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2011年9月11日 (日)

落語DEデート

bell日曜日の早朝の文化放送は凄いですよ。
5時から6時の間は、まるで「宗論」のようです。
宗教関係の番組が続くんです。
まず、曹洞宗の「禅の心」で、道元の教えをみっちり。
次は、キリスト教の「世の光」。今朝は讃美歌物語でした。
そしてトドメは、浄土宗の「浄土宗の時間」で、法然の教えから、今朝は阿弥陀さまの話で、「劫」という言葉が出て、何と「寿限無」のことまで説明していました。
やっと6時になり、今度は「落語」が続きます。
6時からは立川志の輔さんの「落語DEデート」。
7時からは林家たい平さんの「天下たい平落語はやおき亭」。
7時30分からは、落語番組ではありませんが、司会が林家正蔵さんです。
   ◇ 蕎麦清     三遊亭小圓朝
三遊亭小圓朝師匠は、東大落語会とご縁の深い師匠です。
「小」がつくものの「圓朝」なんですねぇ。
勿論、現在も小圓朝さんはいますが。
■三代目三遊亭小圓朝
1892年明治25年)8月8日 - 1973年昭和48年)7月11日
東京都台東区出身。本名は芳村幸太郎。出囃子は『小鍛冶』。
祖父は「三遊亭圓麗」、父は二代目「小圓朝」という落語一家に生まれる。
1907年2月に父の門下で「朝松」となり、2、3年ほどで二つ目に昇進し「小圓治」と改名する。
父のドサ廻りに自身もついて行き、2年ほど経った後に帰京する。
それから1917年2月に真打昇進して「二代目橘家圓之助」を襲名。
後に「
四代目橘家圓蔵」に預けられ、1922年5月に「四代目三遊亭圓橘」を名乗る。
翌年父小圓朝死去し、
1927年3月に「三代目小圓朝」襲名。
戦時中の
1943年5月には「船勇亭志ん橋」と名乗るが、1947年3月には小圓朝に戻している。
地味であるがしっかりした江戸前の芸の持ち主で『しわい屋』『権助提灯』『あくび指南』『三味線栗毛』『粗忽の釘』『笠碁』『二番煎じ』など持ちネタは多かった。
しかし他の大看板の影に隠れ勝ちで、寄席の出番も浅く不当に評価された嫌いはあった。
一方、若手や大学の落語研究会の稽古台として、多くの噺家や人物を育てた。
1967年(昭和42年)7月、脳出血で倒れ高座に上がらぬまま没した。
名人と呼ばれた「
橘家圓喬」の名跡を預かるほどの腕を持ちながら、晩年は不遇であった。晩年東大落研の師となり後世の落語研究家を多く輩出した。

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