「三遊亭圓生」は止め名
師匠のブログを拝見していると、9月3日の圓生師匠のご命日の時に、以下のようなコメントがありました。
圓生(6)33回忌。
遺族のご長男が施主。
馬風、金馬の両師匠が顔を出してくれた。
この先、圓生の名跡は夫人の遺言通り、留名としてご長男が
管理することになった。
圓生夫妻も浮ばれることだろう。
そして、この無法者の出ないことを祈るのみである。
・・・・。
思えば、昨年5月の落語っ子連の発表会の時、師匠が私の「浜野矩随」のコメントをして下さった時、ちょうど七代目襲名に圓窓師匠も名乗りを上げたと報道された頃だったために、その経緯について、お客さまに向かって30分ぐらい熱く語ってくださいました。
その時に、「もし七代目を襲名してもらうなら圓窓さんだ」と仰っていたのが、三十三回忌の施主をされた圓生師匠のご長男だったはず。
結局、おかみさんの遺志どおり、圓生の名跡は「止め名(留め名)」になるという訳ですね。
このことは、圓窓師匠が、おかみさんの気持ちを思い、常に仰っていたことです。
・・・とはいえ、七代目は出ないというのは、素朴に寂しさを感じます。
これが件のおかみさんの「遺言」のコピーです。
昭和61年の七回忌の頃に作られたものです。
おかみさんの署名の隣に、立会人として、稲葉修元法務大臣、評論家の山本進先生と京須偕充さん、総領弟子の先代三遊亭圓楽師匠の4名が署名されています。
落語界の長い歴史の中でも、大きな重みのある書面だと思います。
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