幕末太陽傳
待望の「幕末太陽傳」を観ることが出来ました。
この映画は物凄い!
以前、テレビで放映している一部分を横目で観たことがありましたが、実はフランキー堺さんが、あんまり好きではなかったこともあり、「随分忙しくてうるさい映画だな」ぐらいにしか思いませんでした。
ところが、こりゃあもう落語好きにはたまりません。
「居残り佐平次」「品川心中」「三枚起請」「付き馬」「文七元結」「大工調べ」「お見立て」「親子の遊び」「おせつ徳三郎」・・・・、こんな落語の名作の数々が、練り込まれているんです。
それから、落語を演る立場からも、煙草盆や火鉢や帳場、廓や品川の海、花魁の生態や様々な商売など、実際に動いているのを見られるのも貴重です。
頃は幕末--ここ品川宿の遊女屋相模屋に登楼したのは佐平次の一行。
さんざ遊んだ挙句に懐は無一文。
怒った楼主伝兵衛は佐平次を行燈部屋に追払った。
ところがこの男黙って居残りをする代物ではない。
いつの間にやら玄関へ飛び出して番頭みたいな仕事を始めたが、その要領のよいこと。売れっ妓こはるの部屋に入浸って勘定がたまる一方の攘夷の志士高杉晋作たちから、そのカタをとって来たり、親子して同じこはるに通い続けたのがばれての親子喧嘩もうまく納めるといった具合。
しかもその度に御祝儀を頂戴して懐を温める抜け目のない佐平次であった。
この図々しい居残りが数日続くうちに、仕立物まで上手にする彼の器用さは、女郎こはるとおそめをいかれさせてしまった。
かくて佐平次は二人の女からロ説かれる仕儀となった。
ところが佐平次はこんな二人に目もくれずに大奮闘。
女中おひさにほれた相模屋の太陽息子徳三郎は、おひさとの仲の橋渡しを佐平次に頼んだ。
佐平次はこれを手数料十両で引受けた。
あくまでちゃっかりしている佐平次は、こはるの部屋の高杉らに着目。
彼らが御殿山英国公使館の焼打ちを謀っていることを知ると、御殿山工事場に出入りしている大工に異人館の地図を作らせ、これを高杉らに渡してまたまた儲けた。
その上焼打ちの舟に、徳三郎とおひさを便乗させることも忘れなかった。その夜、御殿山に火が上った。
この事件のすきに、ここらが引上げ時としこたま儲けた佐平次は旅支度。そこへこはるの客杢兵衛大尽が、こはるがいないと大騒ぎ。
佐平次は、こはるは急死したと誤魔化してその場を繕い、翌朝早く旅支度して表に出ると、こはいかに杢兵衛が待ち構えていてこはるの墓に案内しろという。
これも居残り稼業最後の稼ぎと、彼は杢兵衛から祝儀をもらうと、近くの墓地でいいかげんの石塔をこはるの墓と教えた。
杢兵衛一心に拝んでいたが、ふと顔をあげるとこれが子供の戒名。
欺されたと真赤になって怒る大尽を尻目に、佐平次は振分けかついで東海道の松並木を韋駄天走りに駈け去って行った。
ただし、今から見ると、きら星のごとくの名優たちが出演しているのですが、正直なところ、石原裕次郎と小林旭は、ミスキャストだと思いました。そもそも、あんな八重歯というか牙の裕次郎みたいな侍がいる訳がない・・。
「太陽傳」という名前にも疑問を持っていたのですが、この映画が製作された時期こそ、「太陽族」が大人気だった頃のようなのです。
作品の冒頭に「日活製作再開三周年記念」と表示される。
戦時中の企業整備令によって大都映画、新興キネマと日活の製作部門が合併して大映が誕生。これは国策会社なので終戦で解散するはずがなぜか存続したので、戦後は配給興行に甘んじて来た日活が、昭和28年(1953年)に映画製作再開を宣言して、翌昭和29年(1954年)に調布の日活撮影所が竣工して製作再開してから3年目という意味である。新生した日活は、技術部門を東宝から、監督部門を松竹大船撮影所から主に引き抜き、この三周年記念映画を任された川島雄三もまた松竹大船からの移籍組(他に西河克己、鈴木清順、今村昌平などがいる)である。
日活は文芸映画や新国劇との合作を主としていたが、昭和31年(1956年)に「太陽の季節」を大ヒットさせると、石原裕次郎という新時代のスターが主演する若者向け映画会社へと変貌を遂げていた。
しかし、この映画によって登場した太陽族に対する世間の風当たりは強く、日活内部でも「太陽族映画」を拒否する傾向が強かった。
そんな中で川島の提出した脚本はまさしく幕末の太陽族を意識させずにはおかないものであり、以後映画が完成するまでの間、川島と日活上層部との軋轢は絶えなかったという。
また、3周年を記念する大作が古典落語をつなぎあわせた喜劇映画であったこと、石原裕次郎などスター俳優を脇に回して軽喜劇で人気を博していたフランキー堺を主役に据えたこと、品川宿のセット予算など制作費の問題で会社と現場との間で軋轢があったこと、そして川島がかねてから抱いていた待遇の不満などが積み重なり、結局この映画を最後に日活から東京映画へと移籍することになった。
・・・なるほど、世相を反映していますし、「太陽傳」となった背景も分かります。
それにしても良かった。
日本の映画も、一部のミスキャストを除けば、まんざら捨てたものではありません。
良い勉強になりました。