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2011年11月19日 (土)

吾妻橋

bus大川(隅田川)に架かる「吾妻橋」という橋があります。
落語にはなくてはならない舞台となっている橋です。Photo_9
特に私にとっては、度々使わせてもらう、とても重要な舞台です。
「浜野矩随」では、若狭屋が矩随に「吾妻橋から身を投げてしまえ!」と言います。
「佃祭」では、小間物屋の次郎兵衛さんが身投げをしようとしている娘を助けます。
「救いの腕」では、姉と喧嘩して家を出たお香が向島に行くのに渡って行きます。
そして、先日の「薮入り」乱志オリジナルでも、時は違えど亀ちゃんと財布が拾われた運命の場所として設定させていただきました。
別に「両国橋」や「言問橋」でも良いのでしょうが、私は「吾妻橋」という語感がとても好きなんです。
名作の「文七元結」では、大工の長兵衛が吉原方向を振り返り、佐野槌に残して来た娘のお久に向かって話しかける場所であり、文七が身を投げようとしていたところを助ける場所になっています。
昔の吾妻橋は、勿論今のような真っ赤に塗られた鉄の橋ではありませんでした。
「吾妻橋(あづまばし)」 は、台東区雷門 と 墨田区吾妻橋 の間で、浅草雷門の前を走る 「雷門通り」 が 「隅田川」 を渡る橋です。
Photo創架は安永 3年(1774)、江戸時代に架設された隅田川の橋としては第五番目の橋で、江戸期に架橋された最後の橋だったそうです。

Photo_2 安永 3年(1774) の 架橋以後は、明治 7年(1874) の 「厩橋」 架橋までの100年間、「隅田川」 には新たな橋は架けられなかったことになる訳です。
「吾妻橋」 の名称の由来は諸説あるそうです。
架設当初は 「大川橋」というの が正式な橋名であったらしいのですが、左岸(向島方面) にある 「吾嬬(あづま)神社」 への道筋にあたることから、「吾嬬橋」とも呼ばれており、これが 「吾妻橋」 に転じたという説。
Photo_3
また、幕府押し付けの「大川橋」 の名称に反発した付近の町民が、江戸の東に位置するこの橋を 「東(あずま)橋」 と呼んでいたからとも伝えられています。
そして、正式に 「吾妻橋」 と命名されたのは、明治 9年(1876) の架け替えの時だったそうです。
「吾妻橋」 架橋以前は、この場所に 「竹町の渡し」 という渡し船があったそうです。
江戸時代の300年間に隅田川に架けられた橋を「江戸五橋」と言うそうで、{千住大橋」・、「両国橋」・、「新大橋」・「永代橋」と「吾妻橋」 がそれに当たります。

という訳で、「吾妻橋」にはこれからもお世話になることでしょう。

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