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2011年9月

2011年9月30日 (金)

長月の落語徘徊

moon19月もあっという間に過ぎてしまいました。
 ◇ 16日  東京落語会
 ◇ 17日  朝日名人会
・・・あれっ? 今月の寄席・落語会はこれだけでした。
仕事も忙しく、プライベートの諸事もあり、通うことが出来ず、事前にチケットを確保している落語会2つしか行けませんでした。
Img_0005_3その代わり、11月に開催予定の落研「OB会総会」関連の準備には、かなりの体力を割きました。
OB会の会報名を「あおば亭」と決め、内容を固めて、寄稿を依頼しました。
総会の案内状案を作り、OB落語会の名称を「お江戸あおば亭」に決めて、そのチラシとプログラムを作成しました。
「あおば亭」という名前で統一することが出来て、全体がそれらしくなり、引き締まって来た気がしました。
              珈琲とお酒とときどき落語会
プログへのアクセスが16万件を突破しました。
本年内に20万件まで届くようにしたいと思っています。
本当にありがたいことです。
落語の稽古は大スランプでした。
プライベートの事情もあり、稽古会に不義理をしてしまったこともあって、こんなに酷い状態になったのは初めてでした。
Img◇ 25日 落語っ子連・三流亭「ん組」稽古会
◇ 27日 扇子っ子連・千早亭稽古会
来月早々に、「千早亭落語会」が開催されますので、いずれの稽古会でも、「救いの腕」のラストスパート稽古をしていただきました。
それでも、師匠のアドバイスや励ましで、まだ本番は終わっていませんが、新しく勉強できたことが多くありました。
師匠の創作「揺れるとき」の高座本をいただきました。
なるべく近いうちに、この噺にもチャレンジしたいと思います。
大震災への鎮魂も込めて。
来月も落語三昧は続きます。
夢も限りなく広がる気がしています。

昇進祝い

昇進祝い
駅から出たところに、この度めでたく大関に昇進した「琴奨菊」関のお祝いの横断幕が掲げられていました。
そうなんです。
わが松戸市には、佐渡ヶ嶽部屋と鳴門部屋と、二つの相撲部屋があるんです。
久しぶりの日本人の大関です。
外国人力士が良くない訳ではありませんが、日本人の大関がいいですよ。
新大関は佐渡ヶ嶽部屋、もう一人の有力大関候補の「稀勢の里」関が鳴門部屋です。
別に何か繋がりがある訳ではありませんが、「地元力士」を応援したいと思います。

師匠のコメント

ear師匠のプログで、先日の千早亭の稽古会のコメントがアップされていました。
扇子っ子連・千早亭の稽古日。
 永久(とわ)[救いの腕]。
 落語っ子連にも所属している永久さんは稽古の回数も多くなる。
 もちろん、それだけ上達している。
・・・稽古の回数が多くなるはずなのですが、なかなか行けなかったので、思うほど稽古をしていただけていないのが残念です。
でも、「上達している」というコメントは、単純に鵜呑みにしたいと思います。
師匠、ありがとうございます。
・・・それにしても、やっぱり稽古の回数だけ上手くなるんですね。
だから、稽古会には、出来る限り行かなくっちゃあいけませんね。

東京かわら版

東京かわら版
flair10月号には、「桂歌丸」師匠が登場。
高座生活60周年を迎えられたそうです。
最近は、裏表紙の広告が一杯になっていますから、ますます盛んになっているようです。
今月下旬に、講談の「本牧亭」が閉場してしまい、寄席演芸をとり囲む環境は、必ずしも順風という訳ではありませんが、落語はずっと続いて行ってもらいたいものです。
今年も残すところ3ヶ月になります。

現役部員の発表会

pc東北大学落語研究部のHPに、落語発表会の情報がアップされていました。
彼らも、震災にもめげずに頑張っているようで、頼もしい限りです。

≪東北大学落語研究部 第146回古典落語発表会≫
  日時 : 10月15日(土)午後1時
  場所 : 戦災復興記念館 5階和室
  木戸 : 入場無料
  番組 :
      ◇ 町内の若い衆  羅洲亭ねいる
      ◇ 六尺棒              日進舎月歩
            ◇ たらちね            木村家一同
            ◇ 火焔太鼓           東中亭蜂鋭
            ◇ 猿後家              富士浦亭玖逗
            ◇ もう半分            一久楼写太
            ◇ 宿屋の富           世間亭節介
かなり大きな会場だったと記憶していますが・・・・。

師匠の「らくごったぁ!」・・・?

pc落語界屈指のコンピュータ通の師匠が、また新しいことをおやりになっています。
最近スタートしたのが「らくごったぁ!」というのですが・・・。
「らくごったぁ!」 口演指南 三遊亭圓窓
圓窓落語を、ツイッター風に読んで楽しむiPhone用電子ブック・アプリ
   一ノ巻(だくだく・真田小僧・火事息子)
   二ノ巻(夕立屋・野晒し・牡丹灯籠 下駄の音)
     各巻3席・170円 / 無料版もあり
       iTunes AppStoreからダウンロードできます。
     
http://www.id-br.com/garage/app/rakugotter/
なんのこったぁ?
どうやら、iPhoneでツイッターのように落語を楽しむ仕組みのよう・・?
私は
iPhoneではないから・・・。
今度師匠に訊いてみよう。

広瀬さんとうとう「こみち論」

shadow広瀬さんの噺家評は、とうとう女性の二つ目「柳亭こみち」さんです。Photo_7
落語家に女性は少ない。
現在、東京の女性落語家は四団体合わせて二十人。
圧倒的な少数派である。
女性が落語を演る上での最大の弱点は声だ。
女性特有の高い声で無理に「男の声」を作ろうとすると、どうしても「アニメで女性の声優が男の子の声を出している」みたいになってしまう。
そんな声でご隠居さんや喧嘩っ早い男を演じられては、こっちが気恥ずかしい。
だがそれは「女に落語は出来ない」ということではない。
アニメ声になってしまう演者が未熟なだけだ。
そもそも、落語において「声を作って演じ分ける」というのは極力抑えるべきことであって、声ではなく演技力によって老若男女を演じ分けるのが上手い落語家なのである。
今、女流講釈師は珍しくない。
講談の世界では既に「女性講釈師のあり方」が確立されているのだ。
落語でも、個々の演者が「男とは声が違う」ことを自覚しながら技巧に工夫を凝らし、修練を積むことで、「女流落語家のあり方」が確立されても不思議ではない。
その意味で僕が大いに期待しているのが、落語協会の女流二ツ目、柳亭こみちだ。
早稲田大学卒業後、社会人を経て2003年に柳亭燕路(柳家小三治の弟子)に入門している。
こみちは古典落語の基本がしっかりと出来ていて、ハキハキと明るい口調が実に心地好い。不自然に声を「作る」ことなく自然体で古典落語を演じる技術があるから、「女性であること」は「高座の華やかさ」という武器になっている。
ここ数年でこみちはグッと面白くなった。
例えば『都々逸親子』。三代目三遊亭圓右(故人)の新作落語で、多くの演者が継承して今や古典に近い演目だが、こみちは本来の「父と息子」という設定を「母と娘」に変え、自身のキャラを前面に出して大いに笑わせる。
男性が演じるように作られた落語を女性がそのまま演っても、観客の共感は得にくい。
だから、女流落語家が成功するには「女が演じてリアルに感じられる噺」にする創意工夫が必要だ。
もちろん「女性向きの新作落語を創る」のも正しい方法論だが、こみちの『都々逸親子』がそうであるように、「既に存在する噺の設定を変える」だけでもいい。
※週刊ポスト2011年9月30日号
2
この間、漫才師のMさんと結婚しましたね。
一度、神保町のある飲み屋さんで落語会をやって終わったところで会ったことがあります。
とても頭の低い(師匠の燕路さんと師弟で小柄な)人でした。
そうだ、「学士会落語会」にも出演したことがありました。
真面目にやっている感じがします。
ちょっと声がかすれた感じで、通らないのが残念です。

2011年9月29日 (木)

今夜の稽古

bearing今夜も昨夜と同様に、稽古をせずに就寝・・・。sleepy
・・・暴挙・・・。sleepy
まだ、金曜日と土曜日の2日ある・・・。
・・・己知らず・・・。bomb

歩き稽古

歩き稽古
sun昨日は一休みしましたが、今朝も上野から末広町。
だいぶというかやっと、台詞の順番が分かって来ました。
今朝も抜けるような爽やかな青空。
・・・あと3日です。

ラジオ深夜便 落語100選

music連夜の遅い帰宅のおかげで、こちらも2日連続で深夜に落語。
  ◇ 愛宕山     古今亭菊丸
この噺は、かなり壮大な噺で、仕草や演出に苦心すると思います。
・・なんて考えながら聴いているうちに、まだ愛宕山の麓のところで、早々に"沈没"sleepy

スーツで落語?

memo産経新聞で見つけた記事。Photo_6
着物を着て、座布団の上で演じるのが落語。
それを落語家、柳家花緑(40)は、フォーマルなスーツ姿で、椅子に座って演じる。
ネタは現代のもの。
題して「同時代落語」。
これには落語に対する花緑の思いが強く込められている。
「落語をいまだに敷居が高いと思っている人がいる。江戸時代から敷居が高かった時期がないのが、落語なのに」。
現代の人たちは、着物を着ているということだけで、そういう意識になるのだと花緑はいう。
「落語は同時代のもので、わかりやすく、面白いものなのに」
敷居を取っ払うアプローチの一つが、スーツ姿で椅子に腰掛けながら行う高座だ。
今年4月、都内で初めて行ったときには、小惑星探査機「はやぶさ」や、東京スカイツリーなどをネタにした。1
ニュースが素材のため、作家によるネタの完成はギリギリまで遅れ、「4作を2日で覚えた。これほど稽古をしたことはなかった」と振り返る。
落語家になって31年目。
「このスタイルで面白いといわれるまでやりたい」と心を決めている。
花緑の同時代落語は、「柳家花緑独演会 花緑ごのみ」として29、30の両日、新宿・紀伊國屋ホールで演じられる。

う~ん・・・。どうだろう。
確かに、今や着物と言うのは非日常的な衣服かもしれませんが、非日常だからこそ、それが黒幕のようになって周囲を隠し、観客が落語の真骨頂である、耳で聴いてイメージを作り上げる作業がしやすくなる気がするのです。
そういう意味で、着物の方が、余計な景色が入らずに像を結びやすいと思います。
それに、スーツでは落語らしくなくなってしまう・・・。

東大ホームカミングデイ寄席

Photo

school東大落語会の恒例「東大ホームカミングデイ・東大落語会寄席」が、10月29日(土)に開催されるそうです。
東大本郷キャンパス内で12時から。
東大落語会(学士会落語会)の三山亭多楽師匠から、大変ご丁寧なご案内をいただきました。
私にとっては、そもそも東大の敷居が鴨居ほどに高いので、今までお邪魔したことがありませんでした。
今年は是非お邪魔したいと思っています。
昨年、「学士会落語会」の会員落語会で、ご一緒させていただいた方々もご出演です。
プログラムを拝見すると、もう多士済々の一言に尽きますよ。
 ◇ 浮世床     愛子亭朝大(あいしていちょうだい)
 ◇ 目黒のさんま 春風家目留変
(はるかぜやめるへん)
 ◇ らくだ      森ヶ家二八
(もりかけにはち)
  たけのこ    春風亭昇吉
 ◇ 火焔太鼓    美々庵利息伊
(びびあんりい)
 ◇ 大工調べ    風呂家さん助
(ふろやさんすけ)
 ◇ 堀の内     信加亭艶満
(しんかていえんまん)
 ◇ 宿屋の仇討ち 宮亭大奥
(みやていおおおく)
 ◇ はてなの茶碗 和朗亭南坊
(わろうていなんぼう)
 ◇ つぼ算     於家馬亜
(おやまあ)
 ◇ 粗忽の釘    南達亭たま月
(なんたっていたまつき)
 ◇ 井戸の茶碗  三山亭多楽
(さんさんていたらく)
以上12名・・・。まあ色々な名前があります。
読み方も意味も難しい・・・。
「於家馬亜」師匠は「おやまあ」・・、絶対に読めませんよ。
読み方を聞けば、素直に「おやまぁ」って言えますが・・・・。
中に、春風亭昇太さんのお弟子さんの「昇吉」さんが入っています。
東大出身のプロの噺家さんです。
そして、多楽師匠はトリで「井戸の茶碗」。
お昼から夕方の5時半頃まで続くそうですから、まさに寄席です。

破れ家笑児さんから

pen「破れ家笑児」さんから、お願いしていた「あおば亭」への原稿が届きました。
Photo_9改めて拝見すると、笑児さんの落語好きも大変なものです。
笑児さんありがとうございます。
後は、仙台の「賀千家ぴん吉」さんからの寄稿を待つだけになりました。
高校の先生で、今大変忙しいそうですが、10月上旬にいただけることになつています。
「編集後記」でスペースを調整して、完成させようと思います。

2011年9月28日 (水)

旧交

bottle昔、同じ職場で一緒だった人たちとの久しぶりの会。
 旧交 旧交 旧交
場所は、いつもの赤坂のお店「B」。
夕方6時半から始めて、気がつけば11時半・・・。
今夜は稽古はなし!

万理一空(ばんりいっくう)

mist正直なところ、あまりよく知らない言葉ですが、この言葉、暫く脚光を浴びそうです。
「万理一空」というのは、 宮本武蔵が「五輪書」で記した精神的な境地。全ての物事は一つの空の下で起こっていると冷静に捉えること、と解釈される。
現代では転じて、「目標に向けて物事に動じず、迷いなく努力を続ける」などの意味で使われることが多い。
この度めでたく大関に昇進した琴奨菊が、答礼で使者に向かって述べた言葉だそうです。
昨日のニュースでは、「一」の入った四字熟語を使うという噂を聞いたので、勝手に色々考えていました。Photo_2
「一朝懸命」は、ある噺家さんの専売特許で、「一攫千金」では生々し過ぎる。
ちょっと真面目に考えて「一意専心」は、確か既に誰かに使われていた・・・。
「一勝一敗」では大関失格だし・・。
なるほど、「万理一空」ですか。

師匠のコメント

bearing日曜日の三流亭「ん組」の稽古について、師匠のプログにコメントがありました。
落語っ子連・三流亭、稽古日。
 させ稽古、流三[救いの腕]。
 姉妹の会話が核となるという、珍しいパターンのあたしの創作噺。
 演りにくそうだったが、だいぶ固まってきた。
・・私の中では、サボりにサボって、とても固まっている状態ではないのですが・・・。
ありがたい師匠のコメントです。

ラジオ深夜便 落語100選

music遅くに帰宅し夜更かししていて偶然耳にした番組。
   ◇ 六尺棒       三遊亭兼好
   ◇ 竹の水仙     三遊亭歌之介
ほとんど意識がないまま聴きました。

「千早亭落語会」の番組

slate10月2日(日)午後2時開演の「千早亭落語会」の番組が確定しました。
というより、ずっと前に決まっていたのですが、私がなかなか稽古に行かれなかったので、気がつかなかっただけなのです。
            ≪第2回千早亭落語会≫
Photo_8◇ ういろう売り   千早亭ワッフル
◇ 転失気      千早亭三十一
◇ 三方一両損   千早亭屏風
◇ 伽羅の下駄   千早亭早千
 救いの腕    千早亭永久
     仲入り
◇ おはぎ大好き  千早亭和歌女
◇ 死神        千早亭百人
◇ つる         千早亭貴女
◇ 道具屋      千早亭軽太
◆ お楽しみ     三遊亭圓窓
くじ引きで決めているはずですが、私は仲入り前ということで、やや緊張するポジションです。
・・と、そんなことを言っているほど余裕はありません。

「三遊亭圓生」の名跡

earやはり、「三遊亭圓生」の名跡は、六代目夫人の意向(遺言)に沿って、「止め名」としてご長男が預かる方向になったようです。
従って、残念な部分も若干ありますが、七代目は出て来ないと考えていた方が良さそうです。
     

2011年9月27日 (火)

「救いの腕」の稽古

sweat01千早亭落語会の前の最後の稽古会に、何とか「救いの腕」が間に合いました。(・・・間に合っていないかな?)
日曜日の三流亭「ん組」の稽古会で初めて通してやり、その時に師匠からいただいたアドバイスを盛り込もうとしたのですが、さっぱり出来ず、酷い出来になってしまいました。
師匠から言われているのは、一人で長く喋るシーンがあるから、お茶を飲んだりする仕草などを工夫するといいということ。
お茶に饅頭もつけて、冒頭部分で仕込んだのですが、お茶も飲めずに終わりました。
今回の師匠からのアドバイスは以下の4点・・。
 ①前回同様に、長い台詞の時の演出の工夫
 ②登場人物3人をしっかり演じ分けること
  (演じ分ければこの噺は大成功)
 ③オチのところはあまり小刻みな台詞のやりとりはしない
 ④女性を演る時に片方の肩が下がる癖を治す
それでも師匠は、「うん、よく出来てる」と言ってくださいました・・・。
さあ、あと4日・・・。

千早亭稽古会

dash発表会前の最後の稽古会。
日曜日の三流亭「ん組」の稽古会で、初めて通しでやって、師匠からは一応OKが出たようにはなっていますが、まだまだと言うところ・・。
今夜は、出演メンバー全員が出席です。
そりゃあ、欠席率最多の私でさえ出席したのですから。
そこで、稽古の回数の少ない人が稽古をつけていただきました。   
   ◇ 救いの腕     千早亭永久
   ◇ つる        千早亭貴女(あなた)
   ◇ おはぎ大好き   千早亭和歌女(わかめ)
   ◇ 死神        千早亭百人(ももと)
千早亭稽古会千早亭稽古会千早亭稽古会
正直なところ、発表会まであと数日しか日がないのに、「大丈夫かなぁ」と思ってしまう人もいます。
私も他人様のことをとやかくいう資格はありませんが、そんな私でさえそう思ってしまうのですから・・。
それから、よく落語に対する考え方の違いを感じることもあります。
舐めたり、馬鹿にしたりしている訳ではないのでしょうが、「それはちょっと違うんじゃないかなぁ」と思うところや人もあります。
楽しみ方はそれぞれで良いのでしょうが、落語原理主義者にとっては「?」と感じる瞬間があるのも正直なところなのです。
ただ、私にとっては、落研・落語っ子連(三流亭)・扇子っ子連(千早亭)、乱志・流三・永久は、落語への接し方を変えて、固定観念を捨てるのには、ベストミックスなのかもしれません。
結局のところ、どこでも、私にとっては快適な空間なのです。

歩き稽古

foot今朝の歩き稽古は、上野から末広町まで。Photo
天邪鬼だから、今朝は、マクラと最後オチに至る場面をさらってみました。
この噺は、ほとんどが女性同士の会話ですから、どうしてもトーンが上がってしまい、度々前を歩く人に振り返られたりしながらの歩き稽古です。
今朝も涼しくて、まさに歩き稽古日和です。
師匠の温かい言葉に気をよくしたのか、稽古が何となく楽しく感じられるようになって来ました。
つい2日前までは、逃げ出したいぐらいに苦しんでいたのに。
いい加減というか、単純なものですね。

師匠からのコメント

happy01日曜日の「ん組」の稽古会の内容を落語っ子連のMLに報告したところ、私の「救いの腕」について、師匠から一言コメントが返って来ました。
流三さん、あの稽古の出来なら、二日[10月2日の「千早亭落語会」のことです]、期待できますよ。
・・・望外のコメントで、とても嬉しい・・。heart04
多分に師匠のヨイショもあると思いますが。
しっかりやらなくっちゃあいけません。

アルファロメオとNSX

car「落語はやおき亭」で林家たい平さんが言っていたのですが、古今亭志ん朝師匠が乗っていた車のこと。Photo_2
志ん朝師匠は若い頃、日本に1台しかないという、イタリア車「アルファロメオ」に乗っていたのは有名な話です。
Photoたい平さんが前座だった頃は、何と「ホンダNSX」という、国産のスーパーカーに乗っていたそうです。
ふぅぅ~ん。なるほど。
写真が、当時のアルファロメオだったかは知りませんが、昭和30~40年代でしょうから、派手だったことでしょう。
ホンダNSXも、現在は生産・販売はされていないはずですが、確か1500万円は下らなかったはずです。

高座本「左甚五郎シリーズ」


book圓窓師匠の高座本は、基本的には1冊1席なのですが、それらを合本したものもあります。
この「左甚五郎シリーズ・合本」もそのひとつ。
左甚五郎が登場する噺4席がまとめられています。
「竹の水仙」・「叩き蟹」・「ねずみ」・「いただき猫」の4席です。
私の持ちネタには「ねずみ」がありますから、また、甚五郎物は好きですから、日曜日の稽古の時に頂戴して来ました。
かなり分厚くなっています。

笠と赤い風車

pencilここのところ、創作落語の話題が出ています。Photo_3
明治の三遊亭圓朝しかり、我が三遊亭圓窓師匠しかり・・・。
今度チャレンジする圓窓師匠創作の「救いの腕」は、師匠がある女性作家の短編小説を元に拵えたそうですが、女性作家が書き下ろした落語もあります。
昨年の仙台でのOB落語会で演らせていただいた「笠と赤い風車」がそれです。
この噺は、女性作家の平岩弓枝さんが、八代目林家正蔵師匠のために書き下ろしたという人情噺です。
浅草馬道にお豆腐屋の嘉吉という人がいた。
この嘉吉夫婦に待望の男の子が産まれた。
ところが、喜んだのも束の間、産後の肥立ちが悪く、3日後におかみさんは亡くなってしまった。
水子を抱えてどうしようかと途方に暮れていたら、亡くなったおかみさんの妹のおせんが何くれと細やかに赤ん坊の面倒を見てくれた。
大家や周りの者の推めで、このおせんを嘉吉の後添いにした。
おせんと嘉吉の間には子供が無く、男の子には常吉と名付け幸せに暮らしていた。
常吉が多感な十五歳の時、「お前のおっ母さんは継母で、実の母親が亡くなる前から、父親と付き合っていた。」と、まだ世間知らずの子供に、根も葉もないことを吹き込まれた。
ここで常吉は根性が曲がってしまい、二十歳の時には三道楽三昧をするほど落ちてしまった。Photo_4
それを苦にしながら嘉吉は亡くなってしまった。
母親のおせんが何をやっても、悪く悪く取って始末に負えなかった。
所帯を持たせば落ち着くだろうと、遠縁の器量好しで気立ての良いお花を迎えたが、それにも難癖を付けた。
その頃町内でも有名な縛連崩れの悪女、おぎんと言う女と常吉は付き合うようになった。
常吉は知らないが、おぎんには仙太というヒモがいた。

大家が訪ねてきて、無尽が満期になったお金と、生前嘉吉が預けておいた金が合わせて15両あるという。
大家に、6月10日に法華講が身延山に参詣に行くので、一緒に行こう、と誘われた。
嘉吉の遺骨を収めに行きたい、と話はまとまり、大家が15両預かってくれた。
この話がおぎんの耳に入り、仙太と悪い相談が決まった。
おぎんの口から常吉に伝え、親孝行の真似をしてお金を巻き上げろと悪知恵を与えた。親孝行の真似事をしていると、おせんもほだされ15両の一件を話し、身延に行く事を了承して欲しいと頼むと、遠いし大変だから自分が行くと言い出した。
おせんも快く了承し、大家も最近の常吉の行いを見ていたので、同行を許してくれた。

10日が近づくと、おせんは15両を胴巻きに縫い込み、あれこれと旅立ちの用意をした。当日、菅笠には実の母親からの形見の赤い風車を縫い付けておいた。
この赤い風車も母親だと思って、身延に収めて欲しいと持たせた。
金が欲しいだけの常吉は気ィ良く持って出た。

一行は東海道の道を取り、初日、戸塚泊まり。
常吉は一緒の宿には泊まらず、おぎんと逢って別の宿に投宿した。Photo_5
翌日二人は歩き始めたが赤い風車が気になったが、しっかり縫い付けられていたので取れず、茶店で置き忘れたように捨てた。
小田原に宿を求めると、赤い風車が付いた笠が届いていた。
茶店のお婆さんが届けたという。
翌日、歩き始めてドブに笠を捨ててしまった。
箱根にさしかかり、茶屋に腰を下ろすと、赤い風車を付けた笠が届いていた。
品の良い2人の婦人が届けてくれたという。
さすがの常吉もゾーッとした。
箱根で宿を取ったが、酒を飲んでも気が晴れない。
気晴らしに散歩をしようと宿の下駄を引っかけ真っ暗闇の中を歩いていると、後ろから思いっ切り突き飛ばされて、谷川に転落してしまう。
突き飛ばしたのはヒモの仙太で、金を懐におぎんと二人は箱根を越え上方へ逃げてしまった。
常吉は気が付くと、そこは箱根の宿であった。
聞くと、炭焼きが赤い物を見付け、谷川を下りてみると、常吉が川の中に倒れていたと。
笠が常吉を支えるようにして、水も飲まず怪我もせず助かった。
笠はぐっしょり濡れて、その時の状況が見えるようだった。
笠の中に母親の姿をだぶらせたが、その母親は実の母ではなく、継母のおせんだった。
居ても立っても居られず、慌てて浅草馬道の我が家にとって返す。

家に帰ると、線香の煙の中、おせんは横たわっていた。
お花が言うには、毎日手を合わせていたが、昨夜気が付くと、両手を上につきだして重いものを支えるような恰好で、水につかったようにぐっしょりと濡れて息絶えていた。Imgp0791
「おっ母さん、おっかさ~ん」と子供のように泣きじゃくる常吉の背中で、風車が風もないのに回りました。
クルクル、クルクル、クルクル・・・・・・。

今は、お弟子さんの林家正雀師匠がお演りになっていますが、なかなか難しい噺です。
オチは工夫する余地があると思います。

私も、いつかどこかで再演してみたいと思います。

あさくさ文七

あさくさ文七
japanesetea日曜日の浅草徘徊。
「あさくさ文七」で食後のコーヒーを飲み終えて、支払いをしていると、店のご主人らしき人がいたので、ちょいと話しかけてみました。
       珈琲とお酒とときどき落語会
乱志:「ちょっと(落語を)やってるんで、拝見しに来ました。」
主人:「そうですか。是非使ってください。
    どうぞ、(お試しに)高座にお座りになってみてください。
    二つ目さんにはかなり使っていただいています。
    お客さまご本人がお演りになるのですか?」
乱志:「えぇ、ちょいと。実は今も稽古の帰りなんです。
    師匠に稽古をつけていただいて。」
主人:「どなたが師匠なんですか?」
乱志:「三遊亭圓窓師匠です。」
主人:「うわぁ、これはまた随分大物の師匠にお付きになって いるん
    ですねぇぇ。」
乱志:「はい、そうなんです。
    それで実は学生時代に落研に入っていて、最近はこの近くの
    "浅草ことぶ季亭"さんで、何度かOB落語会をやらせていただ
    いているんです。この11月にもやる予定にしていて・・・。」
主人:「あぁ、そうですか。それでは是非うちもご検討ください。」
        あさくさ文七
乱志:「・・・という訳で、ちょっとお店の中を見させていただきました。
         それに、この"文七"っていう名前にも惹かれましてね・・。

主人:「そうですねぇ。落語を知っている方ならねぇ・・。」
乱志:「そうなんです。特別な思い入れのある名前ですからね・・・。」

・・・なんて、楽しい会話が弾みました。
ただ、基本的には夜3時間程度を借りていくらということです。
さらに飲食店ですから、出演者と来場者は、最低一品はオーダーしないといけないということになっているようです。
「お江戸あおば亭(OB落語会)」は、スペース的に難しいと思いますが、まだ構想の段階から進んでいない「笑児・乱志二人会」の会場としては、十分「あり」かもしれません。
今度笑児さんにも相談してみようかと思います。

2011年9月26日 (月)

歩き稽古

coldsweats01昨日は稽古で疲れきり、あの後は特にさらいませんでした。
happy01人間なんていうのは、能天気で勝手なもので、追い込まれていることもありますが、昨日何とか稽古の体裁を保つことが出来たから、今朝から「歩き稽古」を始めることにしました。
bus今朝は初日ですから、上野から上野広小路までの1駅間で、マクラを2回程度やることが出来ました。
今週は、例によって、べそかきと言い訳の1週間になりそうです。wobbly

会報「あおば亭」のイメージ

会報「あおば亭」のイメージ
penまだ全ての原稿が揃っていませんが、蕪生師匠と頓平師匠からの寄稿が第1面になりますので、仮にはめ込んでみると、写真のような紙面になります。
創刊号はあまり肩肘を張らずに、気楽な紙面にしたいと思います。
4ページ程度のボリュームになりそうで、まぁこんなものでしょう。
とにかく、続けて行くことが重要ですから、あれもこれもでなく、考えながら作り上げて行くことにします。
なかなか良いじゃないですか。

「揺れるとき」の高座本

揺れるとき
book稽古会の時、師匠から直々に、以前からお願いしていた「揺れるとき」の高座本を頂戴しました。
先月の圓朝まつりの奉納落語会で、圓窓師匠がネタ下ろしでお演りになった、師匠ご自身の創作による人情噺です。
私が「三遊亭三生(さんしょう)」という実在の人を借りたと思っていた登場人物は、師匠が作った「三遊亭西生(さいしょう)」という架空の噺家さんでした。
         
その師匠の創作噺の高座本をねだったところ、快く譲ってくださったという訳です。
いつかチャレンジしようと思っています。
高座本の巻末に、この噺の創作のきっかけについて、特に師匠のコメントが収められていました。
まず、東日本大震災が起こったこと。
そして何と、震災直後に予定していた、「千早亭落語会」の開催を巡っての師匠とメンバー代表だった千早亭当富さんとのやり取りだったそうです。
その時の思いを、圓朝が登場する噺の中に織り込み、師匠によればご自身の了見を挿入したそうです。
・・どうですか。
行きがかり上、私が演らせていただいても良いでしょう。
出来たら、三流亭の発表会が来年3月の予定ですから、震災1周年に合わせて、早速チャレンジしてみようかと、とりあえず勝手に思いました。
来月の稽古会の時に、師匠にお願いしてみよう・・・。

2011年9月25日 (日)

志ん朝十三夜スペシャル

musicやはり落語は文化放送ですね。
1_3 文化放送開局60周年記念番組「志ん朝十三夜スペシャル」です。
 ◇ 抜け雀      古今亭志ん朝
 ◇ お見立て      古今亭志ん朝
いやぁ、いつもならボーッとしている時間ですが、今夜はラッキーでした。
TBSのラジオ寄席は10月からですから。
志ん朝の命日を前に、志ん朝の足跡を振り返りつつ、過去の貴重な音源や落語公演をオンエアする特別番組です。
志ん朝に憧れ、この世界に入ったという立川志の輔師匠の特別コメントもオンエア!

落語CD発売の宣伝番組でもありますが、まあ楽しいです。

珈琲とお酒とときどき落語会

            珈琲とお酒とときどき落語会
cafe蕪生師匠経由で笑児さんから情報をいただいた、「あさくさ文七」という店を覗いてみました。
落語会ができるかもしれないということで、稽古会の後浅草まで足を伸ばしてみたのです。
地図を持たず、HPを見た記憶だけで探しましたが、さほど苦労せずに見つけることが出来ました。
店内に入ると高座があり、その脇を通り、40席ほどのテーブル席に着きます。
       珈琲とお酒とときどき落語会
なかなか洒落た雰囲気の喫茶店&レストランという感じ。
ランチのカレーライスとコーヒーがセットで800円は、まあリーズナブル。(リーズナブルってあまり好きな単語ではありませんが。)
「春風亭朝也」さんだとか何人かの二つ目さんや前座さんの落語会と「高座利用者募集」のチラシを見ながら、そのカレーライスを食べ、食後にコーヒーを飲んで、久しぶりの稽古の疲れを独り癒すことが出来ました。浅草はいいですね。

(似ていた人は)この人?

    この人 この人
dramaほら、このお兄さんですよ。
このプログで先日紹介した人ですよ。
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2011/09/post-2019.html
この人ですよ。
先日、常磐線の電車の中で見かけた気がする人(似ている人)は。
場所は、浅草六区の浅草演芸ホールです。
お客さんの呼び込みをやっているお兄さんです。
間違いないと思うんですがねぇぇ。
ご本人は余計なお世話でしょう。ごめんなさい。

浅草徘徊

浅草徘徊
foot久しぶりの浅草でした。
稽古の後で、長襦袢を見たり、蕪生師匠と笑児さんから聞いた落語会が出来る店の下見をしようと、深川(門前仲町)から浅草に足を伸ばしたという訳です。
歩くのには大変爽快な気候で、気持ち良い散歩になりました。
定点?から望む「東京スカイツリー」も、すっかり街の景色に馴染んでいるようでした。
伝法院通りや浅草公会堂の周辺にある呉服店に行って、襦袢と帯を見て回りました。
イメージは概ね掴むことができました。
落語会の出来る店は、HPを見ただけで、名前は覚えていますが、場所は大まかにしか覚えていません。
確か、浅草公会堂と雷門の間ぐらいだった程度の記憶しかありませんが、まあとりあえず探してみようという訳。
相変わらずお祭りみたいに賑やかな観音様と仲見世あたりを横目で見ながら、久しぶりの浅草独り歩きを楽しみました。

「救いの腕」の稽古

karaokeさあ、サボりにサボっていて、救いの腕
ろくに覚えていない噺の稽古をしていただく時が来てしまいました。
今まで、20題以上の噺にチャレンジしましたが、これほど酷い状態、言わばスランプに陥ったのは、初めての経験です。
どうして稽古をしなかった(出来なかった)のでしょう・・・?
恐らくベースにあるのは、私のズボラでモラトリアムな性格に尽きると思うのです。
救いの腕
こんなことを自慢しても何にもならないのですが、昔受験生時代、(密かに)そこそこ勉強している癖に、クラスメートには「いゃぁ、昨夜は勉強しなかった」なんてウソをついて、相手?を油断させようという、姑息な心理戦が横行していましたが、今日の私は、本当に稽古をしていなかったのです。
せっかく師匠が創作した噺を演らせていただくのに、本番の千早亭の発表会までちょうど1週間しかないのに、何も出来ていない・・・。
今日の稽古も逃げ出したい気持ちでしたが、あと1週間あるから何とかしようという気持ちもあり、今日は師匠にお詫びをするつもりで、師匠から厳しく叱られることまで覚悟していました。
とにかく、ストーリー(台詞の順序立て)も曖昧、従って台詞は覚えていない、だから声に出す稽古はほとんど出来ていません。
やっと週末になって、冒頭の部分だけ覚えたという状態。
後は、高座本を手元に置いて、カンニングをしながら通してみようという、無謀なチャレンジです。
しかも、師匠の前で・・・。
絶望的な気持ちを奮い立たせて、「師匠、お願いします」と、正座してお辞儀をして始めます・・・。
しどろもどろになりながら、高座本をチラチラ覗きながら、屈辱の、崖っぷちの、師匠に対してまことに無礼な稽古が進んで行きます。
前半は何とか誤魔化せましたが、後半になると、綻びが大きくなり、ボロが出て来ます。
・・・それでも、何とか噺が繋がっていることが不思議でした。
・・・そしてやっとオチまで辿り着きました。
師匠の口から、「流三さん。酷い稽古不足だね。とてもじゃないが人様に聴いてもらえる代物じゃないね。落語を甘く見ちゃあいけないよ。」なんて言われるかと思いました。
まず、「師匠、酷い出来で申し訳ありません」とお詫びを言いました。
すると、「大丈夫、大丈夫。出来てるよ。」という意外な言葉。
いくつかコメントをいただきましたが、台詞と仕草の工夫について、アドバイスをくださいました。
流三:「師匠、この噺、本当に難しいです。」
師匠:「そうなんだよ。こういう創作噺はね、聴き慣れていないから、
    演者も観客もなかなか掴み辛いものなんだよ。」
流三:「稽古不足を棚に上げて生意気なことは言えませんが、落語
    にはほとんどない女性(姉妹)二人だけの会話でストーリーが
    進んで行くというのも、予想以上に難しくて・・。」
師匠:「そうそう、そうなんだよ。流三さん、例えば"岸柳島"っていう
    噺があるね。この噺を演る人は多いけれども、もし聴いている
    人がみんなこの噺を知らなかったら、恐らく最初から最後まで
    隅から隅まで聴かなくてはいけないから、受けないと思うよ。
    それぐらい、聴き慣れていない新しい噺っていうのは、難しい
    んだよ。」

・・・なるほど、もしかすると、私は物凄い場所に迷い込んでしまって、貴重な経験をさせてもらっているのかもしれません。
だって、今のところこの噺は、(この世で?)師匠と私しか演らないのだから・・・。
反省点はどっさりありますが、とても有意義な稽古になりました。
・・・疲労困憊・・・・。

三流亭「ん組」稽古会

gawk実を言うと、今日の稽古会は非常に気が重くて、緊張しながら参加しました。
色々な事情があって、稽古はせず、稽古会にも失礼していて。 
このプログでも泣き言を書きましたが、本当に危機的な状況で、今日は稽古にならず、師匠から厳しく叱咤されることも覚悟していました。
何と言っても、まだ台詞を覚えていないので、通しで一度も演ったことがないんです。
稽古会
今日の稽古会の参加者は、流三・窓口・まど絵・びす太と久々の窓蕗さんの5名。
   ◇ 救いの腕     三流亭流三
   ◇ 明烏        三流亭窓口
   ◇ 火事息子     三流亭まど絵
   ◇ 道具屋       三流亭びす太
師匠は、昨日の落語会の疲れも見せず。 稽古会
色々な事情があって落語会に行かれず、師匠にはお詫びしました。
師匠のピアノとのコラボレーションによる「ねずみ」が披露された落語会で、大盛況だったようです。
演題が「ねずみ」だったので、何とか行きたいと思ったのですが。
一通り稽古が終わると、春風亭一之輔さんが真打昇進、桂平治さんが桂文治襲名の話題になりました。
そこで、私から、先日の師匠のプログにあった、「圓生」を「止め名」にする話を振り向けて、師匠から色々お聞きすることができました。
私の稽古の出来、これらの話の内容については、別項に譲ることにしましょう。

稽古場の近く

eyeglass稽古が始まるまで少し時間があったので、近くをブラブラしてみました。Photo_3
・・というより、稽古前の最後の悪あがきで、高座本に目を通しておこうという訳で。
稽古場のすぐ近くに、「古石場文化センター」という江東区の施設があります。
ここでも落語会などが出来るのですが、ここは何と言っても、映画監督の小津安二郎監督の様々な物がメインになっているので有名です。
        
館内に入ると、正面には小津監督の大きな写真が2階の天井から吊り下げられています。

中の展示室には、小津映画全54作品が紹介されていたり、小津ワールドが広がっています。
残念ながら、私は映画には詳しくありませんし、年齢的にもやや遅れた世代ですから、小津監督のことはよくは知りません。
まぁ、そんなことはどうでも良くて、一生懸命に高座本のチェックをしました。

落語はやおき亭

eyeパーソナリティの林家たい平さんが「とても貴重な録音だ」と言っていました。
  ◇ 紙入れ     古今亭志ん朝Photo_2
1965年12月26日に文化放送「爆笑演芸会」で放送された、27歳の志ん朝師匠だそうですから、確かに貴重です。
えっ?これが27歳?
・・・やはり天才ですね。
志ん朝師匠も、名人と言われた師匠の映像を見ていて感じるのは、声の出方です。
声を出してるのではなく、声が出て来る感じなんです。
ちょっと口を開くだけで、あの張りのある声で、後から後から流暢な言葉が溢れ出す感じなんです。
それにしても志ん朝師匠。
良い意味で、27歳であることを微塵も感じさせません。
強いて言えば、声がちょっとハスキーに引っくり返る部分が耳についたぐらいでしょうか。
噺が「紙入れ」で、志ん朝師匠のスピードも特に目立ちません。
上手く言えませんが、言われて聴くと、確かにまだ重厚さは足りないかもしれません。
が、それを27歳の青年に求められるものではありません。
いずれにしても、弱冠27歳にして、既に芸に一本筋が通っていたという訳です。

白山雅一さんの訃報

Photo_3

karaoke歌謡声帯模写で知られた演芸家の白山雅一(本名・山白雅一)さん(87)が21日までに、東京都江東区の自宅で亡くなっているのが見つかった。
警視庁城東署によると、20日朝、通院してこないことを不審に思った介護医療センター職員が消防に通報。同署員が遺体を発見した。
1942年、初代柳家三亀松に弟子入り。1_3
戦後、東海林太郎さん、藤山一郎さん、田端義夫さんらのヒット曲を歌まねする歌謡声帯模写を手掛け、一躍演芸界の人気者となった。
shadow柳亭市馬さんの独演会のゲストにご出演の時に拝見したことがありました。
80歳を超えても、背筋がピンと伸びて、声にも張りと艶がありました。
寂しい死だったようです。

落語DEデート

music朝晩涼しくなりました。
寒さで目が覚め、ラジオを聴くことができました。
  ◇ 仕立ておろし    初代雷門福助
あまりよく知らない噺家さんです。
音源が1980年頃だそうで、そんなに昔の人ではなさそう。
便利な、ウィキぺ・・なんとかを調べると・・・。Photo
初代雷門福助(1901年(明治34年)10月20日 - 1986年(昭和61年)6月11日)
本名は川井初太郎。通称「落語界のシーラカンス」。

の芝居道具師に家の生まれ、生年月日は口伝えでは2月3日の初午の日で、それゆえに初太郎と名付けれられた。
奉公に出たあと陸軍省の田中義一大臣の運転手の助手をしたり、徳川夢声の元で活動弁士の下働きなどをしていた。
22歳の頃から幇間をしていた友人の薦めで六代目「雷門助六」に入門して「福助」を名乗る。
二つ目のときに師匠が名古屋に「助六興行部」を設立したので一緒に同行した。
関東大震災の際、東京に戻らずそのまま名古屋に住み着いた。
戦後は名古屋で旅館[1]を営み長らく高座を退いていた。
のちに大須演芸場に出演するようになり、名古屋在住の芸人の団体「名芸互助会」の会長を長年務めた。
東京の「東宝名人会」に出演した際、「落語界のシーラカンス」ともてはやされ、度々東京の寄席にも顔を出すようになった。
落語はお題噺や廓噺を得意とし大正時代の古き噺を演じていた。1_2
新作も数点残している。
SPレコードも数枚残されていたが、2007年に「初代 雷門福助 落語名演集」(一)~(三)としてCDが発売された。
2010年には川戸貞吉によってインタビュー集『初代福助楽屋話』を発売。

・・・そうか。名古屋にいた師匠ですか。
雰囲気は、喋り口調も含めて、もっと古い時代の感じがします。
「落語界のシーラカンス」というのも分かりますが、名古屋を拠点にしていたので、「落語界のガラパゴス」とも言えるかもしれません。
それに、「仕立ておろし」というのも初めて聴く演題です。
でも、聴いてみたらちょっと「替り目」と同じような"仕立て"でした。
ぶきっちょなおかみさんに亭主がぼやく、ノンキでほのぼのした噺。
爆笑するような噺ではありませんが、福助師匠の十八番のようです。
それが、現在名古屋で活躍している孫弟子さんたちにも伝わり、演じられているようです。
東京では、ほとんど聴かれなくなった噺ですね。

2011年9月24日 (土)

会報「あおば亭」の原稿から

pen今般創刊予定のOB会の会報「あおば亭」の原稿をお願いしている中で、杜の家頓平師匠が、早々に寄稿してくださいました。
Img_0008創部50周年以降の活動について、まとめてくださっているのですが、本文をいただく訳にはいきませんが、時系列で出来事を箇条書きしてくださいました。
2009年の創部50周年以降の主な活動は以下のようになります。
 2010. 5.26   第1回「お江戸OB落語会」開催
         ~悲願の東京でのOB落語会実現。私は「花筏」。
 2010. 9.18  「学士会落語会創立5周年記念落語会」に出演
         ~これは私のことです。トリで「ねずみ」。
 2010. 9.26  第22回「OB落語会」開催
         ~仙台で隔年現役が主催。私は「笠と赤い風車」。
 2011. 5.28  第2回「お江戸OB落語会」開催
         ~しっかり裏を返し満席でした。トリで「佃祭」。
 2011. 7.17  「震災復興出前寄席」開催
                   ~友楽・ぴん吉さんと南三陸町へ。「花色木綿」で。
 2011.10. 8  第7回「落語の舞台を歩く会」開催(予定)
         ~ウォーキングイベント。雑司が谷→早稲田コース。
 2011.11.12  OB会会報「あおば亭」創刊(予定)
         ~まさにただいま制作中。
 2011.11.12  第3回「お江戸あおば亭」開催(予定)
         ~「お江戸OB落語会」を名称変更。「薮入り」を。
  2011.11.12   第5回「OB会総会」開催(予定)
                   ~ますます活発になりつつあります。
改めて眺めてみると、色々やっているものですね。
頓平師匠ありがとうございます。

「本牧亭」本日で閉場

book唯一の講談の定席「本牧亭」が、本日限りで閉場しました。
NHKのニュースでも、以下のように放送されていました。1
江戸時代に開場して国内で唯一の講談専門の寄席として親しまれた東京・上野の「本牧亭」が24日で閉場することになり、名残を惜しむ多くのファンが訪れました。
東京・上野の「本牧亭」は江戸末期の1857年に建てられ、いったん閉場したあと、戦後に講談専門の寄席として復活し、邑井貞吉や5代目宝井馬琴など多くの名人が活躍しました。
しかし、娯楽の多様化にともない観客の減少が続いたため、24日で江戸時代からの歴史に幕を閉じることになり、名残を惜しむ多くの講談ファンが訪れました。3
講談は歴史上の出来事などを題材にした日本の伝統話芸で、24日は人間国宝の講談師、一龍斎貞水さんが、本牧亭に100年以上伝わる釈台を「張り扇」でたたいて調子をつけながら、おなじみの「赤穂義士伝」を語りました。
本牧亭は座席が30席足らずの小規模の寄席で、半世紀も通い続けているという66歳の男性は、「講談師の息遣いが感じられるほどの距離で聞けるのが本牧亭の魅力でした。講談師を育てる場でもあったので、ファンとしてはとても残念です」と話していました。2
最後の高座を務めた一龍斎貞水さんは、「16歳のときに本牧亭で初めての高座を踏んで以来、本牧亭が自分を育ててくれました。
本牧亭の客は厳しくて温かく、若手の修行の場が無くなることは非常に残念です」と話していました。

上野鈴本演芸場とルーツを同じくする老舗がなくなることは、とても寂しいことですが、時代の流れということでしょう。
産経新聞でも、詳しく報道されていました。
一部は重複しますが、記念に拝借することにします。
張り扇(おうぎ)でパパンと釈台(しゃくだい)をたたきながら、軍記などを調子よく語り聞かせる講談。
その唯一の専門寄席「本牧亭」(東京都台東区)が24日、154年の歴史に幕を下ろした。
講談離れによる経営難が原因だが、この日は閉場を惜しむファンが集まった。
午後2時過ぎ、人間国宝の講談師、一龍斎貞水さん(72)が、6月から毎月続ける連続講談「赤穂義士本伝」を語り始めた。
藩主、浅野内匠頭の刃傷沙汰を受け、大石内蔵助以下、家臣が「城を枕に討ち死にか…」と苦悩する場面。
30人で満席の観客が、緊迫した城の様子に聞き入った。
貞水さんの初高座は、高校時代の本牧亭の前座。Photo
終演後、「本牧亭は僕を育てた所。
閉場は残念だが、建物がなくなっても、心の中にはいつまでもある」と話し、本牧亭で100年以上使われた釈台を引き継ぐ。
本牧亭は安政4(1857)年、上野広小路に「軍談席本牧亭」として開場。
作家、安藤鶴夫(1908~69年)の直木賞受賞作「巷談本牧亭」の舞台にもなったが、講談人口の減少で閉場、移転を重ね、平成14年に現在地に。
日本料理店を兼ねる形で存続を図ってきたが、経営難から閉場を決めた。
経営者の清水孝子さん(72)は「若手育成は場所を変えて続ける」と話し、観客の東京都文京区の会社員、前口明夫さん(58)も「独特の狭い空間が好きだった。
寂しいが、また再開するはず」と期待を寄せた。

これまた、本当に残念です。

花色木綿

cd先日ワッフルさんから送っていただいた、5月の「千早亭一門会」のDVDを視聴しました。
実は、学生時代にやっていたネタで、いくらか自信があったのですが、周囲から色々厳しいコメントを受けていたので、あまり見たくなかった部分もあります。
・・・一通り視聴して、やはり会話にメリハリがないのが難点です。
自分では、かなりメリハリをつけているつもりですが、聴いてみると、とても物足りない状態です。
それから、人と人の会話になっていない。
駄目ですね。
それから、他人の家に入って、羊羹を食べるシーンでは、観客は「まごまごしていると家の人が帰って来てしまう・・」と、笑いながらもハラハラしているはずで、ここのところをしっかり演じないといけません。
それから、後半の「裏が花色木綿」を繰り返す部分も、迫力・リズムともに駄目でした。
もっともっと台詞を繰り返して、自分の言葉として自然に出せるようにしないといけません。
あぁぁぁ、駄目だぁぁ。(酷評されても仕方ない・・・。)
トホホ・・・。

落語の舞台を歩く会

Photo_2

shoe落研OB会恒例「落語の舞台を歩く会」の案内をいただきました。
このウォーキングイベントも第7回。
今回は、初代「内気家てれ生」師匠が企画してくださいました。
今回のコースは以下のとおりです。
■日 時 : 10月8日(土)10:00~
■集 合 : 有楽町線「護国寺」駅の護国寺方面改札
■コース : 【護国寺・鬼子母神・早稲田コース】
        鬼子母出現箇所→旧宣教師館→雑司が谷霊園
        (永井荷風・夏目漱石・泉鏡花・ジョン万次郎等の墓)
        →法明寺鬼子母神→金乗院目白不動尊→南蔵院
        (三遊亭圓朝作「怪談乳房榎」の舞台)→面影橋→
        甘泉公園→穴八幡宮(流鏑馬で有名)→夏目坂
        (漱石誕生地・堀部安兵衛仇討の舞台)→「早稲田駅」
以前に一人で歩いたことのある場所ですが、参加したいと思います。
護国寺も、鬼子母神も、南蔵院も、目白不動も、なかなかです。

熱海土産温泉利書・下

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弥三郎から、「金造が言ったことは嘘で、自分は茶人として身をたてようと修行中の身である。」と聞くお濱。
二人の関係を察した池田の隠居は、弥三郎が近藤家に戻れるよう、そしてやがては弥三郎とお濱が夫婦になれるよう力を貸すことを約束する。
弥三郎は勘当が解かれ小田原へ戻り、お濱は熱海で暮らす父のもとへ戻る。
ある日、お濱は、噂話で弥三郎が旅の途中で殺されたことを聞く。
犯人は金造らしいが、証拠不十分で捕まえることが出来ない。
お濱は若侍のなりで八王子へ。
弥三郎の仇である金造夫婦を殺す。
二人の首を持ち、小田原の弥三郎の墓へ向かうお濱は、途中橋本の宿で、大久保家中の安西某に会う。
お濱は安西から、殺されたのは弥三郎の使いの物であったこと、弥三郎は小田原で妻を娶り、跡継ぎも生まれたことを聞く。
池田の隠居の仲介で、お濱と再会する弥三郎。
お濱は熱海に戻り、父と念仏を唱えながら一生をすごしたという。

念仏山由来の一席でございます。

2011年9月23日 (金)

真打昇進

cherry今年の秋は落語協会の真打昇進はないのかな?
と素朴に思っていました。
もう10月になるから、もう完全にないと思います。
なんて思っていたら、来年春の真打昇進のニュースに驚きました。
来年春の昇進は一人だけ。
小三治会長就任後初めての真打でもあります。
しかも、21人抜きの大抜擢という英断。Photo
その噺家さんの名前は「春風亭一之輔」さん。
なるほど、若くして(二つ目で)独演会のチケットがすぐに完売になる実力ですから、流れとしては分からないではありません。
考えてみれば、最近は聴く機会が減っていましたが、今の二つ目さんでは最も聴いている噺家さんですから、嬉しい限りです。
・・が、天邪鬼の私は、何か釈然としない部分があることも確かです。
というのは、私は、まだ一之輔さんの良さが分からないのか、何故そんなに人気があるのかなぁと思っているからです。
尤も、最近の真打というのは、目標というよりスタート地点のようなものですから、毎年10人も粗製乱造していることから考えれば、納得するべきなのでしょう。
三遊亭圓生師匠は、どう思われるでしょう・・・。
圓窓師匠も、同期の小三治師匠より半年早く、同門の兄弟子を抜いて昇進されましたが、当時は一人昇進が当たり前で、定席が7席あったそうですから、披露は70日間だったそうです。
しかも師匠は、当然トリを取る訳ですが、70席全て別の噺を演ったそうです。
以前、懐かしそうに話をされていたのを思い出します。
昔は、真打というのは、そういう位置づけだったという訳です。
以下ご本人のコメント。
「私、春風亭一之輔、来年春より真打に昇進させていただくことになりました。
これもみなさま のおかげ、ありがとうございます。
やることはあまり今までと変わりませんが、どうぞ みなさまも変わらずお付き合いください。」

熱海土産温泉利書・上

spa「熱海土産温泉利書」と書いて「あたみみやげいでゆのききがき」と読みます。
熱海で温泉に入った後で土産を買って帰る話ではありません。
1これも三遊亭圓朝作の長講です。
明治22年に「やまと新聞」に連載されたもので、圓朝の熱海取材に基づく作品で、熱海の風物,名所も詳しい噺です。
数年前に、「柳家喬太郎」さんが通しで口演したのを聴きました。
相州小田原は大久保加賀守の城下。
藩の重役近藤家の奉公人・お濱は、その家の次男坊・弥三郎と恋仲になるも、主従の間での恋愛は御法度。
お濱の父は藩の下役で「南無阿弥陀仏」が口癖。
しかし弥三郎の兄の讒言により藩を放逐され、お濱と妹のおみなとともに三島へうつる。
ある日、お濱は、弥三郎が近藤家を勘当になり、八王子在の乳母の息子・髪結いの金造の世話になっていることを聞く。Photo_2
八王子へ向かうお濱。
金造に「弥三郎は盗みを働き、拝島の牢にはいっている。牢から出すには50両が必要...」と聞かされ、お濱は自ら吉原に身を沈めることに。
金造からの手紙で弥三郎の病死を知るお濱は、通人・池田の隠居に見受けされる。
湯治にやってきた熱海で父と妹と再会すお濱。
そしてある日、死んだはずの弥三郎と出会う。

2011年9月22日 (木)

台風の影響

台風の影響
bullettrain8時ちょうどの「あずさ2号」ではなく、東海道新幹線「のぞみ207号」は、小田原あたりから静岡県内で徐行運転をするそうで、終点新大阪着が25分程度遅れる見込みだと、車内の表示盤。
仕方ないか・・。

台風"一過"

台風一過
sun昨夜の帰宅には大変苦労したものの、特に被害もなく、台風が通り過ぎました。
実家では、昨夜は停電が続いていたようです。
全国の被害状況は、これから明らかになるでしょうが・・。
今朝はお決まりの台風一過の青空です。
今日は大阪に日帰りの出張ですが、交通機関は大丈夫なようです。
ところで、今年の台風は、先日の12号も今回の15号も、日本に近づいて来る時は単独ではなく、もう一つの台風とペアでした。
あたかも夫婦か兄弟のように。
ああそうか、それで「台風一家(過)」って言うんですね。typhoon

怪談乳房榎④~赤塚村

Photo_10

budこの場面でやっと「乳房榎」という題名が理解できます。
浪江からもらった二十両の金を懐に、正介は真与太郎を連れて、生まれ故郷の練馬の在、赤塚村へ隠れ住み、松月院という寺の門番に落ち着く。
正介は旧知の新兵衛から夢枕に現れた白山権現の霊験を聞く。松月院の境内に乳房の形をした榎のコブからしたたり落ちる甘い雫が、乳房の病を治し、乳のでない女も乳が出るようになるという。しかも、その雫は、乳のかわりとなって、子どもを育てるという。正介は榎の雫を乳代わりにして与え真与太郎を育てる。そのうわさ話が江戸中に広まり、その雫を求めに多くの人が参拝に来た。Photo_11
その頃おきせは浪江の子を産んだが、乳が出ないので育たず死なせてしまった。その頃から乳房にはれ物が出来て苦しむようになった。浪江の使いの者が松月院に榎の雫を授かり来て、正介と再会してしまうが口止めをして帰したが、浪江に渡す時この話を漏らしそうになって、早々に退散する。その晩重信の亡霊のたたりで乳房の醜いはれものが痛みだし、狂い死にする。
葬儀を終わらせた浪江は、正介と真与太郎が生きていることを知り、再び亡き者にしようと松月院に現れる。重信の亡霊に助けられた正介と五歳になった真与太郎によって、浪江は仇を討たれる。正介は髪を落とし、廻国をして亡き人々の回向をした。
真与太郎は、長じて真与島の家督を継ぐことを許される。
この噺は、悲惨ではありますが、まだ救われる部分があります。
という訳で、「怪談乳房榎」の読み切りでございます。

東北大学ホームカミングデー

school大学の同窓会からメルマガが届きました。
「東北大学104周年ホームカミングデー」の案内です。
http://www.bureau.tohoku.ac.jp/alumni/hcd/2011/
http://www.bureau.tohoku.ac.jp/alumni/hcd/2011/fes,lp.pdf
我が落研も「ロビーパフォーマンス」にエントリーしています。Photo_5
日時:平成23年10月8日(土)
     11:45〜13:20、16:30〜17:15
会場:東北大学百周年記念会館
    川内萩ホールロビー
司会:放送研究部
ロビー・パフォーマンスが今年も開催されます。
学内外を問わず多くの団体が参加し、文化フェスティバル・記念コンサートを見に訪れた多くの人に演奏やパフォーマンスを行います。
○参加予定団体:落語研究部、サルサモンド、エレクトーンサークルMUSICA、青葉城址男声合唱団、学友会応援団、学友会書道部、(一般)合唱サークル 若星Z

後輩諸君、今年も頑張っているようです。

2011年9月21日 (水)

帰宅の苦労

busある程度予想していたとはいえ、台風上陸のおかげで、帰宅の足は大混乱です。
beer8時前に会社を出て、近くで腹ごしらえをして暇を潰し、まだ銀座線が駄目なので、霞ヶ関駅に行くと千代田線も駄目。
日比谷線は動いていたので、とりあえず北千住まで。
wobblyところが、北千住駅は、常磐線が駄目なので、大混雑・大混乱。
sad改札口前は動いていないのに、長蛇の列。
悩みましたが、思い切って戻ることにしました。
despair上野か秋葉原で別路線とも思いましたが、そのうち千代田線が再開するだろうと、振り出しの霞ヶ関まで戻りました。
dashすると、幸い再開された千代田線に乗ることが出来ました。
sweat01が、JRとの乗り入れはなく、綾瀬行き。
sweat02やれやれ綾瀬で混雑かと憂鬱に思っていると、我孫子行きに変更されました。
scissorsしめしめ、それを狙っていました。
coldsweats01大手町で座れました。
これで一安心。
signaler途中では、前に電車が詰まっていて、駅毎に停車時間が長く、遅れています。
happy01でもまあ座っているので、贅沢は言えません。
clockただいま10時50分。
train西日暮里駅。
music師匠の「救いの腕」をウォークマンで聴き稽古。
house今日のうちには帰宅出来るでしょう。
やれやれ・・foot

台風15号

typhoon台風15号が日本を縦断しています。
Photoただいま21日午後6時。
台風の中心は埼玉県秩父周辺にいるようですが、都内は暴風雨。
自宅に連絡をすると、雨風がピークになっているようです。
浜松に上陸したということなので、実家が心配でしたが、とりあえず無事を確認できました。
が、久しぶりの台風直撃で、中部電力・東京電力ともに停電している様子。
こちらもジタバタしても仕方がありませんから、暫く会社に留まって、状況を見てから帰宅しようと思います。
首都圏の交通はマヒしています。

名物刀剣

japaneseteaなぜかなかなか行く機会のなかった「根津美術館」。
               
               
今日こそと出かけたのが、先日の3連休の中日でした。
「名物刀剣」という展示会が行われていて、残暑の外界とは別世界で過ごすことが出来ました。Photo_2
『名物刀剣 ―宝物の日本刀―』。名物刀剣とは、形の特徴や由緒、持ち主の名前などが愛称のように親しまれてきた、主に平安時代から南北朝時代に作られた名刀のことを指します。
この「名物刀剣」を中心に国宝9件を含む約50件が並ぶ、厳かな展覧会が好評開催中。
名物刀剣は、将軍家や大名家に宝物として伝わってきた逸品がほとんど。武家にとっては刀は家宝、とくに戦国時代には織田信長・豊臣秀吉・徳川家康といった武将たちが、この名物刀剣を大量に手中に収めることに熱中したといわれています

Photo_4重要文化財:太刀、 銘:備州長船兼光 延文三年二月日
上杉景勝の佩刀(はいとう)。
謙信や景勝は長い刀を好み、これも刃長約90cmの大太刀。
これが「正宗」・・・なんて、それにしても美しい。
刀というのは、現在では全く日常的ではない物ですから、その本当の価値などは見当もつきませんが、何かこう・・・、身体が引き締まります。
刀のみならず、柄や鍔や鞘などに施された装飾の素晴らしさに、かつての名工・名人を思うことができました。

怪談乳房榎③~十二社大滝

Photo_8

pouch男と女の関係、人としての道・・、色々なものが錯綜して行きますが、ここは「怪談」らしい場面です。
「おきせ」は、不義を働きながらも、「重信」の非業の死を知って悲嘆にくれる。
おきせは「浪江」と再婚し、やがて、おきせは浪江の子を身ごもる。
馬鹿正直で小心者の「正介」は、今度、浪江から重信の子「真与太郎」を殺害すするように脅される。
迷いに迷ったが、結局、浪江に言われたとおり、四谷角筈村十二社の大滝の滝壺に真与太郎を投げ込む。Photo_9
滝壺から、真与太郎を抱いた重信の亡霊が現れ、正介をにらんで言う。
「かりそめにも、主を殺せし大悪人。
…この真与太郎を養育し、敵を討って、鬱憤をはらさせろ」。
・・・正介は、その重信の亡霊の言葉を聞いて改心する。
この場面の舞台になる「十二社大滝」は、現在の西新宿、新宿中央公園から十二社通りのあたり、熊野神社のあるあたりです。
今は、大きな池や滝があったなど、到底想像できません。

地震・原発・花火・・

mist打ち上げる予定の花火の一部が福島県産だと言うので、「放射能を撒き散らすから、福島産花火の打ち上げを止めろsign03」。
随分酷いことを言う人たちがいるものです。
でも、悲しいですが、こんな人がいても不思議はありません。
先日は、福島県の物産を扱うショップが開店を断念したというニュースもありました。
ほとんどが「風評被害」というものでしょう。
こんなことは主催者は十分予測出来ていたはずで、事前に調査や理論武装した上で、問題なければ大々的に被災地支援も謳い上げれば良かったと思います。
そもそも、拙速に大々的な前宣伝などしないで、発表する前に問題の有無を確認して解決してから、宣伝するか止めるかの判断をするべきだったと思うのです。
夏の京都の送り火の時も、二転三転大騒ぎになったのだから、反面教師にすれば良かったのに・・・・。
結果的に、被災地の方々も、拒否をした側もお互いに嫌な思いをしただけになってしまいました。
ニュースを聞いた我々も残念です。
お互いに傷付いてしまうなんて、それこそ本末転倒です。
ボランティア活動や支援運動と言うのは、本当に難しいものです。
主観的な善意だけでは、色々な立場や考え方の人々を納得させられないでしょう。
今回の騒ぎは、関係者には申し訳ありませんが、主催者側の準備不足だと思います。

2011年9月20日 (火)

暑さ寒さも・・

     
typhoon台風が来ています。
大陸の方に向かうかと思っていたら、急に進路を変えて、本州に上陸しそうな勢いです。Photo
前回上陸した台風の被害が癒えていない地方にも、容赦なく雨や風が吹いているようです。
これで、今年の夏が本当に終わるでしょう。
去年入谷の朝顔市で買った朝顔。
今年は、震災の影響で朝顔市が開かれませんでしたから、この種から育てましたが、9月の半ばまで、綺麗な花を幾つも咲かせてくれたようです。
台風の影響が少ないことを祈ります。
暑さ寒さも彼岸まで。

三遊亭鳳楽独演会

spa先日、「三遊亭鳳楽独演会」の案内葉書をもらいました。
9月29日(木)に、いつもの日暮里サニーホールです。

前回「千早亭落語会」のDVD

cd先日、扇子っ子連のワッフルさんから送っていただいた来月の発表会のチラシに、前回の発表会のDVDも同封されていました。

この時私は「花色木綿」を演ったのですが、まだちょっと視る気分になれずにいます。
・・今はまず新しい噺をやらなくてはというのと、当日の「花色木綿」の出来が・・・。
だから自信がなくて。
まあ、気分が乗ったら視聴することにします。

怪談乳房榎②~重信殺し

shadow悪事が着々と進められて行きます。
Photo_7 「磯貝浪江」は高田の南蔵院に手土産を持って陣中見舞いに訪ねて行った。
「菱川重信」も大変喜んで天井画の雌龍、雄龍をみせた。
素晴らしい出来で、あと雌龍の片腕を描き上げれば完成と言うところまで仕上がっていた。
じいやの「正介」を連れ出して茶屋に誘って一時の贅沢をさせた。
5両という金を正介に与え、叔父甥の仲になりたいので、その為の金だからと受け取らせ、親戚同士の杯を交わした。
隠し事はなしと、「おきせ」との密通を打ち明け、重信殺しを手伝えと脅迫した。
断れば殺すと脅されて、正介はやむなく承諾する。
重信殺しの計画を打ち明け、他言したら寺に踏み込み全員を殺すからと念を押される。

寺に戻った正介は有名な落合の蛍見物に重信を誘い出した。
来てみると大きな蛍が飛び交う様は見事であった。
飲めない重信に酒を飲ませて、雨が来るのを警戒して早めに切り上げ、帰り路にかかった。田島橋のそばまで来ると、浪江は竹槍で重信を刺し、ひるんだところを正介の助太刀で隙を作り、一太刀で命を奪った。

寺に逃げ戻った正介は「田島橋の所で先
生が狼藉者に襲われて命が・・」と報告するが周りのものは取り合わない。
そのはず、重信は普段通り絵を描いていた。
どう考えても不思議だったので中を覗き込んでみると、最後の雌龍の片腕を描き上げ落款を押しているとこであった。
「正介、何を覗く !」との声で「わぁ!」と、後ろに倒れ、明かりも消えたところに和尚一同飛び出して来て訳を聞く。
明かりを点けて中にはいると、重信の姿はなく、雌龍の片腕は描き上がり、落款はべっとりと濡れていた。

「乳房榎」は、だいたいここまでがポピュラーなのですが、まだこの続きがあります。
続きは次回申し上げることにいたします。

三越落語会のチケット

cryingチケットのイープラスで、来月の「三越落語会」のプレオーダー(先行抽選販売)にエントリーしましたが・・・、「ハズレ」の連絡がありました。
下記申込みについては、抽選の結果、チケットをご用意することができませんでした。
    公演名 : 第564回 三越落語会
    会場名 : 三越劇場
・・・前回もハズれました。
仕方がないので諦めることにします。
また、同様に「読売GINZA落語会」にもエントリーしました。

2011年9月19日 (月)

似ている人・・

bus3連休の最終日に、ちょっと出かけた電車の中。
正面の座席に座っているお兄さん、どこかで見たことがあるなぁ・・。
誰だったかなぁ。
向こうはこちらを知らないみたいだし・・。
「すみません。あなたどなたでしたっけ?」
「バカ野郎!おめぇの親父だ!」
なんてなことはありませんが・・。
う〜ん・・。
flairあ、そうだ!思い出したsign03
浅草演芸ホールで呼び込みをやっているお兄さんだsign01
小柄でぽっちゃりしたシルエットは間違いないsign01・・と思う。
あの西郷さんを可愛くしたような風貌も。
でも自信はありません。
coldsweats01お兄さんは、北千住で降りました。
そうか、つくばエキスプレスで浅草に行くんだ。
開演が10半過ぎだから、時間もぴったり合う。
ふ〜ん、あのお兄さんは、常磐線沿線のどこかにに住んでるんだ。
・・だから何なんだという、くだらないお話でした。

もうひとつの目黒のさんま祭り

fish昨日も「目黒のさんま祭り」が開催されたそうです。
9月4日の「目黒のさんま祭り」は、品川区(JR目黒駅周辺)で、昨日のは目黒区内でのものだそうです。
振舞われた何千匹もの秋刀魚も、4日は岩手県宮古、昨日のは宮城県気仙沼からの提供ということです。
いずれにしても、お祭りの関係者は、準備を怠りなくやっていらっしゃることでしょう。
何と言っても「用意"秋刀"(周到)」と言いますから。
それにしても、昔の歌謡曲に「港町ブルース」というのがありましたが、河岸をじゃなくて 歌詞を思い出しました。
note港ぉ~、宮古、釜石ぃ、気仙沼ぁぁ~notes
早く復興して欲しいものです。

「千早亭」落語会のチラシ

memo「扇子っ子連・千早亭」の発表会が近づいて来ました。
Img ここのところ稽古に出られなかったので、ワッフルさんが、発表会のチラシを郵送してくださいました。
前回と同様、師匠とメンバーの顔写真を載せた、とても立派なカラーチラシです。
・・と同時に、現状に改めて背筋が寒くなりそうです。
私の出番は、メンバー9名中の5番目。
これも「あみだくじ」で決めたはずです。
最後に師匠に一席お願いしますので、今回も10名という、大所帯の発表会になりそうです。
随分長時間になることでしょう。
    ≪第2回 千早亭落語会≫
   日時     10月2日(日)午後2時~
   場所     豊島区千早地域文化創造館
   木戸     (当然)入場無料 

「昭和の名人完結編」(16)

cat三代目三遊亭金馬師匠を弟子の四代目金馬師匠が語っています。16
ラジオ放送やレコードが急成長した時代に、リアルタイムで人気を博した噺家さんです。
私は間に合っていませんが、大衆受けのする芸風で、未だに人気があります。
 ◇ 死神(誉れの幇間)  三遊亭金馬   
 ◇ 茶の湯         三遊亭金馬
 ◇ 勉強           三遊亭金馬
「死神」は、かの三遊亭圓朝がフランスの話を翻案したものと言われていますが、この圓朝の「死神」を、初代三遊亭圓遊が再アレンジしたのが、この「誉れの幇間」だそうです。

怪談乳房榎①~おきせ口説き

rouge「怪談乳房榎」の発端は、やはり男の横恋慕から始まります。
秋本越中守に仕えて250石を取っていた武家で37歳になる文武両道に秀でた「間与島伊惣次」という侍がいた。
趣味で始めた絵が有名になって武家を辞して「菱川重信」という絵師になってしまった。
妻の「おきせ」と生まれたばかりの「真与太郎(まよたろう)」と三人で柳島に移り住んでいた。
おきせは24歳で
絶世の美女。夫婦仲も良かった。
本所・撞木橋(しゅもくばし)近くに住む29歳になる浪人「磯貝浪江(いそがいなみえ)」は重信の弟子になった。
良く気が付き絵も上手かったので評判は良かった。Photo_6
宝暦2年5月、重信は、「南蔵院」から天井画の龍を頼まれたので、じいやの「正介」を伴って泊まり込みで描き始めた。
浪江は留守宅に毎日のように訪ねてくるようになった。
ある日仮病を使って泊めて貰ったが、夜更けに起き出し横恋慕していたおきせにせまったが、激しく抵抗された。
息子を殺すと脅されて、一度との約束でいやいや枕を交わした。
が、二度三度と度重なると浪江に好意をいだくようになった。
悪縁で、そのうちおきせの方から誘うようになっていた。
浪江はおきせは自分のものになったが、絵を描き上げて重信が帰ってきたらこの仲は終わってしまうので、帰ってこない算段を考えた。
男と女の仲の複雑なところが出て来ます。
さて、これから悪事と悲劇が始まります。
ところで、この南蔵院というのは、都電荒川線の面影橋近くにある名刹です。
何度か行ったことがあります。

2011年9月18日 (日)

落語はやおき亭

cherry今朝は「入船亭扇橋」師匠です。
   ◇ 茄子娘      入船亭扇橋
扇橋師匠も80歳になり、往年の若々しい芸を聴かせてはいただけなくなりましたが、本当に好きな噺家さんです。
学生時代の「ねずみ」や「猫怪談」は、扇橋師匠のをベースにやらせていただきました。
明るい声とリズムがいいのと、噺がとても分かりやすいんです。
「茄子娘」は、扇橋師匠ぐらいしかやらない噺だと思います。
最近は、扇辰さんだとかお弟子さんもやっているようですが。
このほのぼのした雰囲気は、扇橋師匠の世界ですね。
オチは・・・、地口オチで、まぁそんなものですか・・。
「親は茄子(なく)とも子は育つ」・・。

浮世床・・

hairsalonラジオで、若き志ん生師匠の「浮世床(姉さんの合戦)」を聴いて、昔は、銭湯と床屋が人々の交流の場だったと言われているのを思い出しました。
街の情報の集積場でもある訳です。
行きつけの床屋さんに行きました。
ご主人と「いつまでも暑いねえ」から始まり、洗髪までの暫くの間、巷の話に花が咲きます。
やはり「震災」の話題になります。
あるご一家は、親子三代で住んでいたのですが、先日若夫婦が横浜に引っ越したそうで、てっきり仕事の関係かと思ったら、実は小さい子どもの安全のための"避難"だったと。
「このあたりまで放射能が風で流れて来て、ホットスポットだなんて言われて・・・。我々はそんなに気にはならないけど、小さな子どもがいる人たちはねぇ・・・。」
それから、最近の新しいお客さん。
ご近所の新築建売住宅に入居の若夫婦のお父さんだそうで。
実は、福島県の某町の職員で、震災(原発)のおかげで、家が被災しただけでなく、その町の役場も埼玉県の某市に移転したために、親夫婦が子どもの新居に居候していると。
平日は埼玉県内の仮の役場のある体育館に寝泊まりしていて、週末だけ子どもの家に戻るという生活だと・・・。
・・我々の間近にも、まだまだ震災に翻弄され、大変なご苦労をされている方がいらっしゃるんですね・・・。

落語DEデート

music今朝は「五代目古今亭志ん生」が登場。
  ◇ 夕立勘五郎    古今亭志ん生
  ◇ 姉さんの合戦   古今亭志ん生
「夕立勘五郎」は戦前の昭和11年、「姉さんの合戦」は昭和20年の音源なんだそうです。
古いSPレコードですから、かなりノイズがあるものの、しっかり聴くことができます。
若い頃の志ん生師匠です。
あの高目のトーンは、我々が聴く晩年と同じです。
昔のレコードの常で、スタジオで観客がいないのと、時間が限られているので、みんな早口です。
それもあってか、「えぇぇ~」という志ん生節ではなく、スピーディな運びです。
それぞれ6分程度のものでした。
そういえば、この「夕立勘五郎」という噺、「古今亭志ん輔」師匠の十八番だったはず。
・・・そうか、これがルーツかということか。
あ、それから「姉さんの合戦」というのは、「浮世床」の本を読む部分でした。

怪談乳房榎

book三遊亭圓朝作「怪談乳房榎(ちぶさえのき)」のストーリーを追いかけてみます。
Photo_5 この噺は、三遊亭圓朝の傑作のひとつで、新聞連載後の明治21年に出版されました。
柳島の蚊帳、早稲田の料理屋の二階、落合の蛍狩り、新宿十二社の滝、板橋赤塚村の乳房榎と場面のメリハリが効いている噺です。
仇討の場面も重信の幽霊の力添えがあり、最後まで怪異が貫かれているようです。
磯貝浪江、師匠である菱川重信の女房を寝取った上に殺害。
女房は乳にできた腫瘍を治そうと乳房榎にすがる。
辛くも助かった子の真与太郎は、父の亡霊に助けられ、乳房榎で仇討をするという・・・。
さあ、はじまり、はじまり・・・。

2011年9月17日 (土)

朝日名人会

notes8月は公演がなかったので、2ヶ月ぶりの朝日名人会です。
今回で、年間通し券での鑑賞がちょうど半分経過となります。

   ◆  一目上がり            柳亭市也
   ◆   武助馬                  桂才紫
   ◆   宮戸川                  三遊亭兼好
   ◆   宿屋の富               瀧川鯉昇
   ◆   猫の災難               三遊亭小遊三
   ◆   茶の湯                  柳家権太楼
今回の出演者は、どちらかというと軽妙な芸風で人気の噺家さんが多く、会場は爆笑に包まれました。
そんな中で、前半はほとんど眠っていました。
兼好さんを聴くのはひさしぶりでした。
期待したとおりの面白さですが、ちょっと早口過ぎて雑に思われるのが気になりました。
小遊三師匠もひさしぶりでした。
同じ山梨県出身ですから、心情的には応援しています。
噺家さんらしい噺家さんです。
そしてすっかり元気になった様子の権太楼師匠。
会場は爆笑でした。
ちょっとしつこい演出ではありましたが、”権太楼節”は今日も健在、大炸裂でした。

ヒマワリでは・・

budヒマワリ、ひまわり、向日葵・・・。
期待していたのですが・・・。Photo
福島第一原発の放射能漏れ事故を受けて土壌汚染の除去実験を行っていた農林水産省は、放射性セシウムを吸収するとされていたヒマワリには「ほとんど効果がない」との実験結果を発表した。
表土を削り取る手法には効果があったものの、大量に発生する汚染土をどう処分するか、課題が残る形だ。
実験は今年5月から福島県飯舘村などの農地計約70アールで、〈1〉表土を削り取る〈2〉水で洗い流す〈3〉表土と地中の土壌を入れ替える〈4〉ヒマワリなど植物に吸収させる――の4種で実施した。
このうち、最も効果が薄かったのが〈4〉で、5月に種をまき、8月に開花したヒマワリの場合、土壌1平方メートル当たり約107万ベクレル含まれていた放射性セシウムのうち、吸収できたのは約2000分の1の520ベクレルにとどまった。

放射能を食べてくれる動物や植物はいませんかねぇぇ・・。
蛇含草みたいに、溶かしてしまうとか。
うわばみは駄目ですかねぇ。
・・・ヒマワリは、放射能は吸収できないかもしれませんが、あの鮮やかな花は、周囲を明るくして、人々の悲しみのいくばくかを癒し吸収してくれている気がします。

真景累ヶ淵のあと

coldsweats01三遊亭圓朝作「真景累ヶ淵」のストーリーだけを淡々と追いかけてみましたが、何となく分かりかける部分もあるようです。Photo
という訳で、ちょっと間を置いてから、いくつか同じようにストーリーを追いかけて見ようと思います。
「熱海温泉土産利書」「怪談乳房榎」「名人長二」「髪結新三」「梅若禮三郎」「錦の舞衣」あたり。
どうぞ暫くの間、お付き合いのほどをお願いいたしておきますが。

回数券?

回数券?
ticket「東京落語会」の会場ロビーで、10月から来年3月までのチケット6枚綴りを受け取りました。
今回は、随分カラフルな感じがします。

宗珉の滝

wrench「金明竹」に名前が登場するだけではなく、江戸時代の名工の一人「横谷宗珉」に関わる落語もあります。  Photo_2
徳川十五代の頃、日本橋浪花町に腰元彫りの名人と言われた横谷宗珉の弟子の宗三郎が勘当されて、回り回って三年目に南海道紀州へ入ってきた。
紀州の権現様の前の岩佐屋松兵衛という宿に泊まった。
泊まってしまって一文もないことに気がつき、立ちそびれて酒を飲んでは寝ていた。
主人に近所を見物することを勧められる。
懐が寂しく宿賃も払えないことを明かす。
主人は、仕事が大工だったら家を治してもらうのだがと職業を聞くと、腰元彫りの職人だという。
そこで、仕事を見せてもらうことにする。
小づかで真向きの虎が彫ってある。
主人はうまいが虎が死んでいるという。
宗三郎は驚く。
師匠にも同じことを言われて、この虎が生きているように彫れたら帰ってこいと破門になったとのこと。
宗三郎は見る目のある主人に、彫りの善し悪しを教えて自分を一人前にしてくれと頼む。
松兵衛は引き受けてやることにして、六畳の部屋を二間与える。
ある日、紀州和歌山のお留守役の木村又兵衛がこの宿に泊まる。
夜、厠へ行くと鏨の音がしたので彫金の者がいるのかと問う。
松兵衛は訳を話し、腕がいいと褒める。
又兵衛は殿様に伺って注文を取るようにしてやることにする。
Photo_3そして、殿様から紀州の那智山の滝の図を刀の鍔に彫るよう仕事の注文が来る。
松兵衛は、この仕事が旨くいけば勘当が解けるので踏ん張って仕事をするように告げる。
水垢離をやるよう勧めるが、宗三郎は断って、仕事始めの祝いに酒を飲んで始めるという。
四日ほど経って仕上がる。
うまいものだ。
さっそく松兵衛はお城へ持って行くが、殿様はかような物を当家に置けない、もう一度彫るようにとのことだ。
松兵衛は、宗三郎が酒を飲んで、気持ちが仕事に行ってないことが気に入らない。
次に出来上がった者を届けるが、これも殿様は受け付けない。
もう一度彫らせるようにとのこと。
松兵衛は、一文無しだった宗三郎が、一人前にしてくれと頼んだことを思い出させて、自分は宗三郎がうまくいくように、水を浴びて祈っていたことを明かして、出て行けと啖呵をきる。
すると出て行ってしまう。
家の者を止めにやると、これから那智山の荒滝にうたれて二十一日間の断食をして、生きていれば仕事にかかると言ったとのこと。
松兵衛も一緒に断食をするという。
二十一日後帰ってきた宗三郎は、この世の人とは思えない姿、仕事にかかる。
七日後に鍔が仕上がる。
この鍔が納まらなかったら腹を切るという。Photo_4
見ると仕事が落ちているように見える。
仕方なく殿様に見せると、大変な名作だ、この鍔には霧が吹いており、下の紙が濡れていると言うと、家来がこれを作った者は腹を切る覚悟で作った物だと申し上げると、殿様は家来同様であると言って、お目通りがかなうことになる。
さらに、紀州家の抱えとなり、百石という禄が降りて取り立てられ両刀を手挟むようになる。
すぐにこのことを江戸の宗珉に手紙を出すと、大変喜んで二代目宗珉を宗三郎に譲る。
紀州家の先祖が南龍院というので、その一字を取って一龍斎横谷宗珉として、長く長く紀州へその名前を留めたという名人の出世話でございます。

「腰元」という言葉は身のまわり、というほどの意味で、そこから身辺の世話をする仕事や、刀剣の付属品を意味するようになりました。
腰元彫りは刀剣装飾品を彫刻することおよび、その金工職人のことです。
金工職人は釘隠しや襖の引手も細工するが、多くは刀剣装飾家でした。
主な金工の家は、例の祐乗・宗乗・光乗の後藤家で、横谷宗珉の父の宗与は後藤家の門人かつ幕府の御彫物役だったそうです。
しかし、宗珉は自分自身の題材、材質、形、工夫で表現することを目標とし、幕府の役を離れ、小柄(こづか)、目貫(めぬき)など刀剣装飾の分野で虎、獅子、牡丹などを彫刻し、町彫りの祖と言われて町人に親しまれるようになったそうです。。
廃刀令が出た後も日本の金工は海外で知られるほどの技量がありましたが、その背景には、町彫りとして煙管、かんざし、根付けなどの彫刻にも打ち込んできた歴史がある訳ですね。
そうそう、「浜野矩随」を忘れてもらっては困りますね。

2011年9月16日 (金)

東京落語会

      
東京落語会。
チケットの心配なく、毎月ゆっくり聴くことができるというのは、大変貴重だと思います。
今夜は第627回です。
  ◆ 鷺取り          柳家小せん
  ◆ 植木屋娘        三遊亭歌武蔵
  ◆ 御神酒徳利       春雨や雷蔵
  ◆ ラーメン屋        桂米助
  ◆ 手水回し         三遊亭歌之介
  ◆ 紺屋高尾        三遊亭金馬
      
前回も同様な思いをしたのですが、出演者が多過ぎて、ややだらける感じがします。
それに、香盤(番組)の構成が良くない。
トリでもおかしくない噺が並んだり、今夜の終演は9時30分を過ぎていましたから、このメンバーで3時間半というのは長過ぎる。
      
桂米助さんの「ラーメン屋」は、柳家金語楼(ペンネームは有崎勉)師匠の名作で、先代の「古今亭今輔」師匠の十八番でした。
老夫婦二人、おじいさんとおばあさんの人情味あふれる物語。
新作落語ではありますが、やはり世相のズレはいかんともしがたく、現代でこういうシチュエーションの噺はつらいものがあります。
歌之介さんのマクラが長かった。
会場は大爆笑でしたが。
完全に自分の型が定着して、安定感があるのがいいですね。
 
トリの「三遊亭金馬」師匠も、相変わらずお元気でした。
終演後、いつもの3人で、いつもの店で一献・・・なのですが、今夜は頓平の師匠のご友人もこの落語会に来たそうで、この方も入れて4人で楽しみました。

笑神降臨

    笑神降臨   笑神降臨
moon1深夜のNHKで「笑神降臨」という番組があり、古今亭菊之丞さんが出演していました。
       ◇  法事の茶           古今亭菊之丞
       ◇  町内の若い衆      古今亭菊之丞
こんな番組案内がありました。
1組の芸人が出演し、29分の放送時間を使ってネタをじっくり披露するこの番組。
今年2011年が噺家生活20周年の年となる菊之丞は、今回スタジオで古典落語の「法事の茶」「町内の若い衆」2席を披露する。
「NHK新人演芸大賞」をはじめ、数多くの賞を受賞している若手落語家のホープ・菊之丞。
オフィシャルサイトのコメント動画で、菊之丞は「法事の茶」について「自分が落語家になったときにぜひやってみたいと思っていた落語」、「町内の若い衆」について「とてもオチがいい」とそれぞれ朗らかにアピールしている。
そのほか落語家の生態に迫る特別企画「菊之丞いち!?変化」も。古典落語の端正な演じ手と知られる菊之丞の話芸に、ぜひこの機会に触れてみよう。
・・・30分番組ですから、まぁこんなものでしょう。

牛タン「青葉亭」

restaurant我々の会の名称を「あおば亭」にするにあたって、仙台在住の先輩「走れ家駄馬」師匠から、「仙台市内に、牛タンの"青葉亭"というレストランがあるぞぉ・・」というご指摘を頂戴しました。
・・・なるほど、とても立派なお店のようです。
http://www.aobatei.jp/
・・でも結局、「我々のは、平仮名だからいいか」ということに・・・。
考えてみれば、仙台で「あおば」だとか「青葉」なんていうのは、苗字なら「鈴木さん」「渡辺さん」「高橋さん」みたいなものですから、ほかにも同じ名前はたくさんあるでしょう。
でも、だからいいという考え方もありますよ。
落語会は「お江戸あおば亭」「みちのくあおば亭」ということで。
      
・・・と、「青葉亭」のホームページを見ていたら・・、あれっ?このお店は、数年前のОB落語会で仙台に行った時、頓平師匠とご一緒に食事をした店ではないかと。
頓平師匠が、JRの仙台往復チケットをゲットしてくださり、このチケットがキャンペーンで牛タンランチ付きということで、二人で本場の牛タンに舌鼓を打った記憶があります。
そうだ、この時トリで「ねずみ」をやったんですよ。
だから、全く縁がない訳じゃないんですよ。

年枝の怪談

shadowこれは「八代目林家正蔵」師匠作の噺だそうです。Photo_2
噺家の「春風亭柳枝」の弟子で、若手の「年枝」が宿屋で呼んだ按摩が、年枝と悉くぶつかった。
年枝が柔術初段だというと、自分は二段だと反発する。
宿では乱取も出来ないから、絞めっこで決めよう、さぁ先に絞めておくれ。
それならと、年枝が絞め技をかけると、あっけなく死んでしまった。
按摩の死体を戸棚に放り込み、翌朝、師匠に相談すると、自首を勧められたが、咄家でなくお喋り屋と言われたのが気になるから芸を磨くと、旅に出てしまった。
地方を巡って名を上げた。
金沢で怪談話をかけた夏、客席に死んだ按摩の顔。
宿に戻ると風呂場にまた按摩がいた。
按摩の供養にと仏門に入り、別寺を任される程になった。
ふと前を見ると、柳枝一座の地方公演のビラ。
なつかしさの余り、夜を待って宿舎を訪ねた。
師匠の話によれば、あの按摩は死なずに生きている。
「さぁ一緒に東京に帰ろう。」
「はい。」
「目出度いことだ、皆で手を締めよう」
「いや、絞めるのは懲り懲りです」

年枝というのは、落語家の名前で亭号は「春風亭」です。
この人が神奈川の宿で按摩を殺してしまい、その亡霊に悩まされるというストーリー。
「怪談」といわれて一見怖そうですが、それほどでもありません。
というのも、タイトルに怪談とあっても、正確には怪談ではなく、怪談的な雰囲気の噺ということでなのでしょう。
この噺は、落語家が主人公ということですから、途中噺のストーリーの中で、登場人物が落語を演じる場面があります。
そこで演じられるのが、本寸法の怪談噺。
正蔵師匠は、まず「真景累ヶ淵」の発端「宗悦殺し」を入れています。
「ゆれるとき」の圓窓師匠は、「寿限無」と「牡丹燈籠」を入れていますが、この噺を意識されていたかもしれません。
演劇なら「劇中劇」。落語ならさしずめ「噺中噺」でしょうか。
もちろん、サワリだけですが。
ところで、「春風亭年枝」という噺家は実在しているようです。
■初代春風亭年枝(1843年2月 - 1901年4月11日)
本名は村岡 唯吉。
享年59。
幼少の頃に、江戸に出て紺屋に丁稚奉公し、18歳のときに「七昇亭花山文」の門に入り「花玉」の名で初舞台を踏んだ。
その後「初代五明楼玉輔」の門で「松橋」、更に「三代目春風亭柳枝」の門で「年枝」を名乗った。
芸は前座時代には前受けする手品を演じた、一時期地方巡業で手品を廻ったほどで、「初代帰天斎正一」に手品の手ほどきをしたほどだという。
真打昇進後は軽い小噺を演じた後、「独俄阿呆陀羅経」を演じて人気を取った。
または「丑の時参り」「陣屋鏡山」等の一人茶番なども演じた。
それに「滑稽演説」と称し、大太鼓のバチ2本を両脇の帯にさして、その上に大風呂敷を掛けテーブルに見立て、弁士に扮して笑わせるなど、明治の時節に対応する感性を持っていた。
この初代年枝は、「初代松柳亭鶴枝」、「柳亭朝枝」と並んで「柳派の三枝」と言われ、もてはやされたそうです。
「三代目柳家小さん」を売り出すにつき、年枝が陰になり日向になって引き立てたという。小さんはその恩義を生涯忘れずに年枝に尽くしたという美談も残っているそうです。
俗に「クシャㄑ年枝」や「御神酒徳利年枝」といわれ人気があった。
■二代目春風亭年枝(1867年6月13日 - 1931年10月6日)
本名は篠原 亀吉。享年65。
最初は「二代目古今亭今輔」の門で「今治」で初高座。
「四代目春風亭柳枝」の門人となり、「さん枝」を経て「年枝」襲名。
四代目柳枝一門の古株で番頭役を長年勤め若手の稽古台になったそうです。

亭(てい・ちん)

house「亭」という言葉を何気なく使っています。
「あおば亭」なんて。
Img_0005辞書で調べると・・・、
【亭】
《唐音では「ちん」》眺望や休憩のために高台や庭園に設けた小さな建物。あずまや。
あずまや】
東国風のひなびた家の意
(1)屋根を四方へ葺き下ろした建物。寄せ棟造り。
(2)庭園や公園に設ける休憩用の小さな建物。萱(かや)・藁(わら)・杉皮などで葺いた寄せ棟形式の屋根で四方を吹き放しにしたもの。亭(ちん)。
なるほど・・・、そういうことか。
やはり「あおば"亭"」ですね。
ささやかに、謙虚に、こじんまりと行きましょう。

2011年9月15日 (木)

不肖の弟子・・

snailどこまで続くか大スランプ・・・。
先日、稽古会に出られなかったので、師匠にお詫びのメール。
そこでついに、言ってはいけない弱音を吐いてしまいました。
永久(流三):師匠、「千早亭」で演らせていただく予定の、師匠が創作された「救いの腕」は、大変難しく、なかなか出来上がりません。大スランプに陥っています。
師匠:耳慣れない作品だから、拒絶反応があるのかもしれない。
・・・・そうなんですよ。
この噺、世の中で(大袈裟ですが)師匠しか演っていない噺だから。
・・待てよ?200906062035000_3
と言うことは、師匠が仰ったことを裏返せば、この噺が耳慣れれば拒絶反応はなくなるということか・・・。
そうか、考えてみると、今まで演って来た噺は、ベースにさせていただいた各師匠の音源をかなり聴き込んで作り上げて来ましたよ。
「ねずみ」も「浜野矩随」も「佃祭」も「笠と赤い風車」も。
でも今回は、音で聴かずに、師匠から頂戴した高座本があるので、それで安心してしまっていたかもしれない・・。
一度高座本から離れてみようか・・・?
時間がない・・。でも、それがいいかもしれない。
やってみよう・・・か・・。
師匠、ありがとうございます。

今朝の月

今朝の月
fullmoon朝日の反対側、すっかり明るく晴れ渡った西の空に沈もうとしている月。この月は、昨夜東の空に見えた「立待月」です。
暗くなってから人待ちに出て、夜が明けて明るくなってから人知れず沈んで行く。月らしくていいですね。
秋の朝の青空に透き通るような丸い月でした。

横谷宗珉

shadow「横谷宗珉四分一拵小柄付脇差(よこやそうみんしぶいちごしらえこづかつきのわきざし)」で出てくる刀剣装飾の金工職人、腰元彫り の名人です。 Photo_10
江戸中期の装剣金工師。通称は長二郎、のち次兵衛(じへえ)、晩年は遯庵(とんあん)と号した。
幕府御彫物役を勤め家彫(いえぼり)と称された後藤家の下地(したじ)職、横谷家初代宗与(そうよ)の実子とも養子ともいわれる。
京都に生まれ江戸に在住したが、因襲にとらわれた家彫の彫法に飽き足らず、父以来の役を辞し、自由な題材、材質、構図による絵画的な新作風を展開し、家彫に対する町彫(まちぼり)を創立した。

Photo_7作品は小柄(こづか)、笄(こうがい)、目貫(めぬき)、縁頭(ふちがしら)など多岐にわたり、赤銅魚々子(しゃくどうななこ)地に高肉彫(たかにくぼり)色絵を施す技法のほか、四分一(しぶいち)(朧銀(ろうぎん))地に宗珉創始による片切彫(かたきりぼり)のものがある。

Photo_9 

題材は獅子、牡丹、馬、虎などが選ばれ、英一蝶(はなぶさいっちょう)の下絵になる作も現存している。
代表作に『赤銅牡丹獅子揃物(そろいもの)』『十六疋(ひき)獅子図三所(みところ)物』『二王二所(ふたところ)物』などがある。
一門に子の宗与、横谷英精、柳川直政(なおまさ)、大森英昌(えいしょう)、古川元珍(げんちん)らがいるが、横谷家はその後あまり振るわず、門下の分派が大いに栄えた。
「宗珉の滝」という落語があります。
「竹の水仙」のような、「抜け雀」のような噺だった気がします。
立川志の輔さんが得意だったはず。

ウォーキングと落語

shoe落語を演る上で、ウォーキングの効用も大きいと思います。
というのは、落語に出て来る場所と、複数の場所の距離感などを実感することが出来るからです。
例えば、神田に住んでいる八っつぁんが、吉原や品川に遊びに行く場合の距離感覚。
「普段の袴」の御成街道の様子。
そうそう、三遊亭圓生師匠の「文七元結」での、吉原の「佐野槌」から吾妻橋までの説明。
古今亭志ん生師匠の「黄金餅」での道筋。
実際に歩いてみると本当に面白いものです。
勿論、当時とは様子は変わってしまっていますが、往時の片鱗でも感じることが出来ると、落語にも生きて来ると思います。
noteお江戸日本橋七つ発ち・・・・こちゃ高輪夜明けて提灯消すnotes
この歌の感覚は、歩いてみるとよぉぉく分かりますね。
日本橋をまだ暗い頃に出発すると、今の品川駅のちょっと手前あたりで夜が完全に明けて、灯りを消す。
「佃祭」を演った時も、実際に行ってみました。
渡し船が沈った(ことになっている)川面を見ると、何か感ずるものがあります。
吾妻橋を渡れば、落語国の人たちの様々なドラマが思い出されて来ます。
人々の気持ちに思いを馳せる・・・。
ウォーキングって楽しいです。
が、最近はすっかりサボっています・・・・。

累草紙〜親不知

Photo_5

typhoon三遊亭圓朝の師匠である二代目三遊亭圓生の作だと言われています。
「昭和の名人完結編」に収録されている、八代目林家正蔵師匠の「累草紙〜親不知(おやしらず)」です。
堀越与右衛門は武家の次男として生まれたため、家督を継ぐことが出来ず、12歳のときに越中麻和田村に養子に出された。
それから十年がたち、立派に成人したが、江戸に帰りたいという思いが募りついに置き手紙をして家を出奔。ひとり江戸へ向かう。
旅の途中、歌の宿という宿場の菊屋という旅篭に泊まった与右衛門は、階下の座敷から聞こえてくる唄声に耳を奪われる。
声音は美しく、三味線の演奏も素晴らしい。
すっかり聞き惚れた与右衛門は女中に唄の主を訪ねと、女の名前はいそと言い、この家の十九になる娘であるという。
Photo_17
与右衛門はいそを座敷に呼ぶことを所望するが、「いそさんは誰の座敷にも出たことがない」女中に断られる。
諦めきれない与右衛門は、夜ふけにいその部屋に忍び入り、思いを遂げる。
夫婦約束をした二人は夜が明けると一緒に江戸を目指そうとするが・・・。
「累怪談」「累伝説」というのは、圓朝の「真景累ヶ淵」のベースになっものです。

2011年9月14日 (水)

今夜の月


大阪出張から戻る、自宅近くの駅からの道すがらに見える、東の空に出ている今夜の月は「立待月」ですか?
そして明日は「居待月」か・・・。
■立待月
立ちながら待つうちに出てくる月の意で、陰暦17日の夜の月、とくに8
のそれをいい、十七夜、立待の月ともいう。
十五夜以後、月の出はしだいに遅くなり、「十六夜(いざよい)の月」は山の端にいざよい、「十七夜」は立ち待つほどに出、「十八夜(居待月(いまちづき))」は座し居て待ち、「十九夜(臥待月(ふしまちづき))」は臥して待ち、「二十日(更待月(ふけまちづき))」には夜半近くと遅くなる。

大阪

大阪
building昨日と今日で大阪に出張。
残暑厳しい2日間でした。
ところで、上方落語協会では、新しく自前のビルを建てるそうです。
三枝会長、また新しい手を打ちましたね。
上方落語協会会長で落語家、桂三枝(68)が13日、来年4月完成予定の上方落語協会会館(大阪市北区)の地鎮祭に出席。
建設の安全を祈願した。
建築家、安藤忠雄氏(70)、桂春団治(81)ら約100人が出席。
会館建立の夢が叶い、三枝は「ここまでこれたのは、5周年を迎える繁盛亭や地元の皆さんのおかげ。『最近盛り上がってへんな』と言われんよう、100年、200年と次の担い手を育てていく。これからが勝負」と言葉に力を込めた。

広瀬さんの五街道雲助評

run広瀬さんの評論は「五街道雲助」師匠です。Photo_4
江戸っ子が近所の寄席で楽しむ芸能として発展した江戸落語は、戦後日本人のライフスタイルが変容する中で、ラジオ、テレビ、レコードなどによって全国的に普及し、「日本の娯楽」として広く認知された。
江戸の地域芸能だった落語が「日本のエンターテインメント」としての普遍性を獲得する過程で、歴代の優れた演者たちは、ともすれば失われがちな「江戸落語の美学」を守り抜き、落語通はその「江戸っ子の了見」を賞賛した。
日本全国を相手にする芸能になったからといって、江戸の地域芸能という原点を見失っては、落語が落語である意味が無くなる。
江戸以来の伝統の上に成り立つ普遍性の獲得でなくてはいけない。
立川談志は近年の著作で、それを「江戸の風」と表現した。
落語とは、江戸の匂い、江戸っ子の了見、寄席の雰囲気などが一つになった「江戸の風」の中で演じられるものである、と。
そして、「江戸の風」を感じる現代の噺家の一人として、談志は五街道雲助の名を挙げている。
雲助は1948年に東京下町の本所で生まれ、1968年に十代目金原亭馬生に入門。
前座名は金原亭駒七で、1972年の二ツ目昇進で五街道雲助と改名、1981年に真打。
古き良き江戸落語を今に伝える「通好みの本格派」だ。
五街道雲助とは変わった名前だが古くからある名跡で、当代は六代目。
もっとも、はっきりした文献が乏しく、「六代目」というのは師匠である十代目馬生が「六代目でいいだろう」と決めたそうだ。
「落語は江戸東京の感覚に根ざした地域芸能であるという一面を残しておきたい」という五街道雲助。
その武骨な演出は、「現代のエンターテインメント」としての落語に慣れている観客には取っ付きにくいかもしれない。
だが、そこには間違いなく「江戸の風」が吹いている。
落語にのめり込んだ「ファン上級者」なら、聴いておくべき演者である。
※週刊ポスト2011年9月16・23日号

どちらかというと小柄な師匠ですが、骨太の高座では大きく見えます。
大好きな噺家さんですね。

ラジオ寄席の公開録音

baseballプロ野球がオフシーズンになると、またTBSラジオで「ラジオ寄席」が始まります。
もう何十年も続いている貴重な番組です。
学生時代から聴いていました。
先日ラジオを聴いていたら、「ラジオ寄席」の公開録音の案内をやっていました。
まずは、9月25日(日)だそうです。
お待たせしました!
ナイターオフシーズンのお楽しみ!
本当の寄席の笑い、名人芸をお送りする「ラジオ寄席」が
今年も10月から始まります。
9月25日(日)には今シーズン最初の公開録音を行います。

   日時 : 9月25日(日)正午開場、午後1時開演
  場所 : TBS放送センター ラジオ第1スタジオ
  出演 : ロケット団、ぺぺ桜井、柳家喬太郎、
        チャーリーカンパニー、柳家紫文、三遊亭歌之介
観覧ご希望の方は葉書に、ご住所、お名前、希望人数を明記の上、
〒107-8066 TBSラジオ「ラジオ寄席」係までお申込みください。
学生時代に、宮城県民会館で行われた公開録音に行ったことがあります。
確か、大沢悠里さんが司会をしていましたよ。
とりあえず申し込んでみようか・・・。

小間物屋政談

ribbon「小間物屋政談」という、やややるせなさの残る噺。
京橋の相生屋小四郎は小間物を背負(しょ)って売り歩いている。
小金も出来たので上方に行ってこちらの物を売り、上方で仕入れたものを江戸で売ってみたいので、上方に仕入れの旅に出るという。
女房”おときさん”を大家さんに頼んで出掛けた。
Photo_11
箱根の山にさしかかり、大のものがしたいので、道を外れて山肌に降りると襦袢一枚の男が木に縛られていた。
聞くと、湯治の途中追い剥ぎに遇ったので、助けてくれと言う。江戸一番の小間物屋、芝神谷町の若狭屋甚兵衛で、全て持ち去られてしまった。
小四郎は自分の着替えの着物一式に一両を貸し与え、住所と名前を書いて渡し、別れた。
小四郎は上方へ。
若狭屋は江戸への帰路小田原の宿に入るが、小田原の宿・布袋屋で客死する。
持っていた書付から小四郎の留守宅へ知らせが入った。
知らせを受けて小田原に向かった大家も、小四郎の着物を着た死体に疑いを持たないままその骨を持ち帰る。
葬儀も終わって35日目、大家が縁談を持ち込んだが、未亡人となったおときは、早いと断った。
早いほうが良いと、大家の強引な勧めで断り切れず、小四郎のいとこの三五郎と夫婦になった。
仲の良い夫婦が出来た。
Photo_10
ところがある日、小四郎が突然帰って来たので、小四郎の幽霊が出たと二人は大家の家に逃げ込んだ。
大家がおときの家に行くと、本物の小四郎がタバコを吸っていた。
中に入って話をすると、小四郎と若狭屋を混同しているのが分かり、二人共納得はしたが、女房を頼むと出掛けたのに、おときは間男を作っているじゃないかと詰め寄った。
間男ではない亭主だ、それも新しい亭主だと、小四郎には考えられない言葉が飛び出した。
その決着は付けるので、ここで待っていろとおときさんに聞きに行くと、「小四郎さんは好きだが、小四郎さんと鞘が戻ってもこの話が出るであろうから、亭主は今の三五郎でいい。」と、おときは言う。
「おときは三五郎にやって、おまえ小四郎は何処かに行ってしまえ。」と、大家の一言。

小四郎は南町奉行所へ訴え出た。
大岡越前守は一同と若狭屋の女房を呼んでお裁きに。
小四郎に、「覆水盆に返らず、と言うし、血のつながった者同士の争いも醜い。おときは三五郎に渡し、お前は死んでしまえ!」と、言い渡した。
驚いた小四郎は捨て鉢になっていると、越前守は若狭屋の女房を呼び、箱根では若狭屋に情を掛け今は女房も家も無くなっている小四郎をどう思うか尋ねた。
「小四郎様には大変迷惑を掛けたと思っております」。
若狭屋の女房”よし”はまだ子供はいず、仲立ちを大岡越前守がするのに従うという。
小四郎はふてくされていると、越前守はよしを見よという。
イヤイヤ見ると、歳は26だと言う絶世の美人であり、3万両の財産と、店の奉公人は26人、その店の主人として迎えても良いという。
小四郎思わず気を失ったが、越前守は相生屋小四郎死んで、今から若狭屋小四郎になれと言う。
「若狭屋小四郎になるのですね。あんなお裁きを聞いて、この先、生きていけるかと真っ暗になりましたが、ありがとうございます。こんな綺麗な人と店をいただくなんて、大岡様の御恩、生涯背負いきれません」。
「若狭屋小四郎。もう旅回りの小間物屋ではない。もう背負うには及ばん」。

・・・・どうですか。これも「大岡裁き」です。
現代では、普通では考えられないお裁きだと思います。
人と人、男と女というのは、縁というかタイミングというのか・・、難しいものです。

柳枝と小柳枝

earちょっと複雑な名跡の話。
「春風亭小柳枝」という名跡は、「春風亭柳枝」になる一つ前の名(出世名)でした。
ところが四代目小柳枝は柳枝を継げなかったそうです(かわりに「柳橋」を継いだ)。Photo_9
小柳枝という名跡は春風亭柳枝が所有するのか、小柳枝(の前代)が所有するのか。その対立が、複雑な状態を生んでしまいました。
1932年5月に、小柳枝の五代目を、2人の落語家が同時に襲名しようとしました。
かたや、日本芸術協会の三代目桂三木助(芝浜の三木助)。
かたや睦会の八代目春風亭柳枝(お結構の勝っちゃん)。
八代目柳枝側は、襲名に関し「春風亭柳枝」側の承諾を得ました。
つまり六代目柳枝 (=三代目小柳枝)未亡人・富士松加賀吉の承諾を得ていたのです。
六代目柳橋(=四代目小柳枝。日本芸術協会会長)の了承を求めにいったものの、柳橋が大阪の吉本興業に出演中だったため連絡が取れませんでした。Photo_10
八代目柳枝は5月中席に襲名披露をする予定でしたが、日本芸術協会(柳橋)は先んじて上席にて三代目桂三木助の小柳枝襲名興行を行ってしまいました。
この小柳枝を継いだ三木助は柳橋の一番弟子です。
三木助は小柳枝襲名の内諾を柳橋から得てはいたが、帰京した柳橋は八代目柳枝の動きを知り、急遽襲名させることになったということです。
結局八代目柳枝は小柳枝襲名を断念し、八代目柳亭芝楽を継ぎ、小柳枝を経ずに柳枝の名を直接継いだのです(この流れは7代目柳枝と同じ)。
これは三木助が落語家を完全廃業したりして柳枝を継がなかったからで(後に三木助を継いだ)、八代目柳枝の死後、柳枝という名自体が封印されたままになっています。
名跡というのは、それぞれの思惑も飛び交い、難しいものですね。

2011年9月13日 (火)

秋の空

秋の空
sun中秋の名月の翌日。
今日の月の入りは5時55分だったそうですから、月が沈んで約1時間経った空は、すっかり秋の爽やかな空です。

「三遊亭圓生」は止め名

pencil師匠のブログを拝見していると、9月3日の圓生師匠のご命日の時に、以下のようなコメントがありました。
 圓生(6)33回忌。
 遺族のご長男が施主。
 馬風、金馬の両師匠が顔を出してくれた。
 この先、圓生の名跡は夫人の遺言通り、留名としてご長男が
 管理することになった。
 圓生夫妻も浮ばれることだろう。
 そして、この無法者の出ないことを祈るのみである。
・・・・。Photo
思えば、昨年5月の落語っ子連の発表会の時、師匠が私の「浜野矩随」のコメントをして下さった時、ちょうど七代目襲名に圓窓師匠も名乗りを上げたと報道された頃だったために、その経緯について、お客さまに向かって30分ぐらい熱く語ってくださいました。
その時に、「もし七代目を襲名してもらうなら圓窓さんだ」と仰っていたのが、三十三回忌の施主をされた圓生師匠のご長男だったはず。
結局、おかみさんの遺志どおり、圓生の名跡は「止め名(留め名)」になるという訳ですね。
このことは、圓窓師匠が、おかみさんの気持ちを思い、常に仰っていたことです。
・・・とはいえ、七代目は出ないというのは、素朴に寂しさを感じます。
       
これが件のおかみさんの「遺言」のコピーです。
昭和61年の七回忌の頃に作られたものです。
おかみさんの署名の隣に、立会人として、稲葉修元法務大臣、評論家の山本進先生と京須偕充さん、総領弟子の先代三遊亭圓楽師匠の4名が署名されています。
落語界の長い歴史の中でも、大きな重みのある書面だと思います。

「お江戸あおば亭」プログラム

                   
clockまだすこし気が早いかもしれませんが、「お江戸あおば亭」のプログラムも試作してみました。
会の名称が変更になったので、表紙の雰囲気がかなり違います。
中も、挨拶文を短くして、左側に主要な出演者の写真を貼り付けてみました。
写真は3名ですが、最終仕上がりは、蕪生・寝蔵・笑児・志ん志の4師匠の高座姿を予定しています。
さあ、これで外堀はかなり埋まって来ましたから、あとは噺の完成あるのみです。
         
  ◇ 転失気         賀千家ぴん吉
  ◇ カラオケ病院      桂友楽
  ◇ 厩火事         南亭蕪生
  ◇ 宿屋の富        喰亭寝蔵
          仲入り
  ◇ 六尺棒          破れ家笑児
  ◇ 藪入り         金願亭乱志
  ◇ らくだ           談亭志ん志

春風亭小柳枝代々

key名前に「小」がつく噺家さんは、概ねいずれは「小」が取れた大看板になるというイメージです。
「小柳枝」も、もとは「柳枝」の前名でした。
初代春風亭小柳枝  -  後の四代目春風亭柳枝。Photo_5
         初代春風亭華柳。睦会の創設者。
二代目春風亭小柳枝-後の八代目朝寝坊むらく。
三代目春風亭小柳枝-後の六代目春風亭柳枝。
四代目春風亭小柳枝-後の六代目春風亭柳橋。
五代目春風亭小柳枝-後の三代目桂三木助。
六代目春風亭小柳枝-後の八代目三笑亭可楽。
七代目春風亭小柳枝-本名染谷晴三郎。享年41。
八代目春風亭小柳枝(1927年2月27日 - 2002年3月5日)
           - 後の春風亭扇昇。
                        六代目春風亭柳橋から五代目春風亭柳昇門人。
           1977年に廃業し、出家する。

落語界では知る人ぞ知る、「奇人変人」という意味での伝説の噺家。
喫茶店で金魚を飲み込み口直しに1000円札を食べたとか、酔払って警官にからみ留置場に入れられた翌朝、出された味噌汁に「味の素を入れろ」と言い看守に怒鳴られるなど、エピソードに事欠かない。
芸名は、1952年に柳若→1955年にとん橋→1963年10月に小柳枝で真打→1977年2月に扇昇。出囃子は『巽八景』。
本名は西川長。弟子に瀧川鯉昇。
Photo_6
九代目春風亭小柳枝 - 東京都新宿区出身。
  本名臼井 正春。
出囃子は『梅は咲いたか』。
八代目の破天荒な話は有名で、瀧川鯉昇師匠は弟子時代には雑草を食べたなんていう・・・。
それにしても、一門の「止め名」ではありませんが、多士済々です。

祐乗・宗乗・光乗の三所物

shadowあの「金明竹」の早口な口上に出て来る「祐乗・宗乗・光乗、三作の三所物(みところもの)」って何?
まず、「祐乗・宗乗・光乗」というのは、人の名前です。
後藤宗家という装剣金工の名家代々の名人を指します。
後藤宗家は、始祖の祐乗から第17代の典乗まで続いたそうで、六代栄乗のとき、家康より幕府の分銅大判改め役および彫物役に任命されたという名家なのだそうです。
そして、「三作(さんさく)の三所物(みところもの)」というのは、この三人の手による「三所物」ということ。
「三所物」というのは、「小柄(こづか)、笄(こうがい)、目貫(めぬき)」のことを指すという訳です。
それでは、この三人のことを覗いてみましょう。
【初代・後藤祐乗】Photo_4
装剣金工の後藤四郎兵衛家の祖。美濃国の生まれ。
父は後藤基綱。名は正奥。幼名は経光丸、通称は四郎兵衛。
祐乗は剃髪入道してからの法号であるとされている。
室町幕府の八代
将軍足利義政の側近として仕えたが、それを辞して装剣金工に転じたと伝えられる。
義政の御用をつとめ、近江国坂本に領地300町を与えられた。作品は、三所物が主で、金や赤銅の地金に龍・獅子などの文様を、絵師狩野元信の下絵により高肉彫で表したものが多い。
祐乗の彫刻は刀装具という一定の規格のなかで、細緻な文様を施し装飾効果をあげるというもので、以後17代にわたる大判座および分銅座の後藤家だけでなく、江戸時代における金工にも大きな影響を与えた。

【二代・後藤宗乗】
後藤祐乗の次男で、二郎という。宗祐とも号した。
40歳で剃髪入道して宗乗と号す。
作柄は父に似ており、さらに洗練されているといわれる。Photo_5
後藤風彫金を完成させ、後藤家の伝統の基礎を固めた功績は大である。
宗乗にも有銘のものは無く、現存する彼の作品とされるものは、後代後藤家の極めによるものである。
【三代・後藤乗真】
後藤宗乗の長男。通称・四郎兵衛、名は吉久。
足利義晴と義輝の二代の将軍に側近として仕え、政務の面でも活躍した。
乗真は、法眼に叙され剃髪した後の号である。
戦国時代の武人としての性格も備え、永禄五年 (1562) に戦死したと伝わる。
彼の作品は、男性的な力強さに溢れ、作り手の性格をも覗わせるものである。 
【四代・後藤光乗】
Photo_6後藤乗真の嫡男。幼名・小一郎、通称・四郎兵衛。
名は光家。剃髪入道して光乗と名乗った。
織田信長に仕え、天正九年に信長の命により、大判および分銅の役を拝命している。
信長の没後、豊臣の世になっても、引き続き大判・分銅の二役を受け、彫金のほか経済の面でも重用された。
晩年には法眼の位に昇っている。
この人の作風は、始祖・祐乗の風に似ているといわれ、在銘の作品もいくつか残っている。
元和六年、92歳の長寿で没した。

「三所物(みところもの)」も最近は分かりませんね。Photo_3
【目抜き(めぬき)】
刀剣類の柄の側面につける飾り金物。刀心を固定させる目釘の鋲頭や座の飾りとするのを真目貫(まことのめぬき)といい、近世、装飾化して目につきやすい位置に飾るのを飾目貫(かざりめぬき)という。
【笄(こうがい)】
刀の鞘の差し表に挿む箆(へら)に似たもの。
髪をかきあげ、また、烏帽子(えぼし)・冑(かぶと)などをかぶった時、頭のかゆい時に掻くのに用いたという。
江戸時代の女性が頭の飾り物として乗せていたのも、同じ用途の笄(こうがい)です。
【小柄(こづか)】
刀の鞘(さや)の鯉口の部分にさしそえる小刀の柄。その小刀。

これから追い追い「金明竹」の口上を分解して行きましょう。
私は、「浜野矩随」を演りますから、この彫金細工(腰元彫り)のことを知っておく必要があるんです。

「お江戸あおば亭」チラシ

pen稽古もしないで、チラシ作りです。Img_0009
前回まで使っていたものをベースにして、「お江戸あおば亭」という名前だけ変えました。
←クリックしてみてください。
まだ、名前も正式に決まった訳ではありませんから、ややフライング気味。
ウサイン・ポルトの心境です。
あとは、プログラムですが、まぁもう少し後でも良いでしょう。
まだ開演時刻などは前回のままにしてありますので、変更があっちた場合には、訂正しておかないといけません。

2011年9月12日 (月)

浅草お茶の間寄席

tv早めに帰って、夕食を食べながら、久しぶりの千葉テレビ「浅草お茶の間寄席」。
  ◇ 三年目     三遊亭圓遊
随分歳を取ったなぁという感じです。
確か、若い頃は笑遊で、若圓遊で真打になったと記憶しています。
その後大看板圓遊となった噺家さんです。
牛乳瓶の底のような、度の強い丸い縁の眼鏡をかけていました。
かなり新進の若手という雰囲気がしたのですが、意外に目立たなくなりました。
とても大きな名前なんですが・・・。  

今夜の月


今夜出ていた美しい月。中秋の名月。
満月。望月。

大スランプさらに続く

shockプライベートな事情もあって、日曜日の「へ組」の稽古会にも行くことができず、「救いの腕」の稽古は、相変わらず"大停滞"です。
何とか頑張ろうとは思っても、なかなか高座本に手が行かず、手にしても言葉が頭に入って来ず・・・。
かくなる上は、師匠の音源を繰り返し聴くしかないと、月曜日から久しぶりにウォークマンを取り出して、通勤途上で聴くことにしましたが・・・。
色々原因を考えるに、色々言い訳はあっても、要はこの噺が難しく、なかなかイメージが出来上がらないので、逃げているというのが全てだと思います。
某女性作家の短編小説を師匠が噺に翻案したものですから、今までの落語のパターンでは出来ない・・・。
と気がついても、もう後の祭りで、発表会は来月の2日・・・。
いよいよ追い込まれて来ました。
大スランプは、さらに深みにはまって、溺れてしまいそう。
この噺のように、太くて逞しい腕が入って来ないかなぁ・・・。

落研ОB会だより「あおば亭」

Img_0008

memoОB会の会報「あおば亭」(仮称)の編集も始めないといけません。
  ↑ちょっとクリックしてみてください。
とりあえず、頭の部分のイメージを作ってみました。学士会の「まくら」を参考にさせていただき、会報のイメージも作りました。
タイトルは横書バージョンにしました。(縦書でも可能です。)
肝心な会報の内容は・・・、
  ・「あおば亭」創刊にあたって        蕪生会長
  ・「あおば亭」の説明(簡単に)       乱志 
  ・創部50周年後のОB会活動報告    頓平師匠
  ・震災のボランティア活動          ぴん吉さん
  ・30年ぶりの落研の高座            笑児さん
                                  ・・・・・でどう
でしょうか?
まだどなたにもお願いしていません・・・。
何とか総会に間に合わせないと。

広瀬さんの春風亭一朝評

pencil広瀬和生さんの「春風亭一朝」論です。
Photo_2江戸前の芸、という言い方がある。
「江戸前」とは江戸近海(芝、品川あたりの海)もしくはそこで取れた新鮮な魚のことで、転じて「江戸独特の流儀」を指す言葉となったわけだが、落語で「江戸前の芸」というと、そこに「江戸っ子の気っ風の良さ」のイメージが加わる。
イキが良くてキレがある「これぞ江戸前の芸!」という落語が聴きたければ、真っ先にお勧めしたいのが春風亭一朝。
今をときめく若手のホープ春風亭一之輔の師匠としても知られる、1950年生まれの噺家だ。
一朝は、亡き五代目春風亭柳朝の一番弟子。
もともと八代目林家正蔵(後の彦六)への入門を希望していたが、1968年当時、正蔵が新たな弟子を取る余裕が無かったため、一門の総領弟子である柳朝に入門することになったのだという。
1973年、二ツ目昇進時に「春風亭一朝」を襲名、1982年に真打。
「一朝」という名は、八代目正蔵が若き日に芝居噺や怪談噺を教わり、晩年の面倒を見た三遊一朝(1930年没)から譲り受けたものだ。
五代目柳朝は60年代に古今亭志ん朝、立川談志、五代目三遊亭圓楽らと共に「若手四天王」と称され、その威勢のいい芸風から「江戸前の噺家」の典型とされた。
柳朝の落語家人生を描いた吉川潮氏の小説のタイトルは、そのものズバリ『江戸前の男 春風亭柳朝一代記』である。
一朝は、その柳朝の「江戸前」の芸風を見事に受け継いでいる。
啖呵を切る威勢の良さは天下一品、「江戸っ子」を演じたらこれほど似合う噺家も珍しい。
まさに「粋でいなせな江戸落語」の典型だ。
※週刊ポスト2011年9月9日号
「名前が一朝というぐらいですから、いっちょうけんめいやります」という一朝師匠。
いぶし銀という言葉は、もしかするとこういう噺家さん指すのかもしれません。

中秋の名月

fullmoon「十五夜さん」というのでしょう。
9月12日は「中秋の名月」です。 Photo_2
毎年12~13回の満月があるのに、なぜか特別扱いされる中秋の名月。
「八月十五日」と書いて「なかあき」と読む名字の方がいらっしゃるそうですが、 「なかあき」=「中秋」のことで、昔から八月十五日の月を「中秋の名月」と呼んできました。
一年には「春夏秋冬」の四季があります。旧暦では三ヶ月毎に季節が変わり、「一・二・三月」は春、「四・五・六月」は夏、 「七・八・九月」は秋、「十・十一・十二月」は冬と分けられます。
そしてそれぞれの季節に属する月には、初・中・晩 あるいは、孟・仲・季の文字をつけて季節をさらに細分するのに使いました。
たとえば旧暦四月は「初夏」あるいは「孟夏」となります(孟・仲・季の文字は中国では兄弟の年の順を表す場合に用いられ、孟は年長者、仲は真ん中、季は末っ子を表します)。
この季節の細分によれば、「八月」は秋の真ん中で「中秋」あるいは「仲秋」となります。
旧暦の暦月の日数は29日か30日のいずれかですから、15日は暦月の真ん中の日と考えることが出来ます。Photo
旧暦の八月十五日という日は秋の真ん中の月の真ん中の日、つまり秋全体の真ん中の日と考えられますから、この日のことを「中秋」と言うことがあります。
旧暦は太陰暦の一種ですから日付は空の月の満ち欠けの具合によく対応します。
月半ばである15日夜の月は必ず満月か満月に近い丸い月が見えることから、「十五夜の月」=「満月」と考えられるようになりました。
中秋の日(旧暦八月十五日)夜の月も満月かそれに近い月です。
中秋の日の夜に澄んだ秋空に昇るこの丸い月は、やがて中秋の名月と呼ばれるようになり、これを観賞する風習が生まれました。

Photo_3「お月見」は、秋は収穫の時期でもありましたので、その年の収穫物を月に供える風習が各地に残っています。「芋名月」などの呼び名はここから生まれたものだと考えられます。
「芋」は、「いもにーちゃん」のように使って「冴えない」という意味にとられることもあるので芋名月では「冴えない月?」みたいな印象を受けそうですが、違いますよ!。
現在、月見団子を供えるのも、芋を供えた風習の変形だと考えられています。
秋の七草を飾って、月を眺める・・・。
風情がありますね。

金明竹

sadこの噺も、ただ上方弁の早口な口上が面白いというだけでは、まだ落語鑑賞としては、まだ中腹だと思います。
色々、薀蓄のある噺・口上です。2_2
(私もよく知りませんが。)
店番をしていた小僧が知らない人に傘を貸したので主が注意をする。
貸し傘がありましたが、長雨で骨と紙がバラバラになり、物置に積んであるのでお貸しで来ませんと断れと。
次に、近所の人が鼠が出たから猫を貸してくれと頼みに来た。
小僧は教わった通りに、貸し猫がありましたが、長雨で骨と皮がバラバラになり、物置に積んであるので貸せませんと断った。
これを聞いた主がまた注意をした。
そういうときは、猫が一匹おりましたが、どこかで悪いエビの尻尾でも食ったらしくて、腹を下したので、マタタビを嘗めさせて寝かしておりますからお貸しで来ませんと。
今度は客が来た。見立てて貰いたい物があるので、旦那の顔を貸して欲しいと。
小僧は、旦那が一匹おりましたが、どこかで悪いエビの尻尾でも食ったらしくて腹を下したので、マタタビを嘗めさせて寝かしておりますので、お貸しできませんと断った。
旦那は「それじゃ、まるで猫だよ」

さあ、この後、上方弁のお使いの人が来て、早口の口上をまくし立てて帰ります。
その口上を申し上げることにしましょう。
「わてなぁ、中橋の加賀屋佐吉方から使いに参じましてん。Photo_15
先度仲買いの弥一が取り次ぎました道具七品のことでござります。
祐乗(ゆうじょう)宗乗(そうじょう)光乗(こうじょう)三作の三所物(みところもん)、備前長船(びぜんおさふね)の則光(のりみつ)に
横谷宗珉四分一(しぶいち)ごしらえ小柄(こつか)付きの脇差。あの脇差ナ、柄前(つかまえ)が鉄刀木(たがやさん)や言うてはりましてんけど埋れ木やさかい、木ぃが違うておりますのでちょっとお断り申しあげまぁ。
自在は黄檗山金明竹(おうばくさんきんめいちく)ずんどの花活(はないけ)には遠州宗甫(えんしゅうそうほ)の銘がござります。
織部の香合のんこうの茶碗、古池や蛙飛び込む水の音申します風羅坊正筆(ふうらぼうしょうひつ)の掛け物、沢庵・木庵・隠元禅師(たくあん、もくあん、いんげんぜんじ)張りまぜの小屏風、あの屏風ナ、わいの旦那の檀那寺が兵庫におまして、兵庫の坊さんえろう好みます屏風やさかい表具にやって兵庫の坊主の屏風にいたしますと、こないお言付け願いとうおまんねんけど」・・・。
聞き流していると、何を言っているのか、皆目見当がつきません。
そこで、落ち着いて
口上の「道具七品」を整理してみましょう。
   1.三所物ならびに脇差
   2.織部の香合
   3.のんこうの茶碗
   4.黄檗山金明竹の自在鍵
   5.(小堀遠州の銘のある)ずんどうの花いけ
   6.風羅坊正筆の掛け物
   7.貼り混ぜの小屏風  ・・・以上が「道具七品」です。
1.は説明が長いので2品と間違えやすいのですが、この脇差の柄前が実際には埋もれ木で、「木が違っている/気が違っている」ことを使者は伝えています。
6.の「風羅坊」というのは松尾芭蕉のことで、芭蕉直筆の掛け物ということ。
7.の小屏風は、「あの屏風は、私の旦那の旦那寺が兵庫にありまして、この兵庫の坊主が大好きな屏風ですから、表具へやり、この兵庫の坊主の屏風にいたします。」ということ。
「金明竹」はいわゆる口ならしのための前座噺ですから、内容云々よりも聞いた時の面白さで語るものです。
でもこの佐吉方から来たお使いの言いたかったことは、要するに「道具七品」のうち、上記1と7の2点について、ちょっとご注意願います、ということなんですね。

2011年9月11日 (日)

16万件

sandclock本日、アクセス累計16万件に達しました。 (*´v゚*)ゞ

 ・プログ開始  平成21(2009)年 1月 1日 (苦節1年3ヶ月)
 ・ 5万件到達 平成22(2010)年 3月19日  (59日)  
 ・  6万件到達              5月17日 (77日)
 ・ 7万件到達               8月 2日 (70日)
 ・ 8万件到達              10月11日 (61日)
 ・ 9万件到達              12月11日 (45日)
 ・10万件到達 平成23(2011)年  1月25日 (42日)
 ・11万件到達                             3月 8日 (47日)
 ・12万件到達             4月24日 (43日)
 ・13万件到達             6月 6日 (43日)
 ・14万件到達             7月19日 (26日)
 ・15万件到達             8月14日 (28日)
 ・16万件到達             9月11日
           (気がつけば2年8ヶ月余)
  m(_ _)m

落語はやおき亭

flair今朝は、「一朝というぐらいですから、今日は一朝(一生)懸命やります」の春風亭一朝師匠でした。
   ◇ 岸柳島      春風亭一朝
師匠でもある「五代目春風亭柳朝」師匠とはタイプは違うものの、江戸前の落語という点ではしっかり同じものが流れています。
最近はすっかり人気が定着して来ました。
■春風亭一朝(1950年12月10日 ‐ )
東京都足立区出身。落語協会理事。
本名は浮ヶ谷 克美(うきがや かつみ)。 出囃子は『菖蒲浴衣』。
「五代目春風亭柳朝」の総領弟子。
師匠柳朝と同じく江戸前噺家で有名。
またNHK大河ドラマ『龍馬伝』の江戸ことば指導も行なった。
柳朝の師匠「八代目林家正蔵(後の林家彦六)」にとって最初の孫弟子である。
実際に、最初に入門を願い出た先は彦六の門であり、当時は林家あとむ(現3代目八光亭春輔)、林家九蔵(現三遊亭好楽)の2人が前座の身でこれ以上は面倒が見切れないということから、総領弟子柳朝に頼み、柳朝も快く引き受けたというエピソードがある。
趣味とする笛は、歌舞伎や落語での囃子を担当する程の名手。
妻は歌舞伎役者、五代目片岡市蔵の娘である。
1968年3月     「五代目春風亭柳朝」に入門。
1970年4月     前座になる。名は「朝太郎」。
1973年9月     二つ目昇進し、「一朝」に改名。
 ※大師匠「彦六」が、若い頃に稽古をつけて貰っていた「三遊(亭)一朝」の「一朝」の名を貰っている。
1980年3月     弟弟子「春風亭小朝」が先に真打昇進する。
1982年12月    真打昇進するが、師匠柳朝が脳梗塞に倒れる。
1984年       第4回国立演芸場花形新人大賞受賞。
1986年       文化庁芸術祭優秀賞受賞(「若手花形落語会」)
1991年2月7日   師匠柳朝死去。
2007年3月     総領弟子「朝之助」が「六代目春風亭柳朝」襲名
           真打昇進する。

公衆電話の日

telephone公衆電話を使わなくなりましたね。
もう何年使っていないでしょう・・・。Photo_5
9月11日は「公衆電話の日」。
1900(明治33)年、日本初の自動公衆電話が、東京の新橋と上野駅前および熊本市内に設置されました。Photo_6
当時は「自動電話」と呼ばれていて、交換手を呼びだしてからお金を入れて相手に繋いでもらうものだったようです。
1925(大正14)年、ダイヤル式で交換手を必要としない電話が登場してから「公衆電話」と呼ばれるようになったそうです。
ところで、不特定多数の人が使う公衆電話の送話口は臭くて嫌でしたね。
口臭電話ですから。
そうそう、今日はアメリカでは「愛国者の日」だそうです。
忘れもしません。
2001年、ニューヨークの貿易センタービル、ワシントンDCの国防総省にハイジャックした旅客機を激突させる「アメリカ同時多発テロ」が発生しました。
そして、あの「東日本大震災」から6ケ月です。

落語DEデート

bell日曜日の早朝の文化放送は凄いですよ。
5時から6時の間は、まるで「宗論」のようです。
宗教関係の番組が続くんです。
まず、曹洞宗の「禅の心」で、道元の教えをみっちり。
次は、キリスト教の「世の光」。今朝は讃美歌物語でした。
そしてトドメは、浄土宗の「浄土宗の時間」で、法然の教えから、今朝は阿弥陀さまの話で、「劫」という言葉が出て、何と「寿限無」のことまで説明していました。
やっと6時になり、今度は「落語」が続きます。
6時からは立川志の輔さんの「落語DEデート」。
7時からは林家たい平さんの「天下たい平落語はやおき亭」。
7時30分からは、落語番組ではありませんが、司会が林家正蔵さんです。
   ◇ 蕎麦清     三遊亭小圓朝
三遊亭小圓朝師匠は、東大落語会とご縁の深い師匠です。
「小」がつくものの「圓朝」なんですねぇ。
勿論、現在も小圓朝さんはいますが。
■三代目三遊亭小圓朝
1892年明治25年)8月8日 - 1973年昭和48年)7月11日
東京都台東区出身。本名は芳村幸太郎。出囃子は『小鍛冶』。
祖父は「三遊亭圓麗」、父は二代目「小圓朝」という落語一家に生まれる。
1907年2月に父の門下で「朝松」となり、2、3年ほどで二つ目に昇進し「小圓治」と改名する。
父のドサ廻りに自身もついて行き、2年ほど経った後に帰京する。
それから1917年2月に真打昇進して「二代目橘家圓之助」を襲名。
後に「
四代目橘家圓蔵」に預けられ、1922年5月に「四代目三遊亭圓橘」を名乗る。
翌年父小圓朝死去し、
1927年3月に「三代目小圓朝」襲名。
戦時中の
1943年5月には「船勇亭志ん橋」と名乗るが、1947年3月には小圓朝に戻している。
地味であるがしっかりした江戸前の芸の持ち主で『しわい屋』『権助提灯』『あくび指南』『三味線栗毛』『粗忽の釘』『笠碁』『二番煎じ』など持ちネタは多かった。
しかし他の大看板の影に隠れ勝ちで、寄席の出番も浅く不当に評価された嫌いはあった。
一方、若手や大学の落語研究会の稽古台として、多くの噺家や人物を育てた。
1967年(昭和42年)7月、脳出血で倒れ高座に上がらぬまま没した。
名人と呼ばれた「
橘家圓喬」の名跡を預かるほどの腕を持ちながら、晩年は不遇であった。晩年東大落研の師となり後世の落語研究家を多く輩出した。

あれから6ヶ月・・・

thunder平成23年3月11日14時46分。
あの大地震から6ヶ月が過ぎました。
街が、家が、生活が、そしてかけがえのない多くの命が失われ、絶望の縁に追い込まれました。
被災地は、もう立ち上がれないのではないかとも思いました。
大震災から半年を経ても、乾かぬ涙、止まらぬ嗚咽、将来へのいたたまれない不安……心の傷はなかなか癒えないでしょう。
7月に南三陸町に慰問に行って、志津川の街の惨状を目の当たりにして、こちらに戻っても、暫く立ち上がれませんでした。
でも、その悲しみや苦しみを乗り超えて、人々は生きて着実に復興に向けた営みをしているようです。
昨日、ラジオを聴いていたら、南三陸町の町長が出演して、現状の説明などをしていました。
私が落語を演っている時に、脇を通りかかったあの町長です。
電気と水は復旧したけれども、がれきは処分する場所もなく、まだあのまま残っているようです。
街づくりは・・、やはり先立つものの状況で、まだまだ見通しがついていないようです。
あの後も、甚大な風水害の被害も起こりました。
確かに、あの日から何かが変わった気がします。
笑って生きることはつらいけれども、本当に尊いことですね。

真景累ヶ淵⑨~明神山の仇討

mist語ってまいりました「真景累ヶ淵」もにいよいよ大詰めです。 Photo_18
結局、よく分からないかもしれませんが、これで最終回。
1799年(1800年か)、「惣吉」と母は仇討ちに出発します。
母が腹痛のために塚崎の観音堂に休み、「惣吉」が薬を買いに行った隙に、母が扼殺されてしまいます。
Photo_3その後、「惣吉」は、藤心村の観音寺の小僧となります。
1802年、松戸の小僧弁天で、馬方の「作蔵」から「三蔵」のことを聞いた「新吉」は、待ち伏せて「三蔵」を殺し、金を奪います。
塚崎の観音堂に休みますが、そこの尼僧こそ、「お賤」の母の「お熊」で、「惣吉」の母を殺した犯人なのです。
「お賤」と「惣吉」から事情を聞き、「新吉」と「お賤」が兄妹だったことを知ります。
「新吉」は、「お賤」を鎌で殺害し、自分は自害します。そして、「お熊」も鎌で自害してしまう。
「惣吉」は還俗して、山賊になっている「安田一角」が根城としている明神山へ向かいます。
そして、「花車」も加勢して怪力を発揮し、ついに惣吉は兄の敵の安田一角を討つのでした。              ・・・とさ 【完】
Photo・・・何とか思い出しながら、筋だけ追いかけてみました。
違っている部分も随分あると思いますが、そのあたりは因縁とお諦めいただきたいと思います。
これにて三遊亭圓朝作「真景累ヶ淵」全編読み切りでございます。
お粗末sign03

ウォーキング

shoe数年前、一念発起して「ウォーキング」に精を出していたことがあります。Photo_3
JRや東京メトロが主催するイベントに参加したり、自分で地図を買って、都内を中心に主要な道路を歩いたり・・・。
東海道は東京から横浜みなとみらいまで。
中山道は、巣鴨から浦和(埼玉県庁)まで。
奥州(日光)街道は、日本橋から越谷まで。 
千葉街道は、秋葉原から幕張新都心まで。
中原街道は、五反田から港北ニュータウンまで。
川越街道は、池袋から新座まで。
水戸街道は、浅草から取手まで。
甲州街道は、新宿から府中まで。
Photo_2・・・それぞれ20~30キロ程度を半日かけて歩きました。
一番長距離だったのが、青梅街道は新宿から青梅まで。
これは、ある団体主催の「新宿~青梅43kmかち歩き大会」です。
今年も参加案内ハガキが届きました。
以前参加した時は、6時間強かかって完歩しました。
少しは痩せたのですが・・・。
   「第85回 ・新宿~青梅43㎞かち歩き大会」
  【日時】  11月13日(日)午前8時30分出発(雨天決行)
  【集合】  新宿中央公園
  【解散】  青梅市総合体育館  
  【資格】  健康に自信があり内臓諸器官に問題のない人
         年齢不問
  【規則】  原則「飲まない・食べない・走らない」          
Photo_4・・・今は、完歩の自信はありませんね。
「春風亭一朝」師匠のお弟子さんで、「朝呂久」さんという恰幅のいい前座さんがいますが、彼は「趣味がダイエット・特技がリバウンド」で売って?います。coldsweats01
私は、このキャッチフレーズが好きですねぇ。

2011年9月10日 (土)

人権・デリカシー・品格

book会社で人事を担当していることもあり、毎年社員全員を対象に「人権啓発研修」を行っていて、その研修の講師を仰せつかっています。
約2ヶ月間にわたり、25コマ(回)ぐらいをこなさないといけません。
sweat01そのために外部の研修に参加したり、自分で資料を集めたりして、1時間程度の講演になる訳ですが、今年ぐらい具体的な事例(不芳事例)に恵まれた?年も珍しい気がします。
それも、本来自ら範を垂れるべき立場の人や組織が、信じられないバカな言動を繰り返しているのですから、呆れて物が言えません。
annoyまず、被災地からの避難者の受入れを風評で拒んだ役人。
担当大臣でありながら、我物顔な振舞いと不遜な言葉を放ってクビになった大臣。
movieプレゼントの当選者名にとんでもないテロップを流したテレビ局。
・・そして、今までのバカな大臣を見ているはずなのに、またそのバカを繰り返す、本当に凝りないバカバカ大臣。soccer
bomb彼らは、組織の上に立ったり、リードしたりするなどもってのほか、そもそも社会人として失格ですよ。
失言ではすまされないし、「被災地の皆さまの心証を害したのなら」なんて言うに至っては、・・・。
こういうものは、後で謝って許される類のものではありません。
pig野党がここぞとばかり言うように、総理大臣の任命責任ということもあるかもしれませんが、その前に、こんな輩を当選させた有権者の責任も大きいのではないかと思います。
デリカシーだとか、品性・品格のかけらもないバカ大臣には、議員そのものを辞していただきたいと思います。
人として、最も基本的なことが出来ないのですから、議員の退職金や年金などももってのほかです。
punch即刻退場です。
今度の大バカ大臣は、失言と暴挙で周囲から強烈に批判され、蜂の(鉢呂)巣をつついたようになり、三日天下の大臣クビになりました。
落語の国の与太郎さんや金坊だって、もっと気の利いた言葉を発しますよ。

真打競演

music土曜日の夜に放送時間が変わってから、なかなか聴く機会がありませんでした。
久しぶりですから。
  ◇ 勘定板       三遊亭歌之介Photo_12
宮城県蔵王町からの公開録音だったようです。
「勘定板」・・・、下ネタですね。
その昔、田舎の人々は川の岸にひもで結んである勘定板という板の上で用を足し、その板を川に流すということをしていました。
そんな人たちは用を足すことを「勘定する」と言っていたそうで、そんな田舎者たちが江戸にやってくると話は通じなくなって来ます。
田舎の人たちは「うんこをする」ということなのだが、江戸の人たちは「計算をする」ということなのだから、田舎者と江戸の宿の主人との間のやりとりはまったくうまくいきませんよ。
江戸の宿の主人がそろばんを持って来ます。
しかし、普通にもってくればいいのに、弾くほうを下にして持ってきたので、本当に勘定板だと間違えてしまいます。
田舎の人々は、それに用を足して廊下に流せばいいと考え、用を足して流してみた。
すると床がつるつるなのでよくすべる!
田舎者たち「あ~ぁ、江戸の勘定板は 車仕掛けになってらぁ。」

ОB会「あおば亭」

japaneseteaОB会・ОB落語会・ОB会報の名前の有力案である「あおば亭」のロゴを作ってみました。

Img_0005_3

学生時代に買った「橘右近」師匠の「寄席文字字典」を参考にして作ってみましたが、どうでしょうか・・・。
右近師匠は、現代の「寄席文字」を確立された方で、橘左近師匠以下の寄席文字家の方々のルーツ、大師匠ということになります。
文字というのも、時代の流れで少しずつ変わって行くもので、ややクラシックな字体だと思います。Img_0005
Img_0005_2東北大学落語研究部ОB会は「あおば亭」。
東北大学落語研究部ОB落語会は「あおば亭」。
東北大学落語研究部ОB会報も「あおば亭」。
11月に予定のОB落語会は、東京で開催ですから、「お江戸ОB落語会」改メ「お江戸あおば亭」ということになりますね。
仙台で開催する時は「みちのくあおば亭」か、そのまま「あおば亭」にするかかでしょう。
ということで、ただいま先輩方にお諮りしているところであります。
名前を色々考えましたが、仙台の色を出したいと思うと、やはり「青葉」とか「杜」だとか「伊達」なんていう言葉に収斂してしまいます。
かつて新幹線にも「あおば」というのがありましたから、電車と間違えられることのないように、「亭」をつけることにしたという訳です。
note青葉萌ゆるこのみちのくnotes萩の香るこの宮城野noteです。

三之助をみたかい

Photo

wink柳家三之助さんから、「三之助をみたかい?」の案内はがき。
そういえば、昨年の真打披露の落語会に行ったきり、ご無沙汰していました。
「三之助をみたかい?in 東京 Vol.18」
日時:2011年9月29日(木)19時30分開演
会場:日暮里サニーホール・コンサートサロン
木戸:前売1500円 当日2000円
9月29日というのが微妙な日です。
期末の前日ですから。
噺家さんは関係ないかもしれませんが。
行こうかな・・。

憩いの社交場

game落語国では、床屋や銭湯に若い者が集まって、色々と悪い相談をすることになっていますが、高齢化しているわが日本国では、お年寄りの社交場と言えば、病院の待合室なんだそうで。Photo_11
元気な人が病院通い。元気でない人は病院には行けない。
病院の待合室で「あぁら、最近●●さんが見えないけど、身体の具合でも悪いのかしら」なんてんで。
ところで、最近どこかで目にしたのが、かつては子どもの遊び場だったゲームセンターが、今やお年寄りも楽しめる「憩いの場」になりつつあるという話題。
他の娯楽施設より安く長く遊べる点が人気のようです。
少子化と若者の「ゲーセン離れ」に悩む業界でも、シニア向けサービスに本腰を入れ始めたそうです。
面白いですね。
平日昼下がり。あるゲームセンターでは、十数人のお年寄りが遊んでいる。
「今日の調子はどう?」。
ゲームセンターがお年寄り用に設置した畳敷きベンチに座って話しかけている。
ここの常連客で、通っているうちに友達になったそう。
10年ほど前に夫を亡くして「1人で家にいるとぼけてしまうけど、ここでゲームをしていれば時間を忘れられる」と言う。
この店は2年ほど前から高齢者が増え始め、今は平日昼間の利用者の8~9割を占めるそうです。1_2
人気は「メダル落としゲーム」。
手持ちのメダルを投入して装置内のメダルの山を崩して遊ぶ。
上達すると、1000円もあれば長時間楽しめる。
大半のお年寄りは数時間は滞在し、ゲームの途中でお茶を飲んだり、弁当を食べたりして仲間と雑談して過ごす。
「ゲームセンターが交流の場になっているようですね」と店長。
なるほど、それでいいのだ。

世界自殺予防デー

crying変な日があったものです。
「世界自殺予防デー」ということで、2003(平成16)年に世界保健機関(WHO)と国際自殺防止協会がストックホルムで開催した世界自殺防止会議で制定したものだとか。
そして、9月10日~16日が、「自殺予防週間」だそうです。
落語にも、自ら命を絶つ(絶とうとする)噺や場面があります。
「唐茄子屋政談」などは、小さな子どもが「おっ母ちゃん、早くに下におりて来て」と、泣いているという、実に痛ましい場面が出て来ます。
ただ、以前から申し上げているとおり、落語国の人々は、若干の例外を除いて、どんなに貧しくても、辛くても、現実を受け止めて(受け入れて)、まず(疑いもなく)生きようとする人々がほとんどです。
生きとし生けるもの、生きていてこそなんぼのものという訳です。
生きていれば、今よりはましな状態(幸せ)になる方法があるはず。
それを信じて健気に生きています。
談志師匠曰く「業の肯定」というやつです。
notes都会では 自殺する 若者が 増えている notes
なんていう歌も、40年前頃にヒットしていました・・・。
最近は、都会と言わず、田舎と言わず、自殺者数が高水準の年が続いているようです。
ちょっと暗い話題でした・・・。

真景累ヶ淵⑧~麹屋のお隅

shadowもうほとんどストーリーは忘れました。Photo_15
登場人物も、こんな人いたかなぁ?という感じです。
まだまだ続きます。
やめられなくなってしまいました。
「惣右衛門」の息子の「惣次郎」は、水海道の麹屋の女中の「お隅」とは馴染みの仲です。
1798年、大生郷の天神前の宇治の里で、お隅に惚れた「安田一角」が惣次郎に因縁をつけます。
ここは、相撲取りの「花車」が剛力を出して安田一味を追い払ってくれました。
1799年、旗本の倅の「山倉富五郎」が作荒らしをします。Photo_16
「惣次郎」のところに食客を出し、「お隅」を口説いたため、叱られます。
富五郎は、一角に取り入って、惣次郎を弘経寺の裏手で殺害してしまいます。
そこへ花車が通りかかります。
花車は、落ちていた脇差を証拠に富五郎を問いつめ、安田が犯人だと知ります。
富五郎は逃亡。
お隅は、わざと愛想付かして、麹屋で飯盛となります。
その噂を聞いて、お隅に惚れていた富五郎が泊まります。
お隅は、富五郎から安田の居場所を聞きだし、富五郎殺害に成功します。
しかし、安田に返り討ちに合ってしまいます。
Photo_3あれっ?登場人物がガラリと変わりましたね。
「惣右衛門」て誰でしたっけ?
「安田一角」だとかお相撲さんの「花車」なんていう人が出て来たりして。
ますます分からなくなってしまいました。
さて、この後はどうなるんでしたっけ・・・?

2011年9月 9日 (金)

柳家さん助師匠の訃報

shadow柳派の長老「柳家さん助」師匠がお亡くなりになったそうです。Photo_7
柳家さん助さん85歳(やなぎや・さんすけ<本名・松本光春=まつもと・みつはる>落語家)9日、肺炎のため死去。
葬儀は近親者で行う。

なかなか高座姿を拝見することは出来なかったのですが、3年ほど前に一度だけ聴かせていただきました。
若い頃は丁髷を結っていたと聞いています。

1951年8月 - 五代目柳家小さんに入門。前座名は小春。
1954年3月 - 二つ目昇進。小三太に改名。
1961年9月 - 真打昇進。三代目柳家さん助襲名。

落語会の予約

rain大スランプが続く中でも、やはり落語は聴きたい。
そろそろ、秋から冬にかけて確保しておきたい落語会も出て来ます。
12月の落語会を予約しました。
  「第32回特撰落語会・
    一龍斎貞水・柳家さん喬 硬軟長講二人会」
  出演者 :  一龍斎貞水、柳家さん喬 他
  日  時 : 12月10日(土) 18時50分開演
  会  場 :  深川江戸資料館小劇場(清澄白河)
その頃は、もう随分寒くなっているのでしょうねぇ。

落語が出来る喫茶店

cafe紅茶のおいしい喫茶店notes
・・・・ではなくて、落語が出来る喫茶店の情報です。Photo_5
先輩の「南亭蕪生」師匠から、「浅草にある"あさくさ文七"という喫茶店が常設高座をもって貸しているらしいぞ」という、大変に耳寄りな情報をお聞きしました。
http://ameblo.jp/asakusabunshichi/
早速、この休みにでも、ちょっと覗いて来ようかと思います。Photo_6
インターネットで調べてみると、確かに・・・。
いろいろ探せばありそうですね。
浅草探検も楽しいし・・・。
体力があれば・・・。
大スランプにありながらも、落語から抜け出せないという訳です。

大スランプ続く

sad昨夜も、週後半の疲れか、なでしこジャパンの"棚ボタ"の五輪出場決定のニュースを、まだらな意識の中で聴きながら寝てしまい、稽古のけの字も出来ず(やらず)じまい・・。
明後日の稽古本番(稽古の本番というのも変ですが・・?)に備えて、ますます今夜と明日が重要です。
幸い、明日は1日時間がありますから、稽古とOB落語会の準備でもして過ごそうと思います。

今月は、例月の2つの落語会以外、寄席・落語会徘徊の予定が入っていません。
・・ちょっと疲れているのかな・・。
東京かわら版を調べたり、チケットを手配したりする気力も萎えて、面倒臭くなって来ていて・・。
おまけに、歯も痛くなって来た・・。weep

OB会報の名前

memo落研のОB会の会報を作らなくてはいけません。
その手始めに、会報の名前を決める必要があります。
今までも、検討の機会は何度かあったのですが、今まで先送りされていました。
色々意見を聴いて、いくつか案を出してという訳です。
先輩方から、創部の精神「仙都に笑いを」を表現したいとか。
「仙都に笑いを」そのままでもいいとか。
「笑い」とか「仙台」にちなむ名前がいいとか。
他の会報のように「まくら」とか「だくだく」なんていうのがいいとか。
侃々諤々というほどではありませんいでしたが・・。
私は、いくつか考えました。
まず、「せんす」「仙笑」「まんだら」「南縁草」「AOBA亭」・・・。
  
   OB
         
  

・・・という、会報の右肩のビジュアルもイメージしました。
これは、落研のホームページも、勝手に「AOBA」と使っていました。
上下対称で、OBも入りますからね・・・。
結局、今のところ「あおば亭」というのが有力です。
会報を「あおば亭」、ОB落語会も「あおば亭」としよう。
だから、東京で始めた「お江戸ОB落語会」を「お江戸あおば亭」にという訳ですよ。

重陽の節句

moon39月9日は「重陽の節句」です。
Photo_13「重陽」とは、菊に長寿を祈る日です。
日本では奈良時代から宮中や寺院で菊を観賞する宴が行われています。
「五節句」とは、1月7日が「人日」の節句(七草粥)、3月3日が「桃」の節句、5月5日が「端午」の節句、7月7日が「七夕」、そして9月9日が「重陽」の節句です。
古来中国では、奇数は良いことを表す陽数、偶数は悪いことを示す陰数と考え、その奇数が連なる日をお祝いしたのが五節句の始まりだということです。
その中でも一番大きな陽数(9)が重なる9月9日を、陽が重なると書いて「重陽の節句」と定め、不老長寿や繁栄を願ってお祝いをしてきました。
菊のおかげで少年のまま700年も生きたという「菊慈童(きくじどう)」伝説もあります。
今では五節句の中でも影が薄くなりましたが、五節句を締めくくる行事として、昔は最も盛んだったそうです。
菊といえば晩秋の花という印象ですが、陰暦の9月9日は今の10月中ごろにあたり、まさに菊の美しい季節に重なる訳です。
でもまだ朝顔も頑張っています。

真景累ヶ淵⑦~聖天山

bearingそろそろ私も分からなくなって来ました。Photo_13
さらに陰湿な展開になって行きます。Photo_14
「お賤」の頼みで、「新吉」は名主の「惣右衛門」を扼殺してしまいます。
「惣右衛門」の湯灌を手伝った「甚蔵」が、「新吉」が殺したと気づいてしまいます。
これを知った「甚蔵」は、これをネタに「お賤」に金の無心をします。
「お賤」にたきつけられた「新吉」は、聖天山に金を埋めたと偽り、「甚蔵」と2人で金を掘りに行きます。Photo_14
そして、隙を見て「甚蔵」を崖から突き落とします。
さらに手負いの「甚蔵」が襲いかかるところを、「お賤」が鉄砲で射殺してしまうのです。
さあ、この後はどうなってしまうのでしょう。
寄席や落語会でも、この湯灌場のあたりまで、聖天山のところまでで、これ以降の場面は、あまり演じられていないようです。

2011年9月 8日 (木)

大スランプ

大スランプ
fuji朝の空もすっかり秋めいて来て、爽やかになっているのに・・。
落語の稽古が出来ません。
「救いの腕」と「藪入り」に全く手がつきません。
どうしてだろう・・?
日曜日は稽古会なのに。
「救いの腕」は、"まっさらな"噺ですから、山の高さに怯えているのかなあ。
単なる夏の疲れなのかなあ。
昨夜も帰宅してバタリ。
う〜ん・・・。
さあ、流三くん、乱志くん、どうする?

国際識字デーと泣き塩

pencil9月8日は「国際識字デー」なのだとか。
国連が制定した国際デー。Photo_4
1965年にイランのパフラヴィー2世皇帝が軍事費の一部を識字教育にまわす提唱をしたことを記念してユネスコが制定し、1990年に国際デーになったそうです。
「識字」というのは、文字を読み書きし、理解できること。
英語のリテラシーの訳語と言われています。
日本は、識字率というのが極めて高いのだそうで、戦後の進駐軍が、靴磨きが客を待ちながら新聞を読んでいたのを見てびっくりしたなんていう逸話もあるそうです。
これは、明治維新からの教育によるものではなく、既に江戸時代から、識字率は高かったようです。Photo_5
1443年に朝鮮通信使一行に参加して、日本に来た「申叔舟」は、「日本人は男女身分に関わらず全員が字を読み書きする」と記録し、また幕末期に来日した「ヴァーシリー・ゴローニン」は、「日本には読み書き出来ない人間や、祖国の法律を知らない人間は一人もゐない」と述べているそうです。
これらの記述には誇張があると思われますが、近世の日本の識字率は実際にかなり高く、江戸時代に培われた高い識字率が、明治期の発展につながったとも言われています。
要するに無筆は少なかったということです。
ちなみに、現在は99.8%だそうで、勿論世界トップクラスです。
色々な事情を考えれば、概ね100%ということでしょう。
落語には、「手紙無筆」「三人無筆」などという、字が読めない書けないというのを題材にしたものがありますから、さすがに現代のような識字率ではなかったでしょう。
あぁそれから、「泣き塩」という噺もありました。Photo_6
字が読めない町人娘、お花が、往来の真ん中で、若い侍に田舎から届いた手紙を読んでくれと頼むと「残念だ、手遅れだ」といって泣き出した。
病の母が死んだと思いこんだお花も泣き出した。
「やぁーきしおー」とそこを通りかかった焼き塩屋の爺さんが、事情は分からないが、自宅の二階が空いているから、そこへ来いと一緒に泣き出した。
往来の真ん中で三人が泣いているところに、字が読める知人が来て手紙を読んでみると、お花の許嫁の茂助が暖簾分けで商売を出すから婚礼のためにすぐ戻れ言う内容だった。
若侍になぜ泣くのか聞くと、自分は武芸はすべて修行したが、学問は学ばなかったので、字が読めない、それで残念だ、手遅れだと泣いていたのだ。
それは分かったが、塩屋の爺さんはどうして泣いているんだい。
へい、商売柄、肩に天秤を当てると「なぁーきしおー」。

白露

moon29月8日は「白露(はくろ)」。
二十四節気の一つ。旧暦八月(葉月)の節気。
 
朝顔も最後の踏ん張りをしているところですが。
大気が冷えて来て、露が出来始める頃ということだそうです。
陰気ようやく重なりて露こごりて白色となれば也(暦便覧)
野には薄の穂が顔を出し、秋の趣がひとしお感じられる頃。
朝夕の心地よい涼風に、幾分の肌寒さを感じさせる冷風が混じり始める。
Photo_14台風が行き過ぎて、大変凌ぎやすい、良い気候・季節になるはずです。
とはいえ、まだいくらか残暑は続きますか・・・。
暑さ寒さも彼岸までと言いますから。
・・・明日は「重陽の節句」ですね。

ゆれるとき

ゆれるとき
movie先月の「圓朝まつり」の奉納落語会での圓窓師匠の高座が、落語協会のインターネット落語会にアップされています。
  ◇ 佐々木政談   三遊亭圓窓
      (2002年 第一回 奉納落語会)
  ◇ ゆれるとき    三遊亭圓窓
      (2011年 第十回 奉納落語会)
著作権に触れることを承知で、その一場面を切り出してみました。
師匠がオチを言って会場からの拍手に応えている場面です。
写真で、客席最前列の右端に座って拍手をしているのが私です。
圓窓師匠から落語のご指導(稽古)をしていただいて、なんて幸せなんだと実感している瞬間なのです。
勿論、落語の実力は、お若い頃から折り紙付きの師匠ですが、落語をあらゆる角度から見つめ、様々なことを実践し形にしている。
こんな物凄い人を(素人の私が)我が師匠として触れ合えるんですから、こんな幸運はないでしょう。
「ゆれるとき」を改めて聴いて、やはり唸りました。
師匠には、この噺の「高座本」をお願いし、早速頂戴できることになっていますので、いつかやりたい噺として温めておこうと思います。
ただ、私が聴き違えていたのは、圓朝が訪ねる神奈川宿の元噺家は、「三遊亭三生」ではなく、「三遊亭さい生」でした。
「三生」は実在の名前ですが、「さい生」というのは見当たりませんので、圓窓師匠の創作なのかもしれません。
この辺りも、今度の稽古会で教えていただこう。
・・そうだなぁ、来年のOB落語会でチャレンジさせてもらおうか・・・。
さて、初代三遊亭圓生の門下には、初代三升亭小勝、二代目三遊亭圓生、初代古今亭志ん生、花枝房圓馬、初代山松亭圓喬、三遊亭圓桂(のちの初代坂東政吉)、三遊亭圓遊(のちの初代金原亭馬生)、三遊亭圓盛(のちの初代司馬龍生)、初代三遊亭三生、初代三遊亭南生、三遊亭傳生(のちの初代司馬龍斎)、二代目竹林亭虎生らがいました。

真景累ヶ淵⑥~お累の自害

weep因縁はまだまだ続きます。Photo_12
「豊志賀」の遺言のとおりに、また悲劇が起こります。
月満ちて「お累」が産んだ子は、なんと獄門台の「新五郎」に生き写し。
1796年、墓掃除する「新吉」は,名主「惣右衛門」の妾の「お賤」に会います。Jpg
実は、このお賤は「深見新左衛門」の妾だった「お熊」の娘でした。
新吉は、お累に嫌気がさし、お賤と密通してしまいます。
あきれた「三蔵」は30両の手切金で新吉一家と縁を切ります。
金に困った「新吉」は、蚊帳をお累の生爪ごと引きはがし、赤子には煮え湯をかけて殺してしまいます。
Photo_4その晩、お賤のところにお累の霊。
戻るとお累は鎌で自害していました。
新吉は、村の爪弾きになってしまいます。
ここで、最初の「宗悦殺し」で登場した「お熊」が再び出て来ます。 覚えていますか?
「お賤」は、「深見新左衛門」とその妾だった「お熊」との間の子ということですから、「新吉」とは異母兄妹ということになります。Photo_5
・・さぁ、ついて来られますか?
訳が分からなくなったら、もう一度、登場人物系図で確認してみてください。
因縁は、まだまだ続きます。

2011年9月 7日 (水)

「ありがとうございます」~考

confidentプライベートでも仕事でも、「ありがとうございます」「ありがとうございました」と言ったり、言われたりすることが頻繁にあります。Photo_7
十代目の桂文治師匠は、チャキチャキの江戸っ子で、数多くのエピソードや語録がありますが、「”ありがとうございました”じゃなくて”ありがとうございます”だ」というのがあります。
例えば、寄席や落語会で終演の時に「ありがとうございました」と言うが、「ありがとうございます」だということ・・?
商人は「ありがとうございました」では縁が切れるから「ありがとうございます」や「ありがとう存じます」というのが正しいんだ、という持論だったのです。
私も仕事柄、来客に「ありがとうございました」と声をかけていました(そう教育されていました)から、考えさせられました。Photo_8
例えば、来客と接している時は「(いつも)ありがとうございます」、そのお客さんが帰る時は「ありがとうございました」って言いませんか?
・・・う~ん、しかし待てよ。
前者はいいとしても、後者の場合、確かに「・・ました」なのでしょうか?1
来訪に感謝だけなら、まさに来訪は過去のことになる訳ですから、「・・ました」かもしれませんが、感謝している気持ちは今なのですから、過去形ではなくて「・・ます」ではないか・・・。
デパートでも、来店の時は「いらっしゃいませ」、帰りは「ありがとうございました」ですが、「ありがとうございます」ではないか・・・。
という訳で、私は、もう癖になっていますから「・・ました」と言ってしまうことが多いですが、「・・ます」が正しいという気がします。
まぁ、いずれにしても、「ありがとうございます(ました)」というのは、大変素晴らしい言葉だと思います。

定期券とアーモンドチョコ

present彦六の「八代目林家正蔵」師匠の逸話で、落語会などで噺家さんが言っていることをそのままお伝えするだけでございます。Photo_15
【地下鉄の定期券】
師匠は「稲荷町の師匠」と呼ばれているとおり、稲荷町の長屋住まいで、地下鉄銀座線「稲荷町駅」が最寄り駅だったようです。
上野の鈴本演芸場にご出演が多かったので、「稲荷町-上野」間の定期券を買ったそうですが、この定期券は鈴本に行く時だけしか使わず、別の場所に行くときは、その都度切符を買って乗っていたそうです。
【アーモンドチョコレート】
孫弟子にあたる「春風亭小朝」さんが、師匠にアーモンドチョコレートを持って行ったそうです。
師匠、可愛い孫弟子からもらったということで、喜んで口に入れてもごもご。
そのうちに、「プッ!」とアーモンドを吐き出して、「種子が入ってた」。
【かびた餅】Photo_16
お供えしていた鏡餅にカビが生えてしまったのを見て、お弟子さんたちが
「餅は何でカビちゃうんだろう?」
「バカ野郎!お前たちはそんなことも分からないのか!」
「それじゃあ師匠は、何故カビが生えるのかご存知なんですか?」
「当たりめえじゃぁねえか。」
「へぇ、師匠、どうしてカビが生えるんですか?」
「早く食わねぇからだ。」
・・・どうです。
こんなおじいちゃんがいたら素敵ですねぇ。

団体戦?

sports先日まで行われていた世界陸上。
1 日本選手は、ハンマー投げの室伏選手の金メダルが光りました。
後は、予想通り、そもそもの体力差というか実力差は歴然でした。
色々な競技がある中で、ちょっと釈然としないのが、マラソンの団体戦というやつ。
マラソンは個人競技ですが、各国の上位3選手の結果でも競うといもの。
日本は、この団体で銀メダルを獲得したのです。
・・・見ている方は勿論、恐らく選手本人も釈然としないと思いますが・・・。
run日本人の最高は7位です。Photo
そんな結果で銀メダル・・?
しかも、5人出場のうち記録の対象にならない下位の2人など、全く納得していないのに表彰台ですよ。
そもそも各国全て3人以上出場しているのでしょうか?
2人しか出ていない国は対象にならないなんていうのなら、不公平だと思うのですが・・・。
団体戦は要らない気がしますがねぇぇ。
後で聞いたら、世界陸上では正式な表彰ではないそうです。
なるほど、そうでしょう。

イイノホール

  
building建て直し中だった、霞ヶ関の「イイノビル」が間もなくオープンするようです。
霞ヶ関駅の通路のディスプレイにも、宣伝が出ています。
「イイノホール」が復活するのが嬉しいですね。

真景累ヶ淵⑤~お累の婚礼

ringまた新しい女が登場します。Photo
しかも名前が「お累」というので、「累ヶ淵」と関係があるのかと思うのですが、そういう訳でもなさそうです。
私も、記憶を頼りにしていますので、正確ではない部分も多くなって来ます。
「新吉」は、「お久」が埋葬された羽生村の法蔵寺へ墓参をします。
そこで出会った「お累」が、江戸育ちの新吉に恋慕。
実はお累はお久の従姉妹で、父親は「皆川宗悦」の死骸を捨てた「三右衛門」なのです。Photo_2
土手の「甚蔵」は、お久殺しに使われた質屋三蔵の焼き印がある鎌をネタに、お累の兄の「三蔵」から20両を強請ります。
その晩、お累が煮え湯で顔に大やけどをしてしまいます。
新吉をお累の婿にという縁談が持ち上がり、甚蔵は、新吉には借金があると嘘をつき、手切れがわりに金をだまし取ります。
婚礼の晩、お累の顔の変わりように新吉は驚きます。
「豊志賀」の因縁を感じて、新吉は改心します。
そしてお累が妊娠。
Photo_131795年、「勘蔵」が危篤との報せを受け、新吉は江戸へ向かいます。
勘蔵の遺言で、新吉は自分が深見家の次男だと知ります。
下総への戻り道、駕籠で亀有へ向かいますが、どうしても駕籠が小塚原へ向かってしまいます。
小塚原で兄の「新五郎」が現れ、ついには斬られてしまう、というところで夢から覚めます。
駕籠から出ると、そこはやはり小塚原。
獄門の札に新五郎の凶状が書かれ、新五郎が「豊志賀」の妹の「お園」殺しの下手人だと知ります。
・・どうですか、兄弟と姉妹の複雑な関係、悲惨な結末。
因縁噺は佳境に入って行きます。

2011年9月 6日 (火)

読み稽古

読み稽古
bus帰りの電車が事故で大幅に遅れていました。
立ったままでいるのも手持ちぶさたなので、珍しく手にしている鞄から、偶然入れてあった「救いの腕」の高座本を取り出して、読み稽古をやっと始めました。
まだこんなレベルで、実に情けない限り。
ずっと落語の稽古をサボッていたので、焦るばかり。
本当にピンチです。
ページ数で約20ページ。
暗記する訳ではありませんが、ただただ焦るばかり。

OB会の通知

memo11月のOB会の総会と落語会の案内を作らなければと、とりあえず「案」を作って、OBのMLで相談中。
会報の名前も考えて決めないといけません・・・。

幸せの黄色い・・・

 bullettrainPhoto_6「ドクターイエロー」の愛称で親しまれる東海道・山陽新幹線の保線点検車両「新幹線電気軌道総合試験車」が、幅広い層から人気を集めているそうです。
ダイヤは非公開で、めったに遭遇する機会がなく、いつしか、見ると「幸せになる」「いいことが起きる」という都市伝説が生まれた。Photo_7
目撃情報を書き込むインターネット掲示板は盛況で、関連商品の売れ行きも好調だ。

私は最近、JR山手線有楽町駅のホームから、品川方面に向かう「ドクターイエロー」に遭遇。
ドクターイエロー」とは、新幹線区間において、線路のゆがみ具合や架線の状態、信号電流の状況などを検測しながら走行し、新幹線の軌道・電気設備・信号設備を検査するための事業用車両の愛称。
走るだけで、線路や架線の異常を瞬時に検知できるという優れもの。
見てからいいことがありましたか・・・?
そうか、「朝日名人会」へ行く途中だったかもしれません。

真景累ヶ淵④~お久殺し

bomb因縁の舞台は江戸を離れて、下総国羽生村へ移ります。Photo_10
そして因縁は、さらに深く、陰湿に・・・。
1794年8月、「豊志賀」の墓参で出会った「新吉」と「お久」。
その場から、お久の実家のある下総羽生村へ駆け落ちをします。
日が暮れた鬼怒川を渡ると、そこは「累ヶ淵」。
お久が土手の草むらにあった鎌で足を怪我してしまいます。
新吉が介抱しながらお久を見ると、豊志賀の顔。Photo_11
驚いた新吉は思わず鎌でお久を惨殺してしまいます。
それを目撃した「土手の甚蔵」と格闘となります。
新吉は落雷の隙に逃げますが、その逃げ込んだ家が、なんと甚蔵の留守宅だったという皮肉な・・・。
これから甚蔵は、新吉から金を強請り取ろうとしますが、新吉が文無しだと知って落胆します。
Photo_4ここでお久は、草むらに隠れて見えなかった「鎌」で怪我をし、さらに殺されてしまいますが、怪我や殺されるパターンは、やや単調に思えるかもしれません。
ただ、当時の農家には、押切や鎌など、使い方によっては強力な凶器になるようなものがあったことも確かです。
・・・と、よく考えてみると、この「真景累ヶ淵」という怪談は、江戸時代からよく知られた「累伝説」を下敷きにした作品だということに気がつきました。
この「累伝説」の中心にあるのは、男に執着したまま死んだ女の怨念が、その後もずっと男に祟ると言うもの。Photo いわゆる「累もの」の特徴と言えるのは、死んだ女の霊が、男の恋人に取り付き、一瞬にして女の容貌が変化したり、怪我をするという怪異がおきるところで、まさに累々と被害の連鎖が続いていくというもの。
もとになっている「累伝説」は下総の国羽生村を舞台としたもので、与右衛門という男が鬼怒川ぞいの土手で殺人を犯し、その時に鎌を使ったという言い伝えがあり、そのために芝居や話芸の「累もの」には必ず鎌が出てくるという約束事があるのです。
圓朝の「真景累ヶ淵」でも、新吉が心ならずもお久を殺してしまうのが、むかし与右衛門が殺人を犯した「累ヶ淵」、そのきっかけになるのが道端に落ちていた鎌という、圓朝の趣向という解釈もできるのかもしれません。
ところで、全く話は変わりますが、圓朝創作の噺には、生まれついてのワルというのが、必ず出て来ます。
「双蝶々」の「小雀長吉」も、親の手にも負えない輩の一人です。

よってけし・・・


subway先週の土曜日の仕事の帰り道。
上野駅の正面改札の前で、「やまなし」のイベントをやっていました。
ちょうど桃やブドウの季節でもありますから、そんな類の品々が並んでいました。
それらはともかく、観光用のパンフレットも置いてあり、ガイドマップ以外にも、各観光地のものもありました。
中でも、「よってけし、身延」という、我が故郷の隣町「身延町」を思わず手に取って持ち帰りました。
              
「よってけし」というのは、甲州弁で、「寄っていきなよ」という意味。
甲州弁には「・・・・し」という言い回しがあります。Photo
やや命令的に強める感じに使うのでしょうか・・・?
以前、道路の注意看板に「飛ばしちょし」というのを見つけました。
「飛ばさないで」という意味です。
ところが、私は隣町の出身ではありますが、南を静岡県静岡市と富士宮市に接しているので、駿河弁エリア・・。
地図で、下に突き出た最南端の町、身延町はその北隣です。
落語「鰍沢」の舞台は、その北隣の「富士川町」にあります。
身延といえば、やはり「身延山」と「下部温泉」が有名でしょう。
日蓮宗総本山の「身延山九遠寺」、武田信玄の隠し湯といわれた「下部温泉郷」。
是非とも「よってけし」。
・・・ところで、我が町のは見当たりませんでした。

2011年9月 5日 (月)

広瀬さんの立川談四楼評

pen広瀬さんの評論も、だんだんマニアックになって来ました。
立川談四楼師匠です。Photo_8
1983年に立川談志が創設した「落語立川流」は寄席の定席には出ない。
ゆえに立川流創設以降の弟子は「寄席知らず」だが、それ以前に入門した弟子は寄席の世界で修業している。
志の輔、談春、志らく、談笑ら「寄席知らず」世代の活躍が目立つ談志一門だが、「寄席育ち」世代にも魅力的な演者は多い。
連載コラムや書評など、文筆業での活躍が顕著な立川談四楼。
彼は、談志一門の「寄席育ち」世代を代表する本格派の演者だ。
1951年生まれで、1970年に談志に入門。
同期の噺家には「寄席の帝王」柳家権太楼がいる。
談志が落語協会を脱退しなかったら、今ごろ談四楼も権太楼に負けじと寄席の世界を大いに盛り上げていたことだろう。
もっとも、談志が落語協会を脱退したのは、自分の弟子(小談志、談四楼)が真打昇進試験で落とされたからで、つまり談四楼は立川流創設のきっかけを作った「当事者」だ。
この顛末を談四楼は小説『屈折十三年』として「別冊文藝春秋」に発表し、84年には小談志ともども立川流の認定する真打の第一号となった。
「落語も出来る小説家」のキャッチフレーズで作家としてのキャリアを順調に築いている談四楼だが、あくまでも本業は落語。
各地で精力的に独演会を行なっている談四楼の活躍ぶりは、立川流の「寄席育ち」世代の中では突出している。
談四楼の落語の最大の特徴は「わかりやすさ」だ。
それぞれの噺を、談四楼は必ず自分の中で咀嚼し、現代人が共感しやすいものに変換して観客に提示する。
といっても、通俗的な「わかりやすさ」を狙って江戸落語の美学を損なうようなことはしない。伝統を踏まえながら、言葉遣いや演出を工夫することで、現代人がすんなり受け入れられるようアレンジする。
そこで発揮される言語センスは、まさに作家ならではのものだ。
談四楼は「地の語り」、つまり演者本人が観客に直接語りかける部分の使い方が巧みだ。
古典には、初心者には馴染みの無い表現がどうしても出てくるが、談四楼は自然な流れで地の語りを挟み込んで解説を加え、噺の背景にある概念や因習の違い等を教えてくれる。だから、落語に無縁で生きてきた若者でも、すぐに入っていける。
つまり、「初心者に優しい落語」なのである。
※週刊ポスト2011年9月2日号

生で聴いたことはありませんが、CDに「浜野矩随」があったので、何度も聴きました。
非常にソフトで、丁寧に地を語る師匠だと思います。
口調は、三笑亭夢丸師匠に似た雰囲気でした。
それにしても、随分何冊も小説や論評やエッセイのようなものを出版しています。
多才な人だと思います。

小間物屋

ring「小間物屋」っていうのを調べてみました。
2 小間物を商う人,またはその店。
おいおい、当たり前でしょう。
「こまもの」は、「高麗(こま)等」舶来の物とする説と、細物(こまもの)の義とする説があるそうです。Photo_12
江戸時代は行商が普通で,化粧品,櫛(くし),簪(かんざし),楊枝,歯みがき,紙入,タバコ入等を売り歩いていたそうです。
ということは、「佃祭」の次郎兵衛さんは、自分の店を持っていたのですから、かなりの商いだったのでしょう。

真景累ヶ淵③~豊志賀

rougeこの場面が、長講「真景累ヶ淵」の中で最も有名かもしれません。Photo_6
情念、怨念というか、ドロドロしています。
1793年、根津七軒町に住む富本の師匠「豊志賀」は、出入りの煙草屋「新吉」と年が離れているがいい仲になる。
実は、この豊志賀は「皆川宗悦」の長女「志賀」だったのです。
志賀の父の宗悦を殺した深見新左衛門は新吉の父親だという因縁。
1794年、弟子の若い「お久」との仲を邪推したせいか、豊志賀の顔に腫物が出来、これがどんどん腫れてくる。
看病に疲れた新吉が,戸外でお久と出くわす。
2人で鮨屋の2階に上がると、急にお久の顔が豊志賀のようになる。Photo_7
びっくりしてお久を置き去りにして「勘蔵」の家に戻ると、重病の豊志賀が来ている。
駕籠に乗せて戻そうとすると、七軒町の隣人がやって来て、豊志賀が死んだという報せ。
駕籠にいるはずだと一笑に付して中をのぞくが・・誰もいない・・。
豊志賀は自害していた。
そして・・・、「新吉の妻を7人まで取り殺す」という遺書が見つかる。

・・・七人までの妻を呪い殺すと新吉を恨んだ豊志賀。
果てることなく続く血で血を洗う殺し合いは、前世からの因縁か。
それとも呪いの鎌のせいなのか・・・・。
さらに続いてまいります。
Photo_3さて、ここまでのところで、ご質問はありませんか?
もう一度、登場人物系図で確認してみてください。
←クリックしてください。拡大されます。
「皆川宗悦」・「深見新左衛門」・「深見新五郎」・「お園」・「豊志賀」・「お久」・「勘蔵」・「お熊」・・・。
しっかり覚えておかないと、ぐちゃぐちゃになってしまいますよ。
さぁ、7人まで祟るという因縁は、まだまだこれからです。
が、本日はここまで・・!

2011年9月 4日 (日)

台風一過

 台風一過 台風一過
typhoon日本列島に大雨被害をもたらした大型の台風12号は4日午前3時までに、山陰沖の日本海に抜けた。
今後も北上するが、西・東日本の広い範囲が風速15メートル以上の強風域にまだ入っており、気象庁は引き続き大雨や強風に注意を呼び掛けた。
近畿・中国地方は大変だったようですが、とりあえず台風が抜けて行きました。
昨日驚いたのは、江戸川の水量が物凄かったこと。
河川敷のグラウンドやミニゴルフ場も冠水しています。
このあたりは、それほどの雨量ではないのに・・・。
きっと、上流の埼玉県や群馬県の地域の豪雨の影響でしょう。
朝顔もまだ、健気に咲いていますが、台風一過、秋の足音が聞こえます。

落語はやおき亭

happy01今朝は「古今亭圓菊」師匠。
  ◇ たらちね    古今亭圓菊Photo_3
実は、最近はご高齢のために、高座で拝見する機会がなくなってしまいました。
まぁ、癖があるというか、個性的というか・・・、面白い師匠です。
二代目古今亭 圓菊(1928年4月29日 - )は本名藤原 淑。
静岡県島田市に生まれる。
出囃子は『武蔵名物』。紋は『裏梅』。
名人五代目古今亭志ん生の絶頂期の弟子で多くのネタを継承。
「圓菊節」で人気を集める。
手話落語を創案。刑務所篤志面接などのボランティア活動も続けている。
現在、古今亭一門の総帥。
1953年7月 五代目古今亭志ん生に入門し、古今亭生次を名乗る。
1957年3月 二つ目昇進し、六代目むかし家今松となる。
1966年9月 真打昇進し、二代目古今亭圓菊襲名。
1979年   落語協会理事に就任。
1984年   刑務所篤志面接委員。
1996年   刑務所篤志面接理事。
2010年   落語協会相談役。

寄席でよく聴かせていただきました。
口調も仕草も、高座への出入りも、「圓菊」という感じの師匠。
ただいま83歳。いつまでもお元気いてほしいものです。

目黒のさんま祭り

fishJR目黒駅前での「目黒のさんま祭り」。Photo_10
ここで提供されるサンマ約7000匹は、被災地岩手県宮古市の宮古港をトラックで出発したもの。
この落語にちなんだ街興しのお祭りは今年で16回目。
宮古市は1999年からサンマを提供しているそうで、今年は東日本大震災で港が壊滅的な被害を受けたため、一時は祭り自体の開催も危ぶまPhoto_12れたようですが、4月に仮設の魚市場での水揚げが再開され、お祭りの主催者などから約6400万円の義援金など温かい支援が寄せられたこともあって、「今年もサンマを届けたい」と申し出があり、開催が決まったということです。Photo_11
そして、当然「目黒のさんま寄席」も開催だそうです。
この落語会には、毎年三遊亭吉窓さんが出演しています。
圓窓師匠一門の総領のお弟子さんです。
4部に分かれている落語会の大トリが吉窓さんで、演題は勿論「目黒のさんま」です。
「う~ん、宮古から来て目黒で焼いたさんまに限る」・・。
今日、賑やかに開催されているはずです。

落語DEデート

karaoke今朝も起きられました。Photo_2
七代目春風亭小柳枝師匠は初めて聴きました。
41歳で亡くなっているんですね。
 ◇ 強情灸  七代目春風亭小柳枝
ややトーンの高い聴きやすい声と歌うようなリズムがいいですね。
何となく、三代目春風亭柳好師匠を思い出すような感じです。
七代目春風亭 小柳枝(1921年1月2日 - 1962年9月27日)。
本名は染谷 春三郎。出囃子は『喜撰』。
俗に『染谷の小柳枝』。
出身は千葉県野田市。
1937年に七代目林家正蔵門下で正平となる。
1939年に八代目春風亭柳橋門下で青枝。
1944年に再度正蔵門下で正太郎と名乗る。
正蔵の死後は再度6代目柳橋門下で小柳枝襲名し、真打昇進。
軽く飄々とした芸風で「甲府い」「野ざらし」などを得意とした。
大食漢であったが、それがもとで晩年は糖尿病と結核に悩まされたため、若くして没した。「医者から結核なので栄養をつけなきゃいけないってんですがね。そしたら糖尿がひどくなっちまうンで、あたしゃどうしたらいいんだ。」とこぼしていた。
性格は大変粗忽で物忘れ勘違いが多かったという。
余りにも若くして亡くなられた感じ。
もう少しご存命であれば、相当の芸を聴くことができたと思います。
私には、「間に合わなかった噺家」さんです。

圓生師匠とE.バーグマン?

shadow生没同日」という言葉があります。
Photo要するに、誕生日と命日が同じ日であること。
Photo_4圓窓師匠が、マクラで圓生師匠のエピソードということで、よく「うちの師匠(圓生師匠)は、誕生日に亡くなった珍しい噺家です」と仰います。
そうなんです。
圓生師匠は、明治33(1900)年9月3日にお生まれになり、昭和54(1979)年9月3日に鬼籍に入られました。
満79歳の誕生日の日にお亡くなりになったという訳ですね。
Photo_3圓窓師匠は、そのマクラで、同じように、「シェークスピアや小津安二郎監督も、誕生日に亡くなった」と付け加えて説明されています。
考えてみれば、誰でも365分の1の確率で「生没同日」というのは"達成"
可能なんですね。
古今東西、有名人でもいましたよ。
 
足利義政  1394-1441年7月12日
 加藤清正  永禄5(1562)-慶長16(1611)年6月24日
 林  子平     元文3(1738)-寛政5(1793)年6月21日
 坂本龍馬  天保6(1836)-慶応3(1867)年11月15日 
  小津安二郎 1903-1963年12月12日
 イングリット・バーグマン  1915-1982年8月29日
  
いるものですなぁ。 
圓生師匠とイングリット・バーグマンとは「生没同日」仲間なんです。

真景累ヶ淵②~深見新五郎

shock因縁とは恐ろしいもの。悲劇が生まれます。Photo_4
「深見新左衛門」の長男「深見新五郎」は、谷中七面前の質屋「下総屋」に奉公します。
そこの女中の「お園」に恋情。
ところが何と、実はお園は「皆川宗悦」の次女だったのです。
1776年,新五郎がお園を犯そうと押し倒すと、背中の下に押切があり、その刃でざくざくと切り殺してしまいます。
新五郎は仙台へ逐電します。
1778年、江戸に密かに戻ると、松倉町で追手の気配。Photo_9
あわてて隠れた家が捕り方の妻の家で、刃物を隠されてしまい、やむなく二階から飛び降りると、下に押切りの刃。
新五郎は捕縛され、獄門にかかってしまいます。
この物語に良く出て来るのが、押切りです。
さあ、これで何人の人が死んだ(殺された)でしょう・・・。Photo_5
この長講因縁噺は、色々な分け方・呼び方がありますので、あくまでも、大雑把な私の分け方だとご理解ください。
ここを「松倉町の捕物」とされている場合もあるようです。

富士山を世界文化遺産に

fuji文化審議会の特別委員会は、「富士山」と「武家の古都・鎌倉」を世界文化遺産として国連教育科学文化機関(ユネスコ)に推薦することを了承した。Photo_8
2013年の登録を目指す。
Photo_9富士山は富士五湖など25の構成資産からなり公募第1号として平成19年に暫定一覧に記載されているそうです。
世界的な名山で「富士山信仰」という固有の文化的伝統を表すということです。
Photo_10ところが、富士山はかつて「世界自然遺産」を目指したのですが、ごみ問題などを理由に国内選考で落選してしまった経緯がありますから、今回は山岳信仰や芸術の観点から「世界文化遺産」でのリベンジ登録を目指すそうです。Photo_11
大変申し訳ありませんが、そりゃあ「○泉」や「石○銀山」や「小○原」も・・、価値あるものでしょうが、日本と言えばやはり、落語と富士山でしょう。
間違いありません。
地元ですから、力が入ります。
高校の校章なんて、富士山そのものなんですから。

櫛の日

hairsalon9月4日だから「櫛の日」。Photo_5
昔の女性は、「一櫛、二帯、三小袖」という訳で、おしゃれの最大のポイントが櫛だったそうです。
「小間物屋」という商売は、こういう身の回りの品物を商うもので、「佃祭」の主人公の次郎兵衛さんも、神田お玉ヶ池で小間物屋を営んでいました。
落語に「小間物屋政談」というのがあります。
かなり際どい内容の噺だと思いますが、一応ハッピーエンドではあるんでしょう。
そのうちに覗いてみることにします。

2011年9月 3日 (土)

今日は何の日

music毎朝、NHKラジオで流される「今日は何の日」を聴いています。Photo_9
それを聴いて、「あぁぁ、今日はこんなことがあった日なんだ」と思ったりしている訳です。
今朝も当然聴いていました。
すると、「1979年・昭和54年の今日、落語家の三遊亭圓生さんが亡くなりました」と。Photo_6
当時は、同日に死んだ上の動物園のパンダに話題を独占されてしまいましたが、やはり大きな出来事だったんですよ。
だって、今朝のラジオでは「上野のパンタ゜"ランラン"が死にました」とは言いませんでしたから。Photo_7
そう言えば、この2年前の1977年の今日、後楽園球場で巨人の王貞治選手が通算756号ホームランを打ち、それまでアメリカ大リーグのハンク・アーロンが持っていた世界最高記録を更新したのです。
夏休みが終わって、実家から仙台へ戻る特急「ひばり」の車中でニュースを聴いた記憶があります。
確か、ヤクルトの鈴木というピッチャーではなかったかと・・。

桜鯛

fishあの昭和の名人「六代目三遊亭圓生」師匠の最後の噺が「桜鯛」という噺だそうです。
「桜鯛」と言っても、あまりピンと来ません。
マクラで使う小噺のひとつで、「大名小噺」として、いくつか語られもののひとつです。4
ものを知らぬのが大名ですが、ある殿様は飯の炊き方を知っていると自慢しています。
米を研いで釜に移し、片手を入れて「手の甲まで水を入れて火で炊くのじゃ」と。
周りの人から訊ねられます。
「米が二升になったら?」「両手を入れる。」
「米が三升になったら?」「さらに片足を入れる」・・foot
です。大名が魚を食べる時は、一箸付けては「代わりを持て」一箸付けては「代わりを持て」と次々に皿を交換するのが普通です。
普段、殿様は鯛には箸を付けないので、代わりを用意していない。
こんな時に限って、鯛の真ん中に一箸付けて「代わりを持て」と。
Photo_4代わりがないので、「殿、庭の桜がもうすぐ満開でございます」と誘い、殿様が目を逸らした隙に、お付きの者が魚を引っ繰り返します。
「代わりが来たか」とまた一箸付けて「代わりを持て」と。
もう代わりがないのでおろおろしていると・・・・、
「また桜を見ようか?」・・・。

1979(昭和54)9月3日、三遊亭圓生師匠は、「習志野圓生後援会」の発会式に、体調不良を押して臨んだそうです。
声が震えてよく通らないので心配していると、この小噺を5~6分演って下りて来たそうです。
直後に心筋梗塞で倒れ、そのまま還らぬ人となりました。

圓生忌

slate9月3日は、昭和の名人「六代目三遊亭圓生」師匠の誕生日であり、ご命日でもあります。Photo_6圓生師匠が亡くなったのは、私がちょうど社会人になった年。
その1年前に、落研の創部20周年記念の独演会ご出演いただき、前座を勤めさせていただいたばかりで、大変にショックでした。
それに、さらに運悪く?、同じ日に、上野動物園のパンタ゜も死んだために、報道は、パンタ゜ばかりで、名人の死は片隅に追いやられてしまいました。
1905年 - 子供義太夫として初舞台。
1909年6月 - 落語家に転向し、四代目橘家圓蔵に弟子入り。
        二つ目としてデビュー。高座名は「橘家圓童」。
1916年   - 「橘家小圓蔵」と改名。
1920年3月 - 真打昇進し「五代目橘家圓好」を襲名。
1922年2月 - 師匠圓蔵死去・義父圓窓「五代目橘家圓蔵」襲名に
        伴い、「四代目三遊亭圓窓」を襲名。
1925年1月 - 義父圓蔵が五代目圓生襲名、「六代目橘家圓蔵」。
        「五代目三遊亭圓窓」は叔父「三遊亭圓都」が襲名。
1941年5月 - 「六代目三遊亭圓生」を襲名。
1964年   - 落語協会副会長就任。
1965年   - 落語協会会長就任。
1972年   - 落語協会会長辞任。同会顧問となる。
1978年   - 落語協会分裂騒動で一門弟子を連れ、落語協会を
        脱退し「落語三遊協会」を設立。
1979年3月 - 歌舞伎座で落語家初の独演会。
        演目は「首屋」「怪談乳房榎」「掛取万歳」。
1979年9月3日 - 79歳の誕生日に心筋梗塞で倒れ急死。
今年が三十三回忌になるのかな?

真景累ヶ淵①~宗悦殺し

shadowさあさあ、御用とお急ぎでない方は・・・。Photo_2
全ての因縁はここから始まります。
安永2(1773)年12月20日。
鍼医の「皆川宗悦」は、小日向服部坂に住む小普請組「深見新左衛門」宅へ借金の取り立てに行きますが、激昂した新左衛門が、鞘ぐるみ宗悦を斬り殺してしまいます。
宗悦の死骸を、家来の「三右衛門」に捨てさせる。
その「三右衛門」は故郷の羽生へ帰ります。
1774年、が深見新左衛門は、「お熊」を仲働きに採用しますが、実際は深見の妻が病気だったため妾でした。Photo_3
12月20日、たまたま呼んだ流しの按摩が突然宗悦の姿に変わり、思わず斬りつけると、宗悦ではなく、妻を斬り殺してしまいます。
1775年,深見真左衛門は、隣家との騒動で突き殺され、家は改易となってしまいます。
お熊は産んだ子と深川へ。
門番の「勘蔵」は、新左衛門の子(次男)「新吉」を連れて下谷大門町へ。

もう最初から、複雑な人間関係が出て来ます。
三右衛門・お熊・勘蔵・新吉は、後のそれぞれ重要な場面で登場して来ます。
この物語では、新吉が主役ということになるのでしょう・・・。
さて、続きはどうなりますことやら・・・。

噺の稽古

shockどうしてでしょう・・・?
落語の稽古が出来ません・・・。
大スランプです・・・。トホホホホ・・。crying

2011年9月 2日 (金)

「昭和の名人完結編」(15)

cd彦六の「八代目林家正蔵」師匠。Photo_4
いかにも明治生まれの堅物のような雰囲気の師匠でしたが、怖いけれども茶目っ気があって、今でもお弟子さんたちから慕われている師匠です。
ご自宅から鈴本演芸場へ通う定期券の話と、食べ物(特に、アーモンドチョコレートとかびた餅)の話は爆笑もので、この師匠の人柄が滲み出ている実話なんだそうです。
  ◇ 五人廻し       林家正蔵
  ◇ ぞろぞろ       林家正蔵
  ◇ 累草紙~親不知  林家正蔵
この「昭和の名人 完結編」シリーズも、本号で第15巻となり、専用のファイルも2冊目に入っているので、第1巻目から、パラパラとめくって読み返してみると、噺以外の内容も、なかなか充実していることに気づきます。
ところで、「累草紙~親不知」というのは、実はこちらが本家で、三遊亭圓朝の師匠、二代目・三遊亭圓生の作になると言われる長編怪談噺の一節です。
与右衛門という侍が関係した女を殺害し、その祟りが累々と続いていくという「累」伝説のバリエーションのひとつで、三遊亭圓朝作の「真景累ヶ淵」の先行作であるところから、「古累(ふるかさね)」とも呼ばれているそうです。
与右衛門はいそと夫婦約束をするが、心変わりをして親不知の峠で彼女を殺害する。
離縁を切り出す件から、殺害、そして切れ場の怪異までが芝居掛かりで演じられ、三味線やツケも入ります。
先代正蔵師匠の十八番であり、私は、数年前、お弟子さんの「林家正雀」師匠を生で聴きました。
まさに江戸時代の草紙を読むような古風な雰囲気をよく醸し出していると思います。
この噺については、「真景累ヶ淵」の紹介の後で、述べてみたいと思います。

夏の富士

夏の富士
先月、お盆で帰省の途中、中央道初狩PA(山梨側・北)から見た夏の富士山です。
私は、南西側からの姿を見て育ちましたから、ほぼ反対側からの姿というです。
甲斐の山々の向こうに、頭一つ出ている形も、裾を長く引く形に慣れた目には新鮮です。
・・・夏も終わります。

真景累ヶ淵

cryingとうとう、入ってはいけない所に迷い込んでしまいましたか・・・・?
Photo_14 三遊亭圓朝作「真景累ヶ淵」。
旗本が金貸しの鍼医「皆川宗悦」を切り殺したことを発端に両者の子孫が次々と不幸に陥っていく話(前半部分)と、名主の妻への横恋慕を発端とする敵討ちの話(後半部分)を組み合わせている。
全97章から成る。
1859年(安政6年)の作。
当初の演目は「累ヶ淵後日の怪談」。
1887年(明治20年)から1888年(明治21年)にかけて、小相英太郎による速記録が「
やまと新聞」に掲載された。
そして、1888年に単行本が出版された

「累ヶ淵」の累(かさね)の物語をヒントにした創作で、「真景」は当時の流行語だった「神経」のもじり(漢学者の信夫恕軒が発案者)。
前半部分は特に傑作と言われ、抜き読みの形で発端部の「宗悦殺し」・新吉と稽古屋の女師匠との悲恋「豊志賀の死」のくだりなどが現在もしばしば高座にかけられている。
六代目三遊亭圓生、林家彦六、古今亭志ん朝が得意とし、歌舞伎化や映画化されている。

・・・・というのが全体の説明です。Photo_3
とにかく、登場人物も多く、それぞれの関係も複雑に入り組んで、人もおおぜい死ぬし、どこが楽しいんだろうとも思うのですが、名作なんだそうです。
←クリックしてください。拡大します。
テレビやラジオのない時代に、寄席で生で語られるサスペンスや怪談を聴いて、観客はそのおどろおどろしい世界に迷い込んでしまったように感じていたのでしょう。
これから簡単に、「真景累ヶ淵」のストーリーを追いかけてみましょう。
毎日1幕ずつやって行くことにします。
とりあえず、あの長くて複雑な物語の筋だけは整理出来ることと思います。

本牧亭

memoこんな新聞記事を見つけました。Photo_19
最後の講談専門寄席「本牧亭」、9月に閉場

国内にただ一つ残る講談専門の寄席、本牧亭(東京都台東区上野)が、9月24日で閉場することになった。
江戸時代末の開場から約150年。Photo
閉場を惜しむ声が上がりそうだ。
本牧亭は1857年(安政4年)、上野広小路に講談専門の「講釈場」として開場。
その後、落語中心の鈴本亭と改称した時代を経て、1950年に再び講談専門の本牧亭が復活。Photo_20
四代目邑井(むらい)貞吉、五代目一龍斎貞丈ら多くの名人が活躍し、作家の安藤鶴夫がこの寄席を舞台にした小説「巷談(こうだん)本牧亭」で64年に直木賞を受けたことでも知られる。
だが、講談離れもあって90年に閉場。
92年に近くの文京区湯島に復活、2002年に現在地に移転したが、経営は低迷。
席亭の清水孝子さん(72)は、「若い講談師や観客が増えてきたのに残念」と語る。
本牧亭というのは、鈴本演芸場のルーツになる訳で、席亭「鈴木さん」の「本牧亭」ということで、「鈴本」という名前になったと聞いています。
場所は知っていましたが、行ったことはありません。
講談の定席として、貴重な場所でもありましたから、大変残念です。

宝くじ当選確率100% 

dollar落語では、主人公は、必ず富くじの1等を当てています。
Photo_4当たるんです。
「宿屋の富」も「水屋の富」も「富久」も「御慶」も・・・。
本当に羨ましい限りです。
が、そこが落語の面白いところで。
「宿屋の富」を覗いてみましょう。

旅籠屋で客の男が、宿の主に語っている。
「わしはこんな成りをしているが、金が余って困っている。
大名が十万両二十万両なんて端金を借りにくるのは良いが、返す段になると利息を付けるので、金の置き場がなくなるから返さないように断っているありさまだ。
Photo_5 離れが出来たからと見に行ったら、四日歩いて引き返してきた」と、大ぼらを吹く。
宿の主は、内職で売っている富札の最後の一枚を売り付けて「そんなに金が余っているなら、もし千両当たったら、半分の五百両を分けてくれ」と頼む。
「あぁ、いくらでも持って行きなさい、なんなら少し付けてやるか」
杉の森神社で当たり番を見ると、千両の大当たり。Photo_6
足がガタガタ震えて気分が悪くなり宿に帰ると布団を被って寝てしまった。
宿の主もあわてて帰って来た。
「なんだいおまえさん下駄履いたまま上がり込んで」
「お客さんに知らせなきゃ」って布団を剥いでみると、お客さんも下駄を履いていた。
この噺、当たり札だと分かってびっくりするシーンがポイントですね。
今度の「お江戸OB落語会」で、名人「喰亭寝蔵」師匠がお演りになる予定です。
それにしても、宝くじに当たらないかなぁ。
買ってもないのに、当たる訳ありませんが。
         
bankところで、9月2日は「宝くじの日」だそうです。
当選しても換金されない当たりくじが多いことから、販売している某銀行が時効防止のPRの一環で、昭和42年に制定したそうです。


2011年9月 1日 (木)

やきとり

やきとり
bottle"やきとり"というより、レバー・ハツ・タン・ヒモ・・・の串焼きなんてのがメインの店。
看板は、"やきとり"になっていますが。
要するに"ホルモン串焼き"ということでしょうか・・・?
頓平師匠や金魚師匠と、「東京落語会」の後で立ち寄る店。
焼酎のロックに、串焼きともつ煮込みと冷奴あたりで。
私は酒はほとんど飲みませんが、こういうゲテモノが大好き。
・・それで〆て一人1500円ぐらいでしょうか。
「"浜野矩随"は、乱志くんの方がずっといいよ。」なんて言われて、悦に入っている毎月第三金曜日の、解放感いっぱいの夜。
実は、会社から歩いて1分のところにあるのです。
ところで、"ホルモン焼き"というのは、内臓肉(もつ)を焼く料理のことを言います
狭い意味では、小腸、大腸の肉を、広い意味では、さらに胃、肝臓、心臓、腎臓、子宮、肺などを用いた焼き物です。
"ホルモン"の語源には諸説あるそうですが、内臓は食用の筋肉を取った後の捨てる部分なので、大阪弁で「捨てるもの」を意味する「放(ほお)るもん」から採られたという説が有力だそうで・・・。

インターネット落語会

flair落語協会のホームページ内にある「インターネット落語会」。
9月上旬には、我が「三遊亭圓窓」師匠が登場されています。
 ■インターネット落語会〜第190回[9月上席]■
 【期間】 2011年9月1日(木) 〜9月10日(土)
 【番組】 -圓朝まつり十周年特別企画-
       三遊亭 圓窓
       「佐々木政談」(第1回奉納落語会)
       「ゆれるとき」(第10回奉納落語会)
      
師匠は、第1回目の「奉納落語会」にもご出演だったんですね。
知りませんでした。

防災の日

wave「関東大震災」は、1923(大正12)年9月1日に起こりました。
そして、古来から台風が多く来る時期だという「二百十日」も今日。Photo_3
だから「防災の日」。
bottle関東大震災の時、あの古今亭志ん生師匠は、街中の人たちが慌てて避難する中を、ただ一人酒屋さんに行って、酒屋さんのお酒をしこたま飲んだという逸話があります。
不謹慎というか、志ん生師匠らしいというか・・・。Photo
typhoonそれに、時あたかも、台風が上陸しようかとしています。
昔の人の知恵の素晴らしさを感じます。
被害等がないように祈るだけです。

さん喬独演会

pc10日ほど前に、「さん喬独演会事務局」からのメール。
「さん喬独演会~Vol.9」の案内です。
予約をして、当日は整理券を入手するために並ばなければいけないという、超人気の落語会(独演会)です。
 ■日 時    平成23年10月15日(土)18:00~
 ■会 場    深川江戸資料館 小劇場
 ■入場料    前売り2200円 全席自由席
 ■予約開始  9月1日(木)10時より
これ、かなりの体力が必要なんです。
さん喬師匠の人気の高さからですから、仕方がないのですが・・・。
だから、最近は足が遠のいているんです。
今回も、諦めざるをえないと思います。

猫の災難

catこれも、題名から主人公であるはずの猫は登場しない噺です。

Photo_7

朝湯から帰ってきて、一人でぼんやりしていると急にお酒が飲みたくなってきた。
しかし、熊五郎は一文無し。逆立ちしたってお酒が飲めるわけがない。
「飲みてえ、ノミテェ…」と唸っているところに、隣のかみさんが声をかけた。
見ると、大きな鯛の頭と尻尾を抱えている。
なんでも、猫の病気見舞いに特大の鯛をもらって、身を食べさせた残りだという。
捨てに行くというので、「眼肉(咀嚼筋)がうまいんだから、あっしに下さい」ともらい受けた。
「このままだと見栄えが悪いな。そうだ…」
ざるの上に載せ、すり鉢をかぶせてみたら何とか鯛があるような形になった。
これで肴はできたが…肝心なのは『酒』だ。
「今度は、猫が見舞いに酒をもらってくれないかな…」
ぼやいていると、そこへ兄貴分が訊ねてきた。
「酒や肴は自分が用意するから、一緒にのまねぇか?」
そういった兄貴分が、ふと台所に目をやって…件の『鯛』を発見した。
「いい鯛が在るじゃねぇか!」
すり鉢をかぶせてあるので、真ん中がすっぽり抜けていることに気づかない。
「ジャア、後は酒を買ってくるだけだな。どこの酒屋がいいんだ?」
近くの酒屋は二軒とも借りがあるので、二丁先まで行って、五合買ってきてもらうことにした。
Photo_8 さあ、困ったのは熊だ。いまさら『猫のお余りで、真ん中がないんです』だなんていえる訳がない。
思案した挙句、酒を買って戻ってきた兄貴分に【おろした身を、隣の猫がくわえていきました】と告げた。
「どっちの隣だ? 俺が文句を言いにいってくる!!」
「ちょっと待ってくれ! 隣のうちには、日ごろから世話になってるんだよ…」
『我慢してくれ』と熊に言われ、兄貴分、不承不承代わりの鯛を探しに行った。
「助かった…。しかし、どんな酒を買ってきたのかな?」
安心した途端、急にお酒が飲みたくなる。
「どうせあいつは一合上戸で、たいしてのまないからな…」冷のまま、湯飲み茶碗に注いで「いい酒だ、うめえうめえ」と一杯…また一杯。
兄貴分の分は別に取っておこうと、燗徳利に移そうとした途端…手元が狂って畳にこぼした。
「おわっ!? もったいねぇ!!」畳に口をつけてチュウチュウ。
気がつくと、もう燗徳利一本分しか残っていない。
「参ったな。如何しよう…。仕方がない、また隣の猫に罪をかぶってもらうか」
兄貴分が帰ってきたら、【猫がまた来たので、追いかけたら座敷の中を逃げ回って、一升瓶を後足で引っかけて…】と言うつもり。
そうと決まれば、これっぱかり残しとくことはねえ…と、熊、ひどいもので残りの一合もグイーッ!
「いい休みだな。しかし、やっぱり酒がすべてだよ。花見だって、酒がなければ意味がねぇしな」
『夜桜ぁ~やぁ~♪』と、いい心持で小唄をうなっているうち、《猫を追っかけている格好》をしなければと思いつき、向こう鉢巻に出刃包丁。
セリフの稽古をしているうち…眠り込んでしまった。
一方、鯛をようやく見つけて帰った兄弟分。
熊は大鼾をかいて寝ているし、一升瓶をみたら酒がすべて消えている。
「なにやってんだよ!!」
Photo_9 「ウー…だから、隣の猫が…」
「瓶を蹴飛ばして倒した!? なんて事を…ん? この野郎、酔っぱらってやがんな。てめえがのんじゃったんだろ」
「こぼれたのを吸っただけだよ」
『隣に怒鳴り込む』と、兄貴分がいきまいている所へ、隣のかみさんが怒鳴り込んできた。「いい加減にしとくれ。家の猫は病気なんだよ。お見舞いの残りの鯛の頭を、おまえさんにやったんじゃないか!」
物凄い剣幕で帰っていった。
「どうも様子がおかしいと思ったよ。この野郎、おれを隣に行かせて、いったい何をやらせるつもりだったんだ!?」
「だから、隣へ行って、猫によーく詫びをしてくんねえ…」
この噺も難しい噺ですよ。
酒の飲み方、酔っ払って行く過程・・・・。
私は、酒を好みませんから、酒を飲むシーンで、酒らしく、それも上手そうに飲むのにはどうするのか、いつも悩んでいます。
この間の「佃祭」でも、酒を飲むシーンを作りましたが・・・。

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