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2012年1月 3日 (火)

松戸宿

sun江戸川の上空のきれいな雲。空は風が強そうです。
松戸宿
箱根駅伝をテレビ観戦した後、身体がなまっているので、ちょぃと散歩してみました。
松戸という街は、かつての水戸街道の宿場です。
        松戸宿
金町松戸の渡しで江戸川を越えて下総国に入り、川岸から水戸街道第三宿となる松戸宿の町並みの中を行く。
一昔の旅人はそんなルートを辿って金町から松戸に至っていた。
江戸時代、松戸宿までの水戸街道は道中奉行の支配下に置かれており、松戸宿から先は勘定奉行の支配下に置かれていた。
つまり、道中奉行の支配下ということは幕府の意向が強い五街道と同等の直轄地であり、勘定奉行の支配下ということは幕府の意向が強く及ばない委任地だったと考えてよいだろう。
何ゆえ松戸宿を境にこのような棲み分けがされていたのかよくわからないが、松戸宿から先の水戸街道は徳川御三家の一つ水戸徳川家の支配力が強かったと見ることができよう。
江戸時代初期、後に水戸徳川家の礎を築く徳川頼房が水戸に君臨してから、江戸と水戸城下を結ぶ街道として整備されたのが水戸街道。それに併せて小さな集落だった松戸村を整備して置かれた宿場が松戸宿である。
天保14年(1843年)当時の記録によると、人口1886人、家数436軒、本陣1、脇本陣1、旅籠28軒とあり、渡し場から先が下横町で水戸街道の曲り角から南側が角町、北側に宮前町・三丁目・二丁目・一丁目と続き、江戸時代後期にはかなりの発展を遂げていたことがわかる。
利根川の布佐河岸(現 千葉県我孫子市布佐)から江戸川の納屋河岸に魚を運ぶ鮮魚(なま)街道が松戸宿を通り、更に松戸から江戸川を下って江戸深川方面へ人荷を運ぶ水運も大きく発達したことにより、宿場付近の平潟には遊郭(飯盛旅籠の集まった場所)ができて、松戸宿は大いに賑わったようだ。

・・とまあ、江戸川河岸には、歴史の名残が多くあるようです。
ところで、落語でも「紋三郎稲荷」は、松戸宿の旅籠が舞台になっています。

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