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2011年12月23日 (金)

「明烏」と「野ざらし」

bell三流亭窓口さんが「明烏」と「野ざらし」にチャレンジしています。
いずれも、非常にポピュラーで人気のある噺です。

そして「明烏」と言えば八代目桂文楽、「野ざらし」と言えば二代目春風亭柳好、というように、かつて十八番にしていた師匠がいます。
この師匠が高座に上がれば、「明烏っ!」「野ざらし!」と、客席から声がかかったそうです。
従って、この師匠方がご健在の頃は、他の噺家さんは演ることが出来なかったという訳。
この二人の師匠が亡くなってから何十年も経つのですが、そして色々な噺家さんが演じるようなになったのですが、あの師匠の癖や語り口調やリズムが残っていることが多いようです。
先代の金馬師匠の「居酒屋」などもその類でしょう。
未だに十八番にしていた師匠方の癖が抜けずに、コピーのようになっているのを、圓窓師匠は嘆いています。
先日の窓口さんの「野ざらし」でも、こんなコメントをされていました。
柳好師匠は、最初から最後まで歌うような語り口だった。
地の部分も、誰の台詞でも、一本調子で歌うように演っていた。
これを真似しちゃ駄目なんだけれども、未だに「野ざらし」は、誰が演っても歌うようになる。
歌っちゃ駄目だ。
余りにも噺と噺家さんが密着してしまうと、後世にも影響を及ぼすものなのですね。
「明烏」や「野ざらし」から、いつになったら先人の"臭い"が消えるでしょうか。
ところで、最近では、この「野ざらし」や「湯屋番」などのように、台詞の中に別の人の台詞が入り、独り善がりなキャラクターが出て来る噺は、聴く側の想像力がついて来れなくなり、演る人や機会が随分減ってしまったそうです。
聴く側が、コントのような刹那的なお笑いにしか反応できなくなりつつあるとすれば、やや心配ではあります。

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