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2011年10月

2011年10月31日 (月)

浅草お茶の間寄席

早く帰った月曜日の楽しみ。
ローカルテレビ局の番組「浅草お茶の間寄席」。
  ◇ からぬけ    三遊亭歌る多
  ◇ 音曲風呂    春風亭栄枝
栄枝師匠は、師匠が八代目春風亭柳枝師匠ですから、圓窓師匠の兄弟子になるんですね。
柳枝師匠の没後に、栄枝師匠は八代目林家正蔵師匠、圓窓師匠は六代目三遊亭圓生師匠の門下になったのです。
「音曲風呂」という噺もあまり聴きませんが・・、まぁこんな噺ですね。

神無月の落語徘徊

10月もあっという間に過ぎてしまいます。
Photo何かあったかなぁ・・、今月は体調が悪く、ずっと疲れていました。
周囲の方々には、かなりご迷惑をおかけしたかもしれません。
寄席・落語会は素人落語会も含めて以下のとおりでした。
  ◇  2日    千早亭落語会
  ◇ 14日    東京落語会
  ◇ 15日    朝日名人会
  ◇ 25日    人形町らくだ亭  
  ◇ 29日    東大落語会寄席
  ◇ 29日    大手町落語会 
   ・・・楽しいですねぇぇ。
   大手町落語会 人形町らくだ亭
   日経ホール         日本橋劇場
     朝日名人会  東京落語会
2日の「第二回 扇子っ子連・千早亭落語会」は大盛況でした。
そして、私の「救いの腕」も、今後の自信と参考になるものでした。
前半 前半 前半
前半 前半 
落研のOB会の活動は、8日に「落語の舞台を歩く会」があり、雑司が谷から早稲田方面を散策しました。
会報「あおば亭」原案
また、来月のOB会総会に向けて、総会の準備・お江戸あおば亭の準備・会報「あおば亭」の準備等、かなり忙しい1ヶ月でした。
来月は、いよいよ総会とOB落語会です。Photo_2
最後の準備をしっかりやりたいと思います。
あ、それから、某大学の生涯学習講座の韓国語の先生からの落語オファーもあり、これの準備も楽しみです。
ますます充実の落語ライフになりそうです。

「お江戸あおば亭」プログラム

「お江戸あおば亭」のプログラム
来月12日の「お江戸あおば亭」のプログラムが完成しました。
会報やチラシとイメージを合わせていますから、相変わらずで、目新しさはありません。
が、今回の新趣向は、表紙をめくって広げると・・。
後は、当日のお楽しみです。
さあ、暫くは、「お江戸あおば亭」と「藪入り」の話題ばかりになりますよ。

東京かわら版

今年ももう11月ですね。

落語界は相変わらず賑やかで、大変結構でげすねぇ。
もう来春の落語会の案内もチラホラ・・・。
最近は、発表会やOB会活動が忙しくて、記事をじっくり読んだり、落語会のチェックなどがなかなか出来ないでいます。
そんな中で、11月19日に北海道大学落研OB会「東京苦楽亭迷人会」が、いつもの「両国亭」で開催されるのだけはチェックしました。
が、今年は行くことが出来そうにありません。
東大は「東大落語界寄席」、北大は「苦楽亭迷人会」・・・。
我々の「お江戸あおば亭」も、負けずに頑張らないと。

落研卒業

「お江戸あおば亭」で「薮入り」を演らせていただくに際しては、ある重い「思い」があります。
その「思い」とは、落研を卒業するための「追試験」だということです。
私は、大学は、成績優秀で卒業した人と一緒に、何とか卒業することが出来ましたが、実は、落研の卒業試験に失敗して、未だに卒業できないでいると思っているのです。
以前にも申し上げているのですが、また説明しましょう。Imgp0853_2
「落研卒業」というのは、落語が上達したから、ここで晴れて落研を卒業して離れてしまおうという意味ではありません。
私は、3△年前に法学部は卒業しましたが、落研は"落第"していて、卒業出来ていないのです。
というのも、4年生最後の「追い出し発表会」のトリで「藪入り」を演り、大失態を演じてしまったのです。
ですから、それが未だにトラウマになっていて、落研の現役は、あの瞬間に止まったままになっています。
Imgp0778今回、その長い時を経て、再度「卒業試験」に臨むことに決め、「藪入り」にチャレンジすることにしました。
この「薮入り」がうまく出来て初めて、リベンジが出来、現役を卒業して名実ともにOBの仲間入りが出来るという訳なんです。
ですから、それでやっと一人前のOBになって、先輩の皆さんに追い付けるんだと思っています。
私の「藪」の中にいるのは、"蛇"ではなくて、"虎"と"馬"だったんだという訳です。
今、「お江戸あおば亭」を2週間後に控えて、複雑な思いで稽古をしています。

2011年10月30日 (日)

爛漫ラジオ寄席

今夜は「六代目三遊亭圓生」特集でした。
  ◇ お祭り佐七     三遊亭圓生
  ◇ 三十石        三遊亭圓生
今、こういう噺家さんはいませんね。
「お祭り佐七」という噺は、圓生師匠でしか聴きません。
「三十石」も、もとは上方噺ですが、十八番だったはずです。
今夜のネタの選定は、かなりマニアックでした。

人情噺

師匠が、「流三さん、人情噺を演るんだったらね・・・・」
人情噺
・・と、私の「薮入り」を聴いて、話してくださいました。
人情噺をするには、正面を向いて、形を崩さず、マクラは眼の表情だけで語らなくてはならない。
日本古来の着物を着ているのだから、着物の美しさを見せるつもりで演ることも大事だ。
片方の肩が落ちたり、着物の裾が乱れたりしてはいけない。
顔は真っ直ぐなまま、左右に振る。
台詞の間に、きょろきょろ上下を振ってはいけない。  ・・等々。
私は今まで、マクラを語る時は、会場を見まわすように心掛けていたのですが、師匠は、それでは駄目だと仰います。
確かに、師匠のご指導で、マクラでもメリハリや抑揚をつけて語ると、左右に首を振ると、観客が混乱してしまうかもしれません。
それに、本題に入っても、余計な左右の動きを作ってはいけないということです。2011072222100001
それが「正面を切る」ということなのでしょう。
その言葉を心がけて「薮入り」を演ってみると、「うん、かなり良くなって来た。分かりやすくて上品になった。それで人情噺が生きて来るんだよ」と。
・・・今日は、単なる噺のオチだけでなく、もっと大切なことを学んだ気がします。
そして、師匠から正式に「人情噺を演っていいよ」と言われた瞬間でもあった気がします。
大変自分勝手な解釈ですが・・・。

藪入り

前回、というか千早亭の稽古で、師匠からアドバイスされたオチの変更案が"却下"され、師匠バージョンを口頭でヒントとしていただいたので、基本的にその線で、自分なりに組み立てました。
         藪入り
・・と、その前に、師匠が高座本を持って来てくださいました。
「師匠、ありがとうございます。今日はとりあえず自分で作って来ましたので、それで演らせていただきます。その前にちょっと高座本を読ませていただきます。」と師匠に。
チラッと読んでみると、師匠のは、師匠らしくとても緻密なストーリーに組み立てられています。
という訳で、後で私が考えたのと合わせることにして、とりあえず私のバージョンで聴いていただくことにしました。
一通り演った後、基本的な組み立て・構成やオチについては、師匠から「うん、それでいいよ」と言っていただけました。
人情味あふれるこの噺を、「チュウ」などという地口オチにせず、最後まで人の心を語るようにするという目的は、これで何とか実現させることが出来そうです。
師匠からは、最初の部分のおかみさんの台詞、熊さんの独白の部分の視線と位置関係など、アドバイスをいただきました。
「大丈夫。11月12日の"あおば亭"まで十分間に合うよ」と、コメントを締めくくっていただきました。
安心した半面、今日も稽古後は疲労困憊・・・。
新しいオチは、その日に披露させていただくことにしましょう。

三流亭「へ組」稽古会

今日は、「へ組」の稽古会にも参加させていただきました。
というのも、「薮入り」の噺を固めなくてはいけませんから。
もうあと2週間しかありません。
          稽古会  稽古会
今日は「へ組」の稽古日ですが、参加者は4名。
  ◇ 薮入り      三流亭流三
  ◇ 猫の茶碗    三流亭まど深
  ◇ 火事息子    三流亭まど絵
そして、稽古場オーナーでもある三流亭まど音さん。
気がつけば、今日の稽古は私が黒一点でした。
まど深さんは仕事が忙しく組も違うので、久しぶりにお会いしました。
始まる前に暫く師匠と二人きりだったので、今日も色々な話をお聞きすることが出来ました。
昨日の「東大落語会寄席」の話題になると、師匠が東大OBの春風亭昇吉さんに「甲府ぃ」の稽古をつけた話をしてくださいました。
古典もしっかりやりたいと言っていたそうですが、「それならなんで昇太のところに入門したんだろう」って、首をかしげていました。
今日の「させ稽古」は3人だけだったので、とても充実していました。

門前仲町界隈

午後は天気が下り坂になるとの天気予報が信じられない好天。
    門前仲町界隈
深川不動の表参道も、七五三シーズンで賑わい始めたところです。
今日は「へ組」の稽古日ですが、門前仲町にやって来ました。
師匠の「薮入り」の高座本をいただくことになっているので。
あと2週間後に迫った「お江戸あおば亭」で・・・。
一応、自分なりに新しいストーリーとオチを仕込んだつもりですから、緊張もしつつ。
今日も良い稽古になりますように。

落語はやおき亭

しっかりと続いて起きていられます。
  ◇ 祇園祭     三遊亭兼好
兼好さん、圓楽一門会で最も上手い・面白いと思います。
後は、好みの問題です。
江戸前の落語ではないかもしれない・・・。

桂友楽師匠から

昨日の朝、仙台の「桂友楽」師匠から電話がありました。
友楽師匠は、インターネットをおやりではありませんから、伝達や連絡は電話か手紙です。
Cahikc26何ともアナログなところが、八代目桂文楽師匠の名前弟子らしいところであります。
友楽師匠は、仙台で、落語を中心に様々な活動をしていらっしゃる方で、昨日の電話も落語のことでした。
地元仙台のカルチャーセンターを経営している知人から、落語の高座、じゃなくて講座を持ってもらえないかという申し出を受けたとか。
それで、東京の落語教室やカルチャーセンターの様子が訊きたいということで。
私がお世話になっている圓窓師匠の素人落語連の様子、蕪生・笑児両師匠が通っている花伝舎の落語教室などの話をしました。
いよいよ「桂友楽の落語教室」が始まりますか・・・。

落語DEデート

今日も起きられました。
  ◇ ろくろっ首     二代目三遊亭円歌
当代圓歌師匠の師匠です。
なんて言うのかなぁ、昔の噺家さんはこうなんだという感じ。

2011年10月29日 (土)

大手町落語会

本郷の東大から大手町の日経ホールへ。
   大手町落語会
とても魅力的な番組だと思ったのですが、客席にはやや空席が目立ちました。
  ◆ 権助提灯     古今亭菊六
  ◆ お血脈       桂平治
  ◆ 宿屋の仇討    柳家権太楼
  ◆ 五人廻し      柳家喜多八
  ◆ 妾馬        五街道雲助
         大手町落語会
しかし・・・、菊六さんは上手い!
あの声と、あの語り口が恨めしいほど。
権太楼師匠も褒めていました。
番組では、平治-権太楼と並べたのは・・・「?」。
ここのところの疲労ゆえか、何となく気分がすぐれないままでした。

本郷三丁目

本郷といえば「かねやす」でしょう。
      本郷三丁目
本郷も  かねやすまでは 江戸のうち・・・・
ここまでが江戸だった訳で、江戸の街の北限ですよ。
この先の東大あたりは、江戸ではなく、豊島村の在だった訳です。
その「かねやす」という店がまだあるのが嬉しいですよ。

東大落語会寄席

ちょうと正午、いよいよ「東大落語会寄席」の開演です。
  東大落語会寄席 東大落語会寄席
会場が広いからか、やや聴き取りづらい出囃子に乗って登場です。
最初の「愛子亭朝大」師匠は、「浮世床」の本と夢の部分をお演りになりました。
昨年の「学士会落語会創立5周年記念会員落語会」で「粗忽長屋」をお演りになった方です。
また今回も、オチの後に足が痺れて立てず、会場から苦笑を買っていました。
次は、「春風亭目留変」師匠の「目黒のさんま」。
初めてお聴きしましたが、大変分かりやすい口調で、ご本人も楽しげで、とても明るい高座でした。
そして、「森ヶ家二八」師匠の「らくだ」です。
さすがに、風格があり、お酒を飲むシーンでは会場から拍手が・・・。
やはり「学士会落語会」でお世話になっており、落語への取り組み姿勢は、物凄く真面目な方で、大変尊敬しています。
(あ、多楽師匠も同じです。
学士会落語会のスタート直後に、「岸柳島」を聴かせていただいたことがあり、印象に残っています。
  東大落語会寄席    東大落語会寄席
・・・この後、大変残念ながら、会場を後にしましたが、来年は最後まで拝見することにしたいと思います。
それでも、とても刺激になりました。
  愛詩亭朝大師匠と 愛詩亭朝大師匠と
聴けなかった分も含めて、本日のプログラムをご披露しておきます。
 ◇ 浮世床        愛子亭朝大(あいしていちょうだい)
 ◇ 目黒のさんま    春風家目留変
(はるかぜやめるへん)
 ◇ らくだ         森ヶ家二八
(もりかけにはち)
 ◇ たけのこ        春風亭昇吉
 ◇ 火焔太鼓           美々庵利息伊
(びびあんりい)
 ◇ 大工調べ           風呂家さん助
(ふろやさんすけ)
 ◇ 堀の内            信加亭艶満
(しんかていえんまん)
 ◇ 宿屋の仇討ち       宮亭大奥
(みやていおおおく)
 ◇ はてなの茶碗        和朗亭南坊
(わろうていなんぼう)
 ◇ つぼ算            於家馬亜
(おやまあ)
 ◇ 粗忽の釘           南達亭たま月
(なんたっていたまつき)
 
◇ 井戸の茶碗         三山亭多楽(さんさんていたらく)
さあ、次は我々「お江戸あおば亭」です

東大落語会寄席の会場

東大本郷キャンパスの象徴である「安田講堂」の手前の法文1号館が「東大落語会寄席」の会場です。
「安田講堂」といえば、小学生だった時、幼心に見た、あの学生運動・学園紛争を思い出します。
「あんな大学生になるんじゃないよ」なんて、いつも周囲から言われていました。
   東大落語会寄席の会場 東大落語会寄席の会場
法文1号館のまえの並木に映えて、立派な「東大落語会寄席」と染めた鮮やかな幟が2本はためいています。
法文1号館の建物の中に入ると受付のところに、学士会落語会で大変お世話になっている「三山亭多楽」師匠がいらっしゃいました。
本日の多楽師匠は、トリで長講「井戸の茶碗」をお演りになるそうですが、もう余裕の表情です。
受付で記帳させていただき、ご贔屓欄に「三山亭多楽師匠・森ヶ家二八師匠」と書きました。
会場は、広々した教室です。
開演15分前にも拘わらず、既にかなりの入場者です。
     東大落語会寄席
高座もこじんまりとしていて、とてもやりやすそう。
こんな場所で演ったら、さぞや気持ちがいいだろうなぁぁ。
   愛詩亭朝大師匠と 愛詩亭朝大師匠と
さあ、「東大落語会寄席」いよいよ開演です。

赤門の表と裏

個人的にも色々思いのある「赤門」。
赤門の表と裏
加賀百万石の江戸屋敷の門だったそうですが・・・。
赤門の表と裏
春日通りからの赤門の正面の写真は多いと思いますが、キャンパスの中からの裏側(?)の写真は珍しいのではと・・。
待ち人来たらず、「東大落語会寄席」開演まで時間があったので・・。

東大ホームカミングデー

          東大ホームカミングデー
東大ホームカミングデーに来ています。
お目当ては「東大落語会寄席」です。
残念ながら途中までしかいられませんが、楽しみにしていました。
それにしても、落語を演る環境としてはベストで、羨ましい限りです。

押上駅

地下鉄の押上駅ホーム。
押上駅
駅名プレートの装飾が、いかにも江戸の雰囲気が出ています。
祭り半纏をデザインして、全部違っているんです。
最近、地下鉄の駅をじっくり見ると、色々な工夫がされていて楽しいです。
上野広小路駅は、歌舞伎の紋が数多く飾られています。
先日の「らくだ亭」の帰り道に見つけました。

「昭和の名人完結編」(19)

五代目三遊亭圓楽師匠。Photo
毀誉褒貶の大きな師匠で、マスコミへの露出も多い師匠でした。
個人的には、学生時代に演ったいくつかの噺は、圓楽師匠の音源を参考にさせていただきました。
「ねずみ」・「藪入り」・「花筏」そして「浜野矩随」。
私が力を入れた噺には、いつも当たり前のように圓楽師匠の音源がありました。
分かりやすいのと、キーが合ったのが、度々参考にさせてもらった理由でしょう。
それから、落研草創期に大変お世話になった師匠だと、先輩からの言い伝えがありました。
現に、師匠の書いた本にも、我が落研主催の落語観賞会で「淀五郎」を演った時のエピソードだとか、お弟子さんが「よく東北大落研のことを話していた」と言っていたことがありました。
  ◇ 浜野矩随      三遊亭圓楽
  ◇ 悋気の火の玉   三遊亭圓楽
やはり、「浜野矩随」です。
私の落語に対する思いを決定的にしてくれたのが、帰省途中の寄席で聴いた「浜野矩随」であり、この噺を学生時代の目標にし、卒業後のOB落語会でも2~3度演り、そして30年後の落研創部50周年記念落語会で演った、ライフワークのような噺です。
そして、ご縁があって圓楽師匠の弟弟子の圓窓師匠に師事して、様々なアドバイスをいただいて作り上げた大切な噺なんです。
先日、三井記念美術館に行った時、蒔絵で飾られた印籠掛けに、この浜野矩随の作品を目の当たりにして、その素晴らしさに身体が震えるほどに感動しました。
私にとって「浜野矩随」という噺は、この先もずっと残る(演り続けたい)噺の筆頭であり、その度に、この三遊亭圓楽師匠も思い出すことになるでしょう。
ところで、最近聴いた噺の中で、圓楽師匠の「江戸桜心灯火~助六伝」がずっと心に残っています。
もしかすると、また"演りたい病"に罹るかもしれません。
配本の紹介とは関係のない内容になってしまいました。

2011年10月28日 (金)

溜池発祥の碑

外堀通りと六本木通りが交差するのが「溜池」。
正式な地名ではありませんが、首相官邸の近くの場所で、私はこの近くにも勤務していたことがあります。
溜池
やはり仕事で久々に通りかかった時、「溜池発祥の碑」というのを見つけました。
溜池は江戸時代のはじめ, 江戸城の防備をかねた外堀兼用の上水源として作られ 水道の発祥地ともなり, 徳川秀忠時代には 鯉, 鮒を放し 蓮を植えて 上野の不忍池に匹敵する江戸の名所となった。徳川家光は遊泳したとも伝えられ, 江戸後期には 日枝神社より赤坂四丁目に通じる 料金を取った銭取橋が架設され「麦とろ家」数軒と出店で, にぎわったと云われる。
 明治八年より 埋め立てに着手し 四十四年に完成したが, 明治二十一年十二月には 赤坂溜池町が創立され, 明治四十二年に市電が開通し, 大正十年五月に 正式な町会として 溜池町会が発足し, 溜池角の小松ビルは 元は演伎座と云う芝居館として人気を煽り東京オリンピック以後は ビル街として発展し, 町会名も「赤坂溜池町会」と改称し 今日に到り, 地下鉄新駅「溜池山王駅」の開通を記念し建立とした。
・・・とありました。
確かに、このあたりは、もとは大きな溜池があったようで、東京オリンピックを境に、首都高速が頭上を通るなど、大きく変わったようです。
地元の方に聞くと、オリンピック前までは、六本木通りも砂利道で、六本木に上る坂は、どんな商売をやっても儲からない「元摺り坂」と呼ばれていたそうです。
今は、アークヒルズから六本木交差点に抜ける立派な通りになっています。
ここも、あまり落語には出ませんが、六本木を越えると麻布永坂・・・で、「黄金餅」などで登場して来ます。

九州吹き戻し

あまり聴く機会のない噺です。
立川談志師匠が、確かやっていたと思います。
先日の「人形町らくだ亭」で、「柳家小満ん」師匠を聴きました。
若旦那から身を持ち崩して幇間となった喜之助、借金に困って夜逃げをし、流れ流れて肥後の熊本まで来た時は着の身着のままの一文無し。
たまたま江戸屋という名の宿を見つけて、泊まっちまえば何とかなると飛び込むと、主人が偶然にも昔湯島にいた大和屋の旦那だった。
この世話で料理番の手伝いをしながら幇間かせぎ、3年みっちり働いて96両を手にした。
主人がこの地で世帯を持って商売をしてはと勧めてくれるが、これを断って江戸へ向かう。途中で元船の水手と知り合い、船で行けば早く着くと思い、便乗が禁止というのを母親が病気ということにして乗せてもらう。
この船が玄界灘で嵐に遭遇、2日2夜荒れ狂った挙げ句、薩摩の桜島に打ち上げられた。江戸へ 400里、肥後の熊本まで 280里。
あまり帰りを急いだため、120里も吹き戻されてしまいました。

立川談志師匠は、師匠の先代柳家小さん師匠から直々に「全部教えてやるよ」と声を掛けてもらったそうです。
これを、談春さんが受け継いでいます。
この「九州吹き戻し」は、はじめ鈴々舎馬風が演じていた噺だったが、初代古今亭志ん生が金千匹(約2両2分)で譲ってもらい、わざわざ下総の銚子に遊んで海岸や海上の描写を練りあげた作品。
いわば「江戸ッ子漂流譚」ともいうべき内容で、とり立てて複雑な構成があるわけでもないが、全体が豊富な語彙にちりばめられ、能弁な話術によって展開してゆくうち、聴衆はいつか酔わされて狂乱怒濤のうちに身を置くような気分になっていったのであろう。(永井啓夫)

「九州吹きもどしだけは、古今亭志ん生の真似もできません。無論、私も演りませんし、門人にも許しません。」と三遊亭圓朝が言っていたとか。
確かに江戸から離れた遠大な噺でしょうが、私はさほど心が動きません。
そういえば、「長崎の赤飯(強飯)」なんていう噺もありました。

道玄坂

仕事で渋谷に出て、渋谷マークシティから道玄坂へ出た交差点で、石碑が建っているのを見つけました。
道玄坂
渋谷には15年前ぐらい、仕事で4年半程度行っていましたが、知りませんでした。
道玄坂の由来を記した石碑を中央に、向かって右に道玄坂道供養碑、左に与謝野晶子歌碑。そして桜の木が一本。全体を囲む石壁に「道玄坂之碑」と記された銘板が設置されています。
                         道玄坂
道玄坂道供養碑と与謝野晶子歌碑には、「昭和五十五年庚申年吉日」「道玄坂顕彰事業委員会」と彫られています。
渋谷氏が北条氏綱に亡ぼされたとき(1525年)その一族の大和田太郎道玄がこの坂の傍に道玄庵を造って住んだ。
それでこの坂を道玄坂というといわれている。
江戸時代ここを通る青山街道は神奈川県の人と物を江戸に運ぶ大切な道だった。
やがて明治になり品川鉄道(山手線)ができると渋谷付近はひらけだした。
近くに住んだ芥川竜之介・柳田國男がここを通って通学した。
坂下に新詩社ができたり林芙美子が夜店を出した思い出もある。
これからも道玄坂は今までと同じくむしろ若者の街として希望と夢を宿して長く栄えてゆくことだろう。(樋口清之)
  母遠うて 瞳したしき 西の山
        
  相模か知らず 雨雲かかる
歌人与謝野晶子が詠んだこの短歌は、明治35年
(1902)4月に発行された東京新詩社の機関誌『明星』に収められています。
晶子は、前年に、郷里の大阪府の堺から単身上京し、渋谷道玄坂の近傍に住んで、与謝野寛と結婚しました。
処女歌集の『みだれ髪』も刊行しています。
詩歌の革新をめざした寛との新婚生活でしたが、晶子にとって、心身の負担は思いもよらず大きなものでした。
歌人として、また妻としての多忙な日々のひとときに、住まいから近い道玄坂の上にしばしばたたずんで、西空の果てに連なる相州の山々を眺めていたのです。
その山々の方向にあたる遠い堺の生家を思い、母親を懐かしんだのでした。
みずから生家を離れて、新しい生活を渋谷で始めた晶子が、当時ひそかに抱き続けていた真情の一端を、この一首の短歌は語っているのです。
なお、この歌碑に彫られている筆跡は、晶子自身の書簡による集字です。
(渋谷区教育委員会)

・・・なるほど、それで道玄坂といい、与謝野晶子が出て来るという訳ですね。
そんなこと、ここを通り過ぎる若者たちは知らないでしょうね・・。
ここを少し下ると・・、渋谷の街のあの雑踏が始まります。
落語とは関係のない徘徊の記。

「寿限無」の了見

先日の「人形町らくだ亭」での前座さんの「寿限無」。
台詞を噛んだり、流暢に出ないで間が空いたりで、「あぁ、まだ初心者だなあ」と思いながら、温かい目を心がけつつも、客観的に聴かせてもらいました。
前座さんだから、まだその段階まで行っていないと言われればそれきりですが、どうも「寿限無」という噺の了見というものが、まだ十分理解できていないと感じました。
登場人物を演じ分けるということにも繋がるのでしょうが、この噺の根底には、待ちに待った子どもが生まれた親の喜びと、その子に対する愛情が流れているはずです。
恐らく独身であろう前座さんには実感はないかもしれませんが、そういうものだと思って演ることは大切だと思うのです。
それから、この噺は「寿限無・・・・」という長い名前と名前を繰り返し呼ぶシーンの面白さも重要ですが、「早口ことば」ではありません。
「東京特許許可局」とか「赤パジャマ黄パジャマ・・・」というのと訳が違います。
親の気持ちと、場面毎の言い方と、言葉の意味などを踏まえてやらないと・・・。
そういう了見が、あの前座さんにあったか・・・。
天邪鬼オジサンは、そんなことを考えながら聴きました。
前座さん、ごめんなさい。
ただ、これは、圓窓師匠の千早文化創造館での落語体験教室(後の扇子っ子連・千早亭)で、一番初めに、メンバー全員がご指導いただいた部分でもあるのです。
師匠の創作の「ゆれるとき」でも、三遊亭圓朝が「寿限無」の稽古をつけてもらうシーンがあり、このことがしっかりと語られています。
そして、師匠は、素人の人にも、全くの落語初心者にも、こういう了見を求めて来られます。
それは、「寿限無」が、単なる「早口ことば」ではなく、「落語」の名作のひとつだから・・。

2011年10月27日 (木)

破れ家笑児さんと

あれだけ疲れて身体がだるくて、口内炎が痛かったはずなのに、二人で落語の話を始めた途端に、体調のことなどすっかり忘れてしまいました。
ついでに、時間が経つのも。
Photo_9今夜も色々熱く語り合いました。
それにしても、笑児さんの落語への情熱たるや物凄い。
落語を起点にして、様々な分野に興味を持ち、チャレンジしているところは、本当に尊敬します。
私も負けてはいられないなと思いました。
それから、私の知っている人と笑児さんの秘密も知りました。
ご本人たちしか分からないかもしれませんが、笑児さんと蕪生師匠が仲の良い訳、蕪生師匠が「ことぶ季亭」を気に入っている訳・・・・。
落語から、本当に色々な人とのご縁が広がって行きます。
やはり、死ぬまで落語は離せないと実感しました。
「それでは来月12日に」と言って、家路につきました。

神保町夜景

小中学校の頃の夏休みの宿題に「読書週間のポスター」というのがあり、毎年一生懸命に描いた記憶があります。
神保町夜景
確か、今日あたりから「読書週間」が始まるんじゃなかったかと思います。
破れ家笑児さんと一献の予定で、久しぶりの神田神保町。
暗くなっても、通り沿いにワゴンが出て、多くの人が、思い思いに古本を探しています。
暫く行っていなかった某古書店に入って驚きました。
売り場のフロアのレイアウトが変わっていたのです。
落語関連の本の場所を確認して、笑児さんとの待ち合わせ場所へ。

映画「昭和の名人・参」

TBSの落語研究会の映像を映画化した「昭和の名人」の第3編が公開されるそうです。
今回は、桂吉朝・三遊亭圓楽の両師匠が初登場です。
11月下旬に公開のようですから、また行きたいと思います。
Photo  ◇ 不動坊     桂吉朝
  ◇ 助六伝     三遊亭圓楽
  ◇ 三方一両損  古今亭志ん朝
  ◇ 鰍沢       金原亭馬生
圓楽師匠の「助六伝」というのが、また重たいやるせない噺で、一度映像で視てみたいと思っていました。
志ん朝師匠は、私の持ちネタでもある「三方一両損」です。(家にDVDはありますが。)
そして、馬生師匠は、いつかはやりたい「鰍沢」。
やはり気になります。

重箱読み

この間、ある人との何気ない会話の中で、「重箱読み」という話題になりました。
そして、「重箱読み」と同意ですが、音読みと訓読みの順番が逆になる「湯桶読み」という言葉を、恥ずかしながら初めて知りました。
世の中須らく「重箱読み」と言うものだと思っていました。
≪重箱読み≫
日本語における熟語の変則的な読み方の一つ。
語の前半を音読み、後半を訓読みで読む「重箱」(じゅうばこ)のような熟語の読みの総称である。
原則として規範的な読み方ではないとされるが、現代の日本語においては、和語と漢語が結合した混種語も日常語として深く浸透しており、慣用になっているものも少なくない。
これに対し、前半が訓読み、後半が音読みとする読み方を「湯桶(ゆとう)読み」という。
≪湯桶読み≫
「ゆ」は「湯」の訓読み、「とう」は「桶」の音読みであるところから、漢字2字でできている熟語で、上の字を訓で、下の字を音で読むこと。
・・・なるほど。
日本語は緻密です。
だから面白い。
勉強になりました。

2011年10月26日 (水)

深夜便落語100選

「人形町らくだ亭」から夜遅く帰って、すぐ寝ようと思ったのに・・。
毎月の最終週の水曜日・木曜日の番組ですが、なかなか聴くことができません。
  ◇ 黄金の大黒       柳家小せん
  ◇ 看板のピン        春風亭柳好
解説が柳家さん喬師匠。
・・・で、これまたなかなか最後まで聴けない。
気がつくと?意識がなくなっているのです。
ん?それじゃ気がついていないということ?
・・なんて言いながら、小せんさんの途中で沈没・・・

師匠の落語会

ちょっと都心を離れて、11月に師匠の落語会があります。
いずれも、「千早亭」のメンバーが関わっています。
■11月 3日(祝)  「落語と香道のコラボ」 
      高幡不動・金剛寺 午後1時~
  師匠は以前から日野市で落語会をやっていますが、今回は
  香道とのコラボで、「伽羅の下駄」をお演りになるそうです。
  千早亭早千さんが、香元をお勤めになるそうです。
  前半
■11月13日(日)  「菜の花落語会」
      小田原・本立寺  午後1時?~
  この落語会も何度か続いている落語会のようです。
  ピアノのコラボもお演りになっています。
  今回は、千早亭ワッフルさんが、師匠創作「ういろう売り」で
  前座を勤めるとのこと。
  この噺は小田原を舞台にしているのです。
                        前半
高幡不動には行くことにしていますが、小田原には所用があって、行けそうにありません。
ワッフルさんには頑張って欲しいと思います。

広瀬さんの菊之丞評

広瀬さんの評論は、最近では珍しい「一人真打」の話題から、古今亭菊之丞さんを採り上げています。
落語協会では異例の春風亭一之輔の「一人真打」(来年春)、21世紀になってからは一度だけ例がある。
2003年の古今亭菊之丞だ。
菊之丞は1972年生まれ。中学・高校時代に寄席に通いつめて落語家を志し、1991年に古今亭圓菊に入門。
二ツ目時代の2002年にNHK新人演芸大賞で落語部門の大賞を受賞したのをきっかけに、翌2003年、席亭(寄席の主人)たちの推薦で、異例の単独真打昇進を果たしている。
歌舞伎の女形を思わせる風貌に、若旦那風の佇まい。Photo_2
「趣味は坂東流の日本舞踊」という菊之丞は、現代には稀な、純和風の噺家だ。
高座着の腰にぶら下げた煙草入れがこれほどサマになる人も珍しい。
古風であり純和風だが、老成してはいない。
独特の艶っぽさが菊之丞の身上だ。
真打になったばかりの頃は、その艶っぽさの中に、未熟ゆえの「あざとさ」も感じられたが、年を経る毎に自然体になってきた。
菊之丞が2010年に出した『こういう了見』という自伝には、「一人真打」がいかに大変だったかをはじめ、落語界内部にいないとわからない苦労の数々が赤裸々に書かれていて興味深いが、その本で彼は「落語は惚れ抜いたいい女」だといっている。
冷たくされることも、裏切られることもある。
いつも「こんなに好きなのに」と悩まされている。それでも一生、惚れ続ける、と。
その了見がある限り、いつの日か菊之丞は「古今亭のホープ」に相応しい独自の魅力を確立し、大きく飛躍することだろう。
※週刊ポスト2011年10月28日号
確かに、菊之丞さんも「一人真打」でした。
広瀬さんのコメントにもあるように、最近は重みがあり、人気も出て、寄席にもなくてはならない存在です。
清潔感のある噺家というのはいいですね。

2011年10月25日 (火)

人形町らくだ亭

どうも最近身体が疲れやすく、口内炎が出来て気分も優れず。
でも、落語は聴きに行く。
    人形町らくだ亭   人形町らくだ亭
    ◆ 寿限無        林家けい木
    ◆  唖の釣り       春風亭朝也
    ◆  化け物使い           古今亭志ん輔
    ◆  身投げ屋              林家正蔵
    ◆  九州吹き戻し        柳家小満ん
人形町らくだ亭
開口一番のけい木さん。
前座さんだから、上手さは期待しませんが、稽古不足と「寿限無」という噺への"了見"が違っている気がしました。
朝也さん、相変わらずよく通る大きな声ですが、そろそろ噺の抑揚や声に艶が出ても良いと思います。
今日の演目は、比較的珍しい噺が多かったと思います。
特に、「九州吹き戻しは、立川談志師匠の十八番だったと思います。
小満ん師匠が巧みに仕上げていましたが、やや流れが良くなかったと思います。
それにしてもこの噺、舞台が肥後の熊本なのに熊本らしさ、あるいは江戸らしさというのが感じられず、大作かもしれませんが、どうもあまりピンと来ませんでした。
身体の疲れから、やや散漫な落語観賞になったかもしれません。

のんき寄席

毎日新聞へで見つけた記事。
仙台市の落語家、清川波之丞(なみのじょう)さん(62)が中心になって6年間続けてきた落語独演会「のんき寄席」が22日、最終回を迎えた。
会場のJR仙台駅近くの居酒屋「のんき亭」が閉店するためで、常連客ら約30人が名残を惜しんで集った。
のんき寄席は、のんき亭経営者の岩佐昭子さん(67)と清川さんの共通の友人が発案。
1、2カ月に1回開催し、今回が43回目。
土曜日の午後、酒を片手に高座の間近で楽しめる空間がファンを魅了した。
店は東日本大震災の影響もあり、今月いっぱいで閉店する。
この日は人情ばなし「文七元結(もっとい)」など3演目を上演。
夫婦でほぼ毎回来ていた同市宮城野区の安間陽子さん(65)は「昭和の雰囲気の店内で、笑ったり涙ぐんだりするのは、専用ホールと違う魅力だった」と話した。
清川さんの独演会は来年1月から、同市青葉区錦町1の毎日新聞仙台支局で開催予定。

10月24日の朝刊です。
こんなことが、例えば、落研でできませんかねぇ。
年に3~4回ぐらい。
それこそ、「みちのくあおば亭」です。

師匠のコメント

師匠のコメント
先週火曜日の「扇子っ子連・千早亭」の稽古会で、新しいオチを考えて演った時の、師匠のブログでのコメント。
 させ稽古 永久(とわ)[薮入り]。
  稽古中の噺を必死に演る。
  試行錯誤の段階だが、方向はいい。
・・試行錯誤しながら必死にやっている。
・・方向は良い。
来週の「落語っ子連・三流亭へ組」の稽古会で再チャレンジですが、変更する部分以外は、しっかり稽古しておきたいと思います。
「藪入り」が上手くやれれば、あのトラウマから解放され、私の中で、名実ともに落研を卒業することが出来ます。

2011年10月24日 (月)

浅草お茶の間寄席

ローカルの千葉テレビの番組。
月曜日で早めに帰宅した日には、後半部分を視聴できます。
 ◇ 会長代々   三遊亭圓歌
落語というよりも、随談という感じの、圓歌師匠お得意の噺。
「山のあなあな」で爆発的に売れた師匠も、さすがに年を取りました。

霜降

脂の乗った牛肉の話ではありません。Photo_4
今日は二十四節気の「霜降(そうこう)」です。
今年も、そうこうしているうちに寒さが間近になって来ました。
秋気がようやく去って、各地で朝霜を見る季節になります。
この頃になると虫の音もかなり減り、秋も一段と深まり、寒冷を覚える頃となります。
今年は、ちょっと寒くなりかけましたが、週末あたりは天気は良くないものの、かなり蒸し暑い感じでしたが・・、季節は霜が下りる
気候なのです。
【霜降】
露が冷気によって霜となって降り始めるころ。「暦便覧」では「露が陰気に結ばれて霜となりて降るゆゑ也」と説明している。
楓や蔦が紅葉し始めるころ。
この日から立冬までの間に吹く寒い北風を木枯らしと呼ぶ。

(上方落語)寄席発祥の地

上方落語寄席発祥の地とされる大阪市中央区の「坐摩(いかすり)神社」に顕彰碑が建立され、碑文を記した上方落語協会会長の桂三枝師匠らが出席して、除幕式が行われたそうです。Photo_3
「初代桂文治」が、江戸後期、それまで寺社の境内や路上など人の集まる所で話芸を披露していた「辻噺(つじばなし)」ではなく、同神社の境内で初めて常設の小屋を開いたことから、上方寄席興行の祖とされているそうです。
上方落語は大道芸・辻噺のイメージですから、初めて知りました。
初代文治は、東西の落語家が名乗る「桂」姓の祖。寛政時代(1789~1801年)に同神社の境内に寄席小屋をつくった。それまでは大道芸に近い辻噺だった落語をプロの話芸に高め、「蛸芝居」「崇徳院」など現在も演じられている演目を創作したとされる。Photo
石碑には、この初代文治の絵が入った興行ビラの銅版が埋め込まれているそうです。
一方、江戸落語は、「初代三笑亭可楽」が、寛政10年(1798年)に、下谷神社で初めて寄席を開いています。

衝動買い・大人買い?

先週の金曜日。
帰宅途中に上野の"駅なか"の店で、手拭い3本を「衝動買い」してしまいました。
何気なく手拭いを見ていて、突然欲しくなりました。
 
上の茶とベージュ系の「吉原繋ぎ」と、黒系の「縞づくし」と、緑系のものの3本です。
今度の「お江戸あおば亭」では、仙台の花であり、大学のシンボルでもある「宮城野萩」を使おうと思っていますので、別に使う予定もないのですが。
手拭いを何本か持っていると、何となくホッとするものなんです。

左の2本は、たたみ方によって柄が違って見えるのが面白い。
そして、翌日の土曜日。
浅草に行って、「あさくさ文七」でコーヒーを飲んだ後、「そうだ、長襦袢を見てみよう」という訳で、着物屋(呉服屋?)さんを覗きました。
ちょうどよい長襦袢があったので買うことにしました。
ここまでは、想定内だったのですが。
ちょっと脇を見ると、とても良い色・良い柄の角帯が目に入りました。
「う~ん、これはあの着物に合うな」と、その1本を手にすると、その隣にも、捨てがたい良いのがあったのです。
「よぉし、清水の舞台から飛び降りたつもりで」と、店の御主人にもおだてられ、この隣の1本も手にしました。
ところがその途端、数本おいたところにあったもう1本が、「ボクも買ってください!」と叫んでいる声が聞こえた気がしました。
これがまた良いんです。
こうなると、何か運命のようなものを感じてしまいます。
「そうか、オレが買いに来るのを待ってたんだな。」
・・気がつくと、3本を手にしていました。
これって「大人買い」っていうのでしょうか。
よくゴルフ好きで、ドライバーやアイアンやパターを頻繁に買い足す人がいます。
「よくやるよ。上手くなる訳でもないのに。」なんて言っていながら・・・、人のことは言えませんね。

手拭い3本、角帯3本。「衝動買い・大人買い」の産物です。

「幕末太陽傳」

映画会社として最古の歴史を持つ日活が来年100周年を迎えるそうで、これを記念して、映画「幕末太陽傳」をデジタル修復し、劇場公開することになったそうです。Photo_7
「幕末太陽傳」は、45歳という若さで亡くなった川島雄三監督の代表作で、古典落語「居残り佐平次」を軸に、幕末の志士たちを登場させながら、「品川心中」「三枚起請」などさまざまな噺(はなし)を1本の物語につむぎ上げた作品。
フランキー堺が主演の佐平次を演じたほか、南田洋子が売れっ子の女郎・こはる役で、石原裕次郎が高杉晋作役で、小林旭が久坂玄瑞役で出演している。
Photo_6
品川の地にあった北の吉原と称された色町を舞台に、遊郭「相模屋」で懐に一文も持ち合わせていないにもかかわらず、飲めや歌えの大騒ぎをした佐平次という男が、“居残り”と称して働き始め、巻き起こる騒動を片付けていくというストーリー。
2009 年キネマ旬報オールタイム・ベスト映画遺産200 日本映画篇で、『東京物語』、『七人の侍』、『浮雲』に続いて4 位に輝いた名作だ。
撮影当時のスタッフが修復に携わり、単にきれいにするのではなく、1957年に製作された当時そのままの状態を復元することに重きをおいて修復されたデジタル修復版では、映画館で日本映画黄金期にタイムスリップしたかのような感覚を、存分に味わえることだろう。
今まで、テレビで断片的に観たことはありますが、映画館では観たことがありません。
落語を演るにあたり、立体的な場面のイメージや、小道具や雰囲気を知るのには格好の教材になりますから、観に行きたいと思います。

2011年10月23日 (日)

師匠のコメント

先週の「落語っ子連・三流亭」の稽古会の様子を、師匠がプログにアップしてくださいました。
師匠以下、私の部分をいただきました。
させ稽古、流三(りゅうざ)[藪入り]。
 後日、東北大落研OB落語会で口演するという。
 この噺に関しての雑談で、「あたしは鼠退治、鼠の懸賞をやめて、
 財布は拾ったことにした」と新工夫で口演していたことを伝える。
 また、先日、扇子っ子連の発表会で口演した[救いの腕]について
 の所感を聞く事が有意義であった。
 近々、高座本の考察集に載せられそう。
 タイトルを、流三の「落語徘徊師」。

・・ね、そうでしょ。
内容は、既にご報告してあるとおりでしょ。
まず、稽古会が色々な雑談で盛り上がったこと。
「薮入り」のストーリーとオチを一部変える工夫をするようアドバイスをしていただいたこと。
そして、「救いの腕」談議にも花が咲いたこと。
師匠の高座本に「落語徘徊師」として参加させてもらうこと。
・・という訳で、「薮入り」のオチについての課題については、とにかくかなりの難問ですから、もう大変苦労しています。
流三の「落語徘徊師」は、大変でしょうが楽しみでもあります。
とにかく、師匠からお聞きすることができる様々な芸談や雑談は、何事にも代え難い本当に貴重なものです。
それから、三流亭窓口さんについても・・・。
させ稽古、窓口(まどぐち)[明烏]。
 両親に笑顔が浮ぶようになった。とてもいい。

「とてもいい」っていう言葉を、プロから、しかも大看板の師匠から言われるのって、素人冥利に尽きますね。
 今日は、大作に取り組む二人だけだったが、頼もしさを感じた。
・・・我々も楽しかった。

落語はやおき亭

今朝もゲストか゜「三遊亭小遊三」師匠。
前回は対談だけでしたが、今回は落語が聴けました。
池袋へ・・
  ◇ 金は回る   三遊亭小遊三
この噺、「持参金」とも言われています。
小遊三師匠は、四代目三遊亭圓馬師匠から習ったとか。

浅草へ・・

昨日は、浅草にも足を伸ばしました。
特に何の用事もありませんでしたが。
     珈琲とお酒とときどき落語会
ぶらり歩いた後、先日も行った、落語が出来る喫茶店「あさくさ文七」で、しばしコーヒーを飲んで過ごしました。
        浅草へ・・
夜7時30分からは、若手の落語会が開かれるようで、店の入口に、「文七落語会」の幟が立っていました。
若手にとって、こういう場所は本当に貴重だと思います。
今度は、落語を聴きに来たいと思いました。

落語DEデート

今朝は、テレビで「演芸図鑑」を視ていたので、そのまま起きてラジオを聴くことができました。
池袋へ・・
 ◇ 目黒の秋刀魚    三代目三遊亭金馬
それにしても、この金馬師匠が、いかにラジオ局に貢献したかが分かります。
この番組で、一番多く登場しているのではないかと思います。

池袋へ・・

昨日、久しぶりに用事があって池袋に行きました。
池袋へ・・
時間があったので、池袋演芸場の前まで行ってみました。
・・・とてもいい雰囲気です。
別に入る訳でもないのに。
     池袋へ・・
寄席の看板。いいですね。
落語のチラシを3~4種類手にとって後にしました。
  

演芸図鑑

NHKの「春風亭小朝の演芸図鑑」。
以前から、知っていた番組ですが、朝が早いので、視たことはありませんでした。
あまり好きな内容ではありませんし、録画するほどのものでもないと思っていますから。
・・・偶然"はばかり"に起きた時に、そういえばということで、途中から視ました。
ゲストは相撲の貴乃花親方でした。
小朝さんは、いつもの、私はあまり趣味が良いと思わない着物に、みょうちくりんな色と形の髪。
ほとんど同年輩の噺家さんですが、やはりあまり好きになれません。
この番組って、"演芸!図鑑て言う内容なのかなぁ。
今後、わざわざ起きて視ることはないでしょう。

ぞろっぺい

先日、師匠の五百噺の話題で、「ぞろっぺい」という言葉を使いましたが、ある方から、その意味を尋ねられました。
・・そういえば、普段はあまり使いませんが、何となくニュアンスでイメージして聞き流していました。
こんなふうに返答しました。Photo_5
五代目古今亭志ん生師匠の芸風を表現する時に、この業界の評論家たちが多用している言葉です。
私は、いい加減とか、アバウトとか、大雑把とか、そんなニュアンスで理解しています。
が、落語の世界ですから、志ん生師匠に対する尊敬と親しみから、必ずしも批判的な意味合いでなく、温かい目で言っている部分がある気がしています。

それでもと、辞書で調べてみると・・・、
「ぞろっぺい」:働く時に長い着物をぞろりと着流して端を折らない者を<ぞろ兵衛>といい、だらしのない、しまりのない、いい加減なの意を表す。
間違ってはいなかったようです。

2011年10月22日 (土)

12月の「乱志一人会」

12月17日の某大学韓国語カルチャー講座での件。
・・・仮に・・、勝手に「乱志一人会」としましょうか。Photo_2
「独演会」といわず「一人会」というのが、私の奥ゆかしさと自信のなさを表わしていますね???
内容については、主催(企画)の韓国語講座の先生とメールで確認しあっています。
プログラムを作るので、プロフィールや演題について尋ねられたので、以下のように返信しました。
【プロフィール】
◇高座名  金願亭乱志(きんがんてい らんし)Photo_3
学生時代に所属していた落語研究会の時から使用しているものです。
「近眼で乱視で」という意味と、プロの噺家の名前をもじり、「金原亭→金願亭」「談志→乱志」というのと、ややこじつけながら「金を願って志を乱す(金欲しさに心を乱す)」という意味もあります。
実は、このほかにも2つ名前があります。
◇経歴 ~大したものもありませんから簡単に
  ・20世紀半ば  生まれる
  ・20世紀後半  大学で落語研究会に所属
  ・21世紀初め  落語徘徊をはじめる
【演題】
◇下記演題の(滑稽噺)・(人情噺)から各1席お伺いいたします
            (演題)       (噺のキーワード)
   (滑稽噺)   子ほめ     お世辞・付け焼刃
          千早振る    百人一首・知ったかぶり  
          花色木綿    間抜けな泥棒
          三方一両損   正直者・長屋。大岡裁き
   (人情噺)  薮入り      親が子を思う親心
          佃祭       情は人のためならず
          救いの腕     理想の夫婦とは
          甲府ぃ       合縁奇縁 
 ※リクエストにもお応えしますが、基本的には会場の雰囲気
   などを見て、その場で決めて演らせていただくことが出来
     れば幸いです。
 ※なお人情噺1本のみというのであれば、以下でも可能です。
          浜野矩随    江戸時代の名工・母と子
          ねずみ      左甚五郎・父と子

・・・待てよ。
演題を調子に乗って揚げたのは良いけれども、逆に言えば、上の10席は、当日どれでも演れなければいけないと言うことですよ。Photo_4
こういうことがあると、自分を客観的に見ることが出来て、大変ありがたく思います。
師匠に師事してから、丁寧なご指導のもと、随分噺を覚えたものです。
このほかにも、「花筏」「笠と赤い風車」などもありますから。

OB落語会での趣向

次に演る噺がないなんて言いながらも、落語会として企画できる「お江戸あおば亭」では、趣向を考えることが出来ます。
以前にも言いましたが、例えばリレー落語。
あまり長講をやらずに、「花色木綿」あたり。
偶然、この噺を持ちネタにしているのが3人いることが分かりました。
名づけて「乱志・ぴん吉・寝蔵のリレー落語・花色木綿」です。
これは色物的に番組に入れられると思います。
それから、最近「人形町らくだ亭」で実際に催された趣向です。
「それぞれの徳兵衛」と銘打って、「船徳」と「お初徳兵衛浮名桟橋」のコラボをやろうというもの。
Photo_9先日、破れ家笑児師匠に打診してみました。
というのも、笑児さんが学生時代に演った「船徳」が印象に残っていたので、「笑児~船徳・乱志~お初徳兵衛浮名桟橋」というのをやろうよと。
これ、かなり行けると思います。
来年5月(に予定しているはず)の「お江戸あおば亭」でやってみようかと、二人で密かに相談しているのです。
これ、まだ秘密ですよ。

次の噺

来年の3月の「千早亭」と「三流亭」の発表会の演題が、なかなか決まりません。
2 先日の千早亭の稽古会で、師匠に何気なく「崇徳院」「味噌蔵」あたりをサウンドしてみたのですが、あまり反応がなく・・・。
「崇徳院」などは、「今はもうねぇ、恋煩いなんて、わからなくなっちゃったからねぇぇ。」と・・。
他のメンバーと噺がつかないで、私が好きで、私でもやれて、そんなに長くない噺。
そんな噺ありませんかねぇ。

広瀬さんの一之輔評

広瀬和生さんの春風亭一之輔さんに関する評論です。
9月15日に落語協会が、来年春に春風亭一之輔が真打に昇進すると発表、「二十一人抜きの大抜擢」と話題になっている。
昨年まで落語協会では毎年春と秋に四、五人ずつ真打に昇進させるのが通例だった。
ところが今年は一人も昇進が無く、来年春、大勢の先輩を追い越して一之輔だけが真打となるというのだ。
当人には大変なプレッシャーだろうが、これは「大英断」だ。
一之輔には既に、そんじょそこらの真打を上回る人気と実力がある。
落語ファンは昇進を待ち望んでいたし、落語界の活性化に繋がる人事であるのは間違いない。
「二十一人抜き」以上に重みを持っているのが「単独昇進」だ。
何しろ上野、新宿、浅草、池袋の都内四軒の寄席に国立演芸場を加え、計五十日間、一之輔が主役の披露興行が行なわれるのである。
数人の新真打が持ち回りで主役となる披露目とはケタ違いの一大イベントだ。
※週刊ポスト2011年10月28日号
別に目新しいところはありませんでしたね。

2011年10月21日 (金)

「お江戸あおば亭」のチラシ

「お江戸あおば亭」のチラシを完成させました。
Photo今回は、会場が狭い上に、OB中心になりますので、一般の方には大々的に宣伝はしない方針にしています。
会長の蕪生師匠は、今回お呼び出来なかった一般のお客さまを対象にした「番外あおば亭」を考えておられるようで、勿論大賛成です。
今後も回を重ねて行くことが出来るようにしたいと思います。
さあ、次はプログラムに取りかからなくては・・。
    ≪第三回 お江戸あおば亭≫
   日時 : 11月12日(土)12時30分
   場所 : 浅草ことぶ季亭
   木戸 : 入場無料(ご祝儀大歓迎)

なぜ「半分垢」?

師匠の「圓窓五百噺」のスタート、第1番目の噺は「半分垢」でしたが、私は以前から、師匠は何故、記念すべき第1号に「半分垢」を選んだのか?
分かりませんでした。
Photo_5別に文句がある訳ではないのですが、それほどポピュラーな噺でもなし、落語会が開かれている名古屋(含笑寺)と縁があるとも思えないし・・・。
先日の千早亭稽古会で、千早亭貴女さんの次の噺が「半分垢」に決まったので、師匠に尋ねました。
師匠は、「それほどの意味はないんだけどね。"一"のつく噺が思い浮かばなかったから、それじゃあ半分から始めようと思って探したら、この噺があったんだよ。」
・・・そうか、やはりそういうことだったか・・・。
それにしても、半分とは気がつきませんでした。
でも待ってくださいよ。
「一」のつく噺がないって、「一分茶番」も「一目上がり」もあるじゃないですか・・・。
そのあたりの、"ぞろっぺい"なところがいいですね。
・・・確かに2番目は「二番煎じ」ですから、意識はしているのかなぁと思うと、5番目が「六尺棒」だったりして。
でも、500番目は「五百羅漢」でした。

12月の「お座敷」

先日オファーをいただいた、某大学のカルチャーセンターでの韓国語講座受講者に落語をという企画。
かなり具体的になって来ました。
韓国人の先生が大変に乗り気で、断れなくなりました。
(断るつもりもありませんが。)
今の段階で分決めている(合意している)ことは以下のとおりです。
先生と概ねイメージを統一することが出来ました。
 ・受講者は中年以降の女性(日本人)が多く、50~60名程度。
 ・先生は「落語」2席を希望。滑稽噺と人情噺。
 ・演題は「言葉の面白さ」と「人情」を語るもの。
 ・時間は1時間弱(休憩時間も入れて)。
  ・後は、いつもの出たとこ勝負。   
…こんなところでしょうか。
この先生は、主に日韓「言語表現」の対照研究をしておられ、ことわざ学会に所属して、日韓のことわざにも大変詳しい方だそうです。
ということで、今後変更はあると思いますが、当日の演題は、次の中から1題ずつ組み合わせますと、とりあえず回答しておきました。
 (滑稽噺)       (人情噺) Photo_2
  ・子ほめ        ・藪入り
  ・三方一両損     ・救いの腕
  ・花色木綿       ・佃祭 
 
  ・千早振る       ・甲府ぃ
これでいくと、2席合わせて45分程度かな・・・。
いかんせん素人は持ちネタが少ないですから、とりあえず演れそうなのを並べただけなのですが・・・。
観客の層や時間を考えると、「子ほめ」「救いの腕」か、「花色木綿」「薮入り」ですかね・・・。
何か、ファミレスのワンコイン2品チョイスメニューみたいです。

会報「あおば亭」ほぼ完成

OB会だより「あおば亭」創刊号の最終稿が出来ました。
Photo_4←クリックしてみてください。
これは表題部分だけですが・・・。
仙台の「賀千家ぴん吉」さんが頑張って大作を寄稿してくださったのをはじめ、素晴らしい内容のものばかりで、大変充実した内容になりました。ぴん吉さんに「東日本大震災」をテーマにお願いしましたが、我々全員の故郷を襲った災禍ですから、創刊号では必ず触れなければならないと思っていました。
実際に現地で震災を経験し、ご自身も苦労されただけに、ボランティア活動の様子も含めて、胸を打つ内容です。Photo_2
この会報は、11月12日のOB落語会「お江戸あおば亭」の会場で、一般のお客さまにも配布しようと思います。
私のような何も出来ないでいる者にとっての、せめても気持ちを、是非汲み取っていただきたいと思います。
後は細かい部分の微調整などをして一応完成とします。

2011年10月20日 (木)

建物が語る・新宿末廣亭

東京・新宿、欲望とエネルギーが充満する繁華街の一角に、そこだけ時間が止まったような建物があります。
提灯と手書きの看板。江戸時代の芝居小屋のような風情がある木造建築。Photo_3 「新宿末廣亭」です。
明治からの歴史を持つ建物は戦災で焼失。
現在の末廣亭は、1946年3月、「新宿の大旦那」と呼ばれた北村銀太郎(83年没)初代席亭が建てたもので、最初は平屋だったそうですが、お客が殺到し、数年後に2階を増築したんだそうです。こんな記事を見つけました。
■庶民の娯楽場
「戦後すぐ、駅員をやめて落語の世界に入ったときには、このあたり一面が焼け野原でね。楽屋の入り口にあった水道から、水がちょろちょろ流れてたのを覚えてるよ」
思い出を語るのは、落語家の三遊亭圓歌(82)。
45年9月に入門、歌奴の名前でブレーク。
96年から2006年まで落語協会の会長を務めた。
「当時は、今は無くなった人形町末広と、上野の鈴本演芸場とご当家(末廣亭)の3カ所をぐるぐる回ってた。それぞれお客さんが違ってね。ご当家は、山の手の客が中心で、詰め襟の学生服の客もいましたね。僕は、カール・ブッセの詩を素材に『山のあな』なんてネタをやってたから受けました。僕にとっては修業道場だったんです」
明治の終わりには東京に100軒以上あり、庶民の娯楽の王様だった寄席は、昭和になって映画に、その座を奪われた。
今は東京で一年中興行をしている「定席」は、末広亭、鈴本演芸場、浅草演芸ホール、池袋演芸場の4カ所。
木造の建物は末廣亭だけだ。
そのレトロな雰囲気を愛するファンが多い。
1階いす席が117、桟敷72人、2階に100人あまり。
約300の座席が、週末はほぼ満員になる。
人気落語家が出る日には立ち見になることも。
ここ数年は、そうした盛況が続いてきた。
■木造建築の強さ
だが3月11日に起こった「東日本大震災」は、笑いの世界にも大きな打撃を与えた。
「建物の被害は、表のちょうちんが一つ落ちただけ。木造建築の強さをあらためて感じましたね。銀太郎さんが建築の仕事をしていたんで、いい木材を使ってたのも良かったし、10年前に土台と外回りの補修をやったのも生きたね。でも、お客さんが、いなくなった」
銀太郎の孫で、1999年から席亭を務める北村幾夫(63)が話す。
周囲のビルでは、棚が転倒し酒瓶が割れるなど、大きな被害が出たが、末廣亭は損害なし。
当日は交通機関がストップしたため夜の部は休みにして、翌日からは平常通り興行を続けたのだが…。
「計画停電が大きかった。あれで皆、早く帰らなくちゃという感じになった。そして、原発事故。『落語聞いて笑ってる場合じゃないよ』という精神状態になっちゃったんだね。やっぱり、こういう商売は、生活が普通に安定していて、世情の不安がそんなになくて、初めて成り立っていくんだとつくづく思ったね」
■空気の変わり目
席亭の北村幾夫は、子供の頃から寄席の世界で育ち、街の変遷を体で感じてきた。
60年代後半の新宿騒乱事件の頃、80年代末から90年代初めのバブルの時代、そして今年の大震災が、大きな空気の変わり目だったという。
「騒乱事件のころは、投石とかあったせいで、うちも含めたこのあたりの店が全部、シャッターを付けた。それまでは閉店後でもガラス越しに店内が見えていたのが、見えなくなって、街に閉塞(へいそく)感が漂うようになった」
バブル期には、地上げの波が及んだ。
一時は、ビルに建て替える話が進んだが、地域の高さ規制で100席以下の寄席しかつくれないのが分かり、断念したという。
席亭になって以来、老朽化した建物の補修に加え、いすを広げたり、トイレをきれいにするなどの改革を進めてきた。
客、芸人、働く人間。三者が気持ち良く過ごせる空間をつくるのが席亭の仕事、という使命感もある。
数年前から、外国で仕事をしていた長男の卓之(40)が帰国、仕事を手伝うようになった。
この建物のままいつまで続けていけるのか。
時には将来の不安が胸をかすめるが、幾夫は深刻に考えないようにしている。
「寄席なんてね。必要がなけりゃ消えていくもんだから」。笑いを支えてきた粋がある。
震災から半年。ようやく客足が戻ってきた。
20歳年下の席亭を励ますように、圓歌が言う。「戦後もそうだったし、こういう苦しい時期にこそ、笑いが必要なんだよ」

・・・そういえば、最近末廣亭に行っていないなぁ・・・。
窓輝さんの真打昇進披露が最後かもしれない。

大看板

我が圓窓師匠が、どれほど大看板かということ。
落語協会での香盤(序列みたいなもの)を見ると・・・(敬称略)
 ① 三遊亭圓歌 …元落語協会会長Photo
 ② 鈴々舎馬風 …前落語協会会長
 ③ 三遊亭金馬
 ④ 橘家圓蔵    
  ⑤ 柳家小三治 …現落語協会会長
 ⑥ 古今亭圓菊
 ⑦ 三遊亭圓窓
 ⑧ 入船亭扇橋       ・・・・と続きます。
会社で言えば重役に、「師匠、高座本ください。」なんて言ったりしている無邪気な素人弟子たち・・・(私も含めて)。
若手の噺家さんにすれば、それこそ雲の上の存在の師匠と、平気で会話できるなんて、本当に羨ましいのだそうです。

鴻池の犬・はてなの茶碗・・

江戸時代の豪商と言えば、江戸の三井・大坂の鴻池というのはね誰もが認めるところです。
ところが現代では、「三井」の名前は相変わらず有名ですが、「鴻池」の方は、わずか一部の企業名に残っている程度です。Photo
大阪の北浜に、「大阪美術倶楽部」という建物があります。
こここそ、旧鴻池家本宅跡なのです。  
高層ビルが立ち並ぶ中で珍しく低層で、クリーム色とレンガ色の要塞のようなたたずまい。「旧鴻池家本宅跡」の石碑を横目にして一歩中に足を踏み入れると、敷地面積約3千平方メートル、かつての豪商の華麗で洗練されたたたずまいが姿を現します。
元家主の「鴻池善右衛門」は、江戸から昭和初期にかけて11代続いた豪商。
日本一の資産家として知られ、落語にまつわる噺もあります。
中でも「鴻池の犬」は、ある商家から鴻池家へともらわれ、時を経て地元の顔役になった犬のクロのところへ痩せこけた不良犬が迷い込み、実は生き別れになった弟だったという人情…いや“犬情”噺。
そして、水が漏るただの湯飲み茶碗が千両に化けた噺「はてなの茶碗」にも、鴻池の主が登場します。
この建物の一室で、3年前から落語会が開かれているそうです。
「船場今橋 大美落語会~旧鴻池邸で船場噺を聴く会」。
主宰の笑福亭竹林さんが落語に造詣の深い古美術商の勧めで会を始めたそうで、年4回、250人収容の広間は常に満席だそう。
 「芸の世界で器(=会場)の力と言いますが、まさにそれです。お客さんも和服姿があでやか。芸歴30年で落語の楽しさを再発見させてもらっています」
と。
先日、さん喬師匠の「鴻池の犬」を聴いて思い出しました。
江戸時代の大坂の大富豪「鴻池両替店」の系譜は、明治以降は鴻池銀行から三和銀行・UFJ銀行となり、現在は三菱東京UFJ銀行に繋がっています。
三井や他の財閥系よりもずっと早い1656年創業の日本最古の銀行です。
鴻池家は、戦国時代の武将山中鹿之介の子孫と伝えられ、戦国期末に伊丹の鴻池村で酒造業を始めています。
江戸時代初めに清酒を造る技法を確立し、その後の繁栄の基礎を作りました。
鴻池家では大阪に支店を出し、一族のうち正成を店主に充てたのですが、これが後の鴻池善右衛門となり、豪商へと成長していくこととなります。
特に3代目善右衛門は鴻池新田を開拓し、大名貨を中心とする両替業に専門化してついには十人両替となり、大坂随一の両替商として発展することになります。
1863年(文久3年)には、結成から間もない新選組(壬生浪士組)が200両を鴻池家から借り入れています。
1864年(元治元年)には、鴻池家を中心に大阪の豪商達が、新選組と会津藩に対して7万1千両にも上る出資を行っています。

2011年10月19日 (水)

新たな「お座敷」?

ある人を経由して、地元にある某大学生涯学習講座の韓国語の講師の方から、ちょいと「お座敷」のオファーがありました。
Photo_2韓国語の聴講者を対象に、日本語と韓国語について話したり遊んだりしようというプログラムを考えていて、その中で、両国の語源や面白い話がしたいということで、「落語」に白羽の矢が立ったようです。
その先生と、メールで打ち合わせを始めました。
 ◇12月17日(土)午前11時~12時
50名近くになるようなニュアンスです。
恐らく、主婦の方が多いと思いますから、演題も選ばなくては。
1時間弱の時間で、長講を1席かそれとも中ぐらいを2席か・・・?
女性が多いのなら「救いの腕」がいいかもしれません。
まだ獲らぬ狸の・・・。実現できれば良いですが・・。
でも、ありがたいことです。

2011年10月18日 (火)

「藪入り」玉砕す!

新しい「藪入り」は、予想通り見事に"玉砕"しました。
藪入り玉砕!
どうも、後半の新しい部分が気になって緊張してか、前半の部分もなかなか上手く出来ません。
さあ、いよいよ後半へ・・。
私は、本番と同様、稽古の時もメガネを外して演るので、また千早亭の稽古場は広いので、師匠の表情などは分かりません。
ぶっつけ本番で、何ヶ所も言い澱みながらオチへ・・・。
師匠:「うう~ん・・・。やっぱり地口になってしまうねぇぇ・・。
    それなら、「チュウ」とあまり変わらないなぁ・・。
    せっかくいい噺なんだから、地口オチでない方がいいよ。」
永久:「師匠からいただいたストーリー(亀は熊さん夫婦の実子では
    ない)だと、親が子を思う気持ちが弱いのではないかと思いま
    したから・・・。」
師匠:「うん、でもそれは演じ方の問題だよ。
    それは、(永久さんの)演じ方で克服できるはずだよ。」
永久:「・・・そうですね・・・確かに。」
師匠:「あたしが昔やったのがあるから、今度の稽古の時に(高座本
    にして)持ってくるよ。」
永久:「師匠、ありがとうございます。参考にさせていただきます。
    よろしくお願いします。」
・・・という訳で、なかなか・・・。
月末近くの三流亭の稽古会の時にいただくことにしました。
また、本番(来月12日)にヘッドスライディングです。
・・・トホホ・・・。

噺の考察集「救いの腕」

師匠の各高座本の巻末の「噺の考察集」への投稿文を考えてみました。
「救いの腕」高座本2冊
【救いの腕】
「圓窓五百噺」の第499番目、師匠が女性作家の唯川恵さんの短編小説をヒントに創作された噺。
今まで演ったことのないパターンの噺にチャレンジしてみようと、師匠にお許しをいただいて取組んでみました。
男が、男の目で、男を主人公にして口演される噺が多い中、女性を主人公にして、女性の会話だけでストーリーが展開して行きます。
ところが、原作者の師匠しか口演されていない噺で、しかも女性同士のやり取りが続くために、今まで経験したことのない高い壁にぶつかってしまい、なかなか出来上がらず、本当に悩みました。
「耳慣れない噺だから、とにかく耳で慣れることだよ」と師匠からのアドバイス。
そして苦心惨憺の上で臨んだ本番の高座の当日。
客席には、おかげさまで中年の女性を中心にいっぱいのお客さま。
マクラをふって本題に入って暫くした時でした。
ちょっと不思議な感覚に捕われました。
喋っているのは確かに私なのですが、噺を進めているのは私ではないのです。
話の中の姉妹の会話が客席に入り、観客が噺を引っ張って、拙い私を助けてくれている・・??
オチの後に、「あぁぁ・・」という溜息のような声が聞こえました。
「自分のことのように聴きました」「身に詰まされてしまいました」と、何人もの女性の方が声をかけてくださいました。
実は、自分では予想もしていなかった反応でした。
「あれは、私が喋った噺ではない。演者を越えて、作品と観客の方々が勝手に共鳴して出来上がった高座だった。」そんな気がします。
師匠から頂戴したこの噺、これからも大切にし、折に触れて口演を繰り返してみたいと思っています。
再びあの快感と感動に出会えるように。
ちょっと長すぎるかな・・・と思いつつ、師匠にメールを送りました。

新説・薮入り

昨日、帰宅途中の地下鉄に乗っていて、突然「薮入り」の新しいオチが閃きました。
どうも、先日の設定は、今ひとつ腹に落ちない部分がありましたので、ちょっと気になっていたのです。
そこで、ボーっと考えているうちに、ふとオチを思いつきました。
・・・これも地口オチなのですが、「チュー」よりはマシかもしれない。
「亀ちゃん」がお使いの途中、吾妻橋の袂で財布を拾う・・。
中には、何と9両もの小判が入っている。
どこでも良いのですが、お馴染みの?吾妻橋の袂にしました。
・・この部分を入れておいて、・・・・っとオチへ繋げて行く。
今夜の「千早亭」の稽古会でやってみて、師匠にアドバイスをいただくことにしよう・・。

2011年10月17日 (月)

会報「あおば亭」原案

会報「あおば亭」原案
「賀千家ぴん吉」さんからの原稿が届いたので、帰宅してから「あおば亭」の原案づくりの仕上げに没頭しました。
何とか、予定通りのページ数に収めることが出来そうです。
これを先輩方に諮り、よければこれで確定です。
ただ、まだ校正が出来ていませんから、仕上げをしっかりやらないといけません。
まぁ、色々思う人や言う人も多くいるのでしょうが、平にご容赦いただこうということです。

NHK新人演芸大賞

お笑い新人の登竜門の1つ、平成23年度「NHK新人演芸大賞」落語部門の本選が行われ、「三十石」を演じた桂まん我さんが大賞に輝いたそうです。
まん我さんは平成11年、桂文我さんに入門。
3度目の本選出場で栄冠をつかんだそうです。
落語部門には東西82人が参加。
最終予選を勝ち上がった5人で競ったとのこと。

ぴん吉さんから

落研OB会会報「あおば亭」に寄稿をお願いしていた「賀千家ぴん吉」さんから、待望の原稿が送られて来ました。
ボランティアの落語慰問の様子や震災後の仙台の様子などが著されていて、会報の内容が重厚になる気がします。
これで一通り原稿が揃いましたので、編集を進めたいと思います。
「あおば亭」の創刊号は、以下のような内容になる見込みです。
 ■ 「あおば亭」創刊にあたって     ~OB会会長 南亭蕪生
 ■ 「創部50周年」後のOB会の活動      ~  杜の家頓平
  ■ 30年ぶりの落研の高座           ~ 破れ家笑児
 ■ 東日本大震災のボランティア活動     ~ 賀千家ぴん吉
 ■ 最近のトピックス                ~ 編集担当者
 ■ 「あおば亭」の名称について          ~ 編集担当者
 ■ 編集後記                    ~  編集担当者
これで、A4判の表裏4ページ程度になると思いますので、今度のOB会総会に間に合わせようと思います。
マニアックな内容の寄稿や、メンバーの紹介などの期待やご要望もありますので、次回以降のお楽しみということで、とりあえずお許し願おうという訳です。
今回は、笑児さんやぴん吉さんといった、比較的若手の方に一肌脱いでいただきましたが、これから続けていくことが大変です。

ネズミ捕りのない「薮入り」

「かくばかり 偽り多き 世の中に
              子の可愛さは まことなりけり」
どんなに世の中が進みましても、親が子思う「情」というものは変わりはないなんて言いますが・・・。
「ネズミ捕りの懸賞」を入れずに「薮入り」を作り上げる。Photo
これが、先日の三流亭の稽古会で師匠からいただいた宿題・課題です。
5月の「お江戸OB落語会」で演った「佃祭」も、原作にある「戸隠様に納める梨」をカットしました。
果物の梨だからカットしても許されましたが、さすがに今回はこれとは随分次元の違う作業になるでしょう。
初めての薮入りで帰って来た亀ちゃんの財布の中に入っていた大金は、どうして出来たものなのか。
ネズミの懸賞で当たったのではないとすれば、何にしようか・・・・。
そして、あんまり良くないとはいえ、ネズミの「チュー」と実直に奉公する「忠」との地口オチは使わない(使えない)・・・。
別のオチにしなくてはいけない。
・・ということは、何か新しく仕込まなければいけない。
師匠からのアドバイスを受けて・・・。
お金は、「亀ちゃん」がお使いの途中で、3両入った財布を拾ったことにしよう。
えっ?それじゃあ「三方一両損」?・・そうじゃない。
そして、自身番に届けたが、落とし主が見つからないまま時間が過ぎて、お金は「亀ちゃん」のものになる。
その小判を旦那様(番頭さん)が預かってくれていて、薮入りの朝に
「このお金はお父っつぁんに渡しなさい」と言われたので、財布に入れて帰って来る。
その財布を両親に覗かれ、見咎められて、盗んだお金だと誤解されてしまう。
うん、ここまではこれでいい・・。
これから、どうやってオチまで持っていくのか・・?
師匠からいただいたアドバイスで、人情で結んでみよう。
それじゃあ「薮入り」じゃあないじゃないか。
その組み立てだと親子の絆が弱くなってしまう・・・。
なんて言われるかもしれませんが。

マイシート

「朝日名人会」の会場「有楽町朝日ホール」。
マイシート
今年4月から来年3月までの1年間10公演は、「◇列-20番」が、私の席として確保されています。
                    マイシート
黒い鞄を置いてあるのが「マイシート」です。
毎月第3土曜日の午後の至福のひとときを過ごす夢のシートです。

2011年10月16日 (日)

藪入り

稽古会での衝撃的な?「薮入り」のこと。 
籔入り
「そうか、ネズミの懸賞で15円か。亀、この先も立派に勤め上げろよ。みんなチュウ(忠)のおかげだ」・・・。
稽古で、誰でも知っている「薮入り」のオチを言ってお辞儀をすると、
師匠が、「この噺はとてもいい噺なんだが、あたしはどうもオチが好きじゃない。突然"忠"なんていう言葉が出て来て、チュウなんていうネズミの声の地口なんていうのには無理がある」。
・・という訳で、師匠からのアドバイスは、噺の中から「ネズミ捕り」の部分をカットしてしまい、当然オチも新しくするという・・・。
ネズミを捕まえて交番へ持って行くと2銭もらえた。ペストでも流行ろうものなら4銭もらえた。それでバイキンと言った。・・・・懸賞があって、5円・10円・15円・・・。
これ、「薮入り」の定番の仕込みです。
この部分をなくしてしまうなんて・・・。
ということは、亀の財布の中の15円は懸賞の当選金ではなく、別の理由でなくてはいけない。何にする・・?
う~ん・・・。この噺の良さを活かして最後まで人情を語り続けるなら、「チュウのおかげ」では限界があるのも確かです。
「分かりました。師匠、師匠のパターンで作り替えてみます」と、思わず宣言してしまいました。
さて、どんな「薮入り」になりますことやら・・・。
是非お楽しみに。
それから、今までこの「薮入り」という噺で気になっていた部分について、師匠に相談してみました。
まず、この噺の舞台はどうも明治以降の東京が舞台になっているようだということです。
十八番にしていた先代金馬師匠の音源でも、「まだ電車だって動いちゃいないよ」とか、「交番に届けると2銭もらえた」なんて、間違いなく維新後の様子で語られています。
でも、個人的には、この噺の舞台を、明治時代ではなく、江戸時代に設定してやってみたい。
例えば、時刻を12時・1時・2時でなく、九つ・八つ・七つでやりたい。
でも、江戸時代に設定すると、今度はネズミの懸賞金が5円・10円・15円ではおかしくなる。
それに、ネズミの懸賞が江戸時代にあったかどうかは分からない。
ところが、師匠のアドバイスの新しいストーリーで、ネズミの懸賞の場面がなくなれば、この悩みは即座に解決できる。
・・しかし、財布の中身が15円のままではいけない。
いくらぐらいにしようか・・・、3両か5両ぐらいで、小判にしてやってみようか・・・。
よし、ストーリーと時代設定の両方に手を加えて、ちょっと変えてやってみることにしよう。
「子ほめ」「三方一両損」「浜野矩随」に続いて、乱志オリジナルのオチにしてみよう。
これもまた落語の奥深さだと・・・。

原宿焼きショコラ

「落語っ子連・三流亭」の稽古は、日曜日の10時30分から。
師匠に稽古をつけていただいたり、芸談を聞かせていただいたりで、終わるのは2時近くになってしまうこともあります。
そこで、私はよく、みんなでちょっとつまんだりするものを買って行きます。Photo
上野駅の「駅なか」で買ったり、門前仲町の駅を降りてから、煎餅やどら焼きなど・・。
最近のヒットは、何と言っても「原宿焼きショコラ」という洋菓子です。
これは、「コロンバン」という有名な老舗メーカーの商品で、以前にも一度、稽古会に持って行ったことがあります。
師匠が珍しく、「このお菓子は美味いね。どこの?」と仰りながら、立て続けに2~3個食べてくださいました。
「ふわふわエアインチョコに、サクサクチョコレートクランチを混ぜ込み、しっとり焼き上げた、夏でも溶けないショコラ」だということです。 
お菓子は偶然買ったのですが、この会社には友人・知人が複数いますので、早速師匠の感想を伝えることにしたいと思います。
また買って行くことにしましょう。
何でも、お菓子のコンクールで「金賞」を受賞しているそうです。

落語っ子連「ん組」稽古会

さて、今日の稽古は少人数ですから、密度の濃い稽古が出来ました。
落語っ子連「ん組」稽古会
  ◇ 藪入り   三流亭流三
  ◇ 明烏    三流亭窓口
稽古をつけていただく前に師匠に、「学生時代に演ったことがある噺なので、高座本を作らず、記憶だけを呼び起こしてやってみます」と、宣言半分・言い訳半分。
それこそ35年ぶりに通してみたのですから、出来そのものはポロポロですが、師匠が「いやぁ、よく覚えていたものだねぇ」と、変な感心をしてくださいました。
いくつかご指摘いただきましたが、師匠から衝撃的な?提案をいただきました。
「えっ?」
そうです。師匠の持論でもあるオチへのこだわりです。
これについては、別項で述べることにしましょう。
私がおわった後は、窓口さんの「明烏」。
師匠から、若旦那の両親が明るく演じ分けられるようになったし、とてもよくなったとお褒めの言葉。
窓口さんも、師匠のプログでのコメントをチェックしていて、努めて表情を明るくするようにしたとのこと。
その成果は十分で、素晴らしい「明烏」になりつつあります。
とにかく、私の付け焼刃と違って、丁寧に熟成させていますから。
横で聴かせていただいて、窓口さんの噺っぷりも師匠のコメントも、とても勉強になります。
これも稽古ですね。

「救いの腕」談義

稽古場に行くと、ちょうど師匠もご到着。
窓口さんは既に稽古場に来ていました。 
「救いの腕」談義
今日は、窓口さんとまど音さんと私の三人のようです。
窓口さんから「救いの腕は上手くいきましたか?」と聞かれました。
そこで、初めて経験した、噺に観客が乗って勝手にストーリーが展開して行ったことを話しました。
師匠もこれを聞いて、「初めて他人が演るのを聴いて、いろいろ気づくところがあったよ」とか、私が味わった不思議な体験を、とても楽しげに、頷きながら聞いてくださいました。
あの時の特に女性の観客の方々の、その思いもよらなかった反応と感想・・・。
今まで演った落語の反応とは全く異質のものでした。
「師匠、この噺、物凄い噺ですね」
「女性の観客が多いあの会場だから、なおさら受けたんですね。
やはり落語はライブですね」
「演る前には予想だにしなかったことが起こり、とんでもなく素晴らしい体験が出来る・・・。
これが落語を演る魔力、演る人しか分からない落語の魅力ですね」
「師匠がマクラで仰っていた、男が男の目で作った男が主人公の伝統的な落語ではなく、女性が女性の目で見た女性や男を描いた落語があっていいということを、身を以って実感しました」・・・・・。
師匠も、大変嬉しそうでした。
という訳で、この「救いの腕」の話題を手始めにして、師匠の高座本の巻末の「噺の考察集」に、色々なコメントをさせていただく投稿者として、私も仲間入りさせていただくことになりました。
「流三の落語徘徊師」というペンネームにして。

深川界隈

今日は落語っ子連・三流亭「ん組」の稽古日。
深川界隈 深川界隈
門前仲町駅を上がると深川不動様の表参道です。
もう七五三の旗が出ています。
ウォーキングの10名ぐらいの集団が、地図を見ながらあれこれ言っていたり、のどかな下町の風景が広がります。
・・・かくいう私は、ぶっつけ本番の稽古に緊張しながら、稽古場に向かいます。

落語はやおき亭

今朝は、「三遊亭小遊三」師匠との対談で、落語はありませんでした。
それだけ。

TOKYO KIMONO WEEK

日本橋界隈で、今月19日から来月3日まで開催されるイベント。
日本独自の「きもの」の魅力を発信しようという了見なんだそうです。
http://www.nihonbashi-tokyo.jp/event/20111019.html
落語をやっているので、確かに一般の人よりも、いくらか「着物」に接する機会は多いのかもしれませんが、特別に詳しい訳でも、着物をどっさり持っている訳ではありません。
既に日本は「洋服」社会になって、着物は「非日常」の着衣になっています。
でも、時々着物を着ると、少し着物に慣れて来ると、やはり日本の風土に最もフィットしている優秀なものだと実感します。
暑さ寒さや湿気を凌ぐのに、見た目以上に涼しく温かい。
畳めば、平たい四角い形になり、整理も持ち運びにも便利です。
最近は、この着物が見直されている部分も増えているようで、着物を着ている人が増えつつあるようなのは、大変結構なことです。
私は、衣装ではなく衣裳として、少し着物を持っているだけで、とても着てお出かけというレベルではありませんが、そのうちにと・・。

落語DEデート

それにしても、ちょっとつらい?日曜の早起き。
特に、先週しくじってしまいましたから、今朝はしっかり起きないと。
ところが、気がつくと、出囃子が聞こえて来ます。
「うわっ、今朝も」と、びっくりして飛び起きたというところ。
  ◇ 味噌蔵     八代目三笑亭可楽
この手の噺は、ダラダラできはいけませんが、ゆっくりじっくり聴きたいものです。
ところが、可楽師匠の手にかかると・・、まあせわしいというか・・。
でも、奉公人たちが酒盛りをする場面は、三味線が入っていました。
この噺もやってみたい噺なのですが、チャレンジしてみようかなぁぁ。

2011年10月15日 (土)

朝日名人会

はっきりしない天気ですが、今日も今日とて「朝日名人会」。
      朝日名人会
昨夜、ちょっと夜更かししたので、かなりの睡眠不足。
恐らく、途中眠ってしまうかもしれないと、心配しながら有楽町朝日ホールへ。
    朝日名人会 朝日名人会
   ◆ 子ほめ         柳家おじさん
   ◆ 家見舞い       三遊亭金兵衛
   ◆ 付き馬         桃月庵白酒
   ◆ 鴻池の犬       柳家さん喬
   ◆ 紙入れ         金原亭馬生
   ◆ 富久          柳亭市馬
やはり、まともに聴くことができた噺はありませんでした。
強いていえば、馬生師匠がよかった。
さん喬師匠は、昨日の今日で、何となく・・・。
「鴻池の犬」というのは、なぜかあまり好きになれません。
市馬さんは久しぶりでした。
こんな感じでしたっけ?

「華麗なる〈京蒔絵〉」

「朝日名人会」に行く前、「三井記念美術館」で開催されている「華麗なる〈京蒔絵〉」を鑑賞しました。1
思わず溜息の出るような、素晴らしく贅沢な品々に、時の経つのを忘れました。
さまざまな芸術を支援した近代の三井家。
なかでも寛文元年(1661)に創業した京都の漆器商・象彦へもパトロネージで、三井家の特別注文による豪華な蒔絵が数多く誕生しました。3
本展では三井家に伝来した象彦作品を一挙初公開するとともに、象彦代々の優品も展示。日本が誇る伝統工芸「蒔絵」の華やかな煌めきをご堪能ください。Photo
・・・という訳です。
開館直後でしたから、館内も落ち着いていて、ゆっくり鑑賞することが出来ました。
一通り見た後は、美術館に併設されているミュージアムカフェで、「豆腐ハンバーグ御膳」というヘルシーな食事をしてから、「朝日名人会」の有楽町に向かいます。

半分垢

圓窓師匠が「五百噺」の最初にお演りになったのが「半分垢」。9454282
贔屓の関取が上方巡業から帰って来たというので、町内の金さんが訪れる。
関取は奥で休んでいるので、女房が応対に。
「関取はまた大きくなって帰って来たでしょうね」と言うと、女房は大いに喜んで、「声は割れ鐘、顔は大屋根の上、戸障子を外して這って入った。
顔は四斗樽、目は炭団。
飯は一石ペロリ。
道中、牛を三匹踏み潰した」と調子に乗って答える。
客が帰った後、起きて来た関取は女房に「こっちから『大きい、大きい』と言うものではない。帰りの東海道の吉原の茶店で『富士山が高くて立派だ』と褒めたところ、茶店の娘が『朝夕見ておりますと、さのみ大きく見えません。半分は雪でございます』
と卑下して言った。それを聞いて改めて富士山を見ると、前より一層大きく見えた。
卑下するのも自慢の内という。やたらに『大きい、大きい』と自慢するものではない」とたしなめた。
そこへ、金さんから聞いたという熊さんが訪れる。
女房、今度は「声は虫の息、お顔は煎餅の欠けら、目は砂っ粒。
飯は一粒出したら半分残しました」などと小さくなったという返事。
関取は恥ずかしくなって顔を出すと、客が見て「おかみさん、関取はこんなに大きいじゃありませんか」
「いいえ、半分は垢
でございます」
落語にいくつかある相撲の噺ですが、あんまりきれいな噺ではありません。
師匠が五百噺のスタートに選んだ理由は・・・・、一度お聞きしようと思います。

2011年10月14日 (金)

東京落語会

落語会をやっている間、外は雨が降っていたようです。
仕事で遅くなり、会場へ着いたのは、7時近くになってしまいました。
東京落語会
  ◆ 一目上がり       古今亭菊志ん
  ◆ 万病円          三遊亭小圓朝
  ◆ 毛せん芝居       林家正雀
  ◆ カラオケ病院      昔昔亭桃太郎
  ◆ 長短           立川志らく
  ◆ 井戸の茶碗       柳家さん喬
東京落語会遅くなってしまった今夜は、正雀師匠の途中から聴くことになりました。
申し訳ありませんが、桃太郎師匠と志らくさんは、まあそうかというところでしょうか。
「カラオケ病院」は、「春風亭柳昇」師匠の十八番。
来月のOB落語会「お江戸あおば亭」では、先輩の「桂友楽」師匠が演る予定です。
お弟子さんの桃太郎師匠が、それなりにやっていて、近くのいかにも落語を聴き慣れていないお兄さんに受けていました。
今月から、会員更新され新しいクールに入っていますから、先月までとは席が変わっているのです。
私は、席をずっと変えていませんが、来年3月まで、このお兄さんのバカ笑いにお付き合いすることになるのか・・と思うと・・・。
志らくさんは、変なくすぐりを入れ過ぎて、この単純に面白い噺の魅力と可笑しさが出て来ない。
妙に変な声でした。
・・そしてさん喬師匠。
今まで一番聴いている噺家さんの一人ですが、一番不調な高座だった気がします。
さん喬師匠とてスーパーマンではないということです。
言い間違いもあったし、かなりはしょっていました。
明日の「朝日名人会」では「鴻池の犬」ですが・・。
終わって外に出ると、雨が降った後で、道路が濡れていました。
今夜も、頓平師匠と金魚師匠と、いつもの焼き鳥屋さんでの鼎談を楽しみました。
今夜の落語会のこと。
来年の新真打のこと。
来月のOB会の総会のこと等・・・・。
明日は休みの、一番解放された時間です。

真打昇進

来年の春に「春風亭一之輔」さんの真打昇進が決まっていますが、同時に来年秋の昇進も発表されています。Photo_2
「古今亭朝太」さんと「古今亭菊六」さんの古今亭の二人。
私の認識が正しければ、一之輔さんは約20人、菊六さんに至っては30人近くを抜いての昇進だと思います。
基準はよく分かりませんが、菊六さんは十分納得出来る抜擢だと思います。
今まで、「無風」な状態が続いていましたが、小三治会長になって変わってきた感じがします。
サラリーマンの世界でも、昇格・昇級があり、その評価基準などは悩ましいのですが、やはり様々な角度から見た上で、実力と将来性を見て決めて行くのでしょう・・・。

お初徳兵衛浮名桟橋のオチ

いつかやってみたい噺のひとつに「お初徳兵衛浮名桟橋」があります。
出来れば、来年の5月頃に開催されるであろう「お江戸あおば亭」あたりにぶつけたいなと・・・。
師匠にもご指導いただきたいと思っていますが、恐らく師匠からは「オチを付けよう」と言われることでしょう。Photo
「浜野矩随」の時にも、「寛政の年度に親子二代に渡って名人と言われた浜野の一席でございます」でなく、落語はオチ(さげ)があるから落語だということで、師匠も考えてくださり、2パターンのオチを作りました。
ということで、「古い本の裏表紙を剥がすと・・・・、お初徳兵衛馴れ初めの一席でございます」ではなく、しっかりしたオチにしないといけませんね。
・・・考えました。
安易ではありますが、ちょっと思いつきました。
これでやってみましょうか・・・。
(まだ秘密です。)

沈香・伽羅

今まで縁のなかった「香道」。Photo
伽羅(きゃら)という言葉は知っていましたが、あまり良く知りませんでした。
沈香(じんこう)、正しくは沈水香木(じんすいこうぼく)という香木があるそうです。
東南アジアに生息するジンチョウゲ科ジンコウ属の植物である沈香木などが、風雨や病気・害虫などによって自分の木部を侵されたとき、その防御策としてダメージ部の内部に樹脂を分泌、蓄積したものを乾燥させ、木部を削り取ったものである。
原木は、比重が0.4と非常に軽いが、樹脂が沈着することで比重が増し、水に沈むようになる。
これが「沈水」の由来となっている。幹、花、葉ともに無香であるが、熱することで独特の芳香を放ち、同じ木から採取したものであっても微妙に香りが違うために、わずかな違いを聞き分ける香道において、組香での利用に適している。
沈香は香りの種類、産地などを手がかりとして、いくつかの種類に分類される。
その中で特に質の良いものは「伽羅」(きゃら)と呼ばれる。
非常に貴重なものとして乱獲された事から、現在では、ワシントン条約の希少品目第二種に指定されている。

「きゃらぶき」という料理があります。Photo_7
きゃらぶきとは、蕗(フキ)を伽羅色に煮付けた料理です。
フキとは山ぶきであり、伽羅(きゃら)はこの伽羅ですよね。
伽羅の上質なものは競い求めらています。
そんな伽羅にちなんだ黄色を帯びた褐色が伽羅色ということです。
・・・どうも食べるほうの話題に行ってしまいます。
私は、そういう"キャラ"なんです。

落語事始

師匠のブログに、落語稽古エッセイ〔真仮名の「落語事始」〕のことがアップされていました。
噺っ子連の「有難亭の真仮名」さんから、高座本[釜泥]の考察集への投稿があったとのこと。
http://ensou-rakugo.at.webry.info/201110/article_19.html
先日の「千早亭落語会」の時に、師匠が仰っていた、高座本の巻末の「噺の考察集」への投稿のことです。
私も、「流三の落語徘徊」ということで、師匠宛に投稿してみましょう。
手始めは、先日の「救いの腕」でしょうか。

スペアインク

スペアインク
私は、時々万年筆を使います。
と言っても、外国製だったり、蒔絵の装飾が施されていたりとかの、高級な代物ではありません。
実は、筆ペンもどきの万年筆で、ちょっと手紙を書いたりする時には、とても重宝なので、随分前から愛用しています。
先日、銀座に出て「」のマークで有名な文具店「Ⅰ」に立ち寄りましたが、その時にこの筆ペンもどき万年筆があったので、高いものではないからもう一本と、買うことにしました。
「このペンはセーラーのスペアインクだから、それも1箱付けてください。」とお願いしました。
店員さんが、万年筆とスペアインクを袋に入れてくれたのを受け取って帰りました。
暫くそのまま置いたままだったのですが、ある時何気なく袋を開けてみると・・・・、プラチナのスペアインクが入っていました。
万年筆が1050円、スペアインクが420円。
間抜けな「」店員さんにやや腹が立ちましたが、しっかり確かめなかった私もいけません。
もう後の祭りです。
持って行って交換してもらおうと思いましたが、気が弱いのと?そのために行くのも面倒くさくて・・。
・・・・その後、別の店でセーラーのインクを買いました。
そして、究極の発想の転換。
今日100円ショップで、プラチナのスペア使用仕様の万年筆を105円で買いました。
持っているものより細字ですから、使い道はあるでしょう。
という訳で、落語とは全く関係のない、「安物買いの銭失い」という、とてもくだらない話でした。
こういうのも、規格を統一して欲しいものです。

2011年10月13日 (木)

またバカなオヤジ

また思慮の浅いオヤジのニュース。
大分県由布市で行われた「由布院牛喰(く)い絶叫大会」で、同県畜産協会長で同市区選出の県議(77)が「セシウム牛は要りません」と叫び、被災者から「失礼な発言」と憤る声も出ている。
大会冒頭挨拶の後、最初に見本として「セシウムで汚染されたわらを食べた牛の被害が広がっている。由布院の牛肉は汚染のわらを食べていないので安全だ」と絶叫。
一呼吸置き、「セシウム牛は要りません」と声を張り上げたという。
県議本人は新聞の取材に対して「国の対応のまずさを批判する内容だった」と説明。
しかし、福島県いわき市から大分市に避難している男性(70)は「現地で生活を立て直そうとしている人に失礼な発言」と怒っていた。

絶叫大会の「見本」として叫んだと言うのですから、もう呆れてものも言えません。
自分の立ち位置や影響、デリカシーと常識からして、どうあるべきかが何故分からないのでしょうか・・・。
責任を取らない企業トップや政治家ばかり・・・。
与太郎の足元にもおよばない愚か者。
その愚か者の下で働かされる労働者、愚か者を選んで税金を給料に充てる選挙民。
・・・バカみたいですね。
もうひとつ、スポーツマンシップて何?という話題。

社会人ラグビー・トップイーストリーグの試合中、東日本大震災の被災地を拠点とするチーム選手に、在京の相手チームの選手の一人が「お前ら、震災で頭おかしくなったんちゃうか」と暴言を吐いたことが分かった。
主催する関東ラグビーフットボール協会はこの選手を30日間の対外試合出場停止処分とした。
試合後半20分過ぎ、両チームがスクラムの組み方を巡ってもめた際に発言したという。
同協会は今月9日付で試合翌日から30日間出場停止を命じた。
このチームが所属する企業の広報・IR室は「大変申し訳ない。部員の再教育を徹底する」とコメント。
被災地のチームのゼネラルマネジャーは「親戚を亡くしたり家を流された選手もいる」と残念がる。
こんな心ない一言で、会社の信用も失墜する訳で、人権の問題でもあると同時に、罪のない社員や家族を不幸にしてしまうものです。
みんな大人にならなくては・・・。


香道

落語は「聴く」もの。香りは「聞く」ものだそうで、「きく」仲間です。
多くの楽しみと言うのは、視覚・聴覚・味覚・触覚で楽しむ物がほとんどですが、嗅覚で楽しむものは珍しいかもしれません。
尤も、茶も花もグルメも、香りを楽しむ部分もあるのでしょうが。
落語は、視覚と聴覚を駆使して頭の中のスクリーンに情景を映し出し(想像)、人情の機微を味わう楽しみです。
香道」とは、香りを楽しみ、日常を離れた集中と静寂の世界に遊ぶことを目的とした芸道で、一定の作法のもとに香木を炷(た)き、立ち上る香りを鑑賞するものである。
聞香または香あそびということもある。Photo_4
同時に、香席に飾られたり、手前に使用する道具は美術的要素が高く、組香の記録紙には書道の要素が加わることなど、総合芸術といわれる。
元来は公家の素養とされ特に三条西家が代々伝えた。
香道は、香木が推古天皇3年(595年)に淡路島に漂着してから、宗教的(主として仏教)に利用されてきた香木を、炷き、香りを聞いて鑑賞するものとして利用するようになり、結果として日本独自の芸道として発展した。
特に、香木の香りを聞き、鑑賞する「聞香」、さらに香りを聞き分ける遊びである組香として体系化したものである。Photo_6
室町時代の東山文化のころ、茶道や華道が大成するのとほぼ同時期に作法なども大成され、現在の形に近いものになったと考えられている。
この頃、それぞれに異なる香りを有する香木の分類法である「六国五味」(りっこくごみ)なども体系化された。

日常を離れた集中と静寂のせかいに遊ぶのが「香道」。
そして、日本の芸道の常で、道具の美術品としての価値も味わう。
きっと、深くて素晴らしい世界なのでしょう・・。
「茶道」「華道」「歌道」「香道」「講堂」・・・、ちょっと違うのも混じっていますが、日出ずる国でいにしえに起こり、いにしえから伝わり、長く愛好され究められてきた「道」です。
「剣道」「柔道」「居合道」「北海道」・・・も同様です。
しかるに我が「落道?」は・・、何か道端から崖下へ落ちるようですが、やはり究めて行かなければと・・・。
師匠の「落語と香道のコラボ」・・・、ちょっと行ってみようかと、早速予約しました。

「昭和の名人完結編」(18)

玄人筋から評価されたという「八代目三笑亭可楽」。

私は全く間に合いませんでしたが、未だにCDコーナーにも並んでいますから、やはり名人の一人なのでしょう。
とにかく淡白な芸で、どんな長講でも20分そこそこで演ってしまうという。
同じように、無駄な部分を削ぎ落して練り上げ、昭和の名人と言われた「八代目桂文楽」が省略の美学なら、こちらの八体目は無精の美学なんだとか・・・。
  ◇ 味噌蔵        三笑亭可楽
  ◇ 三方一両損     三笑亭可楽
  ◇ 士族の鰻       三笑亭可楽
考えてみると、「三方一両損」もそうですが、「甲府ぃ」も八代目可楽師匠の十八番で、それなりに聴いている噺家さんなんです。
それにしても、「三笑亭可楽」という名前は、江戸落語のルーツとでも言うべき大名跡です。
圓生も志ん生も小さんも、勿論圓朝も敵わない名前でしょう。
そう言えば、わが落研には、「三笑亭可楽」ならぬ「山椒亭から志」という名前があります。
由緒はありませんが、素敵な名前だと思います。
私が1年生の時の部長でしたから、ちょいとヨイショしておかないと。

2011年10月12日 (水)

落語と香道のコラボ

千早亭のメンバーの早千さんから、師匠の落語と香道とのコラボレーションの情報を受け取りました。Photo_3
11月3日(祝)午後1時から5時まで。
場所は、高幡不動尊「金剛寺」です。
圓窓師匠の落語「伽羅の下駄」に続いて、伽羅の下駄がテーマの香席が行われます。
香席では早千さんが香元をお務めになるそうなので、お香が初めての方でも安心してご参加出来るとのこと。
申込みは、日野市の「新撰組のふるさと歴史館」042-583-5100へ。
参加費は2500円です。
主催は、東京都日野市。
Photo_5
・・私はこの夏、東京芸術大学博物館に行って「お香」にちょっと触れました。
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2011/05/post-9a6b.html
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2011/05/post-cef1.html
千早亭の早千さんは香道に詳しいし、師匠の落語も聴けるし。
それに、先日の「救いの腕」の主人公が「お香」だったし・・。
ちょっと覗いみようかなとも。
東京都日野市観光協会が主催する「日野市楽市楽座文化講座」の一環で、この日は10時から「江戸の文化に親しもう」ということで、落語・連句・香道・茶道・筝曲が行われるようです。
師匠と窓輝さんは、「江戸の音曲と落語の会」「江戸の寄席~若手落語会」で、ご出演されているようです。
そういえば、日野宿本陣で落語会もお演りになっていました。

広瀬さんの鳳楽評

広瀬さん、今回は三遊亭鳳楽師匠評です。Photo_2
六代目三遊亭圓生が1978年に「落語三遊協会」なる新協会を設立、圓生没後は総領弟子の五代目三遊亭圓楽一門が通称「圓楽党」として独立を保った。
現在の正式名称は「五代目圓楽一門会」。
会長は五代目
三遊亭圓楽の総領弟子である三遊亭鳳楽が勤める。
1947年生まれ、1965年に五代目圓楽に入門、前座名三遊亭楽松。
これは、初の孫弟子に三遊亭圓生が自分の本名「山崎松尾」から「松」の一字を与えて命名したものだ。
1972年に二ツ目に昇進、1977年にNHK新人落語コンクールで最優秀賞を受賞。
1979年には落語三遊協会として第一号の真打昇進を果たし、三遊亭鳳楽と改名している。
この三遊亭鳳楽が「三遊派の正統」を強く意識している噺家であることは間違いない。
『文七元結』『百年目』『らくだ』『火事息子』『乳房榎』『山崎屋』『鰍沢』『淀五郎』といった圓生十八番の数々を演じる鳳楽の高座には、一種の風格が感じられる。
ただし、芸質は六代目圓生とはだいぶ異なる。
鳳楽は、ゆったりとしたリズムで、鷹揚に古典の世界を描き出す。
口調も声も実に心地好いが、緩急のダイナミズムは感じられない。
どちらかといえば平坦な語り口で、独得のまったりとした空気感を醸し出す演者だ。
切れ味鋭い名人芸やドラマティックな感動を求めて鳳楽の大ネタを聴くと、肩透かしを食うだろう。
だが、落語は演者の個性を楽しむ芸能である。
鳳楽の高座には、旬の演者が競い合う現代落語の最前線とは一味違う、ゆったりとした時間が流れている。
こういう世界に浸るのもまた、落語の楽しみの一つなのだ。
※週刊ポスト2011年10月14日号1
鳳楽師匠も、存在感のある噺家さんです。
確かに、リズミカルでメリハリのある語り口調ではありません。
しかし、風貌や雰囲気から、とても安心して聴いていられます。
それから、こんな感じなら、自分にも出来るかもしれないと思わせるようなところもあり、実はそうではないのですが、不思議な噺家さんです。
最近はご無沙汰気味ですが、日暮里サニーホールの独演会には、何度も通っています。

今後の落語会と演題

これからの落語会・発表会等の予定と演題を考えなくてはいけません。
捕らぬ狸の何とやらで、まだ未確定なものばかりですが、かなりチャンスがありそうです。  
勝手に並べてみます。
 ■11月   お江戸あおば亭  「薮入り」
 △12月   落語と講演(ある筋から打診)
 △ 1月   老人会新年会(呼ばれるか?)
 △ 1月   お江戸あおば亭・番外編
 ■ 3月   落語っ子連・三流亭落語会
 ■ 3月   扇子っ子連・千早亭落語会
 □ 5月   お江戸あおば亭
 □ 9月   扇子っ子連・千早亭落語会
 □ 9月   OB落語会(仙台)
 △ 未定   笑児乱志二人会(いつかやりたい)
噺が決まっているのは、来月の「お江戸あおば亭」のみ。                       
そこで、圓窓師匠の「五百噺」のリストを参考にさせてもらい、何とか見つけたいと思います。
     
どこでかは別として、今イメージしている噺は以下のとおりです。
・「揺れるとき」…震災1年のタイミングでチャレンジしたい
・「お初徳兵衛浮名桟橋」…船徳ではなく
・「子別れ」…麻雀亭駄楽師匠との約束を果たしたい
・「抜け雀」…この噺もねぇぇ・・・
・「匙加減」…やりたいねぇ・・・
・「味噌蔵」…この噺好きです
・「片棒」…一度やろうとしたのですが・・・
・「鰍沢」…いつか必ず・・・
・「三味線栗毛」…珍しい噺ですが良い噺
・「崇徳院」…われても末に
・「三年目」…これも女心
どうしましょうか・・・・。

2011年10月11日 (火)

ねずみ捕りの懸賞

「薮入り」のオチにも繋がる、ねずみ捕りのこと。
スピード違反の取り締まりではありません。
この噺のマクラでの、三代目金馬師匠での説明です。
そのころ、ネズミが多くて、ネズミの家に人間が居候しているようだった。
その為プロのネズミ捕りがいた。
パチンコと言って、板の上に針金のバネがついたものにエサを付けて、夕方ドブやゴミ箱の横に置いて、翌朝それを回収して歩いた。
それで商売になった。
小僧さん達はネズミを捕らえると交番に持っていく。
するとネズミの足に木の札を付け焼却炉に放り込んだ。
替わりに小さな紙をもらい、それを役所に持っていくと2銭の金が貰えた。
当時の2銭は結構なもので、小遣い稼ぎになった。
ペストがはやると、4銭になった。
で、バイキンといった。
その他に懸賞があって、5円、10円、15円というのが当たった。
15円とは大金であった。
時代によって貨幣価値は違いますが、仮に大胆な換算をしてみます。
小僧が2銭で小遣いになったのですから、1銭100円として、2銭では200円。
バイキンの4銭で400円。5円では5万円、15円で15万円。
これは大金です。
母親が驚くのも無理はありません。

昔は、社会全体が貧しく、環境衛生も劣悪で、庶民の自己防衛の仕組みだったのかもしれません。
究極のエコ都市と言われた江戸の様子が垣間見えると思います。 

高座本「町内の若い衆」

先日の「落語の舞台を歩く会」の時に、「杜の家頓平」師匠に、以前から依頼されていた師匠の高座本「町内の若い衆」を、やっとお渡しすることが出来ました。
師匠は、お願いしてすぐに作ってくださったのですが、私が稽古会をサボっていたために、すっかり遅くなってしまいました。
前回のOB落語会では、「南亭蕪生」師匠が、何十年ぶりの封印を解かれ、すっかり「武闘派」に変身されましたので、今度は頓平師匠に復活していただく番です。
そうなると、OB会の正副会長が高座に上がることになるのですから、その他のOBも高座へということになるでしょう。
青年は荒野を目指し、老年(失礼)は高座を目指す。
11月の次の「あおば亭」では、きっと頓平師匠の勇姿を拝見することが出来るでしょう。
ご本人は、「いやぁ、まだまだ」などと仰っていますが、「みんなで寄ってたかって」高座に上げてしまおうと思います。
頓平師匠にも、お覚悟をお願いしたいと思います。
あとリクエストされている「二番煎じ」と「禁酒番屋」も、師匠にお願いしてあります。

2011年10月10日 (月)

17万件突破

10月10日。

密かに、アクセス累計17万件を超えました。
ありがとうございます。
こんなはずじゃなかったんですが・・・。

紅巣亭の宣伝

「落語っ子連」が稽古場として使わせていただいているのが、メンバーの「三流亭まど音」さんが経営されている「クレス・ミュージック・キューブ」(門前仲町)です。
Photoそして、この教室のカリキュラムに、師匠の落語教室が入っています。
「三遊亭圓窓落語教室~語りっ子連・紅巣亭(くれすてい)」です。
http://www.cres-mc.com/rakugo.html
いつも大変お世話になっています。
興味のある方は、是非とも門を叩いてみてください。
最近は、稽古の様子を見学に来る方も増えているようです。
圓窓師匠のご指導は、懇切丁寧で、他の落語教室よりも、ずっと濃厚だと思います。
発表会も、一人ひとりの高座の後、師匠が色々なコメントをしてくださいます。

マグロの日

今日は「体育の日」。Photo_2
あの東京オリンピックの開会式の日です。
幼心に、あの日のことを思い出します。
山間の過疎地の集落に生まれた子どもにとっては、別の世界の夢のような出来事でした。
戦後の日本の発展の証でもありました。
今は、中国が同じように、北京オリンピック・上海万博と、かつて日本が辿った発展・成長の路を進んでいます。
今振り返ると、オリンピックに向けて、様々な物が突貫工事で作られましたが、東海道新幹線が開通したのも、日本武道館が感性したのも、間も10月1日だったそうですから、ヘッドスライディングセーフだったということですね。
さすがに、中国のように手抜き工事ではなかったのですが。
さて、今日は「○○の日」というのが多いようです。
「缶詰の日」「釣りの日」冷凍めんの日「銭湯の日」「トレーナーの日」「世界メンタルヘルスデー」「目の愛護デー」「アイメイトデー」・・・・。
 一 一
 〇 〇
 10月10日の字柄から眉と目と見なして、目に関するもの、読み方から「トト」で肴に関するものが多いようです。
それから、今日は「マグロの日」。Photo_3
日本鰹鮪漁業協同組合連合会が1986(昭和61)年に制定したものです。
神亀3年旧暦9月15日(新暦726年10月10日)、山部赤人が聖武天皇の御供をして明石地方を旅した時、鮪漁で栄えるこの地方を、「しび(鮪)釣ると海人散動き」と歌に詠んだとされているからだとか。

それにしても、物凄い昔の話ですね。
「山部赤人」といえば奈良時代の歌人。

制作年の知られる歌はすべて聖武天皇代の作。
神亀元年(724)の紀伊国行幸、同二年の吉野行幸・難波行幸、同三年の播1 磨国印南野行幸、天平六年(734)年の難波行幸、同八年の吉野行幸などに従駕し、土地讃めの歌を作る。伊予温泉や勝鹿真間、田子の浦などで詠んだと思われる歌もあり、広く各地を旅していたらしい。

田子の浦ゆうち出でてみれば真白にそ富士の高嶺に雪は降りける
そろそろ、富士の高嶺に雪が積もる頃です。

薮入り

さあ、「お江戸あおば亭」で演る「薮入り」の準備を始めないといけません。
DVDで、柳家さん喬師匠と、先代の三遊亭圓楽師匠の「薮入り」を確認しました。
もともと学生時代に、圓楽師匠のネタでやったことがありますので、やはり圓楽師匠をベースに作り上げることにしました。 

広辞苑で調べると、「薮入り」は・・・
奉公人が正月および盆の16日前後に、主家から休暇をもらって親もとなどに帰ること。また、その日。
盆の休暇は「後の藪入り」ともいった。宿入
(やどいり)
                   
先代三遊亭金馬師匠のが有名で、親子の情愛が色濃く出ていて、他の噺家さんがやれなかったぐらいです。
噺の中で、前の晩から寝られずに子供の帰りを待つ男親の気持ちが滲み出ています。
藪入りとは商家の奉公人などが主人から一時、休みをもらい、家に帰ることが許された。丁稚や徒弟制度など,奉公人が住み込みで働いていた頃の風習で、年に1月と7月の16日にしか休みがなかった時代の話です。
亀ちゃんも、里心がつくと言って3年間は休みを貰えなかった。
その三年目の初めての休み。
出掛ける時は、
藪入りに旅立ちほどのいとまごいで、家に喜び勇んで帰って来るのです。
 「藪入りや何にも言わず泣き笑い」。
息子の亀ちゃんが奉公に出て3年目の初めての藪入りの日、父親の熊さんは、前の晩からソワソワしています。
熊さんは、女房のお光さんに、奉公に出た一人息子の亀ちゃんが帰ってきたら、ああしてあげたい、こうしてあげたいと、言って寝かせません。
暖かい飯に、納豆を買ってやって、海苔を焼いて、卵を炒って、汁粉を食わしてやりたい。刺身にシャモに、鰻の中串をご飯に混ぜて、天麩羅もいいがその場で食べないと旨くないし、寿司にも連れて行きたい。 ほうらい豆にカステラも買ってやれ。
「うるさいんだから、もう寝なさいよ」
「で、今何時だ」
「2時ですよ」
「昨日は今頃夜が明けたよな」。
湯に行ったら近所を連れて歩きたい。
赤坂の宮本さんから梅島によって本所から浅草に行って、品川の松本さんに挨拶したい。ついでに品川の海を見せて、羽田の穴守さんにお参りして、川崎の大師さんによって、横浜の野毛、伊勢佐木町の通りを見て、横須賀に行って、江ノ島、鎌倉もいいな~。
そこまで行ったのなら、静岡、豊橋、名古屋のしゃちほこ見せて、伊勢の大神宮にお参りしたい。そこから四国の金比羅さん、京大阪回ったら喜ぶだろうな。明日一日で。
「おっかぁ、おっかぁ、って、うるさいんだから」
「で、今何時だ」
「3時少し回ったよ」
「時間が経つのが遅くないか。時計の針を回してみろよ」。
「な、おっかぁ」で5時過ぎに起き出して、家の回りを掃除し始めた。
普段そんなことした事がないので、いぶかしそうに近所の人達が声を掛けても上の空。

抱きついてくるかと思ったら、丁重な挨拶をして息子の亀ちゃんが帰ってきた。
熊さんに言葉がないので、聞くと喉が詰まって声が出ない。
病気になった時、お前からもらった手紙を見たら、字も文もイイので治療はしていたが、それで治ってしまった。
それからは何か病気しても、その手紙を見ると治ってしまう。
「おっかぁ、やろう、大きくなったろうな」
「あんたの前に座っているだろ。ご覧よ」
「見ようと思って目を開けると、後から後から涙が出て、それに水っぱなも出て、見えないんだよ。・・・・あっ、動いている。よく来たなぁ。おっかぁは昨日夜っぴて寝てないんだよ」
「それはお前さんだろ」。

落ち着いた所で、亀ちゃんはお湯に出掛けた。
「おっかぁ。立派になったな。手を付いて挨拶も出来るし、体も大きくなって、手紙も立派に書けるし、着物も帯も履き物もイイ物だ。奥様に可愛がられて居るんだろうな」。
「お前さん、サイフの中に小さく折り畳んだ5円札が3枚有るよ」
「子供のサイフを開けてみるなよ」
「15円は多すぎるだろ、なにか悪い了見でも・・・」
「俺の子供だ、そんな事
はない。が、初めての宿りで持てるような金ではないな。帰ってきたら、どやしつけてやる」。
そこに亀ちゃんが湯から気持ちよさそうに帰ってきた。
「そこに座れ。おれは卑しい事はこれっぽっちもした事はねぇ。それなのに、この15円は何だ」
「やだな~。財布なんか開けて。やる事がげすで、これだから貧乏人はヤダ」
「なんだ、このやろう」と喧嘩になってしまった。
亀ちゃんが言うには、ペストが流行、店で鼠が出るので、捕まえて警察に持っていくと、銭が貰える。
そのうえ、ネズミの懸賞に当たって15円もらった。
今日までご主人が預かっていたが、宿りだからと持って帰って喜ばせてやれと、持たせてくれた。その15円だという。

「おっかぁが変な事を言うものだから、変な気持ちになったのだ。懸賞に当たってよかったな~。許してくよ。主人を大事にしなよ。”チュー”(忠)のお陰だ」。
私にとってトラウマの噺です。
また短い時間の中で作り上げなくてはいけません。
今回こそ、ネタ本を作らず、頭の中で組み立ててみようと思います。
新しいチャレンジです。

落語国際大会

先日、「落語っ子連」の「三流亭窓口」さんが教えてくださった「落語国際大会」というイベント。
NPO法人フォーエヴァーというところがやっているようです。
http://blogs.yahoo.co.jp/npoforever/64996060.html
「千葉県舞台芸術企画募集採択事業 第1回 落語国際大会ⅰn千葉」ということで、今年の12月10日~11日に開催されるようです。
http://www.cbs.or.jp/zaidan/perfomance_info/events/111211.html
詳細はまだあまり分かりませんが・・。
私は個人的には、落語がコンテストや順位を競うことについては否定論者です。
感性で、ライブのその場その場で味わい、その場で評価すれば良いと思います。
圓朝と志ん朝がどちらが上手かったかという議論は、ほとんど意味がないと思います。
とはいえ、どんな内容なのか、リリースを待っていようと思います。

2011年10月 9日 (日)

ラジオ寄席

寄席でお馴染みの漫才の「ロケット団」とギター漫談の「ぺぺ桜井」さんの後で落語一席。
  ◇ 紙入れ    柳家喬太郎
人気があるんですよね。
上手いんだけどねぇ。
真から好きになれないんですよねぇ。
勿体ないなあ・・・。

寒露

「寒露」とは二十四節気のひとつ。
草花に冷たい露が宿るという意味です。1_3
秋の長雨が終わり、秋も深まり始める頃です。Photo_3
東日本ではもみじの紅葉が始まり、農作物の収穫も行われます。
気がつくと、秋分が過ぎて寒露を迎えてしまいました。
もう秋は真っ盛り。
本当に過ごしやすい日が続きます。
でも、秋は何となく寂しさも感じる季節です。

笑点

今日放送の「笑点」は、演芸コーナーで「若手大喜利」というのをやっていました。Photo_4
今日のメンバーは、画面向かって左から、「三遊亭愛楽」、「神田蘭」、「林家木久蔵」、「立川生志」、「三笑亭可龍」、「春風亭柳好」さんの6人。
見ると、ほとんど落語協会以外の人たちです。
長寿人気番組ではあるけれども、落語界の縮図では全くありませんし、メンバーの高齢化も懸念され、いろいろ悩ましいようですね。
個人的に、スタート直後からのメンバーである「林家木久扇」師匠と「三遊亭円楽」師匠は「笑点」あってのものだし、「三遊亭好楽」師匠も救われています。
でも、「三遊亭小遊三」師匠は、「笑点」に頼らなくても、その実力だけで、十分人気が出たことでしょう。
それでは、メンバーとしては新しい、"若手"の「春風亭昇太」さんと「林家たい平」さんは・・・、この番組のレギュラーにならなかった方が良かった気がします。
噺家さんのためだけを考えると、もう十分名前が売れたのだから、適当な時期に卒業して、落語一本でやっていただきたいと思います。
わが「三遊亭圓窓」師匠、「三笑亭夢之助」師匠、「桂才賀(古今亭朝次)」師匠など、この類になるのではないかと思います。
噺家さんにもそれぞれ生き方がありますから、様々で良いのですが。
と言いつつも、日曜日の夕食時の楽しみであることも確かです。

落語はやおき亭

上方落語の「桂文我」さんの登場です。
   ◇ 平林   桂文我Photo
今朝は、故人の音源ではなく、桂文我さんがやっている「おやこ寄席」の録音なので、子どもの笑い声が大きく、雰囲気が違います。
子どもたちは、屈託なくよく笑っています。
文我さんは、落語をやるのは勿論ですが、本を書いたり、子どもへの落語普及に努力したりと、「学究派」でもあります。
ある意味で、三遊亭圓窓師匠によく似ています。
共通しているのは、とにかく落語をこよなく愛しているということです。
上方落語なので、なかなか聴く機会は多くありませんが、同年輩でもあり、これからの落語界を背負う噺家さんだと、期待しています。
1979年(昭和54年)3月2代目桂枝雀に入門。
同年7月、茨木市での「雀の会」にて桂雀司として初舞台。
1995年(平成7年)、4代目桂文我を襲名。
現在では東名阪を中心に、全国各地で年間約300回の落語会を開催している。
また自らの幼少時に落語や浪曲に触れた経験から、とくに1992年(平成4年)頃より、子供を対象にした「おやこ寄席」などの落語会も多数開いている。
また、珍しい噺の掘り起こしに力を入れるなど、熱心な落語研究家でもある。
夫人はお囃子三味線のかつら益美。
芸風は師・枝雀と違い爆笑派ではなく、しっかりじっくりと聴かせる古典の本格派。

三遊亭圓窓門下素人落語連

千早亭永久:「師匠、随分素人落語連が増えましたね。何人ぐらいになりますか?」
三遊亭圓窓師匠:「う~ん、細かく数えてはいないけど、100人ぐらいになるんじゃないかなぁぁ・・・。」
・・・と、「千早亭落語会」の楽屋での師匠との会話です。
  師匠   
圓窓師匠がご指導くださっている素人落語のグループを、私が知っている限りで並べてみました。
 ■落語っ子連・三流亭~圓窓門下一番の老舗
  「へ組」と「ん組」があり、私(流三)は「ん組」です。
 □噺っ子連・有難亭~茨城県のグループ
    江戸崎あたりに師匠が自家用車で通って?います。
 □笑いっ子連・N文亭~NHK文化センター
  NHKの落語の講座の受講者の方々です。
 □語りっ子連・紅巣亭~門前仲町のクレス音楽教室
  「落語っ子連」の「まど音」さんの教室が主催しています。
   http://www.cres-mc.com/rakugo.html
 ■扇子っ子連・千早亭~豊島区千早地域文化創造館
  「三遊亭圓窓の落語体験教室」から発展したものです。
  私(永久)もメンバーです。
 □羽織っ子連・要亭~豊島区千早地域文化創造館
  「三遊亭圓窓の落語体験教室」の第2期生です。
  先輩「愛詩亭朝大」師匠が「要亭長矢」で参加しています。
 □手拭っ子連・広場亭
  「区民ひろば千早」という豊島区の施設での連です。
 □講しっ子連・印彩杜亭
  どこか企業の同好グループだと思います。
・・・の8グループです。
                      師匠
ところで、師匠が「千早亭落語会」の寸評で、私のことを「永久さんは、アマチュアではトップクラスです。」と仰ってくださいました。
大変光栄なことですが、一番の老舗の「落語っ子連」のメンバーとして、師匠の地元の「扇子っ子連」のメンバーとして、もっもっと落語が上手くなりたいと思います。

落語DEデート

しまった!
直前まで目が覚めていたのに、つい・・・。
気がつくと、落語は既に終わり、志の輔さんがゲストと対談している・・・。
・・・今朝は失敗。
たい平さんの「落語はやおき亭」は、起きていないと・・・。
タイマーをセットすればという向きもあると思いますが、面倒臭いのと、録音(録画)しても、きっと視聴としないで終わってしまうでしょうから、これでいいのです。
昔と違い、今では、音源は探せば必ず見つかりますから。
考えてみると、学生時代は、ラジオ番組を必死に録音したものです。
これを聴き逃したら、二度と手に入らない・・という危機感から。
今ではそんなことはありませんね。

2011年10月 8日 (土)

歩いた後で

ウォーキングが目的ではなく、この美酒飲みたさに参加している先輩も多数いらっしゃるようで。
何と言っても、多趣味亭狂楽②師匠は名古屋、狐狸亭酔狂①師匠は長野からのご参加ですからね。
何ともコメントしづらい、でもとても嬉しい酒宴です。
真昼間から。
しかも、店は実質借り切り状態。
まぁ、男のくせにおしゃべりばかりして、騒がしいのなんの・・。
来月のOB会総会の話をする、蕪生会長や頓平師匠も大変です。
だって、ろくに話を聞いちゃあいない・・・。
・・でも、何となくまとまっている・・?

・・てな訳で、お開きになったのは3時頃。
この店の店長さんが、福島県いわき市出身だということで、「店長出身地へご支援を」という義援金の箱が置いてあったので、私が「店長の故郷を救おう!」なんて言って、全員に募金箱に善意を投げ込んでもらいました。
だって、同じ東北に縁のある仲間ですからね。
さあ、来月はいよいよOB会総会です。
皆さん、大変お疲れさまでした。
何よりも、てれ生師匠、素敵な企画をありがとうございました。
あぁぁぁ、疲れた・・。

夏目坂界隈

ラストコーナーを曲がるところが「夏目坂」。
角の酒屋さんは、「堀部安兵衛」が酒を飲んだところだと言う・・。
ご当地の酒「堀部案兵衛」を販売しているようです。
  
そしてその隣には、牛丼屋さんの前に「夏目漱石誕生之地」の碑。
     
ここが、今回の「落語の舞台を歩く会」のゴールです。
三代目柳家小さんに心酔していたという漱石誕生の場所をゴールにするところなんぞは、さすがてれ生師匠です。
それにしても、天候に恵まれ、秋晴れの清々しいウォーキングになりました。

穴八幡宮

落語の舞台を歩く会も、そろそろゴールが見えて来ます。
目白通りから、甘泉公園を横目に坂を登ると、早稲田の学生街になります。
「穴八幡宮」、以前は「高田八幡宮」と呼ばれていたそうです。
穴八幡宮
社伝によれば、1062年(康平5年)源義家が奥州からの凱旋の途中、この地に兜と太刀を納め、八幡神を祀ったという。
1636年(寛永13年)的場が造られ、この八幡宮を守護神とした。
1641年(寛永18年)別当の放生寺を建立するため、社僧良晶が南側の山裾を切り開いていると横穴が見つかり、中から金銅の阿弥陀如来像が現れた。
掘った人は「芽出度い」と大喜びし、以来、「穴八幡宮」と称するようになった。
       穴八幡宮
3代将軍徳川家光は、この話を聞いて穴八幡宮を幕府の祈願所・城北の総鎮護とした。
歴代将軍がたびたび参拝し、8代将軍徳川吉宗は、1728年(享保13年)に世嗣の疱瘡平癒祈願のため流鏑馬を奉納した。
流鏑馬はその後も世嗣誕生の際や厄除け祈願として奉納され、穴八幡宮に伝わる「流鏑馬絵巻」には1738年(元文3年)に奉納された竹千代(10代将軍徳川家治)誕生祝の流鏑馬が描かれている。
穴八幡宮
鳥居の下に広がる街は、学生たちで賑わっています。
学生と八幡宮とのミスマッチが、とても不思議な雰囲気を醸し出しています。
オジサンたち、かなりの空腹と疲労感を感じている様子。
そして、目的地の夏目坂に向かいます。

面影橋

「面影橋」という響きがとても素敵だと思います。
面影橋
橋自体は、何の変哲もない普通の橋なのですが。
都電荒川線の駅名にもあります。  
そして、橋のたもとにあるのが、面影橋
「山吹の里」の碑です。
落語「道灌」でお馴染みの歌の里です。
「七重八重 花は咲けども山吹の みのひとつだに なきぞ悲しき」
電気メーカーの工場の門の脇に、目立たずに建っていましたが、そのうち忘れ去られてしまうのではと、ちょっと心配になりました。
「見る人一人なきぞ悲しき」になってしまったりして・・・。

南蔵院

目白不動から坂を下りきったところが「南蔵院」です。
時間の都合で、門前の案内板を見ただけで、通り過ぎてしまいましたが、ここも何度か来たことがあります。
南蔵院
豊島区の案内板から。
真言宗豊山派に属し、「大鏡山薬師寺南蔵院」という。
寺伝によれば、開山は室町時代の円成比丘(永和2年1376年寂)とされている。
本尊の薬師如来は、木造の立像で、奥州藤原氏の持仏といわれ、円成比丘が諸国遊化のとき、彼の地の農家で入手し、奉持して当地に草庵を建て安置したのが開創であると伝えられる。
正徳6年(1716)の「高田村絵図」(東京都公文書館蔵)には、境内部分に「薬師堂」・「南蔵院」の文字の他、山門、薬師堂と思われる建物、および樹木三本が描かれている。
また、江戸時代の地誌にも紹介されており、「江戸名所図会」や「新編武蔵風土記稿」では、徳川三代将軍家光がしばしば訪れたと記している。
現在の境内には、元禄9年(1696)に神保長賢により寄進された山吹の里弁財天の石碑と手水鉢や、庚申塔、六地蔵、彰義隊九士の首塚などの石造物があるほか、墓地内には、相撲年寄である片男波、粂川、雷、音羽山、二子山、花籠などの墓がある。
また三遊亭円朝作の「怪談乳房榎」にゆかりの寺でもある。
    
        南蔵院
三遊亭圓朝作「怪談乳房榎」の舞台ということで、しっかり門の脇に案内板がありました。
「乳房榎」というのは、先月ストーリーを追いかけましたが、実に良く出来た怪談噺です。
http://app.cocolog-nifty.com/t/app/weblog/post?__mode=edit_entry&id=69749491&blog_id=253792

目白不動尊

「目白不動尊」こと「神霊山金乗院」にも何度か来ています。
目白不動
豊島区の案内を見ると、こんな由来が書かれています。
 金乗院は真言宗の寺院で開山の永順が本尊の聖観音を勧請して観音堂を築いたのが草創とされ、永順の死は文禄3年(一五九四)六月であるからそれ以前の創建である。
当初は蓮花山金乗院といい中野宝仙寺の末寺であったが後に、神霊山金乗院と改め護国寺の末寺となった。Photo
 江戸時代には近辺の木之花開耶姫社
(このはなさくやひめしゃ)などの別当であったが、昭和二十年四月の戦災で本堂等の建物、、水戸光圀の手になるという「木花開耶姫命」の額などの宝物も焼失した。現在の本堂は昭和四十六年に再建されたものである。
 目白不動堂は以前、文京区関口にあったのであるが昭和二十年五月の戦災により焼失したため、本尊の不動明王像を金乗院に移して合併したのである。
 不動堂は元和四年(一六一八)に小池坊秀算によって建立され、東豊山浄滝院新長谷寺と号した。
 本尊の不動明王像は、目黒、目赤などの五色不動の一つであり、目白の号は寛永年中(一六二四~一六四四)に三代将軍徳川家光の命によるといわれる。
 墓地には丸橋忠弥・「青柳文庫」の青柳文蔵などの墓があり、他にも庚申塔などが多くみられる。
 
             目白不動
落語散歩も半ばになり、そろそろ空腹をおぼえる頃。
少しスローペースなので、少しペースアップをしようと、てれ生師匠と二人で、少し歩を早めます。

鬼子母神の表参道

雑司が谷鬼子母神の表参道を歩いていると、「雑司が谷案内處」という、豊島区の施設がありました。
「あぁぁ、ここだ。」
昨年、圓窓師匠に頼まれて、師匠の前座を勤めさせていただいた「圓窓師匠雑司が谷の街を噺す」は、この案内所の開設を記念して開催された落語会でした。
懐かしい・・・と、当日のことを暫く思い出していました。
        
http://app.cocolog-nifty.com/t/app/weblog/post?__mode=edit_entry&id=64288208&blog_id=253792
当日のプログの一部を覗いてみます。Img
猛暑の中、着物を入れたバッグを肩からかけて、地下鉄副都心線「雑司が谷」駅を上がると、「雑司が谷文化創造館」。
係の方に控室になっている立派な和室に案内され、荷物を置いた後、会場のチェック。
それから、出囃子の確認。
出囃子は、師匠の噺のCDしかなく・・・。出囃子のCDを持ってくればよかったと思っても、もう後の祭り。
仕方がないので、CDの中の拍手の音が出るまでに師匠に上がってもらえるようにと、係の方とタイミングを調整。早めに来て良かった・・・。
開場1時間以上前から、お客さんが来始めました。
席は椅子席で約140。プレッシャーが増して来ます。
Imgp0753_2会場の職員の方々からも、「楽しみにしてますよ。」なんて言われて・・
それから当日のチラシを見てびっくり。
「開口一番 千早亭永久」って刷り込まれている・・・!
師匠が会場にご到着。
係の方が控室に案内しようとすると、「暑いから、あっちこっちへ行くのはなんだから、ここでいいよ。」という訳で、会場の前の衝立で仕切られたところで着替えることに。
「高座が低いなぁ」と師匠。急遽台を一段足すことに。
本当に愉しい思い出です。
あれから1年2ヶ月経ちました。
 
都電の「鬼子母神前」を過ぎ、目白通りに面した表参道の入口には、「御会式」の看板が立てられていました。
目白通りを横切って坂を下ると、「目白不動」と「南蔵院」があります。

雑司が谷鬼子母神

日蓮宗「威光山法明寺」というのが正式名称。
雑司が谷の鬼子母神で有名なお寺。
鬼子母神は
鬼子母神というのは、法華経(日蓮宗)の子育ての神様です。
鬼子母神には伝説があります。
鬼子母神はたくさんの子供を育てていました。
その子供たちを育てるために人間の子供を食べていました(えっ?そんなのが子育ての神かい?と思います)。
人間たちはこれを恐れお釈迦様へ相談します。Photo_2
お釈迦様はこれを聞き鬼子母神の一番かわいがっていた子供を隠してしまいます。
鬼子母神は世界中を捜しましたが見つからず嘆き、そしてお釈迦様のもとへ行きます。
お釈迦様は鬼子母神に「たくさんの(何百人もいる)おまえの子供のうち一人いなくなっただけでおまえは嘆き苦しんだ。
おまえがたった数人しかいない子供をさらった親の気持ちがわかるか?今のおまえなら分かるだろう。」と言い、子供を鬼子母神に返しました。
それ以後改心し鬼子母神は子供を守ることを誓いました。
鬼ではなく子育ての神になりました。ちなみに鬼子母神の「鬼」の文字は、鬼ではなくなったので正しくは一画目の ´ はありません。
境内には樹齢600年のイチョウの樹がそびえたち「子授けイチョウ」と呼ばれています。

      鬼子母神は
今日は「御会式」だったようで、いつもより賑わっていたようです。
鬼子母神は
以前、ウォーキングをして、何度か来たことがありますので、久しぶりの鬼子母神でした。

雑司が谷霊園

広大な「雑司が谷霊園」には、有名人が数多く眠っています。
永井荷風、夏目漱石、ジョン万次郎、竹久夢二、小泉八雲・・・・。
時間も限られていたので、東条英機、和泉鏡花、大川橋蔵のお墓を拝見しました。
それぞれ、生前のイメージとも重なる部分があります。

演芸の世界で誰か・・と探していると、声帯模写の「江戸家猫八」の墓をみつけました。
現四代目の祖父が初代で、当代の金馬師匠と「お笑い三人組」に出演して大人気だったのは、当代の父親で三代目です。
最近は、こういう有名人の墓所を見物して歩く人も増えているようで、その方々には、たらない?場所だと思います。
それにしても、お墓には行っても、不特定多数の人から見られたり覗かれたり・・で、心が安らぐ時はありませんね。
有名人と言うのは大変です。
なかなか来ようと思って来られる場所ではありません。
谷中墓地には時々行くことはありますが。

旧宣教師館

鬼子母神が出現した場所というところを通り、「雑司が谷旧宣教師館」という豊島区指定文化財。
こんな場所に、こんな佇まいの場所があるとは・・・。
    
明治時代のアメリカ人宣教師マッケーレという人の住まいだった建物だそうです。
木造の素敵な洋館です。

てれ生師匠は、建物関係の仕事をされているので、らくごに関係なくコースに入れたとか。
なるほど。

護国寺から

護国寺から
午前10時に集まったメンバーは12名。
但馬家四部椿、愉し家弁痴、愛詩亭朝大、南亭蕪生、杜の家頓平①、翁家寝坊、狐狸亭粋狂、多趣味亭狂楽②、悟れ家経痴、恋し家古狂、内気家てれ生②、そして金願亭乱志②。
皆さん大変お元気な様子。
私が一人かなり離れた最年少で、平均年齢は60歳後半になるのではと思います。
コースは、護国寺→雑司が谷霊園→雑司が谷鬼子母神→目白不動→南蔵院→面影橋→穴稲荷神社→夏目坂・・・。
プロデュースしてくださったてれ生師匠によれば、約6キロの行程だそうです。
護国寺は、真言宗豊山派の大本山。山号は神齢山。
徳川綱吉の母「桂昌院」の発願によって天和元年(1681年)に創建された。開山は亮賢。本尊は如意輪観音。
江戸三十三箇所観音霊場の第13番札所。
早速、雑司が谷方面を目指します。

落語の舞台を歩く会

落研OBの先輩方が、落語に出て来る場所を健康作りも兼ねて歩こうじゃないかと、もう何度も催しているウォーキングイベントです。
今回が7回目だそうですが、私はやっと裏を返すことになりました。(要するに2度目ということです。)
前回参加の時は、芝・高輪・品川あたりでした。
今回は、護国寺から雑司ヶ谷・面影橋から早稲田あたりまでのコースを、「初代内気家てれ生」師匠がプロデュースしてくださいました。
天気も申し分なしですし。
これから待ち合わせ場所である護国寺駅に向かいます。
      【第7回落語の舞台を歩く会】のコース
  1:鬼子母出現箇所
  2:旧宣教師館
  3:雑司が谷霊園
    (永井荷風・小栗忠順・夏目漱石・泉鏡花等の墓)
  4:法明寺(雑司が谷鬼子母神)
  5:金乗院目白不動尊
    (江戸5色不動・赤/白/黒/黄/青・の一つ)
  6:南蔵院
    (三遊亭圓朝作「怪談乳房榎」の舞台)
  7:面影橋
    (落語「道灌」の舞台~山吹の里)
  8:甘泉公園
  9:穴八幡宮
    (流鏑馬で有名)
 10:夏目坂
    (漱石誕生地・堀部安兵衛あだ討ちの舞台)   

2011年10月 7日 (金)

羽織っ子連・要亭

師匠のブログからの情報。
   千早亭落語会の会場    千早亭落語会の会場
豊島区の千早地域文化創造館での「三遊亭圓窓の落語体験教室」から発展して、その第1期生の有志が立ち上げた連が、私もメンバーになっている「扇子っ子連・千早亭」です。
今般、第2期生のメンバーも、我々同様に素人落語連を立ち上げたそうです。
名付けて「羽織っ子連・要亭」。メンバーは11名。
勿論、指南役は圓窓師匠。
そして、この連の親分が、わが落研の大先輩で、落研二代目の部長だった「愛詩亭朝大」師匠で、ここでは「要亭長矢」を名乗っていらっしゃいます。

浚う(さらう)

「浚う」・・・、「さらう」と読みます。
辞書で調べると・・、川や井戸などの底にたまる土砂やごみを取り除く。さらえる。
「復習う」・・・、これも「さらう」と読むそうです。
辞書で調べると・・、教えられたことを繰り返して練習する。復習する。さらえる。
噺家さんがよく「さらう」と言う言葉はこれのことな訳ですね。
噺を覚える過程で、何度も繰り返して声に出すのは「復習う」。
そして、口演の前に、一通り覚えた噺あるいは以前演ったことのある噺を、通して演ってみるのを「浚う」と言う。
そうすると、「復習う」は文字どおり「復習」ということで、「浚う」は「予習」ということになる・・・?
こじつけですが、同語源の言葉のようです。
私の歩き稽古は「浚う」ということだと思います。
落語を通じて、漢字の訓読みの耳障りのよさを感じます。
この言葉もそうですし、「佃祭」の時の「沈る(しもる)」というのも、そんな感じがしました。
日本語の美しさです。

師匠と楽屋で

「千早亭落語会」の楽屋で着物に着替えながら、師匠と二人だけでしばし対談。Photo
先日の高座本「揺れるとき」をいただいたお礼を申し上げると、高座本の製本のご苦労についての話題に。
高座本の巻末に、「噺の考察集」という欄を設けて色々コメントしているが、師匠だけでなく、何人かの人にコメント寄稿をお願いしているそうで、私にも書いてくれと頼まれました。
オチの話や、自分の得意分野と落語の繋がりとか、様々な蘊蓄とか・・・。
適宜、これはという話題をメールしてくれたら、その噺の高座本に掲載させてもらうと。
例えば、師匠に言われて考えた「三方一両損」や「浜野矩随」や「子ほめ」のオチづくりの裏話など・・・。
「是非書かせてくださいPhoto_4」と申し上げました。
それから、落語愛好者の底辺の拡大の努力について。
師匠は、噺家が子どもたちに落語の指導をしたり、実演を聴いてもらい、幼い頃から落語の世界に触れさせて、サッカーや野球のように、若いファン作りをしたいと思っているが、落語協会の古参の師匠たちには、なかなか理解してもらえない。
「落語の裾野を広げる愚直な努力をして行かないと・・」と、憂いを含んで仰いました。
落語を、国が無形文化財にして保護しなければ滅びてしまうような(○○のような)古典芸能にしてはいけない。
落語が朱鷺になってはいけないと・・・。
全くそのとおりだと思います。Photo_3
市井から出て来た芸能だから、市井のうちで自ら育てて行かなければいけない。
師匠は、「五百噺」完遂の後のライフワークとして取組んでおられる「落語の授業」や国語の教科書への落語掲載など、その熱い思いは衰えることを知りません。
「ところで、Oさん(落研先輩の愛詩亭朝大師匠のこと)は、"あおば亭"には出ないの?」との質問。
朝大師匠は、この夏から、師匠が指導する、「扇子っ子連・要亭」で落語の稽古を始めていて、要亭の会長をしています。
とても嬉しかったのは、先月の稽古の時に「あおば亭」のことを師匠に報告していたのですが、「あおば亭」という名前を覚えていてくださったことです。
とまあ、本番前の緊張を癒す、楽しい会話でした。

2011年10月 6日 (木)

圓窓五百噺

圓窓師匠のライフワークの「五百噺」の足跡を辿ってみました。
 http://ensou-dakudaku.net/teirei/ashiato8.html#A2Photo_3
その499番目が「救いの腕」だったことは、既に申し上げているとおり。
ファイナル第500番目は、数字にちなんで「五百羅漢」だったそうです。
それでは、そもそも1973年3月にスタートした名古屋の含笑寺での「圓窓五百噺を聴く会」の第1番目の演題は何だったのでしょう。
師匠の壮大なプロジェクトをちょっと追いかけてみましょう。
最初の噺は意外でした。
  1.半分垢     2.二番煎じ     3.蕎麦清
  4.五月幟     5.六尺棒      6.くしゃみ講釈
  7.普段の袴    8.匙加減      9.お血脈
 10.目薬      11.渋酒       12.唐茄子屋
 13.二十四孝   14.穴泥       15.山号寺号
 16.石返し     17.ほうじの茶    18.かつぎや
 19.碁泥      20.寿限無     21.首提灯
・・・ここまてで21席。
 22.抜け雀 ・・・  35.ねずみ  ・・・  38.三年目 ・・・
 44.薮入り ・・・ 50.百年目 ・・・  53..芝浜  ・・・
 65.猫定  ・・・ 68.甲府い ・・・  80.井戸の茶碗・・
 86.一文惜しみ 90.火事息子 ・・  92.居残り佐平次
100.百川 ・・・ 117.柳田角之進  120.子別れ(下)・・
129.明烏 ・・・ 131.三軒長屋 ・・ 148.花見の仇討
157.茶の湯・・ 163.転宅      164.お節徳三郎・・
167.船徳 ・・・ 172.御神酒徳利  175.文七元結
179.竹の水仙  188.名人長二 ・・ 193.鬼の涙 ・・・
198~200.双蝶々(上)・(中)・(下)・・・
・・・まだ200席です。
いかに壮大なプロジェクトだったか、改めて分かります。

2011年10月 5日 (水)

圓窓五百噺〜その499

師匠のブログの中に、師匠の「五百噺」をずっと追いかけていた人の感想が載っています。
その499[救いの腕]Photo_5
唯川恵さんの小説を元に作られたという噺。
設定を江戸時代に変えて演じておられましたが、やはり原作からくるのでしょうか、そこはかとなく現代の香りがしてきます。
女性の噺家さん達にハッパをかける意味もあったとの事ですが、本当によく出来ていると思いました。
この噺は、情景が目に浮かぶのはもちろん、土手に咲く桜の匂いや、川のせせらぎと冷たさが伝わってきました。
最後、誰しも”太い腕"”自分の夫だと思ったときに夢落ちで落として、なんだと思った瞬間、やっぱり夫だったという2段落ちが良かったです。
私の「救いの腕」では、情景が目に浮かび、土手に咲く桜の匂いや、川のせせらぎと冷たさを伝えることは、ほとんど出来ていません。
そうなんです。次は、情景です。
情景は、時間の関係もあり、意図してかなりカットしました。
言問橋を渡って向島。お香は、墨堤を上流に行くのでしょう。
その土手に咲く桜。川の流れ。上から流れて来る桜の一枝・・。
師匠から、口演を続けて欲しいと言われたこともあり、もう少し練り上げて、いずれまたどこかでチャレンジしてみようと思います。

2011年10月 4日 (火)

永久の「救いの腕」

さて、肝心の「千早亭永久」の「救いの腕」の出来たるや如何?1
正直なところ、出来が良かったのか、悪かったのか、本番から2日経った今でも、皆目見当がつきません。
駆け込み、ヘッドスライディングで間に合わせたことを考えると、テクニカルの面での仕上がりは最低だと思います。
ところが、どこがどう悪かったというのも、いつものように感じない。
それどころか、来てくださった方々から伺う感想は、予想に反してすこぶる良い・・・。
特に女性のお客さまから、「我が身に置き換えて聴かせてもらいました」、「身につまされる思いがしました」、「胸にじーんと来ました」などというコメントを頂戴しました。
お客さんを掴む、お客さんに受けるというのは、高座でも感じることはあるのですが、確かに、そこそこ掴むことが出来た気がします。
一体どういう訳なのでしょうか・・・?
                                      
色々考えてみて、以下の2点であろうというところに落ち着きました。
まず、お客さまを掴むという点で、普段あまり落語をお聴きになる機会の少ないお客さまだったので、ポピュラーな「つる」や「道具屋」もお馴染みという訳でなく、この聴き慣れない噺も、さほどのハンディにならなかったということ。
従って、よく耳を傾けていただいているところへ、ひたすら大きな声ではっきりとお喋りしたことで、噺のストーリーが伝わった。
それから、今回は、私の語りの巧拙ではなく、「救いの腕」という素晴らしい噺にお客さまの方か反応してくれて、噺の中に入り込んでくださったということ。
この噺のストーリーやテーマに、お客さまが反応してくれて、一人歩きをしたということ。
①お客さまを掴むことが出来た。②噺が一人歩きをして勝手にお客さまを取り込んでくれた。
・・・ということです。
さらに、落語会全体の雰囲気、師匠の楽しいコメント等々・・、アドバンテージは数多くありました。

それから、もうひとつ不思議なことがあります。
絶対的な稽古不足にも拘らず、とりあえず形を作り上げることが出来たことです。
普段から、師匠からは、「落語は活字で覚えちゃいけないよ」と言われてはいたものの、今回ほどネタ本の台詞を覚えなかったこともありませんでした。
恒例の?歩き稽古も、回数・量とも足りなかったし・・・。
この噺が、あまり細かに順序立てた台詞の構成になっていないこともあると思います。
師匠から、「一人の長い台詞があるから、適当にお茶を飲んだりする仕草を入れるといい」などとアドバイスをいただき、付け焼刃で入れたりしましたが、そういう意味でフリーハンドの部分が多かったこともあると思います。
とはいえ、まだ自分でも分かっていませんが、噺をスピーディに組み立てて行く術、早く覚えるこつみたいなものに、無意識のうちに触れた気もするのです。
登場人物になりきって作り上げる。
そういうことだったのでしょうか。

「救いの腕」とのお付き合い

三遊亭圓窓作「救いの腕」は、「圓窓五百噺〜その499」。
お香(こう)が姉のお里の家に来て、5年前に夫婦になった夫の善吉に愛想が尽きたと言い出す。
その原因は、真面目な善吉は、大きな声をあげたり、遊びに出掛けたり、お香を殴ったりすることもなく、毎日毎日決まった時刻に仕事から帰り、家で本ばかり読んでいるのが嫌だ。Photo
他人からみれば、非の打ちどころのない善吉とは、もう一緒にいられないという。
それに比べて、遊んでばかりで、ろくに家にも帰らず、たまに帰ると付き馬を連れて来たり、暴力をふるい、お里も殴り返したりしている姉のお里夫婦がとても羨ましいと。
お香は、実は子どもの頃から「この人と一緒になりたい」と思っている人がいると告白する。
お里が誰かと尋ねると、15年前の10歳の時、(お里が)勝手にお香の下駄を履いたことで喧嘩になり、一人で家を飛び出して行った向島で、川に落ちて溺れてしまうが、その時に助けてくれた、太くて逞しい腕の人なんだと言う。
誰だったのかは未だに分からないが、お香は、いつか必ずこの人にめぐり会えると思い続けていた。
お香は、善吉と一緒になったのは、お里が善吉と夫婦になるだろうと思っていたので、下駄の仕返しにと軽い気持ちで善吉に言い寄ったら、意外にも善吉が乗り気になってしまい、後に引けなくなったからだと言う。
それでも、一応自分で納得して夫婦になった。
しかし、他人から見れば、真面目一方で全てよしの善吉にはもうついて行けないと、お里に向かって愚痴を続ける。
お里は、ちょっと工夫して、今までとは違う何か新しいことをやってみたらと諭す。
そして、とりあえず二人で向島の花見に行ってみてはと勧める。Photo
お里に諭されたお香は、家に帰って善吉を説得して向島に誘い、翌日二人で行く約束をし、その夜お香は先に布団に入る。
翌日、二人は向島に花見に出かけるが、お香は15年前に自分が溺れた場所を探そうと、一人でどんどん進んで行く。
どうやらここらしいという場所を見つけ、土手の草の上に腰をおろしていたが、上流から流れて来た桜の枝を取ろうとして、誤って川へ落ちて溺れてしまう。
するとまた15年前と同じように、太くて逞しい腕が入って来て助けてくれた。
・・・ところが、これはお香が見た夢だった。
お香が、どんな夢だったのか話をすると・・。
善吉:「・・・そう言えば15年前だ・・・。」
お香:「15年前・・って、何があったの?」
善吉:「向島でな、溺れた女の子を助けたことがあったよ。」・・。
この噺を初めて聴いたのは、「三遊亭圓窓一門会」での圓窓師匠の高座でした。
本当は、師匠がトリでしたから長講の人情噺を期待していたのですが、聴いたこともない噺に、正直なところちょっとがっかりしました。
それでも、確かに落語では珍しい姉妹二人のやりとりが核になる噺など聴いたことがありませんでしたから、オチも含めて、気になる噺になりました。
ある時、子どもの頃から好きだった人のことをずっと思い続ける人のことが話題になった時に、この「救いの腕」と「お初徳兵衛浮名桟橋」を思い出しました。
そして、この純粋な思い(女心)をテーマにした落語にチャレンジしてみたいと思うようになりました。
師匠に「救いの腕をやらせてください」と相談してみました。Photo_2
すると、師匠は大変喜んでくださり、すぐに自ら製本されている「高座本」をくださいました。
早速、読み稽古から始めたところまでは良かったのですが、この噺は今まで私が演って来た多くの噺の延長では出来ないことを痛感するに至って、大スランプに陥ってしまいました。
とにかく、発表会まで刻々と時間がなくなって来ているのに、稽古すらやる気になれないほど、追い込まれてしまいました。
千早亭の稽古にも行けなくなり、初めて「敵前逃亡」も意識するようになりました。
とうとう9月も下旬になり、逃げられなくなりました。
このままではいけないと、落語っ子連・三流亭「ん組」の稽古日に、一夜漬けで臨むと言う暴挙に出ました。
師匠に申し訳ない。師匠に叱責される・・・。と思いながら・・・・。
・・すると師匠のコメントは、「うん、よく出来てるよ。大丈夫。大丈夫。」「創作噺は聴き慣れていないから難しいものだ。とにかく聴き慣れることだよ。」というアドバイス・・。
私は、奈落の底で一条の光を見たように思えました。(大袈裟?)
そして、何とかその翌々日の千早亭の最後の稽古会で師匠からOKをいただきました。
なんと本番4日前のことでした。
・・・師匠の原作では、この姉妹は「お石」と「お巻」でしたが、ちょっと思うところがあり、私は「お里」「お香」に変えてやってみました。
「お香」の思いが、果たしてどれだけ表現できたでしょうか・・・?
ある人をずっと思い続けて来た気持ちを。

2011年10月 3日 (月)

師匠のコメント

「千早亭落語会」の時、師匠はとても嬉しそうでした。
ワッフルさんの「ういろう売り」、和歌女さんの「おはぎ大好き」、早千さんの「伽羅の下駄」、そして私の「救いの腕」と、師匠が創作したり、アレンジした噺をやるメンバーが多くいたから、そして出演者全員が熱演したから・・かな。
早速、ブログに一人ひとりのコメントを入れてくださいました。
http://ensou-rakugo.at.webry.info/201110/article_3.html
師匠
勿論、私のコメントもしてくださっています。
例によってそれを勝手に抜き出させていただきました。
永久(とわ)[救いの腕]。
 あたしの創作したこの噺。
 姉妹が主人公なので、既成の落語にはない構成となるので、
 演りにくかったことだろう。
 人情噺でもあるのでなおさらだ。
 しかし、立派にこなした。
 口演回数を重ねてくれると嬉しい。
Photo_4
この噺との出会いから昨日までについては、これから触れて行きますが、苦しみはしましたが、チャレンジしてみた甲斐は十分あったと思います。
・・・そうか、口演を重ねなさいということです。
確かに、演った後の観客の手応えから、演者というよりも、噺の良さで受ける部分も大きいものと思いますから、大切な持ちネタにしたいものです。
また落語がやめられなくなりました。

らくご絵手帖

らくご絵手帖 絵でみる落語と江戸の暮らし」は、三遊亭兼好さんの監修。Photo
最近は、落語関連本も立川流の師匠方を除けば、一時ほどの勢いがなくなって来ました。
ブームが落ち着いたからというよりも、ネタ切れという事情の方が強いと思います。
紹介文では、演目のストーリーや江戸時代の町人のくらしを分かりやすくイラスト付きで解説!。
現役の“真打”三遊亭兼好が監修。
根強い“江戸ブーム”が続くなか、近年若者の間でも人気となっているのが「落語」。
古典落語には、江戸時代の町人の生活や職業、社会のしくみなど、豊かな文化が生まれた背景や当時のくらしぶりが描かれています。
本書では、落語を入り口として「富久」「たが屋」「目黒のさんま」などの演目解説から、豊かな文化が育まれていた江戸の町人のくらしを分かりやすく楽しく解説してきます。
書店で手に取ってみましたが、落語の入門書として面白そうですが、私は腹一杯ですから、また棚に戻しました。

2011年10月 2日 (日)

「昭和の名人完結編」(17)

今回は、上方落語の師匠ですから、二人ともよく知りません。Photo_2
  ◇ あんま炬燵    二代目桂春團治
  ◇ 帯久               四代目桂文團治 
「二代目桂春團治」
当代(三代目)のお父さんだそうです。
初代は言わずと知れた「芸のためなら女房も泣かす」師匠。
本名: 河合 浅次郎。出囃子は「野崎」。
身長160センチに対し腹周り150センチという愛嬌ある体で本格的な滑稽噺を演じたため、初代を凌ぐ人気を誇った。
初代譲りの爆笑落語で、細部にわたって2代目ならではの人物描写などを施した落語は初代よりも上手いという専門家が多い。
8代目桂文楽からは「関西の名人」と称えられ、青年時代の6代目笑福亭松鶴はその話芸に陶酔し、いくつかの噺を受け継いだ。
1953年1月20日、戎橋松竹での「病気全快出演特別興行」
千秋楽の夜席で、観客からのリクエストに応えての『祝いのし』を演じている最中に気分が悪くなり噺を中断。
「舞台で倒れるのは縁起が悪い」との古くからの幕内での戒めを守って、見台をつかみながら観客に中断を謝罪。緞帳が下り切ると共につかんでいた手を離して倒れ込んだ。
そのまま回復することなく約1ヵ月後の
2月25日に亡くなった。
葬儀は「戎橋松竹葬」として盛大に行われ、新聞に「大阪落語は終わった」と書かれるなど、その死は惜しまれた。
「四代目桂文團治」
本名: 水野音吉。
京都生まれ、
水芸一座の後見役、新派の俳優、曾我廼家一座の頭取などを経て噺家になった。
1894年5月、2代目桂米團治(後の3代目文團治)に入門して麦團治を名乗る。
次に上方初代三笑亭芝楽の門下で2代目小芝。
三升家紋彌(後の三升家紋右衛門)の門下で紋兵衛。
1921年以降、旅興業などで講談を手がける際は杉山文山を、落語家としては再び桂麦團治を名乗る。
1949年ごろ、4代目文團治を襲名(実際には戦中、地方巡業の時などには勝手に文團治を名乗っていた模様)。
戦後は半ば引退した形であったが、上方落語界の人材が払底する中、橘ノ圓都らと共に長老として再び高座に上がることとなった。
なお上方落語協会が発足すると顧問を務めた。
また、巨躯から「ゴジラ」の愛称で親しまれた。
喘息持ちで、死因も喘息による心臓発作であった。
やはり、上方の方はよく分かりません。
ここは、落研の同期だった「風流亭花鳥」さんが詳しいと思います。
もともと学究肌の人ですし、上方落語に関しては、たいへんな識見を持っている人ですから。

落語はやおき亭

「落語DEデート」を聴いたあと、間に30分程度の番組が入っているため、眠ってしまいました。
気がつくと「あぁ、当代の金馬師匠だ」と、すぐわかるあの声。
ちょっと聴くと「居酒屋」のようでした。
ところがよく聴けば「万病円」でした。
  ◇ 万病円      四代目三遊亭金馬
この後、文化放送催の「かもめ亭」の音の一部が流されました。
  ◇ お直し       古今亭菊志ん
     ◇ 宿屋の仇討    三遊亭遊雀
  ◇ 愛宕山      林家たい平・・・のほんのさわり。
菊志んさんにも遊雀さんにも、随分ご無沙汰しています。

落語DEデート

「千早亭落語会」の朝でも、いつものとおりのリズムで。
ゲストは、昭和の名人親子の一族「池波志乃」さんです。
五代目古今亭志ん生が祖父、十代目金原亭馬生が父、三代目古今亭志ん朝が叔父という・・。
 ◇ 蔵前駕籠      古今亭志ん朝
昭和59年の音源だそうで、40歳代半ばの頃の志ん朝師匠。
確か、先週は20歳代後半のものでしたが、やはり落語界の「ミスター」だと思います。
何が違うんでしょうねぇ・・。

2011年10月 1日 (土)

真打競演

真打競演は、山口県での録音でした。
  ◇ 浮世床    金原亭馬生
「浮世床」の数ある場面のうち、いずれもポピュラーな本と夢の部分でした。

ドンドンパンパンドンパンパン

ドンドンパンパンドントパンパン
上野駅の正面改札口前に、「ドンパン節」が響いていました。
土曜日の夕方の会社帰り。
どうやら今日は秋田県の物産を販売している様子。
ドンパン節は、秋田県の民謡で、酒盛り唄。中仙町の大工円満蔵(えまぞう)が、秋田甚句の変化した「どどさい節」の
伴奏の鼓の音を口ずさんでいるうちにできたものと言われています。
そして、秋田と言えば、やはり「なまはげ」・・・。
大晦日に男鹿市と三種町、潟上市の一部の各家々で行われる伝統的な民俗行事で、「男鹿のナマハゲ」として、国の重要無形民俗文化財に指定されているもの。
秋田出身の人は、きっと懐かしいでしょう。
さあ、家に帰って
明日の支度をしなくては。

ウォーキングイベント

土曜日の霞ヶ関・虎ノ門界隈は、官庁・企業の多くが休みですから、平日では信じられないぐらいの静かさです。
なのに私は今日は出勤日。

昼食に外出して戻る途中で、ピンクのゼッケン(ていうのかな?)を着けた、おおぜいの女性の集団に遭遇しました。
「あぁそうか。今日は休日だから、ウォーキングイベントをやっているんだ」と・・。
見ると、「ピンクリボンスマイルウォーク」とありました。
なるほど、確か乳がん早期発見や早期診断・早期治療の運動のシンボルのようなものだったと記憶しています。
六本木の東京ミッドタウンを発着点としたイベントのようです。
コースは約12キロ。
「東京ミッドタウン→赤坂通り→山王坂→国会議事堂裏→国会図書館→憲政記念館→警視庁→祝田橋→皇居外苑→大手門→皇居東御苑(二の丸庭園)→平川門→気象庁→東京消防庁→将門首塚→大手町→丸の内仲通り→帝国劇場→日比谷公園→桜田通り→江戸見坂→スペイン大使館→スウェーデン大使館→サウジアラビア大使館→外苑東通り→東京ミッドタウン」。
何だか「黄金餅」の道順を語っているようです。
私が見たのは、日比谷公園から桜田通りを通って江戸見坂に向かっていたところでしょう。
以前は、こういうウォーキングイベントに参加したものでした。

来月の紀伊國屋寄席


来月の「紀伊國屋寄席」のチケットを購入。
新宿の紀伊國屋書店。
2階にあったCDショップが移転してしまいました。
落語関係が充実していたので、大変残念でした。
さて、来月の「第563回紀伊國屋寄席」のお目当ては、雲助師匠の長講「火事息子」と、久しぶりの「一左」「白酒」「馬桜」「三三」さん。
 ◇ 粗忽の釘   春風亭一左
 ◇ 転宅      桃月庵白酒
 ◇ 冥土の雪   鈴々舎馬桜
 ◇ 看板のピン  柳家三三
 ◇ 火事息子   五街道雲助
11月21日(月)の午後6時30分です。

桂小金治さん

こんな記事を見つけました。Photo_2
「桂小金治アフターヌーンショー」の司会で知られる、落語家でタレントの桂小金治さん(84)が、国立演芸場で高座をつとめた後、「今日が最後の高座です」と落語からの“引退宣言”を行った。
小金治さんはこの日、桂文我さん(61)の公演にゲスト出演。
「渋酒」で高座に上がり、公演の最後に洋服姿で舞台に再登場し、「今日が最後の高座です」と宣言、泣きながら舞台を去ったという。
驚く客席に向かって、文我さんは「『渋酒』が最後という意味でしょう。説得します」とフォローした。
小金治さんは昭和21年、桂小文治に入門、桂小竹を名乗っていたが24年に二つ目に昇進し、桂小金治と改名。
27年に映画界入りして以降はタレント活動に軸足を移し、テレビ「桂小金治アフターヌーンショー」「それは秘密です!!」「ルックルックこんにちは」の司会などでお茶の間の人気を博した。
近年は年に数回、落語の高座に上がっていた。

本来であれば、年齢や技量や知名度・人気からすると、「小金治師匠」というべき人なのでしょうが、落語家としては、真打になっていないので、あえて「さん」で呼ばせていただきます。
やはり、私たちは「アフタヌーンショー」などでの「泣きの小金治」のイメージが強いんです。

近年はフリーの立場で、時々高座に上がっていて、私も確か「大工調べ」を聴いた記憶があります。
また、私が「三方一両損」を演った時は、CDを買って来て、随分と参考にさせていただきました。
癖のない丁寧な語り口で、清潔感のある噺家さんです。
そういえば、私の幼い頃のかすかな記憶に、「ポンポン大将」というNHKのドラマに出演いた小金治さんを思い出します。
我が家に初めてテレビが届いた日、小金治さんが映っていた気がします。
Photoポンポン大将('60.9.4~'64.4.5) 隅田川で働く若いポンポン船の船長(桂小金治)と、施設から引き取った3人の子どもたちが繰り広げる、底抜けに明るいユーモアとペーソスにあふれた人情物語。
私のテレビの原点です。
もう84歳ということですから、高座からは引退する、ということなのでしようか。

往復はがき3通

奇しくも、手元に往復はがきが3通届いています。
まずは、昨日配達された、落研OB会総会の案内状。
志ん志師匠が出してくださったものです。
それからあとの2通は、高校と大学の同窓会の案内状。
落研のはがきは、自分も主催者みたいな立場だし、何と言っても出演者なんですから、「欠席」という選択肢はありません。
・・他の2通は、数年前に「出席」で返信しながら出られなかったという前科がありますから、慎重にスケジュール調整して・・・。
・・でも、行か(け)ない可能性が高そうかな・・。
本日投函。

志ん朝忌

「志ん朝忌」なんていう言葉があるのか知りませんが・・・。Photo_3
2001年10月1日、名人「古今亭志ん朝」師匠が63歳の若さで亡くなりました。
今年でちょうど10年経ちます。
「ミスター落語」とでもいうべき巨大な存在でした・・・。
その巨星を突然亡くした落語界でしたが、その後「落語ブーム」も招来し、今も一時ほどの熱さではなくなったものの、それなりの指示を得て、しかも若手も台頭しつつあります。
亡くしたことをいつまでも悲しまず、その試練を乗り越えて行くパワーに期待するのが、結局は、故人の偲ぶことになるんだと思います。

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