« 2012年3月 | トップページ | 2012年5月 »

2012年4月

2012年4月30日 (月)

卯月の落語徘徊

4月1日の「第2次落語っ子連」スタートからスタートした卯月。
 
「落語っ子連・三流亭」の稽古会は、1日・15日・29日の3回。
メンバーも新たに3名が加わり、10名で発進出来ました。
何と言っても、尊敬する先輩の「喰亭寝蔵」師匠が、「三流亭越児」として参加してくださったのが嬉しく思います。
新たなスタートに、会長を拝命しましたので、何とか楽しくやって行こうと思います。
一方、「扇子っ子連・千早亭」もスタートしました。
窓口さんが、私と同様に参加してくれて、「千早亭竜太楼」に。
稽古は、10日(火)の1回目に出席しました。

落語会は以下のとおり。忙しくて・・・・。
 ◇ 13日(金)    東京落語会
 ◇ 21日(土)    朝日名人会
 ◇ 27日(金)    特撰落語会

このプログのアクセス累計が、3月21日に24万件を超えた後、4月14日に25万件に達しました。
Fw:尾形光琳Fw:尾形光琳
落語徘徊にいくらかでも資するようにと、ちょいと覗いた展覧会。
 ・ 21日(土)     桜さくらSAKURA(山種美術館)
 ・ 21日(土)     江戸風流てぬぐい展(銀座伊東屋)
 ・ 28日(土)     尾形光琳展(根津美術館)

そして、落語徘徊の武器とも言える、「スマートフォン」と「ウォーキングシューズ」を新しくしました。Medias
 
実は、フォーマル・カジュアル兼用に、新しくバッグも買いました。
そのうちに、このプログにも映像を披露させていただきます。

高座本「あたま山」

実は、この噺を生で聴いたことはありません。

「毎度バカバカしい」お笑いというのが、落語の真骨頂ですが、バカバカしさの成りは違いますが、実にバカバカしい、訳の分からない噺です。
ある人に言わせると、スケールの大きい噺だと・・、ウソつけです。
何故、この噺にこんな言い方をするのかと言いますと、実はこの噺、生まれて初めて演った噺だからです。
落研に入部して、先輩方から与えられた噺です。
当時、雲の上の4年生「狐狸亭酔狂」師匠たちが、寄ってたかって「初心者にはちょうどいい。とってもいい噺だから。」と・・・・。
筑摩書房の「古典落語」に、林家正蔵師匠の速記が載っていましたので、それを書き写して覚えました。
考えてみてください。
落語をほとんど聴いたことすらない初心者が、正蔵師匠の速記だけで演ろうというのですから、結果はもう・・・。
同期の六方さんは「転失気」、狂楽さんは「浮世床」、こり生さんは「孝行糖」、花鳥さんが「桃太郎」、で、乱志が「あたま山」・・・?
ご本人はお忘れだと思いますが、コンパの時だったか、やはり雲上人の「喰亭寝蔵」師匠に、「私の噺は可笑しくないから、受けなくて・・」と、恐る恐る愚痴を言ったら、「面白く演ればいいんだよ」と言われたのを覚えています。
「自分で色々工夫をしてごらん」と言ってくださったんだろうと、努めて思うようにしましたが、かなり酩酊していたようだったから・・・・?
師匠は、一般的なオチで終わらず、オリジナルなストーリーで演っておられるようです。
 袋物の職人のけち兵衛。
腕はいいのですが、大変なけちで、無精という困った性格。
ある年の春。
上野の山に花見に行った。贅沢はしませんで、落ちている物を拾って食べよう算段。
ところが、落ちている物はなくて、腹がペコペコ。
フラフラしながら、桜の木の下で見付けたのがサクランボウで、それをどっさり拾ってみんな食べてしまった。
けちな人ですから、種も飲み込んでしまった。
その内の一つの種が胃の中で発芽して、頭のてっぺんがむずかゆくなってきて、とうとう芽が出てきた。
無精な人ですから、そのまんまにしておいた。
これが成長が早くてニョキニョキと大きくなって、見事な桜の木。
一年後の春には、花を咲かせた。
この「頭山の桜」が評判となりまして、大勢の花見客が訪れ、頭の上で朝からドンチャン騒ぎをしてうるさくってしょうがない。
とうとう、けち兵衛も堪忍袋の緒を切って、頭に手をやると、「もう、人が来ないように」と桜の木を抜いてしまった。
大きく深く、根を張っていたから、あとが大きな穴になってしまった。
すぐに、埋め立てをすればいいんですが、無精ですから、そのまんまにしておいた。
夏になったある日。
けち兵衛は用足しの帰りに夕立ちにあった。
頭の穴に雨水が溜ったのだが、無精で欲張りですから捨てません。
そのままにしておいた。誰言うとなく「頭が池」。
秋になると、そこに鯉、鮒、だぼはぜ、どじょう、えびがになどが住みついた。
朝から子どもたちが釣りに来て、キャーキャーと、うるさいこと。大人たちもやってきて、船を出して糸を垂らすやら、網を打つやら。
中には、「舟遊びだ」てんで、芸者、太鼓持ちを乗せて夜遅くまでドンチャン騒ぎ。
うるさいのなんの。
けち兵衛は「これじゃ、寝られない」と自分の頭の池に身を投げて死んでしまった。
これが噂となって拡がった。
八公「自分の頭の池に身を投げるなんてこと、できるんですかね」
隠居「そりゃあ、袋物の職人だもの。お手のもんさ。袋を縫い上げた直後は裏になっているだろう。それを返して表を出す。それのためには、裏が中へズブズブと入り込むことになる。けち兵衛もそれと同じように、頭の中に頭からズブズブと入り込んだんだ」
八公「あとで『恨めしい』と、出てくるんですかね」
隠居「いや。出て来ない。けち兵衛は袋物と同じで、生きていたときが裏で、死んで表になったんだ」
八公「なるほど。恨め(裏目)はねぇえんだ」

自分の頭に身を投げる・・・。実にくだらないというか・・・。
魚が、世をはかなんで、水の外(上)に身を投げるという発想とも通じるかもしれません。
あまり良い思い出はありませんが、私が初めて演ったネタです。
師匠のこの噺へのコメントです。

「自分の頭の池に身を投げて死んでしまった」と終っても落ちになっている。
が、どうやって身を投げたのかな?」という謎解きも楽しいと思い、付け加えたのが隠居・八公の対談。
針を持つ人が少なくなってきた今日、袋物の説明も蛇足ではない。

反省・・・

このブログ。最近、やや内容が乏しくなって来ている気がして、反省しています。
もう少し、落語のことを深く考えて行きたいと思います。
  

2012年4月29日 (日)

地震

夜7時半頃に地震がありました。
テレビとスマートフォンから「緊急地震速報」が発信されてすぐに、グラグラッと来ました。
九十九里の方では、震度5弱だったとか・・・。

稽古帰り

ゴールデンウィークの上野は賑やかです。
 
晴天の昼下がり、アメ横から上野中通り(うえちゅん)を徘徊。
ここのところ、なかなか時間が作れずにいたので、普段に履く靴を買うことにしました。
安売りの店や、ブランド物を売る店でなく、以前ビジネス用の靴を買った店に行きました。
これはという2つを見て迷っていると、店員のオジサンが、「ウォーキングシューズをお探しですか?」・・・。
・・・ということで、このオジサンの口車に見事に乗ってしまいました。
早速履いて帰りました。
稽古会に通ったり、歩き稽古をしたりする時には、なくてはならないものです。

高座本5冊

稽古場にあるこの木の箱の中には、落語が詰まっています。

師匠の著書、扇子、手拭、CDと、紙芝居、そして師匠手作りの高座本です。
師匠から、1冊300円で譲っていただいています。
各連で演じる人のために、師匠がご自身のネタを製本して、適宜置いてくださっています。
今日は、5冊譲っていただきました。
ちょうど、学生時代から今まで、私が演ったことのある噺をまとめて・・・・。

「あたま山」「子ほめ」「三方一両損」「甲府ぃ」は、私の持ちネタ。
必ずしも、師匠のネタを参考にしている訳ではありませんが、私の落語徘徊のライブラリーにしたいので。
そして、「柳田角之進」は、「帯久」の読み稽古の時に話題になったので。
いつか演ってみたい噺ですから。
これ、宝物ですよ。

帯久

「帯久」の読み稽古。
師匠がじっくり聴いてくださる。
・・・オチを言って読み稽古が終わって開口一番・・・、
「流三さんの噺には、師匠の圓生と同じ癖がある。あたしにもあるし、窓輝にもある。」
要するに、「○○が・・・」「◇◇ので・・・・」と言う時に、「が」とか「ので」を高く・強く言う癖だそうです。
「圓生の弟子は、みんな師匠の癖が移ってしまっている」ということなのです。
確かに、「圓生百席」を聴いていて、そう思います。
直弟子ではありませんが、桂歌丸師匠も、かなり強く出ています。
これも、怪談や人情噺を演る過程で、圓生師匠の癖が移っているのでしょう。
確かに、「◇◇ので・・」と、平坦に言うのが正しいイントネーションでしょう。
師匠の癖を、違和感を感じず、むしろカッコイイと思って、いつの間にか真似ているのでしょう。
・・ということは、私も三遊亭・・?
そんなことはありませんが、気をつけなくてはいけません。
それから、地語りの部分で、「です・ます」で言うか、「だ・ある」と言うのが良いのかと尋ねてみたところ、師匠も、そこは、その場の観客との距離や雰囲気や反応で使い分けるということでした。
・・・なるほど、それで師匠の高座本も「ですます体」だったり、そうでなかったり、体言止めだったり、口語で語尾まで言わなかったり・・、色々でした。   

この噺に似ている部分があるのが「柳田角之進」です。
百両がなくなってしまうという点は共通していますが、「帯久」が犯人?がはっきりしている、「刑事コロンボ」のパターンである一方、「柳田・・・」は、なくなった原因(犯人)が分からない「火曜サスペンス」のパターンです。
「こういう演出の違いが、落語にもあるんだよ」と師匠。
また、勉強になりました。
そうか、次は「柳田・・・」ですな・・・・。

稽古場に飾ってあった兜。

端午の節句も間近・・・。なかなか勇ましく良いものですねぇ。
師匠が座っている右側に、デンと飾ってありました。
テーブルの上に、師匠の扇子と手拭が置いてあります。
・・ちょっと不思議なのは、上の壁に貼ってある「上手」の紙ですね。
これは、「かみて」と書いてあるのです。
稽古をする時に、上下を振る目安として、扇子っ子連の「ワッフル」さんが考案したものを、師匠が指導している連で使うようになったもので、噺っ子連のメンバーで、江戸文字の「鶯春亭梅八さんが書いてくれました。
 
従って、この反対側(右側)には、「下手(しもて)」が、正面の師匠の頭上に「地語り」が貼ってあるのです。
ほら、こんな感じです。

じょうず・へた・・なんて、師匠が仰っている訳ではありません。

三流亭稽古会

出席者7名、うち初参加が2名という賑やかな稽古会になりました。
出席者は、無弦・まど深・まど音・窓口さんと、初参加の百梅さんNさん、そして流三。
初参加の百梅さんは、「噺っ子連・有難亭」からの移籍。
もう一人初参加、館山在住のNさんは、小学校の先生ということで、ご自身が考えて来た「せんこう」ということに。
プロの噺家さんにも「せんこう(扇好)」さんがいますので、千葉県の公務員の意味も込めて「千公」ということになりました。
「三流亭千公」さんの誕生です。
  
稽古は、読み稽古中心でしたが、以下の通りです。
  ◇ 帯久         三流亭流三
  ◇ 片棒         三流亭窓口
  ◇ 目黒のさんま    三流亭まど深
  ◇ 洒落番頭      三流亭百梅

私と窓口さんは、前回と同様の読み稽古。
第2次になってからは初参加のまど深さんは、高座本を師匠から受け取った直後に、初見の読み稽古でした。
初参加の百梅さんは、前の連の頃から稽古を始めた「洒落番頭」。
とても通る良い声で、まだ30歳ということですから、平均年齢を随分下げてくれました。
そして、本日のハイライトは、"英語落語"。
午後から「紅巣亭」の「紅巣亭鶴女」さんが、なんと英語で「もぐら泥」の稽古をということで・・・。
もぐら(土竜)は"mole"、泥棒は"thief "ですから、「a mole thief」というのでしょうか?
私なんぞは、同時に和訳をしたり、映像を想像したりすることなど到底出来ませんから、もう「素晴らしい」の一言でした。

さあ、いよいよ「第2次落語っ子連」も賑やかになって来ました。
5月は、13日と27日が稽古日の予定です。

待ち合わせ

稽古初参加のNさんと、門前仲町駅改札口で待ち合わせ。

目印は、黒っぽいジャケットに、茶色のショルダーバッグを肩に掛けたデブオジサンとお伝えしていたので、すぐに見つけてもらいました。
・・・というより、そんなに人がいる訳ではありませんので、誰でも分かると思います。
Nさんは、館山在住の小学校の先生で、師匠の落語の授業がご縁だそうです。
土曜日に、東京に蕎麦を打ちに来ているので、1泊して落語の稽古をということです。
わが「第2次落語っ子連」も、新潟の越児さんと、館山からのNさんと、こりゃまた随分とグローバルになりました。
えっ? 「グローバル」じゃなくて「グローカル」
Nさんの高座名は、この後の稽古会で決定する予定です。

富岡八幡神社

江戸の神社と言えば、赤坂山王神社・神田神社と並んで、この富岡八幡神社だと言われているそうです。

境内では、恒例の骨董市が開かれていました。
 
落語の「道具屋」は、こんな雰囲気なのでしょうね。
 
神殿で、色々な思いを込めて、お賽銭を投げて手を合わせました。

落語はやおき亭

ゴールデンウィーク、渋滞にはまっている人も多いことでしょう。
何処も行く場所のない私は、部屋でじーっとしているだけ。
  ◇ 堪忍袋      古今亭志ん橋
イライラすることの多いご時世。
思い切り大きな声を出して、すっきりさせたい気もします。
志ん橋師匠の張りのある声で、いくらか気分が良くなりました。

落語DEデート

今朝は早起きしましたから、意識もはっきり聴きました。
   ◇ 三人旅    三代目三遊亭金馬
こういう番組にはぴったりの師匠・演目です。
録音日時も不明だとか・・・。
「三人旅一人乞食」なんていう言葉がありますが、言い得て妙の言葉です。

三遊亭圓歌の演芸図鑑

早く目が覚めたので、ちょっとテレビを見ると・・。
あぁ、また圓歌師匠がやっているんだなぁ。
NHKらしい番組ですが、早朝の番組ですから、あまり興味が湧きません。
  ◇ 勘定板     三遊亭歌之介
地方ネタというか、田舎者ネタが得意な歌之介さん。

落語ファン倶楽部 Vol.16

Amazonで購入した「落語ファン倶楽部」。
 
このシリーズも16巻目になりました。
今回は、立川談志師匠の追悼号と言ったところ。
まだ読んでいませんが、談志教信者の家元礼賛ばかりでしょう。
そういえば、この本のボスでもある高田文夫さんも、体調を崩しておられるようで。
この連休で、パラパラと読んでみることにしましょう。
でも、2,500円もするんです。

2012年4月28日 (土)

根津美術館

久しぶりの根津美術館。
尾形光琳を鑑賞した後は、庭園を散策。
 
都心に、こんな落ち着いた場所があるなんてというところ。
      
桜が終わって、躑躅と藤までのインターバルというところですが、良い天気で清々しい気分になりました。
Fw:写真 Fw:写真


下谷神社の神輿

上野駅の中央改札口に、下谷神社の神輿が飾られました。

下谷人社の大祭は、確か5月13日(土)のはず。

下谷神社と言えば、「寄席発祥の地」。
下町は、春から初夏の祭りが各所で開かれます。

尾形光琳

根津美術館で開かれている尾形光琳展へ・・。
根津美術館所蔵の国宝「燕子花図屏風」と、メトロポリタン美術館所蔵の「八橋図」とを、100年ぶりに並べて展示ということで。
      Fw:尾形光琳
Fw:尾形光琳     
尾形光琳は、は、江戸時代の画家。工芸家。
後代に「琳派」と呼ばれる装飾的大画面を得意とした画派を生み出した始祖であり、江戸時代中期を代表する画家のひとりである。
主に京都の富裕な町衆を顧客とし、王朝時代の古典を学びつつ、明快で装飾的な作品を残した。
その非凡な意匠感覚は「光琳模様」という言葉を生み、現代に至るまで日本の絵画、工芸、意匠などに与えた影響は大きい。
画風は大和絵風を基調にしつつ、晩年には水墨画の作品もある。
大画面の屏風のほか、香包、扇面、団扇などの小品も手掛け、手描きの小袖、蒔絵などの作品もある。
また、実弟の尾形乾山の作った陶器に光琳が絵付けをするなど、その制作活動は多岐にわたっている。
約10年の時間を経て、同じテーマで描いたという、6曲1双の屏風を、広い展示室で並べて鑑賞しました。
Fw:尾形光琳

「昭和の名人アンコール」大トリ

アンコールは4巻だったはずですが、滑り込みの大トリということで、「立川談志」師匠。

小学館に電話して、この巻は、今までの4冊とは違って、「アンコール」の定期購読の範囲外で、自分で買わないといけないことを確認した上で、Amazonに注文しました。
そもそも、談志師匠は、「昭和の名人」に入るのかなぁという、素朴な疑問。
観点は2つ。
まず、「昭和」の噺家さんだったでしょうか?
確かに、若かりし頃に切磋琢磨した、「古今亭志ん朝」「三遊亭圓楽」「春風亭柳朝」などという師匠たちは、このシリーズに入っていますが・・・。
それから、本当に落語が上手かったのでしょうか?
・・・などと言いつつ、著書や特集を買っている私も、大丈夫かなぁぁ。

せんのは落語会

国立演芸場で開催されている「せんのは落語会」という会に、2度ほど行ったことがあります。
こんな記事を見つけました。
千葉県松戸市の不動産業、「明成」の事務所に入ると、天井まで届くほど落語家の色紙や手拭い、宝船ばかりを切った紙切りの貴重な作品が飾られている。
その数は半端ではなく、「自身でも分からない」と社長の青柳徳次さん(65)がいうぐらいだ。落語資料館ができそうだ。青柳さんの落語好きの情熱が伝わってくる。
毎年夏、国立演芸場で行われている「せんのは落語会」は今年5回目で、7月29日に行われる。
千葉県出身の落語家が出る。青柳さんはその協賛を続けている。
「自分で落語会をやって楽しいのは、落語家さんにリクエストができること」という。
高じて、自身が書いた落語「雨ニモ負ケズ」を3年前に高座にかけてもらい、「お客さんに笑ってもらった」と、うれしそうだ。
落語好きもここまでくると、楽しくて仕方がないだろう。
「好きだからできる。楽しみながらやっている」といいながら「ゴルフもやらず、酒も飲まないから。
お小遣い程度でやっている」とも。
自身の行う落語会では、必ず客席後方に座り、「お客さん、楽しんでいるかな」と、そのときばかりは席亭の気持ちだ。
「飲まないので打ち上げにも行かない。『さよなら』といって、会が終わるとすぐに帰る。
よくあるように、落語家とはべたべたした付き合いはしない」
と、青柳さんは何よりも落語自体が好きなのだ。
「仕事には一切結びつかない」と笑う。
そこだけ聞いていると、まるで落語に出てくる道楽息子のようだが、青柳さんが打ち込んでいるものがもうひとつある。
落語家の墓参りだ。
文人墨客の墓参りが「掃苔(そうたい)」として人気になったりしているが、落語家だけというのは珍しい。
青柳さんも「マイナーな趣味で」という。
しかし、落語家のお墓を探して参るというのは、聞きしに勝る大変さだ。
文献を調べたり、新聞をひっくり返したりして、その場所を調べる。
落語家に会うと、師匠の墓の場所を尋ねる。
みんな不思議に思うようだ。
「あなたが来られたのは40年ぶりです」と言われたり、遺骨泥棒に間違われたり、墓地にある全ての墓を1基ずつ調べたり、苦労の連続だ。
「墓守さんに、『ここです』といわれて、線香に火をつけて、よく見たら、違っていて、その隣の墓だったことも。まるで落語の『お見立て』だった」
青柳さんが落語家の墓参りをするのには理由がある。
この人たちがいて、今、私は落語を聞ける。これまでの落語家さんのおかげです
現在までに見つけた落語家の墓は100人を超えた。そこにたどり着くまでの、それぞれの苦労話が面白い。
落語家の墓を調べることで、これまで分からなかったことも明らかになる。過去の落語家の人間関係も分かってくるという。
「まだまだです」と、落語会と趣味の落語家の墓参りを続けている。

私など、足元にも及びませんが、何かこう、素晴らしなぁと思います。
特に、文中の下線引かせてもらった部分など、「その通り!」と、思わず叫んでしまいました。

2012年4月27日 (金)

特撰落語会

仕事を終えて、深川江戸資料館へ。
特撰落語会
「柳家さん喬の前座噺と蔵出しの会」という趣向でした。
大看板のさん喬師匠が、前座噺を・・という。
ゲストの色物さん以外は、前座さんも出ず、開口一番からさん喬師匠です。
  ◆ 小野小町        柳家さん喬
  ◆ 牛ほめ          柳家さん喬
    ◆  高砂や         柳家さん喬
  ◆ 魂の入れ替え      柳家さん喬
  ◆ 蝦蟇の油        柳家さん喬
  ◆ 鴻池の犬        柳家さん喬
最初の4席は、続けてお演りになりましたが、”さん喬三昧”でした。
「前座噺」というのは、明確な定義がある訳ではありませんが、話芸としての基礎技能や常識・蘊蓄を学び、大きな噺のペースになるものだと思います。
「道灌」「牛ほめ」「子ほめ」「金明竹」「一目上がり」「たらちね」「松竹梅」「鮑のし」・・・。
様々な知識が盛り込まれています。
一般教養課程というところでしょう。
楽しい落語会でした。

特撰落語会の予約

特撰落語会の予約。
① 6月27日(水) 「第36回特撰落語会~雀々・市馬二人会」
② 8月 3日(金) 「第37回特撰落語会~さん喬・雲助二人会」
  

どうらく息子・四

Amazonで注文したその日のうちに配達された1冊。

一気に読んでしまいました。

師匠の5月の寄席出演

「東京かわら版」からの情報です。
来月、師匠が、久しぶりに寄席にご出演されます。
 ◇中席(11~20日)  新宿末廣亭・昼
 ◇下席(21~30日)  浅草演芸ホール・昼
いずれも、仲入り前(中トリ)でのご出演です。
ただし、浅草は圓歌師匠との交互のご出演のようですから、出演日の確認が別途必要です。
体調も完全に復活ということですね。

2012年4月26日 (木)

Amazon・・・

「コールデンウィーク中に読んでみようか」と・・・。               
Amazonで、落語関連の書籍3冊をネット購入したのが、今日の午前11時過ぎでした。
それから、「注文の品を発送した」というメールが来たのが、午後3時ちょっと前・・。
そして、自宅には、夕方の6時30分頃に配達されたそうです。
いやはや、大したものです。

お江戸あおば亭の番組

寝坊師匠のアングラ(ホットライン)情報から、友楽師匠のご出演はほぼ確実なことが分かりました。
そこで、以下のような番組を組んでみました。
  ◇ 手紙無筆             南亭蕪生   
  ◇ 黄金の大黒           桂友楽    
  ◇ へっつい幽霊                談亭志ん志  
                   仲入り       
  ◇ 湯屋番                     恋し家古狂
  ◇ 救いの腕
~三遊亭圓窓作    金願亭乱志
  ◇ 天狗裁き             喰亭寝蔵
これで、13時開演で16時ちょうどぐらいにはねることが出来ます。
何とか、補欠も入れてもらえそうです。

東京かわら版

「東京かわら版」の5月号。

落語芸術協会の新真打の記事で誌面が賑わっています。
・・・私は一人も知りません・・。
「横井洋司の写真館」というコーナーでは、一之輔さんの真打披露がメインですが、朝日名人会で「雁風呂」をお演りになっている師匠の写真も載っていました。
あぁ、この後、楽屋を訪ねたんだったと、懐かしく思いました。

2012年4月25日 (水)

第4回お江戸あおば亭

6月9日(土)に開催予定の「第4回お江戸あおば亭」は、ただいま出演者募集中ですが、仙台の桂友楽師匠がご出演されるかもしれません。
さあ、こうなりますと、補欠である私の立場が危うくなりますが、それはともかく、「落研四天王」の揃い踏みが実現しそうです。
今回は、新たに「恋し家古狂」師匠がご出演、「四天王」の揃い踏み、トリが「喰亭寝蔵」師匠ということで、またまた楽しみな落語会になりそうです。
友楽師匠がご出演の場合、その演目によっては、私(補欠)は出演出来なくなるかもしれませんが、それだけOB会の活動が盛んになって来ているということで、大変喜ばしいことでもあります。
会報「あおば亭」も、新しい企画を考えていただいているようですから、これもまた楽しみに待っていたいと思います。

早朝の地震

5時20分頃に地震がありました。
千葉県東方沖が震源でM5.5程度。
都内および周辺は震度3。
もはや驚くほどのものではなくなりましたが・・・・。
首都直下型、東海沖地震は起こるのでしょうか・・・?
新聞は、敦賀原発の直下に活断層が発見されたと騒いでいます。
一方、127億光年先の銀河団が発見されたそうで、考えてみれば、地球なんて、水面に浮かぶ桜のひとひらみたいなものなのですから、揺れたり・水を被ったりしても不思議ではないのかもしれません。
澱みに浮かぶうたかた・・・。

2012年4月24日 (火)

震災復興支援基金

こういうのは、他言無用の余計なことなのかもしれませんが・・。
今年の2月に、落研OB有志で「番外あおば亭」という落語会の自主公演を行いました。
とにかく重度の「落語中毒患者」たち5名のことですから、勿論木戸銭は無料で、出演者の手弁当で開催させていただいたのですが、本当に有り難いことに、ご来場くださった何人かの方々から、ご丁重なご祝儀を頂戴いたしました。
さあ、このお気持ちをどうしようかと、出演者で色々と考えました。
私と笑児さんは、密かに"着服・山分け"を企てたのですが、何故か先輩方の知るところとなり、二人の悪事は失敗に終わりました。
http://www.bureau.tohoku.ac.jp/kikin/revival.html
そこで、母校の基金のひとつ「震災復興支援基金」に寄付をしようということになり、笑児さんが、手続をしてくれました。Photo_3
第2の故郷仙台を思う心は、暮らした時間は出演者それぞれ違っていても、熱く深く、終生忘れることが出来ないのです。
「東北大学落語研究部有志」で・・・。
いや、もしかすると「破れ家笑児」の個人名でやっているかも・・・。
寝蔵師匠から、「またやろうよ」という嬉しいメール。
お願いをしたり、あてにしたりした訳ではありませんが、ご贔屓の方々が心をこめてくださったものですから、さらに我々の心を加えて・・・。
言わずにいるべきことですが・・。言っちゃいました・・(*´ェ`*)
だから、お喋りは駄目ですね・・・。トホホ・・・┐(´д`)┌

オープンカレッジ

工学院大学エクステンションセンターから、5月と6月の師匠の講座へ申し込みをしましたので、早速請求書が届きました。
オープンカレッジ
銀行振込によるだけでなく、コンビニでも払込が出来るんですね。
たいしたものです。

2012年4月23日 (月)

三三時代

柳家三三さんの後援会「三三時代」から。
三三時代
それにしても、大したものです。
新装成ったあの「イイノホール」での独演会の案内です。
しかも、月例の独演会「月例 三三独演」です。
確か、「お江戸日本橋亭」からスタートして、「紀尾井ホール」や「内幸町ホール」、さらに「国立演芸場」などと、だんだん大きな会場になり、とうとう・・・。
最近はちょっとご無沙汰気味ですが、ちょっと狙ってみましょうか?

読売GINZA落語会

e+(イープラス)からメール。

公演名   : 第37回 読売GINZA落語会
会場名   : ル テアトル銀座 by PARCO
抽選結果   : 当選
公演日時   : 2012/06/22(金)  18:00開場 18:30開演
席種         : S席
久しぶりに当選しました。

浅草お茶の間寄席

ローカルテレビでやっていました。
  ◇ 新島八重伝     桂幸丸
幸丸師匠自作の「・・・伝」のひとつみたいです。
これ、落語って言うのかなぁ・・・。
オチもつけていないようだし・・・。

2012年4月22日 (日)

たけのこ祭り

郷里は、今日は名産の「筍(たけのこ)祭り」だったそうです。
http://www.town.nanbu.yamanashi.jp/kankou/fes_takenoko/fes-takenoko_top.html
私は、家でじっとしていて、筍料理に舌鼓を打ちました。

遅咲きの桜もあり、そして若葉の新緑が心を和ませてくれます。

春です。

新東名高速道路

写真は、水戸街道の葛飾区(立石)から望む東京スカイツリー。

日曜日の朝6時台の道路は空いています。
1東名高速の「御殿場IC」を過ぎたところに出来た「御殿場JCT」から、真新しい「新東名高速道路」へ。
予想外にガラガラでした。
ところが、、「駿河湾沼津SA」だけは、何故か「満車」の表示。
そしてふと気がつくと、スピードメーターが、知らないうちにかなり上昇。
「えっ?こんなにスピードが出ているの?」という感じです。
曇ってはいましたが、何故か、銀色の富士山が神々しい姿を見せています。
2「いつ頃開通するのかなぁ。」一時は開通も危ぶまれて、在来の道路から見上げていた工事中の新高速を走っている感慨も少し湧いたりして・・・。
「御殿場JCT」から「新清水IC」まで30分足らず。
そして、「新清水IC」から自宅までは10分強。

今までの、「東名・富士川SA」のETC専用出口からは約20分。
東京ICから新清水ICまで、日曜の割引料金で2,000円ちょうど。
富士川SAスマートICまでが1,950円。
両方使えますね。 
いずれにしても、なかなか快適なドライブでした。

落語はやおき亭

日曜日の早朝、空いている東名拘束を一路郷里へ。
車中では、たい平さんの声が響きます。
  ◇ 湯屋番      春風亭一朝
一之輔さんの師匠。
とっても優しい師匠だそうです。
今日は、先日開通したばかりの「新東名高速」を通ってみようと思います。

落語DEデート

肌寒い朝です。今にも雨が降りそう。
   ◇ 猫の災難   三笑亭可楽
いつもの可楽節です。
本当にあっさりした噺です。
こういう番組にはもってこいの師匠です。
でも、この録音の時の出来はあまり良くない感じです。
帰省する愛車の車中で聴く、いつものラジオ番組。

2012年4月21日 (土)

江戸風流てぬぐい展

ひつまぶしのあと、ひまがあったので・・・。 

今欲しいのは、風車の柄のものですが、なかなかありません。
それから、季節はずれではありますが、萩も欲しい・・。
ちょっと迷ったのが、雀の柄。
あとは・・、猫とネズミと竹も・・・。

風車は、「笠と赤い風車」を演る時に使いたい。
萩は、秋(9月)の仙台での高座で使いたい。
雀・猫・ネズミ・竹は、「ぬけ雀」「猫定」「ねずみ」「竹の水仙」・・・。
演ってみたいから。

ひつまぶし

ひまつぶしではありません。ひつまぶし。

最近、鰻の値段が高騰しているそうです。
全体的な不漁と、中国などでの需要の増加によるもののようです。
「朝日名人会」の後は、ちょっと贅沢にひつまぶし・・。

3つの食べ方を楽しむというのが、このひつまぶしの特長だそうですが、どんなふうに食べても、お客の勝手でしょ、なんて言いたい気持ちを抑えて・・・。
春の土用の内の、ささやかな贅沢・・・。

帽子マナー

寄席やホールでのマナーの話。

以前も、この「朝日名人会」で見かけましたが、帽子を被ったままでいる観客がいます。
今日の有楽町朝日ホールでも、チラホラ見かけました。
近くで野球帽を被っていた男性は、会場の係の人に言われて、申し訳なさそうに取りました。
一方、私の斜め3列ほど前に、開演時からずっと帽子を被っているおばあさんがいました。
仲入りの時に、係の人が席まで行って、脱帽のお願いをしていたようですが、このおばあちゃん、何か訳があるのか、終演までそのままでいました。
何か訳があるにしても、やはり後ろの席の人のことも考えれば、脱帽するのがマナーだと思うのです。
細かなやりとりは分かりませんが、頑ななおばあさんでした。
・・おばあちゃんの頑固さに、係の人が脱帽してしまったようです。

朝日名人会

通し券でなく、個別に買ったチケットで。 
本日の席は、最後列から2番目。
それでも、そこそこ見やすい席だと思います。 

  ◆ 狸札        柳家おじさん
  ◆ 粗忽長屋     古今亭朝太
  ◆ 花見の仇討    柳家三三
  ◆ 厩火事       古今亭志ん橋
  ◆ 井戸の茶碗    立川生志
  ◆ 明烏        柳家さん喬

とにかく、よく寝ました。
まともに聴いたのは、さん喬師匠ぐらいで、あとはボーッとしながら、うつらうつらといい気持ちでした。
三三さんや生志さんを聴いていて、全体的にリズムを奏で、滑らかな旋律のようなものを作りあげないと、プロの噺家さんのようにはならないんだなと実感しました。

山種美術館

「美術館でお花見!」というフレーズが気に入って・・。

1年ぷりぐらいで、広尾の山種美術館へ。
昨年は確か・・・、ボストン美術館所蔵の浮世絵を鑑賞しました。

桜 さくら SAKURA ・・・。
いいものです。

2012年4月20日 (金)

スマホ……(^O^)

かなり慣れて来ました。
Medias聞いていたとおり、電池の消耗が早いようですが、それでも、色々な機能があって、楽しいですね。
このプログなとは、写真も文字も、スマホの方がずっと綺麗に見られます。
何と言っても、手書きで文字入力出来るのも便利です。
それで今夜は、充電器とイヤホンとタッチペンを買ってしまいました。(*^^*)

富士川河口断層帯・・

またまた悩ましい記事。
 富士川河口断層帯
もともと、静岡市清水区から富士宮市までと認識されていたようですが、さらに北の山梨県富士河口湖町まで・・・。
地震は、東海沖からだけではなく、どうやら足元にも火種がありそうです。フォッサマグナもあり・・・。
そう言えば、昨年から今年にかけて、富士宮市と河口湖周辺で、局地的に大きな地震がありました。
富士宮市では、富士山の湧き水が住宅に浸水したと聞いています。
日本中、どこにいても無事な場所はないようで・・・。Photo
どうでも良い話ですが、「富士川河口」というのは、「ふじかわかこう」と読むのではなく、「ふじかわかわぐち」と読むんですね。
それにしても、富士市も田子の浦あたりは、「吉原」と言われる地名で、花魁はいませんが、昔は文字通り吉の原で湿地帯でしたから・・・。

2012年4月19日 (木)

読売GINZA落語会・・・

6月22日(金)「読売GINZA落語会」の(イープラス)プレオーダーにエントリーしました。
出演者が、柳家さん喬・三遊亭小遊三・五街道雲助・柳家権太楼の各師匠という・・・。
これは、エントリーの価値ありです。
ただ、イープラスのプレオーダーには、ここのところ当たらない気がしています。
三越落語会やらいろいろ・・・・。
とはいえ、エントリーしなくては当たりませんから。

来月の学士会落語会

来月の学士会落語会の例会の案内メールを受信。
Fw:写真
今回の例会は、「柳橋三代」をテーマとし、DVDで六代目と七代目春風亭柳橋師匠を偲び、当代の柳橋さんの落語という趣向です。
 ○日 時  : 平成24年5月19日(土)
               13時30分受付開始  14時 開会
 ○会 場 : 学士会館3階 302号室
 ○内 容 : DVD映写 六代目春風亭柳橋 “花筏”
                    七代目春風亭柳橋 “三井の大黒”
                 落 語    春風亭べん橋     “転失気”
                 落 語   八代目春風亭柳橋 “お見立て”
                        仲 入 り
                 落 語   八代目春風亭柳橋 “妾馬”
                 対 談   八代目春風亭柳橋 vs 山本進先生

昨年度は、朝日名人会の年間通し券が当たったので、ずっとご無沙汰してしまいましたが、今年度は、再び通わせていただきたいと思います。

工学院大学オープンカレッジ

新宿西口にある工学院大学のオープンカレッジで、師匠が新しい高座・・でなく講座をスタートされました。
http://www.kogakuinuniv-ext.jp/category/culture/post_260.php
≪話芸を楽しむ「圓窓の語り」≫というテーマで、全3回の講座です。
第1回は昨日でしたから、残念ながら、今月は終わってしまいましたが、5月16日
と6月20日のコマは聴くことが出来るかもしれません。
【講座の内容】
 日 時 : 4月18日・5月16日・6月20日(水曜日)
               18:30~19:30(全3回)
 定 員 : 40人
 会 場 : 工学院大学新宿キャンパス
              中層棟8F ファカルティクラブ
 受講料 : 一般2,000円/各回
 演 目 : テーマは三道楽「飲む・打つ・買う」
        第1回 飲む「一人酒盛」(4/18)
        第2回 打つ「猫定」(5/16)
        第3回 買う「明烏」(6/20)
「猫定」が聴きたいと思います。
「明烏」も聴きたい。
申し込んでみましょうか・・・。

2012年4月18日 (水)

蒲田・・・

京急蒲田駅のすぐ近くにある蒲田八幡神社。

・・こんなところにという感じで、なかなか素晴らしい場所です。
葉桜になりつつある中でも、はらはらと散る花弁もあり・・・。
落語では、あまり蒲田は出て来ませんが、東海道を下り、六郷(多摩川)の手前です。
ここを渡れば相模国の川崎です。

箱根駅伝でも名物の、京急蒲田駅前の踏切も、間もなく高架化されるようです。

人口減少

「六日知らず」じゃありませんが、数や量が減るというのは、心配になるものです。

日本の人口が、予想以上の早いスピードで減少し、高齢化が進んでいるというニュース。
今日より明日が豊かになるという時代に育った私には、何とも言えない気持ちになります。
年齢分布のバランスも頭でっかちになり、大変です。
八っつぁん一人に、ご隠居と大家とおっ母さんが覆い被さるということですから。
我々世代以降は、死ぬまで働かないといけなくなる・・・?
根岸の里のわび住まいなどは、夢のまた夢・・・

東京タワー

最近は、東京スカイツリーの影に隠れてしまっている感のある東京タワー。Photo
今朝、霞ヶ関のイイノビルから東京タワーを見て、「あれっ?」。
 ⇒ 

ほら、先端の細いアンテナ部分の根元が、何かに巻かれているようになっています。Photo_2
確か、こんなふうにはなっていなかったはず。
ようく見ると、少し左側に曲がっているような気がしますよ。
東日本大震災で曲がってしまったとは聞いていましたが、これを修理するのでしょうか?
それとも、一通りの役目を無事に終えて、アンテナ部分に手を加えるのでしょうか?

  3月下旬にはこんな感じでしたからねぇ。

2012年4月17日 (火)

高座本

先日の稽古会で、新たに高座本を2冊いただきました。

ひとつは、「道灌」。
持ちネタに、軽い滑稽噺が少ないので、以前から何か持ちたいと思っていました。
今後、ちょっとした場所で落語を・・、などと言われたら、メインディッシュの人情噺とセットで、前菜の前座噺として使えますから・・・。
もうひとつは、「桶屋裁き」。
これは、「佐々木政談」「池田大助」と言った方がポピュラーだと思いますが、圓窓師匠がオチのないところへオチを加えて「桶屋裁き」としてものです。
どうも、政談・お裁き物が好きな傾向にあるようで、好きな噺です。

帯久

師匠から高座本「帯久」をいただいて・・・。
      
先日の稽古で読み稽古・・・。
師匠のブログのコメントにもあるように、講釈から移入された大岡裁きもので、かなり苦しいお裁きでもあり、どうしても重く、堅くなりがちです。
師匠は、「それをどう処分するか、だろう。」と・・・・。
私なりに、師匠のご期待?に応えるできるように作ることが出来るかということで、自信はありませんが、チャレンジしてみようと思います。
「揺れるとき」でも、最初の読み稽古の時に感じたのですが、読んでいるだけでもかなり長く、「えっ?まだオチにならない・・・?」と、足が痺れそうになりました。

2012年4月16日 (月)

秀句傘(しゅうくからかさ)

洒落のうまい男を召し抱えた大名が、傘についての洒落がわからず、怒ったり、なんでも感心したりするという、狂言。Photo_2
大名は会合の席で自分のわからないことでみんながどっと笑うので自分が笑われているのではないかと心配するが、近ごろ「秀句」が流行っていることを知った。
そこで、密かに秀句を習おうと太郎冠者に秀句の得意なものを召し抱えるよう命じる。
太郎冠者が連れてきた新参の者は昔、傘張りをしていたので「傘」を使った秀句なら得意だと言う。
早速「披露せよ」と言うと
(遠くから来たので)「骨を折って参った」
「つれづれに申そう」
「得申さぬ」
などと言うが、そもそも秀句がわからぬものだから、新参の者の言っている内容が分からない。
真に受け、大名は怒って一旦新参の者を追い出す。
太郎冠者から先程の秀句の意味を聞いた大名は、再度現われた新参の者が言う秀句と勘違いして笑いどころでも何でもないところで大笑い。
気をよくした大名は褒美にと扇や小刀、着ているものまで差し出す始末。
いつの間にか褒美をたくさんもらった新参の者は立ち去り、残る大名と太郎冠者。
己の失態と無知を実感した大名は、「秀句とは寒いものじゃ」。
・・・なるほど、洒落の分からない大名ですね。
田中三太夫さん、・・じゃなくて太郎冠者も大変です。

師匠のコメント

師匠が早速ブログにコメントをしてくださいました。

「三流亭越児(こしじ)」と命名。
 初稽古は近々落研OB落語会で演るという[天狗裁き]。
 落研の連中にありがちな難癖(なんだろう?)がほとんどない。
 いい口調だ。
 指南のし甲斐があるというもの、、、、。
読ませ稽古、窓口(まどぐち)[片棒]。
 現代にも通じるテーマかもしれない。
 それだけにただ単に笑わせるだけではなく、普遍的なものを
 感じさせるように演出も大事。
読ませ稽古、流三(りゅうざ)[帯久]。
 講釈から移入されてものなので、どうしても重く、堅くなりがち。
 それをどう処分するか、だろう。

秋には発表会をと張り切っているので、稽古も熱が入っていい。
やはり、張り詰めたものがあるというのは良いものです。

幽霊の辻

以前どこかで聴いたことがある気がして・・・。
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2009/03/post-4dd7.html
2009年3月18日、内幸町ホールでの「らくだ亭」。
柳家権太楼師匠と上方の桂梅團治師匠との二人会でした。
権太楼師匠が演っていました。
先日の平治さんの噺にも、確かに権太楼師匠がいました。
小佐田定雄さんという関西の作家の方の原作だそうです。
山向こうの『堀越村』というところまで手紙を届けくれと頼まれた人。
中腹まで登ってきたところで暗くなってしまい、急に心細くなった彼は近くにあった茶店で休息しつつ、出てきたお婆さんに堀越村までの道のりを訪ねてみた。
「へぇへぇ、まず《水子池》というのがあります」
飢餓の時期、生活に困った女たちが産んだ赤ちゃんを捨てたことからその名がついたという。
今でも、橋の上を通るたびに赤子の泣き声がするのだとか…。
「万が一子供がのぞきこむと、友達欲しさにずるずるっと…引っ張りこむんです。…そのさきには」
そんな感じで、村へと続く道は幽霊のオンパレードなんだとか。
主人公は震え上がってしまった。
「幽霊の辻…それを超えれば村やな? あれ、おばあさん?」
言うだけ言って、おばあさんは店へ引っ込んでしまった。
・・・・・・
好みの問題ではありますが、あまり好きにはなれません。
平治さんの演出も良くなかった。
予想どおりではありますが、この噺は小佐田さんが、1977年に桂枝雀師匠のために書き下ろした噺で、小佐田さんにとって処女作であり、落語作家になるきっかけになったものだとか。
やはり枝雀師匠のための噺で、枝雀・権太楼師匠のコピーでした。
平治さんには、絶対にコピーなどしないでと、切に願います。
大名跡の11代目桂文治になるんだから。

2012年4月15日 (日)

古石場文化センター第2和室

稽古会の後、越児さん・窓口さんと3人で、近くの「江東区古石場文化センター」へ。
http://www.kcf.or.jp/furuishiba/index.html

落語っ子連の稽古は、メンバーの三流亭まど音さんがオーナーである「クレスミュージックキューブ」の2階をお借りして行って来ました。
ところが、今秋、この建物を建て替えることになり、音楽教室も近所に移転することになったそうです。
そこで、我々も新しい稽古場を探す必要が出て来ました。
慣れ親しんだ門前仲町を離れがたい気持ちもあり、現在の稽古場の至近にある「江東区古石場文化センター」を借りてみようということになりました。
公的な施設ですから、都度申込が必要ですが、日曜日の午前中なら比較的空いていることが多いようですから、ここをベースにする方向で考えて行きたいと思います。
そこで、試しに、5月13日(日)の稽古会を、ここの「第2和室」でやろうと、本日予約しました。
今後は、私が3ヶ月前に師匠のご都合と相談して、WEB予約をすることにします。
9月頃までは、クレス音楽教室をお借り出来るようですから、今秋以降ということになります。
場所的には、今とほとんど変わりませんのでひと安心です。
公的な施設で、使用料が安いのは良いのですが、使用する時間帯が「午前」・「午後」・「夜間」となっていますので、我々は「午前」の時間帯を選びたいと思います。
そうすると、【午前9~12時】の3時間で、使用料は【650円】です。
朝が早くなりますが、師匠にもご了解をいただきましたので、やってみたいと思います。

三流亭越児(こしじ)さん

尊敬する喰亭寝蔵師匠の落語っ子連での高座名。

やはり、新潟(柏崎)から来てくださるというので、ご当地的な名前というのを意識して、「三流亭越後」とか「三流亭朱鷺」だとか、「三流亭角栄」だとか・・・。
師匠から、「越路」という案が出ましたが、そのままの字ではということで、「越治」「越慈」「越児」「越二」・・・。
ご本人から、「三流亭越児」さんということになりました。

落語っ子連稽古会

落語っ子連稽古会。

遠く新潟県柏崎市にお住まいの寝蔵師匠が、落語っ子連に加わり、初参加。
乱志の落研の先輩で、OBの間では「落研御三家」の一人と言われる、あの名人の寝蔵師匠です。
娘さん(とお孫さん)に会いにご夫婦で上京されるのに合わせて、メンバーとしてご参加いただくことになりました。
私にとっては、大変刺激になる、この上なく嬉しいことです。
師匠から「三流亭越児(こしじ)」という、新潟県に因んだ高座名をつけていただきました。

今回の出席者は、窓口・流三・越児・まど音の4名。
読み稽古をやらせていただきました。
  ◇ 片棒      三流亭窓口
  ◇ 帯久      三流亭流三
  ◇ 天狗裁き   三流亭越児 [初稽古]
まだ、読み稽古の段階ではありますが、オジサン3人熱のこもった稽古会になりました。
いやぁ、自分で言うのも何ですが、レベルの高い稽古だと思います。
それにしても、予想通り、師匠は寝・・、じゃなくて越児さんのことを褒めていました。
そりゃあ「御三家」ですから。

花筏

稽古場へ向かう道。

2週間前の稽古の時は、まだ蕾だった桜花も、花を咲かせ満開になり、風に吹かれて花弁を散らし、今日は水面に見事な花筏・・・・。
今年の春は遅い感じがしましたが、今や真っ盛りという感じです。
尊敬する寝蔵師匠と二人で歩ける幸せとともに・・・。

稽古場へ

寝蔵師匠と門前仲町駅の改札口で待ち合わせ。

落語っ子連に正式に入会されて、今日が顔見せの日です。
先週に続いて、日曜日は春らしい日になり、深川不動尊の表参道もとても賑やかです。
約束どおりの時刻に合うことが出来、二人で稽古場へ向かいます。

師匠の創作噺

師匠のプログから。
語りっ子連のオペラさんから、メールがきた。
「師匠の創作、[チャンコの恩返し][蕎麦地蔵]に挑戦したい」と。
落語っ子連の流三(りゅうざ)さんが挑戦して高座にかけてくれているので、新たな宣言者の出現に嬉しい。
今後、[石一つ]を羽織っ子連の長矢(ながや)さんに演ってもらおうと思っている。
・・・やはり、「圓窓創作噺の会」をやらないといけませんね。

落語はやおき亭

先週に続いて、春風亭一之輔さん。
   ◇ 蛇含草     春風亭一之輔
「そば清」は聴きますが、「蛇含草」はあまり聴きません。
一之輔さん、あまり出来は良くなかったような・・・。
というのは、自分で喋りながら笑ったり、例の雑な語りも出て、オチもまごついた感じがして・・・。
それにしても、これだけ怒涛のように売れて来ると、ご本人もさぞやお疲れでしょう。
都内の4定席と国立演芸場で50日間、トリを取るという・・。
圓窓師匠の頃は、7ヶ所あったそうで、一之輔さんと同じく一人真打(昇進)だったので、70席お演りになったそうです。
トリのネタを70・・・。物凄いことですね。

洒落番頭

「洒落番頭」について、師匠の「圓窓五百噺ダイジェスト 」から。
http://www.ensou-dakudaku.net/furrok/si.html#38
さる商家の主人、老妻に「うちの番頭は洒落番頭と言われるほどの洒落の名人です」と聞かされたので、番頭を呼んで「洒落をやって見せておくれ」言う。
番頭が「では、題をいただきます」と言うので、「庭の石垣の間から蟹が出てきた。
あれで洒落を」と主人は頼む。
番頭は即座に「にわかには(急には)洒落られません」という。
洒落のわからない主人は真面目に受けて
「できないなら、題を替えよう。孫が大きな鈴を蹴って遊んでいる。あれでどうだ」と言う。
番頭、すぐに「鈴蹴っては(続けては)無理です」。
主人は「『できません』『無理です』って、なにが名人だ!」と本当に怒ってしまう。
番頭は慌てて、部屋から退散して、「主人の前では二度と洒落はやるもんか」と独り言。
主人は老妻にその話をすると、「それは洒落になってます」。
「『できません』『無理です』って断わるのが洒落かい。」
「洒落になってますよ。番頭は洒落の名人なんですから、番頭がなんか言ったら、『うまい、うまい』って褒めてあげなさいよ。それを怒ったりして、人に笑われますよ」「じゃあ、番頭を呼んで謝ろう」
呼ばれた番頭、主人に謝られて盛んに恐縮する。
主人「機嫌を直して、もう一度、洒落をやっておくれ」
番頭「いえ、もう洒落はできませんで」
主人「やぁ、番頭。うまい洒落だ」

師匠のコメント。
原話は小咄の[庭蟹]であるが、古い速記本にそれを膨らませて[洒落番頭]と題した作品があったので、それを脚色したのが、この[洒落番頭]。
主人の洒落のわからなさぶりは、演者の呼吸、聞き手のセンスで受けたり受けなかったりする難しい話でもある。
狂言に〔秀句傘〕という作品があるが、これがまさに[洒落番頭]。

・・・なるほど、「庭蟹」~「にわかに」~「俄かに」。
「鈴蹴っては」~「すずけっては」~「つづけ(続け)ては」・・・。
こういう、軽い噺こそ、言葉遊びの原点なんですね。

落語DEデート

今朝も起きられました。
   ◇ 子ほめ    三遊亭百生
上方弁の「子ほめ」はなかなか聴きません。
百生師匠は、在京で上方落語をやっていたんだそうで。
「野崎」の出囃子で、上方弁で、在京で・・・、私にとっては「桂小南」師匠です。

2012年4月14日 (土)

25万件

本日25万件アクセスに到達せり。
Fw:写真
スタートして3年3ヶ月と14日・・・。

師匠との交信

落語っ子連のMLに、東京落語会のプログラムのことをコメントしたところ、早速師匠から、「洒落番頭」について返信がありました。
[庭蟹]と題した小咄として生存していたもので、古い落語の本に[洒落番頭]というタイトルで演られていました。
それを、あたしが蘇生させたんです。
源泉は古く、狂言に「秀句傘」という作品があります。
狂言では〔駄洒落〕の部分を〔秀句〕と言っています。

・・・なるほど、そういうことですか・・・。
私も、僭越にも千早亭では師匠創作噺を演らせていただいていますが、>良い噺は繋げて行きたいと申し上げたことには・・・、
語りっ子連のオペラさんも[チャンコの恩返し][蕎麦地蔵]を演りたいと言ってきてます。020701
そんな人が増えたら、何人かで圓窓創作噺会でも開いてくださいよ、、。
・・・またまたなるほど、「圓窓創作噺の会」って、いいですねぇ。
ワッフルさんが「ういろう売り」、オペラさんが「チャンコの恩返し」「蕎麦地蔵」、そして私が「救いの腕」「揺れるとき」「鬼子母神 藪中の蕎麦」。
このほか、再生させたり、肉付けしたりした噺も加えると・・・、
「雷月日」「枯木屋」「おはぎ大好き」・・・・。
十分やれますね。

新東名高速道路開通

私にも影響のある、新東名高速開通のニュースです。
写真は、現東名高速道路の富士川SAから眺める富士山です。

3岡県内区間約162キロが供用開始される新東名高速道路の開通式が14日、新東名新富士インターチェンジであり、前田武志国土交通相ら関係者約1000人が参加した。
新東名は、海老名南ジャンクション(JCT、神奈川県)-豊田東JCT(愛知県)間の254キロで20年度に全面開通予定で、同日午後3時、御殿場JCT(静岡県御殿場市)-三ケ日JCT(浜松市)間が先行して開通する。
1開通区間内では、3JCTで東名高速道路と接続し、新東名と東名に流れが分散して渋滞解消が見込まれる。
また、東名より内陸を走るため津波の被害を受けにくい。先行開通区間のサービスエリア、パーキングエリアに計12カ所のヘリポートを設置し、防災拠点としても期待される。
構造物には最新の建築技術などが投入され、富士川にかかる新富士川橋(同県富士、富士宮市)は設計などに特色があるとして土木学会田中賞に選ばれるなど、複数の橋やトンネルが建築の世界で権威のある賞に輝いている。
2帰省するのに、現在は、東名高速富士川SAのスマートインターチェンジで降りて約20分。
新東名では、その「新富士川橋」を渡って、静岡市清水区の山間地の新清水インターチェンジから、おそらく15分程度?
今度帰省する時には、試しに利用してみようと思います。
でも、今までの方が良いのかもしれません。
http://maps.loco.yahoo.co.jp/maps?ei=UTF-8&type=scroll&mode=map&lon=138.5223350&lat=35.1466114&p=%E6%96%B0%E6%B8%85%E6%B0%B4%EF%BC%A9%EF%BC%A3%EF%BC%88%EF%BC%94%E6%9C%88%EF%BC%91%EF%BC%94%E6%97%A5%E9%96%8B%E9%80%9A%EF%BC%89&z=15

まもなく25万件

ただいま、4月14日の11時を過ぎたところ。
                       
アクセス件数249,800件を超え、まもなく25万件に・・・。
 ありがとうございます。

東京落語会のプログラム

昨日の「東京落語会」のプログラムに、評論家の花井伸夫さんの文が載っていました。

出演者に対するコメントがあり、三遊亭窓輝さんについては、以下のように書かれてありました。
三遊亭窓輝「洒落番頭」。
珍しい一席で、窓輝の父、三遊亭圓窓が甦らせた噺と言ってもいいだろうなぁ、とボクは思う。
すると窓輝は父くらいしか演らない噺に挑むのだ。
ムキになるほどマジメな高座姿勢の息子が、シャレの分かる、分からないをテーマにいた復刻噺に挑戦するなんて、とても興味深い。
残念ながら、窓輝さんの高座には間に合わず、この噺を聴くことはできませんでしたが、このプログラムを、明日の落語っ子連の稽古会に持って行って、師匠に見ていただこう。
窓輝さんも真打昇進して2年。
これからが楽しみです。
師匠の噺の掘り起こしや創作に対する熱意は、未だに衰えるところを知りません。
僭越ではありますが、私も「千早亭落語会」では、演らせていただきたいと思います。

紀伊國屋書店で

紀伊國屋書店で見つけたポスター。
      
広瀬和生さんの「噺家のはなし」という本の出版記念の落語会。
一之輔さん「ひっぱりだこ」ですね。
多くの者から所望されることをいいます。
ひっぱりだこの語源は、蛸の干物を作る際、足を四方八方に広げて干された形。
昔は、その形から、はりつけの刑やその罪人を表す言葉として使われました。
広辞苑では「たこ」は「凧」と書いてありますが、語源どおり「蛸」が本来は正しいいずです。
しかし今では「凧」も正しいとされているようです。

2012年4月13日 (金)

東京落語会

午後6時の開演には間に合いません。

  ◇ 洒落番頭        三遊亭窓輝
  ◆ 猫と電車         橘家蔵之助
  ◆ 瓜生岩子伝       桂幸丸
  ◆ 蛙茶番          三遊亭小遊三
     ◆ 幽霊の辻        桂平治
  ◇ 松竹梅         林家木久扇
窓輝さんは、圓窓師匠が掘り起こした噺を演ったようですが、聴くことができませんでした。
今回は、幸丸師匠と小遊三師匠だけでしたね。
平治さんはがっかり。
小佐田定雄作ですから、上方の新作噺だと思われます。
もろに上方の桂枝雀師匠のコピーに権太楼師匠を混ぜた感じ。
言葉も、なんとなくイントネーションが上方弁のように聞こえるものがありました。
今年襲名する「桂文治」が、もともと上方の名跡だから、上方のネタを演ったのでしょうか?
「源平盛衰記」や「お血脈」などの地噺や、滑稽な噺には、独得の面白さがあって、馴染みのない落語芸術協会では数少ない実力者だと思っていましたが・・・。

さらに悪いことに、今回から新しい半年になりますので、私の席の周りの観客も変わりました。
前期は、右側の数名おいたところにいたバカ笑いとズレ笑いのお兄さんが、何と私の前の席に移って来ました。
それに加えて、一人おいて右隣に、これまた似たような、今まで見たことのないデブ兄さんが、バカ笑いする度に、座席が揺れて、もう不愉快この上ありませんでした。
落語だから、好きなように笑っても構わないのでしょうが、限度とレベルがあると思います。
楽しむ権利というよりも、笑い方だって、周囲に心を配るマナーとして、気配りが必要だと思います。
こういう笑いは、知的レベルまでも疑いたくなってしまいます。
これから半年間、憂鬱で不愉快な思いをするのでしょうか・・・。
やれやれ・・・。 ┐(´д`)┌ヤレヤレ

さらに悲惨なのはトリは、木久扇師匠の「松竹梅」・・。
NHKさん、本気ですか?
この落語会のプログラムの絵を描いているから?
頓平師匠と申し合わせて、トリは聴かずに、平治さんの酷い噺を聴いた後で、会場を出ました。

すると、外は雨・・・・。
おいおい、予報では、雨が降るのは、日が変わる頃だって言ってたじゃないの・・・。
持っていた、小さな折りたたみ傘で、頓平師匠と相合傘で、いつもの串焼き屋さんまで。
その頼みの串焼き屋さんでも、売り切れて、メニューが少なくなっていたりして・・・。

・・・今夜は13日の金曜日・・・。

ひぐらし寄席の案内

これにも暫く行っていないなぁぁ。
    
隅田川馬石さんの独演会。
4月23日(月)に日暮里サニーホールのコンサートサロンで。
「柳田格之進」ですよ・・・。聴きたいなあぁぁ。
馬石さんからも「かさねがさねよろしくお願いいたします」って・・・。

一之輔さん評

朝日新聞の記事から・・・。
21人抜き昇進で話題の新真打ち、春風亭一之輔の披露興行が都内の定席で続いている。
上野鈴本での10日間は連日超満員。
やや客席も落ち着いてきた新宿末広亭をのぞいた(4月2日)。
3月の落語協会の会見で柳家小三治会長は
「うれしかったですよ、この人を発見して」
「見に行ってびっくりした。おいおい、こういうやつをほっとくのかと」
「久しぶりに見た本物だ」
と絶賛した。
特にほめたのが「客席をのんでかかっている」点。
確かに新真打ちとは思えぬ安定感で、高座ではすでに大物の風格すら漂わせている。
興行ではほぼ毎日ネタを変えている。
すべて古典だが、必ず独自の色づけがあって、それが客にはたまらない。
この日は一連の興行では2度目の「あくび指南」。
粋な年増に指南を受けようと、八五郎が気取って自己紹介をする場面が秀逸。
「大工です」「家(うち)……、建ててます」
かといって、無理に笑いを取ろうという気配はない。
小三治も「この人の芸には卑屈なところがない」と感心していた。
口上で春風亭小朝は一之輔には桂枝雀に通じる狂気があると評して「今はまだ若手だが、10年後、好きにできるようになった頃が勝負でしょう」と期待を寄せた。
こうした落語家の成長を見守れるのは、現代の落語ファンの幸福というものだろう。
他に春風亭正朝「風呂敷」、柳亭市馬「一目上がり」、小朝「紀州」、三遊亭円歌「中沢家の人々」、林家木久扇「彦六伝」。
鈴本では得意の笛も披露した一之輔の師匠一朝は「七段目」。
トリ目当ての客を十分に楽しませた。
披露興行は今後4月中席が浅草演芸ホール、同下席が池袋演芸場、5月中席が国立演芸場。
・・・・まだ私にはよく分からない。
恐らく、笑いに対する感覚というか、求めるものが違うのでしょうか。
やや若さのないような雰囲気に、ちょっと違和感があるのでしょうか。

2012年4月12日 (木)

三遊亭鳳楽独演会の案内

最近行っていないなぁぁ。
  
4月26日(木)にいつもの日暮里サニーホール。
「大山詣り」と「男の花道」・・。
「男の花道」は、聴きたいなあ・・・。

師匠のコメント

先日の「千早亭」の稽古会の師匠のブログでのコメント。
読ませ稽古、竜太楼(たつたろう)[不動坊]。
読ませ稽古、永久(とわ)[鬼子母神 藪中の蕎麦]。
 この二人、滑稽と人情と分野の違う噺に取り組んだ。
 持ち味を出してた。

人情噺を演るための、情景描写・感情移入、地語り・仕草。
登場人物になりきるということは、たとえ5分の滑稽噺であれ、1時間の長講人情噺であれ、素を出さずに、その緊張感を持続しないといけません。Photo
私の欠点だと言われている「台詞の最後の部分で素が出て来る」のは、一瞬気を抜いたり、流してしまったりする時です。
まず自分が100%噺の中に入り込むことが大切だと思います。
上手くやろうとか、笑わせようとか、そういう単純なものではない気がしています。
情景描写・感情移入・・・。

圓生百席

先月、小学館からDMが届きました。
「圓生百席」のCDが・・・。Photo_2
欲しい・・・。でも高い・・・。
CDセットが207,000円。
学生時代、発売のリアルタイムでレコードを買いましたが、就職してから途絶えてしまいました・・・。
http://www.sonymusicshop.jp/m/item/itemShw.php?site=S&ima=1719&cd=DYCS000001003
昭和29年に『鼠穴』でラジオ東京の局内賞をとったのを皮切りに、後年は芸術祭大賞、初の宮中御前口演、など落語家が得られる栄誉を独占した観がある六代目圓生。
この昭和最後の名人が、晩年に心血を注いで録音した空前の企画が『圓生百席』です。
圓生ならではの磨き抜かれた膨大な演目。
落語愛好家を心酔させ、現役の噺家が範と仰ぐ、この録音・編集作業が終ったのは、圓生が世を去る3週間前。
圓生は、その編集のすべてに立ち会っていたのです。
                                                              監修:宇野信夫

2012年4月11日 (水)

これからの噺

新年度に入り、落語の稽古も新たな展開になって来ました。
これから半年間の高座と噺を・・・。
■6月9日 お江戸あおば亭 「救いの腕」
  圓窓師匠創作・圓窓五百噺の499番目の噺。
  初演は昨年の千早亭。
  女性のお客さまから好評だったので。
  何とか出演させてもらえそうなので。
■9月8日 千早亭落語会  「鬼子母神 薮中の蕎麦」
  これも圓窓師匠の創作噺。
  豊島区制80周年記念イベントとして開催されるので。
  大作ではありませんが、人情噺です。
  千早亭落語会は、師匠の創作噺初演の場になりつつあり。
■9月16日 OB落語会   「揺れるとき」
     これまた圓窓師匠の創作。3月の千早亭の再演。
  仙台で開催される落語会で、是非聴いていただきたい。
  三遊亭圓朝と安政の地震。
  圓窓師匠から「継承者」と言われた噺を持って"里帰り"をと。
■10月頃  三流亭落語会 「帯久」
  この半年間の唯一の本格的な古典落語。
  師匠から教えていただいている人情噺の肝をじっくり語りたい。
    「三方一両損」に次ぐ2席目の大岡裁き。

スマホ・・・ウフフ(*^-^)

スマホって面白いですね。
Medias_2初期設定等、ひととおり出来ました。
まだ、ほとんど分かりませんが、上手く使えたら、上手く使えて面白いでしょう。
とにかく、マニュアルを読んだりは絶対にしませんから、出会い頭の偶然に、便利なツールが見つけられるかもしれません。
それにしても、昔のSFアニメ等で、腕時計型の通信機を使うシーンがあって、夢のように思っていましたが、形こそ若干違え、あの頃よりも数歩先に行っている気がします。

2012年4月10日 (火)

スマホ・・・トホホ(゚0゚)

昨夜、帰宅途中で衝動的に、永年使った携帯電話を、今流行の「スマートフォン」というのに買い換えてしまいました。
Mediasそろそろ携帯を替えようと思ってはいたのです。
もともと欲しい機種もあったので、タイミングさえ合えばと・・・・。
そんな訳で、昨夜もふらっと上野の「Yカメラ」に立ち寄りました。
実は、先週の土曜日にも覗いていたのですが、店内大混雑だったので諦めていました。
自宅近くのショップでは、好きな色の在庫がなかったので、店員さんに聞いてみると「在庫あり」
手続には1時間ぐらい時間がかかる・・・。もう夜8時近い・・・。
どうしよう・・・。
「土曜日に来る」と言ったら、「土曜日まで在庫の約束できない」・・。
「それなら」という訳で、いつもの衝動買い・・・・。
薄いのが欲しかったので、NECの「MEDIAS」という機種・・。
ところが、今まで15年近く使って慣れ親しんだ携帯(iモード)とは発想が違うので・・・、ちんぷんかんぷん・・・。
何とかメールは出来るのですが・・・。
オジサンは、メールと写真とモバイルバンキングとお財布ケータイと、ニュースが見られれば十分なんですが・・・。
これ・・・、どうしよう・・・。

週刊ダイヤモンド

「週刊ダイヤモンド (4/7号)」に、師匠へのインタビュー記事が載っていました。
     
「話し方入門」という特集の中、76ページに登場です。
「圓窓五百噺」完遂後のライフワークにしている「落語の授業」で全国に出かけておられる師匠は、"子どもに教えたい聞く力 「聞き上手」こそ「話し上手」"というテーマで語っています。
普段稽古の時に仰っていることを、分かりやすく説明されています。
早速、師匠のブログにコメントを投稿しました。

雷門小福師匠の訃報

ほとんど馴染みはありませんが、名古屋を活動拠点にしていた「雷門小福」師匠が亡くなったそうです。
名古屋生まれの名古屋育ち。
「名古屋弁を広める会相談役」を自任するなど、故郷を愛し続けた師匠だったそうです。
東京から名古屋に移り住んだ初代雷門福助さんに、19歳で入門。
タレント落語家として活動する一方、芸能プロダクションを経営。
70年代後半から80年代にかけては同市中区の大須演芸場で高座を務めた。
また、獅篭(しかご)、幸福、福三さんの弟子3人と「名古屋雷門一門」を旗揚げ。
一番弟子の獅篭さんは「言葉にできないぐらい多くのことを教えてもらった。いくら感謝しても足りない」と師匠の死を惜しんでいたそうですが、確か立川談志師匠を破門になった噺家さんではなかったかと記憶しています。

2012年4月 9日 (月)

日経おとなのOFF

「おとなの江戸学入門」という特集。
        日経おとなのOFF
どうもこの類のものには、つい手が出てしまいます。
680円也。

花見の仇討ち

毎日新聞の「余録」で見つけました。Fw:電子メールで送信: 41630_5e2
花見客でにぎわう江戸の飛鳥山、巡礼の兄弟が浪人に「やあ、やあ、親の敵」と挑みかかるのは落語の「花見の仇討ち」だ。
騒然とするなかで止めに入る修行僧が背負った厨子から酒肴を取り出し、それを見物人らに振る舞う手はずの茶番である。
落語では仇討ちを本気にした武士が「助太刀いたす」と割り込んで大騒ぎとなるが、三田村鳶魚の「江戸の春秋」によるとこの手の騒動は実際にあったらしい。
花見といえば「ご趣向は?」と聞くぐらい、手の込んだ茶番や装束に工夫がこらされた江戸の花見なのだ。
飛鳥山や向島に桜を植えたのは八代将軍・吉宗だが、彼は城の御坊主らに酒肴を与えて花見に行かせ、誰彼構わずに振る舞わせたという。
人々は葵(あおい)の御紋入りの酒器での振る舞いに驚き、いぶかしんだ。
鳶魚が御坊主の話として伝えている将軍家の「ご趣向」だ。
Photo_4ともあれ花見が余興や仮装をともなう人々の祝祭の場になったのは吉宗の時代以降のようだ。
明治になって来日した外国人がこれを「カーニバル」と評したのもよく分かる。
そんな江戸の花見の伝統を受け継ぐ東京のソメイヨシノの満開宣言が気象庁から発表された。
肌寒い日が続いただけに平年より3日遅れと聞いても、案外早かった気がする。
震災に心を奪われ桜の記憶の薄い昨年と同日といわれても、さらにピンとこない。
ただ宣言は8割以上の開花を示すだけに、文字通りの満開を週末に迎えられるめぐり合わせはうれしい。
茶番の「ご趣向」ならば季節や場所を問わず、そこここでいや応なく見せつけられる現代である。
せめて花の下では喜びの春を存分に分かち合おう。
Fw:電子メールで送信: %E9%A3%9B
・・・とまあ、「ぴろき」ではありませんが、「明るく陽気に生きましょう」という訳ですよ。
ところで、「花見の仇討」という噺ですが、お花見の舞台設定が、古今亭は「飛鳥山」で、三遊亭と柳家では「上野の山」で演じられているようです。
当時のお花見の名所は、飛鳥山・上野の山・向島・御殿山等がありますが、余興が許されていたのは飛鳥山と向島だけだったそうです。
明治に入ってから上野でも許されるようになったそうですから、噺の原点は飛鳥山で、後年上野公園でも鳴り物が許されるようになったために、改変されたと考えられます。
原作は滝亭鯉丈の「八笑人」から取った噺で、これも飛鳥山となっているそうです。

葷酒山門に入るを許さず

これは、「蒟蒻問答」で出て来る言葉です。
Fw:電子メールで送信: 127082665

禅寺の門の脇の戒壇石に刻まれる句。
「不許葷酒入山門」とあり、臭いが強い野菜(葱、韮、大蒜など)は他人を苦しめると共に自分の修行を妨げ、酒は心を乱すので、これらを口にした者は清浄な寺内に立ち入ることを許さないということ。

江戸で食い詰めた「熊」が、上州の安中に住まいをしている「六兵衛兄ィ」のところへ転げ込む。
悪い遊びで髪の毛が抜けてしまった「熊」をみて、今は蒟蒻屋を営んでいる「兄ィ」は、無住になっている村はずれの破れ寺の住職にはめ込む。
一日、二人が庫裡で酒盛りをしているところに、誰か訪ねて来る。
熊公が出てみると旅僧。
「拙僧は諸国行脚の雲水。ご当寺門前を通りましたところ“不許葷酒入山門”とありますれば禅家と拝察。修行のため一問答願わしゅう存じます」。
驚いた俄住職の熊公が、一所懸命居留守で追い払おうとするが、旅僧はテコでも動かぬ構え。
困り果て六兵衛に相談すると、知恵者の彼は和尚になりすまし応じることにする。
本堂で対面し、旅僧はいろいろ問うが、和尚勿論無言。
旅僧は、さてはと察し、やおら両の手の指で小さな輪を作り、胸の前からズイと突き出す。
和尚も何を思ったか、手にしていた払子代わりのハタキを襟に刺すと、これも両手指で大きな輪を作って押し戻す。
旅僧、「ハハッ」と恐れ入り、今度は両手を広げて突き出す。
対する和尚は、片手を開いて応える。
旅僧、再度低頭し、必死の形相で指を3本差し出す。
和尚、すかさず人差し指で右目の下目蓋を引きながらベロをだす。
旅僧、「到底拙僧の及ぶところにあらず。両三年修行を致しまして……」と蒼惶として退散する。
驚いた熊公、逃げ帰ろうとする旅僧をつかまえ、一体どうなっていると訊く。
旅僧答えて、 「さては禅家荒行の内、『無言の行』中と拝察し、されば無言には無言にて問わんと・・・・、
『大和尚、ご胸中は?』とお尋ね致しましたるところ
『大海の如し』とのお答え、まことに以て恐れ入ったる次第。
続いて、『十方世界は?』とお聞き致しましたるところ、
『五戒で保つ』とのお答え。何ともはや……。
及ばずながら今一問と存じ、『三尊の弥陀は?』との問いには、
たちどころに『目の下にあり』と……。
まことにもって愚僧など遠く及び申しませぬ。今一度修行して出直して参ります。御前体、なにとぞよしなに……」と走り去る。
「何だ、心配させやがったけど、兄ィ、てえしたもんじゃねぇか」て、と熊公が意気揚々本堂に引き返してくると、偽和尚「やい、あいつを逃がしちまったのか」とカンカンになって怒っている。
またまたびっくりした熊公が、どうしたと聞くと、六兵衛和尚曰く、
「あいつは諸国行脚の雲水なんてとんでもねぇ。どっかの豆腐屋かなんかの回し者に違ぇねぇ。何を訊いても知らん顔をしていてやったら、俺の顔を穴のあくほど眺めてやがって、ははあこれは蒟蒻屋の六兵衛だなと気づきやがったとみえて、
『おめぇんところのコンニャクはこれっぽっちだろう』 というから、
『こんなにでっけぇ』 と言ってやった。
そしたら『10丁でいくらだ?」 と値を訊いてやがる。
少し高えと思ったが『五百(文)だ』 とふっかけてやったら、
しみったれた野郎で、『三百にしろ』 と値切ったから
『アカンベエ』 をした。」
落語らしい落語です。

2012年4月 8日 (日)

天王寺で

桜のトンネルを抜けたところが天王寺。
    天王寺で
ここでも「花まつり」・・・。
境内に置かれた椅子に座り、ぽかぽかと気持ちの良い陽射しを浴びて、待ちに待った春を満喫。
    天王寺で
1震災の被災者がタオルで作ったという「まけないゾウ」というのを、チャリティで手に入れて。
お釈迦さまと白い象とは切っても切れない縁がありますから。
陽光麗らかな日に、満開の桜を愛でることが出来、改めて平和・安穏の素晴らしさを実感することが出来ました。

谷中花見散歩

全生庵から谷中の墓地へ。
谷中花見散歩
ここは、以前にも来たことがありますが、適当な人出で、満開の桜を楽しみながら通り抜けることが出来ます。
それにしても、見事な桜の花のトンネルです。
    谷中花見散歩
雲ひとつない青空と桜花とのコントラストも美しい・・・・。
    谷中花見散歩
期せずして、とても楽しい花見が出来ました。
三遊亭圓朝に感謝です。

全生庵の桜

朝は寒かったのですが、天気が良いので、ちょいと外出。
     全生庵の桜
「揺れるとき」の主人公だった三遊亭圓朝に、何とか演ることが出来たお礼参りをと、谷中の全生庵に行きました。
今日は、天気も良くて桜は満開ですから、上野の山や飛鳥山などは大混雑でしょうが、三崎坂あたりはちょうどよい感じ。
     全生庵の桜
まず、圓朝の墓前に、「揺れるとき」の報告とお礼を・・・。
ありがとうございました。
圓窓師匠から、この噺の継承者だと言っていただきました。
これからも、練り上げながら、演らせていただきます・・・。
是非、お守りください。

     全生庵の桜
境内の桜は満開。
近所の人らしい人が、「全生庵の桜は、このあたりでは一番早く咲く」なんて言っていました。
     全生庵の桜
そして、今日は「花まつり」。
本堂前に置かれた「誕生仏」に、甘茶をかけて、改めて合掌。

落語はやおき亭

新真打の春風亭一之輔さんとの対談。
鈴本演芸場での大初日の真打披露口上と、得意ネタの「粗忽の釘」のオチの部分。
さすがの一之輔さんも、かなり興奮していたものか、普段の高座よりもトーンが高い感じでした。

花まつり(灌仏会)

お釈迦様の誕生を祝う「花まつり」です。Photo
釈迦(ゴータマ・シッダッタ)が旧暦の4月8日に生まれたという伝承に基づくということです。降誕会(ごうたんえ)、仏生会(ぶっしょうえ)、浴仏会(よくぶつえ)、龍華会(りゅうげえ)、花
会式(はなえしき)の別名。 
様々な草花で飾った花御堂(はなみどう)を作って、その中に灌仏桶を置き、甘茶を満たす。
誕生仏の像をその中央に安置し、柄杓で像に甘茶をかけて祝う。1
甘茶をかけるのは、釈迦の誕生時、産湯を使わせるために9つの竜が天から清浄の水を注いだとの伝説に由来する。
宗派に関係なくどの寺院でも行う。
甘茶は参拝者にもふるまわれ、甘茶で習字をすれば上達すると言われたり、害虫よけのまじないを作ったりもする。
2
俗に言う「花まつり」の名称は、明治時代にグレゴリオ暦が導入され、灌仏会の日付の読み替えが行われた後の4月8日が、関東地方以西で桜が満開になる頃である事から、浄土真宗の僧・安藤嶺丸が提唱した。
それ以来、宗派を問わず灌仏会の代名詞として用いられている。

今年の「花まつり」は寒い・・・。

落語DEデート

寒い朝です。花冷えというより、冬の寒さ。
  ◇ 壺算   六代目三升家小勝
昭和41年の音源だそうです。
リアルタイムでは知らない師匠ですが、自作の「水道のゴム屋」が好きで、親しみのある師匠です。
とにかく声がいいですね。
そこそこマクラを入れて、14分程度ですが、聴き応えがあります。
ダラダラと30分も人情噺モドキを演る素人には、とても新鮮です。
時間じゃないんでしょう・・・。

蕎麦山門に入るを許さず

蕎麦屋さんの屋号に「・・・庵」という名前が多い理由。Photo
享保年間に、浅草に「称往院」というお寺があって、境内に僧坊「道光庵」がありました。
道光庵の庵主は信州の人で蕎麦打ち名人でした。
法要のあとに参詣人に蕎麦を振る舞ったのがきっかけで、「称住院で出してくれる蕎麦はうまい」という評判が立つと、人々はお参りよりも、お蕎麦を目当てに訪れますから、「蕎麦切り寺」と呼ばれるようになりました。
こうして蕎麦処となった庵主は大忙しとなり、寺の修業がおろそかになります。
称往院の上人は、そんな庵主を嘆き、「お前が檀家に蕎麦を振る舞うおかげで、寺への参詣者が増えたのは結構なことだが、修業の妨げになっているようじゃ。明日より蕎麦を振る舞うことは相成らぬ」と蕎麦打ちを禁止してしまいます。
そして世間の人に告示したのが「蕎麦山門に入るを許さず」。
「仏道修業の障害となるものの入ることを許さない」という意味の結界石を山門の脇に建立しました。
称住院はその後、火事のため浅草から世田谷(北烏山)に移転して現在に至っているそうです。
蕎麦屋さんの屋号の「・・庵」は、この道光庵」にあやかり、「道光庵のようにおいしい蕎麦を出しますよ」というのが、屋号の由来だとか・・・。
なるほど、蕎麦(そう)だとは知りませんでした。
こういうことを知っていないと、あの噺の奥行きが作れないと思いますので、大変参考になりました。

2012年4月 7日 (土)

上野の山

土曜日なのに出勤日です。
上野の山の朝の様子を、通勤の途中で確かめてみました。
     上野の山
公園の入口と清水観音堂の枝垂桜は、まだこれからですが、園内は八分咲きと言った感じでしょう。
上野の山
     上野の山
場所取りをする人や通り過ぎる人・・・、まだ7時前だというのに、かなりの賑わいです。
上野の山
でも、今日のお花見は、かなり寒いでしょう。
上野の山
私には、寒い思いをして、埃っぽい所で、飲食をする了見はありません・・・。
     上野の山
場所取りも大変ですねぇぇぇ。

「お江戸あおば亭」の出演者

6月9日「第4回お江戸あおば亭」出演者が固まりつつあります。
      
なるべく出演者が固定化しないようにとお勧めして来た結果、今回も初出演の方が現われました。
「恋し家古狂」師匠が、ご出演をご「快諾」くださいました。
演題は、往年の得意ネタ「湯屋番」だということです。
若々しい雰囲気と、豊富なボキャブラリーで、伝説の「湯屋番」が甦ることは間違いありません。
これで出演可能な人は5人(私も含めて)。
今のところは、"補欠"の私も何とか出演させてもらえることが出来そうです。

落語芸術協会の新真打

落語芸術協会の春の新真打が、正式にお披露目されたそうです。
先月放送の「笑点」で、落語協会と一緒に口上に出演していました。
Photo_3 笑福亭里光・瀧川鯉橋・昔昔亭笑海改め柳亭芝楽・春風亭柳太改め春風亭柳城・昔昔亭健太郎改め春風亭愛橋(敬称略)の5人。
落語協会は、春風亭一之輔さんの21人抜きという大抜擢真打昇進でしたが、落語芸術協会は、ほぼ同時期入門の5人という形。
桂歌丸会長は「落語協会は落語協会、芸術協会は芸術協会。」
「私の考えでは、大抜擢は、された本人が苦しいのではと思う。真打ちになって楽屋の皆さんと仲良くやっていければいいが、抜く方も抜かれた方もつらい。うちの協会では大抜擢はしないつもりでいる」と・・・。
出世競争というのは、本人も周囲も悩ましいものです。
ところで、私はこの新真打5人は誰も知りません・・・。

寺と蕎麦

お寺と蕎麦とは、深いつながりがあるという話。
「鬼子母神 薮中の蕎麦」という、師匠の創作噺を演らせていただくにあたり、そんなことを考えました。
「寺方蕎麦」あるいは「門前蕎麦」などと呼ばれていたようです。
寺方蕎麦・門前蕎麦とは、古くから寺で作られる蕎麦のこと。Photo_2
僧侶には蕎麦好き、蕎麦通が多いと言われますが、精進を旨とするとする僧侶が、修行僧時代から食べて美味しい蕎麦を好んだのでしょう。
荒行の際の重要な栄養源となったり、蕎麦は僧侶にとって大事な強精の栄養食でした。
そこで、戒律の厳しい寺院での生活の中で、その料理方法に創意工夫を凝らした。
寺方蕎麦はこのような背景の中で生まれたのでしょう。
また、昔から寺では蕎麦の振る舞いが多く、客や檀家のもてなしから貧民救済にまで、広く蕎麦が供されているようです。
蕎麦振る舞いにかこつけて檀家を集めては奉加を求めるということもあったようです。
各地の寺院の門前町に門前蕎麦として蕎麦店が多くみられるのは、このような寺方蕎麦の歴史と関連しているのでしょう。
それが、高じて来て、一時禁止されたこともあったようです。
この話と蕎麦屋さんに「・・庵」という名前が多い理由については、次回にいたします。

2012年4月 6日 (金)

気がつけば満開

今年の春は、桜の開花を待つ雰囲気ではなく、ひたすら寒さと風に悩まされましたが、それでも季節は巡ります。
          気がつけば満開
昨日は、まだ五分咲き程度だったのに、日中の暖かさで、今朝はほぼ満開です。
この週末は、お花見日和になりそうです。
さあ、たくあんとほうじ茶を持って、花見に出かけますか?

「落語 昭和の名人」のこと

今月で配本を終了する「落語 昭和の名人」についての記事を見つけました。Photo_2
小学館の隔週刊CD付きマガジン「落語 昭和の名人」シリーズは、平成21年1月の古今亭志ん朝の創刊号から、全57巻165席、落語家46人、累計350万部を超える大ヒットとなった。
現在は「アンコール」が出されていて、間もなく最終巻の大トリとなる。
小坂眞吾さん(46)は、その編集長だ。
「これは古びない。新しくはないけど、古びない録音ができている」
新しい録音見本が届くと、その夜は飲みに行くこともなく、急いで自宅に帰り、じっくりと聴く。
それだけ落語に魅入られてしまったひとりだ。Photo_3
シリーズを出し続けて、さらに深く落語を意識するようになったのは当然だ。
小坂さんは、8代目三笑亭可楽を例に取る。
「最初はどこが面白いのか分からなかったが、ある人に聞いて、さげ(オチ)で笑うのではなく、さげを聴いて寂しい感じが残るのがいいのだといわれ、なるほど味わいのある噺(はなし)家だと分かった」
落語もそうした聴き方があるのだと分かったという。
「思わぬ発見がある」
そろそろシリーズも終わりに近づき、「とても楽しかった。(自分の)人生の記録」と振り返る。
小坂さんが手掛ける落語会「人形町らくだ亭」は、2カ月に1度、開催されている。
小坂さんは25回目からこの会を引き継いだ。
4月2日に行われる会が41回目となる。
この「人形町らくだ亭」の落語会の特徴は、柳家小満ん、柳家さん喬、五街道雲助、春風亭一朝、古今亭志ん輔という5人のベテランのレギュラー制だ。
最近の落語会では珍しい。Photo_5
小坂さんは会がはじまると、客席の後ろからお客さんの反応をじっと見ている。
ここでは「席亭」だから、落語を純粋に楽しむことはない。
「らくだ亭をお客さんとして聴きたい。ひとりのお客さんとして」と思う。
それだけいい落語会だという自信がある。
小坂さんが仕事で落語とかかわるようになったのは、雑誌「サライ」の編集を担当していた平成19年だった。
特集で60ページの落語特集を行い、それが売れに売れた。
「発売日に都内の書店から消えた。そこまで売れるとは思っていなかった」
そのころ小坂さんは、時間があったら寄席にたまに行くくらいで、それよりも「落語の速記本を読む」ほうが好きだった。
それが今では落語が仕事になった。
あるひとりの若手の落語家の名前をあげて「うまいとか、実力があるとかではなく、何となく好きなんです」という言い方が、優しい小坂さんの人柄をあらわしているようだ。
「人形町らくだ亭」を行うのは、「音を残すための使命」だという。
今、発行を続けているシリーズは過去の録音音源を使用している。Photo_6
だから、今の音を録り続ける。「過去の人に恩は返せないから」
立川談志ファンにはうれしいことに、「落語昭和の名人」シリーズの最終巻である大トリは4月24日発売で、「五代目立川談志」になる。
「源平盛衰記」「小猿七之助」「勘定板」の3席で、すべて初商品化音源だ。
「このシリーズは亡くなった人しか登場していない。入らないでほしいと思ったが…」。
その願いもむなしく、大トリは昨年11月に亡くなった談志師匠になってしまった。

あれっ?最後に談志師匠のが配本されるんですか?

師匠若き日の「落語研究会」

2月の「番外お江戸あおば亭」に来てくださった談亭志ん志師匠のご友人が、志ん志師匠に「第5次落語研究会」(1968年~)のプログラム36枚等を送ってくださったそうです。
Fw:写真
この中で、1975年11月25日の第93回のプログラムに、
圓窓師匠の直筆の俳句とサインが書かれてあったそうで、写真を転送してくださいました。
「出がらしは 役者の声も 風邪っぴき ~まるまど」

このときの番組は・・・・・
 ◇ 花色木綿       古今亭志ん駒
 ◇ ほうじの茶     三遊亭圓窓
 ◇ 双蝶々(上)      林家正蔵
           《仲入》
 ◇ 時そば         柳家小さん
 ◇ 井戸の茶碗      古今亭志ん朝

 ◇ 人酒盛       三遊亭圓生
だそうですから、「ほうじの茶」にかけた俳句を書かれたのでしょう。
この噺は、役者の声色なども入りますから、噺と俳句がぴったりの内容です。お茶だから、かけなくてはいけませんし・・。
また、1988年に20周年記念として作られた第1回の『復刻版』もあったようです。
Fw:写真
1974年辺りの高座は圓生師匠、小さん師匠、正蔵師匠を中心に、志ん朝師匠、小三治師匠、圓窓師匠という錚々たる面々がプログラムに名を連ねておられるとのこと。
貴重な品物、垂涎ものです。
早速、この写真を師匠にメールで送りました。

2012年4月 5日 (木)

「昭和の名人アンコール」(4)

アンコールの最終配本は、三代目三遊亭金馬師匠。
Photo ◇ 高田馬場    三遊亭金馬
 ◇ 錦の袈裟    三遊亭金馬
 ◇ うそつき村    三遊亭金馬
「落語昭和の名人」のシリーズも、通算で56巻になるはずです。
あまりCDを聴いていませんが、何かふっと聴きたくなったら、手を伸ばしてみたいと思います。

帯久

師匠に「帯久」の高座本をお願いしました。
http://ensou-dakudaku.net/furrok/o.html#152
本町四丁目に呉服屋を営む「和泉屋与兵衛」は好人物といわれ、近所の評判も高く、商売も繁盛している。
一方、近くの本町二丁目の同業の「帯屋久七(帯久)」は、陰で「売れず屋」と言われているほどで、いつも資金繰りに苦しんでいる。
享保6年2月20日。020701
帯屋は和泉屋へ「金を貸してくれないか」とやってきた。
人のいい和泉屋は「あるとき払いの催促なしでいいですよ」と20両貸してやった。
帯屋は20日ほどで返金した。
その後、5月に30両、7月に50両、9月に70両と借りに来て、ちゃんちゃん20日後には返金した。
11月に100両借りにきたが、20日経っても返金はなく、12月の大晦日に返しに来た。
和泉屋は奥座敷でその100両を受け取り、「お客さまがいらっしゃいました」という内儀の知らせに部屋を出て行った。
部屋には帯屋が一人になった。
目の前に返金した100両が置かれている。
帯屋はその100両を自分の懐へ入れると、店の者に挨拶もそこそこに帰って行った。
後刻、和泉屋は100両紛失に気が付いたが、忙しさに取り紛れてついついそのままにしてしまった。
帯屋はその100両を基にして商品に手拭い、布巾、晒し、袱紗、足袋、半衿などの景品を付けることを思い立った。
皮肉なことに、これが人気を呼んで、売れず屋が売れる屋になった。
一方、和泉屋は運から見放されたように、翌年3月、一人娘を亡くし、5月に内儀を亡くした。
その年12月10日、神田三河町から出火。
着の身着のままで焼け出されて、逃げるときに腰を打ったのか、満足に歩けなくなった。
和泉屋は以前、番頭で暖簾分けをしてやった分家の「和泉屋武兵衛」に救われた。
しかし、その武兵衛も人に騙されて店は手放してしまい、今は日雇いをして暮らす身の上。
それでも、恩返しのつもりで必死になって和泉屋の面倒を看た。
10年経ったが、和泉屋の生活は同じようなもので、相変わらず武兵衛の家の居候。
ある日、和泉屋は和泉屋本家を興こし、武兵衛にも楽をさせようと考えて、帯屋に金を借りに行った。
しかし、けんもほろろに断られて、その上、店の者に引きずり出され、塩まで撒かれる扱いであった。
あまりの悔しさに和泉屋は普請中の帯屋の裏手へ回り、見越しの松の枝を目にして首を括ろうとした。
今生の最後の一服と煙草を吸う。
その吸い殻が普請場の鉋屑に転がっていき、燃え出してしまった。200906252103000
大事には至らなかったが、帯屋の訴えで火付けの罪で捕われ、大岡裁きになる。
奉行は部下の者につぶさに調べさせて、何度か取り調べを重ねて、いよいよ今日はその判決。
「さて、帯屋久七。そのほうは和泉屋から再三に亘って金子を借りておったのぅ」
「お奉行さま。ものには順がございます。火付けの罪として和泉屋を訴えたのは私でございます。まず火付けの件から裁いていただきとう存じます」
「ものには順があるか。そうであるの。帯屋からよいことを教わったぞ。 しからば、和泉屋。そのほうの行いは火付けにあらず。煙草の火の不始末による失火である。しかし、失火であろうとも帯屋にとってみれば迷惑なこと。重罪も同然であろう。よって和泉屋は火炙りの刑に処す」
この判決に帯屋は大喜び。
「さて、帯屋。ものの順に従って取り調べる。そのほうは和泉屋より再三、金子を借りて返済はしておるようじゃが、最後に借りた百両はいかがいたした?」
「それも大晦日に返済いたしました」
「確かに和泉屋へ返済に行ったようじゃが、大晦日、店は忙しさに取り紛れている最中、来春に改めて返済をしようと思い立ち、返済はせずに帰宅したのではないか。しかし、春になって、今度はそのほうの店が多忙となり、つい、返済を忘れてしまったのであろう」
「いえ、そのようなことはありません」
「どうやら忘れてしまったようじゃの。それでは思い出すためにまじないがある。手を出せ」
帯屋の右手の人さし指と中指の2本に紙縒り(こより)を捲いてきつく縛り付けて封印をした。
「思い出すまじないじゃ。思い出すまで取ってはならんぞ。万が一勝手に取ったならば、打ち首じゃ」
さぁ、帯屋は困った。
右手の指の2本が使えないので、物を持つことも容易ではなく、また濡らすと切れてしまう恐れがあるので、風呂にも入れない、顔も洗えないという始末。
この様子を見た帯屋の番頭が「どうせ、和泉屋は火炙りで死ぬのですから、『思い出した』と言って百両を返したほうが楽ですよ」と知恵を付けた。
帯屋は奉行にそのことを申し出ると、「やっと思い出したか。正直になったな。でかした」と褒めながら、奉行は指の封を切外してくれた。
「帯屋。10年経ったのであるから100両には150両の利子を付けて、計250両を返済せよ」
「お奉行さま。それはあまりにも法外な金額」
「黙れ。世間の相場である。しかし、情けを持って、利子の内、50両は一遍でなくともよい。年に1両ずつでよい」
「温情ありがとう存じます。では、とりあえず200両は払います。それでは和泉屋の火炙りを」
「ものには順があるぞ。貸し借りが先にあり、火の不始末はその後である。利子の返済を終えた後、火炙りの刑をいたす」
「それでは、50年後となり、あたしも生きているかどうか、わかりませんで」
「ならん。ものには順があると申したのはそのほうじゃ。火炙りは50年後に執行する」
「では、50両の件、年に1両ずつの返済はなかったことにして、即刻に払いますので」
「では、50年後の火炙りもなかったことを、即刻に決めよう」
帯屋は青菜に塩で、なにも言い出せなくなってしまった。
奉行が和泉屋に言った。
「これ、和泉屋。帯屋から200両受け取れ。そして和泉屋を興せ。長生きしてよかったのぅ。何歳に相成る?」
和泉屋も涙をこぼしながら言った。
「61で……、おかげで本家(本卦)帰りができます」

大ネタで、立川志の輔さんのを聴くと、物凄い長講になっていますので、半ば諦めていたのですが、師匠にいただいた高座本の合本(大岡裁き)を読むと、かなりコンパクトになっているようなので、近々チャレンジしてみようと思いました。
志の輔さんのオチもいいので、使わせていただこうと思います。

鬼子母神とすすきみみずく

雑司が谷に鬼子母神堂があります。
Photo師匠の創作の「鬼子母神 藪中の蕎麦」は、鬼子母神の藪にある蕎麦屋が舞台になっています。
鬼子母神の名物に「すすきみみずく」があります。
枯れススキで作られている人形です。
鬼子母神のお告げによって作られたとされているもので、魔除けとして、鬼子母神の奥の駄菓子屋さんで売られているそうです。
「すすきみみずく」のいわれとなったというむかしばなしがあります。
師匠の創作噺は、このむかしばなしも意識した"ご当地"噺です。
「すすきみみずく」というおとぎばなしのあらすじは・・・。
むかしあるところに、“おくめ”という女の子がいました。
おくめは母親と2人暮らし。
Photo_2とても貧し暮らしぶりでした。
それでも、2人は幸せでした。
ところが、あるときお母さんは病気になってしまいます。
おくめは一生懸命に看病しましたが、一向に治りません。
貧しい生活ですから、とても薬など買えません。
近くの草原に薬草を探しに行ったけれど、すすきの葉で、手足は傷ついてしまうだけ。
薬草は見当たりません。
途方にくれたおくめは、知らぬ間に鬼子母神堂の前にいました。
鬼子母神の石像を見ていたら、涙がこぼれます。
「どうか、お母さんを助けてください。」とお願いしました。
来る日も来る日も、鬼子母神堂にお参りするようになりました。
お母さんの病気がよくなるようにと、ひたすら祈りつづけました。
ちょうど100日目のことです。
季節は秋。Photo
おくめはその日も、お参りを欠かしませんでした。
疲れていたのか、おくめは、その場に座りこんでしまいました。
気づけば、目の前にきれいな蝶が飛んでいます。
そして、蝶が話しかけてきました。
「お堂のまわりを見てごらん」。
でも、。すすきがに風に揺れているだけ。
「何があるの?」とおくめは、蝶に尋ねてみました。
「すすきだよ、それを何本も刈り取ってごらん」と蝶は、答えました。
続けて蝶は「すすきの穂を束ねて、曲げて、結んで・・・」言われるがままに、作っていきました。
いつの間にか、可愛いすすきみみずくができあがったのです。1
蝶は最後に「すすきみみずくをいっぱい作って、お参りの人たちに分けてあげなさい」と言いました。
おくめは、たくさんすすきみみずくを作りました。
すすきみみずくは、参詣の人々にたいそう喜ばれ、「これこそ、鬼子母神様のお守りに違いない」。
そんな話が広まり、おくめのすすきみみずくは、どんどん売れるようになりました。
おくめはそのお金で薬を買い、お母さんのところへ飛んで帰りました。
薬を飲んだお母さんは、日に日に回復していきました。
やがて2人は、以前のような暮らしができるようになりました。
・・・・こんなストーリーです。
師匠の創作噺にも、「すすきみみずく」のようなみみずくの人形を作って売る女の子が出て来ます。
お父さんが仕事で怪我をして死んでしまい、お母さんが病気になってしまう。
鬼子母神のお告げに従って、みみずくの人形を作って売り歩く。
そして、藪の中にある蕎麦屋で・・・。
小品ではありますが、ほんのりした人情噺になっています。
師匠によると、昔、鬼子母神の藪の中に、実際に蕎麦屋があったんだそうです。
演らせていただくことになり、師匠も大変喜んでくださいました。

2012年4月 4日 (水)

林家あずみさんのツイート

今日は水曜日。あずみさんラジオ出演の日です。
あずみさん
今日もツイートしていました。
林家あずみです。
今日の中継は丸の内マイプラザ地下一階にあります土佐料理 祢保希(ねぼけ)さんからお届けしましたぜよ。
・・・こんなツイートがありましたぜよ・・・。

大風一過

予想していたとは言え、昨夜は、家が遠かった・・。    
              大風一過
ちょうど大阪出張から帰るぐらいの時間がかかりました。
3時間以上も座席に座っていましたので、座席料金を支払わなければいけないのではと・・、思う訳ありませんが。
烏カァで夜が明けると、やっと春らしい天候。
駅に向かう道すがら、ほころび始めた桜花を見つけてホッとしました。
"銭湯で 上野の花の 噂かな"

番外あおば亭のDVD

寝蔵エンタープライズ制作の「番外あおば亭」のDVDを、実家に送りました。
番外あおば亭のDVD
母からメールが来ました。
熱演のDVDを、(父と二人で)ゆっくり鑑賞しました。
ありがとう。
(父は)「誉めたくないが、よくやる」と、誉めてくれました。
余り熱中し過ぎて、大事なものを見失わないようにと祈っています。
・・といつものパターンです。  
      

2012年4月 3日 (火)

春の嵐

強風のため、常磐線は全線運転取り止め。
         春の嵐
上野駅のホームに停まっている電車に乗り、座席に座ったのが、午後7時前でした。
只今、10時ちょっと前。
3時間近く座ったまま。
あちらこちら動き回らず、泰然自若としていた方がと思いましたが、3時間・・。
鞄の中に、師匠の高座本(合本)を入れていたのを思い出し、読んで時間を潰しています。
「匙加減」・「帯久」・「胸の肉」・「三方一両損」の4題。
「帯久」を演ってみようかと、今朝、偶然に、鞄に入れたんです。
「匙加減」もいい。
でも、長すぎる・・。

師匠のコメント

師匠のプログで、我々のコメント。
「第2次落語っ子連」スタート。
 会則を披露。
 会長を流三。副会長、窓口。
  予定の中に「年に二度の発表会をする」というのがある。
  積極的なことはいいこと。
参加者
 無弦、窓口、流三
見学
 流三の落研先輩のK
選席
 流三(りゅうざ)[鬼子母神 藪中の蕎麦]
 窓口(まどぐち)[片棒]、K[禁酒番屋]
 無弦[笠碁]、まど深(まどみ)[目黒の秋刀魚]
読ませ稽古
 流三[鬼子母神 藪中の蕎麦]。
  また小生の創作を選席してくれたので、ちょいと興奮気味で聞く。
  貴重な豊島区の関連噺になってくれればいい、、。

思えば、師匠が体調を崩された時に、落語っ子連が、発表会開催の是非で動揺して1ヶ月半が経ち、良い意味で、過去と決別して、新たにスタート(創業的出直し)をすることが出来ました。
発表会の時の師匠の厳しいコメントが思い出されます。
この連は小生が入院したと聞いて、即、小生に一言の連絡もなく発表会の中止を決定してしまった。
「2月いっぱい自宅で養生して、3月は予定しているよ」と連絡はしてあったのに、、、。
理由は、「開催をして圓窓師匠が顔を出してに来て具合を悪くするといけませんから」ということらしい。
小生が仕事していいか悪いかを判断するのは医者であって、行動するのは小生だ。
一言もなく早々に中止にするとは何事か、と愕然としてしまった。
発表会は誰のための会であるか、の意識があまりにもなさ過ぎる。
小生は、そりゃぁ指導出演ということで高座に出る。
が、あくまでも指南役で影の役である。
発表会の主役は誰がなんといっても、連のメンバーである。
小生は自分の意見を伝えて「指導役を降りる」と伝えた。
と、慌てて「やります」と言い出した。
で、今日の発表会。

終って、一同へ感想。
「4人の4席がやればできることを実証してくれた。こんな嬉しいことはない」
「やる気のない者の意見が、やる気のある者の意見を封じ込めてはいけない」
「今日で1次落語っ子連を解散する」
「続いて2次落語っ子連をスタートさせますので、参加したい人は小生に連絡をして」

・・・師匠の気持ちと私や窓口さん・まど絵さんの気持ちは同じで、発表会をやって良かったと思ったものでした。
師匠に言われ、喜んで会長の役をお受けすることにしました。
そして・・・、スタート。
新しいメンバーも含めて12名が揃いそうです。

不思議な光景

先日の日曜日、稽古帰りの上野駅のホームの光景・・。
     
ホームに電車が入る前の、人もほとんどいない時に見つけた靴・・?
こんなところに、しかも片一方だけが、ぽつんと置かれていました。
ホームから飛び込んだ訳でもなさそうだし・・・。
あれは、何だったんでしょう・・・・?

2012年4月 2日 (月)

師匠との雑談

昨日の稽古会では、参加人数が少なかったことと、頓平師匠が見学に来てくださったこともあり、私の「鬼子母神 藪中の蕎麦」の読み稽古の後、京樽のちらし寿司を食べながら、師匠を囲んで、頓平師匠・窓口さん・私の4人で歓談。
頓平師匠が、「どうやったら落語が覚えられますかねえ?」とお尋ねになりました。
「登場人物がどう思っているか、どう話すか、その人の気持ちを考えて喋ることが大切で、字に書いたものを平坦に覚えるのは駄目。」
「先代小さん師匠は、『登場人物の料簡になって』と仰っていましたが・・」
「そうそう、そういうこと。」
Fw:写真
・・・そうそう、以前師匠が仰いました。
「落語はね、活字で覚えちゃいけないよ。生きた言葉で話さないと、お客さまに気持ちが伝わらないよ。」
・・・それが、少し分かりかけて来た、今日この頃の私です。

鰍沢

「揺れるとき」の中で、三遊亭西生という元噺家が、身延参りの途中の鰍沢という所で、道に迷ってしまう話をする場面があります。
鰍沢
この「揺れるとき」を演ってみて・・・・「鰍沢」にチャレンジしてみたくなりました。
来年の冬から春にかけて、発表会のチャンスがあれば、チャレンジしてみようかと。
鰍沢

2012年4月 1日 (日)

(特番)落語DEデート

同じ時間帯にTBSの「ラジオ寄席」。
一方の文化放送は、開局60周年記念「落語DEデート・スペシャル」という特番。
ラジオ番組を同時に2つ聴くという、蛮行をしてみました。
  ◇ やかん    立川談志
TBSでは、「ラジオ寄席」で、桂文枝師匠の特集をやっています。
「悋気の独楽」と「高津の富」を聴きながら、無学者は論に負けないという噺をしています。
談志師匠が、あの声でやりたい放題にやっています。
一方の文枝師匠は、あの美声で明るい高座・・・。
ビールを燗付けして飲んでいるみたいな1時間・・・。

ラジオ寄席

プロ野球が始まりましたから、今回が今シーズンの最終回。
上方の五代目桂文枝師匠の特集です。
  ◇ 悋気の独楽    桂文枝
  ◇ 高津の富      桂文枝
弟子の三枝師匠が、今年7月に六代目を襲名します。
「高津の富」は、江戸では「宿屋の富」です。
上方と江戸では、随分ストーリーが違います。
上方落語再興の四天王のお一人ですが、私は、「たちきり線香」が好きでした。
一方、同時に聴いている文化放送では、談志師匠の「やかん」をやっています。
訳が分からなくなってしまいました。
今シーズンのプロ野球が終わる10月に、また再開されるのを待つことにしましょう。

第2次落語っ子連稽古会

稽古場へ向かう途中横切る運河の両岸は、桜の蕾が大きくなって、間もなく開花しそうです。
第2次落語っ子連稽古会
その運河を、幾艘かの手漕ぎの舟が通っています。
今日は、第2次落語っ子連の稽古会。
年度はじめの日曜日だからか、出席メンバーは、無弦、窓口、流三の3人のみ。
今日は、落研先輩の「杜の家頓平」師匠が、見学に来られました。
師匠から、私(流三)と窓口さんが正副会長を拝名いたしました。
次に、会長の私から、「第2次落語っ子連」の活動について、種々の確認と提案をさせていただき、師匠と出席の皆さんにご了承いただきました。
稽古は、流三が、9月に別の連(千早亭)で演らせていただく予定の、師匠創作の噺「鬼子母神 藪中の蕎麦」の読み稽古をしていただきました。
   ◇ 鬼子母神 藪中の蕎麦  三流亭流三
見学の頓平師匠も、5月からなら時間が空くそうですから、流三が勝手に「5月入会」ということに決めさせていただきました。

深川不動堂

:稽古の前に、深川不動に参詣。
3どの高座のお礼と、これからますますの充実を祈りました。
    
4月8日は「花まつり」ですから、この日も特別なイベント(儀式)があるようです。
    
久しぶりにすっきりした天気です。

落語はやおき亭

先日、文化放送開局60周年ということで、その記念落語会がありました。
「60周年記念口上」もあったと・・・。
文化放送は、日曜日の「落語DEデート」「落語はやおき亭」などの番組だけでなく、「落語の蔵」での落語配信、「浜松町かもめ亭」の主催など、落語には一番力を入れている放送局です。
考えてみると、テレビの放送局が開局したのは、昭和20年代後半ですから、戦後間もない、私が生まれる直前だったんですね。
最近は、かなりテレビ離れしていますが、テレビのない生活の出来ない身体です。
  ◇ 海老名家伝説    林家たい平
この落語会で演った「幾代餅」のマクラの部分だそうです。

落語DEデート

今日は4月1日、エイプリルフールという訳です。
   ◇ うそつき村    三代目三遊亭金馬
古典落語ではありますが、金馬師匠は、スーパーなど、カタカナの言葉も入れています。
聴いている分には、あまり違和感がありません。
志の輔さんは、噺家さんの芸風によって、カタカナを言っても違和感のない人もいれば、違和感を感じる人がいる、と言っていました。
確かにそうかもしれません。
また、噺によって、受け入れられるものと、違和感のあるものがあると思います。

« 2012年3月 | トップページ | 2012年5月 »