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2012年2月14日 (火)

上方落語のこと

music先日、「深夜ラジオ便」を意識朦朧で聴いていると、雑誌「上方芸能」の編集をしているという方が、上方落語復興の立役者としての「桂米朝」師匠をコメントしていました。
半分眠りながらの部分的な記憶ですから、全体の流れとは違うかもしれませんが、戦後間もなくの上方落語の噺家さんは、18人程度まで減ってしまっていたそうです。
ところが、今や250人を超えるぐらいになっているそうで、まさに、松鶴・米朝・春團治・(小)文枝の四天王の師匠たちの努力の賜物だと言えるでしょう。
ラジオでは、昭和一桁頃の4つの出来事が、上方落語が滅びそうになった原因だと言っていました。
まず、吉本興業が、従来の落語中心から漫才中心の興行へと方針を変更したこと。
次に、これと相俟って、「エンタツ・アチャコ」の漫才が大人気を博し、漫才を志望する人が増えたこと。(=落語家志望者が激減した。)
さらに、吉本興業は、文芸・伝統芸・映画に注力する中で、特に文芸部門に秋田實などの優秀な人材が集まったこと。
トドメが、戦前絶大な人気だった「初代桂春團治」が亡くなったこと。
・・・なるほど。

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