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2012年1月 6日 (金)

ミュンヘンへの道

scissors「アタックNo,1」だとか「サインはV」だとか、女子バレーボールのアニメの人気が最高潮になったのは、やはり東京オリンピックの"東洋の魔女"の影響だったのでしょうか。
当時、女子に比べて影が薄かった男子を、一躍人気者にしたのが、「松平康隆」監督でした。Photo_4
ミュンヘンオリンピックで、日本男子が悲願の金メダルを獲得した時、私は中学生のリアルタイムの出来事でした。
興奮しましたよ。
毎週日曜日の夜に、「ミュンヘンへの道」というアニメのノンフィクション番組があり、一生懸命視聴していました。
森田・横田・大古・猫田・島岡・中村・佐藤・・・。
懐かしい名前が蘇ります。
その監督だった松平さんがお亡くなりになったそうです。
産経新聞の記事で見つけました。
日本バレーボール協会名誉顧問の松平康隆氏が昨年12月31日、肺気腫のため東京都内の病院で死去していたことが5日、分かった。81歳だった。葬儀・告別式は近親者のみで行った。
後日、お別れの会を開催する。東京都出身。
慶大法学部を経て、日本鋼管へ入社。全日本男子チームのコーチとして、昭和39年の東京五輪で銅メダルを獲得した。
その後、全日本監督に就任。長期的な計画を立ててチームを強化し、43年のメキシコ五輪で銀メダル、47年のミュンヘン五輪では男子バレーで初の金メダルに導いた。
外国人選手との体格差を埋めるため、速攻や時間差など、今では主流となっている攻撃スタイルを考案した。
バレーボールの世界への普及・発展にも尽力し、平成10年には日本人で初めてバレーボール殿堂入り。
平成12年には国際バレーボール連盟から、20世紀世界最優秀監督賞に選ばれた。16年、旭日中綬章受章。

聞くところによれば、故人の最期の言葉は、「バレーボール一筋に人生を終えられて非常に幸せでした。自分の人生でやりたいことは全部できましたし、思い残すことは何もない人生でした。」と・・・・。 
物凄い言葉だと思います。
・・・また、昭和の達人が一人天国に旅立たれました。
落語とは関係ありませんが・・。

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