« 亭(てい・ちん) | トップページ | 牛タン「青葉亭」 »

2011年9月16日 (金)

年枝の怪談

これは「八代目林家正蔵」師匠作の噺だそうです。Photo_2
噺家の「春風亭柳枝」の弟子で、若手の「年枝」が宿屋で呼んだ按摩が、年枝と悉くぶつかった。
年枝が柔術初段だというと、自分は二段だと反発する。
宿では乱取も出来ないから、絞めっこで決めよう、さぁ先に絞めておくれ。
それならと、年枝が絞め技をかけると、あっけなく死んでしまった。
按摩の死体を戸棚に放り込み、翌朝、師匠に相談すると、自首を勧められたが、咄家でなくお喋り屋と言われたのが気になるから芸を磨くと、旅に出てしまった。
地方を巡って名を上げた。
金沢で怪談話をかけた夏、客席に死んだ按摩の顔。
宿に戻ると風呂場にまた按摩がいた。
按摩の供養にと仏門に入り、別寺を任される程になった。
ふと前を見ると、柳枝一座の地方公演のビラ。
なつかしさの余り、夜を待って宿舎を訪ねた。
師匠の話によれば、あの按摩は死なずに生きている。
「さぁ一緒に東京に帰ろう。」
「はい。」
「目出度いことだ、皆で手を締めよう」
「いや、絞めるのは懲り懲りです」

年枝というのは、落語家の名前で亭号は「春風亭」です。
この人が神奈川の宿で按摩を殺してしまい、その亡霊に悩まされるというストーリー。
「怪談」といわれて一見怖そうですが、それほどでもありません。
というのも、タイトルに怪談とあっても、正確には怪談ではなく、怪談的な雰囲気の噺ということでなのでしょう。
この噺は、落語家が主人公ということですから、途中噺のストーリーの中で、登場人物が落語を演じる場面があります。
そこで演じられるのが、本寸法の怪談噺。
正蔵師匠は、まず「真景累ヶ淵」の発端「宗悦殺し」を入れています。
「ゆれるとき」の圓窓師匠は、「寿限無」と「牡丹燈籠」を入れていますが、この噺を意識されていたかもしれません。
演劇なら「劇中劇」。落語ならさしずめ「噺中噺」でしょうか。
もちろん、サワリだけですが。
ところで、「春風亭年枝」という噺家は実在しているようです。
■初代春風亭年枝(1843年2月 - 1901年4月11日)
本名は村岡 唯吉。
享年59。
幼少の頃に、江戸に出て紺屋に丁稚奉公し、18歳のときに「七昇亭花山文」の門に入り「花玉」の名で初舞台を踏んだ。
その後「初代五明楼玉輔」の門で「松橋」、更に「三代目春風亭柳枝」の門で「年枝」を名乗った。
芸は前座時代には前受けする手品を演じた、一時期地方巡業で手品を廻ったほどで、「初代帰天斎正一」に手品の手ほどきをしたほどだという。
真打昇進後は軽い小噺を演じた後、「独俄阿呆陀羅経」を演じて人気を取った。
または「丑の時参り」「陣屋鏡山」等の一人茶番なども演じた。
それに「滑稽演説」と称し、大太鼓のバチ2本を両脇の帯にさして、その上に大風呂敷を掛けテーブルに見立て、弁士に扮して笑わせるなど、明治の時節に対応する感性を持っていた。
この初代年枝は、「初代松柳亭鶴枝」、「柳亭朝枝」と並んで「柳派の三枝」と言われ、もてはやされたそうです。
「三代目柳家小さん」を売り出すにつき、年枝が陰になり日向になって引き立てたという。小さんはその恩義を生涯忘れずに年枝に尽くしたという美談も残っているそうです。
俗に「クシャㄑ年枝」や「御神酒徳利年枝」といわれ人気があった。
■二代目春風亭年枝(1867年6月13日 - 1931年10月6日)
本名は篠原 亀吉。享年65。
最初は「二代目古今亭今輔」の門で「今治」で初高座。
「四代目春風亭柳枝」の門人となり、「さん枝」を経て「年枝」襲名。
四代目柳枝一門の古株で番頭役を長年勤め若手の稽古台になったそうです。

« 亭(てい・ちん) | トップページ | 牛タン「青葉亭」 »

落語・噺・ネタ」カテゴリの記事