類のことで、「ミミヅク」は耳状の羽毛のあるフクロウ類という意味です(「ミミズク」と「ズ」を使うのは現代仮名遣いです)。
現代の図鑑に載っている名前についても、結局両方フクロウ類のことなので、ミミズクとフクロウの使い分けに特に一貫性はありません。
「シマフクロウ」と呼ばれる鳥には耳状の「羽角」があります。

http://www.nakashibetsu.jp/kyoudokan_web/photo/r …
「アオバズク」と呼ばれる鳥には耳状の「羽角」がありません(もちろん、古語で「ツク」というのがフクロウ類のことで、「ミミヅク」が耳状の羽毛のあるフクロウのことなのですから、「アオバズク」に耳状の羽毛がないのは矛盾してませんが)。
http://www.mmjp.or.jp/WBSJ-Kyoto/birds/aobazuku. …
というわけですので、あまり両者の区別にこだわる意味はないのだろうと思います。Photo_3
要は、耳に見える羽があるものを「ミミズク」(コノハズク、トラフズクなど)と呼び、耳羽がないものを「フクロウ」(シマフクロウ、シロフクロウなど)という・・・。
・・豊島区は、池袋との語呂合わせでふくろう、雑司が谷あたりはみみずくなんですね。
でも、どちらも同じだということですね。
でも、ふくろうというのは、夜行性で、あまりイメージは良くない気がするのですが・・・。
カラスやミヤマガラスのほうが知能は高いが、フクロウは古代ギリシャでは女神アテナの従者であり、「森の賢者」と称されるなど知恵の象徴とされている。
日本ではフクロウは死の象徴とされ、フクロウを見かけることは不吉なこととされていた。
現在では、「不苦労」、「福郎」のゴロ合わせから福を呼ぶものとも言われている。
ヨーロッパではしばしば学問の神、英知の象徴とされる。

昔、小学校の音楽の教科書に、ふくろうの歌がありました・・。
確か・・
、♪ 森のふくろうがいいました
        私は森の見張り役
        怖い狼、狐など
        来させないからねんねしな
        ごろすけホッホー
        ごろすけホー  ♪
    なんていう・・。
でも、これは2番だったような・・・。1番は・・・、
     
 ♫ 森のふくろうがいいました
        わたしは森の見張り役
        小鳥も子リスも(ここは自信なし)母さんに
        抱かれて夢見てねんねしな
        ごろすけホッホー
        ごろすけホー ♫
  ・・だった気がするのです。
ところで、上方の噺家さんで「森乃福郎」っていう名前がありました。

金環日食

これで見られますか?

ただいま6時10分。

2012年5月20日 (日)

旭天鵬

(*^^*)旭天鵬が優勝しました。
素朴に、心からお祝いしたい力士です。
こんな日本人が、昔はおおぜいいた気がします。

銀座ミキモトホールの刺繍展

私が最も縁がないと思われるミキモトの銀座本店。
"落語をテーマにユーモラスに表現した"作品が展示されているという、刺繍の展覧会を見つけました。
これも落語徘徊の一環だということで、恐る恐る?行ってみました。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20120517-00000002-ozmall-ent

写真の左側は、寄席の高座をイメージしたもの。
右は、言わずと知れた「目黒のさんま」がテーマになっています。
ついでにも右側に置いてある花は、柳家花緑さんからのお祝い。
5月17日(木)から5月31日(木)まで銀座ミキモト本店 6階ミキモトホールにて開催される「森山多喜子・刺繍展 創作糸で紡ぐユーモラスな世界」という展覧会。
今回は刺繍作家として活躍している森山多喜子さんの心温まる新作約70点が会場を飾り、ひと針ひと針を丁寧に紡いだ、ぬくもりあふれる作品はまさにほっこり気分を味わうのに最適。

森山さんの作品で特徴的なのが、伝統的な刺繍の技法を使いながらもシンプルな作風であること。まるで絵画のような奥行き感があるものばかりだから、刺繍の作品を初めて鑑賞する人でも楽しく見られるはず。
今回の展示について、株式会社ミキモト 広報宣伝課担当の新堀さんに伺うと…。
「日常の風景や落語をテーマにユーモラスに表現した作品を展示します。
普段、手芸作品を見る機会が少ない男性でも楽しんでいただけるのではないでしょうか」。

・・・う~ん、なかなか面白い・・・。
これら全て、絵や版画ではなく、切り絵でもなく、刺繍なんです。
森山多喜子先生も会場にいて、丁寧に説明をされていました。
下の写真を見てください。
これ、「あたま山」ですよ。
人がモーニングを着ているのがご愛敬という訳ですが、間違いなく「あたま山」です。

椅子の上に、猫を刺繍したクッションが置いてあり、金魚の刺繍が飾られている。
これは、田河水泡作「猫と金魚」じゃありませんか!
 
普段、手芸作品などを見ることなどない私でも、楽しませていただきました。

落語はやおき亭

最近、たい平さんの番組や落語会などを耳にしたり、目にしたりすると、ご本人ではなく、「あずみさん、元気で頑張っているかなぁぁ」と思うようになりました。
   ◇ 莨(たばこ)の火     八代目林家正蔵
珍しい噺ですが、「鴻池」が出て来ます。
ですから、もともと上方の噺です。

落語DEデート

本当にこういう番組にはもってこいの師匠です。
   ◇ 勉強    三代目三遊亭金馬
音源は、55年近く前のものですが、音質も悪くなく、あまり古さを感じません。
それから、声の張りもよく通るし、分かりやすい噺。
ラジオ放送に乗って人気を爆発させることが出来て、名人とまで言われた師匠です。

定吉

「猫定」という噺の題名は、「猫と定吉」「猫好きの定吉」を縮めたものだと思います。
先日の工学院大学のオープンカレッジで、師匠が仰ったことが印象に残ります。
師匠も、プログで触れています。
昔、35年ほど前かな、、、。
小生がある会でこの噺を演ったとき、後日、「定吉とは小僧の名前である。博打うちに定吉という名は可変しい」という評を載せた新聞があった。

馬鹿馬鹿しくて、ものも言えない、、、、。
要するに、通ぶった?芸能担当記者が、落語の中で「定吉」というのは、子ども(お店奉公人)の名前であるから、この噺の大人の博打うちの主人公の名前が定吉というのはおかしい。
変えてやるべきである・・・、と。
例えば熊五郎にしたら、「猫熊」・・? パンダみたいです。
師匠が呆れかえるのは、なんと的外れで、ガチガチの硬い頭で、自分が一番落語を知っていると勘違いしているということ。
この噺は、もとは講釈から来ている噺で、その名残が随所にあるが、講釈の多くは、実際に合った事件を取材して、それをもとに作られた物が多い訳で、それが大人の定吉だったのかもしれないと・・・。
定吉だっていずれは大人になるのですから・・。
確かに、私もいくらか落語をかじっていますから、定吉という名前のイメージはありますが、あまりストーリーに関係のない部分で、定吉で演りたくない人は変えたら良いのであって、「定吉は子どもだ。題名を変えろ。」というのは、ねぇぇ・・・。

2012年5月19日 (土)

春風亭柳橋さん

学士会落語会。
柳橋さんの落語が終わると、山本進先生との対談。

それにしても、いつものことながら、山本先生の知識の豊富さと記憶力の良さには驚かされます。
先々代・先代の話題は、当代てもご存知でないことも多くありました。
それぞれの生い立ちや逸話。
先代は、リアルタイムで聴いていて、好きな噺家さんの一人ではありましたが、三木助師匠のお弟子さんで、女性に大層もてたとか・・。

古い映像を視聴すると、懐かしい部分と新しい発見があります。
とても良い企画で、楽しませていただきました。
同い年の噺家さんは少ないから、これからちょっとチェックして行こうかと思いました。

柳橋代々を見てみました。
初代から五代目までの亭号は麗々亭であった。
そのため六代目柳橋を「初代春風亭柳橋」と表記する人もごく少数存在する。
三代目、四代目、五代目は親子の関係である。

・初代   麗々亭柳橋 - 初代船遊亭扇橋の弟子。
・二代目 麗々亭柳橋 - 初代の弟子。
・三代目 麗々亭柳橋 - 隠居名春錦亭柳桜。(斎藤文吉)
・四代目 麗々亭柳橋 - 三代目の長男。(斎藤亀吉)
・五代目 麗々亭柳橋 - 三代目の三男。(斎藤久吉)
・六代目 春風亭柳橋 - 四代目春風亭柳枝の弟子。(渡辺金太郎)
・七代目 春風亭柳橋 - 六代目の弟子。(駒木根正男)
・八代目 春風亭柳橋 - 七代目の総領弟子。(竹内秀男)

学士会落語会

本当に1年ぶりの「学士会落語会」の例会への参加です。
昨年度は、「朝日名人会」の年間通し券に当選したので、こちらに出席が出来なかったという訳で・・・。

それにしても、贅沢な落語かいだと思います。

今日のテーマは「春風亭柳橋代々」。
   ◇ 花筏(DVD・一部)       六代目春風亭柳橋
   ◇ 三井の大黒(DVD・一部)  七代目春風亭柳橋
   ◆ 転失気               春風亭べん橋
   ◆ お見立て           八代目春風亭柳橋
       ◆ 妾馬              八代目春風亭柳橋

八代目の経歴を拝見したら、私と同学年になるんですね。
大学の落研から、顧問をしていた先代に弟子入りをしたそうです。
本物は初めてですが、明るくていい雰囲気のある噺家さんでした。
「芸協にも上手い噺家さんがいるんだね」と褒めている方もいました。
春風亭柳橋・・・・、大きな名前です。

学士会館へ

雑司が谷でススキミミズク、神保町で古書を衝動買いしてから、本日のメインイベント「学士会落語会」にと学士会館へ・・・。

旧帝国大学の同窓会組織の「学士会」。
この学士会館には、何度も来ていますが、ちよっと一息つくこともできるスペースもあり、とても好きなレトロな空間です。

今日は、お日柄も良いのか、結婚式もいくつか入っているようです。
そう言えば、釣り亭金魚師匠もここで挙式をされました。
披露宴では、偶然新婦が私と同郷の方だったので、何故か「武田節」を歌った記憶があります。

久しぶりの「学士会落語会」です。

神保町古書店街

雑司が谷から、学士会落語会に向かいます。
ひさしぶりの神保町・・・。
古書のガレージセールも相変わらず・・。

ウロウロして、また衝動買いをしてしまいました。

鬼子母神堂とすすきみみずく

案内処で買ったススキミミズクを持って、鬼子母神堂へ。

天気もいいし、風も清々しく、落ち着きます。
日頃の色々な煩悩を忘れることができるような気がします。
「鬼子母神 藪中の蕎麦」のイメージも出来ました。
鬼子母神に手を合わせて・・・。南無妙法蓮華経・・・・。

3

12_2
4

 


このあたりは、みみずくずくしですね。

鬼子母神参道

見事な並木の参道です。
「雑司が谷案内処」という、豊島区の施設があります。
実は、この案内処は、私にとっては忘れられない場所なんです。

というのは、この案内処が設置されたのを記念して、この近くの雑司が谷文化創造館で行なわれた圓窓師匠の落語会で、私が前座を勤めさせていただいたんです。
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2010/07/post-af33.html
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2010/07/post-68a4.html
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2010/07/post-b25a.html
懐かしい・・・。
ススキミミズクがありました!
写真で見るよりも、本物の方がずっと可愛2い・・・。
思わず買ってしまいました。
案内処の人に、製作講習会のことを尋ねると、申込書をくれました。
「ススキミミズクを作る時に、歌を歌いながら作ったんですか?」と、師匠が仰っていたことを訊いてみると、「さぁぁ、どうでしょう・・・」
「実は、ある方から、節は分からないけれども、歌詞は残っていると聞いたものですから」
「私は存じ上げませんので、是非講習会の時にお尋ねになってください」。
このススキミミズクは、子ども用の玩具だったようで、笹にぶら下げて、肩にかけて歩いている絵がありました。
笹にぶら下げたススキミミズクを片手に、鬼子母神堂へ向かいます。

都電荒川線

ススキミミズクを探してみることにしました。
大塚駅前から都電荒川線に乗って鬼子母神前へ。

こういうのどかな電車。なんとも言えません。一律160円。
土曜日のお昼前、それでもほどほどの混雑ぶり。

車内に掲示してある路線図。三ノ輪から早稲田まで。
面影橋なんていう、色っぽい駅もあります。
三味線屋さんの広告が、いいですねぇぇ。
山手線には絶対にないと思いますね。

鬼子母神前で下車をして、早稲田方面に向かう電車を見送ります。
とりあえず、鬼子母神堂を目指します。

すすきみみずく製作講習会

「鬼子母神すすきみみずく製作講習会」の内容が判明しました。
 【日  時】  平成24年6月10日(日)午前10時~12時
         平成24年7月8日(日)午前10時~12時
 【会  場】  法明寺みみずく会館 (東京都豊島区南池袋3-5-9)
 【参加費】   1,000円(材料代として)
 【定  員】  30名程度
 【主  催】  雑司が谷すすきみみずく保存会
 【共  催】  雑司が谷案内処
http://www.toshima-mirai.jp/zoshigaya/event/index.html

6月10日は、稽古会ですから、7月にエントリーしてみましょうか・・・。

鬼子母神

鬼子母神の由来について調べてみると。
Photo_9鬼子母神はインドで訶梨帝母(カリテイモ)とよばれ、王舎城(オウシャジョウ)の夜叉神の娘で、嫁して多くの子供を産みました。
しかしその性質は暴虐この上なく、近隣の幼児をとって食べるので、人々から恐れ憎まれました。
お釈迦様は、その過ちから帝母を救うことを考えられ、その末の子を隠してしまいました。その時の帝母の嘆き悲しむ様は限りなく、お釈迦様は、「千人のうちの一子を失うもかくの如し。いわんや人の一子を食らうとき、その父母の嘆きやいかん」と戒めました。
そこで帝母ははじめて今までの過ちを悟り、お釈迦様に帰依し、その後安産・子育の神となることを誓い、人々に尊崇されるようになったとされています。
雑司が谷の鬼子母神像は、鬼形ではなく、羽衣・櫻洛をつけ、吉祥果を持ち幼児を抱いた菩薩形の美しい姿をしているので、とくに角(つの)のつかない鬼の字を用いているそうです。
このあたりが、「鬼子母神 藪中の蕎麦」でも、じっくり語る部分になり、オチに繋がって行きます。

いよいよ3日後に

直接落語と関係がある訳ではありませんが、落語の舞台を見下ろす場所ということで・・・。
いよいよ3日後にオープンです。
このプログで登場する姿を振り返ります。
 

 
  
 

 

 

 



少し遡ってみましょう。2009_10310033
雷門から  

2010021600000017maipsocithum000smal201002271631000














東京スカイツリー 梅雨明け

スカイツリー 大きくなりました

スカイツリー
またまた落語とは全く関係のない話題でした。

法明寺

師匠が教えてくださった「すすきみみずく講習会」があるのは、「本妙寺」でなく、法明寺でした。
要するに、鬼子母神のお寺です。
考えてみれば当然ですよね。
いずれにしても日蓮宗の名刹です。
http://www.homyoji.or.jp/
法明寺の山号は威光山。
"飛地境内"に、あの雑司が谷
鬼子母神堂がある。
このお寺の本堂と、有名な鬼子母神堂とは離れた場所にあるということで、別のお寺さんかと思っていましたよ。

2012年5月18日 (金)

東京落語会の後

落研OBの頓平師匠と金魚師匠と、いつもの一献。


週末の解放感に浸った至福の時間です。

東京落語会

金曜日の仕事が終わった後の解放感の中で。

 ◆ 五人男       古今亭今輔
 ◆ 佐々木政談    柳亭燕路
 ◆ 転宅         金原亭馬生
 ◆ 山﨑屋       三遊亭歌司
 ◆ 棒鱈         柳家喜多八
 ◆ 文七元結      春風亭小柳枝

今日は、ほどほどん感じ。
今輔さんは・・・、やはり新作落語の限界を感じました。
小柳枝師匠も、やや放送時間を意識してはしょっていたように思えました。

師匠のコメント

師匠のブログで、先日の稽古会のコメントがありました。
http://ensou-rakugo.at.webry.info/201205/article_21.html
 
とりあえず私の部分だけ以下に・・・。
読ませ稽古、流三(りゅうざ)[鬼子母神 藪中の蕎麦]。
 七月に雑司が谷の本妙寺で「ススキのミミズク作り」の講習会が
 あるのだが、行くかなぁぁ。
 噺の中で壊れたその品を直す場面があるので。

えっ?それは初耳ですよ。
1というのは、この噺の中に、壊されたすすきみみずくを直す場面があって、直しながら「すすきっぽ・・・・♪」と歌うんですが、私は、歌い方が分からないのでカットしたのです。
師匠に「師匠がお演りになる時はどのように歌ってるんですか?」と尋ねると、「あたしも分からないから、自分で適当に節をつけてるよ」ということで・・・。
でも、「すすきっぽ・・・」というのは、古くから実際に伝わっている歌のようで、「節はわからないけれども、何とか入れて歌ったほうがいいね」というコメントでした。
ところで、この「行くかなぁぁ」というのは、師匠が行くと仰るのか、流三にいってみてはと仰っているのか・・?
早速、落語っ子連のMLメールで、師匠に「雑司が谷の本妙寺って、あの明暦の大火の火元だと言われて、本郷から巣鴨に移った本妙寺ですか?」と、お聞きしました。
「本妙寺」というのは、日蓮宗のお寺によくありそうな名前ですから、別の同名のお寺なのかもしれません。

師匠のブログでのコメントの最後は・・・Photo
9時から12時までの充実の3時間。
そうです。
まど深・仙三・越児・窓口・流三の稽古。
あっという間の3
時間でした。

噺家のはなし

広瀬和生さんの最新著「噺家のはなし」 。
Photo_6〈落語という大衆芸能において、個々の演目は作品として独立して存在しているわけではなく、噺家が高座から観客に向かって語りかけるための素材(ネタ)に過ぎない。
演目という「素材」に生身の噺家が生命を与えることで落語というエンターテインメントは初めて成立する。
目当ての演者のパフォーマンスを楽しみに行くべきものなのだ。〉
1970年代以降、ほぼ毎晩寄席やホールに通っているという広瀬氏が厳選した「いま訊いておくべき落語家50人」の持ち味、得意演目、聴きどころから、将来への展望までを詳説、さらに現代の落語界の潮流や問題点などにも言及している。
従来の落語家ガイドと違うのはそのラインナップ。
真打としてのキャリアも長く、テレビなどでの知名度が高くても、最近の高座を評価することができない落語家は取りあげられていない。
一方、旧世代の評論家が切り捨てた落語家を再評価していたり、将来性豊かな二つ目をとりあげているケースもあり、落語好きが納得するだけでなく、初心者にとっても落語の面白さを堪能するためのかっこうの入門書となっている。
一人当たり4ページとコンパクトにまとめ、連載中も好評だった南伸坊氏の似顔絵イラストも収載。
小学館。1,680円。
さあ、どうする?

2012年5月17日 (木)

三社祭

明日から「三社祭」です。(18~20日)
Photo_2三社祭は、毎年5月に行われる浅草神社の例大祭。
かつては観音祭・船祭・示現会に分かれていたが、1872年から5月17・18日に行われるようになった。
現在は5月第3週の金・土・日曜日に行われるPhoto_3
正式名称は「浅草神社例大祭」。
よく、「江戸の三大祭」のひとつと言われています。
「神田神社」と「赤坂山王神社」はお決まりですが、三番目が「浅草神社」か「富岡八幡」かが議論されているようです。
浅草神社は明治に入るまでは浅草寺と一体であり、この時代には浅草寺の祭りとして行なわれていた。
Photo_4神仏分離によって浅草寺と分離してからは浅草神社単体での祭りとなり発展したが、これは明治に入って以降のことである。Photo_5

・・・と書かれているものがありますから、我々が落語を演る際は、江戸時代が舞台になっている噺なら、三大祭は、神田・赤坂・深川ということになりますね・・・。
今度「佃祭」を演る時のマクラで使ってみましょう・・。

駅で・・・

昨夜、師匠の噺を聴いて、満ち足りて家に帰る道すがら。

駅の改札口を出ると、「松戸ばら園」と称して、地元の方が育てたバラが飾られていました。
足を止めてじっくり見とれている女性もいました。
そうそう、女性と言えば、駅のペデストリアンデッキで、若い女性のストリートミュージシャンというのでしょうか、キーボードを弾きながら、一生懸命に歌っていました。
女の子らしく、パンタ゜のぬいぐるみなどを足元に置いて・・・。
キーボードの前に「とっと」って、赤い字で書いた紙が貼ってあるから、"とっとちゃん"という名前なのかもしれません。

立ち止まって聴き入っている人が10人ぐらいいました。
オジサンは、それを横目に、"とっとと"帰りました。

真打昇進の基準

朝日新聞で見つけました。
東京落語の真打ち昇進に今年、変化が起きた。
若手が先輩を追い越したり、公開試験で決まったり。
年功序列が定着していた世界で、真打ちの選び方の試行錯誤が始まっている。 4団体で最大の落語協会は、二つ目59人から3人を抜擢(ばってき)。
春昇進の春風亭一之輔(入門2001年)は21人抜き、秋昇進の古今亭朝太(同1998年)は8人抜き、古今亭菊六(同02年)は28人抜きとなった。
落語立川流では昨年、立川志らく門下の二つ目4人が「真打トライアル」に臨み、立川こしら、立川志ら乃が今年中の昇進を決めた。
一方、落語芸術協会(芸協)と五代目円楽一門会は、従来通り修業を始めた年季順で昇進する。
真打ちは落語家で最上級の身分。
若手の中で実力があると認められた人が選ばれる。
本来、寄席の最後(トリ)に出演する資格で、寄席を経営する席亭が実力を見て推薦し、決まっていた。
戦前からある2団体で真打ちになるのはそれぞれ年に1、2人が普通だった。
それが、50~60年代の落語ブームで入門者が増え、70年代から年季順に年5~10人を大量に昇進させる例が出てきた。
落語協会は2年前まで、ほとんどは年功序列だった。
落語協会幹部によると、今回の年季順によらない昇進は柳家小三治会長の意向だ。
二つ目勉強会を会長自ら聴いたうえで3人を選んだ。入門して14、15年経てば儀式のように昇進するのを嫌っていたという。
ただし、来年以降は未定だ。
柳亭市馬副会長は「真打ちは、昔は到達点だったんですけどいまはスタートライン。何十人も飛び越して一人で昇進したからって、将来が明るいとか安心なわけではない」。
ある二つ目は「実力を認められれば真打ちに上がれるから、やる気になる」と話す。 落語協会では80年前後、真打ち昇進のあり方を巡り故・三遊亭円生や故・立川談志らが脱退。
現在の円楽一門会と立川流ができた。
立川流は、真打ちになるには落語100席と歌舞音曲などを身に着け、家元の談志が認めることを条件とした。
談志は落語協会の真打ち昇進試験で弟子を落とされ、自己流の基準を新たに作った。 今回は、客席と師匠の志らくが採点する公開試験方式を6回実施。
「自分が認めるだけでは弱い。客の後押しをもらいたかった」。
年功序列への反発もある。Photo
「プロ野球だって何年やっても実力がなければクリーンアップを打たせない」
一方、芸協の桂歌丸会長は「抜擢された本人が苦しいのでは。楽屋で疎外される場合がある。残された人間が面白くないのは当たり前」と話し、年功序列を続ける方針だ。
実は立川流でも、試験は必須ではない。
入門から20年以上経て、大きな実績がないまま真打ちに昇進した弟子もおり、「情」の面を残している。
上方落語では真打ち制度自体がない。
大正時代に消滅した。
05年に導入を検討したが見送られている。
演芸評論家の矢野誠一さんは「現代に真打ち制度が適応しているか、考えないといけない」と指摘する。
落語家は500人もいるのに寄席は4軒だけ。
多くの真打ちはトリをとることがなく、一流の証しにはならない。落語家は自分で芸名を大きくして、価値を上げるしかないのが実態だ。
小三治が若手を早く昇進させるのは「真打ちには価値がないと、反面教師的に教えているのだと思う」というのが矢野さんの見方だ。
落語プロデューサーの京須偕充さんは「現状に多少の危機感が落語界の内部にあったと思う」とみる。
00年代の落語ブームが落ち着くと、ギャグや受けを重視する演者が目立ち、話の筋を聴かせる話芸がおろそかになっているのでは、というわけだ。
京須さんは抜擢や試験による昇進を「真打ち本来の姿が見直された意義は大きい」と評価している。
オリンピックの代表選手を決めるのも大変ですが、この真打昇進の基準ややり方というのも、いつの時代でも悩ましい時代のようです。
京須さんの「ギャグや受けを重視する演者が目立ち、話の筋を聴かせる話芸がおろそかになっているのでは・・」というコメントは、実に道灌じゃなくて、同感です。
本人は一生懸命なんでしょうが、落語をなめたりバカにしたりしているように思えてしまう噺家さんもいます。
際物だと思えばそれまでですが、マスコミというのは、こういう噺家さんだけにスポットを当てがちで、もっと可能性を秘めた、本筋の若手もいると思うのですが゜・・。

満員御礼?

またまた発見した、東京メトロ銀座線の新型車両・・・。
満員御礼?
夕方のラッシュ時でしたから、ご多分にもれず、電車は大混雑。
窓越しに、車内ですし詰め状態になっているサラリーマンが見えますが、新型車だからとて、混雑しない時間帯に走るという訳にはいかないでしょう・・・。

2012年5月16日 (水)

話芸を楽しむ「圓窓の語り」

西新宿の工学院大学。

オープンカレッジの師匠の講座の高座を聴きに行きました。
3回シリーズの2回目。
話芸を楽しむ「圓窓の語り」と題して、「飲む」「打つ」「買う」、酒と博打と廓の噺を聴こうというものです。

ちょっと洒落た会場に高座が設けられていました。
最初は、教室での授業形式でのレクチャー。
師匠から、今日の演目の「猫定」に関して、マクラのような講義のような、とても楽しい噺ではなくて話。
やはり、私の好きな猫の缶詰の話題(マクラ)も出ました。
これが面白い。
  ◆ 猫定       三遊亭圓窓
師匠のこの噺を聴くのは、紀伊國屋寄席以来だと思います。
師匠のこだわりが、ふんだんに盛り込まれ、オチまでつけた長講。
落語で出て来る猫は、どうも化けたりして、あまり可愛いペットのようではありません。
陰惨で、しかも博打の噺なので、私には嫌いな題材なんですが・・、何故かこの噺だけは嫌いではありません。
いや、むしろ好きで、いずれ演りたいとさえ思っているのです。
今日のこの会だって、師匠が「猫定」を演るって聞いたからエントリーしたぐらいです。
何故なんでしょう・・・。
それにしても、プロだからと言えばそれなのですが、観客の掴み方の鮮やかなこと。
どうしたら、あんな風に座を盛り上げることが出来るのでしょう。
・・・とても勉強になります。
以前、私も師匠の「猫定」について、こんなことを書いています。
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2010/11/post-9754.html

5月16日

5月16日には、二人の大看板が亡くなっているんです。
まず、1979(昭和54)年に「六代目春風亭柳橋」師匠が80歳で。
2002年(平成14)年には、「五代目柳家小さん」師匠が87歳で。
お二人は、柳橋師匠が「落語芸術協会」、小さん師匠が「落語協会」の会長を、奇しくも永年に渡って歴任されました。

ご贔屓の皆さまへ

ご贔屓の皆さま

東北大学落語研究部OB会の二代目金願亭乱志でございます。
ご贔屓の皆さまにおかれましては、ますますご清祥のことと、心よりお慶び申し上げます。
日頃より、格別のご贔屓・お引立てを賜り、厚く御礼申し上げる次第でございます。
さて、「花の都でOB落語会を続けて行こう」と開催してまいりました「お江戸あおば亭」の第4回目の公演を、来たる6月9日(土)に、下記の内容にて行うことになりました。
ご贔屓さまには是非ともご来臨賜りたく、以下ご案内申し上げます。
       ◆◆ 第4回 お江戸あおば亭 ◆◆
 日時  平成24年6月9日(土) 12時30分開場・13時開演
 場所  浅草ことぶ季亭 
      http://asakusakotobukitei.jp/access.aspx
      (銀座線「田原町」徒歩3分・都営大江戸線「蔵前」2分)
 木戸  無料
 番組  手紙無筆              南亭蕪生   
       黄金の大黒            桂友楽    
        へっつい幽霊              談亭志ん志  
                    仲入り        
       湯屋番               恋し家古狂  
        救いの腕 (三遊亭圓窓作)   金願亭乱志  
       天狗裁き               喰亭寝蔵  
※今回は、我が落研が誇る「四天王」が揃い踏みをいたします。
   (落研四天王〜南亭蕪生・桂友楽・談亭志ん志・喰亭寝蔵)
※恋し家古狂が沈黙を破り、伝説(幻)の名人芸を披露いたします。
会場が狭く、行き届かない点も多々あろうかと思いますが、出演者一同ご来場をお待ち申し上げております。
末筆ながら、ご贔屓の皆さまのますますのご健勝と、ご来場くださる方"だけ"のご多幸をお祈り申し上げます。

       東北大学落語研究部OB会(の定吉)  金願亭乱志拝
Fw:写真

6月1日は「寄席の日」

毎年6月の第一月曜日は「寄席の日」だそうです。
201008112121001

 新宿末廣亭
今年は6月4日(月)です。
寄席の木戸銭も安くなるようです。Photo_4
・鈴本演芸場  入場料半額¥1,400
・新宿末廣亭  入場料半額¥1,400
・浅草演芸ホール  入場料半額¥1,200
・池袋演芸場  入場料半額¥1,200
・国立演芸場  入場料割引¥1,400円(除く前売)
201008112121002「寄席の日」は、2000(平成12)年から、都内4ヵ所の寄席定席と国立演芸場が始めたのだそうです。
江戸の寄席が、初代三笑亭可楽が、1798(寛政19)年の6月に、下谷神社で「風流浮世おとし噺」の看板を掲げた興行が始まりとされることからなのだとか。
・・・と、去年の6月1日のこのブログに書いてありました。
ということは、寄席の歴史は、214年ということ?

2012年5月15日 (火)

浅草ことぶ季亭の座席

「お江戸あおば亭」はとても素晴らしい会場です。

ところが、ご覧のような座椅子と座布団の桟敷席になっているのが、少々ネックなんです。

長時間にわたって畳の上に座っているのは、足や腰の負担が大きく、年配のお客さまには敬遠されがちなんてす。
拙ない芸に加えて、足腰まで負担をかけてしまうのは、拷問に近いかもしれません。

自動車税

今までは、銀行の窓口に家内に行ってもらって納付しました。
201001021141001ところが、最近は、銀行などに行くよりも、コンビニで手続をした方がずうぅぅぅっと便利でスピーディです。
コンビニで支払いました。
45,000円。200908040621000
今年は、車検の年なので、領収証をしっかり保管しておかないといけません
それにしても税金というのは、本当に高いものです。201001021141000201001021143000
消費税も上がるし、税金ではありませんが、電力料金も・・・。

三流亭仙三さん

落研の大先輩の「杜の家頓平」師匠が、正式に落語っ子連の新メンバーに加わってくださいました。
  落語っ子連稽古会  
落研OBでも、落語を演る人が着々と増えています。
落語っ子連での高座名は「三流亭仙三(せんみつ)」さんということになりますが、今後は、OB落語会にもご出演くださることと思います。
6月の「お江戸あおば亭」には間に合いませんが、9月の仙台でのOB落語会には・・・。
これで、6月の「恋し家古狂」師匠、9月は「愛詩亭朝大(要亭長矢)」師匠と「杜の家頓平(xyl(三流亭仙三)」師匠と、一気に3人も増えるという訳です。

落語協会復興支援寄席

あの忌まわしい東日本大震災から1年2ヶ月が経過しました。
相応の時間が経過すると、忘れがちになりますが、寄席では「復興支援寄席」が続けられているんですね。
■5月26日(土)10時・鈴本演芸場
   「第二次復興支援寄席」
      三遊亭金馬・三遊亭圓丈・柳家小満ん
Photo■6月1日(金) 21時30分・新宿末廣亭
  「白と白の会」
   三遊亭白鳥・桃月庵白酒・柳家初花
■6月17日(日)9時45分・浅草演芸ホール
  「がんばっぺ寄席」
             桂文生・鏡味仙三郎・柳家三寿・林家たい平
■6月24日(日)11時30分・池袋演芸場Photo_3
 「只今売り出し中落語会」
 春風亭一之輔・古今亭朝太・柳家三三
※入場料はいずれも当日1,000円。     
面白そうな企画もありますね。

2012年5月14日 (月)

新宿末廣亭

5月中席は、師匠は新宿末廣亭にご出演です。
新宿末廣亭
昨日は休演されましたが、一昨日は昼の仲入り前に「半分垢」をお演りになったそうです。
扇子っ子連のワッフルさんと早千さんの二人が行ったそうです。
入口の大看板の写真を送ってくださいました。
寄席文字・・、末廣亭は確か橘左近師匠の筆だと思いますが、とてもいいものです。

五代目小さん芸語録

「五代目小さん芸語録」柳家小里ん/石井徹也著。Photo_4
名人・五代目小さんが得意中の得意だった54席。
師匠のもとで長く内弟子として過ごした著者が、身近で聞いた噺の精髄や話術の要諦を公開し、後世に伝える。
柳家小三治のエッセイ1篇収録。
定価2,205円(本体2,100円)・中央公論新社刊。
興味深いものではありますが、対談形式になっているのが気に入りません。
小里ん師匠は、仙台にも何度か来てくださり、落研の後輩たちがお世話になっていたはずです。

林家たい平さん

産経新聞で見つけた「林家たい平」さんの記事。
たい平さんとは直接の接点はありませんが、何と言っても、落研OBの一部のオジサンたちのアイドル「林家あずみ」さんの師匠ということで、ちょっと、ほんのちょっと気になるのです。
読売テレビ系の「笑点」のレギュラーとして人気の落語家、林家たい平が、6月24日午後2時から大阪・大丸心斎橋劇場で独演会「たい平ひとりvol・4」を開く。
「高座に上がる際、『笑点』という“枕詞”の2文字と、どう対峙するかに迷いがある」と明かす。
「地方へ行くと、お客さんの8、9割が『笑点』で私を認識し、残りの1割が落語ファン。
自分としては落語の世界を見ていただきたいけど、やはりそちらの顔も見せないと。
独演会で何席もできる場合は使い分けできますが、大勢で行く時には悩みますね」
師匠・こん平に入門して23年。
病に倒れた師匠からオレンジ色の衣装を引き継ぎ、大喜利メンバーになって7年になる。
大阪へ来るとホッとするそうだ。
実は、春風亭昇太や立川談春、柳家三三らとともに、足しげく大阪で会を開く1人でもある。
「大阪のお客さんは『笑点』の作り込まれた笑いをどう思っていらっしゃるのか、まったくそちらを期待されません。だから素直に落語で勝負できる。どこが足りないかを考えさせて下さる。それがうれしい」
埼玉県秩父市出身でありながら、落語家になろうと決意した時によく聞いたのが、桂米朝、枝雀、笑福亭仁鶴ら“上方勢”だったとも。
若旦那のちょっとした仕草などには色気すら感じさせる。
「井戸の茶碗」ほか。真剣勝負のたい平をぜひ見てほしい。
やはり、良くも悪くも「笑点」の影響は小さくないということですね。
私のような「落語原理主義者」には、全く不要な部分ですが、先日の「三越薫風寄席」での「井戸の茶碗」でも、歌丸師匠や山田隆夫さんをネタに入れていました。
「何故あんな番組に出るんだ!」
「いつもテレビで見ているわよ~!」
いずれも生の真実の声だと思います。
でも、ある意味では、幸せな悩みなのかもしれません。
圓窓師匠もかつては「笑点」のレギュラーだった時期があります。
私が師匠の名前と顔を覚えたのは、この頃テレビを見ていたからだったというのは、紛れもない事実です。
長じて大学で落研に入部し、先輩から「圓窓師匠には、わが落研は大変お世話になっているんだよ」と聞いた時に、「あぁぁ、笑点に出演している噺家さんだ・・・」と思いました。
知名度を上げるという点では、テレビの力は大きいものがあります。
師匠は、今は完全に"卒業"されて、出演していたことすら仰ることはありません。
色物ではなく、落語そのもので「圓窓五百噺」という前人未踏のプロジェクトを完遂されましたから、「元笑点メンバー」なんていう肩書は不要になったのだと思います。
たい平さんも、これからの落語界を背負って行くべき噺家さんの一人だと思いますから・・・。

2012年5月13日 (日)

落語っ子連稽古会

五月晴れの好天の日。
今回は朝9時からの(早朝)稽古でした。
落語っ子連稽古会
師匠も朝早くから来てくださいました。
朝9時なんて、噺家さんにとっては「夜明け前」「真夜中」ぐらいだと思いますが・・。
落語っ子連稽古会 落語っ子連稽古会
初めて「古石場文化センター・第2和室」で行いました。
参加者は、まど深・まど音・窓口・越児・流三と、今月から正式にご参加の「K」さんの6名です。
落語っ子連稽古会
まず、新メンバーの「K」さんの名前が決まりました。
鉱物資源関連のエンジニアだったこと、ご本人から「千三つ」の商売だと言われていたということから、師匠が「"せんみつ"でいいじゃないか」と、字を「仙三」と書きました。
「せんざ」ではなく「せんみつ」と読むのがミソです。
落語っ子連稽古会
稽古は以下の通りです。
  ◇ 目黒のさんま         三流亭まど深
  ◇ 天狗裁き            三流亭越児
  ◇ 町内の若い衆         三流亭仙三
  ◇ 片棒              三流亭窓口
  ◇ 鬼子母神 藪中の蕎麦    三流亭流三
落語っ子連稽古会 落語っ子連稽古会 
今日は、9時から12時までの3時間借りましたが、一通り稽古が
終わったのは、11時45分ぐらいになっていました。
大変充実した稽古だったと思います。落語っ子連稽古会
今回は、試しに借りてみた第2和室ですが、稽古場としては十分使えると思います。
6月の稽古日は、第2・4日曜日の【10日】と【24日】と決定。 
落語っ子連稽古会
朝早かったから、ちょっと疲れました。
仙三さんと窓口さんと三人で、深川不動の表参道入口近くの店で食事をして帰宅・・・。

五月晴れ

文句ない五月晴れ。
五月晴れ 五月晴れ
今日はこれから稽古会。

落語はやおき亭

稽古に出かける支度を始めながら・・・。
   ◇ 源平盛衰記    十代目 桂文治
今年十一代目を襲名する平治さんも十八番にしています。
音源は、桂伸治時代のものだそうです。
この師匠が亡くなって8年ぐらいになるのでしょうか?
それにしても、とても良いテンポでポンポンと、客席も大爆笑です。
この頃がピークだったかもしれません。
平治さんもお可笑しいですが、文治師匠譲りだということがよく分かります。
今年は、この「桂文治」と上方の「桂文枝」の大名跡が甦ります。
"祇園精舎の鐘の音 諸行無常の響きあり・・・"

文七元結聴き比べ

遂に「文七元結」の聴き比べ。

Photo_4

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      ◇ 文七元結     三遊亭圓生
   http://www.nicovideo.jp/watch/sm5230523
◇ 文七元結     古今亭志ん朝
   http://www.nicovideo.jp/watch/sm4547165
Photo_6

比べてどうのこうのという次元ではありません。
落語の中の落語「文七元結」を、昭和の名人二人で聴くという贅沢な・・。
この財布を投げ捨てようと右手を上げた後で、握った財布をもう一度見直すシーンは、芝居の世界で三木のり平さんに鍛えられた、志ん朝師匠ならではの演出で有名です。Photo_8
実は、私も「浜野矩随」で、若狭屋から縁切金として受け取った5両を叩きつけようとする場面で演ってみました。
こういうのっていうのは、演者にとっては何とも言えない快感なんです。
恐らく、独り善がりなんだと思いますが、それでも良いんです。
訳ありの金が語る意味を、自分なりに咀嚼した表現にしたいものです。

落語DEデート

今日は落語っ子連の稽古会ですが、朝早く9時から。
いつもより早起きしないといけませんが、日曜日の朝はいつも早起きですから。
  ◇ やかん    林家彦六
昭和56年の録音だそうで、もうかなり高齢になっていましたから、非常にテンポのゆっくりした「やかん」です。

2012年5月12日 (土)

銀座線新車両

やっと当たりました
と言っても、宝くじではありません。
銀座線新車両
東京メトロ銀座線に、最近登場した新車両です。
まだ1編成しかないようなので、なかなか巡り会えませんでしたが、今日やっと当たりました。
鮮やかな黄色系のボディーカラーと、最先端技術がセールスポイントだとか。
銀座線新車両
駅ホームに到着する直前に、車内灯が消えて、非常灯が点灯していたのも、今や懐かしい‥。

土曜日のオフィス街

これほど平日と土日とで景色がちがうものかと…。
土曜日のオフィス街
昼休みに、いつも朝行っている「がぶ飲みカフェ」の違う(近隣の)店に入ったところ、12時15分にもかかわらず、客はゼロ・・・。
土曜日のオフィス街
結局、店内にいる間に入ってきた客は2人のバアサンだけでした。

がぶ飲みコーヒー

本日は、土曜日ながら出勤日。
がぶ飲みコーヒー
先日は、一杯1,575円の「珈琲」をゆったりと味わいましたが、今朝は毎朝通勤途上で立ち寄る「がぶ飲みカフェ」の「コーヒー」を・・・。
先日地下鉄の出口で配っていた50円割引券を使い130円也。
・・ということは、先日は、がぶ飲みコーヒー約10杯分か・・・。

お江戸あおば亭のお客さま

6月9日の「お江戸あおば亭」には、OBが25人ぐらい参加してくれそうです。Fw:写真
とすると、一般のお客さまも35人ぐらいはお招き出来ます。
いつもご来場くださるご贔屓はじめ、皆さまに告知やご案内をしようと思います。
    

珈琲

「コーヒー」と言うより「珈琲」と言いたい話題。
Photo_2連休最後の日に「三越薫風寄席」が終わってから、三越新館4階にある「宮腰屋珈琲」に行きました。
以前にも行ったことがありますが、高級珈琲(喫茶)店です。
グルメサイトを見ると、こんな投稿がありました。
日本橋三越新館4Fにある珈琲店。
地下には珈琲豆販売店もあります。
本店は北海道札幌。
日本橋が見下ろせるロケーションで買物に疲れた時の休憩にピッタリ。珈琲とケーキのセットが人気のようですが、ここはストレート珈琲をお勧めします。
スタバなどアメリカ系の珈琲店のがぶ飲み出来るサッパリした薄い味の珈琲が流行っています。
しかし、ここ宮越珈琲店の珈琲は香も味も強い昔ながらの一杯です。
色も濃く、濃度がありネットリした感のある珈琲です。Photo_3
一杯で十分に満足出来る珈琲を飲んで下さい。
ただ値段が高いのが欠点です。
場所代が高いのかストレート珈琲は安くても1000円以上します。

ゴールデンウィーク特別メニューは、ケーキセットが1,680円。
これは、「ブルーマウンテンNo,1」というコーヒーと、10種類ぐらいから選べるケーキがセットになっています。
「ブルーマウンテン・・」単品では、1,575円だそうです・・
・・・ということは、ケーキは105円ということになりますね。
店の人に、何がNo.1なのか尋ねたら、酸味・苦味・香りのバランスが人気トップの品なんだそうです。
ケーキとの価格ではとてもアンバランスだとは思いますが、バランスの取れた珈琲なんですね。
三越4階から飛び降りたつもりで、モンブランをセットで注文しました。
私が至福を感じたか、贅沢と見たか、勿体ないと思ったか・・・?
随分水をお替りしました・・・

紫檀楼古木

これまた珍しい噺の「紫檀楼古木(したんろうふるき)」。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm8120600
紫檀楼古木(1767~1832)は
歌師。
Photo霊岸島白銀町または内神田に住み、大工職であったが生計立たず、羅宇竹(らおだけ)のすげ替を業として市中を歩いた。
狂歌を朱樂菅江(あけら かんこう)に學び、また近隣に住む六樹園の門人らと交通した。奇人で家事に頓著せぬため赤貧であったが、狂歌にのめりこみ、遂に妻から離別を要求されたという・・・。

ある御宅で声が掛かり、銀のキセルの掃除を頼まれた。
降ろした箱から小さな腰掛けを出して、どっかり腰を下ろし、仕事に取りかかります。
今戸焼きの小さな火鉢を取り出し、その中にタドンがいけてある。
熱くなっている灰の中に雁首を入れ、ジュージューヤニが溶け出したのを見計らい、取り出してボロ切れでラオを巻いて雁首は樫で出来た万力に挟んで回すと外れる。
吸い口も同じように外す。
雁首と吸い口を掃除し、サイズの合った新しいラオを暖め雁首にはめ込み、吸い口もはめ込み才槌でキツく一体化する。
接合部の漏れを確認するため、火皿を指で押さえ吸い口から2.3回パッパっと吸って「ハイ出来ました」とお女中に渡した。

御新造さんに、「汚たな爺が吸い口を吸ったから、お湯をかけてきます」とご注進におよんだ。
「そんなに汚い爺さんなの」
「汚な国から汚いを広めにきたようなお爺さんです。ウソだとお思いだったら、窓の下にいますからご覧なさい」
「本当にねェ~」。
それを聞いていたラオ屋さん、スラスラ筆をとって女中に手渡した。
それを見た御新造さん、いい手だと誉めておいて、読むと、
牛若の御子孫なるか御新造が我をむさしと思い給ふは
「私がね、爺さんのこと『むさい』と言ったので、牛若になぞらえて詠んだもので、見事なもんだわ」。
御新造も墨を擦って返歌を詠んだ。
それを見た古木もいい手だと誉めておいて、読むと、
弁慶と見たはひが目か背に負いし鋸もあり才槌もあり
「わしの道具に引っかけたのは上手いものだ」と、その即詠に感じ、また返したのが、
弁慶にあらねど腕の万力は、きせるの首をぬくばかりなり  ふるき」。

それを見た御新造さん、”ふるき”の署名を見てびっくり。
ただのラオ屋さんでなく狂歌の大宗匠だとビックリ。Photo_2
このまま返すのは失礼であるからと、陽気が寒くなってきたことだし、亭主のための綿入れの羽織を着て貰おうと女中に持たせた。

追いかけて、古木に渡そうとすると、丁重にお礼を述べ、「御新造によろしく伝えてくれ」と伝言し、
「羽織を着ていなくても、この荷さえ有ればなぁ充分、
『(売り声で)はおりやァ~~、きてェ~るゥ』」。

狂歌のような言葉遊びの噺というのは、大変格調も高く、演る方は面白いかもしれませんが、聴き手を掴むのは難しいと思います。
ましてや、ラオやキセルなどというのは、ほとんど分からなくなりつつありますから・・・。
確か、「朝日名人会」だったと思いますが、圓窓師匠で聴いた記憶があります。
私は、こういう噺は好きですよ。

お江戸あおば亭のめくり

めくりをお願いした「H」先生から、ご快諾のメールを頂戴。

東北大学落語研究部OB会の気迫には圧倒されます。
1年先まで決まっているのですから・・・。
「8枚のめくり」は確かにお引き受けいたしました。
今日、寄席文字教室がありましたので、その折に先生に「お江戸あおば亭」のスケジュールを話したところ、その意気込みに感心していました。
「めくり」は6月6日か7日に引渡しが出来るようにがんばります。
寄席文字の「春亭右乃香」師匠に師事されている方です。Photo
右乃香師匠は、昭和62年橘流寄席文字家元・橘右近に入門。
寄席文字を習得し、平成6年、「橘右乃香」の名前を許される。
師没後、平成13年に橘流より独立し、名を「春亭右乃香」と改める。
現在、東京・浅草にある『木馬亭』の看板、めくりの他、落語会のめくり、ポスター、また表札などを筆耕している方。

2012年5月11日 (金)

薄暮

立夏も過ぎて、随分日が長くなりました。
薄暮 薄暮
夕方6時半前の銀座4丁目交差点。
行き交う仕事帰り(であろう)人々で賑わっています。
交差点のもうひとつの角にある某自動車メーカーのギャラリーには、先日発表されたハイブリッド高級セダンが展示されていました。
無駄に大きな車が、ハイブリッド車とはいえ、果たしてどれだけ受け入れられるか・・・。
相変わらず、つり目でずんぐりした、個性のない金太郎飴のようなスタイルを見て、昔の車は楽しかったと思います。
良くも悪くも、一目見れば「○○の■■」というのが分かりましたが。
デパートの壁には、「母の日」の幕が掲げられています。
13日は「母の日」なんですね・・・。
ふと、田舎の両親のことを思い出す黄昏の銀座の街角・・・。

活断層

いまや日本列島はズタズタです。

富士山については、先月も新しい断層が見つかったとかいう記事がありました。
この活断層で地震が発生すると、富士山が崩落する懸念大だという・・・。
昔、先代の圓楽師匠が二つ目時代に「全生」と名乗っていて、お相撲さんには喜ばれるが、火事場に行くと大変だったと、マクラで仰っていましたが、一番弟子の「鳳楽」師匠が富士山麓に行くと・・・。
確か、静岡放送のラジオでレギュラー番組を持っていたはず・・。
余計な心配ですが・・・。

佐々木政談・猫定

連休中に聴いた圓生師匠の噺のことを語ります。
「佐々木政談」と「猫定」です。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1185285Photo_28
嘉永年間に南の町奉行へ、佐々木信濃守と言う方が職につきましたが、調べのお上手な誠に活発な方で、賄賂、これはどうも甚だ良ろしくない風習であるから、こういう事は、絶対に止めさせたいがどうも、正面を切って賄賂を取るなとも言えないから何か、意見をする様な事は無いかと、御非番の時には色々、姿を変えて町を見回ると言う。
今日も、田舎侍と言う出で立ちで小紋の短い羽織を召して、三蔵と言う伴を一人連れて役宅、数奇屋橋御門口から銀座に出、あちらこちらと町の様子を見ながら歩いていると、子供が大勢ぞろぞろぞろぞろ、二人の子供が両手を結わえられ、縄を持った子供が手先と見え、先に棒を持った者が立って、「ほうほう寄れ寄れ。これこれ、邪魔だ邪魔だ寄れ寄れ」と、奉行ごっこが始まった。
四郎ちゃんが奉行で、ござを轢いてお調べに入った。
立ち見している佐々木信濃守と同じ名前で始まったが、邪魔だとその本人を追い立ててしまう。
お調べは頓知頓才で一件落着。
子供達は明日も四郎ちゃんが奉行でまたやろね~と解散。
見ていた佐々木信濃守は親、町役同道で南町奉行に出頭しろと三蔵に言いつけた。
この話を聞いた親の桶屋高田屋綱五郎はびっくり、家主太兵衛をはじめ、町内もひっくり返る様な騒ぎになった。
青い顔の親父を筆頭に全員白州の上に控えていると、佐々木信濃守が着座。
みんなビクビクの中、お調べが始まった。
四郎吉の遊びの中の裁きが良かったと褒めるが、そんなのは上から下を見ながらだから簡単だという。
「これから奉行の言う事に答えられるか」
「上下に座っていたのでは位負けするので、そこに並んで座れば答えられる」
許しが出たので並んで座る。
「夜になると星が出るが・・」
「昼にも出ているが、見えないだけだ」と、まずは一本取られる。
「その星の数が判るか?」
「このお白州の砂の数が判りますか?」
「何故」
「手に取れるものの数が判らないのに、手が届かない空の星の数など判らない」
また一本。
「しからば、天に昇って星の数を数えている間に、白州の砂の数を数えておくが、如何か」「そんなの訳無しのコンコンチキ」
「訳無しのコンコンチキ?」
「初めて行くので、宿屋切手と案内人を付けてください」
またまた技あり。
褒美にと三方の上に饅頭を山積みして、食べても良いと差し出す。
「何かを買ってくれる母親と、小言をくれる父親とどちらが好きか?」
「こーやって、二つに割った饅頭、どちらが美味いと思いますか?」
「う~ん」
「これが頓知頓才」。
「四角くても三方とは?」
「一人でも与力と言うがごとし」。
「では、与力の身分は」
懐から起きあがり小法師を出して「これです」
「これとは?」
「身分は軽いが、御上のご威勢を笠に着てピンしゃんピンしゃんと立ちます。その上、腰の弱い者です」。
与力は下を向いてイヤな顔をしている。
「それでは与力の心はどうか」
「天保銭を貸してください」その銭を、起きあがり小法師にくくりつけて放り出した。
「銭のある方に転がっている」。
ひどいすっぱ抜きで、与力が驚いたり、怒ったり。Photo_29
「座興で、嘘だ」と、座を納める。
綱五郎そちは幸せ者である。これだけの能力を桶屋で果てさせるのは惜しい。
15才までそちに預けるが後は私が召し抱えて近従にさせると言う。
出世の道が開けたという、佐々木政談でした。
これは、「佐々木政談」「池田大助」と言った方がポピュラーだと思いますが、圓窓師匠は、オチのないところへオチを加えて「桶屋裁き」としてお演りになっています。
先日、この「桶屋裁き」の高座本をいただきました。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm10721715
Sin_nekoduka_s八丁堀玉子屋新道 の魚屋定吉は本業が博打打ち。
朝湯の帰り三河屋で酒を飲んでいたが、悪さをして困るという黒猫を殺されるところをもらって帰る。
猫と一人話をしながら丁半博打を話して聞かせる。
「壺の中が分かるなら教えてみな」と試すと、「にゃご」と一回鳴くと”半”、「にゃご、にゃご」と二回鳴くと”長”、の目が出ている。
猫も恩を感じて教えてくれるのだと思い、賭場に行くときはいつも 黒猫”クマ”を懐に入れて行く。
当然いつも勝つ様になって、羽振りも良くなり回りも兄ぃとか親分と呼ぶ様になったが、あだ名を猫の定吉で「猫定」と呼んだ。
ある時江戸をふた月ばかり離れなくてはいけなくなり、女房に猫を託して旅に出る。
”旅の留守家にもゴマの灰が付き”で、若い男を連れ込んで女房”お滝”は楽しんでいた。旅から戻った定吉はある日、愛宕下の藪加藤へ猫を連れて遊びに出かける。
留守宅では女房が男を引き入れ、亭主を殺して一緒になろうとそそのかす。
その晩は猫が鳴かないので早めに切り上げ、雨の中愛宕下から新橋に抜けて近道をしようと真っ暗な采女が原を抜けるとき、小用を足していたら、後ろから竹槍で有無を言わさず刺され、鯵切り包丁でとどめを刺され殺されてしまう。
その時胸元から黒いものが飛び出した。雨は激しさを増してきた。
留守宅で女房は事のいきさつを心配していたが、引き窓が開いて黒いものが落ちてきた。「ぎゃ~」と悲鳴を上げた。
その声を聞いた長屋の者が台所で死んでいる女房を発見。
朝には定吉の死を知らされる。
采女が原に見に行くと隣に間男が首を食いちぎられ死んでいた。
定吉の死骸を引き取って、女房と二人のお通夜をする。
長屋の連中が居眠りを始めると、棺の蓋が開いて、二人の死骸がすさまじい形相で立ち上がった。
恐れをなしてみんな逃げ出したが、あんまの三味(しゃみ)の市だけは見えないので平然と線香を上げている。
そこに長屋住まいの浪人が帰ってきて、事の様子をうかがい棺の向こうの壁を刀で突くと「ぎゃ~」。
隣の空き部屋を覗くと黒猫が息絶えていた。
手には間男の喉元を持っていたので、主人のあだを討った忠義な猫だと評判になった。御上から25両の褒美が出て、両国回向院に猫塚を建てた。
猫塚の由来という一席。

確かに・・、地語りの部分は、まっすぐ正面を見て語っている。
これが、圓窓師匠が仰っていた、特に人情噺を演るのに必要なことなんですね。
両国の回向院にある鼠小僧次郎吉の墓隣にあるのが「猫塚」です。
博打打ちが実質的な主人公で、女房も含めて登場人物は悪人が多くて、殺人の場面がある陰惨でグロテスクな噺ですから本来なら、個人的には嫌いなパターンの噺なのですが、何故か演ってみたい噺のひとつになっています。
何故でしょうか・・・。

 

僕、ぼく、ボク・・・

以前、古今亭志ん輔師匠の落語会でのこと、前に上がった同じ古今亭の二つ目さんが、マクラで自分のことを「ボク」と言っていたのを志ん輔師匠が聞いていて、後で上がって開口一番厳しく糾弾していました。
Photo_3確かに古典落語の一人称には「ボク」というのは違和感があります。
本題ではなくマクラの中だから・・・という点はあるかもしれませんが。
最近は、柳家花緑さんや、新作中心の噺家さんで、「ボク」と言う人が多くなっている気がます。
ところで、「宗珉の滝」を聴いていて、何と古今亭志ん朝師匠が、うっかり(?)「ボク」と言ってしまった部分がありました。
その瞬間、志ん朝師匠は明らかに動揺しながらも、とりあえずその場を取り繕っていました。
圓窓師匠も、例えば、いつも「トイレ」なんて言っていると、長屋噺の途中でつい「ト・・」と出て来そうになるから、普段の生活から「はばかり」って言わないと・・、なんて仰っていました。
三遊亭鳳楽師匠の「ねずみ穴」での、「バラック」なんていうのも、その類でしょう。
ところで、志ん朝師匠といえば、「花見の仇討」で、「六部(三十六部)」のことを、「ろくぶ」と言わずI「りくぶ」と言ってしまったという逸話もありました・・・。
色々ありますね。

宗珉の滝

志ん朝師匠の「宗珉の滝」という、これまた珍しい噺。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm9400560
このプログでも、以前触れたことがあります。
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2011/09/post-7d5e.html
Photo_3腰元」という言葉は身のまわり、というほどの意味で、そこから身辺の世話をする仕事や、刀剣の付属品を意味するようになった。
腰元彫りは刀剣装飾品を彫刻することおよび、その金工職人のことである。金工職人は釘隠しや襖の引手も細工するが、多くは刀剣装飾家であった。主な金工の家は後藤家で、横谷宗珉の父宗与は後藤家の門人かつ幕府の御彫物役だったという。
Photo_4
かし宗珉は自分自身の題材、材質、形、工夫で表現することを目標とし、幕府の役を離れた。
そして小柄、目貫など刀剣装飾の分野で虎、獅子、牡丹などを彫刻し、町彫りの祖と言われて町人に親しまれるようになったのである。
廃刀令が出た後も日本の金工は海外で知られるほどの技量があったが、その背景には、町彫りとして煙管、かんざし、根付けなどの彫刻にも打ち込んできた歴史がある。

「竹の水仙」や「抜け雀」とも一脈通じる噺です。
水仙は「左甚五郎」、雀は誰とも特定されてはいませんが・・・。
横谷宗珉の弟子、宗次郎が勘当されて、紀州は熊野権現前の旅籠、湯浅屋に流れ着き、無一文がばれて、主に宿賃のかわりに彫金をするように言われる。
虎を彫ると、主は「死んでいる」と宗珉と同じことをいう目利きだった。

紀州和歌山藩留守居役八百石の木村又兵衛が泊まり、細工している音を聞きつけて、藩主紀州中納言様直々「那智の滝を彫れ」の註文が出る。
主が水垢離、精進潔斎してからというのに、少し慢心してきていた宗次郎は酒を飲みながら、仕事をする。
見事なものが出来たが、殿様は沓脱ぎに叩きつける。

もう一度と作ったのは、泉水に投げ込まれた。
それでも、もう一度という註文に、宗次郎は滝に入って、二十一日間断食して、仕事にかかる。
主も水垢離をとり、断食。

八日目の朝、前のより落ちると思われるものが出来たが、宗次郎は納まらなければ、腹を切るという。
殿様は「これぞ名工の作、見事じゃ」。

納得できない湯浅屋が、滝の図の鍔を手にすると、手が濡れてきて、紙の上に置くと、紙がしめってきた。
宗次郎は百石で紀州家お抱えとなり、後に二代目横谷宗珉となる。
こういう名人噺も好きですねぇぇ。
かなり以前に、立川志の輔さんのを聴いた記憶があります。

2012年5月10日 (木)

「お江戸あおば亭」のめくり

いつもめくりを書いてくださっている「H」先生にお願いしました。
    
写真は、前回(昨年10月)の時に書いていただいたものです。
  【めくりの内容】
  ① お江戸あおば亭 
  ② 南亭蕪生
  ③ 桂友楽
  ④ 談亭志ん志
  ⑤ 仲入り
  ⑥ 恋し家古狂
  ⑦ 金願亭乱志
  ⑧ 喰亭寝蔵

                     ・・以上、今回は合計で8枚。
下は、前回のめくりの勢ぞろい・・。
     
     
     
     
ご贔屓の皆さまの温かいご支援により、この落語会も4回目を数えることができます。

能狂言

連休中の4昼下がりは、圓生師匠の「能狂言」も聴きました。
珍しい噺の部類ですが、大名の噺と旅噺(二人旅)がミックスされたような噺。
お国詰めになって江戸から戻った殿様が、江戸で見た能狂言がたいそう面白かったので、端午の節句の家臣で演じるよう申し付けた。
能狂言を知らない家中の面々は断るわけにもいかず、誰か国の中で知る者がいれば教わろう、と「能狂言を知る者は申し出るように」という高札を出す。
たまたま通りかかった江戸から来た旅回りの噺家が茶屋でこの高札を見て「こんなものも知らないのか」と話していると、役人に捕らえられて城内に連行されてしまう。
能狂言を教えてくれ、と家臣一同に乞われた二人も、じつは一度見たきりでろくに知らない。そうこうしているうちに能舞台の普請も出来上がり、二人は困りながらも ごまかしで芝居の『忠臣蔵』の「五段目」を能狂言風に演じる事にする。
囃子の笛や鼓・太鼓もない、と聞いて、家臣に音色の口まねをさせて、どうにかこうにか始めるのだが・・・。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm12018885
Photo_2落語によくあるパターンの、知らないと言えず、どんどん深みにはまって行くというもの。
「転失気」「松山鏡」「勘定板」だとか・・・・。
ただ、この噺の圓生師匠のオチが面白い。
「やるまいぞ、やるまいぞ、やるまいぞ、やるまいぞ・・・
」と、高座を立って、下手に引っ込んで行くのです。
普通の人は、やるまいぞ、演るまいぞ・・・。

日本の安全

最近、色々と心配な日本の「安全」について、それを暗示するような話題をひとつ・・。
地下鉄千代田線霞ヶ関駅を上がった所、「イイノビル」の前が、「経済産業省」の総合庁舎です。
当然のことながら、庁舎前には案内版が掲げられています。
    日本の安全
近くによって見ると・・あれ?  ちょっと拡大してみると・・。
    日本の安全
今、何かと批判や疑念の中心になっている「原子力安全・保安院」の表示が・・・?
さらに拡大してみると・・・。
    日本の安全
「力」の字が傷つけられて、半分消されてしまっています。
恐らく、心ない輩の仕業でしょうが、こういう類の悪戯には、その対抗手段としても、すぐに直しておかないといけないと思います。
コスト云々の次元ではありません。
(尤も、このお役所、戦々恐々としていてかもしれません。)
袈裟懸けにされて「力」がなくなり、隣の「安全」が脅かされている図を放っておくなんて・・・。
やはり、日本の安全は、危機に瀕しているのでしょうか。
「原子力危険・不安院」・・・。

2012年5月 9日 (水)

26万件

どうやら、本日「26万件」を無事通過しました。
ツツジ 
これからも、日々の落語徘徊の記録と独り言を続けます。
ツツジ
ご愛読に感謝します。

会報「あおば亭」の原稿

走れ家駄馬師匠から、桂友楽師匠の原稿を受け取りました。
会報「あおば亭」の創刊第2号の編集にも、そろそろ着手しないといけません。

猫怪談

ほとんど演る人のいない、聴いたことのない噺。
ところが、学生時代の持ちネタのひとつという・・・。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm5298785Photo_8
深川蛤町の裏長屋に与太郎が住んでいたが、育ての親の親父が死んでしまった。
線香も買えず、その支度準備が未だ出来ていないが、早桶だけは準備出来ていた。
大家さんの所の菜漬けの樽で、人の樽を勝手に使うなと言うと、「ヒト樽だからいい」。
借りるのではなく、買って一段落。
大家さんが一通りの手配をして、お寺の場所を確認すると、谷中の「瑞林寺」だという。
お金がないから早々に通夜も済ませ、与太郎が後棒、月番のラオ屋の甚兵衛さんが前棒、大家さんが提灯持ちという出で立ちで、四つ(今の夜10時)に担ぎ出した。
Fw:d'dy
上野の「いとう松坂」に差しかかったのが、もう九つ(12時)。
そこを右に曲がって、「三枚橋」、「池之端」にかかり、「七軒町」を通って「谷中」に抜けるのが近道。
Fw:d'dy
旧暦11月、寒く霜柱を踏みしめながら池之端を抜けるころ、恐がり屋の甚兵衛さんは、時間が時間なので恐くてしょうがない。
Fw:d'dy
与太郎に脅かされながら担いでいたが、肩に食い込む痛さに肩を変えてくれと頼んだ。
与太郎、加減を見て持ち上げれば良かったのを、思いっきり放り上げるように持ち上げたので、縄がヤワになっていたのか、底が抜けて仏様が飛び出してしまった。
その上、桶が壊れてしまったので、直そうとしたが、タガまで切れてバラバラになってしまった。
近くの「仲町」ではダメなので、「公徳寺前」まで早桶を買いに行く事になった。
一方、一人残された与太郎は、仏様を寝かせて、その隣にぼんやりと座っていた。
前は不忍池、その後ろは上野の森。
夜の水は不気味なものだが、その奥に黒くたたずむ弁天堂が見えようと言う場所。
そこに風が吹いて、枯れアシがガサガサと音を立てる、その風が上野の森に渡っていき、ゴ~~っと唸っているが、馬鹿の与太郎でもいい心持ちはしない。Photo_9
死んだ親父に語りかける与太郎さんだが、5,6間先に何か黒い物が横切った。
そのとたん、仏様が動き始め正座をして与太郎に向かって「イヒヒ」と声を発した。
ビックリして、殴ってしまったら、仏様は横になってしまった。何か言い足りない事があったら聞くから、もう一度起きあがってくれと頼んだ。
今度は立ち上がって、ピョンピョンと跳びはねたので、「お父っつぁんは上手」と手囃子して騒いでいた。
その時、強い風が吹いてきて、風に乗って行ってしまった。
大家さんと甚兵衛さんはその声に気づいて与太郎さんの元に帰ってきた。
事の顛末を聞いてあきれる大家さんだが、甚兵衛さんはふるえが止まらず「抜けてしまいました」の言葉だけ。
「何が、抜けてしまったのだ。今、買ってきたばっかりじゃないか」と大家さん。
甚兵衛さん「今度は私の腰が、抜けてしまいました」。

これがオチなのかなぁぁ。
私が参考にさせてもらったのは、入船亭扇橋師匠でしたが、圓生師匠からのものだったようです。
腰が抜けたと言った後で・・・、
「えらい騒ぎで、この死骸が翌日、七軒町の上総屋という質屋の、土蔵の釘にかかっておりまして、ここで、また早桶を買う、ひとつの死骸で三つの早桶を買ったという、谷中奇聞”猫怪談”でございます」。
って、演っていました。勿論、私もそうしました。
怪談噺は夏の特許で、この噺のように真冬の怪談噺は少ないし、与太郎が主人公というのも珍しいと思います。
この噺は、構成上長い話の一部分と思われています。
「谷中奇聞」というのですから、その前半部分なのか中段なのか、はたまた後半なのか?
何故、こんな噺を演ったかと言いますと、扇橋師匠の与太郎が物凄く気に入ったのと、その与太郎の台詞「お父っつぁん、なんで死んじまったんだよぅ・・・」に、涙が止まらなくて。
「佃祭」でもそうでしたが、愚かしい与太郎の素直な言葉が、多くの人が忘れている人間の本質を突いているからだと思います。
Fw:d'dy
この噺、学生時代に一度演っただけですが、恥ずかしいことに、当時は、「谷中」「七軒町」「公徳寺前」も、「不忍池」との位置関係など全く知らずに演っていました。
谷中の「瑞輪寺」は、日蓮宗の名刹だというのも、社会人になってから知りました。
場面設定すら出来ていないのですから、酷いものだったと思います。

2012年5月 8日 (火)

フランス大統領

フランスの大統領選挙で、現職が負けて、その座をサルコジ(去ること)になりました。
ところが、新大統領も長くなく、秋までは持たないかもしれないと、日本人から言われているそうです。
「盆から先ゃオランド(おらんと)」、せいぜいお盆まで・・・・。
親密なドイツ政府も選挙の勝敗の読みを誤ったようです。
首都ベルリンでは、現職勝利と見ていたようですが、「ボンから先ゃオランド」だったとか・・・。
ドイツの首相は結果を知って、「メルケル(目から)鱗でした」って。
歴代フランス大統領も、ドゴール(怒号)渦巻く中で、シラク(知らん)顔してミッテランを決め込んでいるのディスカールデスタン(でした)・・・

そろそろ26万件

26万件アクセスが近づいて来ました・・・。
5月10日頃でしょうか・・・?
ありがとうございます。 m(_ _)m

水神

「君の名は」で有名な菊田一夫作の「水神」という、圓生師匠の為に創作されたという噺。
水神
http://www.nicovideo.jp/watch/sm6646793
三囲(みめぐり)神社の縁日の晩、三十格好の男が2ヶ月ぐらいの乳飲み児を抱いて、おろおろとしていた。

空腹とみえて、激しく泣き続ける児をあやしきれずにいた。
黒っぽい着物姿で、露天商いをしている二十五・六の人格の良い美しい娘が、みかねて声を掛けてきた。
娘のお乳を含ませると、がつがつと飲んで安心したように眠りこけてしまった。
女房は亭主の私の働きが悪いのにあきれて、この子を置いて何処かに行ってしまった。
 
お乳をほしがるので心当たりを探していたので、お礼にお名前を教えて欲しいと言うと、「こう」だと言う。
「お幸さん、ですか。良い名前ですね。一生涯忘れません。私は屋根職人の”杢蔵”(もくぞう)と言います」。
これからもお乳が必要でしょうからと、女は店をたたみ、児を抱いて、男を「水神の森」にある我が家へと案内した。
これが縁で女と男は一緒に住むことになった。Photo_7
お幸はを連れて縁日に出かけて商いをし、家ではかいがいしく杢蔵の世話をした。杢蔵は家族の幸せを感じ、生まれ変わったように屋根職人として真面目に働いた。
知らず知らずの内に小金も貯まって、幸せな日々が4年間続いた。
5年目のある早朝のこと、杢蔵が目を覚ますと、お幸がまだ寝床で眠ったままでいた。
初めて見るお幸の寝姿であった。
布団を掛け直してあげようと、その姿を見て驚いた。
お幸は、顔は人間だが、体はカラスだった。
杢蔵は化け物を蹴飛ばそうとしたが、これまで世話してもらった恩を考えるとそんな事は出来なかった。
気を取り直し、見なかったことにして、布団を掛け直した。
とその時、普段と変わらぬ姿で起きてきたお幸が、「見たでしょ」と。
杢蔵は「ん、チョイとだけ・・・」と言ったが、お幸は座り直して、自分の身の上話を語り始めた。
お幸は、水神さまのお使い姫の牝ガラスであった。
神様から頼まれて霞ヶ浦まで行ったが、若かったので途中で遊びほうけて、使いの事は忘れてしまった。
神様が怒って、野ガラスにするところを、5年間人間の女にして置くから、それが無事済んだら元の使い姫に戻してくれる事になっていた。
人間になったがどの様に生活すればいいのか分からなかったので、カラスになって山に入って果実や玉子などを採って、縁日で売って生活をしていた。
貴方の事も小梅の空から見て知っていました。
我が子を置いて居なくなった人間は何て非情なんでしょう。
ですから、この児を私が育てる決心をしたのです。
貴方の事も嫌いではなかったので夫婦になったのです。
貴方に私の正体を見られたので、5年にならないので、野ガラスになるでしょう。
どうか今のままでいてくれと、杢蔵は懇願した。
俺はお前が好きだからと頼んだら、この黒羽織の様な物を着れば一緒に行けるとお幸は言った。
子供の事を考えるとカラスになる勇気のない杢蔵は人間にとどまった。
お幸は一陣の風とともに去っていき、家もたちまち消え、カラスの群が舞っていた。
隣で寝ている子供を起こすと、水神に遊びに来ただけで、小梅の家に帰ろうという。
子供に聞きながら帰ると小綺麗になった家だった。
お幸はみんなには見えなかったが、充分すぎる程家族を守っていたのだと、杢蔵は思った。

勝手なもので、元の女房が尋ねて復縁をせがんだが、追い返してしまった。
それから男手ひとつで、一生懸命育て、十二の時浅草の呉服屋に奉公に出した。
二十三になった時、実力を認められて、大店の娘にと養子に入った。
杢蔵は独りになって、思い起こされるのはお幸のことばかり、水神に来てみるとカラスが群がって飛んでいた。
「枯れ枝に カラスの止まりけり 秋の暮れ」、よっぽど寂しくなったのか、お幸に逢いたさに黒い羽織を脇に抱えて、大屋根に昇った。
お幸の事を考えて、羽織に袖を通すと羽根になって、ふわりと大空に舞い上がった。
「おお、飛べる!飛べる! お幸~! おこう~~」。

圓生師匠の初演、昭和38(1963)年11月15日の芸術祭参加「第53回東京落語会」。
その後、昭和43(1968)年10月の「第112回東京落語会」でも演じているそうです。
後年、同じ東京落語会で、圓窓師匠もお演りになっていますが、ディテールは変えています。
オチのあたりの情景描写は、圓窓師匠の方がスケールが大きい感じがします。

2012年5月 7日 (月)

閏月

今年は夏季オリンピック開催の年で、「閏年」です。
手帳を見ていたら、今日5月7日は、「旧暦"閏"3月17日」とありました。
あれっ?「旧暦3月17日」は、「新暦4月7日」だったはず・・・。Photo
・・・ということで、今は「閏月」なんですね。
なんだかとってもややこしい。
今年は、旧暦では例えば3月17日は2日あるという訳ですよ。
そこで、太陰太陽暦の閏月についてちょっと調べました。
明治の初めまで使用されていた暦は、月の満ち欠けを基準として1月の長さを決めていました。
月の満ち欠けの周期は、多少変化しますが、平均して凡そ29.5日。
このため当時の月の長さは、小の月が29日、大の月が30日で、小の月と大の月がほぼ交互にやってきます。
現在は(2月をのぞくと)小の月が30日、大の月が31日ですから、同じ12ヶ月では、現在の暦と旧暦では長さが違います。
12ヶ月で1年とすると、旧暦の暦法ではおよそ、354日となり、実際の1年より11日ほど短くなってしまいます。
このままでは、何年かが経過すると、暦の月と季節が全く合わなくなって、日常の生活にも不都合なことが生じてしまいます。
このため約3年に1度、「閏月」を作り、1年13ヶ月となる年を設けました。
これによって、暦と季節の関係を調整したわけです。
今は、閏年というと2月が29日まであり、1年が366日となる年のことですが、旧暦では閏月の入る年を閏年といいました。
閏月の入らない普通の年(平年)は1年が353日~355日、閏年は384~385日になりました。  
閏月は、原則として二十四節気の「中」を含まない月とし、その前の月と同じ月名に「閏」とつけて呼びました。
例えば「閏五月」というようになります。
このような、「閏」の挿入の規則のことを「置閏法」といいます。
現在使用されている太陽暦の場合、閏月はありませんが、閏日が入ることがあり、この規則も「置閏法」と呼ばれます。
・・・ややこしい部分があるようですが、要は・・そういうことです。
そんなことも知らなかったのかい?って、生活する上では、ほとんど関係ありませんからねぇ。

人形買い

これもあまりポピュラーな噺ではありません。
圓生師匠の音源を見つけました。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm10565828Photo_5
五月人形というのは、端午の節句に、男の子の祝いとして飾られる人形類。
武者姿をしたものが多いので武者人形ともいう。2
種類には八幡太郎義家、佐々木高綱、日吉丸、鎮西八郎為朝、朝比奈三郎義秀、坂田金時、源義経などがあり、また二人立ちでは神功皇后・武内宿禰、牛若・
弁慶、山姥・金時、曽我兄弟、太閤・清正などがある。
さらに関羽、鍾馗など、和漢の歴史、物語、芝居などに登場する英雄豪傑を人形化したものがある。

江戸時代初期には、端午の節句に、模造の飾り冑を、そのほかの武具類や幟、吹貫などとともに屋外に並べ立てる風習があった。
圓生師匠の音源を聴いて感じるのは、かなり語りのテンポが早いということです。

長屋の神道者の赤ん坊が初節句で、ちまきが配られたので、長屋中で祝いに人形を贈ることになった。
月番の甚兵衛が代表で長屋二十軒から二十五銭ずつ、計五円を集め、人形を選んでくることになったが、買い方がわからない。
女房に相談すると、「来月の月番の松つぁんは人間がこすからいから、うまくおだててやってもらいな」と言う。
馬鹿正直な甚兵衛がそれを全部しゃべってので、本人は渋い顔。
行きがかり上、しかたなく同行することになったが、転んでもただで起きない松つぁん、人形を値切り、冷や奴で一杯やる金をひねり出す腹づもり。人形屋に着くと、店番の若だんなをうまく丸め込み、これは縁つなぎだから、この先なんとでも埋め合わせをつけると、十円の人形を四円に負けさせることに成功。
Photo_6
候補は豊臣秀吉のと神功皇后の二体で、どちらに決めるかは長屋に戻り、うるさ方の易者と講釈師の判断を仰がなければならない。
そこで、さっき甚兵衛が汚い人形と間違えた、青っぱなを垂らした小僧に二体を担がせて店を出る。
ところがこの小僧、とんだおしゃべりで、この人形は実は一昨年の売れ残りで処分に困り、だんなが「店に出しておけばどこかの馬鹿が引っかかって買っていく」と吹っ掛けて値段をつけた代物で、あと二円は値切れたとバラしたから、二人はまんまとだまされたとくやしがる。
その上、若だんなが女中おもよに言い寄るシーンを話し、十銭せしめようとするのでまたまた騒然。
帰って易者に伺いを立てると、早速、卦を立て「本年お生まれの赤さんは金性。太閤秀吉公は火の性で『火剋金』で相性はよろしからず。
神功皇后さまは女体にわたらせられるから、水性。水と金は『金生水』と申して相性がよい。神宮皇后になさい」というご託宣。
二人が喜んで帰ろうとすると、「見料五十銭置いていきなさい」
これで酒二合が一合に目減り。
講釈師のところへ行くと、「そも太閤秀吉という人は、尾州愛知郡百姓竹阿弥弥助のせがれにして幼名を日吉丸……」と、とうとうと「太閤記」をまくしたてる。
「それで先生、結局どっちがいいんで」
「豊臣家は二代で滅んだから、縁起がよろしくない。神功皇后がよろしかろう」
それだけ聞けば十分と、退散しようとすると「木戸銭二人前四十銭置いていきなさい」
これで冷や奴だけになったと嘆いていると「座布団二枚で十銭」
これで余得は何もなし。
がっかりして、神道者に人形を届けにいくと、甚兵衛が、ちまきは砂糖をかけなくてはならないからかえって高くつくという長屋の衆の陰口を全部しゃべってしまう。

神道者「お心にかけられまして、あたくしを神職と見立てて、神功皇后さまとはなによりもけっこうなお人形でございます。そも神功皇后さまと申したてまつるは、人皇十四代仲哀天皇の御后にて……」と講釈を並べ立てるから
松つぁん慌てて「待った待った、講釈料は長屋へのお返しからさっ引いてください」

この噺は、上方から三遊亭圓馬が江戸に持ち込んだものです。
圓生師匠ぐらいしかやらなかったようですが、ストーリー以前に、神功皇后がどんな人か、端午の節句の慣習などを知らないと、全然分からなくなります。

落語はイリュージョン

「銀座百点」という、銀座百店会刊行のタウン誌があります。
落語はイリュージヨン
私は、これと「うえの」を時々読んでいます。4月号に、立川志らくさんと、池内紀さんとの対談が載っていました。
表題からもわかるように、昨年亡くなった立川談志師匠のことが話題になっています。
まぁ、内容は、よくある、いかにも志らくさんというものですが。
色々なものにチャレンジしていた人だったことは間違いありませんが、観客や受け手へのアウトプットはあまり上手くなく、空回りしていたような気がします。
それがイリュージョンだというなら、そうだったのかもしれないと思います。

帯久

志の輔さんの「帯久」を聴きました。
長講です。http://www.nicovideo.jp/watch/sm3813380Photo_10
日本橋本町三丁目に呉服屋和泉屋与兵衛が住んでいた。
隣町本町二丁目に帯屋久七が住んでいた。和泉屋与兵衛さんは大変繁盛していて篤志家であったが、帯屋さんは陰気で売れなかったので、世間では”売れず屋”と呼んでいた。
帯屋さんは3月ごろ和泉屋さんの所に無心に来て、20両の金を借りた。
与兵衛は証文無しで期限も定めずに貸したが、20日程しないのにきちんと完済した。
5月には30両、7月には50両、9月には70両、と借りたがやはり20日ほどで返した。
11月には100両貸したがその月には返済がなかった。
12月大晦日、多忙な時に返しに来たが、久七と100両を残したまま、与兵衛はすぐ出掛けてしまった。
その金100両を盗んで久七は帰ってしまった。

店中探したが当然無かった。
ところが、帯屋はこの金を元手に大繁盛。
一方和泉屋は一人娘と妻を相次いで亡くして、享保6年12月10日神田三河町から出た大火事で本町三丁目まで焼け、全てを無くし気力を無くして床につくようになった。
番頭の武兵衛が分家をして和泉屋と名乗っていたが、こちらも落ちぶれて日雇いになっていた。
それでも主人を引き取って介抱し、アッという間に10年が経ってしまった。快復した与兵衛は還暦を迎えていた。

与兵衛は番頭の武兵衛に店を持たせようと、帯屋久七に金を借りに行ったが、悪態を付かれて店先に放り出されてしまった。
帰る意欲もなくして、帯屋の裏に回ると離れを普請していた。
そのカンナっくずにキセルを叩いた火玉が燃え移り煙が上がった。
放火の罪で町方に捕まってしまった。
役人が自身番で話を聞くと、篤志家の与兵衛のことは良く知っており、窮状に同情、不問にした上1両の金をみんなで出し合って家に返してやった。

これを聞いて激怒した久七の方では、今回のことが元で100両の一件が露見しては、と火付けの罪で与兵衛を訴えた。1
大岡越前守はそれぞれの様子から全てを見抜いたが、現行犯でもあり免罪する事は出来なかった。
与兵衛に火あぶりの刑を申し渡した。
そこで、久七に、「100両を返しに来たが主人が出掛けたので、間違いがあってはと持ち帰ったのを忘れたのではないか」と優しく尋ねる。
帯久があくまでも白を切るので、人指し指と中指を結び、「これは忘れたものを思い出すおまじないだ。勝手に解いてはならんぞ。解いたら死罪、家財没収。」と言い渡した。
帯久は指が使えないのでにぎり飯しか食えず、眠れず、とうとう3日目に確かに持ち帰って、忘れていましたと申し出た。
100両を返す。
奉行は利子として、年に15両、10年で150両を支払うよう命じる。
ただし100両は棚上げし50両だけをどの様に返すのか聞くと、帯久はケチって年賦として毎年1両ずつ返却するという許しを得、証文を作った。
これで損はないとほくそ笑む帯久。
火付けの与兵衛には火あぶりの刑の判決であるが、ただし50両の残金を全て受け取ってからの執行とのお裁き。
驚いた帯久がそれなら今50両出すと言ったが、越前にどなりつけられ渋々納得する。
「与兵衛、その方何歳になる?」
「六十一でございます」
「還暦か・・・めでたいの~」
「還暦の祝いにこのうえない見事なお裁き、有り難うございます」
「見事と言うほどではないのだ、相手が帯屋だから少々きつめに締め上げておいた」。

志の輔さんのオリジナルのオチです。
「今週の演目」なんていう番組があって、この噺が採り上げられていました。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm16889399
聴けば聴くほど、難しい噺だと思います。

2012年5月 6日 (日)

大荒れのGW

北海道の泊原発が発電を停止し、日本の原発は全て停まりました・・。
なんてバカな洒落を言っている場合ではありません。
このGWは、大雨・洪水・落雷・降雹・突風・竜巻・地震と、まあ、とんでもない連休になりました。
関越高速道のバス事故をはじめとする交通事故も頻発していたし、人災・天災のオンパレードでした。
あまり外に出ずに、部屋で落語を聴いていて正解だったかもしれません。
それにしても、竜巻のパワーと言うのも物凄いものですね。

思いがけない再会

三越落語会で素敵な人に会えました。
林家あずみさんですよ。
今日の「三越落語会」に林家たい平さんがご出演だということだったので、チケットを買った時に、「当日は、あずみさんも付き人で来ているのかなぁ」と、ふと思いましたが。
三越劇場の脇の階段を歩いていると、踊り場のところで、私の方を見上げている視線に気が付きました。
あずみさんも、声をかけようかと思ってくれたようですが、私が「あずみさん」と言うと、この笑顔で応えてくれました。
「乱志さん」って言ってもらい、オジサン大感激。
とても嬉しい再会でした。
持ち前の明るさで、元気で頑張っているようです。
早く、寄席の高座で美しい晴れ姿を拝見したいものです。
あずみさん、頑張れ
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2012/02/post-3692.html
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2012/02/post-7.html
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2012/02/post-10.html
下は、2月の「番外あおば亭」での高座の写真です。

三越落語会薫風寄席

本当に久しぶりの三越劇場でした。

通例の落語会は、平日の夜6時開演で、最初から聴くことが出来ませんが、年に何度か開催される特別企画の「薫風寄席」や「納涼寄席」などは、日曜日の午後1時からなので、行きやすいのです。
それにしても、「東京落語会」と並び、この老舗の落語会の観客の平均年齢の高さには驚かされます。

  ◆ 寄合酒      春風亭朝呂久
  ◆ 稽古屋      古今亭菊六
  ◆ 胴乱幸助    桂小南治
  ◆ 紺屋高尾    桂歌丸
  ◆ 井戸の茶碗   林家たい平
紙切りの林家二楽さんも出演していますので、小南治さんと兄弟共演です。
朝呂久さん、とても落ち着いてきて、うまくなりました。
菊六さんは、相変わらず良い雰囲気でしたが、三越劇場のジイサン・バアサンたちの反応は今一歩でした。
小南治さんは、小南師匠の十八番です。
昨年、何だったか賞を受賞しましたから、乗っている感じです。
「菜刀息子」が聴きたいです。
歌丸師匠は、喉の調子が良くないということでしたが、卒のない噺は健在。
圓生師匠譲り?とも思える地語りの癖、「・・ので」を連発していました。
トリのたい平さん。ちょっと言い間違いがあったりして、出来はあまり良くなかった気がします。
千代田卜斉が若すぎる感じも気になりました。
歌丸師匠もたい平さんも、そこそこ肝心な場所に「笑点」関連のくすぐりを入れて、それはそれは受けていましたが、どんなものなのでしょう・・・?
観客も求めるんでしょうね・・。
私は、何かこう興趣を削がれる感じがするのですが。
何故なら、お二人とも、そんなことで笑わせなくても、十分聴かせてくれているのですから。
ジレンマもあるんでしょうね。

落語はやおき亭

今日は、午後になると天気が下り坂になりそうだと・・。
そんなことは関係なく、朝から落語を聴いています。
たい平さんの冒頭の挨拶は、「おはようございます。"落語家の"林家たい平です。」と言いますが、何故「落語家の・・」なんて言うんでしょうか?
ま、そんなことはどうでも良いことですが。
  ◇ 野ざらし   三代目春風亭柳好
聴取者のリクエストで、三代目柳好師匠の歌・・でなくて噺。
ゴールデンウィークも終わります。
今日はこれから「三越落語会・薫風寄席」に行きます。
連休最後の唯一の?楽しみです。

三遊亭圓生の生涯

ニコニコ動画で、面白いものを見つけました。
5 落語資料映像「三遊亭圓生の生涯」という30分程度のもの。
画面に、視聴者のコメントが入るのがちょっと目障りですが、じぃぃっと、視てしまいました。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm12018885
若い頃の写真もあったり、当時の世相なども分かってよかった。
京須さんも若い!
そりゃそうです。30年以上前の映像ですから。
・・・それにしても、「圓生百席」・・欲しいなぁぁ。

香記の表装

昨年の11月に、「香道」を初体験しました。
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2011/11/post-90e1.html
伽羅香(聞香の会) 伽羅香(聞香の会)
Photo_2千早亭で一緒に稽古している早千さん(香道では別のお名前です)に薦められました。
最後に、お見事な手による、本日の「香記(会記)」を拝見しましたが、これにも様々な思いや工夫がちりばめられていて、「うわぁぁ、日本人なんだ」と感じました。
この時に一緒に行った従妹が、この「香記」を頂戴して来て、表装をしたそうです。
従妹本人と圓窓師匠と私の名前が入っているのでということで。         
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2011/11/post-e961.html
香記の表装
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2011/11/post-1928.html

落語DEデート

ゴールデンウィーク最後の日の朝も落語です。
    ◇ 囃子長屋    五代目古今亭今輔
あの、おばあさん落語の今輔師匠・・・。
この噺、今風に言えば「ボイスパーカッション」が入っているという・・。
「おじいさんは黙ってらっしゃい!」なんていう、今輔節が懐かしい。
テンポのある噺です。

鬼の涙

師匠の「鬼の涙」という噺。Photo
ゴールデンウィークは、随分落語を聴くことができました。
節分の夜、女房のお福は金を借りに歩いたが、駄目で、ほうぼうの家々で蒔いた豆を拾いながら帰宅。
亭主の舛造も金策に歩いたがままならず。
やはり豆を拾って帰ってきた。
そこで「もっと、豆を拾い集めて食料にしよう」と、舛蔵は出かけるが、すぐ、赤ん坊を拾って戻ってくる。
子供のない夫婦にとって、神様の恵みかもしれぬと、お福も大喜び。
しかし、嬉しそうにキャッキャと笑う赤ん坊だが、顔と言わず、手足と言わず、体まで異様に赤い。
それに、頭には小さな角があった。
「鬼の赤ん坊だ」
「どうする」
「見せ物に出そう」
「可哀そうだよ」
夫婦で話し合っていると、戸を叩く音。
とりあえず、人に知れてはまずいと、赤ん坊を押し入れに隠して、戸を開ける。
と、立っているのは鬼の夫婦。
名を鬼吉、お牙という。
「親子三人で江戸見物。豆をぶつけられて、逃げるとき、女房が赤ん坊を落としてしまいました。捜してましたら確か、こちらから赤ん坊の声が…」
亭主は「知らぬ」と突っぱねる。
空っとぼけて「今頃はどこかで見せ物になっていることだろう」とも言う。
すると、鬼の親は「赤ん坊が見せ物になっていたとしたら、あたし達も見せ物になって、赤ん坊のそばで暮らします」と、悲しく言う。
そして、鬼は語り始めた。
「鬼には先祖からの言い伝えがあります。
大昔、人と鬼は仲良く暮らしていたんです。
人には智恵と夢があり、鬼には力と勇気がありました。
天下を取った人間が、弱い人をいじめるようになりました。
それに立ち向かったのが鬼なんです。
天下人は「鬼は人間の敵だ」と絶叫しはじめたんです。
鬼は追われ追われて、島へ逃げました…。P1000550
人間はそこを鬼が島と名付けたんです…。
でも、われわれ鬼は人間を恨みませんでした。
大昔のように、仲良くしたいと願い、話し合いに節分にやってくるんですが、相変わらず豆をぶつけるだけで、話を聞こうともしてくれません…。
今日、こうして人と話をしたのは、生まれてはじめてなんです…」
舛造夫婦は、この鬼の親子の情に負けて、赤ん坊を返してやる。
鬼の夫婦はわが子(お角)を抱きしめ、大泣きに泣く。
鬼の目から溢れた涙は、土間いっぱいになり、ついには、下駄まで浮かしてしまうほどの量になってしまった。
こいつは大変と、亭主が鬼の夫婦の耳元でなにやら言うと、鬼は急にゲラゲラ笑い出し、涙も止まり、そのまま笑いながら帰っていった。
やっと、土間の涙も引き、一安心。
女房が亭主に訊いた。
「おまえさん。鬼になにを言ったんだい?」
「なぁに、来年の話さ」

清水一朗という人の原作だそうです。
彦六の八代目林家正蔵師匠も演っていたそうです。http://www.nicovideo.jp/watch/sm9482019
師匠のCDに収められていますが、Amazonを見ると、こんなレビューがありました。P1000552
笑点のレギュラーをつとめた噺家さんはそのイメージを払拭し噺家としてのカラーを確立するのに苦労するようですが、圓窓さんは高座で自分との勝負を続け、見事に大輪の花を咲かせたそうですね。「圓窓五百噺」は師匠にしかなし得ないまさに偉業ではないでしょうか。明瞭な発声と丁寧に時代背景や情景、人物を描き分ける落ち着いた人情味溢れる語り口はあくまで親しみやすく落語初心者でも充分に楽しめます。私は地方に住み生の高座を楽しむ機会に恵まれないので、師匠が高座で演じてきた珍しい演目がどんどん出版され、広く楽しめるようになることを願っています。地方公演やCD,DVD出版など、これまでの挑戦のための高座から、より一層大衆に広く普及させるための活動に力を入れられるよう望んでいます

五月幟

端午の節句にちなんだ落語です。
2年前に「東京落語会」で、圓窓師匠がお演りになりました。
http://ensou-rakugo.at.webry.info/201002/article_29.htmlPhoto_3
そもそも、「五月幟(ごがつのぼり、さつきのぼり)」とは、男児が生まれたことを天の神に告げその守護を願い、両家の家紋を入れ立てられる空高く幟のこと。
その幟を五月晴れの空に向けて立てる事から五月幟または、武者絵幟、節句幟と呼ばれる。

五月幟の図柄には、鯉の滝昇り、牛若丸と弁慶、日本武尊賤ヶ嶽七本槍、七福神、宇治川、富士の巻き狩り、川中島、竜虎、太閤加藤、錘馗幟などがある。
また戦時中は、肉弾三勇士、日清日露などを描いた図柄も用いられたそうです。

酒好き、博打好きの熊の子供の初節句に、女房の叔父さんが子供に五月人形を買ってやれと金をくれた。
熊には子供に五月人形を買ってやる甲斐性などないから、代わりに金を出してやろうというのだ。
熊は女房に五月人形を買ってきてやるから、叔父さんからもらった金をよこせというが、女房の方は途中で酒でも飲まれてはたまらないと金を渡そうとしない。
それでも熊は絶対に飲まないからと約束し、女房も五月人形だから男親に買ってもらったほうがいいからと、最後は折れて金を渡す。Photo_4
さっそく人形を買いに向う熊だったが、料理屋の二階から弟分の声が掛る。
喧嘩の手打ちをしているところだが、少しでいいから顔を出して意見をしてくれという。
今日はよんどころない用事があるからダメだと熊は断るが、結局は「兄い、兄い」とおだてられて二階に上がってしまう。
喧嘩をした弟分に意見をし帰ろうとすると、一杯だけ飲んでくれという。
一度は断ったが、注がれるままに一杯のみ、さらにもう一杯、好物の鰹のたたきを勧められてもう一杯と最後はかなり酔って、懐にあった人形を買う金を置いてきてしまう。
外に出て上がっている鯉幟を見た途端に、置いてきた金は人形を買う金だったと思い出したが後の祭り。
結局そのまま家に戻るが、赤い顔をしているから女房に酒を飲んでしまったことをすぐに見破られ罵られる。
「うるせぇ」と黙らせて二階に上がって不貞寝を決め込むが、そこに金をくれた叔父さんがやってくる。
女房から事情を聞いた叔父さんは怒ったが、熊は「人形は二階に飾ってある」と嘘をつく。
叔父さんはもとより嘘と見抜き、二階に上がってくる。
熊はそれを見て「下から二階にお上り(幟)」とか「酒に喰らい酔って真っ赤になった金太郎、酔いが覚めれば正気(鍾馗)になる」と誤魔化すが叔父さんは怒って「バカヤロウ」と大声を出す。
熊がすかさず「叔父さんありがとう。今のは大きな鯉(声)だ」

圓窓師匠の最初の師匠である、八代目春風亭柳枝師匠の十八番だったそうです。
もとは柳派の噺だったようで、柳家小袁治師匠の音源がありました。http://www.youtube.com/watch?v=EbMWlzM2in0
買いに行くのは、五月幟ではなくて五月人形ですが、オチの関係もあって、幟にしたんでしょう。

2012年5月 5日 (土)

亀戸天神「藤祭り」

昨年と同様、亀戸天神の藤祭りに行ってみました。
昨日までの荒れ模様から一転、とても良い天気です。

ところが、花は・・・、残念ながらあまり咲いていませんでした。
肩透かしを食ってしまいました。


境内では、子どもの日に因んで「出世鯉」の放流をしていました。
  
天気も良く、抹茶アイス最中が美味しかった。

とても爽やかな一日でした。

痛ましい・・・

いたたまれない話というのがあるものです。
昭和50年の元旦、中学校の同級生から年賀状が届きました。
高校3年生の私は大学受験の直前でした。

物凄く悲しい年賀状でした。
というのは、この時、彼は天国に行ってしまっていたからです。
・・・忘れもしません。
暮れも押し迫った29日、彼の悲報(訃報)に接しました。
商売をしているお兄さんの仕事を手伝っていた彼は、商用車を運転していて、大型ダンプカーと正面衝突して・・・。
まだ免許を取ったばかりの18歳でした。
工業高校に学んだ彼は、春に就職が決まっていて、「就職も決まり、新たな気持ちで頑張ります」なんて、書いてありました・・・。
三が日が過ぎた1月4日が、彼の葬儀でした・・・。

先日、関越自動車道で、悲惨なバス事故が発生しました。
企画した旅行会社もバスの運行会社も、実に杜撰な運営をしていたようです。
バス会社は、コンプライアンス上も重大な違反が多くあるようです。
ところで、「楽天トラベル」から、このパスを予約して(乗って)いた人に、「ご旅行はいかがでしたか?」というアンケートメールが届いていたという話を聞きました。
旅行サイト経由で予約して旅行などをすると、帰った直後に必ずこの類のメールが届きます。
自動的に送信される仕組みになっているのでしょう。
が、こんなに酷いメールはないと思います。
仏像作って魂入れずの典型で、実に心のこもっていない、デリカシーのない"サービス?"です。
形だけのCSは、かえって逆効果になるものです。
このニュースを聞いて、若くして突然のアクシデントで亡くなった同級生のことを思い出しました。
どんなに無念だったことか・・・。

立夏

立夏は夏が始まる日です。
この時期は大地が草で覆われ木々が繁ってきます。
カレンダーには「夏が立つ」などと記載されてる場合もあります。
これは、簡単に言うと「夏がきたよ」という意味です。
気持ちの良い風が吹き、晴天が続くので外に出ることが楽しみな時期でもありますが、今年のGWの天候は不順です。

端午の節句

子どもは国の宝。
国が富むも滅びるも、若い次世代次第だと思います。

「端午の節句」は、「菖蒲の節句」とも言われます。
強い香気で厄を祓う菖蒲やよもぎを軒につるし、また菖蒲湯に入ることで無病息災を願いました。
また、「菖蒲」を「尚武」という言葉にかけて、勇ましい飾りをして男の子の誕生と成長を祝う「尚武の節句」でもあります。Photo
端午の節句は奈良時代から続く古い行事です。
もとは月の端〔はじめ〕の午〔うま〕の日という意味で、5月に限ったものではありませんでした。
しかし、午〔ご〕と五〔ご〕の音が同じなので、毎月5日を指すようになり、やがて5月5日のことになったとも伝えられます。
当時は邪気を避け魔物を祓う薬草とされていた「菖蒲」を、よもぎと共に軒にさし、あるいは湯に入れて「菖蒲湯」として浴しました。
時代が武家社会に移るにつれ、これまでの風習が廃れ、代わりに「菖蒲」と「尚武」をかけた尚武(武士を尊ぶ)の節句へと移っていきます。
この流れを受け、江戸時代には徳川幕府の重要な式日が5月5日と定められ、大名や旗本が式服で江戸城に参り、将軍にお祝いを奉じるようになりました。
また、将軍に男の子が生まれると、玄関前に馬印〔うましるし〕や幟〔のぼり〕を立てて祝いました。Photo_2
こうして時代と共に男の子の誕生と成長を祝うお祭りへとなっていきました。
江戸以降は男子の節句とされ、身を守る「鎧」や「兜」を飾り、「こいのぼり」を立てて男子の成長や立身出世を願ってお祝いをします。
また、初節句(男の子が生まれて初めての節句)にはちまきを、2年目からは新しい芽がでるまで古い葉を落とさない事から「家督が途絶えない」縁起物として「柏餅」を食べます。
地方によっては、子供の行事としてだけでなく、田の神を迎えるための禊の名残として菖蒲湯に入る習慣も残っているようです。
「こいのぼり」は、登竜という激流(登竜門)を鯉が登ったという中国の伝説を受け、鯉には出世と健やかな成長を願う親の気持ちが託されています。

落語にも端午の節句が出て来ます。
といっても、子どものためになるような噺ではありませんね。
「五月幟」だとか、「人形買い」だとか・・・。

「ギターと落語の二人会」のCV

5月25日の師匠と無弦さんのコンサートのコマーシャル映像があるそうです。
http://youtu.be/jAOLpEZAztg
Fw:d'dy
このお二人は、もう10年近く前から、ギターと落語のコラボレーションをやっていて、CDで聴かせていただきましたが、「雪おんな」が印象に残っています。
「120525_0001.pdf」をダウンロード

2012年5月 4日 (金)

お江戸あおば亭のプログラム

連休に内職をして、プログラムも作ってみました。

A4サイズを横にして折りますので、表紙と裏表紙が左右になります。

中は、今回はシンプルにしました。

ビジネス・カジュアル兼用鞄

鞄を持つようになりました。

今までは、通勤はいつも手ぶらでいるのをよしとしていました。
昔は、仕事を持ち帰ったりしていた時期もありましたが、情報管理の厳格化もあり、駅で買う新聞や本を小脇に抱えて・・・。
ところが、財布・定期入れ・定期券・キーホルダー・手帳・携帯など、スーツのポケットに入れると、重いのなんの。
また、たまに鞄を持ったりすることがあると、普段から身体に染みついていないので、電車などに忘れてしまうのではという恐怖感が。
現実に、棚の上に置き忘れてしまい、慌てて戻って事なきを得たこともありました。
それに休日には財布や定期券を移し替えたりしますので、歳を取って来ると、忘れたりして・・・。
落語の稽古も、日曜日と火曜日にありますから、稽古グッズ・落語ツールも持つ必要があります。
そこで、先輩などに習って、いつも持ち歩く鞄を探すことにしました。
新聞や仕事のA4サイズが入れられること、スーツにも普段着にも合って、手持ちもショルダーにも出来る物・・・。
2ヶ月ほど前に、偶然イトーヨーカドーで、こんな感じかなというのを見つけました。
人工皮革で、比較的安価だったので、そこういう使い方が身につくか否かを試すのにもちょうど良いという訳で、使ってみることにしました。
・・・そして先月の28日・・・。
銀座の鞄の老舗「T」に行ってみました。
私のニーズとコンセプトを聞いたベテランの店員さんが出してくれたのが、写真の鞄。
このオジサンの話術に私が陥落するのには、ほとんど時間がかかりませんでした。
・・・という訳で、この鞄を使うことになりました。
鞄を手にすると、あれもこれもと、かなり重たくなってしまいます。
折りたたみ傘、スマートフォン、江戸帖に加えて、それから落語関連の数々・・・。
扇子と手拭は勿論、「帯久」と「救いの腕」と「鬼子母神藪中の蕎麦」の高座本、「落語っ子」と「扇子っ子連」の資料・・・・。
一番便利だと思うのは、落語会に行った時に、プログラムを折り曲げずに持ち帰ることが出来ること、・・・かな。
ところでこの鞄、ヨーカドー鞄が10個買える値段でした・・・

圓生師匠の口調の癖

圓窓師匠が仰っていた、圓生師匠の口調の癖。
2これを確認してみようという訳。
まずは「御神酒徳利」。
http://www.youtube.com/watch?v=HTS_mHwTkks
この中で、「自分の家の宝であるという”ので”・・・」という所・・・。
次は「ねずみ穴」。
http://www.youtube.com/watch?v=N9l5N-60p8A&feature=relmfu
「付き合いがそれで切れてしまうことがある”から”・・・」という所。
・・どうだろう。圓窓師匠がおっしゃったのは、ここかなぁ・・・?
と言いつつ、そんなことは差し置いて、噺に聴き入りました。

2012年5月 3日 (木)

第4回お江戸あおば亭のチラシ

来月の「お江戸あおば亭」のチラシ。
Fw:写真
連休後半は雨降り。
当初予定していたことがドタキャンになり、今日は自宅でチラシとプログラム作りでも・・・。
いつものワンパターンですが・・・・。
「4.pdf」をダウンロード

師匠のコメント

先日の稽古会について、師匠のブログでのコメント。
読ませ稽古、流三[帯久]。Photo_5
 圓生(6)の口調の癖を指摘してみた。
 人情噺を演ずると出てくるようになる。
 なろうことならないほうがいい。
「なろうことならないほうがいい」という師匠のコメントは、至極ごもっともですが、圓生師匠の口調の癖と同じだと、直のお弟子さんに言われるのは、別の次元で嬉しいものです。

道灌

「道灌」という噺、なぜか好きなんです。
Photo柳家一門の噺家さんは、必ずこの「道灌」から稽古するんだそうです。
八っつぁんが隠居の家を訪ねたとき、床の間の掛け軸の説明を聞いた。太田道灌の鷹狩の図で、娘が山吹の枝を道灌に差し出している絵である。
「道灌が山吹の里で狩りの途中、雨に会った。雨具を借りようと、一軒の貧しい家に立ち寄った。
その家の娘が『お恥ずかしい』と言いながら山吹の枝を差し出した。これは、雨具がないので、お貸しできないとの断りを現している場面だ。
これはずーっと昔、兼明親王(かねあきら・しんのう)が雨具を借りにきた者へ、山吹の枝を折って与えて帰したことがある。
その人があとで『どういう意味ですか』と訊きにきたので、返事として[七重八重花は咲けども山吹のみの一つだになきぞ悲しき]という歌を詠んでやった。
[実の]と[簑]を掛けて『雨具がございません』ということだ。
この故事は[後拾遺和歌集]に載っている。
Photo_2
それを知っていた娘がとっさのトンチでおこなったことなんだ。
しかし、道灌にはその古歌も娘の意図もわからない。
家来がその説明をすると、道灌は『余は歌道に暗い』と気づき、その後、歌を懸命に学んで一流の歌人になったんだ」
「あっしも傘を借りに来たやつをその歌で断わるから、紙に書いてくんねぇ」
八っつあんは、その紙をもらって帰る。
Photo_3宅すると、うまい具合に雨が降り出した。
そこへ、友達が「提灯を貸してくれ」と飛び込んでくる。
「傘を」ではなく、あてがはずれたが、どうしてもあの歌を使ってみたいので、書いてもらった紙を差し出して、相手に読ませる。
「なんだい、これは。なけりゃ食へ 腹は空けども 鰹節の 味噌ひと樽と 鍋と釜敷…?
これは勝手道具の都々逸か」
「これを知らないところをみると、歌道に暗いな」
「角(歌道)が暗いから、提灯を借りに来た」
そうそう、この噺が覚えたいから、師匠から高座本貰って来た・・・。

「第4回お江戸あおば亭」香盤

6月9日開催の「第4回お江戸あおば亭」の番組が決定。
出演希望者を募っていましたが、4月末で一応締め切りとさせていただきました。
         【第4回お江戸あおば亭】
  ◇ 手紙無筆              南亭蕪生   
  ◇ 黄金の大黒            桂友楽    
  ◇ へっつい幽霊              談亭志ん志  
         仲入り        
  ◇ 湯屋番                     恋し家古狂  
  ◇ 救いの腕
~三遊亭圓窓作       金願亭乱志  
  ◇ 天狗裁き                  喰亭寝蔵   

これで、13時開演、16時頃にお開きになりそうです。
(「補欠」の乱志も何とかお仲間に入れていただけそうです。)
噺も、大きくつくものはないと思いますので・・・。Photo_4
何と言っても、今回の最大の目玉は、「恋し家古狂」師匠が、45年ぶりぐらいの高座。
しかも、現役時代に十八番だった、伝説の「湯屋番」です。
それから、友楽・志ん志・寝蔵師匠の「御三家」に、蕪生師匠が加わった「四天王」の揃い踏みが実現しました。
・・・ということで、補欠の私以外の全員が目玉ということになります。

2012年5月 2日 (水)

帰りの楽しみは

大阪に出張です。
帰りの楽しみは
日帰り出張の帰りの楽しみは、下戸の私には、やはり弁当です。
今日も1日働いた自分へのご褒美?
そんなもんではありませんが、ちょっと奮発して、「特製幕の内御膳」というのを……。

新幹線回数券

大阪へ出張です。

いつもなら、乗車券は、東京・大阪間の回数券を使いますが、JRの陰謀?で、年末・年始とゴールデンウイークの時は、使えません。
仕方ないので、通常の乗車券を買いました。
たまにしか乗らない人のため?
その人たちへ定価で売って儲けよう?
お得意様をないがしろにするとは…!
信じられないのは、連休が始まる前日から回数券が使えなくなるという…。
そんな殿様商売ぱかりしていると…、どこかの電力会社みたいになりますよ。

待合室

大阪に出張です。


朝、東京駅でトイレに行こうと、中央乗り換え口乗り換え口を通り抜けると、あれっ?
待合室になっていました。
トイレは向かい側に……。
いつも早めに来るので、ここはいいですねぇ。
今までは、ホームの待合室で、とても慌ただしい感じでしたから。

持ちネタ

乱志・流三・永久の持ちネタをご披露しましょう。
 【金願亭乱志】   【三流亭流三】  【千早亭永久】
 ①あたま山      ・子ほめ      千早振る
 ②千早振る      ・三方一両損   ・花色木綿
 ③花色木綿    ・浜野矩随     ⑱救いの腕
 ④三方一両損   ・甲府ぃ            ⑲揺れるとき
 ⑤花筏       ・薮入り        ⑳鬼子母神 藪中の蕎麦
 ⑥水道のゴム屋  ・救いの腕 Cimg05581   
 ⑦猫怪談      帯久
 ⑧湯屋番            ⑰道潅
 ⑨甲府ぃ
 ⑩子ほめ
 ⑪ねずみ
 ⑫浜野矩随200706171357000Dsc04447
 ⑬薮入り 
    ↑ ここまでが落研現役時代
 ・子ほめ
 ・ねずみ
 ・浜野矩随
 ・花筏
 ・薮入り200706171359000

 ⑭笠と赤い風車
 ⑮佃祭
落語に戻って来て、学生時代のネタのカバーを中心に演って来ましたので、ネタ数はあまり増えていませんが、仕込み中を入れて、ちょうど20題になります。
(この色の演目はカバーバージョンです)
これからは、どんどん新しいネタを増やして行こうと思います。

高座本「柳田角之進」

「柳田角之進」、「柳田格之進」と書く場合もあるようです。

貧乏長屋に住み込んだ浪人の親娘。
濡れ衣で藩を追われたという実直な柳田格之進と素直で聡明な年頃のきぬ。
柳田は碁会所で知り合った萬屋主人の源兵衛と意気投合し、萬屋に誘われてその離
れ座敷へ。
新古の二つの碁盤があり、「古いほうがいい」「新しいほうが打ちやすい」などと替えながら毎日のように夢中になって打ち興じた。
ある日、二人が碁に夢中になっているところへ、番
頭の徳兵衛がやってきて「ただ今、水戸様から五十両入りました」と財布を主人に手渡した。
碁が終わり、柳田が帰ってから、番頭が主人に確認すると、「はて?」と。
主人は番頭と記憶をたどるが、どうしても思い出せない。
番頭は「ことによると、柳田様の出来心ではないか」と、一存で柳田の住む長屋へ問いただしに行く。
心外という柳田に番頭が「お上に届けます」と付け加えて言うと、柳田は困惑し、「やむをえん。
その五十両は拙者が用立てる。
明日、昼過ぎに来なさい」と言って番頭を帰す。
翌日、番頭が来ると、柳田は五十両を渡し「後日、紛失の物が他より出てきたら場合、いかが取り計らうや」と訊く。
番頭は「主人と私の首を差し上げます」と言い切る。
番頭は店に飛んで帰り、主人に五十両を渡すが、主人は納得がいかない。
「あの方が盗みを働くわけがない」と主人は金子を返しに行くが、親娘は引越しをしてしまった後であった。
その後、柳田親娘の行方を探したが、手がかりなし。


三年たった暮れの十四日の煤掃き。
離れを掃除していた小僧が、長押の額の後ろから五十両の財布を見付け出した。
主人は「あの折、厠へ立とうと部屋を出るとき、長押の額の後ろへ置いたんだ」と思い出す。
店中の者が柳田を探し回るが、行く先は杳としてわからないまま日は過ぎた。
正月の四日。
雪の中、年始回りの番頭は湯島切り通しの坂で柳田に会う。
浪人の頃とはうって変わって立派な服装の柳田は「冤罪であることが判明して、藩に帰参が叶った」凛々しく言う。
番頭は「紛失した五十両が額の裏から出てきました」と詫びて打ち明ける。
しばし絶句した柳田「明日、あの折の約束を果たすために萬屋宅へ伺う」と申し付ける。
翌日、訪ねてきた柳田に萬屋の主従は涙ながらに詫びる。
柳田はどのようにして五十両の工面をしたかを語り始める。
{会場の照明が薄暗くなり、回想場面として演ずる}
あの日、出す謂れのない五十両を「出す」と番頭に約束して帰した後、柳田はその
工面も出来ないので、腹を切る覚悟を決めた。
それを悟ったきぬは「紛失した物はいずれ出てくるでしょう。なのにお腹を召しては犬死。五十両は廓へわたくしの身を売って拵えてくださいませ」
柳田はきぬの孝心にうたれ、「すまぬ、すまぬ」と心ならずも従うことになった。
{会場の照明が元の明るさになり、回想場面は終わり、現実の萬屋の場面に戻る}
五十両の工面を聞いた主従はなおさら「首を刎ねてください」と訴えるように言う。
柳田は「しからば、首を頂戴する。エーイ!」と一刀を打ち下ろす。
首が転がり落ちると思いきや、床の間に置いてある古いほうの碁盤が真っ二つに割れている。
柳田「こうなった諸悪の根源は碁に現を抜かしたからじゃ。碁盤を成敗いたしたわ」
主人「娘さんは廓からすぐにでも受け出しますので」
柳田「それには及ばん。苦界に身を投じた娘は風邪をこじらせのぉ……、あの世へ
旅立ったわ……」
主従「それを聞けばなおのこと、改めて首を刎ねてくださいませ」
柳田「うん。叶えてつかわす。エーイ!」
床の間に置かれたもう一つの新しい碁盤が真っ二つに割れました……。

師匠は、詳しくコメントされています。
この噺、「柳田の人格からして娘が身を売ることを受け入れるのは理解しにくい」と評する聞き手もいるが、「ああいう時代、こういうケースはよくあったはず」と解釈すれば不自然ではなかろう。
また、「柳田は帰参が叶っていい服装をしているのに、なぜに娘を廓から戻さないのだろう」という疑問をぶつける聞き手もある。
 これについてのあたし(圓窓)の答えは、上記のダイジェストの如く、娘が死んだことにしているので再読してもらいたい。
もっと詳しく答えると、疑問を解消させるためではなく、既成のこの噺の如く「萬屋が娘を受け出して、番頭と夫婦にさせる」
という"目出た目出た的"なエンディングが好かないのが最大の理由。
ついでに、五十両の工面の一件を結末の回想場面として演じたのは筆者の演出である。
ほとんどの落語が時間と平行にストーリーを進める手法を採っている。
話芸だから、過去に行ったり現実に戻ったりするとわかりにくくなる危険性を避けてきたのであろうが、あたしは逆にミステリーの面白さを含ませようと思考して、回想場面を挿入した。
他にも、あたしは[ねずみ][藁人形]などで回想場面にアレンジして演っているので、機会があったら聞いてもらいたい。
〔明治大正落語集成〕という本では、[碁盤割]という題で三代目柳枝の速記がある。
それには、柳田の妻も生存しており、父が娘に身売りを頼むことになっている。
いずれにしても、人物の心理が複雑なので、この噺を聞き手に納得させるには相当の実力が必要だ。
先人が講釈から落語に移入したので、落ちのないまま今日に至っているのだが、志ん生が「父親が囲碁に凝って、娘が娼妓(将棋)になった」とサゲていたと〔落語事
典〕にある。
良質の人情噺だけに、いきなり言葉だけの将棋が落ちだけに登場するとなると、単なる言葉遊びの感が免れないので、あたしは褒めない。
所要時間も一時間以上はかかるので、あたしも寄席の普通興行では演った覚えはない。
演るには独演会、特別会を狙うしかないだろう。

・・・・娘の取り扱いをどうするか。
「浜野矩随」の母親と同様、悲劇的な演出が本道なのでしょう。

ギターと落語の二人会

師匠と落語っ子連の無弦さんのコンサートが開かれます。http://www.gendaiguitar.com/gg_html.php?id=760
Fw:d'dy
5月25日(金)午後7時から、要町の現代ギター社GGサロンで。
この場所は、落語っ子連の発表会を開催したことのある場所です。
無弦さんは、プロのギタリストで、今までも師匠とはコラボをやっているそうです。
行かなくっちゃぁ・・・。

2012年5月 1日 (火)

つまさき坂

NSPの「八十八夜」を改めて聴いていて、突然何の脈絡もなく聴きたくなったのが、永井龍雲の「つまさき坂」。
http://www.youtube.com/watch?v=6fRtHDlSjt4&feature=related
ある人に薦められて、カセットテープを買った中に入っていた曲です。
永井龍雲という人のことは全く知りませんでしたが、高音の悲しげな声に魅かれました。
あと「桜桃忌」というのと、「道標ない旅」なんていう歌が印象に残っています。
ついでに、さらに思い出して、森山良子の「掌(てのひら)」を。
http://www.youtube.com/watch?v=L1vY_se9Rqg
そうしたら、作詞作曲したさだまさしと、息子の森山直太朗のバージョンもありました。
http://www.youtube.com/watch?v=zv6w5hZnr7c&feature=related
でも、やはりやはり、母ちゃんのがいいですよ。
昭和ですよ。30年ぐらい前の話。
何か不思議な、八十八夜の夜・・・。
落語とは全く関係のないこと。

私の履歴書

日経新聞の「私の履歴書」。

5月は「桂三枝」師匠です。
この「私の履歴書」は、日経の目玉記事のひとつだと思いますが、私は個人的には好きではありません。
自慢話だとか、今だから話せるスキャンダルみたいなものを語る人ばかりが多くて。
これを喜ぶ読者が多いから、ずっと続いているんですね。
今まで、噺家さんでは、「三遊亭圓生」師匠と「桂米朝」師匠のお二人が記憶にあります。

話芸を楽しむ「圓窓の語り」

工学院大学のHPで、オープンカレッジを覗くと、師匠の講座の紹介が出て来ます。

3回シリーズで、第1回目は聴き洩らしてしまいましたが、第2回目・第3回目は、予約して、受講料も払いました。

子ほめ・甲府ぃ・三方一両損

落語の名作の高座本。
師匠の研究の跡が随所に見られます。
「子ほめ」「甲府ぃ」「三方一両損」は、いずれも学生時代に演ったことがあるのを、落語っ子連で、師匠に稽古をつけていただいたもの。
中でも、「子ほめ」「三方一両損」は、師匠から言われて、オリジナルなオチを考えたもの。
従って、師匠の高座本のオチとも違うのですが・・・。

【子ほめ】
八っつぁんは隠居さんを訪ねて、商人の褒め方、歳を若く言う褒め方、赤ん坊の褒め方まで教わる。
「『失礼でございますが、このお子さんはあなたのお子さんでございますか。このようなお子さんがおいでになるとは存じませんでした。昔から親に似ぬ子は鬼っ子なぞと申します。額の辺り、眉目の辺はお父っつぁんそっくり。口もと鼻つきは、おっ母さん生き写し。総体を見渡したところは、先年お亡くなりんなったご隠居さまに瓜二つ。長命の相がございます。[栴檀は双葉より芳し][蛇は寸にしてその気を現す]。私もこういうお子さんにあやかりたい、あやかりたい』とでもおやり」と。
早速、外へ飛び出した八っつぁんは往来で三河屋の番頭をつかまえると、商人の褒め方をぶつけてみるが失敗、歳を訊いて褒めようとするが、これまた失敗。
今度は赤ん坊を褒めようと、竹さんを訪ねて、生まれたばかりの赤ん坊を前にして、褒め始める。
「失礼でございますが、このお子さんはあなたのお子さんでございますか」
「当たり前だ、俺の子だ」
「このようなお子さんがおいでになるとは、存じませんでした」
「知っているから来たんだろう」
「昔から親に似ぬ子は鬼ごっこをする」
「赤ん坊が鬼ごっこをするかよ」
「額の禿げあがってるとこ、眉目の下がっているとこはお父っつぁんそっくり。口の
大きいとこ、鼻の低いとこはおっ母さん生き写し」
「わるいところばかり言うなよ」
「総体を見渡したところは、先年お亡くなりんなったお婆さんに瓜二つ」
「婆さんはそこで昼寝をしているよ」
「お亡くなりんなったお爺さんに瓜二つ」
「爺さんはタバコを買いに行ってるよ」
「洗濯は二晩で乾きますか。蛇はスマトラで南方だ。私もこういうお子さんにあやか
りたい、首吊りたい」
「馬鹿なことを言うなよ」
「ときに竹さん、このお子さんはおいくつで?」
「生まれて七日目だ」
「ああ、初七日」
「縁起でもねぇこと言うな」
赤ん坊の枕元に祝いの句を書いた短冊があって、「竹の子は 生まれながらに 重
ね着て」とある。
八っつぁんは「これに下の句を」と言って付ける。「育つにつれて 裸にぞなる」

私のオチとは全く違います。

【甲府ぃ】
ある朝の江戸の豆腐屋。店頭の卯の花を盗ろうとした若者がいた。
主人が咎めると「昨日、甲州から出てきて、スリに財布を盗られてしまった。腹がへって、悪いとは知りながら卯の花に手を出しました。すいません」と詫びる。
人柄が良さそうなので、主人は「うちで働かないか」と優しく言う。
喜んだ若者(猪之吉)はその日から住み込みで働くことになった。
主人から教わった通り「豆腐~ィ 胡麻入り~ィ ガンモド~キ」の売り声で外を売り歩き、陰日向なく実によく働いた。
あっと言う間に三年がたった。
この豆腐屋の一人娘のお花が、どうやらに猪之吉に惚れているらしい。
二人を添わせて店を譲ることにした。
また二年たったある日のこと。猪之吉が「実は江戸へ出るとき、途中に身延に寄ってお祖師さまに五年の願掛けをしました。その願ほどきをさせていただきとう存じます」と申し出た。
豆腐屋も宗旨は法華宗なので喜んで「お花も一緒に行って来い」と赤飯を炊いて送り出すことにした。
出立の朝、長屋のかみさん連中から二人に声がかかった。
「ご両人、どちらへ?」
猪之吉が売り声の調子で「甲府~ィ お参り~ィ 願ほど~き」

この「甲府ぃ」には、師匠のオチに対するこだわりが出ています。
堅物の田舎者(猪之吉)が落ちのところでいきなり洒落を言い出すのはどう考えても不自然だ、と稽古をしはじめてすぐ気が付いた。
このことを仲間に話すと「落語だからそれでいいんだよ」と軽くいなされた。
落語という話芸はいわば虚構の世界であろうが、虚構の中にもそれなりに理屈はある。
この噺の落ちはそれからはみだしているような気がしてならないのだ。
そこで、あたしは、豆腐屋の主人に「猪之吉よ。堅いのはいいが、堅すぎるのはよくない。商いのときに洒落の一つも言えるようになれ。たまには落語を聞け」なんという小言をいわせている。
その効果が現われたか、猪之吉が赤飯を食べて「もう入りません」と箸を下ろすと、豆腐屋が「立って二、三遍はねてみろ。
上のほうに隙間ができるから」と言うのだが、すかさず猪之吉が「茶袋じゃありませんよ」と返す。豆腐屋は「洒落がわかってきたな」と喜ぶ。
そんな場面を挿入して、落ちへ継げるという演出をして、不自然さをカバーしてみたのだが、また仲間から「すぐにそんないい洒落が言えるわけがないよ」と皮肉を言われたこともあった。
話芸という虚構の世界は難しい。


【三方一両損】
神田白壁町に住む左官の金太郎が往来で財布を拾った。中には書付けと印形と三両
の金が入っている。書付けから所がわかったので、訪ねて返しに行った。
落し主は神田竪大工町の大工の吉五郎。
ところが、「書付けと印形は自分の物だからありがたく受け取るが、金は俺のだという証拠もねぇし、お前にやるから持って帰ってくれ」「礼金貰いたさに届けにきたわけじゃねぇんた」「持って帰れ」「お前こそ、受け取れ」と、とうとう殴り合いの喧嘩になる。
そこへ長屋の大家が止めに入って、「今日の所は」ということで、金太郎は帰ってくる。
自分の長屋に戻ると、自分の大家に会ってこの一件を話す。
わけを聞いた大家は「いいことをして殴られていては長屋の恥」と奉行所へ訴える。
いよいよ、南町奉行大岡越前守様のお裁きになる。
大岡様は喧嘩をした両人の正直を褒め、「金は奉行が預かり置くがどうじゃ」
二人は「そうして下さい」と素直に従う。
そこで大岡様は「改めて、両名に褒美をつかわせるが、どうじゃ」
同じく二人は「ありがたく頂戴いたします」
「ならば、預かった三両に奉行が一両足して四両とし、両名に二両ず褒美をつかわそう」
「それなら、いただきます」
「この裁き、三方一両損と申す。なぜなら、吉五郎は届けられし三両を受け取らず、褒美の二両を受け取り、一両損したことになるの。金太郎も礼としての三両を受け取らず、ただ今褒美として二両受け取り、一両損しておる。それに、このような正直からの騒ぎから、奉行も一両出して損を致した。三人がそれぞれ、一両ずつ損をした勘定になる。そこでこの裁きは三方一両損と申す」
「さすが、名奉行」
というわけで一件落着。
そのあと白州で、奉行は両名に食事をご馳走した。
二人は大喜びでパクパクと食べた。
奉行も心配をして、「腹も身の内である。たんとは食すなよ」
「へえ、多くは(大岡)食わねえ」
「たった一膳(越前)」

これがポピュラーなオチですが・・・。、
師匠は、こんなコメントをしています。
本筋と離れた駄洒落の落ちはいただけない。
「いや、落語的な愛敬があっていいじゃないか」と弁護する論もあるが、「悪いものは悪い」とはっきり言う論もなくてはいけない。
そこで、あたしは食事場面を削除して、話の筋に則った落ちを創作しました。
ということで、この後にさらに続きます。
このお裁きが江戸中の評判となった。
源兵衛と平蔵という小悪党が二人でたくんだ。
二人が一両二分ずつ工面して三両こしらえた。それを源兵衛がわざと落とすと、平蔵がそいつを拾って届けて、前出の二人のような喧嘩をする。
「奉行所に訴え出れば、大岡様が『またもや正直な二人じゃ』てんで、俺たちに二両ずつくださる。と、二分っつ儲かるてぇわけだ」
そして、奉行所に訴え出る。
大岡様は「これは狂言臭い」と判断して、お裁きに入った。
二人は「この三両はいりません。三両のことは忘れました」と胸を張って言い放つ。
大岡様は二人に「忘れるとは感心じゃ。先は三方が一両の損をする裁きであったが、この度は一両ずつ得をいたす。三両の内から双方に一両ずつつかわす。忘れたのであるから、一両ずつの得である。奉行も一両貰って得をいたす。三方一両得である。どうじゃ」と言った。
二人は損をしたので、しどろもどろ。
奉行から「この奉行より二分ずつ騙しとろういたす不届き者。よって、双方の髷を切り落とす」との申し渡し。
クリクリ坊主にされた二人「もう毛(儲け)がなくなった」

私も、師匠から言われてオリジナルなオチで演っています。
ただ、いただいた高座本は、ポピュラーな白州で御膳を食するストーリーになっています。
何でも、この噺が中学校の教科書に載ることになったのですが、出版社から、もともとのストーリーでと強く言われて、オーソドックスなオチにしたとのこと。
色々ありますね。

八十八夜

今年は閏年ですから、5月1日が八十八夜です。
学生時代に流行った「八十八夜」という歌が好きでした。
http://www.youtube.com/watch?v=jdxKANsR6OU&feature=related
NSPというグループの歌ですが、何故か……。

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