立川談志代々
先日亡くなった談志師匠は五代目で通っていましたが、これはあくまでも自称で、実は七代目になるようです。
これは明治時代の寄席で「(珍芸の)四天王」の一人として人気を博していた「釜堀りの談志(四代目)」が初代を称し、俥屋の談志(六代目)がそれに倣って四代目と称していたので、五代目というのは語呂が良く、さらに師匠の五代目柳家小さんと代数が合うので、五代目を名乗ることになったそうです。
談志代々を覗いてみます。
①初代 - 後の二代目菅良助。
②二代目 - のち初代三笑亭可楽の門下で宇治新口を名乗る。
こちらの談志の方が初代だとする説もある。
③三代目 - 「花咲爺の談志」。本名、三宅岩太郎。
④四代目 - 「釜堀りの談志」。江戸二代目桂才賀の門下。
本名、中森定吉。
⑤五代目 - 後の柳家金太夫。本名、恒川駒吉。
※五代目と六代目の間にもう一人談志がおり、東西会に
所属していたようであるが、詳細不明。
⑥六代目 - 得意な演目から「反対俥の談志」「俥屋の談志」。
性格の良さから「お結構の談志」。
五代目三升家小勝の門下。本名、竹内栄次郎。
⑦(七代目) 自称五代目の、先日亡くなった談志。
六代目は性格が良くても七(五)代目は・・・だったということで、名跡は継いでも芸や性格は関係ないようです。
歴代の談志の中で、特に目立つのは「四代目」でしょう。
四代目は、最初二代目桂才賀の門で才太郎といいのちに才次郎、六代目桂文治の門で文鏡から1877年頃に四代目立川談志。
扇子一本で真打を務める実力者であったが、「ステテコの」初代三遊亭圓遊、「ヘラヘラ節の」初代三遊亭萬橘、「ラッパの」 四代目橘家圓太郎と共に明治の「珍芸の四天王」と言われもてはやされた。
「郭巨(かっきょ)の釜掘り」で人気を博したそうです。
どんなものだつたのか、以前六代目三遊亭圓生師匠の「圓生百席」だったか、圓生師匠が真似たのを聴いた記憶があります。
落語を一席やった後羽織を後ろ前に来て、手拭いを4つにたたんで後ろ捻り鉢巻を、扇子を半開きにして衿元へはさみ、座布団を脇に抱え『そろそろ始まる郭巨の釜掘り、テケレッツのパッ!。』と言い『アジャラカモクレン、キンチャン(客)、テケレッツのパッ!。カマール(集まる)セキテイ(席亭)喜ぶ。テケレッツのパッ!……』などと言い高座を歩き回る。今度は座布団をそばに置き、扇子を鍬に見立てて土を掘る仕草をし『この子あっては孝行はできない、テケレッツのパッ!。天から金釜郭巨にあたえるテケレッツのパッ!。皆さん孝行しなさいよテケレッツのパッ!。……』と言うこれらを単純に繰り返す芸であった。
私が聴いた圓生師匠のは、「今の談志は参議院議員だ、テケレッツのパ!」とか、「あいつが怒ると私は恐いよ、テケレッツのパ!」なんていうパロディ文句が入っていたと記憶しています。
まぁ、のんびりとしたリズムでした。
テケレッツのパ
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