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2011年12月 9日 (金)

鰍沢

シネマ落語「落語研究会 昭和の名人 参」で、先代の「金原亭馬生」師匠の「鰍沢」を聴いて、色々思うところがありました。Photo
今まで、「三遊亭圓生」師匠や「入船亭扇橋」師匠、「桂歌丸」師匠は聴きましたが、馬生師匠はあまり聴いていませんでした。
まず、旅人が鰍沢で迷ったのは、身延山参詣の前か後かということ・・。
私は、今までは何となく、甲州街道から身延道に入り、途中で法論石や小室山妙法寺にお参りし、身延山へ向かう途中で迷ったと思っていました。
ところが、馬生師匠は、身延参りの後のような感じでした。Photo_3
私はいくらか地理が分かりますが、確かに、道に迷うなら、お参り後の方が迷う可能性が高いと思います。
尤も、前でも後でも、法論石や妙法寺に立ち寄っているのなら同じですが・・・。Photo_4
それから、雪の降り方・積もり方のイメージです。
どうも、多くの噺家さんのを聴いていると、豪雪地帯で何メートルも雪が積もっている演出になっているような気がして、噺を聴くときは私でもそんなイメージでいました。Photo_2
ところが、冷静に考えてみると、昔は今より寒かっただろうし、かなりの山奥ですから、そこそこの積雪ではあったかもしれませんが、そんなに雪深い訳ではないはずなんです。
馬生師匠の演出は、この微妙なところが語られていて、目から鱗が落ちるようでした。
それから、囲炉裏で焚き木を焼べる仕草や、懐からお金を出す仕草、玉子酒に入った毒で苦しむ仕草などは、かなりリアルな演出になっていました。
考えてみれば、このお熊夫婦も、旅人が迷い込まなかったら、お熊が盛った毒で、心中までして一緒に逃げて来た亭主が死ぬ(恐らく)ことはなかっただろうに・・・。
初めてそう思わせられました。そういう壮絶な演出でもありました。
「鰍沢」・・・、私でも出来る日が来るでしょうか・・・。

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