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2011年12月14日 (水)

「昭和の名人完結編」(22)

確か全巻で26巻のはずですから、配本も残り少なくなりました。Photo_3
と同時に、私にはあまりなじみのない噺家さんが多くなりました。
特に、上方の師匠方は知りません。
 ◇ 茛の火    林家染丸
 ◇ 掛け取り   橘ノ圓都
染丸師匠は、私が知っている、月亭八方・桂文珍・桂きん枝さんと「ザ・パンダ」をやっていた故林家小染さんのお師匠さんですね。確か。
小染さん好きだったのですが、若くして亡くなってしまいました。
昭和7年、二代目染丸に弟子入りして染五郎(後に染語楼)となる。
当時は上方落語の低迷期だったため若手が定席に出ることは難しく、消防署職員と落語家の二足のわらじを履きながら修行を続けた。
昭和27年、師匠が没したのを機に落語家として芸に専心することを決意、翌年8月、寄席・戎橋松竹にて三代目染丸を襲名。
昭和32年の上方落語協会設立にあたっては初代会長に就任、後進育成にも尽力し、弟子には故・四代目小染、四代目染丸らがいる。
満面笑みを浮かべた「えびす顔」で人気を得て、毎日放送「素人名人会」の審査員としても親しまれた。
出囃子は、「たぬき」。
得意ネタは「景清」「猿後家」「ちりとてちん」など。

圓都師匠は、全く知りません。
明治38年に、「二代目・桂文 團治」に入門し桂團壽となるも、途中で挫折、明治45年、「初代・橘ノ圓」に再入門し、橘家圓歌となる。
「初代・三遊亭圓歌」と間違いやすいとの理由から大正6年、橘ノ圓都を名乗ることになった。
他の落語家がやらないネタをやっていたことで、人気を集めていたのだが、昭和に入ると突然活動を休止した。その理由は、戦時中の好景気で大工の需要が高まっていたため、大工に戻ったというもの。
しかし、同じ落語家達の説得により落語界に復帰。
まっすぐな性格で独自の落語を披露、晩年になっても落語への情熱は衰えず、90歳まで高座に上がり、根強いファンを沸かせたそう。

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