« 「お江戸あおば亭」チラシ | トップページ | 「お江戸あおば亭」プログラム »

2011年9月13日 (火)

祐乗・宗乗・光乗の三所物

あの「金明竹」の早口な口上に出て来る「祐乗・宗乗・光乗、三作の三所物(みところもの)」って何?
まず、「祐乗・宗乗・光乗」というのは、人の名前です。
後藤宗家という装剣金工の名家代々の名人を指します。
後藤宗家は、始祖の祐乗から第17代の典乗まで続いたそうで、六代栄乗のとき、家康より幕府の分銅大判改め役および彫物役に任命されたという名家なのだそうです。
そして、「三作(さんさく)の三所物(みところもの)」というのは、この三人の手による「三所物」ということ。
「三所物」というのは、「小柄(こづか)、笄(こうがい)、目貫(めぬき)」のことを指すという訳です。
それでは、この三人のことを覗いてみましょう。
【初代・後藤祐乗】Photo_4
装剣金工の後藤四郎兵衛家の祖。美濃国の生まれ。
父は後藤基綱。名は正奥。幼名は経光丸、通称は四郎兵衛。
祐乗は剃髪入道してからの法号であるとされている。
室町幕府の八代
将軍足利義政の側近として仕えたが、それを辞して装剣金工に転じたと伝えられる。
義政の御用をつとめ、近江国坂本に領地300町を与えられた。作品は、三所物が主で、金や赤銅の地金に龍・獅子などの文様を、絵師狩野元信の下絵により高肉彫で表したものが多い。
祐乗の彫刻は刀装具という一定の規格のなかで、細緻な文様を施し装飾効果をあげるというもので、以後17代にわたる大判座および分銅座の後藤家だけでなく、江戸時代における金工にも大きな影響を与えた。

【二代・後藤宗乗】
後藤祐乗の次男で、二郎という。宗祐とも号した。
40歳で剃髪入道して宗乗と号す。
作柄は父に似ており、さらに洗練されているといわれる。Photo_5
後藤風彫金を完成させ、後藤家の伝統の基礎を固めた功績は大である。
宗乗にも有銘のものは無く、現存する彼の作品とされるものは、後代後藤家の極めによるものである。
【三代・後藤乗真】
後藤宗乗の長男。通称・四郎兵衛、名は吉久。
足利義晴と義輝の二代の将軍に側近として仕え、政務の面でも活躍した。
乗真は、法眼に叙され剃髪した後の号である。
戦国時代の武人としての性格も備え、永禄五年 (1562) に戦死したと伝わる。
彼の作品は、男性的な力強さに溢れ、作り手の性格をも覗わせるものである。 
【四代・後藤光乗】
Photo_6後藤乗真の嫡男。幼名・小一郎、通称・四郎兵衛。
名は光家。剃髪入道して光乗と名乗った。
織田信長に仕え、天正九年に信長の命により、大判および分銅の役を拝命している。
信長の没後、豊臣の世になっても、引き続き大判・分銅の二役を受け、彫金のほか経済の面でも重用された。
晩年には法眼の位に昇っている。
この人の作風は、始祖・祐乗の風に似ているといわれ、在銘の作品もいくつか残っている。
元和六年、92歳の長寿で没した。

「三所物(みところもの)」も最近は分かりませんね。Photo_3
【目抜き(めぬき)】
刀剣類の柄の側面につける飾り金物。刀心を固定させる目釘の鋲頭や座の飾りとするのを真目貫(まことのめぬき)といい、近世、装飾化して目につきやすい位置に飾るのを飾目貫(かざりめぬき)という。
【笄(こうがい)】
刀の鞘の差し表に挿む箆(へら)に似たもの。
髪をかきあげ、また、烏帽子(えぼし)・冑(かぶと)などをかぶった時、頭のかゆい時に掻くのに用いたという。
江戸時代の女性が頭の飾り物として乗せていたのも、同じ用途の笄(こうがい)です。
【小柄(こづか)】
刀の鞘(さや)の鯉口の部分にさしそえる小刀の柄。その小刀。

これから追い追い「金明竹」の口上を分解して行きましょう。
私は、「浜野矩随」を演りますから、この彫金細工(腰元彫り)のことを知っておく必要があるんです。

« 「お江戸あおば亭」チラシ | トップページ | 「お江戸あおば亭」プログラム »

文化・芸術」カテゴリの記事