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2012年2月 8日 (水)

落語界再編?

pen読売新聞の記事です。
特に目新しいとか、驚いたというものではありません。
http://www.yomiuri.co.jp/job/biz/columnculture/20120207-OYT8T00282.htm?from=tw
その発言は昨年末、落語芸術協会の納会で飛び出した。
挨拶に立った新宿末広亭の真山由光社長が「落語芸術協会の定席は、落語協会に比べて客入りが悪い」としたうえで、こんな事を言ったのだ。
「円楽一門会や立川流と一緒になって欲しい」
この世界、寄席を経営する席亭の言葉は万金の重みを持つ。
ましてや公式行事の席上での発言である。芸協の田沢祐一事務局長は、「正式な要請と認識している。検討したい」という。
落語界が賑やかになって来た。
東京の落語界には、4団体がある。柳家小三治会長の落語協会、桂歌丸会長の落語芸術協会、三遊亭鳳楽会長の五代目円楽一門会。
そして、落語立川流である。
立川流は家元・談志が昨年11月に亡くなって以降、「会長」「家元」は置いていない。
もとはといえば、円楽一門会や立川流のルーツは、落語協会にある。真打昇進制度などを巡る意見の相違で袂を分かったのである。
1978年に三遊亭円生が一門を率いて協会を離脱、円楽一門会の前身の落語三遊協会を作り、83年には談志一門が脱会した。
円生が脱会する際、三遊協会が落語協会、落語芸術協会とは別個に寄席興行を行うという案があったが、都内4件の寄席で作る「席亭会議」が否決。
都内の寄席興行は、その後も落語協会と落語芸術協会が交互に行っている。つまり、円楽一門会と立川流は通常の寄席興行には出演していない。
落語協会に所属する落語家は約200人、芸協は100人強、円楽一門会と立川流は50人弱。
芸協の落語家の数は、落語協会の約半分で、以前から層の薄さを指摘する声があった。単純に数だけで言えば、芸協に円楽一門会、立川流を加えれば、落語協会に肩を並べる。
さらにいえば、円楽一門会には三遊亭円楽や三遊亭好楽、立川流には立川志の輔や立川談春といった人気者がいる。
両会が合流すれば、芸協の顔ぶれは落語協会に引けを取らないものになるし、これまで寄席に出ていなかった実力者の登場は観客増加の起爆剤になる。
まあ、真山社長の発言の背景を筆者なりに補足すればこういう事になろうか。
五代目円楽が亡くなった後、六代目を継いだ今の円楽が一昨年、落語芸術協会の定席で襲名披露興行を行った。
このことの意味も大きい。
その後、落語芸術協会と円楽一門会は、"業務提携"の可能性を探っていたからだ。
合併まではしないが、円楽一門会の落語家を寄席興行に組み入れようという動きである。賛否両論があったこの案は昨年6月、芸協の理事会でいったん否決されたのだが、「真山発言」で再び議論の俎上に登ることになった。
21世紀も10年以上が過ぎた。昭和の時代の落語界分裂の当事者の多くは、すでに故人となった。
一昨年、三遊亭円生の名跡を巡って門下の確執があったように、まだその傷跡は癒えたとは言えないが、徐々に世代交代が進む中で、微妙に情勢は変わりつつあるようだ。
三遊協会の寄席興行を否定した「席亭会議」をリードしたのは、当時の新宿末広亭の席亭で、「新宿の大旦那」と言われた北村銀太郎氏だった。
年月がたち、三遊協会の末裔、円楽一門会の寄席出演の提案をしたのも、同じ末広亭の席亭、真山氏である。
歴史の巡り合わせを感じるのは、筆者だけだろうか。
                       (2012年2月7日  読売新聞)
素朴に単純な足し算では「?」だと思います。
また、一見落語協会には直接関係ないように思えますが、曲がりなりにも、もともとは落語協会の流れを汲む大きな名跡、「三遊亭圓橘」「三遊亭小圓朝」などが、芸術協会の名跡になってしまう訳で、"流失"は「桂文治」で終わりにして欲しいものです。
圓楽一門会も、当代の円楽師匠が目立っていますが、あくまでも筆頭は鳳楽師匠でありまして、どうも歌丸会長と円楽師匠の「笑点」繋がりの臭いだけがぷんぷんします。
席亭にしてみれば、団体が大きい方が、とりあえず香盤は組みやすいでしょうから。
私はよく分かりませんが・・・。

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