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2012年2月13日 (月)

揺れるとき①

師匠が昨年の「圓朝まつり」の奉納落語会で、自作自演でお演りになった「揺れるとき」という人情噺。
三遊亭圓朝を主人公に、引退した噺家三遊亭西生との関わりと、横軸に安政の大地震を入れ、圓窓師匠の芸論がふんだんに盛り込まれています。
今回(3月25日)の「千早亭落語会」で、僭越ながら、千早亭永久がチャレンジさせていただくことになりました。
ちょうど、あの東日本大震災から今日で11ヶ月になります。
その気持ちや経緯について、ちょっと説明しておきたいと思います。
ゆれるとき
師匠から頂戴した「揺れるとき」の高座本(ネタ本)の巻末に、「創作のきっかけ・・・」という師匠のコメントが載っています。
平成23年3月11日、東日本を襲った津波の様子を自宅にいてテレビで見ていた。
こんなことが放映されているのか・・。ライブなのか・・・。
 (中略)
その次の日の13日は、地元の扇子っ子連というアマチュアの落語指南所の発表会がある。
12日はその連の長から電話が2本入り、「明日の発表会は中止にしましょう」と言って来た。
理由を問うと、「こういう状況で落語をやっていかがなものか、と思いますので」と答えた。
あたしは即、「こういう状況でも落語を聞きたいと足を運ぶ人は必ずいるもんだ。それに出演する連の者はほとんど地元の豊島区の人なんだから、来られる人だけでもいいから高座に上がろうよ」と伝えた。
しかし、当日、その長からは「みなさんが中止に賛成しましたから、やめます」とのこと。
あたしは、自分自身を指導者失格と受け取って、この先の落語の指南を断った。
何人かが拙宅に来て、「指南を続けてください」と言う。
中には、「あたしは、師匠が中止を決めたかと思い、だから中止の賛成をしたんですが・・・」とも言う。
つまりは、連の長はあたしの意向を連中にちゃんと伝えず、中止にしたいという自分の気持ちを優先させた結果のようだ。
落語を趣味で聞く分には、個人として存分に楽しめばいい。
しかし、演るとなると、聞く人が必要になってくる。
その人への責任も感じ取らなければならない。
「プロはすごいんですね」と言う人がいたが、演るということに関しては、プロもアマもない。
責任を果たさなければいけない。
連の長に、あたしの了見が伝わらなかったのが、寂しかった。

そうなんです。我々の発表会「千早亭落語会」の中止(延期)が、あの人情噺の創作の大きなきっかけになっているんだそうです。
この時の一連の出来事が師匠のプログにアップされています。
http://ensou-rakugo.at.webry.info/201103/article_2.html
http://ensou-rakugo.at.webry.info/201103/article_7.html
http://ensou-rakugo.at.webry.info/201103/article_8.html
http://ensou-rakugo.at.webry.info/201103/article_9.html
http://ensou-rakugo.at.webry.info/201103/article_11.html
http://ensou-rakugo.at.webry.info/201103/article_12.html
http://ensou-rakugo.at.webry.info/201103/article_15.html
この後は、噺の内容に込められた、師匠の気持ちが、とても熱く述べられています。
続きは、次の機会に触れることにします。

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