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2011年11月23日 (水)

NHKニュース9

tv「NHKニュース9」でもトップの扱いでした。
様々な方のコメントを紹介していました。
2 5代目柳家小さんのもとで、談志さんの弟弟子だった、落語協会会長の柳家小三治さんは、
「以前から本人はがんを患っていると周りに言ってきたので、とうとうこのときが来たかという思いです。彼はあまりにも個性が強く、落語協会を飛び出して、わがまま勝手、好き放題にやってきて、自分のやり方以外は認めないようなところがあった。しかし、はなし家としては、私がこれまで出会った中でも群を抜いており、天才だったと思う。もし、今ことばをかけるとするならば、『よく生きたいように生きたね』と言いたい」と話しました。
長く親交があった橘家圓蔵さんは、
「とにかくびっくりして、今も信じられない。半月くらい前に会って、『よっ』と、いつもどおりあいさつを交わしたのが最後だった。いちばん世話になった人で、とにかく悲しくて涙が止まらない」と話しています。
民放の演芸番組で共演した桂歌丸さんは、
「落語に関しては厳しい人でお手本でした。私が教わりたかったのですが、談志師匠から私に稽古を頼んで来られたこともあり、それを談志流にして、面白いはなしに仕上げていました。機嫌によっては難しいところもあったようですが、自分なりに進んできた方なので、満足だったのではないでしょうか。大変寂しく残念で、また落語界から一つの星が消えてしまいました」と話しています。
常設の寄席、新宿末廣亭の前の社長、北村幾夫さんは、
「とても驚きましたが、長く体を悪くしていたので、ひょっとしてそろそろかなという覚悟もしていました。談志さんは最近まで、用事がないのに『楽屋に忘れ物をした』と言っては突然現れ、世間話をしに来てくれていました。思ったことをそのまま話し、人を怒らせてしまうこともたびたびありましたが、あれほど寄席が好きな人はいなかったと思います。喪失感でいっぱいです」と話していました。
談志さんの弟子の立川談笑さんは、
「訃報を聞いて、今は頭が空っぽです。笑いに関しては本当に天才で、弟子で最後に集まったときも、病気が辛そうで話はできませんでしたが、筆談で笑いをとろうとしたほどでした。厳しいように見えますが、弟子思いで温かみのある人でした」と話していました。
今夜から暫くの間、談志師匠の死を悼む番組が続くことでしょう。
やはり偉大な噺家さんなんですね。

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