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2011年11月

2011年11月30日 (水)

霜月の落語徘徊

今月は何と言っても「お江戸あおば亭」でした。
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おかげさまで、今回も大変賑やかな落語会になりました。
ご贔屓の皆さまにも感謝・感謝です。
再び、「金願亭乱志」の高座をご覧ください。
「新曲浦島」の出囃子
高座へ3態金願亭乱志の登場
待ってました!の声・・?
高座へ3態「結界」を作って・・・・
よろしくお願いいたします。
高座へ3態いっぱいのお運びで・・・
金願亭乱志かくばかり偽り多き世の中に・・
金願亭乱志おいっ、お光、おい・・・
金願亭乱志めっきりお寒くなりました・・・・
金願亭乱志・・字といい、文句といい・・
亀、授かった物はなぁ・・・・
落語会もそこそこ行くことが出来ました。
   ◇  3日    落語と香道の会
   ◇ 14日    三三独演〜懐古趣味〜
   ◇ 18日    東京落語会
   ◇ 19日    朝日名人会
   ◇ 21日    紀伊國屋寄席
   ◇ 28日     読売GINZA落語会
高幡不動での圓窓師匠の会とその後でご一緒させていただいた「香道」の初体験は楽しかったですね。
ブログのアクセス累計が29日に19万件に届きました。

談志師匠の追悼番組予定

この週末にNHKで放映される追悼番組の予定です。
09年4月にハイビジョンで放送したインタビュー番組「100年インタビュー 立川談志」をBSプレミアムで12月3日に再放送。
12月4日には総合テレビで、談志さんの芸とトークを過去の映像で振り返る「談志が死んだ 立川談志が愛した落語と仲間」を放送。
・・・だそうです。

お江戸あおば亭・番外編

志ん志師匠、寝蔵師匠のお二人からも、正式にご出演をご快諾いただきました。
これでメンバーは固まり、素晴らしい番組を組むことが出来そうです。
現状で、とりあえず勝手に、香盤(番組)を考えてみました。
   ≪お江戸あおば亭・番外編≫201111121330000
 ◇ 金明竹    談亭志ん志
 ◇ 棒鱈     破れ家笑児
 ◇ 宮戸川    喰亭寝蔵
     仲入り
 ◇ 真田小僧   南亭蕪生
 ◆ お楽しみ   素敵なゲスト
 ◇ 落とし噺   金願亭乱志
私だけが、いつもながら、演題が決まりません。
先日の「お江戸あおば亭」では「唐茄子屋政談」などと言っていましたが、再考することにします。
もし、圓窓師匠がお許しくだされば、「揺れるとき」という創作噺をやらせてもらおうかとも思っています。
今回は皆さん比較的小ぶりな噺が多いので、ちょっと頑張ってトリを取らせていただきたいと思います。
あくまでも試(私)案ですから、これから詰めて行きます。

(面)白い恋人

先月大阪に出張した時に、土産物売り場に「面白い恋人」という、どこかで見たお菓子を見つけました。
Photo北海道の有名なお菓子「白い恋人」のパクリだというのが明白な代物でした。
「それにしてもセンスのない商品だな。中国の遊園地のドラえもんみたいだ。」と思いました。
こんないかがわしい品物を買う人がいるんだろうかと思いながら帰りました。
ところが、これがそこそこ売れているようなんです。
そして、新聞記事によると・・・、あの「吉本興業」の子会社が発売した菓子「面白い恋人」が商標権を侵害したとして、元祖・本家?の北海道の銘菓「白い恋人」の製造販売元が、吉本興業と子会社など3社を相手取って、ロゴマークの使用差し止めなどを求める訴訟を起こしたそうなんです。
吉本興業は「白い恋人」のブランド力に便乗するもので、不正競争防止法に違反するということで。
本家には「(白い恋人と)間違えて(面白い恋人を)買ってしまった」などの苦情がこれまで数件寄せられているそうです。
弁護士によると、吉本興業は「面白い恋人」の商標登録を特許庁に出願したが、「白い恋人」と同一との理由で認められなかったということですから・・・。
吉本興業というのは、れっきとした上場会社だったはずてす

このあたりが、大阪と東京の洒落とかギャグのセンスの違いだと思います。
大阪では「おもろい洒落やでぇ」でしょうが、東京(江戸)では「野暮な人真似」で、到底洒落にはならないのです。
「面白い恋人」ではなく、呆れた「白けた"変"人」です。

東京かわら版

もう12月号です。

巻頭は「立川談春」さん。今や人気絶頂です。
表紙の談春さんもサンタクロース姿です。
最近は、寄席や落語会に行く頻度が少なくなっていて、かわら版のご厄介になる機会が少なくなっているのが、ちょっと寂しい・・。
ホリケンさんのネタもかなりなくなって来たというか、ますますマニアックになって来たというか、くだらない内容です。
ただ、相変わらず落語を聴き込んでいることは間違いなさそうで、ただただ尊敬してしまいます。

広瀬さんの談志ベスト

評論家の広瀬和生さんの談志ベストが語られています。
「立川雲黒斎家元勝手居士」。
生前から本人が決めていたという戒名は、いかにも立川談志(享年75)らしいものだった。「100年に1人の逸材」と呼ばれ、名人の名を恣(ほしいまま)にしたその名席ベスト5を、週刊ポストで『噺家のはなし』連載中の広瀬和生氏に挙げてもらった。
   【1】居残り佐平次Photo_3
   【2】粗忽長屋
   【3】三軒長屋
   【4】芝浜
   【5】紺屋高尾
【居残り佐平次】は、「人間の業」を肯定する演目として、「家元の落語の集大成といえるもの」と広瀬氏は絶賛する。
「家元が作品を演じるということではなく、立川談志という身体を借りて、高座の上で極めていい加減な野郎が暴れまくる痛快さ。これが談志落語の神髄の一つ」
【粗忽長屋】は、家元の「この男は本当に粗忽なのか?」という分析で始まる。
そのアプローチが、今までにない落語の地平を開いたと広瀬氏。
「慌て者とかそそっかしいというレベルではなく、主観が強いという言い方を家元はします。要は自分の頭のなかで、こうだと思ったら、他人がどういおうとそう思い込んでしまう人間の本質を浮き彫りにしている」
【三軒長屋】「例えば、登場する鳶の頭のおかみさんが自分のことを『俺』という。
一見、実に乱暴な表現ですが、一方でいい女なのです。乱暴で粗野だけど色気が感じられる。さらに鳶の若い衆らが演じるドタバタ劇が実に生き生きと江戸を感じさせる。
これは家元が江戸の風を身体で理解しているからこそ、演じられたのです」
【芝浜】「家元は『芝浜』を美談として演じていない。誰が演じても美談である演目を一旦疑ってかかって、壊して進化させていく。他の落語家との決定的な違いは、家元の魚屋夫婦は貧乏に耐えかねて本気で死のうとする。この辺りの真に迫った演じ方は本当に貧乏を体験した者にしか分からないものだと思います」
【紺屋高尾】「『伝統を現代に』という家元の考えが、同時代の女性が観客として『そうだよね、分かる、分かる』と共感できるものに昇華している。これは家元の大きな功績の一つでしょう」
※週刊ポスト2011年12月9日号
・・・・なるほど、私にはあまりよく分かりません。
「天才」だとか「風雲児」だとか、生前から高く評価されていましたが、何か独り善がりなところがありました。
これをファンは「孤高」と言うのかもしれません。
私のような凡人は、理屈はともかく、登場人物の気持ちに素直にやれば良いと思ったのですが。
「粗忽長屋」は、生で聴きましたが、声がかすれて聴きづらい部分以外は、別にどうということもない普通の噺でした・・・。

2011年11月29日 (火)

烏森神社

会社の仲間と一足早い忘年会?をオヤジの街新橋で。
烏森神社
帰りに立ち寄った「烏森神社」の不思議な雰囲気に、ちょっと頭を垂れて帰宅。

談志師匠のお別れの会

故「立川談志」師匠の「お別れの会」は、談志師匠の月命日である12月21日に、「ホテルニューオータニ」で開催されるそうです。

お江戸あおば亭・番外編

勿体ぶったようで申し訳ございませんでしたが、「番外編」の日程がやっと固まりつつあります。
    ≪お江戸あおば亭・番外編≫(仮称)
【日程】  平成24年2月18日(土)12時30分Photo
【場所】  浅草ことぶ季亭
【木戸】  入場無料
【番組】  真田小僧     南亭蕪生
       金明竹       談亭志ん志
              落とし噺       喰亭寝蔵
       落とし噺       金願亭乱志
              棒鱈        破れ家笑児
     ※お楽しみ      素敵なゲスト 
あくまでも、有志の自主公演という形で、性凝りもなく拙い芸を聴いていただこうということで・・・。
でも、東京で、落語会が開催できるなんて、本当に夢のようです。
5年前に亡くなった、落研創部のリーダーだった「初代麻雀亭駄楽」師匠も、きっと喜んでくださるでしょう。
自主公演ですから、会の別の名称を考えないといけませんが、OB会長の「杜の家頓平」師匠に「あおば亭」の使用をお願いしたところ、「総会でも番外編の話題が出ていたし、問題なし」とのご英断をいただきました。
「お江戸あおば亭・番外編」「番外お江戸あおば亭」あるいは「お江戸下町あおば亭」あたりで考えたいと思います。

「昭和の名人完結編」(21)

何度か寄席で聴いたことのある噺家さん二人です。Photo_2
◇ 町内の若い衆  四代目柳家小せん
◇ 道具屋       四代目春風亭柳好
◇ お見立て      四代目春風亭柳好
お二人とも、寄席で映える噺家さんで、陽気な小せん師匠とやや陰気(失礼)な柳好師匠でした。
初めて聴いた時は、「変な噺家さんだなぁぁ」と思いましたが、何度か聴くうちに、とても素敵な芸人さんだということが分かります。
良くも悪くも、神秘的(不思議な・得体の知れない)雰囲気がありました・・。

薮入り

大学最後の発表会の「薮入り」で大失態をしでかした時のプログラムの写真がありました。
ほろ苦い思い出です。
会場は勿論あの「日立ファミリーセンター」です。
   ≪卒業生追い出し発表会≫ 昭和54年3月
  ◇ 源平盛衰記    恋し家古狂
  ◇ そばの殿様    春高楼花宴
  ◇ 本膳         北々亭芋助
  ◇ 宗論         下町亭楽生
  ◇ 長命         金研亭志ん昼
  ◇ 居酒屋       破れ家笑児
  ◇ 一眼国       夢の家楽珍
 200706171349001_2    落語劇~宿屋の富
◇ 長屋の花見    多趣味亭こり生
◇ お見立て      多趣味亭狂楽
◇ 宮戸川       宝亭六方
◇ 薮入り       金願亭乱志
   
それにしても、随分出演者が多いですね。 
先日の「お江戸あおば亭」で演った「薮入り」で、何とかリベンジは出来た気はしますが・・・。

2011年11月28日 (月)

読売GINZA落語会

今夜は比較的若くて人気のある噺家が揃いました。

  ◆ 壺算                    柳亭左龍
  ◆ 替り目                 桃月庵白酒
  ◆ 池田の猪買い       桂文珍
  ◆ 源平盛衰記          桂平治
  ◆ 大工調べ             柳亭市馬
文珍さんと市馬さんが、談志師匠のことに触れていました。
池袋演芸場をこよなく愛した・・なんて。
そろそろ、平治さんの「源平・・・・」は飽きて来ました。
「大工調べ」という噺は、落語の名作のひとつなのでしょうが、私は何度聴いても好きになれません。
大家さんは決して悪くない。大岡越前守の誤審だと思います。
「一文惜しみ(五貫裁き)」「帯久」も、やや強引な部分はありますが、まだ情状があります。
だから、私がこの噺にチャレンジすることは決してないでしょう。

お江戸あおば亭・番外編

「お江戸あおば亭・番外編」についてちょっと。

南亭蕪生師匠のお声かけに、笑児さんと乱志が飛びつき、さらに乱志のフライング情報リークに、(予想通り)志ん志・寝蔵師匠もスタンバイしてくださっている状態です。
これまた賑やかな会になると思いますが、若干の色気のある趣向を入れて、来年の2月18日(土)の午後、いつもの「浅草ことぶ季亭」にて開催する方向で決まりそうです。
まだ細かいところは確定していません。
例えば、会の名前も決まった訳ではありません。
それでも既に、蕪生師匠は「真田小僧」、笑児さんは「棒鱈」、志ん志師匠は次回は「金明竹」、寝蔵師匠は「竹の水仙」あたりと仰っていますので・・・。
さて、私は高座で「唐茄子屋政談」と高らかにネタ出ししてしまいましたが・・・。

笑児さんと二人で、詳細を企画して行きたいと思います。
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鈴々舎馬桜独演会

鈴々舎馬桜師匠から独演会の案内メール。
Photo☆第14回年忘れ 鈴々舎馬桜独演会
 日
時:12月25日(日曜日)
     4時45分開演・16時45分終演
 場所:銀座山野楽器本店7Fイベントスペース
 木戸:2500円(自由席・定員制)
 予約:電話03-3562-5051
     メールbaorin@reireisha.com
 演題:富久・居残り佐平次
馬桜師匠は、今は鈴々舎馬風一門ですが、元はと言えば「立川談生」だったはずです。
談志師匠が落語協会を出た時に、師匠に同調せずに協会に残り、馬風門下に移籍したはずです。
色々なドラマ、人生模様があります。

震災で・・・

震災で、かけがえのない多くの物が失われてしまいました。
昔の写真を見ていたら、我々が落研の合宿で行った場所も、大きな被害だったようです。
それぞれ、当時の面影はなくなってしまったようです。
相馬青年の家の前で。
福島県相馬市の確か原釜という場所にありました。
春の合宿は、いつもここに行っていました。
卒業生追い出し発表会で披露する落語劇の稽古をしたり。
陸前高田の海岸で。
岩手県陸前高田市自慢の松原での夏合宿の一コマ。
後ろにある松の木々は・・・、今はもう・・・なさそうです。

この写真は、「相馬青年の家」で、同期5人で撮ったものです。
左から、乱志・六方・狂楽・こり生・花鳥です。
この大広間も、今はなくなってしまったという訳です。
東北大学落語研究部OB会「仙都に笑いを~創部50周年記念号」より拝借しました。

芝浜

日本経済新聞の「春秋」でも触れられていた、平成19年12月18日の談志師匠の「芝浜」。

「神が降りて来た」と評される、物凄い出来だったそうです。
文字通り、伝説と化した高座で、その噂はよく聴きます。
・・・それにしても、この「芝浜」という噺、ちょうど大晦日が舞台になっていることもあって、この季節になると、「芝浜を聴く会」なんていう落語会も多く開催されています。
何かこう・・・、「第九」みたいな感じです。
「そんなに素晴らしい噺なのか」と尋ねられたら、私は迷わずに「その通りです」と答えると思います。
異説(論)もあるようですが、三遊亭圓朝作の三題噺だそうです。
元は、圓朝物らしく?とても暗い内容の噺だったそうですが、「三代目桂三木助」師匠が、今のような形にしてから、落語の中の落語にまでなったものです。
談志師匠は、「居残り佐平次」や「粗忽長屋」や「黄金餅」など、こだわりをもった噺が多かったのですが、「芝浜」もそうだったようです。
そう言えば、先代三遊亭圓楽師匠も、国立演芸場での「芝浜」で高座への復活を期したものの、出来に満足できず、結局それが最後の高座になったはずです。
「芝浜」・・・、いつかチャレンジしてみたい噺、憧れる噺です。
「文七元結」と「芝浜」は、やはり落語を演る人にとっては「横綱」だと言えるでしょう。

2011年11月27日 (日)

情熱大陸

21日に亡くなった落語家・立川談志。天才肌の落語と歯に衣着せぬ毒舌で落語界の寵児として活躍した「名人」の姿を番組では1999年、2006年と2度にわたって密着、放送して来た。今回は、自らがその才能を認める「爆笑問題」と競演した2010年9月のスペシャル落語会の舞台裏を初公開する。
奔放な芸風で落語界の寵児とし活躍し続けた稀代の落語家が、「老いと病」に向き合いながら晩年をどう走り抜けたかを伝える。

・・・・という前宣伝でした。
何かこう・・・、針小棒大な偉人伝のようで、この手の番組は好きになれないので、視聴せずに休むことにしました。
そんなに美化しなくてもいいじゃないですか。
立川談志という大看板が大往生した。
それが真実なのですから。

まんが学校

私が「立川談志」師匠を初めて知ったのは、落語家としての談志師匠ではありません。
Photo昭和38年から41年にかけてなのだそうですが、毎週月曜日の夕方、NHK総合テレビで「ひょっこりひょうたん島」の後の6 時から、「まんが学校」という番組が放送されていました。
司会は まだ“アンパンマン”を生み出す前(であろう)「やなせたかし」さん。
アシスタント(司会)が、当時落語界で若手の成長株といわれていた「立川談志」師匠でした。
当時はマンガ(漫画)に対する世の中の認識も素朴な時代で、一般の小学生が出場する絵を使ったクイズ番組といった内容だった気がします。
小学校低学年だった私は、毎週楽しみにしていました。Photo_2
一番印象に残っているのは、「来年の干支は午」だということで、やなせさんが、「馬」の絵の描き方を教えてくれました。
「来年が午年」ということは、昭和40年の今頃放映されたのでしょう。
まだ描き方を覚えています。
ところで、昭和41年に やなせたかし・立川談志共著で「まんが学校」というタイトルの本が三一書房から出版されているそうです。
これは知りませんでした。

ラジオ寄席

日本シリーズか何かで、ちょっとお休みしていました。
   ◇ 弥次郎   三笑亭夢吉
   ◇ 豊竹屋   古今亭志ん輔
スタジオ公開録音というのは、やはり何となく違和感があります。
どういう訳でしょうか・・・?
志ん輔さん、お得意の「豊竹屋」でした。
こういう噺は、お喋りだけでは出来ないので、私のリストにはあげられない噺です。
番組では、談志師匠のことは特に触れられませんでした。

縁起かつぎ

アクセスカウンターに、末広がりの「8」が並びました。
縁起かつぎ
ただそれだけのことです。
          縁起かつぎ 
休みの日、何もすることなくボーっとしていて、こんなくだらないことをやっています。

笑点

人気番組「笑点」の初代の司会者は、立川談志師匠でした。
そんなこともあって、どんな内容の放送になるのか、ちょっと気になりました。
ところが、本日の放送は「桂歌丸高座(噺家)生活60周年記念」の記念番組で、お祝いの口上が放映され、お祝いの雰囲気でした。
大喜利の後、談志師匠の写真と追悼文が出ただけでした。

「お江戸あおば亭」再現

朝から、寝蔵師匠に編集していただいた「お江戸あおば亭」のDVDを視聴しました。
「お江戸あおば亭」DVD
冒頭の頓平師匠のご挨拶から、トリの志ん志師匠まで、じっくり聴かせていただきました。

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それにしても、みんなお世辞抜きに上手いですね。
良い意味で、刺激し合い切磋琢磨しているという気がします。勿論、もともと相応の実力、中には実績の持ち主です。
201111121535172さらに、それぞれ現役時代の伝説を持っている人たちです。
上手く出来て当たり前かもしれません。
それから、やはり観客がいい。
OBが半分、一般のお客さまも、そこそこのご通家が多いので、我々出演者も乗せられてしまいます。
     「お江戸あおば亭」DVD
多士済々、個性のある高座で、聴き応えがありました。
約3時間弱・・・、休日の楽しいひとときです。

落語はやおき亭

やはり、談志師匠の話題ではなく、たい平さんの故郷である「秩父の夜祭り」の話題から入りました。
落語は、柳家喜多八さんです。
  ◇ 長短     柳家喜多八
最近人気がありますね。
学習院の落研出身で、「柳の宮喜多八殿下」を自称しています。
低くて良い声です。
いつもやる気のなさそうな、ふてくされたような雰囲気で出て来るのがトレードマークですが、噺に乗って来るといいリズムになるんです。
突然大きな声を出したりして・・・。
都内の移動は自転車を使っているそうですから、実は虚弱体質ではなくとても元気なんですね。
宝塚フリークとしても有名で、不思議な噺家さんです。

「仙都に笑いを」から

ここに1冊の小冊子があります。
「仙都に笑いを・東北大学落語研究部草創記」と言います。
200906061303000これは、我が落研の創部当時の先輩方が、平成17年に刊行された、落研誕生から初期の頃のことを著した力作です。
そこには、日本の高度成長とともに生きて来られた時代の、若さあふれる活動や出来事が活き活きと記されています。
現役時代に、伝説・口伝として聞いていたことを改めて知ったり、当時の先輩方の落語に対する情熱なども垣間見ることができるのです。
仙台市の図書館にも所蔵されているはずです。
この中に、先日「愛詩亭朝大」師匠の、談志師匠の思い出話に符合する部分がありました。
その前後の記事の一部を拝借してピックアップさせていただきます。
昭和36年7月に「第二回落語鑑賞会」を開催した。
今となってみると、その顔ぶれの凄いこと。
二度目の来仙となる、三遊亭全生(現圓楽)、古今亭朝太(故志ん朝)に、柳家小ゑん(現立川談志)、林家照蔵(故春風亭柳朝)、柳家小団治(故柳亭燕路)が加わり、後年に落語界を背負って立つ若手五人が揃った。
(中略)五人とも落語愛好家の間では実力の知られた若手注目株ではあったとはいえ、まだ二つ目。
仙台の皆さんにはそれほど名が知られていなかったこともあり、チケットを売りさばくのにいささか苦労した。
(中略)演目は以下のとおりである。(順不同)
  ◇ 紺屋高尾   三遊亭全生
  ◇ ずっこけ    柳家小ゑん
  ◇ 夏の医者   柳家小団治
  ◇ 風呂敷     古今亭朝太
  ◇ 麻のれん   林家照蔵

・・ということで、それでも会場の「日立ファミリーセンター」を満員にして、大盛況だったそうです。
下の写真は、その時の楽屋の模様だそうです。
       
一番早く亡くなった小団治(燕路)さんを真ん中に、後の「四天王」並んでいるという、物凄い写真です。
愛詩亭朝大師匠が、人形町末廣の楽屋に柳家小ゑんさんを訪ねるのは、この翌年のことだそうです。
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2011/11/post-411c.html
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2011/11/post-ec95.html
創部直後の落研と、当時落語界注目の若手成長株だった「四天王」、中でも「柳家小ゑん」の談志師匠が甦ります。
談志師匠が亡くなって・・・、この写真にいる新進気鋭の噺家さんたちは、全員鬼籍に入ってしまいました。

落語DEデート

立川志の輔さんの番組だから、急遽談志師匠の追悼番組になるのかと思いましたが、勿論録音してある訳ですから、何事もなかったように、いつもと同じパターンで始まりました。
布団の中で聴いていましたので、ゲストの紹介をしているあたりで意識がなくなり、気がつくとゲストが近況を話すエンディング・・・。
一番肝心な、誰の何と言う落語が流されたのか、その部分だけがすっぽりと抜けてしまいました。
よって、本日の聴取の感想はありません・・。トホホ・・・。
・・・文化放送は、談志師匠とはあまり関わりがないのかなぁ・・・。
この後の林家たい平さんの「落語はやおき亭」でも、通常どおりの内容で放送されるんでしょうね。
だって、お弟子さんの志の輔さんの番組ですら、全く触れられていないんですから・・・。
テレビではよくテロップで、「○○さんはご逝去されました。ご冥福をお祈りいたします。」なんていうのが流れますが、ラジオではビジュアルは無理ですから、せめて一言お悔みコメントを言ってくれれば、聴いている落語ファンも、ねぇ・・。

日立ファミリーセンター

仙台の青葉通りの「日立ファミリーセンター」という家電のショールームの奥に、かつてとても落語の発表会に適したサイズのホールがありました。
落研の草創期の「落語鑑賞会」も、ここで開200706171344000_2催していた時期があるようで、現に「四天王」も、ここで演ってくださったということです。
そして、我々の発表会は、必ずこの会場を使わせていただきました。
私の一般の高座デビューもここでした。
客席は120席ぐらいの椅子席で、ちょっと傾斜していて、落語にはベストサイズで、奇術部やギター部、邦楽部なども使っていました。
今は・・、もうかなり前にビルが建て替えられしまいました。
本当に懐かしい会場です。
  
写真は、発表会後「日立ファミリーセンター」前でのもので、画像は不鮮明ですが、中央でふんぞり返っているのが私です。
このショールームの前で、青葉通りを仙台駅前から一番丁に向かう人たちを呼び込んだものです。

新作落語傑作読本

「新作落語傑作読本(1)」という新作落語の本。Photo_2
読んで楽しい、現代の新作落語集、ついに発刊。
現代の落語家が創った噺の世界へようこそ! 
もちろんSWAのメンバー全員の作品も掲載。
いま、選んだ11席。
  (掲載順)
 春風亭昇太    『オヤジの王国』
 三遊亭白鳥    『河童の手』
 立川談笑      『薄型テレビ算』
  林家彦いち          『みんな知ってる』
  三遊亭丈二         『公家でおじゃる』
  春風亭百栄         『マザコン調べ』
  三遊亭圓丈         『肥辰一代記』
  立川志らく           『妾馬 ダイ・ハード』
  桂あやめ            『義理ギリコミュニケーション』
  柳家喬太郎         『白日の約束』
   【特別寄稿】
  桂米朝               『一文笛』
・・・これも買わないでしょう。
米朝師匠の「一文笛」には、ちょいとそそられますが。

2011年11月26日 (土)

「I」ファーム

前の会社の先輩の「Ⅰ」さんから「野菜を取りに来い」と連絡。
ずっと以前から言われているのですが、落語の用事が重なって、しばらくご無沙汰していました。
「I」ファーム
Ⅰさんは、10年ぐらい前から、利根川の河川敷の2重の堤防に挟まれた広大な土地を借りて、「日曜農家?」「ホリデーファーマー」を趣味にしています。
「I」ファーム
四季の様々な野菜を作って、家計に貢献?しているようです。
この寒くなりつつある時期でも20種類近い野菜が植えられ、栽培されています。
今や、時々私が誘う落語と、このファームが数少ない楽しみだということです。(あ、お酒もありますが。)
「I」ファーム
          「I」ファーム
    「I」ファーム
お言葉に甘えて、今日も愛車を駆って手ぶらで行って、ダイコン・ネギ・ホウレンソウ・チンゲンサイ・ミズナ・コマツナ・サンチェなどをいただいて来ました。
我が家の家計も随分(数日分ぐらいは)助かります。
もう少し待つと、キャベツが食べごろになりそうで、またいただきに行こうと、密かに狙うことにしました。
  
今日は朝は寒かったのですが、お邪魔した10時頃は、風もなく、12月近い時期とも思えない、穏やかな天気でした。
ホウレンソウをひっこ抜いた後に、大きなミミズが這っていました。
ミミズがいる土というのは、とても肥えた、野菜の生育に適した土だと言われます。
モミ殻や肥料を撒いたりして、色々工夫しながら、植物を育てる喜びを味わっているということで、同じ”生もの”を扱っていても、落語とはえらい違いです。
平和でのどかな休日です。
広々したところで、気持ちもすっきり大きくなります。
「Ⅰ」さん、ごちそうさまです。

「柳家小ゑん」さん

このセピア色の写真の若い噺家さんは、当時は「柳家小ゑん」と名乗っていました。
     柳家小えん
昭和36年、東北大学落語研究会主催の「第2回落語観賞会」で、恐らく「ずっこけ」を演っているところだと思われます。
そうです
この若い(可愛い?)噺家さんこそ、誰あろう後の「五代目立川談志」その人なのであります。
特徴のある手首の雰囲気とか指の開き具合いなどは、後に真打になり大看板になっても変わっていない感じがします。
栴檀は双葉より芳し・・・。
真打に昇進する2年ぐらい前の、談志師匠25歳の頃だと思います。
創部間もない東北大の落研を応援してくださったそうです。
東北大学落語研究部ОB会刊「仙都に笑いを」より拝借しました。

「金願亭乱志独演会」第二集

「寝蔵エンタープライズINC」の「金願亭乱志独演会」シリーズの第2弾。
寝蔵師匠が、先日の「お江戸あおば亭」のDVDと一緒に送ってくださいました。
  「金願亭乱志独演会」第二集
OB落語会での私の高座の映像を、寝蔵師匠が編集してくださっているものです。
今までのシリーズをご紹介します。

「金願亭乱志独演会」~第一集~
◆ 浜野矩随    平成21年11月 50周年記念OB落語会 
◆ 花筏       平成22年 5月 第1回 お江戸OB落語会
◆ 笠と赤い風車  平成22年  9月   第22回 OB落語会
「金願亭乱志独演会」~第二集~
◆ 佃祭       平成23年 5月 第2回 お江戸OB落語会
◆ 薮入り      平成23年11月 第3回 お江戸あおば亭
  
本当に貴重な財産です。
ずっと続けて、シリーズを増やして行きたいと思います。

学士会落語会「まくら」

学士会落語会の会報「まくら」が配信されました。
隔月の例会が「朝日名人会」と完全に重なるために、今年はご無沙汰をしていますので、この「まくら」で、例会の様子などを拝見させていただいています。
11月の例会は、定期総会のタイミングでもあり、役員の改選が行われたようです。
代表役員の山本進先生が相談役になり、代わって、東大落語会OBの「三山亭多楽」師匠がご昇任されました。
また、我が落研の先輩である、「愉し家弁痴」「南亭蕪生」の両師匠も、委員に名を連ねています。
ますます活発な活動になるよう、微力ながらご協力出来ればと思っています。

「お江戸あおば亭」DVD

先輩の「喰亭寝蔵」師匠が、先日の「お江戸あおば亭」の映像をDVDにコピーして編集し、送ってくださいました。
  「お江戸あおば亭」DVD
とにかく凝りに凝った編集で、私の拙芸も"らしく"見えますから、本当に有り難く思います。
早速、一通り視聴してみましたが、本当に素晴らしい落語会だと自画自賛してしまいます。
こういうものは、一人でいくらもがいても実現出来るものではなく、また出演者だけでもなく、落語大好き人間たちの合作だと思います。
「お江戸あおば亭」DVD
また、新たな闘志が湧いて来ます。
寝蔵師匠、本当にありがとうございます。

「さん喬独演会」の案内

「さん喬独演会」の案内メールが届きました。
 日時 : 平成24年1月21日(土) 開演 6:00
 会場 : 深川江戸資料館 小劇場
 木戸 :  前売り(予約)2200円、当日2500円
 予約 : 12月1日(木)10時より
   予約は12月1日(木)午前10時より電話のみ
   発売日に完売しなかった場合は、2日からメールも可
   (予約枚数は2枚まで)
   席は全席自由席
   入場整理券を4時から配布
自由席のため、入場整理券を入手するために早めに並ばないと良い席が確保できませんから、かなりの体力が必要です。
最近、なかなか行けなくなりました。

落語ファン倶楽部 Vol.14

「落語ファン倶楽部」の14巻目。14
【総力特集 ◎ SWA】まるごとぜ~んぶSWA! 
春風亭昇太、三遊亭白鳥、柳家喬太郎、林家彦いちの四人が切磋琢磨して落語を創作する新作落語ユニット・SWA(創作話芸アソシエーション)。
2004年の活動開始以来、新作落語の道を切り開いて来た彼らが、2011年をもって活動を休止する。
8年間、ありがとう! の思いを込めた、まるごと一冊SWA特集。
「SWA」が活動を中止するそうで、その特集。
あぁ、そうですか。
このシリーズで、初めて購買意欲が湧かない企画です。

山野楽器「特設コーナー」

           山野楽器「特設コーナー」
「特設コーナー」と言っても、弔事ですから、銀座の山野楽器に、さりげない感じで設けられていました。
早速、会社帰りに行ってみました。
「ずっこけ」のDVD映像がモニターから流されていました。
談志師匠40〜50歳代の頃でしょうか、若々しい映像でした。
実に楽しそうな高座姿でした。

2011年11月25日 (金)

落語協会のホームページ

落語協会のホームページにも、談志師匠へのお悔やみコメントがアップされていました。
訃報 立川談志師匠
 立川談志師匠が11月21日、喉頭がんのため逝去なさいました。
 享年75
 謹んでご冥福をお祈りいたします。
今は袂を分かってしまいましたが、談志師匠はかつては協会の主要メンバーの一人だった訳で・・・。
現柳家小三治会長の兄弟子でもあり、何と言っても落語協会を脱退した時の会長こそ、師匠の五代目柳家小さん師匠でしたから。
小さん師匠にとっては、一番可愛い、一番困った、一番心配したお弟子さんだったのかもしれません。

日本経済新聞

談志師匠の偉大?な一面を、今日の日本経済新聞の朝刊の記事で知らされました。
今日の日経朝刊の第1面と最終面で、取り上げられています。
       
第1面は「春秋」欄に。
最終面は、評論家の矢野誠一さんの追悼文です。
いずれにしても、一本の筋は通っていて、それを認め賞賛する人が多いということだと思います。
様々なプレッシャーに負けずに生きて来た証ではあると思います。
そういう意味で、芸人(噺家)さんらしい芸人(噺家)さんでした。

CD売上急増

立川談志師匠の訃報から一夜明けた昨日、談志師匠のCDなどへの注文が殺到したそうです。
例えば、日本コロムビアでは、談志師匠のCD32枚の注文は、1日だけで1万件に上ったとのこと。
中でも、今年6月に発売されたベスト盤「落語決定盤 立川談志ベスト」の人気が高く、約1000枚を占めたということです、
談志師匠のCD総売り上げは約20万枚だそうですから、物凄い反響です。

立川流

立川談志師匠は、昭和58年に落語協会を脱退して「立川流」を立上げ、その家元として君臨?しました。
Photo_3家元亡き後、どうなって行くのでしょうか・・?
野次馬のような言い方は良くありませんが、とても気にはなります。
また、志の輔さんが、談志師匠の一番弟子のように思っている人も多い気がします。
これは誤りで、志の輔さんは、落語協会を離れて最初の弟子、つまり寄席育ちではない弟子の総領ということになります。
寄席に出た経験の有無というのも、あるいは今後の動きのポイントになるのかもしれません。
読売新聞の記事の一部にこんなものがありました。
談志門下の落語家たちは23日夜、都内で会合を開き、談志さんが「家元」として率いた立川流の今後について話し合った。
一門生え抜きの一番弟子、土橋亭里(り)う馬さんは、「家元制度も含め、今後のことは未定」としながらも、「立川流としてまとまっていく」と、落語協会や落語芸術協会との合併の可能性を否定。独自の真打ち昇進基準などは、今後も継続することを申し合わせた。
会合に途中から合流した立川志の輔さんは、「家元制度は師匠が落語界で初めて作った制度。創始者が天国に行ったわけですから、今後のことは落語界の新しい1ページになる。『さー、お前ら、どうする?』と師匠に言われているようだ」と話した。

スポニチでも、ほぼ同内容で、志の輔さんのコメントが載っていました。
今後の立川流については「今はビジョンはありませんが、師匠が残していったものを思い起こして、一門で考えていきたい」と遺志は引き継いでいく決意。
「天国から“オメエがしっかりしろ”と言われてる気が……師匠、お疲れさまでした」と目に涙をためた。
会見後は、談志さんが行きつけだった銀座のバーで一門と追悼会。深夜すぎまで思い出を語り合った。

銀座「山野楽器」

新宿の紀伊國屋書店の2階にあった、CDショップが移転してしまい、今落語関連のCD・DVDを最も豊富に取り揃えているのは、銀座の「山野楽器」だと思います。
会社帰りに時々立ち寄っています。
この1階落語売り場に、立川談志師匠の死去を受けて「追悼コーナー」が設けられたそうです。


特設コーナーでは「立川談志 古典落語特選」などの映像が流され、ファンをうならせた「芝浜」のCD、DVDなどが並べられているということです。
これも、談志師匠の偉大さのひとつですか。
ちょっと覗いてみようかと。
ところで、談志師匠の戒名は、生前からご本人が決めていた「立川雲黒斎家元勝手居士(たてかわうんこくさいいえもとかってこじ)」だそうです。

談志師匠の高座

Photo「立川談志独演会」というのは、熱狂的な「談志教」信者の方々が多いために、いつでも即時完売・プラチナチケットでした。
信者ではない私でも、そこは気になる噺家さんの一人ではありますから、何度かチケットゲットにトライしたものです。
手元の記録を見ると、この3年余りの期間で2度だけ、独演会に行くことが出来ました。
まずは、2008(平成20)年4月8日、中野ZEROホール。
演目は「黄金の大黒」と「黄金餅」でした。
この時は、柳亭市馬さんがゲストで、「市馬に黄金餅を教えてやる約束がある」とか言うことでしたが、出来は良くありませんでした。
とにかく、声がかすれて聴き辛かったことが記憶に残っています。
次が、2009(平成21)年4月18日、よみうりホール。
よみうりホールの2階席が5000円という、しかも最後列から2列目の席でした。
開口一番もなく、緞帳が上がると師匠の出囃子が・・・。
随分出囃子が長く流れ、観客を十分焦らして、ぶつぶつ言いながらやっと登場しました。
演目は「二人旅」と「粗忽長屋」でした。
前回より声もかなり良くなり、だいぶ聴きやすい状態でした。
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2009/04/post-2925.html
談志師匠の高座(公演)というのは、他の噺家さんでは絶対にない、何とも言えない緊張感で、客席がピリピリしていました。
芸(落語)を究めるというは、客を楽しませる(喜ばせる)ということとは違うのかと、少々疑問に思ったものでした。
とにかく、マクラでは”言い訳”ばかり言っていた気がします。
それが、談志師匠の「業」だったのでしょうか・・・・?

各氏のコメント

毎日新聞で読む、各氏の談志師匠評・・・。
★半世紀近い交流があるイラストレーター、山藤章二さん
彼のはなしでは時折、演者自身が顔を出し、解説を繰り広げた。
本来はタブーなのだが、常に「現代の落語」を意識していた結果。
いつも不機嫌な顔をしていたのは、「現代とは居心地が悪く、けしからんものだ」という我々の世代共通の認識があったからだろう。
★落語芸術協会会長、桂歌丸さん1
大恩人です。
私をひっぱってくださり世に出してくれた方です。
落語に関しては厳しい人で、一つのお手本です。
私が教わりたかったのですが、談志師匠の方から私に稽古(けいこ)を頼んでこられたこともありました。
それを談志流にして、面白いはなしに仕上げてました。
また落語界から一つの星が消えてしまいました。
★演芸評論家・川戸貞吉さん
伝統芸として確立していた落語をテーマごとひっくり返し、現代に合うように作り替えた。
それを支えたのは、徹底した行動力。
古い落語の音源研究のみならず、他の一流の芸能、スポーツにも足を運んでいた。
すべて芸の肥やしにしてやろうという意識があった人。
ひとつの時代が終わった。
★共に五代目柳家小さんに入門した兄弟弟子、柳家小三治さん
ずっと気になる存在でした。
わがままと勝手を両手で振り回し続けたようにもみえますが、その陰では寂しさも抱えていたと思う。
意地を貫き通したことは「おお、やるじゃねえか」と言ってやりたいが、やっぱりちょっと寂しいです。
★落語作家・小佐田定雄さん
落語に対しても、我々に対しても親切で、周りにすごく気を使う方。
今年、東京の落語会にうかがったら、ピンマイクで落語ができることを楽しんではりました。
声が出なくなって、お元気なだけでありがたいと思っていましたが、ご本人はどうだったか。
苦しさから抜けはったのかとも思いますが、でも生きててほしかったです。

"談志"と"乱志"

3私は「乱志」です。
二代目ですが、初代は「談志」という名前を意識していたことは間違いないと思います。
「だんし」と「らんし」です。
ただ、それ以外の共通点はありませんが、何故か寂しい、何故か悲しい・・・。

2011年11月24日 (木)

若き日の談志師匠

落研の先輩の愛詩亭朝大師匠が、落研OBのMLで、「立川談志」師匠との想い出を綴ってくださいました。Photo_2
1962(昭和37)年頃、当時の落研は創部後4年経ったばかりで、朝大師匠は、「初代麻雀亭駄楽」師匠を継いで、2代目の部長だったそうです。
落研主催で始めた「落語鑑賞会」へ出演してもらう候補者を挙げ、どう交渉をしたらよいかを落研メンバーで相談した結果、朝大師匠が上京して噺家さんに直接交渉をすることになったそうです。
部長の朝大師匠は、落研代表として一人で夜行列車に乗って上京、「柳家小ゑん」という若手が「人形町末広」に出演していることを確認し、夜席の早めに行って、小ゑんさんの来るのを待っていました。
小ゑんさんと楽屋で面談し、こちらの事情を説明しお願いすると、即座に「行きましょう」との一声で決まり、条件もこちらの言い値で来てくれることになったそうです。
そして、その時の「落語鑑賞会」は、初代駄楽師匠のルートと合わせて、柳家小ゑん(立川談志)、三遊亭全生(圓楽)、林家照蔵(春風亭柳朝)、三遊亭吉生(圓窓)、柳家小たけ(小三治)という、5名の二つ目さんに来仙してもらったということです。
今思えば、夢のようなメンバーです。Photo_3
朝大師匠は、小ゑんさんとどんなことを話したかはすっかり忘れられたようですが、元気な声で「行きましょう」と言ってくれたのは、昨日のことのようによく覚えているそうです。
聞けば、あの頃小ゑんさんは、仙台の一番丁のキャバレーに来てアルバイトをしていたんだそうで、きっと仙台が好きだったのでしょう。
キャバレーに来たついでに、落研部員を呼んで、お寿司屋さんの2階で、テーブルの上に座つて噺をしてくれたこともあったそうです。
うわぁぁぁ・・・、物凄く贅沢な話です。
古き良き、50年近く前の、夢のような話です。
私たちにとっては、羨ましい時代だと思います。
そして、我が先輩方は、「仙都に笑いを」という崇高な目標のもと、手探りながら、一生懸命に噺家さんとの接点作りに努力してくださったんだなと、改めて感謝の気持ちでいっぱいになりました。

談志が死んだ

「談志が死んだ(だんしがしんだ)」という回文の見出しは(生前から)予想していました。
ご本人も「俺が死んだら新聞の見出しは"談志が死んだ"だ」と仰っていたようです。
でも、スポーツ紙4紙の1面で報道されるほどのビッグニュースだとは思っていませんでした。
やはり、天才、風雲児だったのでしょう。
ちょうど日本シリーズも終わり、相撲も盛り上がらずの時期だったこともあるのでしょうが。
「パンダが死んだ!圓生も」」という、とてもタイミングの悪い昭和の名人もいましたから。

現代落語論

Photo_4「現代落語論」という本があります。
一部から「落語のバイブル」だとも言われる名著です。
1965(昭和40)年に出版されたこの本は、その2年前に真打に昇進した、「五代目立川談志」のペンによるものです。
この時、立川談志師匠は、弱冠29歳です。
以下のような書評を見つけました。
一部分を引用させていただきます。
(前略)落語論としては、研究家、愛好家といった人々が数多くの著作をものにしているが、単なる落語好きの薀蓄話的なものが多く、いずれもなんだか今一つものたりないところがあって、この分野での落語家自身による本格的なものが読んでみたいという思いは強かった。
(中略)この談志による現代落語論は昭和40年に書かれたものであるが、この落語論を超えた落語家自身による落語論はまだ出ていないといってよいほどの出来だと思う。
談志の落語については、自らが天才落語家と自称するほどに若い時から上手かったことは確かだが、しかしその才気走った感じがなんとなく臭う演じ方は、それほど好きではなかったのは事実。
しかしその談志も70歳を越え、今も頑固に若い時からのわが道を行く式の演じ方を続けていることで、それはそれで親しみがもてる噺になってきたような気がして、あらためて本書を手にとってみたという訳だが、今になって、何故談志があのような演じ方を貫いてきたのか、妙に合点がいったし、改めて談志の落語を聞きに行こうかという気になった。
なにしろこの人のあらゆる芸能に関する碩学は、若い時から驚異的なものがあり、落語という芸能がいったいどういうものなのかという本質的なところを、実に的確に捉えていることに舌をまく。
今や、人々の記憶にすら残っていない昭和の名人たちの名前やその名演ぶりが出てきてなつかしく、タイムカプセルを開いて昭和演芸史を見るような面白さもある。この現代落語論は、これからも名著として残っていくことは間違いない。
・・・という訳で、やはり名著なんですね。
もう一度読んでみようか・・・。

2011年11月23日 (水)

落研と談志師匠とのご縁

先輩から聞くところによれば、立川談志師匠(当時は柳家小ゑんさん)と草創期の落研とは、接点があったようです。
東北大学の北門食堂で落語を演ってくれたとか、はじめ田舎の大学の落研だと馬鹿にしていたが、初代麻雀亭駄楽師匠の「道具屋」を聴いて驚いていたとか・・・・。
落研のごく初期の頃、「四天王」が揃って仙台に来てくださっているんです。
若くて、パワフルだった四天王、就中、小ゑんさんは、元気いっばいだったそうです。

NHKニュース9

「NHKニュース9」でもトップの扱いでした。
様々な方のコメントを紹介していました。
2 5代目柳家小さんのもとで、談志さんの弟弟子だった、落語協会会長の柳家小三治さんは、
「以前から本人はがんを患っていると周りに言ってきたので、とうとうこのときが来たかという思いです。彼はあまりにも個性が強く、落語協会を飛び出して、わがまま勝手、好き放題にやってきて、自分のやり方以外は認めないようなところがあった。しかし、はなし家としては、私がこれまで出会った中でも群を抜いており、天才だったと思う。もし、今ことばをかけるとするならば、『よく生きたいように生きたね』と言いたい」と話しました。
長く親交があった橘家圓蔵さんは、
「とにかくびっくりして、今も信じられない。半月くらい前に会って、『よっ』と、いつもどおりあいさつを交わしたのが最後だった。いちばん世話になった人で、とにかく悲しくて涙が止まらない」と話しています。
民放の演芸番組で共演した桂歌丸さんは、
「落語に関しては厳しい人でお手本でした。私が教わりたかったのですが、談志師匠から私に稽古を頼んで来られたこともあり、それを談志流にして、面白いはなしに仕上げていました。機嫌によっては難しいところもあったようですが、自分なりに進んできた方なので、満足だったのではないでしょうか。大変寂しく残念で、また落語界から一つの星が消えてしまいました」と話しています。
常設の寄席、新宿末廣亭の前の社長、北村幾夫さんは、
「とても驚きましたが、長く体を悪くしていたので、ひょっとしてそろそろかなという覚悟もしていました。談志さんは最近まで、用事がないのに『楽屋に忘れ物をした』と言っては突然現れ、世間話をしに来てくれていました。思ったことをそのまま話し、人を怒らせてしまうこともたびたびありましたが、あれほど寄席が好きな人はいなかったと思います。喪失感でいっぱいです」と話していました。
談志さんの弟子の立川談笑さんは、
「訃報を聞いて、今は頭が空っぽです。笑いに関しては本当に天才で、弟子で最後に集まったときも、病気が辛そうで話はできませんでしたが、筆談で笑いをとろうとしたほどでした。厳しいように見えますが、弟子思いで温かみのある人でした」と話していました。
今夜から暫くの間、談志師匠の死を悼む番組が続くことでしょう。
やはり偉大な噺家さんなんですね。

立川談志師匠のこと

「えっ?この人落語家だったの?」・・・・。
参議院議員選挙に立候補した時に初めて知りました。1
それまでは、NHKの小学生向け番組「マンガ学校」の司会者。
大学に入って、落研に入部して、落語の勉強?を始めた時に、手にしたのは「現代落語論」でしたが、ほとんど意味が分からず・・・。
勿論、読む側に問題ありです。
談志教とも言われる、熱狂的なファンを持つ噺家さんでした。3
・・私は・・・、特別に追いかける噺家さんではありませんでした。
何故なら、生き様が相容れないから。
噺もそれほど上手いとは思わないし。(尤も、それほど聴いてはいません。)
何故、周囲は腫れ物に触るようにして、しかも評価しているのだろう・・・。
ただ、そうは言っても、存在感のある噺家さんで、その影響力は大きかった訳で、「業の肯定」という理屈は認めざるを得ないし、やはり心から冥福をお祈りしたいと思います。

立川談志師匠の訃報

ニュース速報は誤報ではありませんでした。
産経新聞の記事です。
Photo_2 落語家の立川談志(たてかわ・だんし、本名・松岡克由=まつおか・かつよし)さんが死去したことが23日、分かった。75歳だった。
東京都出身。昭和27年、五代目柳家小さんに入門。
早くから才気を表し、先輩からは“天狗(てんぐ)″と非難されたものの、38年に真打ちとなり、五代目立川談志となる。
以後、日本テレビ系番組「笑点」の大喜利の仕切り役なども務め、毀誉褒貶はあったが、江戸っ子風の威勢のよさと、歯にきぬ着せぬ毒舌でトップクラスの人気落語家になった。
社会的発言を好み、46年には参議院選挙に出馬して当選。
三木武夫内閣で沖縄開発政務次官に就任したが、問題発言によりわずか36日で辞任した。
1期6年の議員活動の後に本業に戻ったが、58年には師の小さんと対立して落語協会を脱会、立川流を創設して家元となるなど、落語界の異端児の健在ぶりを示した。
平成9年に食道がんを告白。
近年は持病の糖尿病などの悪化で療養を続けていた。
著書に「現代落語論」「立川談志独り会」など。

最近は高座から遠ざかっていたのですが、大変驚きました。
これで、「四天王」は全員鬼籍に入ってしまいました・・・。

ニュース速報

テレビを見ていたら、午後4時5分頃のニュース速報。
「立川談志さん死去」・・・・。

浅草演芸ホール前・・・

浅草寺から西参道を抜けて六区へ。
      
実は、この下席は、圓窓師匠がご出演しているんです。
知ってはいたのですが、今日はウォーキングを優先させていただきました。
例の、呼び込みのお兄さんも、元気に呼び込みをしています。
そして、鮮やかな寄席幟。
中央の幟には、「三遊亭圓窓」と染め抜かれています。
      
寄席の前に和服の女性の姿もあって、下町風情は最高潮です。
そう言えば、馬道からちょっと入った横丁で、色っぽい後ろ姿を見つけました。
         
こういう景色が似合う街だと思います。
…以上、楽しい下町散歩でした。

金龍山浅草寺

浅草寺の裏側から境内に入りました。

相変わらず賑やかです。
     
雷門からスタートしましたから、ぐるっと前の大川を一回りしたことになります。
天気も良く、とても清々しい散歩が出来ました。

本堂や五重塔の借景にある東京スカイツリーは、下町の景色に完全に定着した気がします。
久しぶりのウォーキングは、落語の舞台が満載でしたから、これから演る噺にも、とても参考になることと思います。
八っつぁん、熊さん、与太郎、文七、長兵衛・・・・。
お初、徳兵衛、亀、お香・・・・。
皆、大川を挟んで、身の丈の幸せな人生を送っていたことでしょう。

山谷掘りから待乳山聖天へ

今戸橋から山谷掘り公園が始まります。

堀が埋められて公演になっています。
ここから道(堀)伝いに行けば、あの吉原に行くことが出来る。
多くの人々の涙も、堀とともに埋められているのでしょうか・・・。
そこからすぐのところにあるのが「待乳山聖天」です。

「まつちやま・しょうでん」と読みます。
浅草の観音様のすぐ北側にある本龍院というお寺です。
聖天(大聖歓喜天)を祀り、夫婦和合と金運に御利益があります。
江戸時代に隅田川を一望する景勝地として賑わいました。
創建は飛鳥時代という浅草の隠れた名勝地です。
境内のイチョウの黄色が鮮やかでした。
     
さあ、これから馬道を横切ると、浅草の観音様です。

平成中村座

山谷掘りの水門だったあたり、スポーツセンターの隣に「平成中村座」の小屋がありました。

中村勘三郎さんが打っている芝居の小屋です。
「あぁぁ、中村座はここでやっているのかぁ」と、思いがけないものを見つけました。

小屋からも東京スカイツリーが見えます。
さあ、前の道路を横断すれば、山谷掘りから吉原に抜ける道になります。
お初も旦那と一緒に、徳兵衛が操る屋根付き船で、ここから山谷掘りに入り、吉原へと漕ぎ進んだはずです。

桜橋を渡って

初めて「桜橋」を渡りました。歩行者専用の「X字」型の橋です。 
       
平山郁夫のモニュメントがデンと置かれています。

白髭橋方向を見ると、屋形船が下って行くところでした。
そうだ、対岸のあのあたりを、「救いの腕」のお香が堤防を歩いて行って座った土手にしよう。
そして、あそこから川に落ちて溺れたということに・・・。
子どもの足では、吾妻橋からだとかなりの距離になるし、このあたりで土手の桜もなくなっていただろうから・・・。
        
写真でも分かりますが、桜橋から見る東京スカイツリーは、ちょっとよじれているように見えます。
三角形から上に行くに従って丸くなる形ですから、そんな風に見えるのでしょう。
そうそう、「文七元結」の頃は、桜橋も言問橋もありませんでしたから、この山谷掘あたりからでも、長兵衛さんは吾妻橋まで下らなくては行けなかったという訳です。

長命寺

「長命寺」なんて良い名前です。

天台宗寺院の長命寺は、宝樹山遍照院と号します。
長命寺の創建年代は不詳ですが、宝寿山常泉寺と号していたといいます。
寛永年間に三代将軍家光が鷹狩りを行った際、急に病を催し、ここで休息をとり、境内の井戸水で薬を服用したところ、たちまち快癒したので、長命水の名を捧げられると共に、長命寺と呼ばれるようになったといいます。

     
近くには、「言問団子」と「長命寺桜もち」の店があります。
      

向島・・見番通り

向島といえば、料亭や芸者さんの街。 
      
少なくなったとはいえ、見番通りやこの近辺には、いかにもと思う料亭が並んでいます。
この料亭の隣は、「墨堤見番組合」でした。
ちょっと昔に、ちょっとお金持ちになった気持ちです。

三囲神社

さらに北へ進むと、まもなく「三囲(みめぐり)神社」です。

菊田一夫作の落語「水神」では、烏が化けたおこうさんが、ここの境内でモノ売りをしていたはずです。
 
お狐さまの向こう側にスカイツリーが見えます。

よく通っている水戸街道をちょっと入った所に、こんな場所があるんですね。
三囲神社は、現在地より北方に田中稲荷として創建されたと伝えられ、文和年間(1353-1355)近江三井寺の僧源慶が東国遍歴の際に社を改築したといいます。
改築しようとした際、土中より白狐にまたがる老翁の像を得、白狐が現れて神像を三回回ったことから三囲神社と改称したといいます。
三井家(三越などの創業家)が江戸に進出して以来、三井家の守護神として崇敬を集め、三井家先祖をまつる顕名霊社や三井邸から移設した三角石鳥居が境内に安置してあります。

すみだ郷土文化資料館

洋食屋さんを出て、隅田川を左手方向に北へ向かいます。
言問橋の脇にある牛島神社を横目に、水戸街道と並行している「見番通り」を真っ直ぐ北へ・・。
     
読んだとおりの施設で、100円払って見学することにしました。
花見で賑わう墨堤の花見風景がジオラマになっていました。
そうそう、お香は、亭主の善吉の腕を引っ張って、こんな賑わいの中を、さらに北へ向かって歩いたんです。
いつもと違うことをやろう、何か新しいことを見つけたくて。
そして、15年前に自分が川に落ちて溺れた場所を探しに・・・。

本所吾妻橋の洋食屋さん

「そうだ!あそこに行こう!」と、東京スカイツリーを見て、業平橋駅近くで思い当たりました。

そのまま浅草通りを歩いて三つ目通りとの交差点。
地下鉄の「本所吾妻橋」の上になります。
某噺家の師匠のご実家の洋食屋さんです。
以前から、いつか行こうと思っていたところ、ベストタイミングでした。
   
中に入ると、いかにも街の洋食屋さんという感じで、厨房にいるのは、師匠の・・どうかは知りませんが・・。
あまり混雑していないので助かりました。
勿論「昔ながらのオムライス」を注文しました。
ケチャップの味が利いたチキンライスにが卵焼きに包まれていて、デミグラスソースが・・。
そこそこボリュームもありました。
今度は、ハンバーグかグラタンかスパゲティを注文することにしよう。
実は、以前よく来ていた居酒屋さんが隣の店だったのです。
当時は、全く知らずに隣の店によく来ていたのです。
今は、その店はなく、中華料理店になっていました。

東京スカイツリーの下で

実のところ、既に「東京スカイツリー」は、この界隈の景色に組み込まれた感があり、さほどの新鮮さは感じなくなりました。
        
東京タワーのように、四方に踏ん張っている訳ではありませんから、あまり威圧感や迫力は感じません。 
 
ビール会社の本社ビルに映る東京スカイツリーも、なかなかの味わいがするものです。
         
東武線「業平橋」の駅近くの「東武橋」から見上げると、その高さが分かります。
昨日から、来年のオープンに向けて、展望台の予約券の受付が始まったようで、かなりのプラチナチケットになりそうです。
・・・そろそろ空腹になって来ました。
さて、どこで・・。

吾妻橋の袂・・・

文七も、大工の長兵衛も、小間物屋の次郎兵衛さんも・・・。
多くの人々の人生の舞台や交差点になっている吾妻橋の袂。
     
橋の半ばから大川(隅田川)越しに、浅草寺から待乳山聖天や吉原方向に振り返ると、屋形船が通り過ぎて行きます。
長兵衛が、吉原に残した娘のお久に向かって「お久ぁ~」という声が聞こえる雰囲気はありませんが、何か思いが残る気がします。

対岸から、渡って来た赤い橋桁や欄干をから浅草方面を望みます。
今は河岸がきれいに整備されていますが、「救いの腕」のお香が歩いたの頃は土手で、お香は、ここから大川の左岸を上流(北)に向かったはずです。

私も北へ向かって行こうと思いますが、ちょっと東京スカイツリーを見てからにしようと、吾妻橋から業平橋方向へ足を進めます。

浅草へ・・・

天気も良く暖かいので、最近サボっていたウォーキングでもしようという訳で、気がつくと浅草に来ていました。

雷門の前は大変な賑わいです。
今まで演った落語の舞台と東京スカイツリーをめぐってみようということで、まずは吾妻橋へ向かいます。
      
神谷バーの前で、(栃木方面から)ご夫婦で浅草見物に来たと思われる老人から、「あのぉ~、上野駅にはぁ~」と尋ねられました。
「すぐ近くに地下鉄の入口がありますから、銀座線に乗ったら一本ですよ。」と教えてあげました。

勤労感謝の日

勤労感謝の日
勤労感謝の日なのに、年末調整の事務などで、部下の女性二人が休日出勤して頑張ってくれているので、「原宿焼きショコラ」と、上野駅の「KINOKUNIYA」で上野限定という「パンダあんパン」を差し入れに・・。
1000人近くの処理ですから、本当に大変だと思います。
だからと言って、オジサンはお手伝いすら出来ず、恐縮するばかり。
「パンダあんパン」も、いざ買おうと顔?を見ると、器量に随分差があって、器量良し?を探すのが大変でした。

ういろう売り

「ういろう」って言っても、名古屋名物の「青柳ういろう」ではありません。漢字では「外郎」と書きます。
ういろう(外郎)は、神奈川県小田原市の外郎家で作られている大衆薬の一種。
ういろうは、仁丹と良く似た形状・原料であり、現在では口中清涼・消臭等に使用するといわれる。
外郎薬(ういろうぐすり)、透頂香(とうちんこう)とも言う。
中国において王の被る冠にまとわりつく汗臭さを打ち消すためにこの薬が用いられたとされる。
千早亭ワッフルさん
師匠が「ういろう売り」という噺を創作し、扇子っ子連の「千早亭ワッフル」さんが演っています。

そもそも「外郎売り」というのは、有名な歌舞伎の一つです。
歌舞伎十八番の一つ。
いわゆる「曾我物」のひとつ「若緑勢曾我(わかみどり いきおい そが)」の一幕を一部独立させたものである。
享保3年 (1718) 正月、江戸の
森田座で初演。
「外郎売実ハ曾我五郎」は
二代目市川團十郎が勤めた。
今日では「外郎売」と言えばその劇中に出てくる外郎売の長科白を指すことが多い。
そうです。
ワッフルさん、この長科白、早口言葉を覚えて・・・凄い。
若い人ならともかく(失礼)、これだけの長いのを・・。
歌舞伎がお好きだからなればこそなのでしょう。
先日、圓窓師匠が小田原のお寺で開催した「菜の花寄席」に出演して、熱演は大喝采だったそうです。
今日は「勤労感謝の日」ですから、この熱演に心から賛辞を送りたいと思います。
その口上(長科白)というのが以下です。
拙者親方と申すは、御立会の内に御存知の御方も御座りましょうが、御江戸を発って二十里上方、相州小田原一色町を御過ぎなされて、青物町を上りへ御出でなさるれば、欄干橋虎屋藤右衛門、只今では剃髪致して圓斎と名乗りまする。
元朝より大晦日まで御手に入れまする此の薬は、昔、珍の国の唐人外郎と云う人、我が朝へ来たり。
帝へ参内の折から此の薬を深く込め置き、用うる時は一粒ずつ冠の隙間より取り出だす。
依ってその名を帝より「透頂香」と賜る。
即ち文字には頂き・透く・香と書いて透頂香と申す。
只今では此の薬、殊の外、世上に広まり、方々に偽看板を出だし、イヤ小田原の、灰俵の、さん俵の、炭俵のと色々に申せども、平仮名を以って「ういろう」と記せしは親方圓斎ばかり。
もしや御立会の内に、熱海か塔ノ沢へ湯治に御出でなさるるか、又は伊勢御参宮の折からは、必ず門違いなされまするな。
御上りなれば右の方、御下りなれば左側、八方が八つ棟、面が三つ棟、玉堂造、破風には菊に桐の薹の御紋を御赦免あって、系図正しき薬で御座る。
イヤ最前より家名の自慢ばかり申しても、御存知無い方には正真の胡椒の丸呑み、白河夜船、されば一粒食べ掛けて、その気味合いを御目に掛けましょう。
先ず此の薬を斯様に一粒舌の上に乗せまして、腹内へ納めますると、イヤどうも言えぬわ、胃・心・肺・肝が健やかに成りて、薫風喉より来たり、口中微涼を生ずるが如し。Ensoila
魚・鳥・茸・麺類の食い合わせ、その他万病即効在る事神の如し。
さて此の薬、第一の奇妙には、舌の廻る事が銭ごまが裸足で逃げる。
ヒョッと舌が廻り出すと矢も盾も堪らぬじゃ。
そりゃそりゃそらそりゃ、廻って来たわ、廻って来るわ。
アワヤ喉、サタラナ舌にカ牙サ歯音、ハマの二つは唇の軽重。
開合爽やかに、アカサタナハマヤラワ、オコソトノホモヨロヲ。
一つへぎへぎに、へぎ干し・はじかみ、盆豆・盆米・盆牛蒡、摘蓼・摘豆・摘山椒、書写山の社僧正。
小米の生噛み、小米の生噛み、こん小米のこ生噛み。
繻子・緋繻子、繻子・繻珍。Photo
親も嘉兵衛、子も嘉兵衛、親嘉兵衛・子嘉兵衛、子嘉兵衛・親嘉兵衛。
古栗の木の古切り口。
雨合羽か番合羽か。
貴様の脚絆も革脚絆、我等が脚絆も革脚絆。
尻革袴のしっ綻びを、三針針長にちょと縫うて、縫うてちょとぶん出せ。
河原撫子・野石竹、野良如来、野良如来、三野良如来に六野良如来。
一寸先の御小仏に御蹴躓きゃるな、細溝にどじょにょろり。
京の生鱈、奈良生真名鰹、ちょと四五貫目。
御茶立ちょ、茶立ちょ、ちゃっと立ちょ。茶立ちょ、青竹茶筅で御茶ちゃっと立ちゃ。
来るわ来るわ何が来る、高野の山の御柿小僧、狸百匹、箸百膳、天目百杯、棒八百本。 武具、馬具、武具馬具、三武具馬具、合わせて武具馬具、六武具馬具。
菊、栗、菊栗、三菊栗、合わせて菊栗、六菊栗。111002
麦、塵、麦塵、三麦塵、合わせて麦塵、六麦塵。
あの長押の長薙刀は誰が長薙刀ぞ。
向こうの胡麻殻は荏の胡麻殻か真胡麻殻か、あれこそ本の真胡麻殻。
がらぴぃがらぴぃ風車。起きゃがれ子法師、起きゃがれ小法師、昨夜も溢してまた溢した。
たぁぷぽぽ、たぁぷぽぽ、ちりからちりから、つったっぽ、たっぽたっぽ一丁蛸。
落ちたら煮て食お、煮ても焼いても食われぬ物は、五徳・鉄灸、金熊童子に、石熊・石持・虎熊・虎鱚。
中でも東寺の羅生門には、茨木童子が腕栗五合掴んでおむしゃる、彼の頼光の膝元去らず。
鮒・金柑・椎茸・定めて後段な、蕎麦切り・素麺、饂飩か愚鈍な小新発知。
小棚の小下の小桶に小味噌が小有るぞ、小杓子小持って小掬って小寄こせ。
おっと合点だ、心得田圃の川崎・神奈川・程ヶ谷・戸塚は走って行けば、灸を擦り剥く三里ばかりか、
藤沢・平塚・大磯がしや、小磯の宿を七つ起きして、早天早々、相州小田原、透頂香。
隠れ御座らぬ貴賎群衆の、花の御江戸の花ういろう。
アレあの花を見て、御心を御和らぎやと言う、
産子・這子に至るまで、此の外郎の御評判、御存じ無いとは申されまいまいつぶり、角出せ棒出せぼうぼう眉に、臼杵擂鉢ばちばちぐわらぐわらぐわらと、
羽目を外して今日御出での何茂様に、上げねばならぬ、売らねばならぬと、息せい引っ張り、
東方世界の薬の元締、薬師如来も照覧あれと、ホホ敬って外郎はいらっしゃりませぬか。

・・・あぁぁ、疲れたぁ。
ワッフルさん、本当にお疲れさまでした。
ワッフルさんもまた「落語中毒」になりましたね。

同期の二人

相前後して、落研時代の同期二人から連絡がありました。
まずは、「多趣味亭こり生」さん。
茨城県北部の高校の物理の先生です。
彼は長く書道をやっていて、大きな展示会に何度も入選しています。
その展覧会の都度連絡があって、作品を鑑賞に行っているのですが、よく分かりませんが今回はかなり大きな賞を受賞したそうです。
要するに、私なりに解釈すると、J2からJ1へ、幕下から十両へ、前座から二つ目に昇格したという感じなのでしょうか。
震災復興で苦労している中、こり生さんも頑張っています。
是非今回も行って、彼の力作を観て来たいと思います。
次は、「風流亭花鳥」さん。
大学卒業後、郷里の山口にいます。
先日、花鳥さんからご母堂の喪中の葉書が届きました。
花鳥さんの結婚披露宴に、同期4人ではるばる山口まで行った時にご挨拶しました。
花鳥さんが落語へのめり込むきっかけとなった「桂米朝独演会(1973年山口市民会館)」への切符を手配してくれたのは、お母さんだったそうです。
いつもユーモアを忘れない気丈な方で、高校時代に花鳥さんが一人で落語の蕎麦を食べる練習をしていたところ、その音を聞いて、「また、つまみ食いをして!」と怒られたのが、お母さんとの大切な思い出になっているとか。
         
写真は、春の合宿の時の同期5人で、右端が花鳥さん、その隣がこり生さんで、私は左端です。
大学を卒業して約30年・・・。
悲喜こもごもではありますが、青春を共に過ごした仲間からの便りは、とても大きな力になります。
            
先日帰省した時に、我が母は、いい年をして落語に狂っている愚息に「まぁ、(落語に現を抜かすのも)今のうちだけだから・・」と、意味深に言っていました。
確かに、こうやって落語に惚けられるのも、とりあえず両親が元気でいてくれればこそですから・・・。
といいつつ、弟(私には叔父)に「(愚息の)落語を応援してやってくれ」と言う母です。

冥土の雪

鈴々舎馬桜師匠の「冥土の雪」という珍しい噺。
Photoこれは、馬桜師匠が、あの三遊亭圓朝門下の名人「四代目橘家圓喬」の速記本から起こして演じているものだそうです。
互いに一目ぼれした男女が恋煩いで死んでしまって冥土に行って夫婦になり、色々と出来事があった挙句に生き返るという噺。
馬桜師匠は、三途の川を渡るところで船頭さんが歌を歌って鳴り物を入れるなど、とても凝った噺にしています。
閻魔大王の前にやってくる死者のひとりに中村芝翫が入っているというのが芝居好きの馬桜師匠らしい。
来月の「極楽座」では、六代目市川歌右衛門と芝翫の「二人道成寺」が上演されるとか、初代から11代目までの市川團十郎が総出演で「忠臣蔵」の通しが上演されるとか、落語では三遊亭圓朝が「怪談牡丹燈籠」の通しをやるとか、余一会では「志ん生・志ん朝・馬生親子会」が開かれるとか・・・。
その名前を並べて聴くだけで客席を唸らせます。
聴いていてなかなか楽しかったです。
ところで、2ヶ月前ぐらいの朝日新聞に、新宿末廣亭10月下席での馬桜師匠のトリの記事がありました。
落語の鈴々舎馬桜が10月、東京・新宿の末広亭で下席夜の部のトリをつとめる。
演目を毎日変え、鳴り物いりの10席に挑戦する。
馬桜は10年連続で末広亭10月下席の夜のトリをとってきた。
落語協会と落語芸術協会が交代で出演する同館では、夜のトリは落語協会では年に18人しかとれない。
「それを私は、気がつけば今年で10年も続けてた。
まだトリをとっていない中堅の人気者がたくさんいると聞いたので、今年で卒業させてもらうつもりです」という。
最後にするなら何か面白い趣向をと、笛や三味線の入る演目ばかりを選んだ。「貧乏神」「冥土の雪」「猫の忠信」「宿屋の仇討(あだう)ち」「木乃伊(みいら)取り」「あたま山」「掛取万歳」「二階ぞめき」「雪の子別れ」「たちきり」の10席だ。
前座が短くして演じることの多い噺(はなし)もあるが、馬桜はいずれもフルに30分で演じるつもりだ。
「猫の忠信」は笛の名手春風亭一朝に笛を頼んだ。
「貧乏神」は三代目柳家小さんの速記本から起こした。
最近はめったに演じられることがない「冥土の雪」も、四代目橘家円喬の速記本から起こして演じる。
この10年間、トリをつとめる時は一日も休んでいないのが自慢だ。
馬桜は「落語界の衣笠と呼んで下さい」と笑う。
ホール落語が全盛の昨今に、落語家の原点である寄席を大事にしてきたという自負もあるようだ。
馬桜師匠の落語に対する姿勢には、シンパシーを覚えます。
最近はちょっと遠ざかっていましたが、「圓朝座」だとか、マニアックな落語会もいいですよ。
タイプは違いますが、学究的なところは、圓窓師匠とも共通点がある気がします。

落語会の予約

落語会の予約は、もうほとんど来年のものばかりです。
「特選落語会」の予約をしました。
◎「第33回特選落語会
 ~柳亭市馬・桃月庵白酒 二人会 2012初笑い」
    出演 : 柳亭市馬・桃月庵白酒 他
    日時 : 2012年1月22日(日) 18時50分開演
    会場 : 深川江戸資料館2F小劇場(清澄白河)
    料金 : 全席指定3000円
◎「第34回特選落語会
 ~真打決定!春風亭一之輔・古今亭菊六 たっぷり二人会」
    出演 : 春風亭一之輔・古今亭菊六 他
    日時 : 2012年3月2日(金) 18時50分開演
    会場 : 日本橋社会教育会館8Fホール(人形町)
    料金 : 全席指定2500円

小雪

今日は二十四節気の「小雪」。
わずかながら雪が降り始める頃。
本格的な冬の到来がすぐそこに感じられる時季です。
寒い地方では雪が山の頂を覆い始めます。

今年は比較的暖かい日が続いていますが・・、雪が舞い、木枯らしが吹きすさぶ冬も間近です。

2011年11月22日 (火)

落研御三家

何度かご紹介しましたが、「東北大学落語研究部OB会」が誇る「御三家」を、改めて紹介させていただくことにします。
そもそも、創部50周年を迎えて、年次を超えた交流が盛んになり、「武闘派」といわれる落語を演じるOBたちの中から、自然発生的に称されるようになったものです。
それでは、年次順にご紹介しましょう。
Photo_3【桂友楽】師匠~「仙人」
桂文楽の名前弟子という本格派。
仙台にあって、広範な落語活動は有名。
必ず仙台に来た噺家さんの楽屋を訪ねて行くそうで、噺家さんとの交流も多い。
最近は、仙台にゆかりのある題材の落語を創作したり、落語教室など、そのエネルギーは衰えを知らない。
Photo_5【談亭志ん志】師匠~「達人」
聞けば、学生時代は7年以上現役として落研に在籍していたとか。
それほど、落語と落研を愛したという点からも、御三家の資格は十分。
一見ちょっと怖そうな雰囲気だが、実はとても心の優しい、ロマンスグレーが見事な志ん志(紳士)。
創部100周年に向けた「志ん志50席」を目指して、落語に精進中。
ただいま4席まで来たところ。・・・まだまだ・・・。
1_2【喰亭寝蔵】師匠~「名人」
滑稽噺も人情噺も操る我が落研のエース。
新潟県在住だが、50周年後の東京と仙台のOB会には皆勤している。
「浅草ことぶき亭」の落語会では、自ら太鼓のバチを持ち、一番太鼓と締め太鼓を披露する。
また、「寝蔵エンタープライズinc」と称して、落語会の映像の編集を行い、無料で配布してくれている。
・・・と、ここまでが御三家です。
この御三家が定着した後、その存在を脅かす存在が出て、「四天王」と呼ぶ人が出て来ています。
【南亭蕪生】師匠~「ご隠居・相談役」
Photo_5やっと抜いた伝家の宝刀。
この間までOB会の会長として大活躍。
幼少の頃から親しんだという寄席演芸に対する造詣は深く、落語だけではなく、三味線や端唄などにもチャレンジしているという噂も。
明るいキャラクターとよく通る声から、まだOB会では2回の高座ながら、中年の女性ファンが急増中とのこと。
どうです。この層の厚さ。Dsc03561
このほかにも、「破れ家笑児」・「東風亭梅香」・「杜の家くるみ」・「賀千家ぴん吉」・「井の線亭ぽんぽこ」と、多士済々です。
そう言うお前はどうなんだって・・・?
・・末席を汚させていただいておりまぁ~す。

あまらく?

11月18日付の毎日新聞で見つけた記事です。
大学生と社会人のアマチュア落語家が一緒に開く落語会「あまらく!」が19日午後2時から、岐阜市日ノ出町2のシネックスホールで開かれる。入場無料。
出演者の1人で、今年2月の第8回全日本学生落語選手権で最優秀賞の策伝大賞に輝いた三流亭今壱こと高木陽輔さん(岐阜大4年)は「気軽に足を運んでください」と呼び掛けている。
落語研究会に所属する大学生と、社会人アマチュア落語家が交流することで刺激し合い、芸を磨こうと6月に初めて「あまらく!」を開いた。落語を聴く層の裾野を広げていきたいという願いもあるという。
2回目の今回出演するのは、岐阜市と山県市の社会人2人と岐阜大、名城大、南山大の学生4人。
太鼓や三味線も自分たちで演奏する。
…私は、プロでもアマでも、「●●選手権」とか「○○コンクール」と称する、落語に順番をつけるイベントは嫌いです。
学生時代に「全日本学生落語名人位決定戦」に出場したくせに、偉そうなことは言えませんが、どうも好きになれません。
ですから、「策伝大賞」などに、後輩がチャレンジしているのを見ても、自らは全くその気になれません。
自分の芸が比較されるのが嫌なのでしょう。
落語はそうやって聴くものではないと思います。
単なるイベントとしてやるのを否定しませんが、私はそんなものには出たくない。
この記事のイベントが、順位を競うコンクールではないのなら、是非とも今後も続けてもらいたいものです。

要亭の長矢さん

羽織っ子連・要亭の稽古の様子が、師匠のブログにありました。
  させ稽古、長矢(ながや)[崇徳院]。
   先代圓楽(5)口演のものを覚えたようだ。
   ナンセンスの筋立てをどう客席の聞き手に納得させるか、の
   演出が必要の作品。
羽織っ子連の「要亭長矢」さんだとピンと来ないのですが、実は誰あろう我が落研の大先輩「愛詩亭朝大」師匠の、世を忍ぶ別の名なのです。
私(金願亭乱志)が、落語っ子連で「三流亭流三」、扇子っ子連で「千早亭永久」を名乗っているのと同様なのです。
別に世を忍んでいる訳ではありませんが、着々と「崇徳院」を練り上げていらっしゃる様子です。
・・そういえば、「次は崇徳院をやりたい」と仰っていましたから、稽古が進んでいるということですね。
恐らく、このブログもご覧いただけるでしょうから、来年5月の「お江戸あおば亭」には、是非ご出演くださるよう、改めてお願いしたいと思います。

広瀬さんの圓太郎評

広瀬和生さんの一連の落語家評は「橘家圓太郎」さんです。
落語界きっての「武闘派」といえば林家彦いちだが、落語界随一のアスリートといえば宮古島トライアスロンの常連、橘家圓太郎だろう。
春風亭小朝の一番弟子だ。
福岡県福岡市出身、1962年生まれ。
1982年に小朝に入門して前座名「あさり」。
1987年に二ツ目に昇進した際には改名せず、1997年に真打昇進して八代目橘家圓太郎を襲名。早くから評論家筋にその才能を高く評価され、数多くの賞を受賞している。
トライアスロンは水泳・自転車・長距離走を一人で連続して行なう「最も過酷な耐久レース」だが、圓太郎は国内有数の大会である宮古島レースに2004年から2010年まで連続出場し、そのうち三回は見事に完走した。
(10年のレース中、自転車で転倒・骨折したため11年は出場を断念)
褐色の引き締まった肉体といい頑固オヤジ風の容貌といい、師匠の小朝とはまるで正反対の圓太郎だが、「落語の上手さ」という点では、きっちり師匠の跡を継いでいる。何より口跡がいい。
キレのいい江戸っ子口調は、若き日の小朝によく似ている。
といっても、師匠のコピーをしているわけではない。
小朝のソフトな声質とは異なる、みのもんた風の「通りの良さ」を持つ男らしい声質が、往年の小朝を思わせるシャープな口調と合体して、江戸下町の庶民の日常をリアルに表現するのが圓太郎の落語だ。
その男らしく線の太い声を、ときに意図的に上ずらせ、ひっくり返したりしながら、登場人物の感情の高ぶりや情けなさ、威勢のいい態度の中に潜む狼狽といったものを表現する圓太郎の演技には、商業演劇的なアプローチに近い小朝とは一味違う「落語的リアリティ」がある。
                    
※週刊ポスト2011年11月25日号
実力は折り紙つきで、私も好きな噺家さんです。
・・やや自虐的というか楽屋落ち的というか、斜に構えた表現のマクラで笑わせますが、ケチな噺家さんではないのですから、ちまちましたことは言わずに、正面から本格的な落語を演って欲しいです。

2011年11月21日 (月)

朝呂久さんと一左さん

今日の「紀伊國屋寄席」では、「春風亭一朝」門下の「朝呂久」さんと「一左」さんの兄弟弟子を続けて聴きました。
朝呂久さん
二人とも、入門直後の頃から度々聴いて来ているので、非常に親しみを感じています。
元々太っていて、趣味がダイエットで特技がリバウンドだと言う朝呂久さん。
前座時代はスリムでしたが、二つ目になって太った一左さん。
今日の出来は、二人とも「・・・・?」でしたが、これから先、どんな噺家さんになって行くのか、それとも行かないのか、今からとても楽しみです。
何と言っても、来春兄弟子の「一之輔」さんが、真打昇進しますから、刺激になっていることでしょう。
これからの「一朝一門」にも注目ですね。

紀伊國屋寄席

久しぶりの紀伊國屋寄席のような気がします。
紀伊國屋寄席
 ◆ 浮世床      春風亭朝呂久
 ◆ 粗忽の釘     春風亭一左
 ◆ 転宅       桃月庵白酒
 ◆ 冥土の雪     鈴々舎馬桜
 ◆ 看板のピン   柳家三三
 ◆ 火事息子    五街道雲助
今日は、人気の白酒・三三のご両人、マニアックな馬桜師匠、本格派の雲助師匠と、賑やかなメンバーでした。
紀伊國屋寄席
若手には、ちょっと辛口なコメント。
まずは白酒さん。
今日のくすぐりは噺を壊していた気がします。
それから、癖でもあり、個性でもあるのでしょうが、「ございます」が物凄く多くて気になって仕方がありません。
「です」「ます」でも失礼にならないし、その方が自然な言い回しでも、「・・でございます」・・。
圓窓師匠の稽古では、「・・・ございます」を厳しく戒められます。
次は三三さん。
何とも落ち着きのない喋りだったこと。
元々語りは流暢な噺家さんで、それが人気でもありますが、座り方もわさわさしている感じでした。
もっとじっくり、丁寧に聴かせて欲しかったので、とても残念でした。
            紀伊國屋寄席
馬桜師匠は、珍しい噺だけに、よく噛みましたね。
師匠の噺の特徴は、振りや仕草より遅れて言葉が出る点ですが、今夜もそうでした。
これは素人が真似したらいけませんね。
トリの雲助師匠は安心して聴きました。
ただ、オチの「火元にお礼に行かせます」では、前半の「火元に」は母親の台詞調で言い、後半の「お礼に行かせます」は地(素)に戻していましたが、これも圓窓師匠からは、「オチは最後までしっかり登場人物の気持ち(台詞)で言うこと!」とご指導を受けています。
オチと言えば、開口一番の朝呂久さんが、「寄ってらっしゃいよ」というオチの後で、「浮世床というお笑いでございます」と言いましたが、これは圓窓師匠には非常に厳しく指摘されます。
全てオチを大切にしている師匠なればこそだと思い、私も常に気をつけていますが、やはりオチが一番分かりやすく、美しく聞こえると思います。

朝の月

寒さがしみる季節になりました。
朝の月
朝の空に光る鋭い月の光も、一層の寒さを感じさせます。
青い空に細い月・・・。

「昭和の名人完結編」(20)

どうも上方落語は聴かないんです。Photo
今回の配本は、「六代目笑福亭松鶴」師匠です。
 ◇ 高津の富     笑福亭松鶴
 ◇ 貧乏花見     笑福亭松鶴
松鶴師匠はそれほど聴いてはいませんが、戦後衰退していた上方落語を復活させた「上方落語四天王」のリーダー格として、リアルタイムで見ていた師匠ではありました。
今の上方落語の隆盛を見た時、米朝・春團治・文枝の各師匠と、年齢的にちょっと兄貴分の松鶴師匠の存在と功績は極めて大きいと思います。
ただ、同じ落語なのにと言われるかもしれませんが、私はどうも上方落語は苦手なんです。(ごめんなさい)

着物のこと

「上手いねぇ。二つ目でもやっていけるよ。」と、かなり大きなリップサービスの後・・、「でも、噺の途中で腕を組む仕草が多過ぎるよ。談志さんがよくやってるが。」Image001
・・・4年前、初めて圓窓師匠の前で落語を演らせていただいた時の師匠のコメントの第一声です。
ご指摘のとおり、腕組みをした仕草が多かったのには理由があります。
勿論、談志師匠の真似をした訳ではありません。
実はこの時、襦袢の袖が長過ぎて、着物の袖からはみ出してしまい、それを隠すために腕組みをしたのでした。Image00111
「子ほめ」で腕組みをしてもおかしくないシーンというのは、あまり(ほとんど)ありませんから、誰から見ても変だったはずです。
恥ずかしながら、あの時はもともと持っていた着物に、既製品の長襦袢を買って、確かめもせずにそのまま着たために、サイズがちぐはぐになっていたのです。
それから、どうも袖口が気になるようになりました。Dsc03564
さりとて、自分で針と糸を手にすることも出来ず・・・。
先日の「お江戸あおば亭」でも、分かっていたのに、新しく買った長襦袢を確認もせずに着たために、あの時と同じ状態になってしまったのです。
途中でこれに気がついてからは、後は噺どころではなくなってしまいました。
撮ってもらった写真を見て・・・、やはり。

2011年11月20日 (日)

扇遊師匠の「ねずみ」

先日の「東京落語会」での扇遊師匠の「ねずみ」で、ちょっと意地悪ですが気がついたことがありました。
甚五郎は「ねずみが動かなくなった」という手紙を受け取って、再び仙台にやって来ます。
その時、江戸で居候させてもらっている大工の「政五郎」を連れて来るのです。
この政五郎は二代目で、もともと「三井の大黒」で出会う政五郎は、この二代目の親父の政五郎です。
仙台に来たのは、この先代のところに居候を始めて10年以上経ってからのことで、長い間居候していたのは、この先代が若くして亡くなってしまい、甚五郎が息子(二代目)の後見をしていたのです。
扇遊師匠は、この説明を省いて「二代目政五郎を連れて仙台にやってまいります」と言いましたが、宿帳を書くときに「大工政五郎内」と言っているだけなのですから、それならば「政五郎を連れて」だけで良いはずです。Rimg0012
普通は、先代が亡くなった後二代目の後見をしていたという説明をするので、「二代目」が生きて来るのです。
また、オチの直前では、「お前の親父は大工では名人と言われた人だ。・・・」と言い、ここで初めて先代のことが出て来ますが、これでは先代と甚五郎との関係がよく分からない。
そもそも、二代目政五郎を仙台に連れて来る必然性もどうかと思う部分もありますが、連れて来るのなら、このあたりの説明は必要だと思いました。
瑣末なことですみません。

落語はやおき亭

今週も、文化放送落語番組の梯子。
   ◇ 親子酒      八代目三笑亭可楽
この手の番組には、金馬師匠や可楽師匠が多く搭乗します。
考えてみれば、ラジオ全盛期の噺家さんで、ラジオで名前を売った部分もある師匠たちですから、噺もラジオに合わせているからでしょう。
ラジオ局専属だった時期もあるので、音源も多いのでしょう。

「結界」を作る・・?

落語の中に、能狂言や歌舞伎、あるいは茶道などの影響を受けていると思われるものがあります。
Photo_11例えば、落語の仕草での上下(かみしも)の設定は、能や芝居の舞台を意識したものです。
この決まり事が分かると、落語の想像力の大きな助けになり、イメージしやすくなる訳です。
・・それから、高座に出て座布団に座り、扇子を前に置いてお辞儀をするのですが、これは「結界」を作っていると言われています。
能舞台で言えば、正面舞台と客席の間の「階」と同じ意味になるのでしょう。
Photo_5「結界」とは、聖なる領域と俗なる領域を分け、秩序を維持するために区域を限ること。
本来は仏教用語であるが、古神道や神道における神社なども、同
様の概念があることから、言葉として用いられている。
一定範囲の空間に設定されたタブー(禁足)を視覚化したものとも言え、それは聖なる領域(常世)と俗なる領域(現世)という二つの世「界」を「結」びつける役割をも持つ。
写真でもご覧いただけるように、私も「結界」を作ることは常に心がけています。1
神聖な客席に対して、俗な舞台(高座)を区別して、この扇子からこちら側で起こることは現実のことではない、あるいは舞台の不浄なもの(こと)は、この扇子から決して客席側には行かないということを示して、「暫くお付き合いを願っておきます」ということになるのです。
従って、羽織を着て正装で座布団に座り、「結界」を作る"儀式"を終えると、極端に言えば後は何をやっても良いということで、羽織も脱いで、(俗な)噺の本題に入って行くのです。
相撲の土俵入りにも通ずるかもしれませんね。

落語DEデート

今朝もしっかり目覚めることが出来ました。
   ◇ 搗屋幸兵衛      古今亭志ん生
ゲストの女性が「志ん生師匠がとても可愛かった」とコメントしていました。・・なるほど、そう感じるのも分かる気がします。
あの高い声で・独得のペースで・滑稽な噺をしている「とっても可愛いおじいちゃん」ということです。
これも芸ですよね。

高座へ・高座で

「金願亭乱志」のめくりが出て、出囃子「新曲浦島」が流れる。
圓窓師匠の出囃子をお借りして・・・、とても良い曲です。

下手(しもて)の暖簾を分けて、めくりの脇で軽く会釈をして高座へ。
さあ、上手く演ることができるだろうか・・・。
拍手が聞こえる。
「待ってました」という声もかかる・・。なぜかとても嬉しい。
高座へ3態
正面を向いて、座布団に座ろうとする。
客席全体が見える。
「空席以外は全て満席だ」と、緊張も新たになる。
座布団に座り、客席を見て、扇子を前に置いて「結界」を作る。
拍手が続いている。
高座へ3態
両手をしっかりとついて、深々とお辞儀をする。
拍手が最高潮になる。
ますます胸が高鳴る。
「ありがとうございます」と、心の中で呟く。
「上手く演らせてください」と、ひたすら祈る。
お辞儀の後で頭を上げて、語り始める。
「おあとをお楽しみに、暫くの間お付き合いを願っておきますが・・」
メガネを外しているからよく見えないが、上手(かみて)にあの人が、下手の最前列にあの人が座っている(ような気がする)。
高座へ3態
師匠に言われた、人情噺を語る"こつ"を念頭に語る。
「かくばかり 偽り多き 世の中に 子の可愛さは まことなりけり」

「めくり」の揃い踏み

今回の「お江戸あおば亭」に際して、「Hさん」が、懇親の力を込めて書いてくださっためくりを、改めて鑑賞したいと思います。
見ていても何かこう・・・落ち着くんです。
木と紙と墨の美しい調べ・・なんていうと、言い過ぎですか?
     
     
     
     
     
様々な人たちにご支援やご贔屓をいただきながら、今後も一生懸命「お江戸あおば亭」を続けて生きたいものです。

三山亭多楽師匠から

東大落語会の「三山亭多楽」師匠から、「薮入り」乱志オリジナルの感想をメールで頂戴しました。

今回の「薮入り」口演で従来の地口落ちと違ったものを工夫しておられると聞き、どんな落ちかと楽しみにしていました。
「そうじゃねぇんだ。授かったものはなぁ、拾ったものは大事にしておくもんだ」という落ちは、あらかじめ夫婦の会話の中でせがれの亀吉が実は拾い子という仕込みがあり、なるほどと納得、単なる地口落ちに比べストーリー性において数段勝るというのが小生の率直な感想です。感心いたしました。

思った以上のお褒めをいただき、これまた大変嬉しく思います。
身に余る光栄という訳です。ありがとうございます。
                   金願亭乱志
多楽師匠はさらに続けて・・・、新工夫にヒントを得て、「そうじゃねぇんだ。授かったものはなぁ、拾ったものは大事にしておくもんだ」のあとに、「でも、それでは、あたしの気持ちが・・・」という亀吉の言葉を挟んで、 「なぁ、亀よ、大事に育てりゃぁ、きっと大きくなって帰ってくるよ」と付けたら、小さな元手が利子を生むのと、奉公に出した子供の成長とをかけて、より一層「薮入り」の噺の筋との親和性が増すかも・・・。
・・・と、付け加えてくださいました。
熊さんも、女房のお光さんも、奉公先の旦那さんも、勿論亀ちゃん自身も、典型的な善良なる落語国の住人で、そんなそれぞれの気持ちをふんだんに盛り込むことが出来れば、ますます素晴らしい噺になると思います。
そして、この人情噺の名作を、単なる地口オチでない形にすることで、さらに"格調"高いものにすることが出来れば、これはまた素晴らしいことだと思うのです。
多楽師匠のコメントに心から感謝です。

2011年11月19日 (土)

朝日名人会

外はかなり激しい雨が降っています。

有楽町朝日ホールは、いつもの賑わいを見せています。
  ◆ 転失気      柳家おじさん
  ◆ 桃太郎      立川志の吉
  ◆ 初音の鼓     柳家喬太郎
  ◆ 代書屋      桂文珍
  ◆ 明烏        柳家喜多八
  ◆ 素人義太夫   柳家権太楼
満腹状態で瞼が重たくなっていたので、今回は全部の噺で半分以上居眠りをしていました。
勿体ない話だと思うか、贅沢な時間を過ごしていると言うのか。
喬太郎さんも、いつものウルトラマンのマクラぐらいで比較的大人しく、文珍師匠もなるほどという雰囲気でした。
権太楼師匠も熱演でした。
どうして「寝床」ではなく「素人義太夫」という演題名にしているのか、聴いていて分かりました。
要するに、「あそこが私の寝床でございます」というオチではないからです。
今日の噺は、オチらしいオチではありませんでした。
それにしても隣の席のご夫婦らしきお二人は、よく笑っていました。
会場で、来年の「年間通し券」の申し込みをしました。

吾妻橋の袂

今日は、かなり強い雨でしたが、
ちょっと野暮用があって、傘をさしながら浅草に行きました。
あの「吾妻橋」の西詰の近くに出ました。

ちょうどお昼時になりましたから、地下鉄からあまり濡れない店にということで、ちょっと贅沢に、久しぶりに「浅草むぎとろ」に入ってみました。
まだあまり混雑はしていなかったので、窓際の良い席に座ることが出来ました。
注文したのは、数限定の特別メニューの「金目鯛とむぎとろ」でした。

むぎとろはともかく、この伊豆下田産の金目鯛が最高でした。
雨が降っていなかったら、よく知った店ではありますが、通り過ぎて別の物を食べていたことでしょう。
骨以外は全て食べさせてもらいました。

イチョウ色づく

自宅の前の大きなイチョウも完全に色づきました。 

今日は朝からかなり強い雨が降っています。
そろそろ落葉も始まるのでしょう。
朝は冷たい雨ですが、午後には蒸して来るとい予報です。
かなりの大雨にもなりそうです。

入船亭扇遊師匠の「ねずみ」

落語の聴き方にも色々あります。
ねずみ
多くの場合は、ある演題を初めて聴いて笑う。
あるいは、演題のストーリーは知っているが、初めて生で聴く。
別の噺家さんでいちど聴いたことがある・・・。
・・・程度で、非常に新鮮な出会いを味わう方がほとんどでしょう。
私などは、さすがに初めて聴くというのはほとんどありません。
また、くすぐりにはほとんど笑うこともありません。
脇で見た人は、「こいつは変だ」と思われるでしょう。
そして、究極の落語鑑賞は、自分が演ったことのある噺を聴くということだと思います。
しかも、参考にした師匠が同じだと、ほとんど聴くというよりも"おさらい"・"確認"と言う感じがしてしまいます。
噺家さんの台詞を聞く前に、私の方が先に呟いているという。
「東京落語会」での、入船亭扇遊師匠の「ねずみ」がまさにそういう状態でした。
この会に来ていらっしゃる、落研の先輩の杜の家頓平師匠は、「どっちが上手いか楽しみだ」なんて言ってくださる・・。
私の「ねずみ」のペースも、扇遊師匠の師匠である「入船亭扇橋」師匠のものですから、扇遊師匠のアレンジは随所にはあるものの、骨格はほとんど同じなんです。
生での高座で、台詞を一緒に口ずさみながら聴くというのも、大変珍しいことだと思います。
こういうのは、噺の背景や内容を熟知していて、初めて聴く驚きはありませんが、逆にこういうパターンで聴くのも、誰でも出来るわけではありませんから、実は新鮮なのかもしれません。
落語を演っていればこその醍醐味、楽しみ方だと思いました。
どちらがどうだったか?
そんなことはどうでも良いというか、はじめから分かっているのですが、扇遊師匠の語りは大変スピーディですから、噺の趣・雰囲気は、扇橋師匠やそのコピーの私のとは、かなり違っていた気がします。
・・楽しかった。

ねずみの懸賞

「薮入り」という噺は別名「ねずみの懸賞」だったというのを思い出しました。
Photo_2ということは、私が演ったのは、「薮入り」ではないということですか・・・?
やはり、捕まえたねずみを警察に持って行って、ねずみの懸賞に当たったお金と聞いて一安心して、「これからも、ご主人を大事にしなさい。これもチュウ(忠)のお蔭かげだ」にならないと・・・、「薮入り」という噺だと言ってはいけない・・?
この噺は、先代金馬師匠の十八番で、未だにそのイメージが強いようです。
また、噺を聴くと、警察(交番)や電車、時刻(1時・2時・・・)やお金(15円)が出て来ますから、明治以後の長屋が舞台になっているということになります。
しかし、奉公や薮入りという制度は江戸時代に既にあった訳で、実際には演じられていたはずです。
ただ、当時の噺は、やや卑猥な内容だったそうで、明治時代に練り直されたそうです。Photo_4
また、ねずみ捕りが盛んで、懸賞まであったのかという点では、金馬師匠はご自身の経験や見聞を元にしているのでしょうが、あるお年寄りに聞いた話としては、保健所に持って行くと何がしかのお金をもらえたのは確かなようです。
ただ、これに懸賞があったとかどうかは、記憶にないとのこと。
・・・ということから、私は、この噺の舞台を明治時代でなく江戸時代にすることは、ねずみの懸賞は使えないということで、勿論、師匠からのオチ改良のアドバイスもあって、乱志オリジナルにしたのです。

吾妻橋

大川(隅田川)に架かる「吾妻橋」という橋があります。
落語にはなくてはならない舞台となっている橋です。Photo_9
特に私にとっては、度々使わせてもらう、とても重要な舞台です。
「浜野矩随」では、若狭屋が矩随に「吾妻橋から身を投げてしまえ!」と言います。
「佃祭」では、小間物屋の次郎兵衛さんが身投げをしようとしている娘を助けます。
「救いの腕」では、姉と喧嘩して家を出たお香が向島に行くのに渡って行きます。
そして、先日の「薮入り」乱志オリジナルでも、時は違えど亀ちゃんと財布が拾われた運命の場所として設定させていただきました。
別に「両国橋」や「言問橋」でも良いのでしょうが、私は「吾妻橋」という語感がとても好きなんです。
名作の「文七元結」では、大工の長兵衛が吉原方向を振り返り、佐野槌に残して来た娘のお久に向かって話しかける場所であり、文七が身を投げようとしていたところを助ける場所になっています。
昔の吾妻橋は、勿論今のような真っ赤に塗られた鉄の橋ではありませんでした。
「吾妻橋(あづまばし)」 は、台東区雷門 と 墨田区吾妻橋 の間で、浅草雷門の前を走る 「雷門通り」 が 「隅田川」 を渡る橋です。
Photo創架は安永 3年(1774)、江戸時代に架設された隅田川の橋としては第五番目の橋で、江戸期に架橋された最後の橋だったそうです。

Photo_2 安永 3年(1774) の 架橋以後は、明治 7年(1874) の 「厩橋」 架橋までの100年間、「隅田川」 には新たな橋は架けられなかったことになる訳です。
「吾妻橋」 の名称の由来は諸説あるそうです。
架設当初は 「大川橋」というの が正式な橋名であったらしいのですが、左岸(向島方面) にある 「吾嬬(あづま)神社」 への道筋にあたることから、「吾嬬橋」とも呼ばれており、これが 「吾妻橋」 に転じたという説。
Photo_3
また、幕府押し付けの「大川橋」 の名称に反発した付近の町民が、江戸の東に位置するこの橋を 「東(あずま)橋」 と呼んでいたからとも伝えられています。
そして、正式に 「吾妻橋」 と命名されたのは、明治 9年(1876) の架け替えの時だったそうです。
「吾妻橋」 架橋以前は、この場所に 「竹町の渡し」 という渡し船があったそうです。
江戸時代の300年間に隅田川に架けられた橋を「江戸五橋」と言うそうで、{千住大橋」・、「両国橋」・、「新大橋」・「永代橋」と「吾妻橋」 がそれに当たります。

という訳で、「吾妻橋」にはこれからもお世話になることでしょう。

「藪入り」乱志オリジナル

名作「薮入り」という噺は元々はこんなストーリーです。

奉公に出て3年が経ち、初めての薮入りの息子(亀ちゃん)を待つ熊さんは、うれしくて寝付けない。Photo_8
亀が好きだった納豆を買っておけ、刺し身は中とろを二人前、鰻も用意しろと、一晩中騒いで、朝5時には玄関前を掃き掃除。
亀が帰って来たら、お父っつあん!おお息子よ!と抱き合うつもりでいたら、両手をついて「めっきりお寒くなりまして」と挨拶されて、すっかり調子が狂ってしまった。
まずは風呂に行って身体をきれいにして来いと送り出して、置いて行った財布をふと覗くと、5円札の大金が小さく折り畳まれて3枚(15円)も入っていた。Photo_5
奉公人の小遣いにしては15円は多すぎる、よもや盗んだんじゃないかと、風呂から戻った息子をいきなりどやしつける。
亀は、泣きながら説明する。
「盗んだんじゃない。ペストが流行るからと鼠を捕って交番に届けたら、懸賞に当たったんだ」
「これからも、しっかり勤め上げろよ。みんなチュー(忠)のおかげだ」
金願亭乱志
稽古をしていただいた圓窓師匠に、「せっかくの人情噺の名作なんだから、「チュウのおかげ」なんていう地口オチではなく、噺の中にオチを仕込んでやってみようよ。それに今どき"忠"なんていう言葉も分からないよ。」と、アドバイスをいただきました。Photo_6
それから、噺の舞台が明治以降になっているのを、江戸時代でやりたいという気持ちもあり、いただいた師匠の高座本も参考にして、乱志オリジナル「チュウ(忠)のおかげだ」でないオチの「藪入り」を組み立ててみました。
要するに、時刻は1時・2時ではなく九つ・・・・明け六つで、お金は15円でなく2両3分2朱で、そして鼠の懸賞(チュウのおかげ)というのはなしで、ということです。
                    金願亭乱志
まず、亀は熊さんと女房(お光)との間に産まれた子ではなく、熊さんが吾妻橋の袂に捨てられていた赤ん坊を拾って来て、子宝に恵まれない二人に神様から授かったものと、大事に大事に育てた子だということにしました。Photo_7
そして、熊さんが「この金はどうしたんだ」と詰め寄ると、亀は、「盗んだんじゃない。お使いに出かけた時に、吾妻橋の袂で2両3分2朱入った財布を拾って、自身番へ届けたもの。1年経っても持ち主が見つからず、自分が貰えることになった。それをお店の旦那さんが預かっていてくれて、薮入りに出るときに(利子をつけて)ちょうど3両にして、両親に渡すようにと持たせてくれた」と話す。
亀は「改めて3両受け取ってくれ」と、熊さんに言う。
「貰う訳にゃぁいかねぇよ。授かったものはなぁ、拾った者が大事にしておくものだ。」


自分たち夫婦の間の子どもではないが、実の子、否それ以上に大事に育てた亀を待つ親心を縦軸にして。Photo_9
そして、亀が、(本人は知る由もありませんが)自分が拾われた場所と同じ吾妻橋の袂で財布を拾うという偶然を横軸にして。
授かった(拾った)ものは、拾った者が大事にしておくことが大切なんだよと・・・。
ベースは、師匠がお演りになったものをいただきましたが、一応オリジナルと言えるでしょう。
「お江戸あおば亭」の後、何人かの先輩方から「あれは誰のなの(ネタを参考にしたの)?」と尋ねられました。
「いゃぁ、乱志オリジナルということでして・・えへへ」と答えました。
これも何度か繰返して口演して行く中で、さらに練り上げて行くことが出来ることでしょう。
聴いてくださった方の感想が聞きたいような、怖いような・・・。

談亭志ん志師匠

目にも鮮やかな真っ青な羽織と着物。 
      
今回びっくりしたのは、何と言っても、この鮮やかな着物だけではなく、短く刈った髪型でした。
Photo_5(写真をクリックしてください)
お聞きするところによれば、 トリをお取りになるのは初めてだということなのです。
それで、思い切って、ロマンスグレーのオールバックだった髪をバッサリと切り、初めてのトリの高座に上がったそうです。
トリにかける熱い気持ちが伝わって来ました。
「志ん志50席」を目指して、これが第4席目の熱演でした。
まだあと46席ありますよ。
らくだもその兄貴分も、志ん志師匠の雰囲気にぴったり(すみません)で、この噺のポイントでもある、屑屋さんがだんだん酔っ払って行くところなどは圧巻でした。
あの押しの強そうな容貌と優しそうな語りのギャップに、ファンも多い「落研御三家」の一角。
という訳で、友楽・志ん志・寝蔵の御三家の見参で、あぁぁ、今回も楽しい、素晴らしい落語会になりました。

2011年11月18日 (金)

東京落語会の後で

「東京落語会」の後は、いつものお店で、杜の家頓平師匠と釣り亭金魚師匠と金願亭乱志の鼎談。
        
煮込みと焼き鳥を肴にして、焼酎を飲みながらの落語談議です。
今週の仕事も終わり、明日・明後日は休日ですから、解放感は最高潮の至福の時間です。
頓平師匠から、またまた有り難いオファーがありました。

東京落語会

11月の東京落語会。
ひさしぶりに開演から聴くことが出来ました

  ◆ 三十石        桂まん我
  ◆ 堀の内        立川談笑
  ◆ 元犬          桂歌春
  ◆ わが師の思い出  桂米丸
  ◆ ねずみ         入船亭扇遊
  ◆ 試し酒        桂文楽
   
今日は、「桂」の出演者が多かった。
とはいえ、落語協会1・落語芸術協会2・上方落語協会1ということで、一門会でもありませんが・・・。
全体としては地味な感じでした。
 
米丸師匠はお元気ですね。86歳だということです。
今日は、師匠の五代目古今亭今輔師匠の思い出を語るというものでしたが、まだまだしっかりしていました。

「萩」の柄の手拭い

高座で使う手拭いを選ぶ楽しみというのもあります。
              
萩が、仙台の樹であり、大学のシンボルでもありますから、「あおば亭」にも萩を入れてみました。
・・ということで、今回の高座では「萩」の模様の手拭いを使うことにしました。
手元に2種類の「萩」がありますが、さてどちらにしよう。

              
左上は、今夏の南三陸復興出前寄席の時に、仙台で買って来たもの。
右下は、昨年の学士会落語会の時に、東北大学代表の気持ちを表わすために買って使ったもの。
金願亭乱志
この写真では分かりづらいですが、結局右下のを使いました。
高座に出た時は懐に入れておき、亀がくれた手紙を熊さんが取り出すシーンから使ったと言う訳です。
噺の内容や、 もうせん・座布団や着物の色や柄に合わせて手拭いを選ぶのも楽しいものです。

玉蟲左太夫と四ッ谷用水

「玉蟲左太夫」「四ッ谷用水」とは直接は関係ありません。
仙台在住の「桂友楽」師匠の創作した落語の題材という共通点があります。Photo_7
「玉蟲左太夫」は、約140年前、激動の幕末を走り抜けた仙台藩士で、仙台の坂本龍馬と言われたそうです。
「日米修好通商条約批准書」交換のため遣米使節団の一員として仙台藩から唯一人随行。
先進的な国際感覚を身につけて、帰国後は藩校の養賢堂で共和政治や民主主義的思想等を教え、数多くの英才を育てた人だそうです。Photo_8
また、戊辰戦争では仙台藩を代表して奥羽越列藩同盟結成の調整役として活躍しましたが、最後まで会津救援、反薩長の立場を貫いたため、仙台藩が降伏したあと、その責任をとわれ、悲壮な最期を迎えることになりました。Photo_6
「四ッ谷用水」というのも、東京でなく仙台にあります。
仙台市内には四ッ谷用水の水路跡が随所にありますが、北七番丁の東北大学病院歯学部の支流跡は、そのまま堀が残っているそうです。
「桂友楽」師匠のライフワークは、さらに広がって行きます。
本当に羨ましく思います。

金願亭乱志

1年後輩の金研亭志ん昼さんも会場に来てくれています。
      
4年生最後の高座でしくじって、彼の膝に顔を埋めて号泣した記憶があります。
お光さんの台詞で「お前さん、亀に"お謝り"よ」というところで、「おゃ、おあ、おやまわりよ・・」。
それまでの噺を台無しにしてしまった、致命的な失敗。
あれから、この「薮入り」という噺は、本当に悔いの残る噺になって、ずっと私の心に蟠っていました。
金願亭乱志
・・・という訳で、今回が落研の「卒業再試験」のつもりでした。
私の藪の中には、蛇はいないで、長いこと虎と馬が棲んでいたのでした。
金願亭乱志
圓窓師匠にもアドバイスをいただき、ストーリーやオチもオリジナルにして、心機一転高座に上がりました。
金願亭乱志
師匠からいただいたアドバイスやヒントをもとに、自分なりの世界を作り上げようとチャレンジし、満足したとは言えないまでも、何とか「可」で卒業試験をクリア出来た気がします。金願亭乱志
志ん昼さんに、「どう? これで落研は卒業できたかなぁ?」と尋ねると、「こんな噺で泣いちゃいました・・」って、どういう意味?
まぁ、柔らかく、自己中心で解釈して、「合格」ということにさせてもらいました。
志ん昼さん、あの時のあなたの膝がありがたかった・・・。
「薮入り」・・・、今までも、勿論これからも、忘れられない噺です。

2011年11月17日 (木)

夕刊フジの記事

最近は全く買わなくなった「夕刊フジ」の記事から・・。Photo_4
映画館のスクリーンで“昭和の名人”による本格落語が楽しめるシネマ落語「落語研究会 昭和の名人」。
昨年12月に第1弾、今年5月に第2弾が東劇(東京)で上映され、観客の満足度が「96%」と好評だったことから、(11月)26日から第3弾『落語研究会 昭和の名人 参』が公開されることになった。
今回登場する名人は、7回忌を迎えた上方の実力派で、東西の垣根なく全国にファンの多かった桂吉朝と、3回忌を迎えメディア全般でも大活躍し、「星の王子さま」の愛称でお茶の間から親しまれた五代目三遊亭円楽。
さらに、上品できれいな江戸弁と、小気味良いテンポで噺を運ぶイキの良さがあった三代目古今亭志ん朝、と洗練された江戸の粋を体現する高座で落語通もうならせた十代目金原亭馬生の2人も前作に続き、登場する。
吉朝は、十八番の「不動坊」、円楽は、自身が生まれた日照山不退寺易行院(通称・助六寺)に残った過去帳より自作した実録噺「助六伝」をそれぞれ熱演。志ん朝は、「三方一両損」で気持ちの良い大岡裁き、トリの馬生は、年末では定番の人情噺「鰍沢」をじっくりと聴かせる。

先日、銀座の「山野楽器」の落語コーナーにチラシが置いてあったので持ち帰りました。
前2作品も観ていますので、今回も行こうと思っています。

札所の霊験

三遊亭圓朝作「札所の霊験」・・・。

(昔の寄席はこんな風情だったかもしれません。)
この噺は、かの「三遊亭圓朝」の初期の作品で、明治21年に出版されたそうです。
深川猿子橋で実際にあった仇討をもとにしたもので、水司又市の悪とそれに立ち向かう若い男女が対比されます。
高岡から高山への逃避行、西国三十三ヶ所巡りなど、道中付けとしても楽しめる部分が多く、六代目三遊亭圓生師匠による高岡での殺しの場面などが有名です。
先日の三三のストーリーとは一致していませんが、圓生師匠のお演りになったストーリーの粗筋をご紹介しておきます。Photo_3
本郷の6丁目に「糸紙問屋」の主人、富士屋七兵衛の妻が2人の子どもを残して亡くなった。
寄り合いの帰り、根津の郭に無理矢理連れて行かれ、増田屋の”小増”が相方に付いた。
彼女には真夫(まぶ)がいて、榊原藩の重役、中根善右衛門のせがれ善之進、24歳で苦み走ったイイ男であった。
同藩の下級武士、水司(みずし)又市は27際で江戸に出てきて間もなく、小増を見初めたが振られ、真夫の善之進を斬り殺して逃げ去った。事件の後ふさいでいた小増であったが、初めて出た客が七兵衛で、面影が似ているので歓待し、七兵衛も回を重ねた。気心があって身請けをし、家に入れた。

家には、下の子が”おすぎ”と言う2歳になる女の子で、上の子は男の子で”正太郎”7歳であった。
7、8歳は憎まれ盛りで、母親の悪口を言いふらしていたので、つねられたりしたのでアザだらけになった。
たまたま、訪ねて来たお婆さんが驚いて、家族の反対を押し切って連れて行ってしまった。

まもなく火事を出した。
富士屋火事と言って蔵も店も焼け落ち、自家出火だったので麻布の地に移ったが、9年後麻布の大火に合い文無しになってしまった。
借金だらけで、住んでいる事も出来ず、おすぎを連れて3人で越中の高岡(富山県)に昔の奉公人を頼って移っていった。

大工町で荒物屋を始めたが生活が苦しいので、七兵衛は行商を始め、女房お梅(小増)はお寺の下仕事などをして、なんとか暮らしていた。
3年が過ぎて、総持寺の住職”叡善(えいぜん)”は四十にはなっていた。
お梅を大切にして20両程の金も貸し与えていた。
ある日届け物を寺に持って行った。
誰もいないのでお梅に酒の相手をさせて話し始めた。13年前の事覚えているかと、語り始めた。
「小増と言っていた頃、通ったが見向きもされず振られた水司又市はワシで、真夫を殺してここに逃げ延びて来たのだ」と。
出家してこの様になったのもお前のお陰で、また煩悩が出てきた。人を殺すほどの男なので、逃げる訳にも行かず、グッと引き寄せられ、雨足も激しくなって・・・、(紙が破れてこの後、何だか分からないので飛ばして・・・)。
心の中ではこの坊主はいけ好かないと思っていても、仕事で来なくてはならないし、来れば親切にしてくれる。
そんな事が続くと三十のお梅もだんだん心が傾いていった。

ある時にはお梅が忙しいと言って、7日も家を空けて寺に泊まり込んだ。
流石の七兵衛も腹にすえかねて来てみると、離れで差しつ差されつしていた。
それを見た七兵衛は借りもあるし、無理に心を静めて咳払いしながら入っていった。
和尚の弱みにつけ込んで、店を出すのだと50両の金を無心した。
叡善は一緒に呑みたいからとお梅を酒買いにやって、二人だけになった。
叡善は酒こなしだと言って庭に出て薪割りを始めたが、剣の道を究めた人だから小気味よくナタを振り下ろしていた。
七兵衛も庭に降りて男同士の話を始めると、「ワシは不義をやっていない」と ナタを七兵衛の脳天に振り下ろし、死骸を縁の下に隠した。
そこにお梅が帰ってきたが、一部始終を話し 、お梅の家に叡善は泊まり込むようになった。

その頃、夜、寺が空くのを見つけて、博打が始まった。
それを見つけた役人が踏み込んでみると博徒達は逃げ回ったが、その中の一人が縁の下に逃げ込んだ。
先に逃げ込んだ人の帯をつかんで隠れていると、それを見逃さず引きずり出された。出してみると仲間ではなく恐ろしい姿の七兵衛であった。
その為、叡善和尚の悪事が露見したという、札所の霊験でした。

まあ、やはり圓朝物らしい噺です。

破れ家笑児さん

後半の食いつきは「破れ家笑児」さん。
またの名を「花伝亭上の空」さん。
      
ことぶ季亭のOB落語会には2回目の登場ですが、すっかり磐石の存在感があります。Photo_4
(写真をクリックしてください)
今回の「六尺棒」も、ライト感覚の面白い噺で、笑児さんのキャラクターとぴったり合っていました。
今回、笑児さんには、会報「あおば亭」への投稿もお願いしたり、落語会当日の裏方をお願いしたり、大変お世話になりました。
楽屋で、色々やりながら、二人で「楽しいねぇ」と言い交わしながら、会を進行させて行きました。
一人ひとりの出演者の出囃子を決めて、そのCDをセットしたり、仲入りの発声と幕を閉じるタイミングを相談したり、とにかく楽しい。
ご来場の方が差し入れてくださった物をぱくつきながら、高座の様子を窺いながら、これがまた楽しい・・。
「笑児さん、番外編では何を演るの?」と尋ねると、即座に「棒鱈をやります」という返事。
「あ、そう、赤ベロベロをやるんだ」なんて・・。

仲入り

概ね時間どおりに、大変良い雰囲気で進行しています。
         仲入り
「おなかぁぁぁ~いりぃぃぃぃ~~」の発声は私の仕事。
舞台の袖では、前半のめくり(高座返し)担当の破れ家笑児さんと、開口一番の高座を終えた賀千家ぴん吉さんが大活躍です。
会場はちょうど50人でほぼ満員。
蕪生会長の事前の読みがぴったりでした。
私としては、プログラムと会報「あおば亭」の評判が気になるところ。
そして2時20分に後半の開演です。
笑児さんが高座に向かいます。

2011年11月16日 (水)

桂友楽師匠のこと

仙台の新聞「河北新報」の「水の歳時記」という特集記事に、わが「桂友楽」師匠が登場していると、「翁家寝坊」師匠が教えてくださいました。1_3
「四ッ谷用水を後世に(仙台市青葉区)/杜の都、生活の礎築く」というテーマで、「四ッ谷用水」のことが述べられています。尤も、「四ッ谷用水」なんて知りませんでしたが・・・。
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1082/20111114_01.htm
この記事の中にわが友楽師匠が登場します。
11月の初め、仙台市民会館会議室で行われた社会人素人寄席「仙台新撰(せん)落語会」に足を運んだ。
目当ての題目は「四ツ谷用水伝」。
伊達政宗が仙台に城下町を築く際、町中に張り巡らせた「町中堀」の話で、桂友楽さんこと大友健弘さん(68)の創作落語だ。Photo_2
「四ツ谷をやることになったよって言ったら、そりゃ怪談噺(ばなし)かいなんていわれまして。仙台市民にもあまり知られておりませんが、仙台という町をつくった川なんでございます」
軽妙な語り口で客席をクスリクスリと笑わせながら、どんどん話に引き込んでいく。
大友さんは東北大の落語研究会に在籍していたとき、昭和の名人といわれた8代目桂文楽から「友楽」の名前を頂いた。
会社員時代は忙しく、落語をする時間はなかったが、2005年の退職後に再び「笑い」の世界へ。ボランティアで町づくりにかかわる中で、仙台の歴史を伝える落語の創作を始めた。「四ツ谷用水伝」は2作目だ。

そうなんです。
友楽師匠は、2年ほど前も「玉蟲左太夫(たまむしさだゆう)」という幕末の仙台藩の人物伝を創作して、OB落語会でも披露してくださいました。
今回の「四ッ谷用水」のことも、南三陸町に慰問にご一緒した時に仰っていました。
先日の「カラオケ病院」とは対極にある噺だと思います。
郷土に対する文化的な貢献を、一人でやっておられる姿には、本当に頭が下がります。
そういえば、「カルチャー講座で落語教室をやらないか」というオファーがあると仰っていた話は、その後どうなったのでしょうか?

喰亭寝蔵師匠

仲入り前(中トリ)に、満を持してエースが登場です。
        喰亭寝蔵師匠
新潟から毎回のご出演という、「重度落語中毒症患者」のお一人で、勿論「落研御三家」の重鎮です。1_2
(写真をクリックしてください。)
今回もご来場くださった落語っ子連の三流亭窓口さんも、「寝蔵さんて・・」と、その素晴らしさを絶賛していました。
「寝蔵師匠、今回の噺は誰の音源を参考にされたんですか?」と、出待ちの舞台の袖でお聞きすると、「色々聴いてみたんだけど、結局大部分が古今亭志ん朝師匠だねぇ」ということでした。
なるほど、袖で拝聴していて、随所に"志ん朝節"を垣間見ることができました。
寝蔵師匠に、前回のOB落語会の後で、DVDの編集をしていただいたお礼に、手拭いをお贈りしたのですが、今回の高座で使っていただきました。
とても嬉しい心配りに感謝の気持ちで一杯になりました。
現役時代に雲の上の存在だった先輩と同じ高座に立てる幸せを、今回も感じることが出来ました。
                        
それから、一番太鼓と締め太鼓のバチ捌きもお見事でした。
「名人・寝蔵」此度も健在の一席!

2011年11月15日 (火)

紅葉・・

10日間の変化・・・。
 晩秋  紅葉・・
かなり黄色く色づきました。
明日あたりからは本格的に寒くなるようです。

三三さんの記事

毎日新聞に「三三独演」の記事がありました。
      
落語家の柳家三三が、昔の寄席のしつらえや番組を再現する「三三独演~懐古趣味~」を17日まで、東京・日本橋劇場で開催中だ。
併せて三遊亭円朝の「札所の霊験」など2席のネタ下ろしにも挑んでいる。
「タイムマシーンがあったら、昔の寄席を見に行きたい」という夢を口にする三三。
それならと、寄席文字書家の橘右楽の協力を得て、古い資料に残る明治・大正期の趣の復活を試みた。
高座には火鉢に鉄瓶、ランプ灯。
「不思議なところに来たね、と感じていただけたら」と話す。


しつらえだけでなく、当時活躍した三代目柳家小さんが、独演会で落語4席のほか、ひざ代わりの色物も演じたという番組も再現。
番組は2種類で、一つは三遊亭円朝の長編「札所の霊験」、もう一つは「柳田格之進」ほか3席。
ひざ代わりも三三自身が演じている。
「札所」は、怪僧永禅をめぐる敵討ちを描く長編。
「永禅のように、言葉で人をからめとっていくような、言葉だけでどうとでもしてみせるという落語が好きなんです」。
語りでどう観客を引っ張っていくか、力が試される。
普段とは違う客層にも来てほしいと、平日昼間の回も設けた。
問い合わせは03・3478・9999へ。

・・・という訳です。

南亭蕪生師匠

落研OB会長の熟練の高座です。
      南亭蕪生師匠
前回は「笠碁」、今回は「厩火事」と、落語の王道ネタを、明るくて張りのある声で語り、観客を魅了しています。Photo_5
(写真をクリックしてください。)
最近は特に、落語に加えて端唄・三味線などの稽古も、密かにかつ大々的に本格化されているそうです。
これは、さる信頼できる筋からの情報で、あの渋くていい喉と雰囲気で、めきめきと上達されていて、女性からも大人気だそうです。
確かに、ご幼少の頃から「人形町末廣」などに通ったという、筋金入りの寄席通ですから、我々のような田舎者とはそもそも違います。
私は今回の高座で、フライングを承知の上で、「番外編」プランのことをカミングアウトしましたが、是非とも実現したいと思ったからで、蕪生・笑児・乱志三人会ブラスアルファの会を楽しみにしています。

森ヶ家二八師匠から

東大落語会OBの「森ヶ家二八」師匠が「お江戸あおば亭」にご来場くださいました。
そして、メールで、ご丁寧な感想を寄せてくださいました。
今回、初めて東北大の皆さまの高座を拝聴し、ほとほと感服いたしました。
人物表現、めりはり、仕草など、皆さまよく研究され、稽古もよくされていることが良く分りました。
東大落語会寄席
・・と、出演者全員に過分なお言葉をいただきました。
同じ世界を共有していますから、今後も色々ご指導いただきたいと思っています。

2011年11月14日 (月)

三三独演〜懐古趣味〜

久しぶりに「柳家三三」さんの独演会に行きました。
「三三独演〜懐古趣味〜」という趣向で、凝ったセットでした。

かつて本郷に実在したと言う「若竹亭」という寄席をイメージして、上の写真の右半分の簾が上がると高座が現れます。
そしてこれがプログラムです。
簾の中は、真ん中に座布団、その脇に火鉢が置いてあり、書額の両側にはランプが点っています。
      
  ◆ 札所の霊験(上)       柳家三三
  ◆ 札所の霊験(下)       柳家三三
心意気やよしですが、出来は良くありませんでした。
言葉は滑らかではないし、メリハリもないし、特に酒を飲む場面は酷かった・・・。
飲み方で、飲む仕草の度に口を鳴らすのが不自然だし、飲み過ぎだと思います。
「口を鳴らすと、いかにも飲んで味わっているように見えると思ってやるんだろうけど、そんな音はしないし、第一品がないよ」・・・、稽古の時に師匠がタブーとして語ってくれました。
上下の2分割で、約100分程度の長講でしたが、3500円というのは・・・「?」です。
セット・小道具代を考えても、割高に感じました。

桂友楽師匠

"落研御三家"の一人「桂友楽」師匠。
              
やはり仙台から駆け付けてくださいました。
Photo_3(←写真をクリックしてください)
1年にどれぐらいの高座をこなされているのでしょうか?
「仙人・桂友楽」お江戸見参!
本当は古典落語派ですが、仙台で落語活動をしていると、歌を歌って欲しいなどとリクエストが多いことから、歌の入っている噺をと、「カラオケ病院」を演るようになったとか。
南三陸町のホテル観洋の「復興出前寄席」でも受けていました。
仙台の代表として、落研の顔として、八面六臂のご活躍です。
今回は、仙台から二人が出演してくれましたので、落語会が重厚になりました。

次の噺

これからチャレンジする噺を決めました。
金願亭乱志
ちょっと、重過ぎるかもしれませんが、やってみたいと思います。
これから師匠にもお願いしたいと思います。
 ◇2月18日  あおば亭・番外編  「唐茄子屋」
 ◇3月3・4日  三流亭発表会     「抜け雀」
 ◇3月25日  千早亭発表会    「揺れるとき」
 ◇5月(未定) お江戸あおば亭   「お初徳兵衛浮名桟橋」
200911081253000【唐茄子屋】
 師匠に高座本をいただきました。
 これも切ない人情噺です。
 長講になりますから、番外編でやらせていただこう。
【抜け雀】
 昔からやりたかった噺。
 師匠のは、親を駕籠かきにしないオチですから、これで。
【揺れるとき】
 師匠の創作噺で、圓朝まつりで奉納された人情噺。
 実は、千早亭とも関わりがあるので、この機会にと。
【お初徳兵衛浮名桟橋】
 破れ家笑児さんの十八番「船徳」とのコラボ企画で・・。

落語の笑い

「落語の“笑い”は上級者向け?」なんていう記事を見つけました。
ここ数年、『しゃべれども しゃべれども』『落語娘』など落語を題材にした映画公開が続き、落語は静かなブームともいわれています。
が、いかんせん話が難しそうで、寄席に行く決心がつかない私。
粋に寄席で笑いたい! その楽しみ方を知りたい! ということで、『笑点』でもおなじみの桂歌丸さんが会長を務める、落語芸術協会の事務長さんに泣きついてみました。
私に落語の基礎を叩き込んでください!
「落語は、最後にオチのある噺(はなし)を身ぶり手ぶりだけで進め、一人何役も演じるのが特徴。
笑える噺だけでなく、泣ける人情モノも、怪談もあります。
室町時代末期から安土桃山時代にかけ、戦国大名に仕えて話の相手をしたり、世情を伝えたりする御伽衆(おとぎしゅう)と呼ばれる人たちが、現在の噺家(落語家)の起源。江戸時代には、面白い噺を一般の人々に有料で聞かせる人物が登場し、寄席が誕生しました」
そんな長い歴史があるんですね! 噺の内容は昔と同じですか?
「江戸時代から明治時代までに作られた昔ながらの古典落語と、それ以降に作られた新作落語があり、同じくらいの割合で現在も演じられています。
古典には、なじみのない時代の単語も出てきますが、それを自然に観客に理解させるのが噺家の腕。噺が難しくて楽しめない、なんて心配はありません」
よかった~。
ところで、せっかくだから上手な落語を聴きたいんです。
落語の上手・下手って、どこで決まるの?
「落語は小物をほとんど使わず、座ったまま展開するもの。目線や小さな仕草だけでいかに観客の想像力をかきたてて、自分の世界に引き込むかがカギです。笑いは上手・下手より好みの問題なので、まずは寄席に行くことをオススメしますが、噺家の階級は多少参考になるかも。噺家はまず前座見習いから始まり、前座二ツ目真打の順に上がっていきます。前座より真打の噺の方が味があるのは確かでしょうね」
なるほど、そんな階級があるんですね。
さて、自分好みの落語を見つけるためにも、寄席に行ってみようと思います! 
寄席といえば、和のイメージやっぱり、正式には着物を着ていくのがマナーですか?
「どんな服でもいいですよ。基本的に寄席は年中無休。正午から始まる昼の部と、17時から始まる夜の部があり、入れ替えがないので、一日中落語に浸ることもできます。
チケットも3000円前後で、予約制ではないので気軽に寄ってください」
なぁんだ、そんなにハードルの高い場所じゃないんですね。
ちなみに寄席では、演目中でも飲食自由。
なんと、アルコールOKという場所もあるのだそう。
一応基礎は叩き込んだし、大船に乗ったつもりで聴きに行ってみようっと。
・・・・やはり、落語を知らない人には、寄席の敷居は高いのでしょう・・・。

2011年11月13日 (日)

小春日和

帰省した故郷も晩秋。
       
柿の葉も色づき、山茶花も満開。
   
朝早く出て帰省したので、昨日の「お江戸あおば亭」に親子3人で来場してくれた叔父に、実家に着いてからお礼の電話。
「いやぁ~、良かったよ。涙が止まらなかったよ。」と・・。
「ありがとうございます。色々しくじった所もあって・・」なんて答えると、傍で聞いていた母が、「(落語)しくじったのかい?」と心配顔。
幾つになっても、趣味の落語のことでも、親は心配になるようです。
電話を代わった母は、実の弟の叔父に向かって、「また、(倅を)応援してやってよ」なんて、お願いを言ってくれていました。
私の「薮入り」も、涙と笑いの1日でした。

落語はやおき亭

やはり実家へ向かう車中で。
  ◇ 高砂や      五代目柳家小さん
今日も快晴で、東名高速も快適です。
富士山は頭にちょこんとしか雪がなく、やや間の抜けた感じです。
今年はまだ雪が少ないようです。

現役部員の活動ぶり

確か、文化の日を挟んだタイミングで、大学祭が開催されていたはずだと、落研のHPを覗くと、「川内寄席」の全番組が判明しました。360pxkyusei_daini_kotogakko_komon
去る11月3日、4日、5日に開催された「東北大学祭」において、我々落語研究部も「川内寄席」を行いました。
   ●11月3日
    左右舎一掃     「千早振る」
    日進舎月歩     「六尺棒」
    ふじら亭くず     「猿後家」
    羅洲亭ねいる    「猫と金魚」
    一久楼写太     「もう半分」
    世間亭節介     「質屋庫」
    東中亭蜂鋭     「火焔太鼓」
    羅洲亭ねいる    「町内の若い衆」
    夏葉亭志ます    「死神」
   ●11月4日
    升万楼ビスコ    「猫の皿」
    羅洲亭ねいる    「鉄拐」
    ふじら亭くず     「午後の保健室」
    木村家一同     「たらちね」
    東中亭蜂鋭     「つる」
    一久楼写太     「もう半分」
    眠ヰ家あくび     「道灌」
    左右舎一掃      「死ぬなら今」
    文福亭茶釜     「出来心」
   ●11月5日
    東中亭蜂鋭     「反魂香」
    ふじら亭くず     「孝行糖」
    世間亭節介     「宿屋の富」
    三々亭天糸瓜    「かぼちゃ屋」
    文福亭茶釜     「湯屋番」
    夏葉亭志ます    「干物箱」
   
・・・・お疲れさまでした。
まだ、「川内寄席」っていう名前を使っているんですねぇぇ。

落語DEデート

帰省する車中で聴きました。
 ◇ 池田の猪買い    三遊亭百生
・・・昨日の落語会の余韻の中で聴く落語。
やはり、落語に囲まれた生活なんですね。

「e+」のチケット先行販売

最近はかなり頻度が減りましたが、落語会のチケット購入に、よくインターネットを利用しています。
ネットで予約購入して、コンビニで発券してもらうというパターンです。
中でも、「チケットぴあ」と「イープラス(e+)」が多いです。
ところが、"プレリザーブ"とか"プレオーダー"と言われる先行販売は、抽選になっていますから、エントリーしたからと言って、その場で確保出来ている訳ではありません。
昨日、「e+」から来たメールです。
e+(イープラス)をご利用いただきまして、ありがとうございます。
○○様の下記申込みについては、抽選の結果、チケットをご用意することができませんでした。
公演名   : 柳家小三治 独演会
会場名   : 銀座ブロッサム(中央会館)
・・・と、冷たいメールでした・・。

賀千家ぴん吉さん

開口一番の「賀千家ぴん吉」さんです。
        
仙台から駆け付けてくれました。Photo
(写真をクリックしてください)
7月に、南三陸町に「復興出前寄席」に一緒に行きました。
今回の出演者・総会の参加者の中では、ダントツの若さで、緊張していたようでしたが、とても礼儀正しい熱血漢で、落語に対する情熱も素晴らしい青年です。
東北屈指の名門高校の先生で、進路指導を担当しているそうで、彼の最大のミッションは、教え子を一人でも多く東北大学に送り込み、落研に入部させること、と、落語会の後の総会で満場一致で決まりました。
さて、開口一番の「転失気」は、確か仙台で何度か演っているはずで、完全に自分のものにしています。
2・3日前のメールでは、1ヶ所だけ、自分のキャラクターと合わずに納得出来ない部分があると言っていましたが、果たしてどこなのか、見事な開口一番でした。
やはり若い人に出ていただくのは、会場全体が明るくなります。

2011年11月12日 (土)

OB会打上げ

「浅草ことぶ季亭」での落語会と総会の後、場所を変えて打ち上げ会が始まりました。
Photo_4 会場は、これまたいつもの「香港楼」という中華料理屋さん。
この開放感がたまりません。
全員が近況の報告をしたり、残念ながら欠席した人の噂をしたり、大震災の様子を語ったりと、今回も賑やかな宴になりました。
ちょうど、現役の頃の先輩や後輩の方々と同じ卓を囲みました。
喰亭寝蔵・狐狸亭酔狂②・花柳亭遊狂・杜の家とん平④・風流亭喜樂・山椒亭から志・酩亭千鳥・破れ家笑児・金研亭志ん昼の各師と私(金願亭乱志②)です。
あぁ、わが青春の日々・・です。
宴もたけなわになり、打上げがお開きになって、気持ちの良い疲労感に浸りながら、またあの黒い鞄を肩にかけて、とぼとぼと駅に向かって歩き、家路に着きました。
・・・今日もまた楽しい一日でした。

OB会総会

「お江戸あおば亭」が閉演し、一般のお客さまがご退出された後、その場で「OB会総会」です。

     「第5回東北大学落語研究部OB会総会」
1.事業報告 【翁家寝坊師匠】
   2009.11.08   50周年記念OB落語会 in 仙台
 (1)2010.5.22    第1回お江戸OB落語会
                           (浅草ことぶ季亭)
 (2)2010.9.25    仙台 歴史を歩く会
  (3)2010.9.26    第22回OB落語会 …現役主催 in 仙台
                           (仙台メディアテーク)
 (4)2010.12.18  落語鑑賞会支援 …現役主催
              (仙台市福祉プラザホール)
  (5)2010.12.19  入船亭遊一さんによる学生指導支援
 (6)2011.5.28   第2回お江戸OB落語会
              (浅草ことぶ季亭)
 (7)2011.5.29   東日本大震災ボランティア寄席
              (仙台市福室市民センター)
 (8)2011.7.17   東日本大震災復興出前寄席
              (南三陸町ホテル観洋)
 (9)2011.10.08   第7回落語の舞台を歩く会
                            (護国寺~夏目坂)
 (10)2011.11.12 OB会報「あおば亭」創刊
 (11)2011.11.12 第3回お江戸あおば亭及び第5回OB会総会
               (浅草ことぶ季亭)
2.会計報告 【有賀亭〆太師匠】
           ※ 内容は「極秘」
       
3.事業計画 【翁家寝坊師匠】 
  ○OB落語会             
  (1)2012.5   第4回お江戸あおば亭
  (2)2012.秋   第23回OB落語会 …現役主催 in 仙台
  (3)2013.5   第5回お江戸あおば亭
  (4)2013.11   第6回お江戸あおば亭
 ○会報の発行 年1~2回
 ○落語の舞台を歩く会 年1~2回
4.役員改選
  会長      杜の家頓平師匠 (←南亭蕪生師匠)
  副会長     桂友楽師匠  …仙台
  副会長     翁家寝坊師匠  …東京
  本部幹事長    走れ家駄馬師匠 …仙台
  支部幹事長   有賀亭〆太師匠  …東京
                               ・・・ほか
Photo
我々は、仙台が本部で、東京は支部ということになるのです。
何事も柔らかく解釈してやって行こうというのと、落語は真面目にやろうという伝統のもと、「杜の家頓平内閣」が無事スタートしました。
もっともっと活発な活動をして行きたいものです。

プログラムとチラシ(ポスター)

プログラムを紹介します。
いずれも、写真をクリックすると画面が拡大されます。
Photo 表紙は、今までの落語界のチラシやプログラムと同じイメージにしました。
今回は、落語会の名称を変更しましたから、ちょっと様子が違います。
東北大学のシンボルの「宮城野萩」を入れ、寄席文字で表題を入れました。
右下のシルエットは、紙切りで噺家さんの高座姿を切っていただいたもので、ずっと昔から、東北大学落研の発表会に使用されているものです。Photo_2
裏表紙は、50周年の時にまとめた後の出来事を入れて再編集しました。
思えば、昭和34年に創部されてから52年。
地方の国立大学の落研としては、一番古い創部だと言っても良いと思います。
こういう伝統を守って行くのも、我々の務めなのかもしれません。
クリックをして拡大してご覧ください。
さて、中身をご覧ください。
Photo_3挨拶文の隣に、今まで2回のお江戸OB落語会に出演し、今回も出演する、いわば常連の写真を並べてみました。
「南亭蕪生」「談亭志ん志」「喰亭寝蔵」「金願亭乱志」「破れ家笑児」の5人。
番組の内容は、上段に萩のマークで寄席文字のお江戸あおば亭を挟む横書きデザインの表題を入れました。これも写真をクリックしてみてください。Photo_4
チラシというか、ポスターというか、これまたいつものパターンです。
やはり、イメージを統一して、・・・というか、これしか知恵がありませんので、ワンパターンのデザインになってしまいます。
このイメージを定着させるのも大切だと、勝手に解釈して・・・。
次回は、出演者だとか、字を新しくしたり、工夫をしたいと思います。
ひとつひつとが思い出になります。

ご贔屓

我々に心強いご贔屓がいらっしゃいます。
ご贔屓
初代麻雀亭駄楽師匠の同窓(法学部の同期)の方々数名の先輩方は、駄楽師匠亡き後も、「但馬家四部椿」師匠や「愉し家弁痴」師匠とも同期で、日頃から温かいご支援をいただいています。201111121535173
私が「学士会落語会」に出演した時も、大変喜んでくださいました。
その「青葉会」の先輩方から、出演者全員にご丁重なプレゼントを頂戴しました。
トリの「談亭志ん志」師匠が、代表して拝受いたしました。
これからも喜んでいただけるような噺を続けて行くことが、大先輩の皆さまへの恩返しということになります。
本当にありがとうございます。

お江戸あおば亭

それにしても、自分で言うのもなんですが、レベルの高い落語会だと思います。
       
プログラムも、厚手の紙にして良かったと思います。
それから、今まで出演している在京のメンバーの写真を入れたりして、かなり手の込んだプログラムにしたつもりです。
金願亭乱志                        
  ◇ 転失気         賀千家ぴん吉
  ◇ カラオケ病院      桂友楽
  ◇ 厩火事         南亭蕪生
  ◇ 宿屋の富        喰亭寝蔵
  ◇ 六尺棒         破れ家笑児
  ◇ 藪入り          金願亭乱志
  ◇ らくだ          談亭志ん志
会場に笑いと涙が溢れた、とても良い落語会だったと思います。     
     お江戸あおば亭
ぴん吉さん、若さが溢れていた。
友楽師匠、新作が好きになりましたね。
蕪生師匠、声にも張りが合って、落語中毒ど真ん中。
寝蔵師匠、相変わらずお見事。なかなか追いつけない。
笑児さん、このライトなところが素晴らしい。
志ん志師匠、髪型と真っ青な着物に度肝を抜かれました・・。
・・・詳細は追い追い述べることにしたいと思います。

頓平副会長ご挨拶

まずは、OB会副会長の「杜の家頓平」師匠からご挨拶。
副会長ご挨拶
50周年以降の活動や近況の報告、これからのご贔屓のお願いなど、半分OB、半分一般の方々の客席に向かってのご挨拶です。
次回は、頓平師匠にも、着物を着て、高座に座って、一席ご機嫌をお伺いしていただきたいものです。

「お江戸あおば亭」開演

いよいよ「第三回 お江戸あおば亭」の開演です。    
     
まずは、杜の家頓平師匠のご挨拶から。
今回は、OB会の総会がメインですから、客席は一般のお客さまよりも、OBの数の方が多いぐらいで、そのあたりの説明や、50周年以降の活動等の報告をしてくださいました。
めくりもいいですね。
今回はサイズもぴったりで、紙質も厚く、とても重厚感を感じます。
前半のめくりは、破れ家笑児さんにお願いしました。
開口一番の賀千家ぴん吉さんが上がります。

開演の準備

早速座椅子と座布団を並べたり、四分椿師匠が持って来てくださっためくりをセットしたり、出囃子を決めたり・・・。

約60席を拵えました。
力作?のプログラムと会報「あおば亭」を受付に準備していると、続々OBやお客さまがご来場です。
東大落語会の三山亭多楽師匠と森ヶ家二八師匠もご来場くださいました。
我々の落語会の自慢は、一番太鼓と締め太鼓は、会場に備え付けの太鼓で、寝蔵師匠が叩いてくださるんです。
”生演奏”ですから、迫力があります。
開演15分前、寝蔵師匠の太鼓が響き渡ります。
       
さあ、間もなく開演です。
客席もかなり埋まって来ました。

浅草ことぶ季亭

昨日の冷たい雨がウソのような小春日和になりました。
      
「今日もお世話になります」という訳で、早速準備にとりかかります。
蕪生師匠も、寝蔵師匠も、頓平師匠も・・・、まだ11時を過ぎたばかりだというのに・・・。
それぞれの思いを抱いて、今日を楽しもうとしている気がします。
さあ、楽しい一日の始まりです。

プログラムの準備

プログラム
プログラムは、A4サイズで両面印刷してありますが、まだ印刷したままで折ってないことに気が付きました。
前回と同様、会場に行く途中の喫茶店で"内職"することに。Photo_5
今回は、紙が厚手ですから、しっかり折らないと。
この一人だけの密かな"作業"も、落語会の当日の楽しみの一つです。
本番まであと2時間あまり・・。

朝稽古

いよいよ本番の日。

無駄な抵抗で、朝起きて布団の上で、通してやってみました。
余計なことを言ったり、(この期に及んで)つっかえたり、噛んだりして約30分。
・・・初めて時間を計りましたが、こんなものでしょう。
持ち時間は25分ですから。

次の噺

来年の3月までに、人前で落語を演らせていただく機会、ネタ下ろしのチャンスが3回あります。
次の噺
ところが、まだ3回のいずれも、噺が決まっていません。
何をやろうか・・と悩みながら、今日は「薮入り」に挑戦します。

2011年11月11日 (金)

本番前日

いよいよ明日が本番となりました。
今夜は帰ったら、明日の支度をしなくてはいけません。

いつもの黒いバッグに、着物、羽織、襦袢、帯、足袋、手拭い、扇子、羽織の紐・・。
忘れないように。
それから、チラシ、プログラム、会報「あおば亭」。
そうそう、出囃子のCDを忘れないように。
明日は、どの着物にするか、帯は、手拭いは・・。
手拭いは、萩模様にしよう。
出囃子は、師匠の「新曲浦島」で出させていただこう。

ぴん吉さんから

明日の「お江戸あおば亭」に出演してくださる、仙台の「賀千家ぴん吉」さんからメールが届きました。
その中で、落語に対する深いを感じる部分がありました。
(前略)いよいよ明後日になってしまいました、という感じです・・・。
準備万端とは言い難い状況ですが、まずは初高座、精一杯頑張りたいと思います。
実は、噺の中に一部どうしてもうまく演じられないところがあり、四苦八苦しています。
何度やっても、自分のキャラクターに合わないような具合になってしまい、とにかく難儀しています。
明後日まで何とか形になるか・・・不安は尽きないところですが、今日明日と詰めていこうと思います。(後略)
復興寄席in<br />
 南三陸
ぴん吉さんには、開口一番で「転失気」を演っていただきますが、この噺で、どうしてもうまく演じられない、自分のキャラクターに合わない・・・なんて、真面目に悩んでいる姿には、心を打たれます。
7月に、友楽師匠と3人で、南三陸町へ「復興出前寄席」に行って以来ですが、きっと熱い高座になるものだと思います。

11年11月11日

今日は、(20)11年11月11日。
きれいに1が並びますから、何かと話題になっているようです。
某プロ野球球団にドラフト1位指名された投手の仮契約が、11時11分11秒ちょうどに行われたとか・・・。
11月11日は何の日か?
いろいろありますよ。
「もやしの日」「煙突の日」「箸の日」「きりたんぽの日」「ポッキー&プリッツの日」「麺の日」「配線器具(コンセント)の日」。
これらは、それぞれ「1111」に絵柄が似ているから。
そのほか「鮭の日」は、「鮭」の旁の「圭」を分解すると「十一十一」になることから。
「下駄の日」は、下駄の歯の形「11 11」から。
「磁石の日」「電池の日」は、磁石と電極を「十一」に見たてて。
「サッカーの日」は、11人対11人で行うスポーツだから。
・・・まあ、よくもこじつけたりです。

歩き稽古

本日雨天につき、いつもの歩き稽古は中止しました。
・・・ということは、もう本番だけ・・?

あるセミナー

あるセミナー
先日、某IT企業が主催するセミナーに参加してみました。
一流ホテルに500人近くを集めた、とても大規模なセミナーに圧倒されました。
内容は・・?
システム音痴なりに、参考になりました。
たまには刺激になりますね。
それにしても講師なる人、とても場慣れしていました。
やはり、こういうことで飯を食っているプロなんでしょう。
とても真似は出来ませんが、いくらか落語を演る参考になる部分もあった気がします。
あ、仕事、仕事・・。

お江戸あおば亭・番外編構想

明日いよいよ「お江戸あおば亭」が開催される訳ですが、Butai_index2南亭蕪生師匠と破れ家笑児さんと私+「α」で、自主公演として「番外編」をやろうという計画が、密かに?進められています。
今のところ、もし可能であれば、来年の2月頃を目途に・・・なんて。
さあ、夢は叶いますか・・。

師匠のコメント

師匠のブログのコメント。
火曜日の千早亭の稽古会のこと。
 させ稽古、永久(とわ)[薮入り]。
  布団に横になっている夫婦の会話の姿勢を確認せよ、と。
  目の上下(かみしも)が余所見がなくなり、きれいになった。
人情噺
・・・目の上下(かみしも)のことは、稽古の場では特に言われませんでしたが、とても嬉しいコメントです。
「流三さん、人情噺をやるんだったらね・・・」という言葉で始まった、師匠からのアドバイスでしたから。
確かに、正面を向いてやった方が、演者もやり易い気がします。
私の悪い癖である、"身体が傾く""顔が斜めに上がる"というのは、師匠から「"顎はいつも臍に向いている"つもりで、無駄に動かさないこと。」とはっきりご指導いただきました。
後は、眼(の動き)で表現する・・・。
それが、観客からは、物凄くきれいに見えるのでしょう。
「薮入り」をこの10日間ぐらいで3度も、師匠に見ていただきました。
何と果報な・・。

2011年11月10日 (木)

歩き稽古

かなりイメージが出来上がりました。
歩き稽古
あと2日後になってしまいました。
晴れて「落研卒業」が出来るか・・。
アメ横の不思議な像を横目に、「藪入り」をぶつぶつ・・・。

師匠の高座本

先日の日曜日の三流亭の稽古会で、師匠が私の顔を見た途端に、「あっ、忘れちゃったよ。」・・・。
師匠の高座本
師匠の高座本をいただくつもりでいたのを、持って来てくださるのを忘れた・・という。
そして、翌々日の火曜日の千早亭の稽古会で、「あぁぁぁ・・・また忘れちゃったよ。ちょっとこれから家に戻って取って来るよ。」と、またご自宅まで戻って、わざわざ持って来てくださいました。
ご自宅が千早亭の稽古場の「千早地区文化創造館」の近くだとはいえ、大変恐縮してしまいました。
師匠が息を切らしながら持って来てくださったのが、淑徳大学のサテライトキャンパスで配った「落語の中の江戸」の高座本の合本です。
「百年目」「唐茄子屋」「釜泥」「火事息子」が綴じられているのです。
いつかやってみたい噺の高座本が増えました。
楽しみがどんどん広がります。

広瀬さんの扇辰評

この人も評論に値する噺家さんだと思います。
落語家には、独演会で真価を存分に発揮するタイプもいれば、寄席などのチームプレーの中でこそ光るタイプもいる。
入船亭扇辰は、個性派の仲間と組んだ二人会、三人会のようなシチュエーションにおいて抜群の存在感を放つ演者だ。Photo_3
1964年生まれ、新潟県出身。
1989年に入船亭扇橋に入門し、2002年に真打昇進。二ツ目時代から正攻法の古典の演者として期待され、真打昇進後は寄席のトリを頻繁に務めている。
軽い滑稽噺から人情噺の大ネタまで持ちネタは幅広い。
『三井の大黒』『ねずみ』『心眼』『麻のれん』といった扇橋十八番を見事に受け継ぎ、最近では儒学者荻生徂徠を題材に取った人情噺『徂徠豆腐』で新境地を切り開いた。
柔らかで落ち着いた雰囲気と端正な口調、そして繊細な演技力。殊更に現代的なギャグを入れ込んだりすることの無い扇辰の高座には、実年齢以上の風格が漂う。
落語ファンから高く評価されている扇辰だが、意外なほどに独演会が少なく、扇辰といえば二人会、三人会といったイメージが強い。
有名なのは、同期入門の柳家喬太郎と長年続けてきている「扇辰・喬太郎の会」。
ネタ下ろしのための勉強会だが、今や落語ファンが激しいチケット争奪戦を繰り広げる人気イベントの一つだ。
現代的で、時にエキセントリックですらある喬太郎の振り幅の広い芸風と、江戸の薫りが漂う職人肌の扇辰の品行方正な芸風はおよそ対照的だが、だからこそ相性が良い。
二人の異なる個性が激突することで生じる化学反応が、この会独特の魅力を生み出している。
扇辰と近い年代には、喬太郎の他にも、豪快キャラの橘家文左衛門や破天荒な新作の三遊亭白鳥など、強烈な個性を持つ落語家が多く、彼らの活躍が現在の落語界の隆盛を支えているのは間違いない。そんな中で扇辰の、一見地味だが格調高い高座は、異彩を放っている。
※週刊ポスト2011年11月11日号
師匠の入船亭扇橋師匠の得意ネタを演っているので、「ねずみ」だとか「茄子娘」とか「麻のれん」なんて、いいですね。

噺の徘徊師

師匠から、私の投稿の入った高座本をいただきました。
噺の徘徊師流三の「噺の徘徊師」という・・・。
師匠の高座本「救いの腕」の巻末に、その噺にまつわる話題などを掲載していただきました。
噺の徘徊師
【救いの腕】
「圓窓五百噺」の第499番目、師匠が女性作家の唯川恵さんの短編小説をヒントに創作された噺。
今まで演ったことのないパターンの噺にチャレンジしてみようと、師匠にお許しをいただいて取組んでみました。
「男が、男の目で、男を主人公にして口演される」噺が多い中で、女性を主人公にして、女性の会話だけで噺が展開して行くのです。
ところが、原作者の師匠しか口演されていない噺で、しかも女性同士のやり取りが続くために、今まで経験したことのない高い壁にぶつかってしまい、なかなか出来上がらず、本当に悩みました。
「耳慣れない噺だから、とにかく耳で慣れることだよ」と師匠からのアドバイス。
そして苦心惨憺の上で臨んだ本番の高座の当日。
客席には、おかげさまで中年の女性を中心にいっぱいのお客さま。
マクラをふって本題に入ってしばらくすると、ちょっと不思議な感覚に捕われました。
喋っているのは確かに私なのですが、噺を進めているのは私ではないのです。
噺の中の姉妹の会話が客席に入り込み、観客側が噺を引っ張り、拙い芸を超えてストーリーが展開されている・・??
オチの後に「あぁぁ・・」という、溜息のような声が聞こえて来ました。
「自分のことのように聴きました」「身に詰まされてしまいました」と、何人もの女性の方が声をかけてくださいました。
実は、自分では予想もしていなかった反応でした。
「あれは、私が喋った噺ではない。演者を越えて、作品と観客の方々が勝手に共鳴して出来上がった高座だった。」・・・。
そんな気がしています。
最近では女性の噺家さんも増え、素人落語ではむしろ女性の方が多いぐらいなのですから、これからは「女性が、女性の目で見た、女性が主人公の噺を、女性が口演する」機会も増えて行くことでしょう。
師匠から頂戴したこの噺、これからも大切にし、折に触れて口演を繰り返してみたいと思っています。
再びあの快感と感動に出会えるように。
今後、「噺の徘徊師」として、師匠の高座本に登場して行きたいと思います。

2011年11月 9日 (水)

歩き稽古

今朝も歩き稽古。
   歩き稽古   歩き稽古
昨日の稽古の余韻が残り、やや落ち着いた気持ちでぶつぶつと・・・。
今朝はかなり冷えましたが、歩き稽古にはちょうど良い具合で、爽快な気分でした。
昨日師匠からアドバイスされた数点のポイントを念頭に。
神田須田町の交差点の万惣ビルの隣の地下鉄の入口がきれいになって、便利になりました。

三遊亭鳳楽独演会

最近ずっとご無沙汰の鳳楽師匠の独演会です。
三遊亭鳳楽独演会
毎度ご案内葉書をいただきます。
11月24日にいつもの日暮里サニーホールで。
演題は「一分茶番」と「鹿政談」です。

「お江戸あおば亭」のめくり

OB落語会のめくりは、先輩の四分椿師匠のご友人の「Hさん」にお願いして、その都度書いていただいています。
Photo四分椿師匠から、今度の分も書いていただけたと報告をいただきました。
演者7枚と、表題・仲入りの合計9枚です。
本当にいつもありがとうございます。
書いていただくにあたり、色々なご苦労もあるそうです。
模造紙の原寸は110x79cm、めくりのサイズを100x25cmにお願いしたので、原紙1枚から3枚取れるそうです。
今回は前回よりやや厚手を使用してくださった由。
重ね重ねありがとうございます。
「Hさん」は、某寄席文字の師匠に師事している方で、OB落語会の都度書きたいと仰ってくださっています。200911081253000
またまたありがとうございます。
今回一番難しかったのは表題の「あおば亭」だったそうで、師匠に教わりながら、数枚書き直してくださったそうです。
難しいのは文字でなく、全体のバランスなんだとか。
左のは、橘右近師匠のをコピーして作ったものですが、平仮名は難しいと思います。
右のは、2年前の50周年の時に「Hさん」が書いてくださった、私のめくりで、「乱」の字の作りが難しかったと仰っていました。
色々な方々の善意やご協力があって、初めて落語会が出来るという訳です。

師匠のコメント

先日の「ん組」稽古会の時のコメントです。
稽古の様子は既にご報告のとおりですが、師匠の眼からご覧になった稽古の様子です。
私の部分だけ・・。
落語っ子連・三流亭の稽古日
 させ稽古、流三[藪入り]。
  聞きながら新しい発見があるのが楽しい。
  今日もあった。
  亀が帰ってくるので、父親は以前、亀がくれた手紙を
  持ち出して懐に入れておくように設定したら、と提案。
そうです。師匠に"発見"されてしまい、苦しんでいます。

2011年11月 8日 (火)

歩き稽古

"歩き稽古日和"の涼しい立冬の朝です。
  歩き稽古   歩き稽古
家から駅までの間に、マクラから亀ちゃんが帰るところまでやり、上野からは続きをやってみました。
パンダと寄席の街上野の広小路を抜けて末広町、神田川に架かる万世橋を渡って神田須田町まで。
かなりイメージが湧いて来ました。
今夜の千早亭の稽古で、もう一度師匠に見ていただこう・・。

18万件

このブログへのアクセス累計が18万件を超えました。
ありがとうございます。

本当に偶然ちょっと見たら、カウンターがぴったり「180000」。
物凄いタイミングに驚いてしまいました。
11月8日午前2時(八つ)と、「一八尽くし」です。
     
思えば随分積み上がって来たものです。
師匠から頂戴した「落語徘徊師」の名に恥じぬように、何とか続けて行こうと思います。

藪入り

「薮入り」・・・。Photo_2
本番まであと僅かしかありませんから、何とかまとめ上げないといけません。
先日の稽古会での師匠とのやりとり・・・。
師匠:「今、流三さんが演っているのを見て思い
    ついたんだけどね、父親の熊さんが息子
    の亀ちゃんの手紙を懐に入れているって
    いうのは(演出は)どうかなぁ・・。
    肺炎で死にそうになったが、亀ちゃんの手紙を読んだ途端に
    治ってしまい、その後風邪薬の代わりにしているという手紙を
    薮入りで帰って来る亀ちゃんに礼を言おうと、懐に入れていた
    父親の嬉しい気持ちが表わせるじゃない・・。
    これは、金馬師匠にはない演出だから。」
流三:「・・・そ、そうですね・・。・・それ入れてやってみます。」
師匠:「それからねぇ・・・
流三:「(えっ?まだ何かあるの?)・・はい
師匠:「亀ちゃんの財布に入っているお金(小判)は、(流三さんは
    江戸時代を舞台にして演っているから)もとは3両にしないで
    
2両3分なにがしにして、店の旦那が利子代わりに足して3両
    ぴったりにして返してくれたことにしようよ。」
流三:「そうですね。(ネズミの懸賞に当たったのではなく)吾妻橋で
    財布を拾ったことにしていますから、3両ぴったりでない方が
    いいし、旦那が預かってくれたんだから、その間の利息として
    加えてくれた優しい旦那を描く上からも、拾った金額は端数が
    あった方がいいですね・・。

・・・この期に及んで、今のタイミングで加除訂正するのは、正直なところ辛いですが、何とか頑張ってみようと思います。

落語っ子連のML

落語っ子連は、「へ組」「ん組」に分かれていて、稽古日も別ですから、MLで情報の共有をしています。
人情噺
(2組には分かれていますが、師匠のご好意で、どちらの稽古会に出ても、両方の稽古会に出ても構わないことになっています。)Photo_3
私が簡単に報告したところ、師匠から投稿(返信)がありました。
○昨日の「ん組」の稽古会の報告です。
 →報告、ご苦労さま。
  小生のブログには落語っ子連の稽古は逐次、報告して
  ますが、、、、、。
  ここでは、少々、厳しく、、(笑)やっていきますからね、、、。

○参加者は、大家さんのまど音さんと、窓口さんと流三の3名。
 びす太さんが近くに出没するという噂がありましたが・・。
 →びす太さんは階下で二人会の打ち合わせを必死になって
   やっていたようです、、。

○稽古は、窓口さん「明烏」、流三「藪入り」を、師匠にじっくり
 見ていただきました。

 →この二人の他に、まど絵(まどえ)さんは[火事息子]の大物
  にトライしてますので、稽古も熱が入って当然でしょう、、、。

○ 窓口さんは、次の噺をやりたくてウズウズしているようです。
 →いいことです、、、。
  ところで、窓口さん、、、なにを?

・・・ということで、楽しくやっています。
そうです。
師匠は、ご自身のブログ「圓窓の年月日輪」で、毎日の出来事を綴っていらっしゃいますが、我々素人落語連の稽古風景や、個別のコメントもしてくださっています。
 http://ensou-rakugo.at.webry.info/
びす太さんは、もう一人のメンバーの「窓蕗」さんと、暮れに何かやるそうで、その打ち合わせに来ていたようです。
「ん組」は、「火事息子」「明烏」「薮入り」という、落語の名作・大作にチャレンジしている3人が、毎回汗をかいているという雰囲気です。
落語っ子連「ん組」稽古会ところで、窓口さん・・・・、次は何を・・?

立冬

今日は「立冬」です。Photo_4 Photo_5
昨日まで、暑い日が続いていましたから、信じられない気がします。
今年は、酉の市が3度あるようですから、寒い冬になるのでしょうか?
立冬とは、冬の始まりという意味。
太陽の光が弱まり、冬枯れの景色が目立つようになる。

2011年11月 7日 (月)

浅草お茶の間寄席

月曜日の夜7時台のチバテレビ「浅草お茶の間寄席」。
   ◇ 反対俥     橘家圓蔵
・・・またか、いつものマクラで・・・。

晩秋

自宅の前の大きな銀杏の木。
  晩秋 晩秋
左側が11月3日、右側が11月7日の朝・・・。
少し色が変わって、黄色が濃くなって来た気がします。
明日は「立冬」ですから。

歩き稽古

いよいよ今週末が本番になりました。
     歩き稽古   歩き稽古
今日から歩き稽古を始めようと、上野駅から神田駅まで約25分。
ちょうど「藪入り」が通しで出来ました。
持ち時間の25分ぴったりというか、ギリギリというか・・。
昨日の師匠のアドバイスや新演出も念頭にして、初めて通しました。
当日まては、まだ紆余曲折、ドタバタがありそうです。
上野駅には、暮れの行事の看板が飾られて、何となく慌ただしくなって来ました。

広瀬さんの圓丈評

圓丈師匠のことを広瀬さんがコメントしています。Photo_2
昨年、三遊亭鳳楽に「七代目三遊亭圓生」襲名を賭けての落語対決を挑んで話題となった三遊亭圓丈。彼は新作落語に新たな地平を切り開いた「新作の革命児」である。
1944年生まれ、名古屋出身。
1964年に六代目三遊亭圓生に入門して三遊亭ぬう生、1978年に真打昇進して圓丈。
同年、圓生が落語協会を脱退して落語三遊協会を立ち上げると彼も師と行動を共にしたが、79年に圓生が亡くなったため、1980年に落語協会に復帰している。
この、圓生没から数年間の圓丈の活躍は目覚ましかった。
もともと新作を志して噺家になった圓丈は、協会復帰と前後して、それまでとはケタ違いのペースで傑作を量産するようになり、古典を封印して「新作の教祖」となっていく。
圓丈が革命的だったのは、新作落語を積極的な自己表現の手段として捉えていたことだ。 当時の「新作は邪道だ」という風潮に対抗して「もう古典は通用しない!」と過激に主張する圓丈は、それまでの生ぬるい新作落語のあり方を真っ向から否定した。
圓丈の新作落語は、設定だけ現代に焼き直してウケを取ろうとする消極的な「古典の代替品」ではなく、「従来の落語とはまったく違う独自の世界観を表現する作品」であり、それは小説家が小説を書くのと等価な表現手段だった。
現在、古典と新作は対立するものではなく、互いに補い合う「両輪」として落語の世界を支えている。
面白ければ古典だろうと新作だろうと構わない。1
それが今の落語ファンの考え方だ。
そして本来、落語とはそういうものだったのだ。
マスコミで売れたのは1980年代初頭の数年間だけだが、圓丈が落語史で果たした役割は極めて大きい。
七代目圓生を継がなくとも、「新作の教祖」三遊亭圓丈の名は、落語史に燦然と輝き続けるだろう。
※週刊ポスト2011年10月21日号

落研は、圓丈師匠にもご縁があります。
創部20周年の時、真打昇進・圓丈襲名のお祝いも兼ねて、師匠の三遊亭圓生師匠と仙台に来ていただき、真打昇進火ロア口上をやっていただきました。
あの後、新作のリーダーとして大活躍された訳です。
仙台では「即興詩人」と「下町せんべい」という自作の新作落語をやっていただきました。
とても真面目な噺家さんでした。

上方落語の四天王

産経新聞に上方落語に関する本の紹介記事がありました。Photo_4
上方落語を隆盛に導いた桂米朝ら四天王に焦点を当てた本が出た。
「上方落語の四天王/松鶴・米朝・文枝・春団治」(岩波書店)で、落語に関する本がたくさんあるなか、彼らの十八番を例に挙げてその本質を論じ、読み応えのある内容になっている。
筆者の戸田学氏は長らく落語の世界に接し、これまで「桂米朝集成」(同)などを手がけている。
まずは米朝から書き起こし、「稀代のストーリーテラー・米朝」の落語の品格と格調の高さはどこからきているのか。米朝が一番むずかしい噺という「百年目」や「天狗裁き」などの一部を紹介しながら、セリフを“かぶせる”演出の効果などを解いてゆく。
六代目笑福亭松鶴については、声を“音”としてとらえ、大作「らくだ」などを挙げて大阪弁の言い回しと発音、さらにはセリフの最後にボソリと漏らすひとことに、松鶴落語のおかしさと魅力があるとする。
あの声は絶対まねできないと言われた文枝では「舟弁慶」などを挙げ、春団治では過去に詳細に分析した一冊を出し重複を避けるとして、10の持ちネタの聞きどころを紹介。
各所に、戸田氏の視点と四天王の噺の聴きどころが綴られ、なるほどとうなずかせられる。
最後に、東京落語のスターといわれながら63歳でなくなった古今亭志ん朝が取り上げられている。
そこには大阪を愛し、大阪の人に愛された志ん朝への戸田氏の思いがにじみ出ている。
・・・読んでみようかなぁ。

赤坂「凡」と北千住「O」

突然ですが、柄にもなく、私のご贔屓の店の紹介です。
Photo_5 そもそも下戸な私ですから、「行きつけの飲み屋」なんていう場所はありません。
ここでご紹介する「凡(ぼん)」という、赤坂のTBSの前にあるお店は、かつての上司の行きつけだった店のファミリーが経営しているので、当時の仲間たちと会うのは、いつもこの店に決めているんです。
http://www.hotpepper.jp/strJ000004883/
先週の金曜日も、その当時の上司と同僚5人で行きました。
     
          
気心の知れている店でもあり、寛ぐことが出来ます。
前回行った時に、店の名前を「B」としたところ、店の人から「(乱志さんが)せっかくプログにアップしてくれるんだったら、実名を出してよ」ということでしたので、改めてご紹介という訳です。
毎年6・12月の第一金曜日は、必ずこの店にいます。
最近では、もう少し頻度が多くなっているようです。
こういうお店っていうのも、「行きつけ」というのでしょうか。Photo_6
ということだと、もう1軒、北千住の駅前の路地裏の「O」という焼鳥屋さん。
もう23年ぐらい行っています。1_2
と言っても、一人では絶対に行かず
必ずかつての職場の先輩で、毎月落語にご一緒している「Ⅰさん」と二人です。
ここには、やはり二人で月に一度ぐらいは行くのかなぁ・・。
酒はほんの少々、後は焼鳥と〆の焼きそばが楽しみです。

2011年11月 6日 (日)

稽古の後で

稽古が二人だけだったので、それぞれたっぷりとご指導いただいた後は、師匠と暫く歓談。
まず、「お江戸あおば亭」のプログラムとOB会会報「あおば亭」をお渡ししました。
師匠、暫しプログラムをご覧になって、「今回は、Oさん(愛詩亭朝大師匠のこと)は出ないの?」と。
Oさんは、先輩の愛詩亭朝大師匠で、圓窓師匠とは若い頃からのお付き合いで、最近は、「羽織っ子連・要亭」で「要亭長矢」を名乗って、落語の稽古を始めていますので、師匠からも「OB落語会に出なよ」と、勧められているのです。
私から「そうなんです。まだ出ていただけないんです。」と。
それから、今構想中の「お江戸あおば亭・番外編(仮称)」についてもご報告。
会報「あおば亭」をお見せしたところ、「そりゃあいいことだ」と仰っていただきました。
後は、先日の高幡不動での「香道」の話題で盛り上がりました。
師匠も、大変楽しんだようです。

落語っ子連「ん組」稽古会

落語っ子連「ん組」稽古会
新しいやり方が固まらないまま、また稽古の日を迎えました。
朝起きた布団の上で一通りおさらいをしてみたものの・・?
今日の参加者は二人だけ。
     ◇ 藪入り             三流亭流三
     ◇ 明烏                三流亭窓口
また色々な演出を提案・アドバイスをいただき、やや困惑状態
最近師匠は、愛車を運転して移動する時に、先代の金馬師匠を聴いているそうで、「藪入り」と言えば、「居酒屋」や「佃祭」などと同様に、金馬師匠が"ど真ん中"の噺ですから、かなり詳細なコメントが飛んで来る気もします。
それから、金馬師匠にはない演出の工夫。
今日の稽古で提案された演出は、まず、最初の部分で、亀が書いた手紙を父親の熊が懐に入れている。
次に、後半の亀の財布の中の金額です。
なるほど・・、仰るとおりです。
でも、本番5日前ですから・・。

落語はやおき亭

先日「桂小南治」さんの「菜刀息子」の話題になりましたが、今朝は小南治さんの師匠の「桂小南」師匠です。Photo
   ◇ さんま火事     桂小南
思い出します。
私が大学3年生の時、落研で主催した「古典落語観賞会」に来ていただきました。
いつもにこにこしていて、やさしいおじいちゃんという感じでした。
この時に「菜刀息子」をやっていただいたんです。

タイムスケジュール

素人落語というのは、どうしても長くなるものです。
私も偉そうなことは言えませんが、黙っているといつまでも喋っていますので、一応の時間割を作っておこうという訳です。
「お江戸あおば亭」のタイムスケジュールです。
    0:00  開場
    0:30 開演・ご挨拶 (頓平)     5分
    0:35 ・転失気 (ぴん吉)      15分
    0:50  ・カラオケ病院 (友楽)    20分
    1:10  ・厩火事 (蕪生)         25分
    1:35  ・宿屋の冨 (寝蔵)       30分
    2:05     仲入り            10分   
    2:15 ・六尺棒 (笑児)         15分
    2:30 ・薮入り (乱志)          25分
    2:55 ・らくだ (志ん志)          30分
    3:25 終演
                         プログラム印刷
ほぼ3時30分を目安に・・。
これで3時間、お客さまにご辛抱いただこうという・・・。
お客さまは、この3時間に耐えられるのですから、人生のどんな艱難辛苦も怖くないでしょう。

落語DEデート

今朝は「六代目三遊亭圓生」師匠でした。
     ◇ 花筏      三遊亭圓生
4 私の持ちネタの「花筏」は、圓生師匠の総領弟子の、先代三遊亭圓楽師匠を参考にさせていただいたのですが、随分雰囲気が違います。
圓生師匠は、相撲の親方は上方弁でやっていますが、何となく江戸弁よりも親方らしく聞こえるかもしれません。
やはり全体的にクラシックな語り口調で、圓生師匠にしては短い噺でしょうが、聴き応えがありますよ。
ただ、自分のネタとして考えると・・・、やはり真似できない。
この間と語り口調・・・・、深い・・・。

2011年11月 5日 (土)

ロケット団

漫才の「ロケット団」が真打に昇進するそうです。
新聞記事が出ていました。Photo
漫才協会の若手コンビ、ロケット団の真打ち昇進が決まり、11月29日に東京・浅草公会堂で開催される「第42回漫才大会」で、昇進披露が行われる。
今回真打ち昇進が決まったロケット団は、平成10年に結成された三浦昌朗(37)と、倉本剛(34)のコンビ。時事ネタや三浦の出身の山形県のネタを得意としている。
三浦は「生の舞台が好きなので、生で見て面白かったといわれたい」と話す。
寄席を中心に、年間700回ほど舞台をこなしているが、相方の倉本は「もっと頑張らないといけない」と気合が入る。
漫才協会の真打ちは、昭和47年の青空千夜・一夜にはじまり、昨年のナイツに続き23組目。
同協会の青空球児会長(70)は「デビューしたころからロケット団の2人を見ているが、若い人のなかでは抜けている。Photo_2
さらに大きくなってもらいたい」と激励する。
来月の漫才大会では、アイドルグループ、AKB48の人気にあやかり、「MKG(漫才協会ガールズ)48総選挙」と題して、8月から行われているファン投票で、当日のセンターを決める選挙を行っている。
中間発表では、大ベテランの内海桂子師匠(88)がトップ。
続いて、あした順子師匠(78)が2位と報告された。
会見に内海師匠の姿はなかったが、内海師匠らMKG48は当日、AKB48に似た衣装で登場して踊るといわれ、「見たくないぞ」と“ヤジ”も飛んでいた。(産経新聞)
私も「ロケット団」は好きですね。
しかも寄席を中心に活躍していて、今の変なお笑い芸人たちとは違うところがなおいいですね。
落語芸術協会の寄席に出ている「ナイツ」と、落語協会の出ている「ロケット団」。
相次いで真打に昇進した理由も納得できます。
いつだったか、ある落語会で、開演まで時間があったので、近くの喫茶店で時間を潰していると、その開にゲスト出演する「ロケット団」の倉本さんが一人で入って来て、何かネタ本のようなものを読んでいました。
何か、ひたむきな感じがして、ますます応援しようと思ったことを思い出します。

師匠のコメント

先週の落語っ子連・三流亭の稽古のようすが、師匠のブログにアップされていました。
私の部分だけ・・・。
 させ稽古、流三(りゅうざ)[薮入り]。
  小生の工夫した落ちを演ってみるというので楽しみ。
  [薮入り]の高座本を渡す。
  あ、忘れていた。先日、感想を書いてくれた高座本[救いの腕]
  を彼に贈呈しなくては。
  彼に「淑徳のテキスト、欲しい」と言われ、嬉しかった。
・・・プレッシャー。。。
人情噺当日の三流亭の稽古の様子は・・、
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2011/10/post-64ef.html
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2011/10/post-8ff3.html
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2011/10/post-b32d.html
「救いの腕」の感想・「噺の考察集」への投稿については・・・、
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2011/10/post-15f8.html
「淑徳のテキスト」の高座本については・・・、
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2011/11/post-ca5e.html
・・・色々ありますが、「藪入り」どうしましょう・・・。

印刷完了

「お江戸あおば亭」のプログラムと会報「あおば亭」の印刷完了。
プログラム印刷
とりあえず各60部用意しました。
今回のプログラムの台紙は、ちょっと濃い目の黄色で、やや派手ですが、お許しいただこうと・・。
当日配布するイメージです。
ただ、少し紙質を厚めしましたので、質感があってそれなりに立派だと自画自賛しています。
会報「あおば亭」も、創刊号につき、カラーで印刷しましたので、随分「らしく」なりました。

香道

書物で「香道」について調べてみました。
(体験した後で調べてどうするの・・ですね。)Photo_3
香道とは、一定の作法に基づいて香木をたき、その香りを鑑賞して楽しむ日本の伝統芸能です。
香道では、香りを「嗅ぐ」という表現は使わず、「聞く」といいます。
香元が、点前〔てまえ〕(香をたく一連の動作)をし、その香炉が客の間をまわり、客は香りを味わうというものです。
また、「香りを当てる」というゲーム的要素もあります。
ただし、「香りを当てる」ことが第一目的ではなく、香りそのものを味わい楽しむこと、そして香りによって浮かぶイメージのなかで感性を磨き、自分を高めることを目的としています。
・・・と、先日の高幡不動での聞香の会で、黒須秋桜先生は仰っていたと勝手に思っています。
香道の席(香席)で行われる「組香〔くみこう〕」というものがあります。
組香は、2種類以上の香を使って一つのテーマを表現し、鑑賞するもので、テーマは和歌や古典文学に基づくものです。
客は香りで表現された古典文学の世界を鑑賞し、香りを聞き分ける。
つまり、香道は香りを楽しむことを基本に、香りにまつわる古典的な詩歌や文学作品とも深く結びついていると言えます。
○香炉の扱い方
香炉が自分の所へ回ってきたら、左手の上に水平にのせ、右手で軽く覆い、親指と人差し指の間から香りを聞きます。
○香の聞き方
背筋を伸ばし香炉を傾けないようにし、深く息を吸い込むようにして3回香りを聞きます。これを三息〔さんそく〕と言います。
吸った息は脇へ軽く逃がします。一人があまり長く聞き続けていると末席まで良い香りが保てないので、一人三息は必ず守らなければなりません。
○香席に入る時は、
香木の香りと混ざるため、香水・オーデコロン等匂いのあるものをつけてはいけません。身だしなみとして指輪、時計等もはずして香席へ入ります。服装は、男性はネクタイ着用、女性はスカート着用が好ましい服装です。

伽羅香(聞香の会) 伽羅香(聞香の会)
香道の歴史を紐解くと(バラバラになってしまいますが)・・。
○香道の歴史
今から約1400年前の推古天皇の時代に一本の香木が漂着したのが日本で初めての香木の渡来です。
その後、仏教の伝来とともに香木は日本に伝わり、仏教儀式には欠かせないものとして、香木は発達しました。
8世紀ごろ上流階級の貴族の間で自分の部屋や衣服、頭髪などに香をたきこめる「空薫物(そらだきもの)」の風習が生まれ、その流行に従って薫物合〔たきものあわせ〕という遊びが盛んになりました。
二種類の薫物を調合、その技術や匂いの優劣を競うものでした。
そして、室町時代の華やかな東山文化の下で一定の作法やルールが作られ香道として完成しました。
江戸時代に入り、香道は貴族だけのものではなく、一般の町民・庶民の間にも広まり香道は日本の伝統芸術として確立しました。

朝のホーム

朝の駅のホーム。
          朝のホーム
何気なく「KIOSK」を眺めていて気がついたのですが、駅売りの新聞で一番売れているのは何だろうって・・。
写真で、スタンドに漏斗型に差し込まれてある新聞の中で、最も何重にも重ねられているのが「日本経済新聞」です。
恐らく、この日経新聞が一番売れているのでしょう。
考えてみれば、配達時刻の問題もあって、我が家も家で取っているのは一般紙で、私は駅で日経新聞です。
最近は、長男が生意気にも日経新聞を取っています。
落語とは全く関係ありませんが、新しい一日が始まります。

2011年11月 4日 (金)

菜刀息子

乱志がいつかは演ってみたい噺のひとつが「菜刀息子」です。1
ただ、今までは「桂小南」師匠の専売のような噺で、関西弁で上方を舞台にした音源しかありませんでした。
桂小南治さんが、江戸に置き換えて演っていることを聞いて、いつか聴いてみたいものだと思っている矢先、こんな東京新聞の記事を見つけました。
昨年度の文化庁芸術祭で優秀賞を受賞した桂小南治が躍進を続けている。1_2
受賞作の一つ「そば清」では子どもの頃の逸話で笑わせて、明るさと観客をそらすまいとする力強さを感じさせた。
芸がひとまわり大きくなったと実感。
そして十月二日、東京・お江戸日本橋亭での独演会「桂小南治の二席」で演じた「菜刀息子」では卓越した感情表現でさらなる進歩がみられた。
気の弱さから注文と違う包丁を受け取った息子を父親が叱る。
それが原因で息子は家出。
一年が過ぎ、もう生きてはいないとあきらめた頃に浅草寺で乞食(こじき)となっているのを両親が見つける。
息子がいなくなってからの一日を夜の商売である鍋焼きうどん、朝やってくる豆腐屋といった売り声で表現。
時間の経過が待つ身のつらさを感じさせる。
さらに一年の移り変わりも季節を代表する売り声で表す。
期待が徐々に薄れていき、あきらめとなったことが分かる。
そして春の彼岸に浅草寺で息子と再会。
変わり果てた姿であっても母親は歓喜し、父親は深い愛情を押し隠しながら息子の行く末に心悩ませる。Photo_5
その対比が女親と男親の本質的なありようの違いを表していて印象的だ。
上方落語を師匠桂小南が関東の人間にも分かりやすく演じた作品。
小南治は売り声など細かな部分にも注意を払い、東京が舞台でも違和感のないものとした。この芸の継承もすばらしい。 (布目英一=演芸研究家)

ここで、「父親は深い愛情を押し隠しながら息子の行く末に心悩ませる」ところこそ、父親が「心を鬼にしている」場面なのです。
あぁぁぁ、小南治さんの「菜刀息子」が聴きたい・・・。
【桂小南治】
埼玉県春日部市出身。本名山崎成美。落語芸術協会所属。
出囃子は『琉球節』または『吉原雀』。
父は紙切師2代目林家正楽、弟は同じく紙切師林家二楽。

お江戸あおば亭・番外編?

まだ「お江戸あおば亭」の本編が終わっていないのですが、「番外編構想」があるのです。201002071400000jpg_2
12日の本編の「お江戸あおば亭」は、OB会の総会の前に開催するために、一般のお客さまには、あまり大々的にご案内していません。
会長の蕪生師匠から、「今回来ていただけなかったご贔屓の方々に申し訳ないから、同じ番組でもいいから、番外編を考えている」というお話がありました。
蕪生師匠は、何か別のご趣向もお考えのようで、何となくお聞きしていますが、異議があろうはずがありません。Photo_4
先日、笑児さんと会った時にも話題になったのですが、既に我々二人は「ファイティングポーズ」を取っています。
「お江戸あおば亭」を定期公演化しようという構想もあり、それが春(5月)と秋(11月)頃のイメージですから、この「番外編」をやらせてもらうとすれば、来年の1〜2月あたりでしょう。
「蕪生師匠、是非やりましょう!」と言いました。
自主的な公演ですから、OBだけでなく、別のグループの方にも出演していただくなんていうのもありでしょう。いずれは・・。
・・・となると、さあ何を演ろうか・・・。
震災後1年近くになりますから、師匠にお願いをして「ゆれるとき」をお許しいただこうか・・・。

広瀬さんのきつつき評

広瀬さんの評論も、だんだん若手になって来ました。
今回は「三遊亭きつつき」さん。
前座の頃から元気な噺家さんで、私も印象に残っています。
圓楽党の逸材、三遊亭きつつき。
このところ僕が熱心に追いかけるようになった若手だ。
1979年生まれ、2003年に三遊亭圓橘に入門して前座名「橘つき」、2006年に二ツ目昇進して「きつつき」と改名。
2007年にさがみはら若手落語家選手権で優勝している。
師匠の圓橘は、堅実な芸風で知られる古典の名手。
元は三代目三遊亭小圓朝の弟子で、師の没後、五代目圓楽一門に移り、鳳楽・楽太郎(現六代目圓楽)・好楽らと共に「圓楽党の四天王」と称された。
その圓橘に入門したくらいだから、きつつきも堅実な芸風かというと、さにあらず。
エネルギッシュな高座が魅力の、奔放な爆笑派だ。
古典のテクニックは粗削りだが、とにかく面白い! 
このまま伸びれば間違いなく現代落語界の最前線で活躍することになる器だ。
きつつきは、「自分の落語の確立」に向かってガムシャラに突き進んでいる。
彼の最大の長所は、落語の面白さをとことん追究するアグレッシヴな姿勢だ。
自分の世界をしっかり築き、それを全力投球で観客にぶつける。
それが出来なければ、自分が落語家である意味が無い……そんな覚悟が高座から伝わってくる。
僕がハッキリと「きつつきは逸材だ!」と認識したのは、ある落語会で『長短』と『棒鱈』を立て続けに観たときだ。
極端に気が長い男(長七)と気が短い男(短七)の会話だけで成り立つ『長短』は、ヘタな演者だとわざとらしさが鼻について全然笑えないが、きつつきは長七と短七の口調が実に自然で、だからこそ両者の対比が際立って新鮮に笑えたし、最後に短七の女房が出てくる独創的な演出にも意表を突かれた。
田舎侍と江戸っ子が喧嘩する『棒鱈』もまた演者を選ぶ難しい噺だが、きつつきは全編オリジナリティ溢れる演出で爆笑を誘う。
田舎者の芸者を登場させる『棒鱈』なんて初めて観たが、それは決して小手先のギャグではなく、きちんと噺の本質を踏まえたうえでの「型破り」なのである。
だからこそ素晴らしい。
※週刊ポスト2011年11月4日号

そういえば、昨年9月の「学士会落語会創立5周年会員落語会」の時に、ゲストが圓橘師匠だったので、きつつきさんが付き人で来ていました。

2011年11月 3日 (木)

伽羅香(めいぼくこう)

初めての香道体験。
師匠も参加して、静かな雰囲気で始まります。
香道は、香りを通して真の自己を見出す芸道といわれているそうです。
伽羅香(聞香の会)
どうやら、一定のルールのもと、香炉の香木の香りを聞き(匂いをかぐことを聞くというそうです)、様々なことを思いめぐらせたり、自分なりのストーリーをイメージしたり、香の組み合わせを当てたりするもののようです。(違っていたらすみません。)
千早亭で一緒に稽古している早千さん(香道では別のお名前です)が、香元になって、進めて行きます。
何とも優雅な所作です。
時間のたつのを忘れるというか、時間がかかるというか、2時頃から始めて、先生の説明もありましたが、気がつくと4時30分を過ぎていました。
それがまたよいということですね。
                     伽羅香(聞香の会)
最後に、お見事な手による、本日の「香記(会記)」を拝見しましたが、これにも様々な思いや工夫がちりばめられていて、「うわぁぁ、日本人なんだ」と感じました。Photo_2
大変貴重な、とても不思議な体験でした。
終わった後も、何気なく息をした時に、ふと香の香りがする気がしました。
←クリックすると拡大します。
  右端に圓窓師匠の名前、中ほどに私の名前も見えます。

落語と聞香の会

落語と聞香(もんこう)のコラボの会。
     落語と聞香の会  落語と聞香の会
香道との初めての出会い。
まずは師匠の落語からはじまりです。
  ◆ 伽羅の下駄      三遊亭圓窓
仙台藩の殿さまが出て来るのも、このストーリーでは当然かもしれません。
派手な着物といえば伊達者の代名詞ですから。
     落語と聞香の会  
なかなかダイナミックな噺です。
会場約50人のお客さんからも大きな笑いが起こります。
私は・・・、先日の稽古で師匠からアドバイスされた、正面の切り方とマクラの上下の付け方、身体が傾かないようにするためのコツをつかむべく、師匠を凝視していました。
・・なるほど。

高幡不動

曇り空にも拘わらず、高幡不動は賑やかです。
   高幡不動   高幡不動
七五三と菊祭りで参拝客も多く、晴着と菊の花とで華やかな雰囲気です。
ずっと昔、京王線の沿線に住んでいたことがあり、一度初詣に来て、破魔矢を求めた記憶があります。
いつ来ても、開放感のある、それでいて奥行きも感じるという、とても素敵な?お寺です。
師匠の落語と香道とのコラボの鑑賞に来たのですが、会場をしっかり聞くのを忘れていました。
売店と寺務所で訊いてもはっきりしないので困っていると、大輪の菊が飾られている場所を通ったところに、日野市のイベントのチラシを配っている人がいたので助かりました。
本堂の後方奥の信徒会館の3階だとわかりました。
■日野宿楽市楽座文化講座<聞香と落語の会>
三遊亭圓窓師匠の落語「伽羅の下駄」をお聞きいただき、その後で、黒須秋桜先生のご指導で初めての方でもお香を楽しく体験していただけます。
  開催時間:午後1時~午後5時
  会 費  :2,500円
  場 所  :客殿
  定 員  :60名(要事前申込・先着順)

伊原寛さんの訃報

驚きました。1
伊原寛氏 76歳(いはら・ひろし=操り人形師)
11月1日死去。
告別式は近親者で行う。喪主は妻、千寿子さん。
1961年に、妻の千寿子さんと操り人形グループ「ニューマリオネット」を結成。安来節、花笠音頭などの音楽に合わせて複数の人形をコミカルに操り、寄席の色物として活躍した。

そうですよ。あの「ニューマリオネット」の伊原さんが・・・。2
操り人形を文字通り巧みに操り、あの花笠音頭や安来節のドジョウすくいや小原庄助さんのような酔っ払いや・・・。
子どもの頃からテレビで見て、長じてから寄席で見て癒される、童心に戻ることが出来る、素晴らしい「芸」でした。3
最近は、奥さんの方が、随分歳とったなぁと思っていましたが、まさかご主人が、こんなに早く逝ってしまわれるとは・・・。
寄席にぴったりの、寄席ならではの芸人さんが、また一人旅立たれてしまいました。
合掌・・・。

師匠の高座本

師匠のブログを拝見していたら、淑徳大学の池袋サテライトキャンパスでの講座「落語の201103061920001中の江戸」というのがありました。
今回が2度目だそうで、「唐茄子屋」をお演りになったそうです。
 高座本を活用して、この講座用のテキストを
 拵えた。
 購入してもらった。
 題して、淑徳大学 池袋サテライトキャンパス
 「江戸の春夏秋冬」合本。
 [百年目][唐茄子屋][釜泥][火事息子]の
 4席を掲載した。

先日の稽古の時に、「師匠、その高座本を私にも譲ってください。」
・・ということで、次回いただけることになりました。
へへへ・・、いつか演ってやる・・・。

破れ家笑児さん

落研時代の仲間の「破れ家笑児」さん。
これまた「落語狂」でもう大変。
Photo_9先日の「大手町落語会」では、ご夫妻で仲良くご一緒でした。
会場では会えなかったのですが、帰りに東京駅近くでバッタリと会い、奥様にご挨拶。
「ご主人を時々お借りいたしますので、よろしくお願いします。」
・・一方の乱志は、一人で寂しく帰り道。 えらい違い。
笑児さんも、もう一つ高座名を持っています。
「花伝亭上の空(うわのそら)」というのがもう一つの名前です。
確か、似顔絵の入った「上の空名刺」を持っていましたよ。
彼も色々なところで落語をやっていて、最近は新宿の「芸能花伝舎」で、腕を磨いているそうです。
この教室は、落語芸術協会の噺家さんたちのローテーション指導による落語教室で、笑児さんはその第15期生だったとか。
調べてみると、今は第17期生が稽古をしているようです。
http://www.geidankyo.or.jp/12kaden/05ivent/pdf/rakugo17.pdf
笑児さんは、恐らく初級からさらに上級のクラスに行っているのかもしれません。
大変刺激になります。
この落語教室の初級コースの内容は以下のとおりです。
 【コース】  初級:全8回
 【日程】   第17期:全日程木曜日
        ①9/29②10/6③10/20[新宿末廣亭鑑賞日]④10/27 
        
⑤11/10⑥11/24⑦12/1⑧12/8[発表会] (全8回)
 【時間】   昼の部:14:00~ 夜の部:18:45~
 【講師】   (社)落語芸術協会所属の噺家
          山遊亭金太郎・桂小文治・桂小南治・春風亭柳橋・
          三遊亭遊之介・桂平治・桂右團治・三遊亭圓馬・
          桂米福・三遊亭遊雀・三遊亭遊馬・橘ノ円満
       ※講師はローテーションで
 【参加費】  20,000円[税込]
       ※教材用CD代/扇子・手ぬぐい代/末広亭鑑賞代含む

最近は、素人で落語にチャレンジする人が増えています。
特に女性の進出は目覚しいものがあります。
私が圓窓師匠からご指導いただいている「落語っ子連」でも「扇子っ子連」でも、半分以上が女性です。
プロ噺家さんが指導してくださる落語教室や同好会も数多くあり、毎日のように素人落語家が誕生して、「落語中毒」に罹っているという訳ですね。
まことにどうも、ご愁傷さまで・・・。・・・てへ。

心を鬼にする

唐突ですが、人生の行きがかり上、「心を鬼」にしなければいけない局面があります。
「心を鬼にする」というのは、相手のためを思い、わざと関係ない態度をとること。もっと進んで、(相手のためを思って)意識的に非情な態度をとること。
正面から言(行)ったら、片方立てれば片方立たずになり、収拾がつかなくなることがあります。
そんな時、心を鬼のようにして、自らがあえて「悪者」になる。
もしかすると、それが真実の姿だと誤解され、幻滅され、遂には嫌われてしまうかもしれませんが、義理が重たい男の世界では、じっと涙を飲んで我慢しなければ・・。
なんてことが、時々ある気がします。
これが実につらい。友人を失うこともある。
自分の本音を隠して、非情で冷酷な態度をとる。
それから、「男づく女づくの間柄(男女それぞれに立場があり、惹かれ合いつつも意地や体51lsix7lg2l__sl500_aa240_面を立て通さねば成らぬ関係)」で、相手のために引く時なども、心を鬼にしなければいけないことがあるでしょう。
そういう生き方があっても良いと思うのですが、もう今時古いですかね。
でも、そんな不器用な人間を、いつか演じてみたいなぁと、突然思いました。
昨日ウォークマンで桂小南師匠の「菜刀息子」を聴いて帰ったからでしょうか。

義母の命日

今日は義母の命日です。
11年前、享年72歳でした。
数年前から体調を崩して、入退院を繰り返していました。
長女が中2で長男が小6でした。
Img_2午前中、浅草に行き、闘病中の義母の回復を祈った後、長男と二人で近所の床屋に入った途端、介護に帰っていた家内から携帯に「たった今息を引き取った」と電話。
床屋のご主人に「ごめんなさい。実は・・・」と、そのまま出て実家に向かいました。
その後、行きつけの床屋さんですから、折に触れてその時のことが話題になります。
その長男も、今年大学を卒業して就職しました。
この間は、会社の研修の一環とかで、被災地にボランティアに行って来ました。
親父が青春を過ごした地方を、恐らくまだ瓦礫が残っている街を見て、彼も、人として何かを感じてくれたことでしょう。
こうやって、親から子、子から孫へと連綿と繋げて行くことの尊さを、義母を偲びながら考えようと思います。

ささやかですが、義母のための仏壇に花を飾りました。
宗旨は違いますが、今日は高幡不動に行きますから、謹んで手を合わせて来ようと思います。
                     私の御朱印帳
写真は、平成12年11月3日の「金龍山浅草寺」の御朱印です。
義母が亡くなった、まさにその当日にいただいたものです。
真ん中は「聖観音」とあります。
祈りも届かず、義母はこの日に天寿を全うしましたが、これを見るたびに、在りし日のことを思い出します。
私の御朱印帳
この御朱印は、義母の葬儀を終えた直後の11月6日に、「身延山久遠寺」でいただいたものです。
「妙法」と力強く書かれた墨書が印象的で、宗旨の総本山で義母の冥福を祈ったものでした。
そういえば、義母の実家は「鰍沢」でした。

2011年11月 2日 (水)

イイノホール

待望?の霞が関のイイノビルが竣工して、「イイノホール」も復活オープンしました。
   イイノホール    イイノホール
それにしても立派なビルで、イイノホールには1階ロビーから直接エスカレーターで上がれます。
イイノホール
今夜は「全日空寄席」をやっていました。
                                       イイノホール
「東京落語会」も戻って来て欲しいと思います。

市川市「還暦式」

先日、千葉県市川市で、「還暦式」というイベントが開催されたそうです。
Photo 落語っ子連の三流亭窓口さんが文字通りの窓口になって、この大イベントに、師匠が講演と落語をおやりになったそうです。
窓口さんによれば、大変盛況だったそうで、師匠も手応えを感じておられたようです。Photo_2
当日の高座での演題は「つる」だったそうで、師匠はこの噺の「何故?どうして?」というメッセージを、多くの還暦を迎えられた方々に送りたかったと、稽古日の時に仰っていました。

歩き稽古

そろそろ「藪入り」の歩き稽古を始めなくてはいけません。
ちょうど10日後が本番になりました。
「さぁ今朝から!」と、一旦は意気込みましたが、「明日は休みだし、今朝はちょっと寒いから、休み明けから頑張ろう。」・・。
トホホな意気込みです。

歴史人・江戸の暮らし大全

江戸ブームの中で、もはや特に珍しいものではありませんが、落語を演ずる上で色々参考になりそうな本(雑誌)を見つけました。Photo_3
「歴史人・江戸の暮らし大全」という雑誌です。
長屋や風俗や商売、地理など、落語の舞台のイメージ作りには、とてもいい資料です。
●江戸の暮らし大全
 ◇大江戸八百八町の誕生と歴史 
   天正18年(1590)徳川家康が城下町建築
   
に着手して以来、江戸の町はときに大火事
   や災害に襲われながらも成長、拡大を続け
   ついに人口100万人を超える世界有数の大都市になった。
   それは偶然ではなく、周到な都市計画に基づいたものだった。
   どのように大江戸が改造されてきたのか、その変遷を追う。
 ◇大江戸八百八町 町屋・長屋を歩く 
   徳川家康が江戸に入城すると江戸の町は次第に広がり、100
   万人を超える大都市へと発展した。
   しかし人口の半分以上は質素な長屋暮らしだった。
   6畳ひと間に家族4人は当たり前、トイレと井戸は共同。
   貧しいながらも人情あふれる長屋暮らしはどのようなものだった
   のか?
 ◇江戸の湯屋を完全CG再現!
   庶民から裕福な商人、武士までもが通い、町の一大社交場と
   なっていった。 
 ◇江戸の商い図鑑  
   100万人が暮らす一大消費都市・江戸を支えていたのは、
   「士農工商」の最も下級層にあるさまざまな商人たちだった。
   江戸一の大商店から腕1本で勝負した商人までその商いの
   実態に迫る。
 ◇江戸の庶民の食事処「屋台見世」で売られた庶民の物図鑑
 ◇江戸を犯罪から守った!町奉行所、与力・同心、牢屋敷の実態
 ◇下級武士の生活事情  
   週休5日!? 年収100万円!? 家庭菜園や内職をやりくり
   して質素に生きた
 ◇潜入! 吉原と花魁の世界を覗く
 ◇水運都市・江戸の水上交通と渡しを完全解剖
 ◇宿場町の機能と江戸四宿

・・・・と、なかなかのものです。
これで定価680円はコストパフォーマンス良好です。

お祭り佐七

先日の「ラジオ寄席」で聴いた「お祭り佐七」という噺。
久留米の藩士であった飯島佐七郎は、あまりにいい男だったので女達が騒ぎ、そのねたみから城を追い出され、親からも勘当される。
江戸の火消でめ組の鳶頭(かしら)、清五郎を父が世話をしていた縁から、ここの居候となり、火消になろうとする。2
この佐七郎が木遣りがうまく、男前でもあったので、祭となると方々から声が掛かる。
どこの祭でも彼の姿が見えたことから「お祭佐七」と呼ばれるようになった。
さて、若い衆が品川へ遊びに行ったが代金が払えず、佐七が居残りとなった。
朝早く、若い者が雑巾掛けをしているのを見ると、三十間もあろうという廊下をあざやかに拭く。
これを見た佐七が、「見事であっても、お前達は自然に任せているだけだ。術を加えたならば、一層みごとに参ろうから」と雑巾を奪ってやってみると、これがまた実にみごとに拭き、女郎達までが称賛する。
これを繰り返すうちに、見世に人がいない折を見計らって逃げ出してきてしまう。
4この話を聞いて呆れる鳶頭に、若い者達が佐七を若い者に加えるように願い出る。
いい男だが力もあるというのだ。
越前屋という米屋に四紋竜という仇名をつけられた力自慢がいて、これと佐七が喧嘩をしたというのだ。
佐七が四紋竜を肩へかついで投げると、目の前の金物屋を通り越して、砂糖屋の店先に積んである砂糖にすぱッと入った。Photo_4
見物人が、「やァ、砂糖漬けになったとは、甘え野郎だ」と声を上げたというのだ。
「気を失った四紋竜を引きずり出して、若旦那、えいッと鯖(さば)ァ入れたんです」
「何だ鯖ってェのは?」
「鰹だろう」
「ああ、そうそう、鰹ゥ……えへへ、昨日食った鮭ァまずかった……」
「それは活を入れたてんだろう」
「そうそう、若旦那がそう言ったよ。『野郎をかついだときに、金物屋へ放り込もうと思ったが、あそこじゃァとんがった物があって顔でも破くといけねえから、むこうの砂糖へ放り込んだ。相手が乱暴な野郎だから、砂糖漬けにしたのは正当(精糖)防衛だ』って」
「何を言ってるんだい」
・・・これが「お祭り佐七」の発端です。

2011年11月 1日 (火)

プログラム一部手直し

昨日完成させた「お江戸あおば亭」のプログラムですが、暇にまかせて?一部手直しをしました。
一部見直し
表紙の部分も、左側がビフォー・右側がアフターです。
中もレイアウトのバランスや折り目との調整をして、いくらかマシになった気がします。
ご来場される方々に、噺だけでなく、プログラムや雰囲気でも良い印象を持っていただけるように・・・。

新宿西口夕景

新宿西口夕景
仕事で新宿に行きました。
夕方、新宿駅に来てみると、震災後真っ暗だった交番近くの地下通路にも"光"が戻っていました。
これから家路に急ぐ人で混雑する直前の、いつも通りの平和な夕まぐれのひとときでした。
あと半時で「暮れ六つ」で、「救いの腕」の善吉が、女房のお香の待つ長屋に帰って来るんです。
何か工夫して新しいことを始めてみる。
パーフェクトは駄目、どこか欠けているところがないと、物事は丸く治まらない。
人の気持ちって難しいものです。

乱志の独り言・・・

私も、幼い頃からお喋りな方でしたから、普通の人よりかなり口数は多かった(多い)と思います。
長じて、「お前の欠点は、他人の話を聞かないで、自分ばかり喋ることだよ。」と、よく友人などから言われました。
恐らく、短気で人の話を聞くのが苦手で、ついついお喋りが過ぎるのは、今も変わらないと思います。
ただ、人の話に割り込んだり、人の話の腰を折ったりしないようには、一応は気をつけているつもりなのです。
人が心を込めて話し始めたのを邪魔されるぐらい、不愉快で・無礼で・大人げないことはありませんからねぇぇ・・。Rimg0033
ところで、最近になって、落語というのは、一人で複数の人物を演じますから、他人から話の腰を折られることがないことに気がつきました。
これって、なかなか良いですね。
他人の気分を害することはない。
それよりも何よりも、自分が喋りたい分だけ喋ることが出来る・・・。
やはり、私は落語がなくては生きて行かれないのかもしれません。

愛詩亭朝大・愛子亭朝大師匠

東大落語会に「愛亭朝大」師匠、わが落研に「愛亭朝大」師匠がいらっしゃいます。
愛詩亭朝大師匠と
いずれも「あいしてい ちょうだい」と読む高座名です。
当然お二人はご面識はありませんが、ほぼ同年輩のようです。
このお二人が、先日の「東大落語会寄席」で名乗り合ったそうです。
今般、わが朝大師匠も「学士会落語会」に入会されたそうですから、「朝大」師匠が二人になります。
最近のわが朝大師匠の落語活動には物凄いものがあり、プロ・素人の寄席・落語会に頻繁に通われるだけでなく、要亭の女性メンバーの方々とも楽しく交流されているようです。

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